島津軍と二人のババァ

2014年05月27日 18:50

382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/26(月) 23:18:07.90 ID:A5iNOr3E
島津軍と二人のババァ

岩屋城を攻めあぐねた島津軍は、老婆に金をやり、岩屋城の水源を聞き出した。
水を断たれた岩屋城の将兵は力を落として玉砕、城将の高橋紹運も散った。

戦後、紹運を慕っていた領民はこの老婆を憎み、水源に石で生き埋めにした。
現在でも岩屋城の背後、古代山城・大野城跡の一角に「石こづんばば」と呼ばれる
石積みがある。

実際には、その石積みは大野城に関係する古代のものらしいのだが、近年まで麓の
村には、山に入るとき、石を持って登り、「石こづんばば」に積むという風習が
あったという。

ちなみにこの老婆、島津軍の陣跡地に化けて出て村人に祟り、そちらでは「陣の尾
ばば」と呼ばれ忌まれた。



一方、岩屋城から南に4kmほど、島津軍本陣の近くに二日市八幡宮と言う神社があった。
当時の軍勢にとって、寺社を略奪するのは当然だった。御神木といえども木材になる。
二日市八幡宮の御神木も、島津兵によって切り倒されることになった。

しかしここで、一人の老婆が島津軍兵の前に立ちはだかった。
「御神木ば切るなら、ワシを斬ってからにせんね!」
勢いを恐れたか意気に感じたか、島津兵は御神木の銀杏を切りかけたまま、去った。
現在でもこの銀杏は健在で、切りかけた斧痕も残っているそうだ。




383 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/27(火) 06:58:15.40 ID:R4x/uPLU
次の大河ドラマは戦国ババア伝説で

384 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/27(火) 07:49:56.89 ID:ue6OUBYC
家康が最も恐れたババア

385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/27(火) 10:47:08.06 ID:N/8n1Nn3
>>384
食い逃げしようとしたら「金払えっ!」って追っかけて来たババアだな

386 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/27(火) 18:17:55.27 ID:aNldT3ir
あれって民間伝承が出典でいいのかね?
「この本が出典」ってのを聞いたことがないんだが

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敵に首をとらせてこそ

2014年02月01日 19:12

261 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/01/31(金) 20:37:10.35 ID:cr09cwaY
流れを読まずに申し訳ないが、衝撃を受けた話を見たので投下

高橋紹運は岩屋城にて壮絶な最期を遂げた際にこんな話が残っている

いよいよ自刃の際に
「火を放って死体を焼き、首を敵に渡さないように致しましょう」という意見があった。

それを聞いた紹運はこう答えた。
「その儀無用である。そのまま敵に首をとらせてこそ義を守って討死した事が分る。
死体が見えなければ逃げたと思う者もあろう。武士は屍を晒さぬもの、というが
それは死ぬ場所によるのだ。敢えて首を取らせよ。」

(筑後実記)




262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/31(金) 20:39:10.97 ID:QpF9bl2g
自分の首を取らせる事が義を守った証明になるか
俺の首も・・・誰もいらないか

263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/31(金) 21:31:15.96 ID:Xg1VsbmI
同じ義を守ったと言うのでも
戦場や志半ばで死ねば義の人って言われるけど
下手に生き残ったりすると胡散臭く言われるんだよな

264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/31(金) 21:47:20.30 ID:xSFv6YZ/
数年前に見た赤穂浪士の映画思い出した。
生き残った赤穂浪士の苦労をことさら大きく描いた作品だったよ。
まあでも派手に討ち死にした軍勢のなかで生き残ると肩身狭い場合もあるのかもしれないね。

討ち入りした四十七士には武士だけでなく町人たちからも助命嘆願が出たけれど、
あまりにも武士らしい討ち入りを果たしてしまったから余生で傷がつくよりは、
武士らしいままで終わりにしようって幕府の武家的な温情からの助命嘆願は受けなかったという話もあるし

265 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/02/01(土) 01:27:41.59 ID:az4wvYAw
>>262最後まで本分を全うした末なら貴殿の首にも義を貫いた勇士としての価値がある。

有り難くわしがいただこうぞ?

谷川大膳の節義

2012年11月30日 19:52

621 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/11/29(木) 20:54:38.49 ID:CYfM9YTg
前に出ているかもしれないが岩屋城に関するお話

高橋紹運の家臣に谷川大膳という者が居た。
岩屋落城前日に紹運の命を受け立花城に使いをし、
島津軍の厳重な包囲をかいくぐり岩屋に戻ったが
時遅く、城は落城し主君も切腹。
そんな事を知らない谷川大膳は門を叩くがどうも様子がおかしい。
そうこうしている間に島津の兵に囲まれ、島津忠長の陣へ連行された。

大膳は尋問を受けたが、悪びれる様子もなく姓名を名乗り
主君の命で立花城に使いした事を申し述べた。
その態度に感じ入った島津忠長は紹運の死と落城を告げ
「当家に仕える気は無いか?今まで受けていた俸禄と
おなじ分を進ぜよう」と誘った。

622 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/11/29(木) 21:03:11.22 ID:CYfM9YTg
続き

大膳はそれを聞くと
「忝い次第ですが、この期に及んでそんな望みはありません。
主君の最期に遅れ、お供が出来なかった事が残念でなりません。
そこでお願いしたい事があります。
立花城からの返書は私の首にかけてあります。
どうかこれだけは、私の首を落とした後立花城に返していただきたい。
もし叶わぬなら、首をはねた後、ご覧いただきたい。」と涙を浮かべ言った。

これを聞いた忠長は涙を流しつつ
「これぞ誠の武士である。紹運殿はいかに名将であった事かがよく分かる。
この者を殺してはならない、またその書状も見る必要はない
大切にしまって立花城へ帰られるがいい」と言って、縄を解き刀を返したばかりか
馬に乗らせ足軽数人までつけて送り返したという。

623 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/11/29(木) 21:12:41.15 ID:CYfM9YTg
続き

