渡河第一の名誉を

2013年03月09日 19:52

688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/09(土) 01:22:26.71 ID:slsb1I88
慶長5年関ヶ原の役、東軍による岐阜城攻めの折のことである。

東軍の将の一人、田中吉次(田中吉政嫡男)は合渡川を渡ろうとしたが、大雨の降り続いた後であったため、
水量大いに増しており、どの場所が浅く渡るのに都合がいいかが解らず、全軍すこぶる困っていた。

この時、田中吉次軍の中に、中間の三郎右衛門という水練達者の者があり、遙か末座より恐る恐る

「私が瀬踏みをつかまつります!」

というとザンブと川の中に飛び込み、彼方此方と泳ぎまわった。
しかしその姿を見るとどこも同じような深さで、徒歩で渡れそうな場所は無いように見えた。

暫くして三郎右衛門は帰ってきて、大将である吉次に申し上げた

「この辺り一帯は浅瀬でございます!さあ、早くお渡りください!」

吉次はこれを聞くとたちまち不審に思った。彼も三郎右衛門の瀬踏みを見ており、浅い場所があるようには
とても思えなかったためである、彼は眉を寄せて

「先にお前が瀬踏みをしていた様子を見たが、すこぶる深いように思われた。それなのに今、却って浅いと言うのは
一体どういう理由からか!?」

三郎右衛門答えて曰く
「さればです。実を申せば私の瀬踏みした一体は浅瀬でした。
しかしそのような姿を見せてしまっては、他の軍勢もこれに気が付き、我先にと渡ってしまい、今日の戦功が
他の者の手に渡ってしまいかねません。

そう考えたため、わざと深いかのように見せ、諸軍に油断をさせたのです。しかし実際にはあの一帯は浅瀬です!
さあ、早くお渡りください!」

田中吉次は三郎右衛門の言葉に感嘆し、その勧めに従いすぐさま全軍を渡らせ、この方面の軍勢の渡河第一の名誉を
手に入れたのである。

後に田中吉次はこの三郎右衛門を武士に取り立て、その姓を「合渡」とした。
よって彼は合渡三郎右衛門と称したとの事である。

(軍人頓智叢談)




689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/09(土) 08:51:06.27 ID:19OH1Eir
渡河第一の名誉って、やっぱり渡河中は危険だから?

690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/09(土) 09:08:58.31 ID:8+NklLJ6
>>689
他の軍勢を出し抜いて先鋒が取れるから

691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/09(土) 10:15:57.93 ID:5GTWu+47
雨降ったあとは増水してて流される危険があるし
敵と対峙してる時なら、渡河中は身動きとりづらく敵に狙われる危険がある
そういうリスクを乗り越えて先陣を切るからだろうね

692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/09(土) 10:40:49.70 ID:Irl9py6G
源平合戦の宇治川の先陣争いからの伝統


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