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阿波守、弓箭に賢き仕方なり

2022年06月13日 18:14

245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/06/13(月) 16:33:10.50 ID:fimvgw9r
大阪冬の陣、蜂須賀阿波守(至鎮)の陣に大阪方の城兵が夜討ちの時(本町橋の夜戦)、
阿波守よりこの趣を仔細に書付け報告された。

この検使として幕府より、小栗又市が遣わされた。ところが彼は蜂須賀手先の柵を、
又市の計らいとして取り除けさせた。蜂須賀家の家臣たちも心得難く思ったが、幕府の
検使の指図であるので、それに任せた。

翌十七日、大御所(徳川家康)は本町筋を御巡見された。そして夜討ちの場、且つ柵の様子を
ご覧になって「阿波守、若輩たりと雖も、弓箭に賢き仕方なり。」と、甚だ御感あったという。

新東鑑



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このような人物だったが故に

2022年01月11日 16:44

270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/01/10(月) 21:59:52.63 ID:UGpWE7JG
或る記に、小栗又市(忠政)は、初め庄治郎と称したが、いつも一番首一番高名を遂げたことで、
大御所(徳川家康)の命によって又市と改めた。

去る関ケ原合戦に、米津清右衛門清勝が敵の首を得て小栗に見せた所、彼はそれを見て
「我も高名せん!」と、罵りながら馬を馳せ、島津の後殿に辞をかけ、馬上より突き落とし
首を得て帰るとそれを米津に見せ、たちまちその首を捨てた。これはその時の手柄が、名に
応じなかった故だという。

また曰く、この時(松平)薩摩守忠吉朝臣も敵の首を取られ、家康公の御前に出られると、
家康公を始め諸大名これを称賛したが、この時小栗又市は

「敵が弱く逃げ廻っているのを、家臣に足手を持たせて首を取らせ参られたのを褒められては、
いつでも敵は弱いものだと思し召されて、いざという時怪我あるべし。」

と申したことで、忠吉朝臣も立腹されたという。このような人物だったが故に、高禄にはなれなかったと
云われる。

新東鑑



271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/01/11(火) 01:02:57.11 ID:AD0C/h+Y
小栗一族って骨ありすぎて報われないのかな

272 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/01/11(火) 10:42:55.30 ID:1bCBJ5R/
面倒臭いの一言でok

此の如き勇士を妄りに殺すなかれ

2022年01月03日 17:03

924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/01/03(月) 15:17:37.34 ID:G/T66Atw
或る本に曰く、小栗家伝に、河野権右衛門道重は傍輩闘争の時に加担し、御家(徳川家)を退去したが、
今般(大阪冬の陣)にその科を償わんと、小栗又市に従って参戦した。

大阪方が天満を自焼し退去し、城に通じる橋も焼き落としたが、本町橋一ヶ所は残されていた。
この時、小栗又市、河野権右衛門の両人は橋際に至り、敵方の鉄砲を恐れず見分していた所、
権右衛門は歩行立ちになり、橋を渡って城門に至り、肌も震えず、目も瞬かずに見分して帰った。

この様子を大阪城の櫓門より後藤又兵衛、上条又八などが遥かに見て大いに感じ入り

「此の如き勇士を妄りに殺すなかれ!」

と矢弾を止めた。またその後、この方面に在った森忠政は幕府軍の本陣に赴き、この事を称賛し、
また橋が未だ焼けていないことを報告したという。

新東鑑



925 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/01/03(月) 16:30:45.71 ID:owC06CWl
河野なら道ではなく通では

加様の時ばかり、又市又市とばかり

2018年11月18日 22:11

450 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/18(日) 09:55:08.45 ID:HHO290R9
小栗又市は、駿府城の火災の時に奥方の御番を申し付けられていたが、避難のための門を開けるのが
遅かったため、御古茶という末の女中が、大勢が逃げる中踏み殺された。この責任により改易された。
当時、知行二千石であった。
大阪の陣の時再び召し出され、五百石を与えられた。

さて、御陣の時、彼は御使に遣わされることになったが、徳川家康は絵図を見ながら
「又市、これからこう参れ」と指示した。しかしこれに又市は「私の馬がくたびれており、参ること出来ません。」
と答えた。
これに本多佐渡守(正信)が、「私が馬を貸しましょう。」と言ったが、又市は

