450 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/18(日) 09:55:08.45 ID:HHO290R9
小栗又市は、駿府城の火災の時に奥方の御番を申し付けられていたが、避難のための門を開けるのが
遅かったため、御古茶という末の女中が、大勢が逃げる中踏み殺された。この責任により改易された。
当時、知行二千石であった。
大阪の陣の時再び召し出され、五百石を与えられた。
さて、御陣の時、彼は御使に遣わされることになったが、徳川家康は絵図を見ながら
「又市、これからこう参れ」と指示した。しかしこれに又市は「私の馬がくたびれており、参ること出来ません。」
と答えた。
これに本多佐渡守(正信)が、「私が馬を貸しましょう。」と言ったが、又市は
「人の馬を借りて行くのは嫌だ。その上こんな時ばかり、又市又市と仰せになる。何もくれないくせに!」
と言った。
(人の馬を借てはいやなり。その上加様の時ばかり、又市又市とばかり仰られ、なにもくれもせいでと云。)
(武功雑記)
なおこんな事言いながら「若い使番は俺と違って遠くからしか観察しないから役に立たない。」なんて言い放つほど
しっかり仕事していた模様。ちなみに大阪夏の陣で敵に接近しすぎて銃撃を受けその傷が元で翌年死んだ。
小栗又市は、駿府城の火災の時に奥方の御番を申し付けられていたが、避難のための門を開けるのが
遅かったため、御古茶という末の女中が、大勢が逃げる中踏み殺された。この責任により改易された。
当時、知行二千石であった。
大阪の陣の時再び召し出され、五百石を与えられた。
さて、御陣の時、彼は御使に遣わされることになったが、徳川家康は絵図を見ながら
「又市、これからこう参れ」と指示した。しかしこれに又市は「私の馬がくたびれており、参ること出来ません。」
と答えた。
これに本多佐渡守(正信)が、「私が馬を貸しましょう。」と言ったが、又市は
「人の馬を借りて行くのは嫌だ。その上こんな時ばかり、又市又市と仰せになる。何もくれないくせに!」
と言った。
(人の馬を借てはいやなり。その上加様の時ばかり、又市又市とばかり仰られ、なにもくれもせいでと云。)
(武功雑記)
なおこんな事言いながら「若い使番は俺と違って遠くからしか観察しないから役に立たない。」なんて言い放つほど
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