836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/05(火) 23:02:59.95 ID:lp6Siulz
北畠顕忠は浪岡城主北畠顕村の従兄弟であった。
浪岡城が落城した際は油川城におり、落城の報を聞き涙を流して悔しがったという。
その後、土民に変装して行方不明の妻子を探して見つけ出し、顕忠は顕村の一人娘と自分の子顕佐を
老臣沼山勘解由に預けた。
成長した時には二人を結婚させ、北畠氏唯一の正統な血統とし、先祖を祀らせることを頼み、顕忠は
秋田に落ちていった。
やがて沼山勘解由は大浦為信の軍門に降り、大浦城に仕官するようになったので秋田にいる顕忠にも、
降参して一族で同じところに住むことを奨めた。
しかし、顕忠にはどうにもならないことで、その返書に金五十両を添え、重ねて一族の養育を頼んだ。
その返書の内容である。
--------------
去月二十八日の来状、いま拝見候。いよいよ御無異の条、満足致し候。
しかれば、このたびの貴様御官僚(仕官)に有りつきなされ、ごもっともに存じ候。
ついては、拙者も降参いたすまじきやのむね、御親族のよしみと御厚情浅からず、かたじけなく存じ候。
譜代の長者(家臣)、もろもろ歴々の大方、降参のうえは、拙者若輩の身、
さっそく貴様の御深情にしたがい申すべく候えども、亡君の契り、忘れがたく存じ候。
ことに近ごろ、多病に相なり候間、いまさら降参の望み、
これなく、このうえとて四海いまだ定まらず、ただ風波と漂着仕るべき存念に候。
しかれば、御地にて唯御先祖祭りごとも分にいり、御成長の後は、先祖祀らせくだされたく候。
北畠中納言(顕家)の正統末葉とも、ほかにこれなく候間、拙者の心底を御察し、何分頼み入り候。
妹に別紙進ぜず候、よろしく頼み入り候。
一.金五十両、軽少の御座候えども、これを進呈仕り候。
一.おたがい御存じ、もちろんの儀に候えども、御当家の先祖由緒、大方書き記して進じ候。
こども成長ののち、先祖を祀らせ仕り、別家のためにもつかまつり候節、
この遺物相添え、こどもへ御渡しくだされたく、委細の記録は、先だって兵乱の折り、散乱致し候。
この度も急使、ことに粉乱のなか、委細記しかね候。
ただ胸中に覚え候趣きばかり、書き記し候のみ。
八月十六日 北畠左近顕忠
沼山勘解由殿
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名家が滅びゆく様をありありと伝えている書状でした。
北畠顕忠は浪岡城主北畠顕村の従兄弟であった。
浪岡城が落城した際は油川城におり、落城の報を聞き涙を流して悔しがったという。
その後、土民に変装して行方不明の妻子を探して見つけ出し、顕忠は顕村の一人娘と自分の子顕佐を
老臣沼山勘解由に預けた。
成長した時には二人を結婚させ、北畠氏唯一の正統な血統とし、先祖を祀らせることを頼み、顕忠は
秋田に落ちていった。
やがて沼山勘解由は大浦為信の軍門に降り、大浦城に仕官するようになったので秋田にいる顕忠にも、
降参して一族で同じところに住むことを奨めた。
しかし、顕忠にはどうにもならないことで、その返書に金五十両を添え、重ねて一族の養育を頼んだ。
その返書の内容である。
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去月二十八日の来状、いま拝見候。いよいよ御無異の条、満足致し候。
しかれば、このたびの貴様御官僚(仕官)に有りつきなされ、ごもっともに存じ候。
ついては、拙者も降参いたすまじきやのむね、御親族のよしみと御厚情浅からず、かたじけなく存じ候。
譜代の長者(家臣)、もろもろ歴々の大方、降参のうえは、拙者若輩の身、
さっそく貴様の御深情にしたがい申すべく候えども、亡君の契り、忘れがたく存じ候。
ことに近ごろ、多病に相なり候間、いまさら降参の望み、
これなく、このうえとて四海いまだ定まらず、ただ風波と漂着仕るべき存念に候。
しかれば、御地にて唯御先祖祭りごとも分にいり、御成長の後は、先祖祀らせくだされたく候。
北畠中納言(顕家)の正統末葉とも、ほかにこれなく候間、拙者の心底を御察し、何分頼み入り候。
妹に別紙進ぜず候、よろしく頼み入り候。
一.金五十両、軽少の御座候えども、これを進呈仕り候。
一.おたがい御存じ、もちろんの儀に候えども、御当家の先祖由緒、大方書き記して進じ候。
こども成長ののち、先祖を祀らせ仕り、別家のためにもつかまつり候節、
この遺物相添え、こどもへ御渡しくだされたく、委細の記録は、先だって兵乱の折り、散乱致し候。
この度も急使、ことに粉乱のなか、委細記しかね候。
ただ胸中に覚え候趣きばかり、書き記し候のみ。
八月十六日 北畠左近顕忠
沼山勘解由殿
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名家が滅びゆく様をありありと伝えている書状でした。
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