在尾城の落城

2013年10月28日 19:47

609 名前:1/2[sage] 投稿日:2013/10/28(月) 01:42:47.42 ID:WcSP28Jl
大村家親は、大村家九代当主家徳の弟であった。
文明8(1476)年2月、小城の千葉介胤朝は家臣内田某をもって藤津郡に攻め入り、在尾城(現蟻尾山)を包囲した。
内田は在尾城に援軍のないことを知ると、城の水の手を立ち持久戦に持ち込んだ。
そのため家親は、千葉方に見える場所でにをつなぎ、精米で馬の背中を流し始めた。
馬を水で洗っているように見せかけたのである。
城の麓からその様を眺めていた内田は、場内にまだまだ水が豊富にあるのかと思い驚いた。
そこで内田は、在尾城が容易に落とせないと考え一計を案じる。
在尾山の北に位置する味島神社の方向にかがり火を焚き、今にも大勢が攻めてくるかのように見せかけたのである。
城方はこれに応じて表の城門に人を集めて警護を厳重にしたため、逆に南の警護は手薄になった。
こうして内田は兵を南に潜ませて手薄な裏門を一挙に突破したので、城内は大混乱に陥り在尾城は陥落したのであった。

611 名前:2/2[sage] 投稿日:2013/10/28(月) 01:46:38.75 ID:WcSP28Jl
この在尾城の落城に際して、鹿島にはいくつかの悲話が残されている。

家親の女である緑姫は、在尾城の北斜面の茨をかき分けて西牟田の黒川に落ち、敵の目を逃れるために池に潜み身を隠した。
しかし、池には蛭が棲みついていおり、緑姫はこの蛭に襲われ命を落としたという。

また、家親の幼子は乳母に抱かれて南方に逃れて、千葉兵から身を隠すため藪の中に潜んだが、
幼児が急に泣き出したため、千葉兵に見つかり殺されてしまった。
今この場所には石仏が祀られており、「啼きびす仏」と呼ばれ土地の人々が焼香を欠かさないという。
お参りすると、幼児の夜泣きに霊験があるとされている。

なお守将の家親については、在尾城が落城すると能古見の本城を目指して落ち延びたと伝えられるが、
家親のその後については誰も知る者がおらず、史料に再び家親の名が載ることは無かったという。


佐賀の戦国人名史、大村日向守家親の項を参考に千葉氏と大村氏の抗争にまつわる話を一つ。
城名については現在の地名では蟻尾山と呼ぶらしいけれども、書籍に書かれていた在尾山で統一させていただきました。




610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/28(月) 01:46:32.08 ID:VdlvUD7V
なんか聞いたことある話だな…なんだっけ

612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/28(月) 07:46:32.70 ID:GIcyzz/G
なんというか、よくある話を全部ぶち込んでみました的な

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/28(月) 08:46:11.33 ID:hwLe+/Br
ごくありふれた風景なんだろうね

てか、まだ下総に対抗意識を燃やして千葉介を名乗っていたのか

614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/28(月) 12:37:05.85 ID:0PvVS5nz
直系なんだから当然だろ、下総のほうは宗家横領

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