938 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 20:38:35 ID:6oqEJ7da
というわけでちょっといい話
大友家が改易された後、大友家臣吉弘加兵衛はいとこである立花宗茂の元に身を寄せていた。
しかし上方で乱起こるの報を聞き、加兵衛は今こそ御家再興の時と勇み立った。
というのも、加兵衛はこの戦に勝つのは家康と踏んでいたのだが、大友義統嫡子義延はその頃
当の家康の元に預けられていたのだ。
この義延を盛りたてて手柄をあげ、大友家を再興しようという考えだった。
そこで加兵衛は数年間世話になった宗茂に暇乞いする。
宗茂はこころよくこれを許し、その上道中の足しにと多額の金子を贈った。
加兵衛は感激し、先祖伝来の太刀を宗茂に差し出した。
宗茂も加兵衛を非常に信頼しており、引き留めたいが義のために命をかける覚悟とあっては
力の及ばぬところであると言って涙を流しながら常に肌身離さず携行していた自分の脇差しを
加兵衛に渡した。
これには加兵衛も涙を禁じえなかったという。
その後加兵衛は東を目指したわけだが、大坂まで上ったところで大友義統が中国から上ってきて
今は泉州境にいるという話を聞いて急いで義統に会ってみると、義統は西軍につくと言う。
加兵衛はなんとか義統が我が子とともに東軍につくよう説得しようとするが失敗。
一度は袂をわかってそのまま関東に上ろうと宿に帰った加兵衛だったが、滅亡しようとする主君を
捨ててこれから世に出る義延に仕えるのは不義であると思い直して船に乗り義統一行に追いついた。
その後も加兵衛は義統に諫言するが、結局義統は当初の意思を通すことになる。
そして石垣原の合戦、加兵衛は義統に自分はこの戦で討ち死にするのでこれでお会いするのは
最後ですと宣言してうって出、黒田家の家老井上九郎右衛門と一騎打ちの末に倒れる。
加兵衛を慕って馳せ集まった多くの士卒もまた、一歩も引かずに討ち死にし、加兵衛主従の
見事な最後を賞賛しない者は敵にも味方にもいなかったという。
後に里人が加兵衛の墓を立てたが、志ある士は墓の前を通る時には馬から下りて礼をしたとか。
というわけでちょっといい話
大友家が改易された後、大友家臣吉弘加兵衛はいとこである立花宗茂の元に身を寄せていた。
しかし上方で乱起こるの報を聞き、加兵衛は今こそ御家再興の時と勇み立った。
というのも、加兵衛はこの戦に勝つのは家康と踏んでいたのだが、大友義統嫡子義延はその頃
当の家康の元に預けられていたのだ。
この義延を盛りたてて手柄をあげ、大友家を再興しようという考えだった。
そこで加兵衛は数年間世話になった宗茂に暇乞いする。
宗茂はこころよくこれを許し、その上道中の足しにと多額の金子を贈った。
加兵衛は感激し、先祖伝来の太刀を宗茂に差し出した。
宗茂も加兵衛を非常に信頼しており、引き留めたいが義のために命をかける覚悟とあっては
力の及ばぬところであると言って涙を流しながら常に肌身離さず携行していた自分の脇差しを
加兵衛に渡した。
これには加兵衛も涙を禁じえなかったという。
その後加兵衛は東を目指したわけだが、大坂まで上ったところで大友義統が中国から上ってきて
今は泉州境にいるという話を聞いて急いで義統に会ってみると、義統は西軍につくと言う。
加兵衛はなんとか義統が我が子とともに東軍につくよう説得しようとするが失敗。
一度は袂をわかってそのまま関東に上ろうと宿に帰った加兵衛だったが、滅亡しようとする主君を
捨ててこれから世に出る義延に仕えるのは不義であると思い直して船に乗り義統一行に追いついた。
その後も加兵衛は義統に諫言するが、結局義統は当初の意思を通すことになる。
そして石垣原の合戦、加兵衛は義統に自分はこの戦で討ち死にするのでこれでお会いするのは
最後ですと宣言してうって出、黒田家の家老井上九郎右衛門と一騎打ちの末に倒れる。
加兵衛を慕って馳せ集まった多くの士卒もまた、一歩も引かずに討ち死にし、加兵衛主従の
見事な最後を賞賛しない者は敵にも味方にもいなかったという。
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