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【ニュース】狸に化かされる宴席料理「狸食(たぬくい)」を現代に復活 兵庫・夢前町

2019年04月05日 16:44

771 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/04/04(木) 19:38:39.54 ID:N2pt8JwE
狸に化かされる宴席料理「狸食(たぬくい)」を現代に復活 兵庫・夢前町


歴史ファンならたまらない戦国時代の宴席料理や、“100年前の日本酒”を現代に蘇らせたい-。兵庫県姫路市の北部にある夢前(ゆめさき)町の人たちが立ち上げた「夢前ゆめ街道づくり実行委員会」が、
歴史と食をテーマとした町おこしに挑んでいる。今月中旬には、大阪の都心、グランフロント大阪でイベントを開き、人々の「田舎愛」を呼び起こすべくアピールしている。
(文・木村郁子/写真・渡部恭晃)

今ものどかな里山の風景が広がる夢前町だが、一方で平成27年には中国自動車道の夢前インターチェンジが開通し、交通の便はよくなっている。
実行委員会は、同町で農業や食品加工業、旅館業に携わる人たちが発足させた組織で、地域活性プロジェクトに取り組んでいる。

実行委がまず“目をつけた”のが、戦国期に播磨・備前・美作(みまさか)の守護として勢力を誇った赤松氏の存在。弘治元(1555)年、赤松氏の居城置塩(おじお)城で、城主赤松義祐(よしすけ)が飾西(しきさい)郡の領主、
才伊三郎を招いて開いた宴席の際に出されたという料理「狸食(たぬくい)」だ。

一見すると、ただ白いご飯が入っただけの茶碗(ちゃわん)と、すまし汁。本当に宴席で出された料理なのか?と思いながらご飯を割ると中からコンニャクや大根、高野豆腐、ゴボウなどが顔をのぞかせる。
これに薬味とともにすまし汁(だし)をかけて味わうというものだ。

狸に化かされたような心地で食べると、中から総菜が出てくることから「狸食」。
ただし、「当時の趣を残したままシイタケやするめ、鯛など11種の食材をそれぞれに味付けして隠した『現代版狸食』です」と、当時の文献を発見し、再現のきっかけをつくった上山旅館の社長、上山洋一郎さん。
最も苦労したのは味付けだったという。室町時代の調味料といえば味噌か塩。醤油やみりんはまだ生まれておらず、熟考の末、味わい深い藻塩を使った。

どうやって食べればいいのか。「当時の白米は贅沢品。米のおいしさを味わい、次は具材と一緒に。ネギや糸唐辛子などの薬味をのせて。そして最後はだしをかけて、お茶漬けのように召し上がってください」と上山さんが教えてくれた。
ひつまぶしのように、食べ進むごとにしみじみと味わいが変化する。

当時、赤松氏が客を喜ばせようと料理人と考えたサプライズ。おもてなしの心に触れた思いだ。

また宴会では、日本最古の玉子料理、茶碗蒸しの元祖とも称される「玉子ふわふわ」も出されており、姫路城の前にある玉子かけご飯専門店「たまごや」が「玉子ふわふわ」を再現している。

このほか、大正から昭和初期に最も酒造りに使われていた酒米を復活させ、当時の酵母菌とともに、100年前の酒造りを行う計画も進んでいる。

「狸食」は上山旅館などの3施設で、「玉子ふわふわ」はたまごやでそれぞれ4月1日から提供される。

産経ニュース 
https://www.sankei.com/life/news/190401/lif1904010033-n1.html



772 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/04(木) 20:12:23.34 ID:Q72BmYRS
当時の酵母菌って、環境が変わっていてさすがに無理なんじゃ?

