526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/20(金) 22:32:00.52 ID:KtL+lcuT
天正10(1582)年、伊豆方面で武田氏に対していた北条方では、戸倉城主・笠原政堯の寝返りや
笠原平左衛門(照重)の討ち死にもあって士気の低下が著しく
小田原での評定により、最前線である大平城の守備を玉縄城主・北条氏勝と交替させる事になった。
氏勝の軍勢が箱根を越えた頃、大平城から使者が来て
「おのおの方が城番としてやってくる事を敵が聞きつけ、三島の辺りに伏兵を潜ませたとの風聞があります
ここは軍勢を迂回させて城に入るのがよろしいでしょう。このまま進んでもし不意の合戦になっては交替もできなくなってしまいます」
と伝えた。
それを聞いた氏勝は
「もっともではあるが、敵をも見ずに迂回して城に入るようでは、戦う前からすでに相手は弱いと敵に知らせるようなものだ。
たとえ武田方が軍勢を配して待ち伏せしていたとしても、蹴散らして通るまでだ」
と答えて、”八幡大菩薩”と書いた大旗を差しかざしてまっすぐ大平城に向かい、やすやすと城兵の交替を済ませてしまった。
(小田原北条記)より
実際に伏兵がいたのかはさておき、兵書に言うところの
「正々の旗は邀(むか)うることなく、堂々の陣を撃つことなし」という感じの話
天正10(1582)年、伊豆方面で武田氏に対していた北条方では、戸倉城主・笠原政堯の寝返りや
笠原平左衛門(照重)の討ち死にもあって士気の低下が著しく
小田原での評定により、最前線である大平城の守備を玉縄城主・北条氏勝と交替させる事になった。
氏勝の軍勢が箱根を越えた頃、大平城から使者が来て
「おのおの方が城番としてやってくる事を敵が聞きつけ、三島の辺りに伏兵を潜ませたとの風聞があります
ここは軍勢を迂回させて城に入るのがよろしいでしょう。このまま進んでもし不意の合戦になっては交替もできなくなってしまいます」
と伝えた。
それを聞いた氏勝は
「もっともではあるが、敵をも見ずに迂回して城に入るようでは、戦う前からすでに相手は弱いと敵に知らせるようなものだ。
たとえ武田方が軍勢を配して待ち伏せしていたとしても、蹴散らして通るまでだ」
と答えて、”八幡大菩薩”と書いた大旗を差しかざしてまっすぐ大平城に向かい、やすやすと城兵の交替を済ませてしまった。
(小田原北条記)より
実際に伏兵がいたのかはさておき、兵書に言うところの
「正々の旗は邀(むか)うることなく、堂々の陣を撃つことなし」という感じの話
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