「人の馬を借りて行くのは嫌だ。その上こんな時ばかり、又市又市と仰せになる。何もくれないくせに!」
と言った。
(人の馬を借てはいやなり。その上加様の時ばかり、又市又市とばかり仰られ、なにもくれもせいでと云。)

(武功雑記)

なおこんな事言いながら「若い使番は俺と違って遠くからしか観察しないから役に立たない。」なんて言い放つほど
しっかり仕事していた模様。ちなみに大阪夏の陣で敵に接近しすぎて銃撃を受けその傷が元で翌年死んだ。


「このような者を討ち取るのは士の本意にあらず」

2016年09月08日 17:40

169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/08(木) 04:37:46.33 ID:HJ7j8xdk
慶長19年、大坂の御陣にて、小栗忠政は御使番・斥候の役目を承り、糧米3千俵を
恩賜され、与力20騎、弓・鉄砲の同心100人を付属された。

11月、後藤又兵衛基次と森豊前守勝永(毛利勝永)は仙波の人家に火をかけて城中
に引き入った。この時、船場の橋をも焼き捨てたのか実否は定かでなかったので、

本多正信を介して、「急ぎ見て参るように」との(徳川家康からの)仰せがあったため、
忠政はすぐさま1人で馬を馳せて行ったところ、

河野権右衛門通重は、御勘気を受けた身であったので忍んでいたのだが、忠政に伴う
ことを乞うた。それから、2人はともども船場の橋際に至り、忠政は馬を止めて静かに
その実否を見届けた。通重も徒歩で橋の向こう方に渡った。

城兵はこぞってその勇気を感心し、「このような者を討ち取るのは士の本意にあらず」
として、矢玉を放つ者はいなかった。

その後、忠政は帰って、敵の様子をつぶさに申したので、(家康から)「敵近く危うき所
に至り、よく見定めて帰った!」との、御感に預かった。

――『寛政重修諸家譜』




170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/08(木) 07:09:12.21 ID:17UvBhRK
あれ?河野の手柄は?まさか…

小栗上野介は幕末の一人物だよ

2016年02月08日 18:00

110 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/07(日) 21:47:33.00 ID:v2SG8Npp
これは明治時代の話になるのだがご容赦を

勝海舟は政敵・小栗上野介忠順について氷川清話の中でこう評していた

小栗上野介は幕末の一人物だよ。あの人は精力が人に優れて計略に富み世界の大勢にもほぼ通じてしかも誠忠無二の徳川武士で先祖の小栗又一(忠政)によく似ていたよ。
一口にいうとあれは三河武士の長所と短所とを両方備えておったのよ。しかし度量の狭かったのはあの人のためには惜しかった」

当時は小栗又一忠政が誠忠無二の三河武士として高く評価されており子孫の上野介も初代又一に例えられたのは非常な名誉だったかもしれない



111 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/07(日) 21:55:24.17 ID:YvvETfm6
>>110
勝海舟はどんな話でも自分を持ち上げる為に他人を使うから大嫌い

112 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/07(日) 22:37:06.32 ID:SGOzzvqe
福沢諭吉「せやな」

113 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/02/07(日) 23:28:07.22 ID:t9+ef2vY
小栗さんの子孫は漫画家になったんだよな
昔、ジャンプで連載された
テンテン君の作者がそうらしい

115 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/08(月) 19:22:35.46 ID:gDL8B/I9
>>110
小栗上野介さんものすごい面倒くさそうです

116 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/08(月) 19:33:17.55 ID:SQuCyOuj
幕臣で一番めんどくさそうな勝海舟がそれを言うのも面白い。
そういえば、勝海舟を大久保彦左衛門にたとえる人がいるけど、
晩年の境遇はともかく、実績があまりにも違いすぎだろうに…

117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/08(月) 21:29:47.41 ID:Iwd3FKrA
>>116
これどっちのが実績あると見るの?

