519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/09/12(日) 14:45:20.23 ID:ofsTfoaa
蒲生秀行と申すのは、童名は鶴千代、その後藤三郎と号した、蒲生氏郷の嫡子である。
家老・蒲生四郎兵衛(郷安)の所業により家中が二つに割れる、大きな騒乱が起こった(蒲生騒動)。
その咎により、百二十万石の会津を召し上げられ、ただ十八万石にて宇都宮に移されたため、
譜代の侍共の多くが会津に残り、新たに入部した上杉景勝に召し抱えられた。
そして徳川家康による会津征伐が行われると、秀行は密かに、自筆の書状を使者に持たせて
会津に残る元蒲生家の侍共に遣わし、このように伝えた
『お前たちは何れも、元々は蒲生家譜代の侍である。一旦上杉家に付いたといっても、
きっと旧恩を忘れてはいないと思う。
この度、お前たちには秀行に対して、宇都宮が関東方の一の手先である事を以て、関東の先手で
あるとして向かってくるのではなく、昔の契を思って、景勝を裏切ってほしい。
それ私にとって本望であるし、その上に大分の恩賞を出す。』
これに対し、栗生美濃守(初めは寺村平左衛門)、岡野(岡)左内、志賀与右衛門、布施次郎右衛門、
外池甚五右衛門、小田切所左衛門、高力圖書、安田勘介、北側圖書、等は何れも秀行の直書を
拝見し、返状を送った。その内容は
『思し召しの所、誠に以て浅からず、忝なく存じ奉ります。
さりながら古より申し伝わる事にも、人の禄を食む者は、その人のために死すとあります。
古主の御恩浅からずと申しながらも、差し当たって上杉の恩を受けながら裏切ることは
罷りなりません。殊更、景勝は現在天下を敵として受けられ、危ういことは目前に見えます。
こういった時に挑み、二心を差し挟むというのは、武士の恥辱です。
ではありますが今後御一戦に及んだ時に、秀行様が御難儀に及ばれた所を見かけた場合は、
我等は何れも馬を控え、進むこともしないでしょう。どうかこれを御恩報と思し召しになり、
裏切りは御免候へ。』
これを見た秀行は感涙を流し、聞く人も皆称嘆した。
(近世軍記)
蒲生秀行と申すのは、童名は鶴千代、その後藤三郎と号した、蒲生氏郷の嫡子である。
家老・蒲生四郎兵衛(郷安)の所業により家中が二つに割れる、大きな騒乱が起こった(蒲生騒動)。
その咎により、百二十万石の会津を召し上げられ、ただ十八万石にて宇都宮に移されたため、
譜代の侍共の多くが会津に残り、新たに入部した上杉景勝に召し抱えられた。
そして徳川家康による会津征伐が行われると、秀行は密かに、自筆の書状を使者に持たせて
会津に残る元蒲生家の侍共に遣わし、このように伝えた
『お前たちは何れも、元々は蒲生家譜代の侍である。一旦上杉家に付いたといっても、
きっと旧恩を忘れてはいないと思う。
この度、お前たちには秀行に対して、宇都宮が関東方の一の手先である事を以て、関東の先手で
あるとして向かってくるのではなく、昔の契を思って、景勝を裏切ってほしい。
それ私にとって本望であるし、その上に大分の恩賞を出す。』
これに対し、栗生美濃守(初めは寺村平左衛門)、岡野(岡)左内、志賀与右衛門、布施次郎右衛門、
外池甚五右衛門、小田切所左衛門、高力圖書、安田勘介、北側圖書、等は何れも秀行の直書を
拝見し、返状を送った。その内容は
『思し召しの所、誠に以て浅からず、忝なく存じ奉ります。
さりながら古より申し伝わる事にも、人の禄を食む者は、その人のために死すとあります。
古主の御恩浅からずと申しながらも、差し当たって上杉の恩を受けながら裏切ることは
罷りなりません。殊更、景勝は現在天下を敵として受けられ、危ういことは目前に見えます。
こういった時に挑み、二心を差し挟むというのは、武士の恥辱です。
ではありますが今後御一戦に及んだ時に、秀行様が御難儀に及ばれた所を見かけた場合は、
我等は何れも馬を控え、進むこともしないでしょう。どうかこれを御恩報と思し召しになり、
裏切りは御免候へ。』
これを見た秀行は感涙を流し、聞く人も皆称嘆した。
(近世軍記)
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