大膳は立花城に帰ると立花統虎に書状を返すと
切腹しようとしたので、統虎は驚いてこれを止め
「今そなたが死ぬ事は犬死に等しい。亡き父上(紹運)も喜ばれまい。
どうか、これからは余に仕え、余の馬前で死んでくれよ。」と言った。

その後は立花家に仕え統虎の兵学師範となったが
後に剃髪し、紹運はじめ戦死者を弔いながら一生を終えたそうである。

浅川聞書に伝わるお話ですが、死んだ人たちよりも生きながらえた方が
つらかったのかも知れませんね。
視点によっては良い話では無いかもしれません。




624 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/11/29(木) 21:54:11.70 ID:oQXW4n1B
生きるのも死ぬのもどっちもつらいだろ
優劣つける必要ない

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 21:58:28.03 ID:5Za6BvO6
いい話だと思うよ

626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 22:34:39.91 ID:CG4P9gBD
>>624
そこに拘らなかったら侍じゃないと思う

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 22:47:30.88 ID:oQXW4n1B
>>626
なるほど
では生きるか死ぬかどちらに理屈をつけるべきだろうか?

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 23:08:08.85 ID:IJMIozKW
やっぱ島津忠長は情の深い名将だな
某SLGじゃ出てこないかモブ扱いだけどさ

629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 23:33:50.19 ID:CG4P9gBD
>>627
そんな難しいことわかんねえよ
ただ生きることに理屈はいらないけど、死ぬ時にに生きてて良かったって思うためには死ぬ理由はあった方がいいかもしれない
矛盾してるか

家伝について

2012年11月16日 19:58

参考
紹運の恩忘れがたく
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-7022.html


428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/16(金) 00:30:39.18 ID:rQ8ZDRBb
皆様、レスありがとうございます。
戦前、「玉砕の美学」みたいに一部のキチ軍部に利用されたことを祖父は苦々しく思っており
「何も成せない我々子孫が紹運公や岩屋城のことを他人に軽々しく自慢するものではない」という考えで
父親もほぼ同じ考えです。私自身は自慢とかではなく、
今は損得勘定でものを考える時代かもしれないが、昔はこういう人もいたのだと。
ただし祖父や父親は当然2ちゃんなど見ないので禁を犯して書き込みました。

先述した某はもともと高橋家に仕えていたわけではなく斎藤鎮実の家臣だったそうです。
紹運に姫が輿入れした際に付き随った一人だったとか。(疱瘡を罹って醜くなっても・・・の有名な話ですね)
鎮実は心からこの縁談に感謝して、高橋家に忠節を尽くしてくれとお供の者に何度も言ったとか。
この鎮実は先年、耳川の戦いで戦死していますから
某が岩屋城に籠った理由のひとつに紹運への忠節はもちろんのこと
鎮実の仇を幾分かでも返したかったというのがあるのかもしれません。
このような経歴なので道雪の話も伝わっています。
今風に言えば非常にクセの強かった御方らしく、たまにまわりがドン引きするような言動もあったとか。
在陣中(高橋鑑種討伐の時か?)、寄せ手の吉岡氏と斎藤鎮実の家臣同士のいざこざがあって
どちらも相手が悪いとなかなか引かないでいると、道雪から使者が到着
「このような時に猛々しきは大いに結構。しかしながら軍規を乱さばこの立花の敵。
立花の敵なら大友の敵。敵ならば今すぐあの城に(攻城中の城の事)入ってはいかが?」
このようなニュアンスのことを伝えられてかなり鎮実は困ったそうです。
おそらく吉岡にも伝令がw

429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/16(金) 00:31:09.59 ID:rQ8ZDRBb
あと紹運について断片的に。
夫婦仲はとてもよく、たまに近くの寺へともに参詣していたそうです。
寡黙な御方だったそうですが、気配りというか家臣や領民の困り事はすぐに解決させていたとか。
岩屋城に籠る際も「我らも!」という多くの人を宝満城へ行かせたらしいです。
もう先の運命はわかっていたのでしょうね。
激しく攻めたてられる岩屋城を向かいの宝満城に詰めた方々はどのような気持ちで見ていたでしょう
多くの身内がいたはずですが、それを想像すると我が事のように胸が痛いです。

先述した甲冑と紹運からの書状のほかに伝わっているものがもうひとつ。
僧形の武将を中心に下に二人の武将が描かれている肖像画があります。
賛もあり快心筆とあります。確認する術がありませんが
降伏勧告の使者として遣わされた地元の荘厳寺・快心和尚の可能性もあるかもしれません。
僧形の武将は紹運で、あとの二人は左側は同じく僧形の某
右側は生前に特に親交が篤かった伊藤総右衛門と伝わっております。
もうネタ切れですのでこのことについて書き込むこともないでしょうが
長文&スレ汚しすみませんでした。





430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/16(金) 02:00:30.63 ID:t6dSQXQO
>>428
乙です
こういう家伝の話は滅多に聞く事がないから凄く得した気分だわ

やっぱり道雪公は流石だなw
大友家には一癖も二癖もある人がいっぱいいたんだな

431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/16(金) 02:13:05.59 ID:rlci3xn3
>>428
ありがとう。非常に面白かったし、道雪という人間を考える上でも参考になった。
道雪は異教徒の癖にフロイスにほめられてたり、興味深い人物だよね。

時に一つ質問なんだけれども、家に伝わっている紹運からの書状って、どこかで活字化されてたりする?
詳しく聞くと身バレになっちゃうだろうから、なってるかどうかだけ教えて欲しい。
大友氏の史料は、滅んだワリに残っているとはいっても少ないからね。
まだ公開されていないのであったら、是非大友研究に寄与して欲しいと思うわけですよ。

432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/16(金) 02:54:06.05 ID:qvE7DD8g
>>413
>>428
面白い話ありがとう。
家伝の話なんて聞いたの初めてかもしれんw

しかし、この道雪伝とされるこのセリフ、

>「このような時に猛々しきは大いに結構。しかしながら軍規を乱さばこの立花の敵。
>立花の敵なら大友の敵。敵ならば今すぐあの城に(攻城中の城の事)入ってはいかが?」

