石谷貞清、大坂の陣の前年に

2014年09月15日 18:50

791 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/15(月) 17:08:46.71 ID:irorfXj1
石谷十蔵は八歳で父を失い、十六歳で元服して御奉公に出て大番に入り
土岐山城守組となった。

十八歳の時に辻忠兵衛の異見に「その方は器量骨柄は良いが武辺をする事
が出来ぬ生まれつきよ」と言われた。

十蔵は憤って「戦場に出たことはありませんから、出た時に事が成る成らぬ
は私自身にも判りません。それなのに他人に判る訳がないではないですか」
と答えた。

忠兵衛は「いやいやそういう事を言っているのではない。武辺を心がける
ものは命を惜しむものだ。その方の交友を見ると道具持ち或いは草履取り
などの類で、好む事と言えば博打や相撲。これでは大した事でも無いのに
命を軽く捨ててしまい、大事な戦いが来るまでに死んでしまうであろう。
惜しいことよ」と言った。

ここに至って十蔵は行跡を改めた。

(武功雑記)

石谷貞清、大坂の陣の前年に行跡を改めるという話




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愚老がむかし島原一乱に出陣した時

2014年04月15日 18:41

800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/14(月) 22:01:44.46 ID:QMKSShto
ある日、石谷土入(貞清)は太田某の家宅を訪ねた。亭主の太田は石谷老人が来訪したのを
とても喜び、饗応した後に長子を呼んで石谷に面会させた。

石谷は「御子息は何歳になられたのですか?」と尋ねた。太田は「十四歳です」と答えた。
これを聞いて石谷は「甲冑は用意させなさったのですか?」と言った。太田は答えて、
「まだ申し付けていません」と言った。

すると石谷は、「愚老がむかし島原一乱に出陣した時、ある陪臣が十三、四歳の倅を連れて
戦場を往来したのを見たことがあります。その様子は父子ともにひと器量ある者と見受けました。
武士たる者は子供だからといって、いつまでも家にばかり置いては大事の時の用に立ちません。
御子息にも早く甲冑をお与えなさい」と言った。

――『明良洪範』




801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/15(火) 01:26:17.71 ID:T7Ga6LeL
さすがに島原の乱をむかしと記する逸話はスレ違いかと

804 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/15(火) 07:08:04.62 ID:edWx2nWi
>>801
島原の乱の話なんだからOKなんじゃね?

805 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/15(火) 10:26:33.73 ID:DvbKzqHI
島原の乱要素が島原の乱のときに13,4の子供が戦場にいたって話しかないからイマイチ

806 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/15(火) 11:26:48.19 ID:YDFul9VB
島原の乱参加者による島原の乱の回想だから十分範囲内

807 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/15(火) 15:09:35.16 ID:DZwI8D85
アルマダ海戦でも三浦さん登場すればスレ範囲内だから逸話あれば語っていいよ