戦国贔屓だから
戦国時代に武功を上げた彦左の方が実績あると考えたけど

118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/08(月) 21:39:52.32 ID:ZgTfYKA/
局地戦で活躍しただけの人と日本を揺るがしかねない事態を何とかした人とじゃ
流石に勝のほうが実績あると思うけどな

119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/08(月) 21:40:41.93 ID:wm+Ql6zV
そら海舟やろ

120 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/02/08(月) 21:44:21.48 ID:OlPz/peZ
大久保って愚痴日記出したのが功績だろ?
海舟とはラベルが違うと思うが

121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/08(月) 22:13:29.21 ID:ncGGk0Ei
伊藤博文も勝海舟もちょっと前の先祖が農民って所が幕末乱世

122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/08(月) 22:16:20.27 ID:leHnml7m
昨今の幕末史研究では、江戸無血開城も、いわゆる西郷と勝の会談よりも前に決まっていたらしく、勝はどうも、それを自分の手柄に
でっち上げたフシがあるらしいぞw

123 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/02/08(月) 23:20:32.83 ID:QKtuFps3
勝みたいなハッタリ野郎に比べたら小栗の方が有能だな
明治維新で薩長がやろうとした事はみんな
小栗が考えてた事のコピーだから

正直、小栗上野介と河井継之助は生かして欲しかった

124 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/08(月) 23:48:57.97 ID:wm+Ql6zV
そろそろ板違い

「あのような理不尽者には」

2016年01月10日 14:22

924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/10(日) 10:09:30.91 ID:l4mamycO
久松彦左衛門は小栗又市(忠政)と人返しのことについて遺恨があった。

「このような事は使いでは埒が明くまい。じかに又市に会って埒を明けるぞ!
いかに又市が武辺者であるとしても、頭が割れぬはずはあるまい!」

彦左衛門はそう言って又市のところへ行った。

しかし又市は、「あのような理不尽者には」と言って、対面しなかった。

――『武功雑記』




そう言うと取ってきた首を

2014年09月02日 18:55

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/01(月) 20:18:52.58 ID:wQw+R2C8
関ヶ原の決戦の折のこと。

徳川家康の旗本である米津清右衛門正勝は、敵の首を取って来て、小栗又一忠政に向かい
「俺は早くも高名をしたぞ!」
と言い放った。米津と小栗は、かねてより仲が悪かった。

小栗はこれを聞くと
「お前ががシラミ首を取るのなら、俺は兜付きの首を取って見せよう!」
そう叫んで前線へと向かった。

米津清右衛門はこの首を家康の御覧に入れたが、家康は見るなり
「清右衛門、お前は使番ではないか!使番は敵の先手の様子を見てすぐさま本陣に注進するのが
その役割である。首の一つや二つ取って何の用に立つか!」と叱りつけた。

米津が御前より下がると、やがて小栗又一が兜首を取って帰ってきた。そして米津に向かって

「これを見よ!お前に出来る程度の事が、俺に出来ないと思ったか!」

そう言うと取ってきた首を道端の谷川へと投げ捨てたのである。
(明良洪範)

米津清右衛門さん、せっかく首をとったのにふんだり蹴ったりというお話。


関連
「やあやあ又一よ。俺はもう名を上げたぞ」と自慢した。


103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/01(月) 20:25:35.97 ID:IBLbPvNW
首をとられた二人が可哀想

104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/01(月) 20:32:13.96 ID:i9DExyOu
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6415.html
前にも出てるようだが出典は書いてないな

この時、軍監を務めていた小栗忠政は

2012年08月09日 20:51

896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/09(木) 17:29:25.43 ID:M2QzuxWM

鴫野の戦いの時、上杉景勝は敵の大軍を破って勝利した。
この時、軍監を務めていた小栗忠政は、徳川家康の陣にやって来て、
戦の次第を伝えると御次の間に退いた。

そこで忠政は戦の時の話をし始めた。

「今日の戦で敵を追い討ちする絶好の機会があったゆえ、
景勝にすすめたのだが、もう日暮れだといって聞き入れなかった。

しかし、残った敵も多かったゆえ諦めきれず、直江に兵を貸せ、
わしが行くと言ったのだが、これも同じ様なことを言って断られたわい。

さてさて、残念なことじゃ」

…と言っているところに家康が入って来た。忠政の声がよほど
大きかったのか、家康は話をすべて聞いていた。

「やい、又一。お前の身分で景勝の指揮を非難するはいらざることぞ。

このたわけ者め!」

主に厳しく咎められて、流石の忠政も平伏して恐縮した。

――『徳川実紀』




897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/09(木) 18:07:14.23 ID:G8q1lgcT
小栗さんはこんな年になってもぶれないなw

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/09(木) 19:25:12.53 ID:nVNH7eNI
もっと若い頃だったら家康に何か言い返したりしたんだろうかw

899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/09(木) 19:52:22.06 ID:6ehqqsG6
言い返せないなんてオレの知ってる又一と違う

