赤松家、そして大物崩れの事

2013年04月03日 19:50

143 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/03(水) 15:38:49.79 ID:vI2wcPwD
播磨の赤松殿の事を、蓬庵様(蜂須賀家政)が安太夫にお尋ねになり、私が参って物語をした。

その内容は、性因様(赤松義村)はその身長が3尺(約1メートル)ほどだったが、
ご器量のある方で備前播磨美作3ヶ国の国主の座を守っておられた。

ところが備前の浦上(村宗)と、性雲様(義村の養父・赤松政則)の北の方(洞松院)が
仲良くなられ、義村様に毒を盛り、相果てられた。

これにより浦上は、その御後に赤松晴政様が立てられた。この時晴政様はご幼少であったので、
その経緯を全くご存じなかった。
晴政様が16歳になられた時、小姓衆が密かに囁き申し上げたため、初めて自分が擁立された経緯を
知ったのである。

晴政様は阿波の御屋形様(細川持隆か)の婿であったため、阿波との間に浦上を殺す密謀を
交わした。

そのうちに、阿波と播磨の間に合戦が起き、播磨衆は摂津国天王寺に陣取り、阿波衆は堺に陣取った。
(享禄4年(1531年)大物崩れの戦い)
この時、晴政様は兵庫の高山で寝返りの合図の狼煙を上げられ、この寝返りにより
天王寺の播磨衆は崩れ、大物と西宮の横河にて水に溺れ、1万人が死んだ。

このように安太夫に申し上げた。

この合戦について阿波では、『溺れ死んだ戦死者は皆蟹になった、その蟹の甲羅は
人の顔のようであった』と言われた。
これは歌念仏に作られ、その念仏の名は「しまむら念仏」と呼ばれた。

このことを覚えていた人が慶長の年号の頃まで存命であり、語られていたのである。
(三好記)

三好記より、大物崩れについての証言である




144 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/04/03(水) 17:14:46.53 ID:ziJWCEde
平家以外にもカニになった人たちがいたのか。

145 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/03(水) 17:21:43.04 ID:wE8I+kH0
>>143
   (~)
 γ´⌒`ヽ
  {i:i:i:i:i:i:i:i:}
 ( ´・ω・)  観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄
  (:::::::::::::)  舎利子 色不異空、空不異色、色即是空、空即是色
   し─J

146 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/03(水) 18:13:20.26 ID:/eUye+tw
>>143
蟹になったのが、宇喜多能家を夜討した島村豊後守の父と言われてるんですね。

147 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/03(水) 21:54:30.76 ID:47EmYUcI
蟹食い放題だな。
てか、西宮の川ってどこだろう?
武庫川かな?

154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/04(木) 12:37:25.40 ID:5fI42eIS
>>143
>性因様(赤松義村)はその身長が3尺(約1メートル)ほどだったが、
まだ子供という意味かと思ったら推定没年30歳前後だった
ちっちゃいおっさんで有名な山県昌景より更に一尺短いって最早妖精かなんかじゃないのかw

156 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/04(木) 17:28:37.38 ID:bc5BS2dc
>>154
三尺入道、赤松義則も満祐もちっちゃかったし
赤松一族はコロポックルの親戚と考えるのが妥当

157 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/04(木) 17:56:30.79 ID:SY64RZc2
>>156
http://en.wikipedia.org/wiki/Ovitz_family

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