直江兼続が奸佞であったため

2013年04月10日 19:52

208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/09(火) 20:09:20.80 ID:XyZ8bU0F
慶長19年(1614)11月26日、大阪冬の陣において、豊臣方の鴫野要害を幕府方が攻め取った、鴫野の戦いが起こる。
ここで上杉景勝の部隊の安田上総介能元は、豊臣方の攻勢を退け、鑓を入れて突き崩し、ついに大阪城まで追い込むという
殊勲をなした。

所が安田能元は直江兼続と年来関係が悪かったため、将軍秀忠より軍功の確認があった時、兼続の圧力で
安田の名前は記載されなかった。そのため安田の手柄は上聞に達せず、故に感状を下されなかった。

その後、景勝は御前に皆を呼び出し、こう、声をかけた。

「今度の鴫野合戦では、何れも精を出してくれ、満足に思う。しかしながら流石輝虎(謙信)以来、武辺慣れした
各々である。私の方では気遣いすることもなく、危なげもなかった。」

ところがここで、安田能元は、

「皆々は幸運にも、手柄のこと上聞に達し、公方様より御感状を拝領いたしたそうで、誠に目出度いことでありますが、
私は昔から数度の合戦に御奉公申し上げ、その武功は人を越えたことがあっても、人に劣ったことは有りません。

その上で、今回程事を、私の武功として記載される事は有りませんでした。これは今に始まったことではなく、
まるで珍しいことでは有りません。

この事について言っておくと、私に限ったことでは有りませんが、我々は御屋形様(景勝)への御奉公として、身命を投げうって
手柄を稼います。これは公方様への御奉公では有りません。ですから、公方様からの御感状など、少しも欲しいとは
思っていません。今までもお屋形様への御奉公に、命を捨ててきたのです。御屋形様の、公方様への御奉公に問題ながければ、
御感状を頂いても、特に嬉しいとは思いません。」

そう、申し上げた。

直江兼続が奸佞であったために、このような事になったのだと、人々は言っていたそうである。
(北越太平記)




209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/09(火) 22:06:18.34 ID:X6xJDosV
直江は周りからほんと評判わるいな

210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/09(火) 22:24:50.46 ID:a///h2q9
これが愛の人とか義の人とか言われるようになるなんてなあ…

211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/09(火) 22:30:13.60 ID:QmTezlEp
まぁ立場上同僚からの評判はどうしても悪くなるし、直系子孫もいないしな
実際がどんな人物であれ良くは書かれんさ

213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/09(火) 23:16:29.40 ID:SCYWY/sl
綱憲の相続によって所領がさらに半分になってしまったことに加え、
件の宇佐美-畠山ラインの越後流軍学が成立したのか決定打なのかもな。
すでに直江家が断絶して久しいし、いくら悪く書いても誰も困る人がいない。

ただ、米沢藩にとっては、直江兼続が執政として万事を取り仕切る体制があり、
なおかつ直江家が兼続一代で絶えたために、江戸初期にありがちな家中騒動や
粛清劇のようなものが見られなかったりもする。

214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/10(水) 00:34:41.24 ID:DuHjuJan
江戸時代の価値観では権現様に逆らった不届き者でもあるな

215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/10(水) 01:40:45.74 ID:cgWqnRSv
婿に逃げられたおかげで主家が身軽になるとかわけのわからんことやってるが、
結果的に兼続が責任を全部背負う形で上杉が生き残ったような気はしないでもない

216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/10(水) 07:15:01.91 ID:w0bePnsT
江戸時代の直江は、直江状で大人気じゃないか

217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/10(水) 07:58:46.28 ID:+g8ljOBv
>>208
景勝がしゃべった・・・だと・・・?

218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/10(水) 08:39:54.42 ID:+ojIWgMw
>>214
そこら辺は大坂の陣やその前に帳消しになってるかと

219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/10(水) 10:47:47.84 ID:72m8Mc5D
鍋島は島原まで挽回しようと躍起になってたぜ

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