毛利輝元に仕える家臣の熊谷元直は

2013年09月16日 20:01

128 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/15(日) 20:54:30.62 ID:GYo8cNo4
 毛利輝元に仕える家臣の熊谷元直はキリシタン武士として有名であった。
 ある日、彼は自宅に総奉行の佐世元嘉を招いて宴会を開いた。元嘉は毛利輝元の寵愛と庇護を
最も受けている人物で、外面的にはキリシタンにも親切そうであったが、内心では嫌っていた。
 宴会の後、熊谷元直ら二人はキリシタンの教えについて論じ合うことになった。

佐世「キリシタンの教えには役立つものは何もなく、すべて実質の無いものだと思う。これは
   経験的に見て、有力な人はその教えを受け入れないし、もし誰かが受け入れたとしても
   小西行長や大友吉統などのように領地を不運に失うことになった」
熊谷「キリシタンの教えを信じる要人たちが悲惨な目にあうという貴殿の意見には何の根拠もない。
   神仏を篤く信じる主君の輝元殿さえ、やはりその所領を没収されてしまった。仏僧の安国寺
   恵瓊や仏教の諸宗派を庇護した石田三成なども生命と財産を失ったし、多くの異教徒の領主
   たちも貧窮に陥り、追放され、権力や地位、名声を失った」
佐世「私の意見が正しかろうが正しくなかろうが、要人がキリシタンにならないのは事実だ」
熊谷「それでは毛利殿の家中で私は貴殿ほど優れていないという言うのか? ならば、どうして
   誰もキリシタンにならないと言えるのか?」

 怒りのあまり、冷静さを失った熊谷元直は思わず短剣を引き抜いた。それを見た佐世元嘉は
立ち上がって広間の外に退出しようとしたが、元直はすぐに冷静さを取り戻し、短剣を投げ捨てて
自分の非礼を詫び、許しを請うた。

熊谷「今のは時として人を襲うことのある突発的な情熱であった。短剣を抜きはしたが、それで
   貴殿を傷つけるつもりなど微塵もなかった」

 そこに居合わせた数人の身分の高い武士たちが、すぐに割って入って仲直りできるよう
仲裁してきた。これにより二人は和解し、佐世元嘉は熊谷元直に対して、生きている間はいやな
思いはさせないし、その問題には触れないと約束した。




129 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/15(日) 21:23:03.66 ID:MJOrvx9F
>>128
宗教論争しても答えなんか出ないだろうしな
その人が信じてるからこそ意味のある事を、理屈で説き伏せるのはうまくいかない
うまくいかないどころか関係が悪くなる
それ考えたら熊谷さん佐世さんともに立派な態度
人によっては斬るまでいってたと思う

130 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/09/16(月) 09:12:49.07 ID:mhszX0vT
>>128
これが熊谷粛清の原因?

131 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/16(月) 16:36:28.34 ID:aQgLqbiZ
>>130
イエズス会日本年報によれば佐世と熊谷の論争があったのは1604年で、粛清の一年前だから
直接の原因ではないと思う。
ただ主君の毛利輝元は以前から熊谷元直がキリシタンの教えを捨てて改宗することを望んでおり、
たびたび部下を差し向けて論争を仕掛けていたようだ。

132 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/16(月) 19:37:46.09 ID:VGBt9qR+
これ性格悪い人間ならば追い討ちで皮肉の一つでも投げたんだろうな
「ほらやっぱり役立たねーじゃねえかww」
な感じで

133 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/17(火) 19:40:26.49 ID:pow65qDP
毛利家臣団の熊谷、益田、吉見あたりは来年の大河に出てこないかな?
そして益田にはテルにも少しくらい良い所があるんだと語らせて欲しい

テルにも三成人気みたいなのが出るんじゃないかと私気になります

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熊谷元直、その娘の葬儀

2013年09月09日 19:52

289 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/08(日) 20:12:31.73 ID:z8mEpRp4
 関ヶ原で敗れて領国を二ヶ国に減らされたのは宣教師を放置した天罰であると
仏僧からそそのかされた毛利輝元は1602年に宣教師追放令を出した。宣教師の
いなくなった山口では代わりに熊谷元直というキリシタン武士がキリシタンの
庇護者として活動していた。元直は源平の合戦で活躍した熊谷直実の末裔で
毛利輝元に仕える有力な家臣であった。
 熊谷元直の娘もまたキリシタンであるが、仏教徒の領主と結婚していた。元直は
この婿をキリシタンに改宗させようとしたがうまくいかなかった。そして、その娘が
元直の自宅で亡くなった時、婿の菩提寺の仏僧たちがやってきて葬式をするために
娘の遺体を引き渡すよう元直に要求した。
 元直は娘はキリシタンとして埋葬するから絶対に遺体は渡さないと拒否した。このため、
仏僧との間で大論争となり、仏僧側が毛利輝元にこの問題を持ち込むと脅すと、元直は
数人のキリシタンを呼んで密かに娘を埋葬した。そして、その後で適当な重さの
石を入れた棺に外側を布でおおいつくして、それを仏僧たちに引き渡した。彼らは
娘の遺体を運んでいると思い、おおいに満足した。熊谷元直はもっと満足であった。
仏僧たちが娘の遺体を手中にしていないかぎり、仏教の葬式をおこなっても問題ない
と考えていたからである。(1605年イエズス会年報)




290 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/08(日) 21:50:57.53 ID:Ad/JEcID
宗教とか一族で揉める家系だな
鎌倉時代から現代まで、よくもまあ続いてるな

291 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/08(日) 22:34:59.37 ID:XsdrgKMh
熊谷さんとこは結局TERUによくわからない罪を問われてお取り潰しに。
吉川家にとっては母方なんだけどな。

292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/09(月) 08:26:09.93 ID:8YOO3LBA
吉川は宗家とはともかく、家臣たちには評判が悪かったんだっけ?

293 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/09(月) 14:09:44.03 ID:5qkKBWo3
宣教師を放置した天罰なら宣教師を大切にするんじゃないかな?
それとも俺の感性がおかしいのか

294 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/09(月) 14:33:30.27 ID:YvfkpleT
野放しにした、と読み変えるがよろし

295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/09(月) 18:02:30.82 ID:UcA1eE+g
 イエズス会年報によると関ヶ原の合戦が起きる前、毛利輝元は広島の市に宣教師が
常駐することを認めていた。そのように布教活動を許して野放しにしていたことが
敗戦という天罰を招いたと仏僧たちは輝元に主張していたわけだ。