773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/04(木) 20:39:47.63 ID:ST5/m4p6
>>771
あの時代に面白い料理作ってるなぁw

774 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/04(木) 20:42:54.23 ID:ZkmWDAT/
政宗「負けてはおられぬ」

775 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/04(木) 21:09:08.70 ID:d/6aBWHj
1号酵母やろ。最近再出荷されてるとどっかで見た

776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/04(木) 21:56:10.43 ID:1yKT1tPK
100年前の日本酒はかなり辛いし濃いぞ、心して飲むべし。
https://i.imgur.com/GXKZtTo.png
https://i.imgur.com/MT8mDLP.png


ちなみに日本酒の味は元禄時代に甘さのピークを迎えて
そこからだんだん辛口化が進み、幕末~明治にかけて最も辛口になり
以降は甘辛を行き来しつつ、今は中庸に落ち着いている、といった感じらしい。

777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/05(金) 03:48:30.33 ID:5B+InzBl
櫻正宗の焼稀ってやつか
料理は辛口を使うけど個人的嗜好は真逆の日本酒度-30くらいの甘ったるいやつかな
あと猫正宗はちょっと呑んでみたい
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「赤松のシェフ」が書き残した饗宴

2014年02月07日 19:13

297 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/06(木) 22:21:11.47 ID:lDWxsm2t
弘治元年(1555年)11月7日、赤松本家の置塩城に、義祐の弟・才伊三郎がやってきて、宴が催された。
相賀光重と下毛野武盈は、この時の詳細を『播州置塩夜話 六花亭物語』(播陽万宝知恵袋と播磨鑑に収録。)に記している。
では、「赤松のシェフ」が書き残した饗宴を追体験してみよう。(六花亭は置塩城の茶亭の名前らしい。)

才殿は晩7つ刻にお越しになり、ご馳走が始まった。

最初に供したのは「狸食」。
本膳の真ん中に白飯、右に澄ましのかけ汁が入った汁椀、左にはネギ、柚子、大根、唐辛子などを刻んだ「かうとう」(香頭=吸い口)の入った盃を置いた。
食椀の底には鴨、鯛、スルメ、シイタケ、麩、干瓢、きくらげ、ゴボウ、人参、大根、こんにゃく、雪豆腐、昆布などが隠されていて、
香頭を汁に混ぜ、食椀にかけていざ喰おうという時に、何の変哲もない白飯の下から色々なものが出てくるのだ。
化かされたような心地になるということで、この料理を「狸食」というのだとか。

次の膳は、真ん中に味噌仕立ての雁汁、右に刺身(鯉、スズキ、チヨク、煎り酒を高麗の皿に盛ったもの)、
左に貝焼き(大貝、アワビ、シイタケ、クラゲ、干瓢、レンコン、玉子油豆腐、玉子油こんにゃく、ウズラ、鴨など)

次は食椀、御汁を左の方に置き、膳の脇に鯉の味噌煮、鮭の塩引き、シギかウズラの焼き鳥を添えた。
それに、宝命酒1返と、熊掌(油揚げにして、澄まし汁に酒を入れて調味したもの。生姜をすり入れて味を付けた。)を供した。

さらに
・チンタの酒(赤ワイン)1返と、ウニ

・延命酒1返と、タラの吸い物(澄まし仕立て)、剥き海老、かまぼこ(播磨鑑ではカマスゴ(イカナゴ))

・御酒1返と、玉子のふわふわ、クシコモドキ(クシコを細かに切り、ふわふわに入れる)
を供した。ここまでは屋形殿と才殿二人だけで召し上がった。

才殿の家老の神村と太刀持ち2名は、秋津民部や御屋形の太刀持ちとともに、玄関の内「具足の間」で、
狸食、鯉の刺身、鴨汁、イカの青和え、飯、鮭の塩引き、鱈の吸い物、御酒、かまぼこ、剥き海老、御酒、サザエの壺炒り、御酒、鮎の寿司を食べている。

298 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/06(木) 22:23:44.30 ID:lDWxsm2t
ここで中入りとなり、ご相伴の者たちが加わって乱酒が始まった。

松竹の台に載せられた肴(色々の刻み物、組み物(盛り合わせ))と、二合入り、三合入り、五合入りの椰子盃が出され、
家老や重臣達がそれを頂き、拙者(下毛野)も家老に御盃を頂いた。