いかにも道雪が言いそうで笑ったw

433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/16(金) 03:45:38.35 ID:fFArB14/
真夜中にこんな良い話を知り、妙にアガってしまい
眠れなくなった俺にとっては体にちょっと悪い話


382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/31(金) 09:53:03.86 ID:6m//xU86
まとめサイト見てここに来たけど
以前、高橋紹運の家臣の子孫で家伝を書き込んだ人
俺の高校時代の友人だと思う
紹運と道雪の話のやつ
俺は今、地元を離れているので長い間会ってないけど
お互い日本史好きもあって仲良かったので他人に話さないことも話してくれたし
家にも遊びに行った事があるし紹運の肖像画とかも見せてもらった
曲がった事や嘘が嫌いで確かに「サムライ」みたいな今時に少ない奴だったねw
実はスレの時代と違うけど彼のおじいさんの弟さんが太平洋戦争で亡くなってるんだけど
亡くなる1日前の日付で書かれた手紙の話も聞いたことがある
両親や兄妹への感謝の言葉と晴れやかな今の心境みたいなものが書かれてて
「国を守るために、皆様を守るため、祖霊のもとへと参ります。さようなら」だったかな
血は争えないなと感じ入って、よく内容を覚えてる
ちなみに神風特別攻撃隊だよ

紹運の恩忘れがたく

2012年11月15日 19:51

413 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/15(木) 15:50:35.83 ID:WYmcdPDJ
家伝である故に出典書はないのでスレ違いならスルーしてください。

天正12年、高橋紹運は筑後猫尾城攻略中に筑紫広門に宝満城を攻撃されるが和議を結んだ。
その戦いで某(うちの先祖)は足に重症を負い
満足な戦働きが出来ぬからと息子に家督を譲って隠居した。
その際、紹運から相続の許可とねぎらいの感謝の言葉
そしてどこで聞きつけたのか、目を患っていた妻への薬もあわせて届けられた。
某にはとても買うことができない高価な薬だったという。
天正14年、島津氏が北進し岩屋城に侵攻が目前の中
息子は宝満城へ詰めることとなったが
某はどうしても紹運の恩忘れがたく、頭を剃って入道姿になると
妻へ息子への遺言のようなものを残し岩屋城に籠ることを願った。
(このことから岩屋城の士気は高かったのだろうが、まわりからみれば絶望的な状況だったのであろう)
そしてご存知の通り、岩屋城は壮絶な玉砕を遂げた。
某の遺骸は大手門のそばで見つかったそうだが
その時身につけていた甲冑と紹運からの書状は我が家の家宝となっている。

某から息子への遺言を要約すればこのように。
「宝満城で忠義を尽くせ。家を頼む。母や兄弟を大切にしろ。
 隠居までに殿(紹運)への忠義は尽くしてきたが
 まだいただいた薬の恩をまったく返しておらぬ故にこうのような仕儀と相成った」

立花城からの援軍の面々もしかり、紹運のまわりにはこういう人間が多かったのだろう


続き
家伝について
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-7026.html


414 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/15(木) 17:40:57.53 ID:lXvY0Pro
人徳だな

415 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/11/15(木) 18:20:09.42 ID:/7LaIWeh
>>413
全然スレ違いでなく、むしろ貴重な話だと思う
家に伝わる話なんかそうそう聞けるものでもないし

418 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/15(木) 19:35:04.42 ID:iHVHX2HN
>>413
ホントに紹運って爽やかでいい話しかないなあw

427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/16(金) 00:16:00.99 ID:agL61KHg
>>413
家宝うpうpw
は冗談にせよ、面白い話でした

ある親子のお話

2012年10月19日 20:05

983 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/10/18(木) 20:31:56.98 ID:nb7gs4IC
埋めがてら、ある親子のお話を
前に出てたらごめんなさい。

父「パパと山に登ろうか」
子「わーい」

山に着くとパパは急に言いました。

父「さて、ここで不意に敵が襲ってきたらどうする?」
子「えっ?じゃあ、あそこに登って防ぎます。」
父「あそこに登るのは時間がかかるからダメ!
 パパならここで兵を二手に分けて防ぐね。」

こんな調子で、山や野原を散策する度にいきなり飛び出すパパからの質問。
自然と子供は周囲を見ながら戦術や陣形を考えるようになりました。
この子はやがて元服し高橋統虎と名乗ります。

高橋紹運の子育ての1ページでした。




984 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/10/18(木) 20:43:35.98 ID:5BaWZdNd
宗茂は武士としての環境と才能に恵まれてるな
幼少期に母からの愛情が欠ける、
半士半農の貧しい家に生まれる、
幼少期に他国で人質となる。
ような人生送ってたら・・・
天下を目指す宗茂が見れたかもしれない

985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/18(木) 20:52:31.51 ID:ilV3yPHM
>>961
三歳「妻に言い寄られてから、斬るようじゃ無能。俺クラスだと...」

986 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/18(木) 21:02:46.98 ID:uGTOJj5W
>>984
「殿が率先して干飯を片付けている・・・!お家はもうおしまいじゃ!」

987 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/18(木) 21:38:05.69 ID:mm/4BQFP
>>984
作左みたいな家臣がいたらもしかして・・・

988 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/18(木) 22:11:24.34 ID:1bm6QtRn
あと、もっと京に近い所で1540年頃生まれてれば。

989 名前: 忍法帖【Lv=39,xxxPT】(1+0:8) [sage] 投稿日:2012/10/19(金) 01:08:22.36 ID:haOmlFRL
イガグリを押し付けるのも教育ですか?

990 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/19(金) 01:12:44.11 ID:wZ3XAPw7
>>983
参謀旅行ってやつだな

991 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/19(金) 10:06:36.87 ID:e/ugMP0Q
>984
あと、めんどくさい家臣団を忘れてる

992 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/19(金) 10:58:06.00 ID:MrlCTSX8
あそこの家臣は割とめんどくさいほうじゃね?
三河武士とか黒田武士みたいな別格中の別格と比べるのが間違いなだけで

993 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/19(金) 15:29:57.82 ID:9+l2T6yk
しかしタヌキさんよくグレなかったな。おかーちゃんの愛情がないだけでDQNになるのがいるのに


994 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/19(金) 15:45:29.89 ID:5k7PsNqj
父ちゃんあっさり死んじゃうし、酒井忠次を筆頭にめんどくさい側近に囲まれて
グレる暇も無かったんじゃないか?

