狩野半右衛門とその妻子

2013年12月22日 19:16

957 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/22(日) 14:39:49.35 ID:6jiOWd0I
1605年、毛利輝元の家臣で有力なキリシタン武士であった熊谷元直が一族もろとも処刑
された。表向きはもめごとに介入して家臣団を分裂させたのが処刑の理由であったが、
真の理由は熊谷元直が主君に逆らってキリシタンであり続けたからだった。
 毛利家臣団のキリシタン武士の中で熊谷元直に次ぐ実力者は狩野半右衛門という男で
乗馬の名人として知られていた。彼は毛利家の重臣にも懇意の者が多く、奉行の佐世元嘉
とも親しくしていた。
 熊谷元直の処刑の翌日、半右衛門は奉行の佐世元嘉から呼び出しを受けた。熊谷一族の処刑の
件も聞かされたので、いよいよキリシタンである自分も処刑されるのか、と覚悟して妻に別れの
挨拶をして出発した。(続く)

958 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/22(日) 14:48:13.49 ID:6jiOWd0I
>>957の続き
 半右衛門が萩まで赴いて佐世元嘉と会うと、元嘉は処刑された熊谷元直の一族が所有していた
馬を半右衛門に預かってもらいたいと申し出た。これは単なる口実で真の目的は事が落ち着くまで
半右衛門を足止めするためである。佐世元嘉は熊谷一族粛清の一件で半右衛門や彼に従う多数の
キリシタンが恐れて出奔してしまう事態に発展するのを心配したのだ。そのようなわけで
半右衛門が山口の自宅に帰るのに数日を要した。

 一方、山口では半右衛門が殺されたという噂が流れ、彼の妻の耳にも届いた。彼女は自分にも
処刑の魔の手が迫ることを覚悟し、洗礼名マリアという12歳の娘とともに信仰のために
死ぬ準備を始めた。
 そこへ狩野半右衛門の親友で山口の奉行所に勤める男が訪れた。彼はキリシタンではないが、
半右衛門の死の噂を聞き、その妻子の命も危ういと考え、せめて娘の方だけでも救おうと決意して
半右衛門の娘を連れ出して自宅にかくまった。しかし、彼女は父と同様に信仰のために母とともに
死に赴くことを望むと言って強引に親友宅から出て母親のもとに戻り、聖画像の前にひざまずいて
母娘で死の準備を始めた。しかし、その準備の途中で狩野半右衛門が生きて無事な姿で戻ってきた。
誰もが半右衛門を死から甦った人であるかのように迎えた。(イエズス会年報集)





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