正しく沢庵の書であった。

2017年02月04日 17:41

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/03(金) 22:10:26.57 ID:yarFx/aF
脇、高安彦太郎が遠祖。彦太郎、少年のとき武術を以て高名の事。付沢庵和尚目撃の賞状

 予は時々能見物に行き、金剛座の脇師の高安彦太郎と会っている。
ある日のこと、彼は語った。

「私の家祖は大和に居住していました。〔高安とはすなわち和州の地名である。〕
その後、私の先祖の太左衛門という者の子の彦太郎が十、四五の頃、
大和の山越えを行ったときに賊が出て取り囲まれてしまいました。
しかし彦太郎はこれをことともせず、刀を抜いて四方に切り払えば多くの賊は死に、
賊は敵わないと逃げ去りましたとか。
折節沢庵和尚が現場に行きかかっていまして、父の太左衛門へその書状を書き記して褒賞しました。
その書は今も家に伝わっています。」

 予は請うてその書を見ると正しく沢庵の書であった。
その文を読むと、沢庵は傍観されてはいなかった。
傍観していた者が沢庵に報告して沢庵が褒賞されたのであった。
なんにせよ彦太郎の手技は乱世近い人の骨柄で、猿楽少年といえどもこうである。
また沢庵の賞辞も今時の出家の言に比すると真に活言というべし。

その書がこれである。

「〆 高安太左衛門殿 御宿所  芳林庵

この一両日にお客様が来られましたので面会できませんでした。
なのでただ今承りました彦太殿が、路次で不思議の子細に驚き入りました。
彼の手柄は申すべき様もありません。さてさて奇特千万で、承りまして感涙を催しています。
御心中御満足のほど推量されます。
誠に比類無い次第だと存じます。
無事珍重でこれに過ぎたるものはありません。
ただ今承りましたので、即刻書状で申しました。
出家の事(空白)別でかようの事承り、奇特千万と存じます。
後日に会いましょう。恐々謹言。
孟夏十八日    宗彭 」


(甲子夜話続編)



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東海沢庵の事蹟

2016年09月19日 18:46

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/19(月) 16:11:52.63 ID:1AA2sznt
東海沢庵の事蹟

この頃ある僧の話で聞いた。
猷廟(家光)がかわいがって待遇した東海寺の沢庵和尚は、
もとは遠流に処せられていたが、柳生但州(宗矩)の上言で召還されて帰参した。
このときの狂歌で、

上意ゆえ還りたくあん(沢庵)思えども おえど(江戸・穢土)と聞けばむさしきたなし


また沢庵が御茶の御相手に出たとき、御釜の沸湯が蓋の辺りから滴るのを将軍様が御覧になられて

てき(敵・滴)がおつるおつる

との上意があると、応じて

ひつくんで(引く組む・汲む)とれとれ(捕れ)

と言った。その敏捷さはこのようであったと。

林子(述斎)曰く、これは島原陣のときのことであろうかと。
なるほどそうでもあるだろう。

『延宝伝燈録』には

「慶長十四年の春に大徳寺の住持に出世したが、三日だけ山にいて、
退鼓(禅寺で住持が退く時の説法を知らせる鼓)を打って泉南に帰った。
豊臣秀頼公及び一時の侯伯は、招請を重ねてしたが、師は全てに赴かなかった。
寛永六年秋、大徳出世之事により羽州へ貶められた。
謫居(遠方へ流されること)すること四年、欽命(君主の命令)により赦されて還った。
大将軍家光源公東海寺を創って、師に命じて開山祖とした。」

(甲子夜話続編)



沢庵壁書の事

2016年08月05日 19:43

936 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/05(金) 00:32:23.34 ID:4NC1gATx
沢庵壁書の事

沢庵の書いた壁書を、山村信州(良旺)が所持していたので写させてもらった。

「飯は何のために食うのか。ひもじさを止めるために食うのか。
ひもじい事がなければ食わなくてもよいものを。
さらば、さても、しかるに、添え物がなくては飯は食えぬと皆人のが言うのは僻事である。
ただただ、ひもじさを止める為のはかりごとである。
「役」のために食う飯ではない。
添え物がなくては飯が食えないというのは、まだ飢えが来ていないのだ。
飢えがこなかったら一生食わなくてもいい。
もし飢えがきたら、その時には酒のかすやあらぬかのような粗末なものでも嫌わない。
ましてや飯ならなおさらである。何の添え物がいるであろうか。
『食を受けることは薬を服するようにせよ』と仏も遺教されている。
衣類もまたこのようである。
人は衣食住の三つで一生を苦しむ。
このことを心に留めているので我は三つの苦しみが薄いのだ。