理不尽でめんどくさくて大久保彦左とガップリ四つに組める男なのに…

901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/09(木) 20:19:38.27 ID:2zdOeasM
忠政「景勝殿、今こそ追撃の好機にござろう。
兵を貸してはくださらぬか?」
景勝「・・・」
直江「殿は、もう日暮れなので兵は貸せぬ、とおっしゃってます」
忠政「では直江殿、貴公の兵を」
直江「わたしも、日暮れなので兵は貸せませぬな」

そりゃ同じ様な返事になるよな

902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/09(木) 20:30:21.38 ID:e8TeZ/K+
そりゃ景勝がダメっつってんのに直江が貸せるわけ無いだろうと

903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/09(木) 20:30:36.96 ID:M+sQuYa2
小栗さんって大坂夏の陣の戦傷が元で死んだんだよな。

つまりこの発言後まもなく命に関わる負傷をしてしまう。

「やあやあ又一よ。俺はもう名を上げたぞ」と自慢した。

2012年05月17日 21:00

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/17(木) 12:45:25.18 ID:3RWKz1S1
関ヶ原の戦いの時、徳川の家臣・米津清右衛門正勝は敵の首を取って
きて小栗又一忠政に向かい「やあやあ又一よ。俺はもう名を上げたぞ」
と自慢した。

実はこの二人かねてより仲が悪かった。又一は「貴様がしらみ首を
取るならば、俺は兜首を取ってみせるわ!」と言い返して先陣へ馳せた。

正勝はさっそく首を主の家康に見せたが「使番の仕事は先手の様子を
早く本陣に伝えることであろう。首の一つや二つが一体何の役に立つと
いうのか!」と叱られてしまった。

さて、一方の又一は宣言通り兜首を取ってきて正勝に向かい
「ほれ見ろ。お前にできることが俺にできないわけないだろ」と言うと、
首をその辺の谷川に捨ててしまった。

関連
そう言うと取ってきた首を


228 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/05/17(木) 13:32:47.66 ID:jAtkeGHb

>>227
兜首を捨てるとは…めんどくさい三河者らしいや

229 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/17(木) 13:43:06.94 ID:wBTEnuY+
徳川の戦いでそんなホイホイと兜首が取れる訳ないし
自演乙と言う話なのだろう

230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/17(木) 13:53:21.97 ID:MiYy4jIx
兜首って別に大将の首という訳ではなく侍の首って事だから

231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/17(木) 14:03:31.68 ID:5bwNOItT
じゃあしらみ首って何だ???

232 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/17(木) 15:27:42.42 ID:dSUi5V82
多分、雑兵の首

正勝「首取ったど」
又一「雑兵の首じゃんwじゃあ俺は侍の首取ってくる」

正勝「首取りました」
家康「お前の仕事は何か考えろ、ああ?」

って話だろう

小栗又一「討ち死にをするようなのは」・悪い話?

2009年06月06日 00:01

70 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/05(金) 20:16:52 ID:BOmyUVMV
小栗又一がある時、こんな事を言ったそうだ

「勇士だって言ってる連中でね、討ち死にをするようなのは、ありゃみんな
死にたくて討ち死にしてるんだよ。
だってそうだろ?戦場にのぞむ前にさ、その戦場や敵に詳しい人に色々聞いて、その上で
合戦に出れば、討ち死になんてするわけ無いじゃん。

自分の勇気だけを頼んで、勇ましくあろうとするから、夏の虫が飛んで火に入っていくみたいに
死んじゃう訳だよね。もう笑うしかない。大爆笑。

言っちゃえばね、戦場に臨む時は、先に自分の手に合う敵の目星をつけて、
それに仕掛けていくものなんだよ。
その、『自分の手に合う敵』ってのを判断するのが、技術なんだなあ。
こう言う物はね、敵に付いて詳しい人、合戦と言うものをよくわかっている人にちゃんと聞かないと
解らないものさ。

人それぞれ大事な命だろ?考え無しに月日を送って、心のままにするなんてのは、
そりゃあよくない事さ。」

勇気と無謀を履き違えがちな武者達への、戦場の大ベテランからの苦言であった。





73 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/05(金) 21:23:26 ID:uctt2KI2
大事な命って概念はあったんだな

74 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/05(金) 21:25:07 ID:z0fDVtVj
いざという時に捨てるために大事にしなくてはいけない

75 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/05(金) 22:45:17 ID:Zp/pXsYO
勝つためには歩一枚とて疎かにはできない
だが勝つためには飛車とて捨てなければならないこともある


小栗又一「このくらい誰でも出来ること」・悪い話?

