薩摩のスナイパー2・押川強兵衛

2013年08月10日 20:36

146 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/10(土) 17:11:42.16 ID:19FRjk6Q
薩摩のスナイパー2

関ヶ原の戦いで島津軍はいわゆる「島津に退き口」で撤退した。
この時、押川郷兵衛は義弘本隊とははぐれ伊吹山中で東軍に生け捕られてしまう。
しかし処刑される直前、島津家の取次をしていた旧知の山口直友が郷兵衛を見つけ引き取った。
直友は郷兵衛に服や刀を渡すが、郷兵衛はそんな直友の元から抜け出し京の近衛家に駆け込む。
その後、逃げ帰った薩摩では主君義弘より50石の加増と「郷」を「強」に変え強兵衛への改名を命じられる。

そんなこんなで主君義弘の信頼を勝ち得た強兵衛。
その後の強兵衛は義弘の命により巡礼姿で諸国を行脚し、関ヶ原で戦死した島津豊久の捜索などをおこなう。
つまりは義弘の忍びとして働いたようだ。
強兵衛の忍びの仕事の1つとして義久派家老平田増宗暗殺がある。
慶長15年6月、川内と鹿児島を結ぶ土瀬戸峠で平田を狙撃し暗殺したのだ。

『本藩人物史』によれば強兵衛は寛永6年に59歳で亡くなるまで「人を殺害すること百六十余り」と書かれている。





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