これは我の落書きに過ぎない。錬金法印が書けというので書いたのだ。」

元和の酉の冬に  宗彭

(耳袋)

バランスよく食べなきゃダメよ



梁の武帝が達磨に対面された通りに

2016年06月30日 16:06

897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/30(木) 09:14:07.33 ID:xdkSpOUE
 上様が沢庵和尚をお召されたころである。
如何様に応対するのがふさわしいかと、柳生殿が内々に尋ねられた。
沢庵和尚は

「梁の武帝が達磨に対面された通りにしてください」

と申した。
 その時の応対とはどういうものかと柳生殿は次々と尋ねられると、
甚だ仰山に重々しい事であることがわかった。

「それでは余り御崇敬が過ぎますので、いますこし軽くするべきではないか」

と柳生殿は申されると、和尚は

「あなたはそのようにお思いなられるだろうが、当将軍家を武帝ほどには私は思っていない。」

と申されたという。

 しかしながら、沢庵和尚は元来生臭坊主ではありませんでしたので、
江戸逗留の間は柳生殿の長屋に居られ、登城の際には下男を一人連れるだけだというので、
後に上様はそれは余りに粗末な事だと、別に旅宿を仰せ付けられ、
ついには和尚のために東海寺を御建立された。
末代には稀な智識である。

(本阿弥行状記)



沢庵番

2016年06月12日 17:26

828 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/12(日) 01:12:52.81 ID:Bc2GXjZ1
 品川の東海寺には、沢庵番というものがある。
これはかの寺領の農夫が夜毎に寺の門々を守り居ることである。
そのわけを聞くと、沢庵和尚は高徳で猷廟(家光)は殊に帰依なさっていた。
大城へも召し、また寺へも御立ち寄らせなさること度々あった。
しかし、和尚はとにかく永住を欲せず、時として寺を立ち去ろうとする。
公はこれを憂いなさり、人に守らせて出て行くことを止めなさった。
沢庵和尚が遷化の後も例となり、永くその旧例によっている。

 今親しく農夫に
「どうして夜々に寺門を守るのか?」
と問うと、
「私どもが守らなかったら沢庵が逃げ去られるからです。」
と答える。
農民の愚直にして古色を保っているのは、誠に愛すべきことだ。

(甲子夜話)



830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/12(日) 09:50:09.92 ID:N/XJnpxD
>>828
家光「おじいちゃん、家はここですよ。」

人は少年の時に学んで、壮年には早く立身するべきである

2014年02月11日 18:56

341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/10(月) 23:23:12.13 ID:an7pd4us
人は少年の時に学んで、壮年には早く立身するべきである。

四民の行為も何ごとも急げ。たとえ立身できるとしても、老いていれば晩年は短い。
日が暮れて道を急ぐことになるであろう。

(人は少年に学び、壮年にはやく立身すべきことなり、四民の所業もなにも急ぐべし。
たとひ成得ても老あれば末短かし、日暮て道をいそぐなるべし。)

(以下、例えをまじえて同じことを述べている)

――『東海夜話(沢庵宗彭著)』

このように沢庵は学ぶことそのものは肯定しているので、
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-8215.html の記述は学ぶなという話ではなくて、

「学ぶ人は自己を持って悪智慧を生じないようにしろ」ということなのだろう。




342 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/11(火) 00:17:20.77 ID:12PwH1cW
その例えの部分が詳しく知りたいですね

343 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/11(火) 00:39:34.08 ID:ULwduIJg
>>342
いまいち意味が理解できなかったのと、締めの言葉からして結局同じことのようだから省略した。

(北地陰寒の国には春の花おそし、陰寒にささへられて然り。しからば秋の花は末の陰寒を考えて
疾くひらくべけれども、節序あればこれも前年の寒気春に持こして、そのいたみにや、
秋の花もおそくさき出るゆゑに、又来る秋すゑの寒気にあたりて、さかりもほどなきなり。
人の中年すぎ立身して、すゑの短きが如し。)

註によると「皆少年に学ばざれば何の業も上達し難し、少年時は四季に於ける春なり、
此の時に於て充分養ひを取らざれば秋に良果を収むることかたし、」とのこと。

学をする人は必ず

2014年01月31日 19:00

449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/31(金) 03:58:17.27 ID:TKc5ZJuH
学をする人は必ず悪智慧を生じる。その理由は何故かというと、
人を超えようと欲して才ある人を抑える。しかもさらに、不才の者を笑う。