猿楽師・明石小大夫は
「天津神、八千代も同じ日ノ本の、光絶えせぬ神の道、今末の世に受け継ぎて、下方民に至るまで、君の恵みを仰ぐなり♪」
と小謡を披露。

この時、鯛イッコンヤキ(ホンテ)、ナマコ・クラゲ・角小ヘキのふくら炒り、辛螺(巻貝イボニシ)の壺炒り、延命酒、ふわふわ、吸い物が各自に供された。

置塩家老・山田助九郎は、才殿の家老・神村を呼び出し、五合入りの椰子盃をさした。
この時に出ていた料理は、
かるも川という三升入りの緑の大皿鉢に生姜酢を溜め、アマノリ、但馬海苔を打ち振り、ヒジモ、葱、大根、人参、ゴボウなどを散らしたもの。
酢鯛も出た。

神村は置塩家老・福岡助九郎とともに猿楽立会を始めた。
片足を上げて手を振り足を振り、猿の顔真似でにらみ合い、口を開け扇を持って入れ違い、顔をしかめ首をねじらかす二人の面白いこと面白いこと!

料理の方は、酢イカ、柏の黒和え、玉子のふわふわ、
御挽き茶(抹茶)、お菓子(有平糖=ポルトガルから伝わったキャンディー)、柏など。

暇乞いにあたって福岡は、口上を述べ、ご馳走のお礼として3mほどの縄を使った富引(福引)を持ってきて、屏風の陰に隠れて袋を握った。
そして、無礼講の御免として、屋形殿を始め上下分ちなく、無刀にて縄を引き、屋形殿はエビラ、才殿は碁盤、神村は叩き鉦、
湯浅将監は下僕「毛八」、松田将監は箸箱、黒川道伯は床枕、橋庄蔵は腰元「たん」、猿楽師は猫、宮森道林は笛を引き当てた。
何と面白いことだろうか!

やがて上下ともくたびれ果て、宴はお開きとなった。

この乱酒で両家の家臣団12人が呑んだ酒は、合計6斗6升。
山田助九郎は5升、福岡十太夫は7升、黒川道伯は8升、神村は9升呑んでいる。

299 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/06(木) 22:24:48.38 ID:lDWxsm2t
翌日、屋形殿と才殿は9つ刻にお起きになり、御書院で食事を振舞われた。
神村達にも同じ料理を具足の間で振舞われた。

この時のメニューは

・鯛のなます。かまぼことアワビ入りのイモマキ汁。赤貝の澄まし物。粟飯。

・ドジョウ汁、焼き海苔(アマノリツクモ)。御酒1返。

・酢イカ。御酒1返。

・さざれ石という大皿鉢に、大根、人参、干瓢、きくらげ、紫海苔、柚子、サザエ、ニシ貝等の酢の物。

・酒1返。猿の木耳焼き。

・引き茶。御干菓子。(ただし、才殿には雀の焼き鳥)
であった。

これで才殿はお暇を乞われ、溝居へお帰りになられた。
なお、才殿からは鶴1羽、延命酒5升、鯉1コン、タイ1枚、勝男10節。神村からは鴨2羽、勝男10節がお礼として届けられた。

なお、相賀光重と下毛野武盈は、天正元年、赤松則房が宇野下野守をもてなした際にも狸食を出しているが、この時は精飯でなく、蕎麦に汁をかけている。


関連
「赤松のシェフ2」


300 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/06(木) 22:32:14.15 ID:kfvVTbbn
夜中なのに腹が減った、どうしてくれる

301 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/06(木) 22:46:20.26 ID:lDWxsm2t
訂正です。
×猿の木耳焼
○猿の木取焼(ことりやき)

でも、どんなものかは分からない。

302 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/06(木) 22:49:31.01 ID:qxnoQLjT
赤松…、宴…、うっ、頭が!

