宮津城の人柱

2013年05月17日 19:51

623 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/17(金) 18:14:24.11 ID:at2MRqSc
元和の頃、丹後宮津藩ニ代藩主・京極高広は、宮津城の大規模な改修を行った。
この時城の一部を海上にせり出す形で建築したのだが、これが一夜にして全て崩れ去るという事態が起こった。
ちなみにここは、後の駒ノ詰の矢倉であると言われている

この事に困った京極高広は大膳という山伏に占わせた所、『人柱を使わなくては建築は成就しない』という。
初めそれを信じず、工事を進めたが、海上への張り出しが大変大きいため、どうやっても上手く行かず、
終に人柱を選ぶ、ということとなった。

この時八蔵という中間(あるいは足軽とも伝わる)が主君の心を察し

「不肖ながら、私が人柱となります。」

と申し出た。高広は不憫なこととは思ったが築城の成就には代えがたいと、彼を人柱として入れた。
すると、工事は見事完成したのだという。

完成したその一角には、八蔵の名にちなんで八地蔵が建立された。
またそこに立つ角櫓は、別名「八蔵櫓」と呼ばれたそうである。
(宮津日記)

宮津城大改修にまつわる、人柱の逸話である




624 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/17(金) 21:47:05.76 ID:kCr+rxHn
人柱って生きたまま埋められるの? 死んでから埋められるの?

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