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松野亀右衛門鉄砲修練の事

2018年06月20日 20:59

25 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/20(水) 15:32:11.38 ID:88yyrNxx
松野亀右衛門鉄砲修練の事

島原の城攻に、細川家の士大将松野亀右衛門井楼より見るに、本丸と二の廓の間に坂有り
て人集る。中に大紋の羽織著たる者在り。松野指ざして鉄砲を打ちたるに、五町許にてた
だ中に中りてけり。夫より空箭無く打ちしかば、彼坂を夫より後たまたま通る者、身を屈
め走り通りけるとぞ。松野は、鉄砲の妙手留刑部一火に学びて妙を得たり。

(常山紀談)

 500メートルをスナイプ。確かに原城の縄張りを見ると、本丸の出入り口は内陸を向い
ているから、狙撃しやすいポイントと言えそう。しかし、ライフリングの無い火縄銃で、
外した弾がないというのは、すごいなあ。


 ちなみに、この松野亀右衛門、大友氏の末裔らしい。



26 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/20(水) 17:20:25.75 ID:A/bNT0zJ
大友宗麟の次男親家が立花宗茂を経て細川忠興に客分として士官し利根川道孝と名乗る
子の(織部)親英は蜂須賀に使えたあと細川忠興に召し寄せられて直臣となる
大友改易後に田原親盛が細川忠興に使え松野半斎と名乗っていることから松野衆として名を改めたのだろうか?
亀右衛門は親英の子である

なお松野家はもともと切支丹であったが棄教した、このため代々家老に起請文の提出が義務付けられていたようだ


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松野亀右衛門の謀

2013年03月09日 19:52

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/09(土) 14:35:15.63 ID:slsb1I88
松野亀右衛門は細川家の侍大将にて、鉄砲の名手であった。
かつて熊本の自宅において、一匁筒を磨いていた時、庭の南天の実をヒヨドリが啄みに来た。
亀右衛門は鉄砲に弾薬をつめ、標的を見ずに火箸で火を着火させたが、事もなく撃ちぬいたという。

さて、島原の乱の前のことである。
細川家の家臣に南條大膳という者があったが、恨むことがあって細川家を傾けんと策謀し、
幕府に対し、細川家中に切支丹があると訴えでた。

幕府はこの南條を江戸に召喚することを命ずる。これに細川家は驚きどう対処すればよいか
途方に暮れたが、ここで松野が「私にお任せください」と、これを引き受けた。

さて、南條を江戸に船で護送するのであるが、松野は南條が囚人の扱いであるので、船内に
厚い板で詰め牢を作り、医師一人にだけ密謀を言い含め熊本より出立したが、天気を待つといって
所々で船を止め、日を経るうちに、健康のためと言って人参を入れた薬を南條をに与えた。
さらに朝夕の食事も、人参湯で飲食をさせた。

南條は長期間牢に閉じ込められ気が鬱していた上に、人参数百斤を飲まされたため、終に心狂乱した。

松野は江戸に至ると彼を召しつれ幕府に対し、「南條は数年来狂気の者である」と説明した。
切支丹の訴えの件を問われても、「ただの狂言に過ぎません」と答えた・
何より訴えた本人が狂乱の体であるので幕府も致し方なく、「では熊本に帰せ」と、南條の身柄も
松野に返した。

この謀を知っていたのは、人参を調薬した医師一人のみであったと言う。
(軍人頓智叢談)




863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/09(土) 14:46:53.06 ID:19OH1Eir
人参こええええ

864 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/09(土) 15:13:25.68 ID:qwxpDY3F
人参責めとか

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/09(土) 15:17:16.77 ID:67BDpLzD
人参いらないよと言い出すな・・・しかし37人目にならなかったのか

866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/09(土) 15:31:23.02 ID:KZx70caN
>865
医者

867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/09(土) 18:18:34.74 ID:67BDpLzD
数百斤の人参か・・・いくらすんだろうなw