303 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/06(木) 23:25:56.97 ID:mKEDwHO3
今から食べるとまた肥るんだよなー。

でも喰いたい。
赤松の献立には及ばぬが喰うぞ!

304 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/06(木) 23:47:25.36 ID:j1QXlBv9
玉子のふわふわ って何なんだ

305 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/06(木) 23:51:04.11 ID:r/x/pdyV
http://ja.wikipedia.org/wiki/たまごふわふわ
これ?江戸時代からとか書いてるけど

306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/07(金) 00:20:16.37 ID:2Xilqmmi
9升も飲むのかよ!さすがは酒も豪傑じゃ。

307 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/07(金) 00:22:27.12 ID:2Xilqmmi
でも当時って塩味ばかりなんだよね。料理人も苦労したろうな。

308 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/07(金) 00:27:36.23 ID:523ZGKqr
醤油が誕生したのが家康の将軍宣下と同年なんだよね

309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/07(金) 00:29:59.23 ID:9TqkH9Uq
まあ濁酒だろうし
それでも9升は多いが

310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/07(金) 00:54:10.41 ID:7Bv4cmy6
夢前町のみなさん!
地域おこしグルメとして復元してみては?
家老の神村のメニューとか、いい感じに収まりそうだし。
鍵はやはり調味料か・・・

311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/07(金) 01:04:11.65 ID:2Xilqmmi
>>299
戦国時代、まだいまのような蕎麦はなかったってつい最近読んだ。当時はそばがきだって。

312 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/07(金) 01:39:27.44 ID:7Bv4cmy6
>>311
となると、随分イメージが変わってくるね。


ちなみに『播州置塩夜話 屋形物語』(天正2年正月1日 相賀重茂、毛野武盈)では、

「右方すまし汁しるわん、左方そばゆで盛食わん、わんの前に小皿にかうとう、とうがらし、わさび、葱細に、大こん、かつほ、柚等きざむ。
さて客、食椀ふたをとり、汁わんふたを取、汁にかうとう望次第かきまぜ、そばにかくれば、下より種々の物、下より出る。
出と云か、鴨、鯛、しいたけ、あはび、木くらげ、麩、せん、玉子、油とうふ、雪とうふ、同こんにやく、雪もち、あぶら上のにんじん、
牛房、かうぺう等出る。下もりに仕也。」

となってます。

313 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/07(金) 11:35:31.20 ID:xTjnP8DB
長楽寺永禄日記より、賢甫義哲(住持)の食事
この日記は永禄八年分しか残ってないので、一年を通した食事の内容に相当します

主食
麺(饂飩・碁子麺・38回)・餅(焼餅・善哉・76回)・飯(麦飯・湯漬・焼飯・雑炊・茶漬・小豆飯・揚花・芋粥・割粥・挽粥・276回)・饅頭(20回)・茶菓子(38回)・その他(打麦・雲門など)

食材
米(餅米を含む自家製)・小麦・大麦・大豆・大角豆・山芋・里芋
蕪・茄子(自家製)・葱・韮・大根(自家製)・ウド・榎茸・松茸・筍・鶯菜・東坡
瓜(自家製)・梨・柚(自家製)・栗・柿・蜜柑(自家製)・杏・桃
豆腐・海苔・麩・串柿・昆布・干松茸・茶(自家製)・煎餅・菓子・宇治茶

副食についての記述は少ない(61回)ので、実際にはさらに沢山の食材が使われていたと思われる
寺領中には田や茶園や果樹園があり、また立野としていた山野まで備えているため山菜は豊富に供給出来た
不足していたのは昆布や干松茸のような加工品で、これは遠隔地と取引している土豪から貰っていたようだ
ちなみにここは禅寺なので、魚類肉類は皆無・・・ではなく元旦には食している
麺・蛸煮・田楽・曳干(魚の干物)・雑煮 等を肴に年始の客とともに八日間にわたって酒を飲んでいた
酒と雑煮は特に、大工や寺民や鍛冶・草刈りに至るまで広く振る舞われたようだ
なお料理の味付けはほぼ味噌である

314 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/07(金) 13:21:21.06 ID:balV8J82
禅寺だけど韮はおkなん?