自分に従って、一字といえどもこれを問う時は直ちに喜び、
自分に背いて千人に問えば、これを妬むことは敵のようである。
また、眼を高くして人を直下に見る。これらはその悪智慧の一二である。

無学の人は争うことがない。これは学力が無いので、自分の本然の心を
持っているのだ。学をする人は曲節が多く、学無き人は直心である。

学をする人は人を疑い、学無き人は人を信じる。信は万行の始終である。

ひたすら学を行って悪智慧を求めるよりは、むしろ無学にして自己を持て。
前述の学をする人は自己を失って悪智慧を生じるのだ。

――『東海夜話(沢庵宗彭著)』





人も善くあれ、我も善くあれ

2014年01月17日 18:45

107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/17(金) 15:47:17.60 ID:YeGeqghY
一、相撲をとる人が勝とう勝とうと思うがために、自分より力劣る人を
もし存分に骨身を傷つけるほどの力に任せて勝って喜ぶことになっても、

その一方で自分より力の勝る人には負けて身骨を傷つけられて苦しむのだ。
世間の人の心も「人を謗ろう、人が悪い」と思う人は、必ず自分の身に悪い。

自分より弱い人を押さえて滅したとしても、一方で自分に勝る人がいて
自分を押さえることは歴然だ。ただ「人も善くあれ、我も善くあれ」と、
思うべきである。

一、人として人のために善くあれと思うことは誠に難しいものだな。

およそ生きとし生けるものは争わないということがない。空をかける翅、
地を走る獣、螻蟻蚊虻にいたるまで争わないということがない。

だから、人として争わないことは難しい。心底では争っているけれども、
外では争わない顔をするのは礼である。これを人という。

この礼を持たずして人に向かう時は、とりもなおさず早々に共に争う。
これは人にして禽獣に近い。

――『東海夜話(沢庵宗彭著)』




108 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/01/17(金) 18:37:19.46 ID:7DevHlyN
現代にも通じてるね

109 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/17(金) 19:48:34.00 ID:1Rx53UPY
当時なら大一大万大吉
現代なら思いやりかな?

そして言うは易し行うは難しと

110 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/17(金) 21:10:15.38 ID:yQct1QOq
武士か儒者の言葉だろうと思い読み進めたら仏教坊主だったでござるの巻

蜘蛛の謀略

2013年11月18日 19:32

647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/18(月) 17:09:52.26 ID:9dn8KpG9
一、のきにかかっている大きな蜘蛛を地に落とせば、足を収めて石のようになり、
死を逃れようと計る。この蜘蛛は小智によって人を計ろうとしている。

少しでも走って逃げれば、それだけ命も長らえるであろう。かの蜘蛛の謀計を人はよく
知っている。かの蜘蛛は、人は知らないと思っているのだろう。

無智の人が有智の人を計ることも、蜘蛛の謀略と同じだ。

一、さて、大きな毛虫が地上を歩いている。これを犯す時には毛虫は憤然として
身体を反らせる。そうしたとしても、人はこれを事とも思わない。

小人が大人に向かってこのような風情をなすことは、毛虫と変わらない。

――『玲瓏随筆(沢庵宗彭著)』





自分の好悪は分からぬものである

2013年11月16日 19:11

635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/16(土) 16:35:54.06 ID:Ml9WCBEb
一、粗末な面の人を初めて見た時は「なんとも見苦しい人物だな」と思っても、
慣れて毎日見れば、後は見好いものである。

これは血気に間違わされてこのようになるのだ。
最初の一念は本心に感じるために、そのものの好し悪しを有りの儘に知るのである。
それゆえ、人の好悪はよく見えるものである。

自分の好悪は分からぬものである。自分の所作は我が身に慣れて分からないものだ。
そのうえ、悪いと知ってまげて悪を行うのは道理の外である。

一、何事もやろうと思うことをずんと思い切ってやるのは本心である。
こうしようか、しないかと二途にわたるのは血気である。

二途にわたって分別の極まらないことをすれば、必ず悪い。
これは血気に惑わされたのだ。これをやろうと思ったなら一道にしたほうが好い。

二途にわたるくらいならばしてはいけない。初めの一気は皆本心である。
二つにわたるのは血気である。本心ならば皆好い。血気は悪い。

――『玲瓏随筆(沢庵宗彭著)』