995 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/19(金) 15:48:23.84 ID:Z8QFrMpQ
若い頃の家康も十分めんどくさいから

996 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/19(金) 16:09:39.91 ID:rG23TCW9
隣家の孕石さんとご近所トラブルおこして何年もたってからぶっ殺すような可愛げのない
餓鬼といういいかたもできる

997 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/19(金) 16:53:10.33 ID:sMW7gQmF
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4448.html
信長「昔のことをあとからネチネチと言うとは」
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3189.html
秀吉「いじめられたくらいで殺すって、器が小さいの」

998 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/19(金) 17:56:34.90 ID:LKiZj7eH
良くも悪くも、家康は恩義や恨みをよく覚えていて後で応報するよな

高橋紹運・最後の恩賞

2011年09月23日 22:05

732 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/09/23(金) 01:18:07.20 ID:KAnJlAJ+
4万の島津勢に対し、高橋紹運が700人余りの兵と共に岩屋城に立てこもった時の事である。
家臣の杉山山城を「山城殿」と言って呼び寄せ、

「この城は後20日と持たないだろう。そこで頼みがある。」と告げた。

主君からいきなり「殿」と呼ばれ、その理由が判らず山城が戸惑っていると

「その方の家は先祖をたどれば我が高橋家より上の家柄。今は立場が変わって主従となったが、
 前々から同輩であった様な親しみを覚えていた。最後の役目に当たり、成功したら領地を与える
 と言った所で絵空事でしかないので、『殿』をつけて呼ばせてもらってその方を軽んじていないという
 私の心を表し、せめてもの褒美としたいのだ。」

と語り、

「そして頼みとは、死に臨んで心残りとならぬよう、敵中にいる次男の直次を宝満城に送り届けるか、
 さもなくば殺してくださらぬか。」

と頼んだのである。紹運のこの心遣いに打たれた山城は、敵中を突破して無事に直次を宝満城へ連れて行ったという。

以上「名将言行録」より、高橋紹運の家臣への最後の恩賞を与えた話である。





734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 02:36:21.59 ID:IxfCaneP
>>732
やべえ・・・直次殺されてたかも知れんのか親父の命令で

「神木の大銀杏」

2010年09月18日 00:07

88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/17(金) 02:53:38 ID:fB/WSKWQ
「神木の大銀杏」
天正14年(1586年)かの有名な筑前岩屋城の戦いが終わった頃、とある百姓のお婆ちゃんの話。
城攻めの際に島津軍の本陣が置かれた二日市に、地元の氏神として奉られる二日市八幡宮というお宮があった。
高橋紹運を討ち滅ぼした島津勢は紹運の苛烈な反撃に遭ってイラついていたのか分からないが
何を思ったか帰りにこの八幡宮の神木とされる大銀杏樹を伐ろうとした。
近くの百姓惣左衛門の後家の老婆がこの乱暴沙汰を耳にしてかけつけて一喝、
「この木は八幡宮の神木じゃ!そんなことをしとったら罰当たるぞ!」と言ってそのまま木に抱きつき
「この木を伐りなさるならばまずこの婆を斬ってからにせえ!」と身をもって阻んだ。
島津の雑兵たちはこの80歳ほどのババァの剣幕にビビったのか、斧を捨ててそのまま立ち去ったという。
このとき樹は半分ほど伐りこまれており、二日市八幡宮境内の大銀杏には今もその伐り跡が残っているそうだ。




89 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/17(金) 06:51:10 ID:6YbJSr5s
>>88
ババァってあーたw
迷信深そうな島津軍が、撤退時という一番余裕ないときにわざわざ神木を切るって、すごく妙な逸話だ。

90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/17(金) 07:06:52 ID:MeYSykOr
木を切って資材にするつもりだったんじゃないか?
婆はともかく御神木なら切っちゃまずいから撤収したと


91 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/09/17(金) 07:27:30 ID:2qiVuKdY
壇ノ浦の海底捜索したら、国宝とか色んなの出そうだよね。

92 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/17(金) 07:49:33 ID:saCS6cRf
>>89
まだ撤退はしない
これから立花城攻め

93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/17(金) 12:48:48 ID:TzkdDgUs
>>88
斧だけに/( ̄0 ̄)\オーノー!!という事だな。

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/17(金) 13:09:43 ID:l7ZDnRoj
【審議中】
    ∧,,∧  ∧,,∧
 ∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧
( ´・ω) U) ( つと ノ(ω・` )
| U (  ´・) (・`  ) と ノ
 u-u (l    ) (   ノu-u
     `u-u'. `u-u'

95 名前:稲川風に[sage] 投稿日:2010/09/17(金) 13:27:05 ID:vMIgfu9H
立花勢から小野和泉がヒッタヒッタヒッタとやってきて、>>93さんの首めがけて槍を一閃、
ギャーーーーッ、刺された瞬間スーーーッと意識が・・・
目を覚ますと二日市八幡宮の境内でポツーーンと立ってたって言うんですよ
そんな、不思議なお話、聞かせて頂きましたよ、えぇ・・・

96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/17(金) 13:48:06 ID:TlVQ/hrM
>>95
小野だけに・・・(略

97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/17(金) 16:10:41 ID:cN55iyrU
そういうのは各々が判断することだな

98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/17(金) 18:28:59 ID:4HlKzK8v
アホかおのれらは!!

99 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/17(金) 19:05:27 ID:h5wMPLWL
アホだと! おのれぇぇ!

