渋江公勢、大村純伊を

2013年11月04日 19:06

477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/04(月) 14:14:17.59 ID:mndIJySd
肥前国杵島郡長島荘の領主橘渋江氏は、橘諸兄を先祖とする名族で、
十四代渋江公勢のときに全盛期を迎えて、杵島郡近隣の諸勢力は渋江氏に人質を出してその傘下についていた。

永正元(1504)年のこと、渋江公勢は幕府の大番役として三年在京し将軍義澄に仕えていた。
無事に任を終えた公勢は、伊勢神宮に参ろうと大津の関にさしかかったところ、関所で立ち往生していた一行と知り合った。
それは、有馬家との戦いに敗れ本領彼杵郡を追われて、松浦郡加々羅島に逃れていた大村純伊であった。
大村純伊は数年前有馬氏との戦いに敗れ領地を失い、旧領を復活するために伊勢神宮に参拝し祈願を立てようとしたのだが、
大津の関でついに持ち合わせがなくなり、立ち往生していたのである。
この話を聞いた公勢は、これも何かの縁と純伊に協力を約束し帰国した。

永正四(1507)年、公勢は1800の兵を純伊につけて彼杵郡に向けて出兵させ、
さらに自身も1500の兵を率いて、高橋、塩田を経て鹿島へと侵攻し有馬勢を打ち破った。
これによって大村氏は本領復帰を遂げることができたのである。




478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/04(月) 14:54:21.02 ID:Iga7teb7
この渋江さんって後の佐竹家に仕えた渋江さんかな。

479 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/04(月) 15:00:39.74 ID:mndIJySd
播磨屋.comの記述も参考にしつつ書いたけど、
その渋江氏解説だと曽孫は大阪の陣に参加して落城後はそれぞれ波佐見と長崎で隠居してるから、たぶん違うんじゃないかね?

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