フロイス日本史より、岸和田城の戦い

2015年02月01日 17:36

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/31(土) 21:18:35.19 ID:yxZSJj8x
羽柴がこのたびの戦いのために大坂を出発した後、根来および雑賀と称する仏僧らは、
かねがね自分たちが羽柴から好ましからず思われているのを承知していたので、
彼が戦争から凱旋してきた暁には来襲するであろうと見なし、彼の不在に乗じ、約一万五千名が一団となって出撃し、
羽柴が大坂に築いた新しい都市をすべて焼き滅ぼしてしまおうと決意した。
そして城を占拠したうえは、かつて信長が五年も六年も攻囲したかの僧(=顕如)を再びそこへおらしめることにした。
城と市には少なくとも戦えるほどの者とてはほとんど居なかったのみならず、当時はなお新たに建築中であったので、
城全体が開放されていた。
敵は徐々に前進し、途上幾つかの場所を破壊したり、焼いて行ったりで、四日ないし五日もかかった。
大坂にいた人々は、この有様では市は全滅してしまいまともな物は何一つ残るまいと思えたので、
あとう限り家財や衣服を搬出し、火の手が迫った家屋を放棄した。
市内外の街路には、すでに盗賊が充満しており、物を携えて歩行する者は、ただちに襲われて略奪される外はなかった。
こうした街路での略奪は、かつて安土山が焼き尽くされた時(=本能寺の変)とほとんど同じような様相を帯びるに至った。

当時大阪にはオルガンティーノ師が、いま一人の司祭および二人の修道士とともにいたが、急きょ家財をまとめて乗船することとし、
教会は火勢の赴くままに任せることにした。
もとよりオルガンティーノ師はそこから去るつもりは毛頭なかったが、キリシタンたちは、
「司祭らはたとえ同所に残留したとて不必要に死ぬだけであり、自分たちに多大の苦痛と悲嘆を及ぼすに過ぎぬ」
と言って退去することを強要したからであった。

この状況下に、羽柴は和泉国のキシワダという城に六、七千名の兵を率いる一司令官を配置した。
この司令官はすこぶる勇敢で著名であり、名をマゴイチ(=孫一、中村孫平次一氏)と称した。
そして同城は敵が必ず通過せねばならぬ道にあったのだが、敵は羽柴がそこに守備隊を置いていることを知らず、
実際に彼らが味わうことになったような強硬な抵抗のことを予想していなかったので、城は容易に奪取できるものと考えていた。
だが孫一は全軍を挙げて攻撃に出、敵に非常な損害を与え、短時間に四千余名ほどの敵兵を殺戮した。
五畿内においては、自らが討ち取った敵の首級を指揮官に差し出す習わしであったが、各兵士はすでに疲れていたので、
敵兵の耳だけを切り取って行った。
こうしたことは敵兵が大坂に到着する五、六里手前で起こったのであるが、
後方から進んできた連中のこの敗北はただちに大いなる反響を生むに至り、
前方を進んでいた連中は失望落胆して急ぎ引き返した。
彼らに対しては、足が悪い者や片腕の者、さらに老人や少年たちまでが立ち向かい、
彼らは勇気百倍して敵兵を片端から殴殺して行った。
もしも彼らに(夜間が迫るというような)都合の良いことが生じなければ、ほとんど誰も逃れることはできなかったであろう。


フロイス日本史より、>>609と同じ戦いの様子



616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/01(日) 09:02:54.29 ID:LLpilcH7
>>613
非常時に盗賊が跋扈するって見るたびに、やっぱりそれが普通でいまの日本人が世界的に見ても異質なんかなあと感じる

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岸和田合戦

2015年01月31日 17:03

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/31(土) 13:56:14.66 ID:u+cnralg
秀吉が小牧に陣を出す時、紀州の根来・雑賀の一揆を抑えるために、中村式部少輔一氏を
岸和田の城に置きなされた。