2009年05月23日 00:01

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/22(金) 20:14:17 ID:1M/qbpsf
小栗又一は戦場において常に、「大」の字の指物をしていた。
そのため手柄を立てるたび、「大の字がまたやったぞ!」
「今日も大の字がやったぞ!」と、大変に騒がれた。

ところが又一、これを聞くと不機嫌そうに言った

「何を阿呆みたいにやかましく言っているんだ?このくらい誰でも出来ることだろ。
毎回先陣を取るようにすればいいんだし。」

一同、「それが出来ないから言ってるんだよ!」

又一さん、自分の才能が特別だとは理解していなかった。と言うお話。




618 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/22(金) 23:09:38 ID:Xwhm2Hna
>>616
人に教えることが出来ない天才の系列かw

クルム伊達「ライジングはね、ギューンときたらガッと叩けば出来るのよ!」
女子選手一同「できねーよ」
みたいな。

619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/22(金) 23:15:35 ID:KYDHRo2B
ヒットなんかホームランの打ち損ないだろ?
って言ってた某三冠王を思い出した。

620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/22(金) 23:16:06 ID:YRUAkRkk
>>616
長嶋がバッティング指導で、
「こう、球が来たらキーンと打つ」と言っていただけというのを思い出すな。

632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/23(土) 04:29:39 ID:fZTb9j2S
>616 スツーカ使いのハンス・U・ルーデル先生を思い出しますた
独逸の降伏後、西側に投降したルーデルさんとスツーカ隊。
連合国にも名前を知られたエースだってんで、ひつこく尋問される

米軍将校「ウチら連合国の戦闘機のがはるか優速なのに、な
んで足の遅い攻撃機(Ju-87D/G)で何千回も出撃して貴官は無事だったのだ?」
ルーデルさん「そんなに不思議かね、私としては特に工夫はしていないのだが……」

尋問した将校ポカーン 板違いですまん。
ルーデルは主に東部戦線で、対空砲にやられて30回撃墜されたが、全て味方陣地へ生還。
自機より200km/hも速いはずの敵戦闘機に撃墜されたことは一度もなかったというチートさん。

633 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/23(土) 05:01:43 ID:Hk6PwGyT
>>632
戦闘精神が服着て歩いてるようなのが共通点だと思うぜw

小栗又一、家康に呼び止められて・悪い話

2009年05月01日 00:07

104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/30(木) 18:29:06 ID:eMWLTJKi
大阪の陣での出来事

家康は近習の御家人に、下知なくして出撃してはならぬと申し渡していたが、
ある時、小栗又一と何某という二人が抜け駆けして出撃した。
このとき高みにいた家康、これを見かけ

「それそれ、お前達、軍法を破っておるぞ!!」

と叫んだ。
この時何某は、これを家康の声だと気が付かずに、振り返らずそのまま行ってしまった。
が、又一は、これを家康の声だと気がつき、つい振り返ってそのほうを見てしまった。

「なんだ、又一めか!」

ああ見つかった。

翌日、振り返った又一は、抜け駆けを目撃されたため、ご勘気を被った。
振り返らなかったほうは、本人不明と言う事で、処分は無かったそうだ。

長年家康の傍で「又一又一」と呼ばれていたため、つい癖で振り向いてしまったのだろう。
後で「何故自分だけ!」と憤ったとかどうとか。

いい歳した天下に名だたる勇者の癖に、学校の先生に叱られた悪戯小僧のようなお話。





小栗忠政と”又一”・いい話

2009年04月17日 00:10

769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/16(木) 07:00:32 ID:VTeKyjXR
小栗家のちょっといい話。

家康家中に小栗又市忠政という勇士がいた。
又市、たびたび一番槍の手柄を立てるのを見て家康は言った。
「又、一番槍は又市か……」
そこで家康、ピン!とひらめいた。
「よし、その方、これから又市改め又一と名乗れ!」
それ以来、小栗家では又市を又一と改め代々名乗るのであった。



参考
北条氏邦配下、阿佐見伊賀守と朝見姓・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1849.html


竜造寺四天王、戸田賢兼の百武姓・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1848.html

小栗又一vs大久保彦左衛門・悪い話

2009年03月31日 00:06

296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/30(月) 01:14:48 ID:bHU9zXn9
終にキタ。小栗又一vs大久保彦左衛門