315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/07(金) 14:44:25.43 ID:KkgO+KmH
魚類肉類すら食してるんだからおkなんだろうねえ

316 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/07(金) 14:49:52.50 ID:KkgO+KmH
>>299
>なお、相賀光重と下毛野武盈は、天正元年、赤松則房が宇野下野守をもてなした際にも狸食を出しているが、この時は精飯でなく、蕎麦に汁をかけている。

天正元年なら宇野下野守は赤松政秀の事じゃないよね。息子の誰か?
それとも天正じゃなく元亀の元年?

318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/07(金) 18:59:56.10 ID:7Bv4cmy6
>>316
天正元年です。
「天正元年十月八日宇野下野守参上、夜食出と。ほら進上、鷹一羽、鯉二こん、鯛五枚・・・」

家臣団の名前から推測するに、宍粟郡長水城主・宇野下野守祐清かと。

319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/07(金) 20:05:51.58 ID:KkgO+KmH
赤松政秀が亡くなった後の
民部大輔の前の名乗りだったのかな?

323 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/08(土) 16:34:08.37 ID:nin/vNx8
>>314-315
それどころか酒まで飲んでるじゃないかw

寺社領を横領された恨みを

2014年01月06日 19:05

212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/05(日) 18:13:18.61 ID:M6lslDTX
軍師官兵衛のロケ地にもなっている姫路市の書写山。
ここの「書寫山十地坊過去帳」は、戦国時代の播磨を知るために欠かせない史料である。
とはいえ、過去帳ということもあり、記述自体はあっさりとしている。
例えば、

實嚴祐眞禪定門 浦上政宗。永禄七(年)甲子正月十一日、為政秀生害。(赤松政秀に殺害された)

徳雲院俊嶽性哲大禪門 赤松政秀。元亀元年十一月十二日、依毒死去。(毒によって死去)

錦岩秀公禪定門 廣峯肥前守。於英賀津、為浦上生害。(英賀の津で浦上に殺害された)

天柱性熈大禪定門 赤松左京太夫晴政。正月十六日。

號祥光院了堂性因大居士 赤松兵部少輔義村。永正十八年巳九月十七日、於室津、為浦上村宗生害云々。

心光宗圓禪定門 小寺美濃守職隆。天正十三年五月廿二日。

性祐禪定門 別所小三郎長治。天正八年庚辰正月十八日、於三木城自害。

專徹禪定門 宇野下総入道祐政。天正八年庚辰五月九日酉刻、於千種谷、為羽柴討死。
といった具合に。

しかし、たった一つだけ例外がある。

宗祐禪定門 鳥居安芸守職隆。
天正七(年)八月廿二日討死。赤松殿奉行也。落書に、「寺社領を好て鳥居安芸はてぬ 後は寺宮たちもこそせめ」。
乗馬の足に敵の矢立ちて、被討了。

このように、赤松義祐の奉行人・鳥居職種(職隆)の記事だけは異常に詳しく書かれており、書き手の悪意を感じずにはいられない。

寺社領を横領された恨みを過去帳で晴らすという挙に出た、大寺院のえげつない話。




213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/06(月) 01:17:35.07 ID:BdoPXo0M
坊主なんて自分の欲のために小坊主の歯を抜く外道じゃん
怨みがあったらボロクソに書くのは当たり前

214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/06(月) 01:29:57.59 ID:Vy+uaGjs
なんて酷い落書だ
誰が書いたのか見当もつかないが、鳥居を酷く恨んでいた勢力が疑われるな

216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/06(月) 10:29:39.58 ID:fKEqU5SC
>>213
フェラさせるために歯抜くのってシグルイの創作じゃなかったのか

222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/07(火) 14:14:27.84 ID:zcuJyd0S
>>216
吉原にも抜歯した遊女がいた