100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/17(金) 19:11:42 ID:6YbJSr5s
またアホバカの話かw

101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/17(金) 21:22:47 ID:S3oi7DG3
このボケナスが

紹運の華麗なる鎮圧

2010年04月13日 00:05

298 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 22:40:57 ID:+/vaSJEt
流れをぶった切り長文を投下

紹運の華麗なる鎮圧

高橋紹運の家臣に北原鎮久なる人物がいた。
この人物、高橋家に古くから仕え高橋鑑種の頃からの筆頭家老として高橋家に重きを成していた。
ただ、高橋紹運の重臣といえば忠勇義烈のイメージを抱くがこの北原鎮久は「勇あって智なし、ただ貪欲無道のもの」とのこと
まあ、言うなら性格の悪い脳筋といったところだろうか。
紹運が高橋家に入る前の当主高橋鑑種と不和になり家臣一同と放逐を画策。
大友宗麟に嘆願し、鑑種の高橋家の家督を剥奪させて、吉弘鎮種(後の紹運)に高橋家の名跡を継ぐことに
功の有った人物である。

高橋家の中心として順風満帆だった北原鎮久だが、彼の運命が暗転するのは大友と島津の大戦、耳川の戦いである。
大友が大敗し、大友家の勢威が一気に衰えるが高橋紹運は揺るがない。戸次道雪に従い、大友家の勢力維持に奔走。
しかし、以前主君を放逐したことのある鎮久は未来の潰えた大友家のために懸命なこの紹運の行動を批判的であった。

これに目をつけたのは秋月種実。大友に常に抵抗していた種実は家臣の内田善兵衛に北原鎮久を篭絡する事を命じた。
あっさり高橋紹運を裏切る事を決めた北原鎮久は岩屋城の機密を秋月種実に漏洩をし始める

が、この北原鎮久、なぜかこの時点で紹運に大友を見限るように説得を試みるのである。
北原の説得に応じるくらいなら島津も苦労はしない。
紹運は即断で断わり、北原は懇意にしていた住職に「こんな機変のわからない主なんざ追い出して
他の話のわかるやつを迎えてやンゼ!」
と紹運の放逐を画策し始めるのである。

謀略に時をかけるのは失敗のフラグ。

そのフラグの通りあっさり紹運に露見。北原鎮久が城に登城したところを紹運の懐刀、高橋家の死刑執行人こと
萩尾大学により成敗!
これでめでたし高橋家は奸臣の排除に成功として話は終わるのだが・・・


299 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 22:42:52 ID:+/vaSJEt
これでは北原鎮久のありきたりな謀反失敗のちょっと悪い話。
ここから話の中心として主人公を掻っ攫うのが男前な紹運。

当然、当主の誅殺の大事件は北原家に伝わり、鎮久の謀略を全く知らない息子種興は激怒。弔い合戦の準備を始める。当然である。
そこで種興に一通の書状が届く。差出人は高橋紹運。
その書状には今回の鎮久誅殺の仔細が書いてあり、事情の知らない息子種興には一切、罪は問わず北原鎮久の
遺領をそのまま継ぐことを認めるという内容だった。
これに種興は、自分の父の非を認め、それを恥じ、その汚名を雪ぐために紹運に一計を提案する。

一方、秋月種実は北原鎮久の内応確約の書状を受け取り、内田彦五郎に命じ300名ほどで岩屋城を奪うべく進発させた。
もちろん北原種興の策略である。
そして、内田は待ち受けていた紹運率いる軍勢に散々に討ち破られ、もちろん内田彦五郎は戦死、
率いていた300名のうち生きて帰ったものは30余名ほどという全滅に近い敗戦を喫するのである。

秋月の軍勢をおびき寄せ汚名を雪いだ北原種興はその後、高橋家の重臣として重く用いられるのである。

下克上の戦国の世。謀反の疑いがあるだけでも一族総誅殺が常識のなか、相手を許すだけでなく
書状一枚でその信用を勝ち取るのもすごい。
乱世に咲いた鮮やかな華には立派な根が生えている。
そんな事をイメージさせる高橋紹運の男前な謀反の鎮圧方法のお話でした。




300 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/04/11(日) 23:04:50 ID:pzwLQmiy
高橋紹運公は誠の武士ですね!!

301 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 00:15:09 ID:UbVIhXU/
福岡県の教育委員会は高橋紹運公、立花宗茂公を学校で語り継ぐべき

302 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 00:56:41 ID:sICI0P9l
乱世に咲いた鮮やかな華には「立派な根が生えている。」
そんな事をイメージさせる高橋紹運の|男|前な謀反の鎮圧方法のお話でした。

スマン、変なところに目が釘付けになってしまった

303 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/04/12(月) 02:07:21 ID:vQcWbw6L
福岡県なの?
土地勘のないオレには高橋さんちって福岡県ってイメージないんだが・・・
大友さんちは大分って感じしてるし、どうなんですの?

304 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 02:42:41 ID:oB0UpGAI
岩屋城なんて福岡も福岡で現太宰府市にあるんだぜ。

それに比べて戦国期の熊本はねえ……南部は相良氏がいたけど北部は菊池氏が滅びて以降、国人達が乱立してたからなあ。
ただ、それだからこそ加藤清正を神格視したんだろうけどね。
とまあ本来他所から入ってきた加藤氏や細川氏の逸話がほぼ占める熊本県民としては羨ましい事です。

305 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 03:35:34 ID:Lf1cztYd
福岡県は筑前・筑後・豊前(小倉とか門司とかのね)が合体

大分はほぼ豊後

306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 10:33:35 ID:nhjwhC3O
>>305
今は山国川が県境になっているけど、昔はあそこはとくに境界でもなかった。
だから、門司から宇佐あたりまでずっと豊前国なんだよな。

307 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 10:48:56 ID:GrwTST0L
>>302
間違ってない間違ってないと思うよ
あいつの根はスゲー筈だよww

308 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 12:28:54 ID:IygLhv81
>>303
大分県西部には高橋紹運ゆかりの神社仏閣が、非常にマイナーな感じで点在している。
地元の歴史家とかもスルー気味だけどね。福岡県にあれば、もっと注目されたかもね…

309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 14:02:25 ID:+DFSwLNX
やっぱり「福岡」と言えば、黒田家だろう

310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 16:48:52 ID:gD1Gt5i/
そうだね。
駅の名をわざわざ「博多」にするくらい黒田家。