小栗又一と大久保彦左衛門の間に、人返し(逃亡した領民の返還)の事に付いて、
紛争が起こった事があった。

彦左衛門、「こんな事は使いを通して話し合いしても埒が明かぬ!小栗又一が
どれほどの武辺者だと言っても、あいつがかち割れない頭を持っている訳ではないだろう!」

と、殺る気満々で直接小栗に会いに行き、周りがドン引きするほど強硬で一方的な抗議をした。
これには流石の小栗又一も呆れ返り

「あんな理不尽な人間には合った事がない。」

と言ったそうだ。


さあ皆さんご一緒に。せーの、

 「 お 前 が ry 」




297 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/30(月) 01:24:36 ID:vMSzUZm8
>>295
どっちの領民にもなりたくないw

小栗又一さん、拗ねる。・悪い話

2009年03月22日 00:15

36 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/21(土) 00:47:04 ID:b3B9zySJ
小栗又一さん、拗ねる。

小栗又一は駿府城で奥の番を仰せ付けられていたが、駿府城火災の折、
門を開けるのが遅くなり、そのため逃げ惑う人々が殺到、御古茶という少女が踏み殺されるという
悲劇が起こった。このため二千石の知行の改易処分を受けたのだが、その後五百石で復帰した。

さて、復帰して早々の、大阪の陣でのこと。
家康は又一に図面を見せ、「使番としてここからここまで行くように」と、命じた。
ところが又一

「今ウチの馬疲れているから、そんな使いは無理ですよ」

などと言い出した。そこで本多正信が「軍務なんだから、馬は誰かから借りればいいのでは?」
と言うと、又一さん、キレた。

「何で人から借りた馬なんかに乗らなきゃいけないんだよ!そんなの嫌だっての!
だいたい上様もこんな時ばっかり又一又一って!仕事したって何にもくれないくせに!
もう、知らない!」

三河武士もちゃんとかまってあげないと、寂しくて拗ねちゃうのだ。




37 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/21(土) 01:00:23 ID:JYDodwG/

>>36
三河武士めんどくせえええ!

38 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/21(土) 01:02:09 ID:oXN2Inxe
小栗さんてセンゴクにも登場してた?

39 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/21(土) 01:03:22 ID:rafHQFl3
まさか小栗かずまたが又一の子孫だったとはwww

40 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/21(土) 02:57:41 ID:/AboJdYG
>>36
かげまつさまが見てる

小栗又一さん、憤る。・悪い話?

2009年03月22日 00:13

53 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/21(土) 13:18:01 ID:2N/haAV3
小栗又一さん、憤る。

大阪の陣で使番として、なんのかんのでちゃんと働いていた小栗又一。
ところがどうも、中間の若い連中が気に入らない。

「俺が使番として行く場所に、たどり着かないような奴がいるんだぜ。
全く中間の連中はふがいない。」と、憚りもせず言った。

それを聞いた中間の山木新五、当然怒った。
「又一殿!中間の面々にまとめて悪口をするとはどういう事ですか!しかも我々中間は、
あなたの悪口など言った事が無いと言うのに!」
「なにを!?」「なんですって!?」

そんなわけで口論になり、これは喧嘩になると周りが騒ぎ始めた所に、本多正信がやってきた。
満面の笑みで。

「いやはや、各々方はご奉公の大切さをよく分かっているがゆえに、互いに吟味を成して、
それぞれを高めあおうとしているのですな!実に結構。
ささ、どうぞ存分に争ってくだされ!」

こう言われて又一と新五、却って口を閉じ黙ってしまい、口論も終わったとのことである。

正信、してやったり。




54 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/21(土) 13:36:27 ID:Ea9acGot
さすが佐渡どの、三河武士の扱い方をわかってらっしゃるw

55 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/21(土) 13:49:41 ID:6jNXv6gp
正純にゃできん芸だろうなw

めんどうくさい小栗又一さんの関ヶ原・いい話

2008年10月31日 00:08

14 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 18:02:07 ID:91RvCOW5
めんどうくさい三河武士、小栗又一さんの関ヶ原