紀州の一揆は秀吉が大坂を打ち立つと聞いて、2万3千ほどの勢が二手に分かれ、一手は
東の山際から堺に向かい、一手は岸和田に押し寄せた。すると、血気にはやる若者たち
2,3騎が城を出て、攻め寄せる軍勢に向かって行った。

士大将の早川助右衛門、川毛惣左衛門は「引き返せ!」と、使いを送ったが、それを聞いた
一氏は、「このような時に、行き続く武者を引かせようとすれば、敗北するものだよ。
さあ、打ち出よう!」と、言って、“鉄蓋が峯”と名付けた兜の緒を締めて、城を乗り出した。

先に進んだ者たちは、菅笠の馬印を振り返って見て、「あっ、殿がお出になれた! この戦は
勝ったぞ!」と、言う間こそあったが、1万余りの紀州勢に対して面も振らず切りかかって
打ち破り、敵が七筋に分かれて逃げるのを追った。

一氏は3百ほどの勢で堂の池という所に控えて、先陣が帰るのを待った。そんな折に、堺海道に
馬煙が暗く見えた。これは堺に向かった敵が返して来たのだ。「新手の大軍に駆け合って戦う
なんて、思いも寄らないことだ。早く城に立て籠もろう!」と、人々が口々に言うと、一氏は、

「いやいや、退けば味方の気力が挫けて打ち負けることだろう。一寸でも退く時は、
先陣を捨て殺すことになり、城をも攻め落とされることになる。一揆は何百万といても、
先陣をさえ切り崩したならば、二陣はたちまち敗北することであろう。私に任せよ!」

と言い、敵が同時に攻め掛かり難い地の利を推量し、堂の池を前にして大敵をお待ちになった。

一氏は、「馬をことごとく城へ返すのだ。馬を引き付けておくと、引き退きたい心が生じるぞ」
と言って、床几に腰かけ、本陣3百ほどの勢は槍を膝の上に置いて片ひざをついた。

新藤勘左衛門は強弓、矢継早の手利きであった。彼はこの時、散々に射た。敵が射られて怯み、
手負いや死人が倒れ重なって躊躇った時、一氏は、「弓の者の羽壺(矢入れ具)を、勘左衛門に
渡せ!」と下知なされたので、勘左衛門はますますつがえては引いて、つがえては引いて、
矢に空矢は無かった。一氏は麾(ざい)を取り、「掛かれ!」と言って立ち上がった。

ところで、黒田如水は大坂にいたのだが、岸和田に敵が押し寄せると聞き、14歳になった
息子の長政が岸和田にいたので「いざ救うぞ!」と言って、7百ほどの勢で敵の後ろに駆けて来た。
これを見て一氏はますます進んで、喚き叫んで切って掛かり追い立てて、8百余りの首を取った。

如水が「長政はどうしているだろう」と思っていると、長政は黄羅紗の羽織を着て鹿毛の馬に乗り、
今朝討ち取った首を鞍の四方手に付けて馳せ巡った。それを見て如水はたいへんお喜びになった。

秀吉は一氏に感状を賜った。一氏は豊臣家諸将の中でも優れた勇将なので、加藤嘉明も羨み慕い、
息子の明成を式部少輔にしたということである。

――『常山紀談』



610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/31(土) 14:32:25.26 ID:9HoDTP3/
信長を苦しめた雑賀衆が中村一氏ごときに追い散らされる様子が想像出来ない

612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/31(土) 21:11:47.00 ID:vlWoQ0Mm
孫一とかは秀吉側でしょ?
本能寺の時に逃げ出してから勢力を維持してるとも思えないけど

614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/31(土) 23:08:49.07 ID:23jTJFzj
>>610
根来雑賀は籠城戦では力を発揮するが野戦だとてんでダメなんだよなぁ