高橋紹運の最後

2010年01月09日 00:04

796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/08(金) 09:21:11 ID:eES7IsMi
天正14年(1586年)筑後を攻略した島津軍は紹運の籠る岩屋城へ
10万の大軍で押し寄せ、降伏勧告を行ったが紹運はこれを拒絶。
宗茂の篭る立花山城、次男・高橋統増の篭る宝満山城へ
退却する提案にも首を縦に振ることはなかった。

7月14日、島津勢は6万の軍勢で岩屋城攻めを開始した。対する紹運の兵は700人余りであった。
しかし寡兵でありながらも高橋勢の奮戦は凄まじく、
26日になっても島津勢は城の外郭を破ったにすぎなかった。
攻め方の犠牲者があまりにも多いことから島津忠長は再度降伏勧告を行い
講和に近い妥協案を持ちかけたがそれも拒絶。

島津軍が紹運へ最後の降伏勧告をする際、使者の新納蔵人という者と
こんなやりとりがあったという。
新納蔵人
「長年に渡る紹運殿の忠義、そして今その死をもって城を守らんとする
 お覚悟は敵ながらまことお見事です。
 しかしあなたの主君・大友親子はそれに比べてどうでしょうか?
 耳川での戦いを始め無用な争いを行い、結果多くの家臣が次々と叛き
 今や豊後一国を治める事さえ思うに任せぬ有様です。
 対して我が主君・義久様は信義を以って人に接し、民百姓の暮らしを安んじようしております。
 今や九州の大半を居ながらにして治め、統一する勢いです。
 これまでの紹運殿のお働きにて武門の意地も十分立ちましょう。
 城兵の助命と紹運殿の本領安堵は取り計らいます故、
 ここは降伏されて城を明け渡されてはいかがですか?」

これに答えて紹運
「生者必滅、盛者必衰は世の習いでありましょう。
 大友家は源頼朝公より豊後の地を治める大命を賜って以来、
 武名衰えたりと言えども家はまだ健在でござる。
 対して島津殿はというと以前は周辺の勢力に攻められ、一国さえも治めかねておりましたな。
 今少し勢いを得たと言っても豊臣公が九州に進軍の折には島津家の滅亡も有り得ましょう。
 新納殿も島津家が危急存亡の際には主家を見捨てて御身のみ生き長らえるおつもりか?
 主家が盛んなる時に忠励み働く者は多いが、衰えたる時に一命を捨てる者は稀ではあります。
 が、士たるものその恩義を忘れてしまえば畜生に成り下がりましょう。」

この痛烈な返答に新納も言葉無く、話を聞いた島津勢からも感嘆の声が上がったという。

その日の夕刻、今度は荘厳寺という寺の快心和尚を遣わして有利な条件を提示してきた。
「もはや降伏しろとは申しませぬ。ただ、紹運殿の働きは比類ないものです。
 そこで和議を結ばれるというのはいかがでしょうか?
 岩屋城、立花山城、宝満山城の三城の所領は保障いたします。
 実子のうちお1人を人質に差し出して頂ければ島津軍は速やかに陣を退きしょう。
 これ以上の戦いはお互いの兵や民にとっても無益のはず。
 今後の事は戦後また話し合うとして、今はお互い兵を退くべきかと存じます。」

これに答えて紹運
「息子達に和議を結ぼうなどと相談すればそれがしは面目を失います。
 人の命運はいつか必ず尽きる時が参ります。
 それを恐れて命を惜しんだとあっては末代までの恥でござる。
 大友家は既に多くの将兵を失っています故、この城への援軍は来ないでしょう。
 豊臣公の援軍も間に合うかどうかわかりません。 
 我々は一同皆、城を枕に悉く討死する覚悟ゆえ、島津殿におかれましては
 心置きなくこの城を攻め取られるがよろしかろうとお伝えくだされ。」

797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/08(金) 09:22:58 ID:eES7IsMi
翌27日の明け方、総攻撃が開始された。
紹運は曲輪の高櫓から全軍の指揮を取り、数珠を片手に死者を弔いながら奮戦したが
水の手が断たれると自ら打って出て落城寸前の曲輪で自刃した。
介錯は吉野左京介が行い彼もまたその刀で後を追ったと言われている。
岩屋城では守兵700人余りの全てが討死、もしくは割腹して果てた。
島津勢の損害は討死3000人以上、手負いが1500人以上であったという。

辞世の句は「流れての 末の世遠く 埋(うず)もれぬ 名をや岩屋の 苔の下水」
     「屍(かばね)おば 岩屋の苔に 埋みてぞ 雲ゐの空に 名を止むべき」

戦後、紹運の遺体を島津軍の陣中に運び諸将が居並ぶ中調べてみると
具足の引合せに寄せ手の大将・島津忠長宛ての手紙があった。
その手紙には「是一途、義によって候。諒承願い奉る。」
(これもひとえに義によってである。理解して頂きたい。)と書いてあった。
これを読んだ忠長は、床几を降りて地面に突伏し
「たぐい稀なる勇将を殺してしまったものよ。この人と友であったなら
 いかばかり心涼しかったろう。弓矢を取る身ほど恨めしいものはない。」

と嘆息し諸将ともども涙を流して遺体を丁重に弔ったという。



812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/08(金) 16:56:04 ID:ywHt+lvj
紹運さんは、息子に厳しく教育したため、面子があるから不利な状況でも逃げられないんだね。
秀吉軍が来るまでゲリラ作戦で時間を稼いだ方が効率が良かったけど・・・

「白麻地藍文」

2009年12月12日 00:06

978 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/11(金) 11:11:22 ID:HP8Wzphi
高橋紹運の家臣屋山中務に太郎次郎という13歳になる息子がいた。
島津が筑前へ軍勢を進める天正14年7月彼は母親に無理を言って父や主君
そして母と共に岩屋城に留まった。
落城が押し迫った7月27日父の戦士を聞いた彼は母の静止を振り払って単身島津軍に切りかかった。
島津の将兵は彼を斬る事を忍びず捕らえようとしたが出来ず、ついに一人の兵が
彼を苦しまずに斬ろう刀を振り太郎次郎を斬った。
息子の死を見た母親は放心状態となりその場に倒れてしまった。
彼女の手には息子を引き止めようとした際掴んだ片袖があった。
彼女は寝ても醒めてもこの片袖を眺めてたといわれた。
その太郎次郎は岩屋城戦死者名簿に記されている。そして彼の片袖は
「白麻地藍文」として屋山家子孫に秘蔵されているという。