関ヶ原合戦の時、家康の四男、松平忠吉が、敵の首を取ってきた。
家康は大いにこれを褒め、戦勝の祝いに集まっていた大名達も大いに賞賛した。

その場にいた又一さん

「上様、逃げ回る敵の手足を押さえて首を取ったくらいの事を、そんなにお褒めになられては、
忠吉様が、敵はいつも弱いものだと勘違いなさいますぞ?」

その場ドン引き。

家康、苦笑しながら「だからお前は出世出来ないのだ」
しかし家康はそんな又一さんを、生涯そばで使っていた。



15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 18:04:46 ID:eMH2E2dN
又一さんって、ボクは良いことを言ってるんだ的な雰囲気がプンプンしてくるなw

16 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 18:09:57 ID:06+wu+AH
なんだろう又一そのうち「そんなの関係ねぇ!」とか言い出しそうな希ガス

17 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 18:24:27 ID:vGjhASWh
又一と政宗が話していたら面白そうだ

18 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 18:41:25 ID:hLgdgFC2
小栗又一、もう名前憶えそうw
本当にめんどくせえ野郎だなぁ、大好きだw

19 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 20:07:21 ID:u6Dm/1Qf
家康と又一のアッー!い信頼関係あってこそだよな
又市が墓穴掘って家康が突っ込み入れる二人で一つみたいな

20 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 20:16:46 ID:XFtmO6FW
又一と森ブラザーズの絡みが見てみたい

21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 20:20:47 ID:1tV2tKRk
>>20
ガチの斬り合いになるだろうなw
そしてその現場を目撃した忠興さんがry

22 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 20:21:58 ID:vGjhASWh
>>20
又一「しかしそこらこれこれかくかくしかじ

鬼武蔵、面倒なのを動物的本能で悟り即座にバッサリ

23 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 20:22:38 ID:byHj0/8T
幕末の上野介の先祖ですよな?
また一番だから又一(家康が与えた名前)

24 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 20:40:27 ID:91RvCOW5
そう。又一さんこんなひねくれた人だけど、徳川家を代表する勇者の一人なんですよ。
家康が呆れるほど一番槍、一番首を取ってきた人です。

めんどうくさい三河武士、小栗又一さんの大阪の陣・悪い話

2008年10月29日 00:06

159 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/10/28(火) 11:38:49 ID:j+Fdfr9L
めんどうくさい三河武士、小栗又一さんの大阪の陣

・冬の陣の時、徳川方によって大阪城に続く橋が、次々と焼き払われた。
が、船場の橋を焼くかどうかの判断に迷った。そこで徳川軍、小栗又一を偵察に派遣。
又一さんは城内から矢や鉄砲がどんどん撃ちかけられてくるのを気にもせず偵察完了。
帰るころには豊臣方も呆れて、矢や鉄砲を撃つのをやめ彼の勇気を称えたとか。

そうして彼の報告の結果、船場の橋も焼いて兵糧攻めがいい、との結論に至った。
そこで兵が橋を焼くのを使蕃に見届けさせようと言う事になったが、又一さん、家康の前で

「使番の連中なんてみんな臆病なんだから、近づいたら返って鉄砲の弾に当たっちゃいますよ。
あいつらは、遠くから見届けさせるのがいい。」と言い去った

さすがの家康も
「あいつが同僚と仲が悪いのも、あれじゃあしょうがないな」
と笑ったとか。



・徳川家康の陣所に、御使役の佐久間政盛と山本頼資という者がいた。
そこにやってきた小栗又一、山本に向かって

「今度御使役になったものの中に大臆病者がいるらしいな!諸大名の陣にお使いに行っても
竹束の外に出ないようにしているので、笑われているらしい。あれでは幕府も面目ない、などとも
言われているそうだ。
この前、佐竹義宣の陣に行った時にお前はいかなかったようだが、そういう話になっているらしいぞ」
と言った。

山本が「誰が命など惜しみ臆病に振舞うものか」と、苦々しく言うと

又一
「お前の事じゃ無い。臆病者の噂があるって言うだけだ。
まあ、心当たりのある人間は、聞き逃せないのだろうな~」

山本、激怒。
物凄い口論が始まり一触即発の事態。同僚の佐久間にいたっては見て見ぬ振りだ。

そこに現れたのはさっきまで家康と打ち合わせをしてきた本多正純。
武功の古強者二人のただならぬ雰囲気を察した正純、二人に向かって

「なんだか良くわからないけど、おいしい物でも一緒に食べませんか?ご馳走します。」

と、食事や酒を振舞うと、口論も収まった。

皆は正純の知恵を高く称えたとか。



160 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 11:55:49 ID:Y0vDAWtj
>>159
> 「なんだかよくわからないけど、おいしいものでも…」

本多さんの優しさにホッコリしたwww

161 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 11:56:34 ID:m0w+7iVm
>>159
小栗喧嘩売りまくりだなw
ちょっと(性格の)悪い話

三河武士と徳川家康・いい話

2008年10月25日 00:08

799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/24(金) 20:44:27 ID:h6k95Dc3
そんな三河武士のお話

三河の一向一揆もようやく収まった頃、一揆に加わった家臣たちも、宗旨替えを条件に
帰参する事になった。ところが、小栗又市という男のみ、どう言っても改宗しない。

家康は又市を呼びつけ
「どうして宗旨を改めぬのだ!?改めねば、この場でその首を斬り放つぞ!」

又市
「例え素っ首斬りおとされようとも、宗旨は改めませぬ!」

家康が脅しても、どう説得しても、又市はうんと言わない。あまりの頑固さに呆れた家康は

「もうよい。命はとらぬ、何処へでも行け。」と、召し放った。

すると又市、その場でがばとひれ伏し、こう叫んだ

「小栗又市、ただ今から宗旨を改めます!」


家康はさらに呆れて、「たった今首を斬られても改宗せぬと言ったではないか。
どうしていきなりその気になったのだ?」

「武士たる者、首を斬ると脅されての改宗など出来るものですか!
しかしたった今私は、殿によって一命を救われました。であれば、そのご恩に報いないといけません。
なので、改宗いたします。」


三河武士は面倒くさいのだ。




800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/24(金) 20:47:37 ID:Sg9DT5gG
うぜえw

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/24(金) 20:51:27 ID:NgpF5C52
うぜぇなw

802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/24(金) 20:55:31 ID:33JerpJg
したり顔だと思うと
さらにうぜぇw

803 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/24(金) 20:57:17 ID:kIzcSFhj
これはうぜぇw

804 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/24(金) 20:57:54 ID:6rgMDJhj
「決まったぜ!」とか思ってるんだろうな。うぜえw

805 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/24(金) 20:58:48 ID:Bn01b35c
面倒くさいけど、なんかこう、かわいらしいなw

806 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/24(金) 21:06:27 ID:kIzcSFhj
ググってみたらこいつ小栗忠順の先祖なんだな
血筋で見るとこのうざさも計算かと思えてくるな

807 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/24(金) 21:09:53 ID:oz1jw5yz
これくらいしないと目立てないしな

808 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/24(金) 21:17:01 ID:I/xq0TQn
うぜぇの嵐わろすw
なんかこういうめんどくさい女の子っているよね

809 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/24(金) 21:23:13 ID:3U/+J7g1
うぜぇの集団ケコーン式会場はここですかな?

810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/24(金) 22:54:29 ID:q3L+Q3Lt
悪い話スレの常連武将たちだったら「やっぱり斬るわ」とか言い出しそうだなw

811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/24(金) 23:11:21 ID:C//uya1V
>>810
政宗なら仕方ない

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/24(金) 23:12:20 ID:fXAynTl2
>>810
改宗を断られた時点で斬るんじゃないか?

813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/24(金) 23:17:26 ID:I/xq0TQn
>>812
そもそも呼びつけて改宗を迫るまでもなく放っとくか斬るかな気がする

814 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/24(金) 23:22:14 ID:fXAynTl2
政宗に鮭様と同じ血が流れてるとは信じられない

815 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/24(金) 23:30:42 ID:agFaHypA
よく政宗の残虐さは最上の血のせいと言われるが…絶対嘘だ!

816 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/24(金) 23:32:57 ID:r5Y6hpdL
皆勘違いしている。
まず、政宗ならそんな受け身な話にならずに、先にろくでもない事を仕掛けるパターンになるはずだ。
で、相手が困って第三者が取りなすと。
シメは忠興の「流石の俺もこれは引くわ」。

817 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/24(金) 23:36:42 ID:fXAynTl2
>>815
伊達家って輝宗が善良なだけで伝統的に残虐だから・・・

818 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/24(金) 23:40:40 ID:YdcpmfoB
輝宗も意外に血気盛んだけどなw

819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/24(金) 23:53:40 ID:WaBsR/5F
>>799
ツンデレ

820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/25(土) 00:07:48 ID:VyVJ0eTY
>>819
まあお互い信頼しあった上でのじゃれあいって感じだよなw