986 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/11(金) 18:11:44 ID:9lsy11dp


>>978
立派すぎる烈婦達より、こういう話がむしろ多かっただろうね…やはり

989 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/11(金) 22:01:15 ID:aQkSbS3E
>>978
文章読んでるだけで泣けてきそうだ
大河ドラマも、こういう(感情移入した結果)見ていられない女の悲しみを描いたらいいのに

ちょっとスレチでしたかね

高橋紹運、息子への最期の言葉。

2009年11月05日 00:11

99 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/04(水) 10:51:37 ID:6P4sqNvO
高橋紹運、息子への最期の言葉。


天正十四年、九州制覇の野望を遂げるべく、島津軍が北上を開始した。
大友方の城は次々と陥落し、紹運の篭る岩屋城にも島津忠長の軍勢が迫っていた。

そうした折、岩屋城に、立花山城を守っていた宗茂からの使者が来た。

「地の利が悪い岩屋城に比べ、宝満山城は要害の地。
 かの城にて篭城すれば、秀吉公の援軍が到着するまで島津軍を食い止められましょう。」

紹運は、その使者に返事を与えて城へ帰した。

「宗茂の言うところは至極最もである。
 確かに宝満山城は要害であるが、地の利は人の和に如かずという。
 いくら堅固な城に篭ろうとも、人の心が一つにまとまらねば意味を成さぬ。
 それ以上に思うのは、我が家が今まさに滅びの時を迎えているということだ。
 時の流れにつれ、全てのものに栄枯盛衰があるのが世の習いである。
 滅亡の時が来たのなら、たとえ堅固な城に篭ったとしても逃れえぬであろう。
 なれば、多年の居城を枕とし、節を守って死ぬことこそ勇士たる者の本意である。
 ここにわしが篭れば十日は守られるであろうし、寄手の三千くらいは討ち取ってみせる。
 そうなれば、続けて立花山城に攻め入ったとしても、二十日は持ちこたえられる。
 三十日も稼げば、秀吉公の援軍も到着するであろうから、宗茂は生き永らえられよう。
 さすれば、わしがこの地に果てようとも、
 宗茂さえ無事ならば亡き道雪殿に対しても顔が立つし、宗茂の武運も開けよう。」


同年七月二十七日、紹運は自害し、岩屋城に篭った兵も全て討ち死にしたという。





104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/04(水) 15:10:56 ID:9UlfxnFD
>>99
恥ずかしいけど泣いた
紹運大好きだ

高橋紹運、戦場での昼食・いい話

2009年02月04日 00:19

233 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/03(火) 20:58:30 ID:IZz/aiUG
戦場での昼食
立花鑑載討伐の時高橋紹運は味方を一ヶ所にまとめた。
紹運の手勢は士卒四十七名、雑兵一〇九人が残っているばかりであった。
「さあ、みんな弁当にしよう」と携帯していた握り飯を取り出した。その握り飯を食べられたのはたったの八名だけだった。
その八名の中に紹運も入っていた。だがいざ握り飯を食べるとたちまちゲロったり喉に詰まらしたりした。
ここで紹運は
「数千の味方も、あるいは手負い、あるいは討死し、ここに集っているのは身分の高下を問うまでもなく、一騎当千のつわもの揃いである。
人が死ぬことほど大なることはない。
男たる者がこれから死ぬかもしれないという時に、飯ぐらい食えないでどうするか。
わしをよく見ていよ」
と言って握り飯を三、四個食べた。
他の者もゲロして場合じゃないと思ったのか急いで食べたと言う。



235 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/03(火) 21:16:02 ID:PJzg/1b1
立花鑑載の討伐は、秋月家、宗像大宮司も絡んで散々難航したけど、もとはといえば
女たらし大友宗麟の手癖の悪さが原因というのは俗説ですか?


最後は謀殺でしたよね。。

236 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/03(火) 21:41:32 ID:DnG+9G7X
>>233
ちょっと異なるけど似たような話、宗茂にもない?
小説で知ったから創作かな

237 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/03(火) 21:48:23 ID:IZz/aiUG
あと宗茂にも似たような話がある。

朝鮮出兵の時、紹運の息子の立花宗茂は朝鮮・明連合軍の前で握り飯を黙々と食べていたという。家老小野和泉がそれを見て、自分もにぎり飯を口にしたがゲロってしまった。だが宗茂は家臣が自分の目の前でゲロされても悠然と握り飯を食べていたと言う。

238 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/03(火) 21:58:22 ID:DnG+9G7X
>>237
あーそれそれ!
紹運の方は初めて知ったけど、似たような話があるんてさすが親子と言ったところかねえ

242 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/04(水) 00:26:57 ID:R5zou3cK
>>237

あの小野和泉がゲロを吐くほどの状況下なのに、ケロッとしている宗茂。
やっぱり、カエルの子はカエルか。

281 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/04(水) 18:17:17 ID:u306mFpo
>>237
他人が体力や精神力の限界で飯がのどを通らないのに、宗茂の胆力はすげぇーぜ!
って話なのは分かるんだが、それと貰いゲロしないのはまた別の話な気がするんだが・・・

282 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/04(水) 18:55:46 ID:M7tLJolk
どこかズレてるのが宗茂の魅力だろ

283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/04(水) 20:30:59 ID:age64yMB
魁!!道雪塾

                    ,r'"´丿ヽ ̄`ヽ、
                 / ,r;:;:、 ⌒   ,ィ;:!
               /  ,イ;:;:;;:;::ゞ、 i ,r;:;:;:,、j
               _」 ,′'´r ェェ-、  j;:イェェ、l、        ΛΛΛΛΛΛΛΛΛΛΛΛΛΛ
             / ゝ,イ j `ヽ`"´.::;;  ト、"´ ヾi     /                      ヽ
             ! ,イl〈〈    ,ィjハノ。 。,j、、,,.  l   < わしが立花宗茂を育てた
                |  Y」 i; ,r'´r-、ニニニ = i! ,/    ヽ                     /
             !  ,'  / ,イ,ゞ-j!ーi!ーl-{ i! |      V^V^V^V^V^V^V^V^V^V^V^V^V´
               ,>,イ  ,!  i/       ,! il,!
            /.:.:/ i .,'  / -‐' "´ ̄ ̄``、ハヽ
           /.:.:/  | ,' /  ‐'´ ̄ ̄``ヽ `j ,!
         _/.:.:.:.:i  l  ゝ、_      ,:;' ヽ ー' /ヽ
    _,,,/.:i|.:.:.:.:.:.:|  ゙、        ,:'    /.:.:.:\_
_,ィ´.:.:.:.:.:.:.:.:i|.:.:.:.:.:.:|   `ゝ、. : . : . : . : . : . : ./.:.:.:.:.:.:.:.:.:.`ヽ___
.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:i|.:.:.:.:.:.:|    i  ``ー 、.:.:.:.,、-‐,イ.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:..:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.
.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:i|.:.:.:.:.:.:|    l      ̄  //.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:


284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/04(水) 21:02:28 ID:KplrV2oh
足に刺さった小さい棘を気にしてたら御守役が近づいてきて…アッー!
ってのも宗茂の逸話だっけか?w

285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/04(水) 21:05:08 ID:QT0Aa8uw
栗の毬の話か。相手は由井雪下だったかな

286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/04(水) 21:14:55 ID:hoT8/GRz
>>284
この板以外でそんな書き方したら、まず間違いなく衆道ネタだと思われるぞw

287 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/04(水) 21:22:21 ID:qHZN3Db1
>>285
由布雪下ね。もともと1城の城主だったが、道雪が立花城に赴任する際に、
家督を息子に譲って道雪に仕え、更に自分の俸禄を削って道雪に小野和泉
を召抱えさせたりした人。最後は浪人になった宗茂に付き従って棚倉に行き
86歳で没した。

紹運と筑紫の押しかけ姫・いい話

2008年12月25日 01:20

518 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/24(水) 02:11:02 ID:cyn7CGeB
紹運と筑紫の押しかけ姫

岩屋城に一人の武者が姫君を連れてやって来た。彼は筑紫広門の家臣、筑紫六左衛門と言う。
岩屋城主の高橋紹運は二人を書院へ通した。姫君は用件を話そうしたが、顔を真っ赤にして涙を流してたので代わりに六左衛門が紹運に用件を話した。
用件を聞いた紹運は「嫁にしてくれ」と言う姫にあきれ、当惑した。さらに言葉を失った紹運に対し六左衛門は「もし姫をめとらなかったら姫を殺し、自分も切腹する」と言ってきた。
二人を死なせたく無いと思った紹運は自ら姫の手をとり奥の間へ導いた。紹運は姫を統増の嫁にしようとした。そして天正14年2月姫は統増に輿入れした。



519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/24(水) 02:25:34 ID:RvO6fSkb
>>518
よくわからんのだが、それっていい話なの?
人質の押付けでしょ?

520 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/24(水) 02:47:09 ID:c75DgwUj
>>518
島津から離反して以来、筑紫広門は朝鮮出兵・大津城合戦と、
立花兄弟と終始行動をともにしてるな。
広門の娘は、三池藩の種次の母親。

521 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/24(水) 02:52:15 ID:cyn7CGeB
スマン、詳しく書くとその時紹運は宝満城を筑紫広門に奪われていて、筑紫広門の和睦は城を取り返すチャンスだった。筑紫広門は宗麟が秀吉に島津征伐をたのんだため秀吉側に着くチャンスであった。両者にとって(都合の)いい話

高橋紹運とその許婚・いい話

2008年10月29日 00:11

925 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/10/28(火) 13:41:55 ID:+VptbYyu

岩屋城で家臣7百余人と玉砕した高橋紹運のエピソード

紹運がまだ若かった頃、兄鎮理が紹運のために、斎藤鎮実の妹を嫁にと約束していた。
ところがその後合戦続きで、紹運の婚礼の儀もままならなかった。
そこで紹運は鎮実に対面したとき、時期を失していることを詫び、近く結婚する旨を告げた。
すると鎮実が、紹運のその申し出に首を振ったのだ。
「たしかに貴殿の兄上とそのような約束をしたが、妹はその後天然痘を患いふた目とみられぬ
醜女となった。とても貴殿の妻女というわけにはまいらぬ」
聞くなり紹運は顔色を変えて鎮実に詰め寄った。
「思いも及ばぬことを聞くものです。斎藤家といえば、代々武勇の誉れの高い武人の流れで
あればこそ、兄者が拙者の嫁にと望んだのです。拙者と致しましても、色好みの浮いた気持ちで
嫁にと望んでいるのではござらぬ」

それから間もなくその女性を妻に迎えた。
そして二人の間に儲けたのが勇将立花宗茂である。

宗茂は父紹運とおなじく義を重んじ、太閤の恩に報いるために秀頼に加勢し13万石を失った。
しかし秀忠は宗茂を惜しみ、のち同城で11万石を与えた。



932 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/10/28(火) 19:40:48 ID:LtagAx9O
>>925
宗茂が西軍についたのは主家である大友が西軍だったからじゃない
そうでないなら主家である大友が改易しているのに特になにもせず
自分はちゃかり13万石もらっている宗茂は義を重んじてるとは思えない

935 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/10/28(火) 19:51:51 ID:8WmR3aAx
>>925
吉川元春と熊谷信直の話に似てるな

938 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 20:38:35 ID:6oqEJ7da
>>932
とっくの昔に独立大名だし戦国時代はそんなもんだと思うが。
あと宗茂は当初大友は東軍だと思ってたんじゃないかな。