615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/31(土) 23:28:31.87 ID:TtK/bThA
つか雑賀は石山本合戦の講和のあと、内部分裂して争い始めてるしなあ。
それで雑賀の鷺森に退去してた本願寺顕如の身の回りも危険になって、信長がわざわざ警備兵派遣したりしてる

式部少輔は、太閤様に分別を申し上げた

2015年01月23日 18:52

591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/23(金) 01:11:00.74 ID:TqpKgmMl
小田原の陣において、北条方の支城である山中城が激戦の上攻略されると、太閤様(豊臣秀吉)は
内府公(徳川家康)、信雄公を相手にしながら、中納言殿(豊臣秀次)、次に丹波の少将殿(豊臣秀勝)より
戦いの模様を聞いた。その中でも特に奮戦した中村式部少輔(一氏)に関しては
「式部少輔は中納言(秀次)に付けていたが、今度の手柄をよく吟味して、相応の取り計らいをするように。」
と申し付けた。その上で今度の戦いの褒美として、中納言殿に御腰物、御太刀、御馬、少将殿に御腰物、御馬を
遣わされた。

そうして太閤様は中村式部少輔を召し出し、自身が着ていた唐織の羽織を脱ぐと、式部少輔に手づから着させ、
「今度の手柄を奉行に申し付け、褒美として国を与える。」と直々に伝えた。
これに、その場に居並ぶ諸大名衆、残らず「尤もなことである」と、感じ入った体で、式部少輔の
冥加に叶いたる段、身に余ることであった。

所がそれに続いて、太閤様が仰ることには
「中納言に付いた人持ち(部隊長)には、私から羽織を与える。今回、山中に早く着いた順番に呼び出し、
式部少輔より渡すように。」
と仰せになり、小姓衆が羽織を一つ一つ運び、式部少輔の脇に置いていった。

これは内府公、信雄公を始めとした諸大名の面前で行われていたが、この事について誰も特に言い出す
様子はなかった。そこで式部少輔は、太閤様に分別を申し上げた

「今度の合戦の様子、軍勢についても如才無く運用されたと言いましても、早い遅いは、それぞれの心に任せて
出来るものではありません。何れの者達も、油断していたわけではないのです。そのことは御眼前にて
ご理解されていると思います。
従って、御羽織を拝領して頂く事については、一同に召し出して拝領させて頂きたいのです。」

これを聞いて、内府公は信雄公の方を向いて言った
「式部少輔の申し上げた事、尤もな発言であります。」

諸大名もこれに、どよめきたって同意した。そこで太閤様も「では、そのようにしよう」と仰せられた。

これは中村式部少輔が、私(渡辺勘兵衛了)を相手に語ったことである。

(渡邊水庵覚書)



592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/23(金) 13:51:16.13 ID:+CjCiSmu
これって中村一氏が一番乗りを果たした渡辺了への知行を値切る口実に使われた
「悪い話」じゃないの?

中村一氏、三成の挙兵のタイミングについて

2013年04月26日 19:50

391 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/25(木) 20:59:27.35 ID:56dO5KAK
慶長5年(1600)、関ヶ原の役
上杉征伐に向かっていた家康とその軍勢は、下野国小山で石田三成の挙兵を知る
この時、従軍していた中村式部少輔(一氏)はこのように言った

「石田の企ては、30日遅く、30日早かった。もし我々が上杉勢と交戦している最中に挙兵すれば、
彼の計画は図にあたっただろう。
また我々が江戸に到着する以前に挙兵し追い打ちをしかければ、大いに利があっただろう。」
(紀伊國物語)

中村一氏の、三成の挙兵のタイミングについての感想である。




392 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/25(木) 21:45:30.46 ID:/G2hYSqy
上杉と交戦しなかった家康がスゴイと思う

393 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/25(木) 21:47:50.82 ID:y4biFIZl
小山まで従軍してたのか、亡くなる前後のはずだからてっきり駿府で臥せってるのかと

394 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/25(木) 21:59:49.78 ID:uQnskR5u
>>392
交戦しようとした矢先に三成挙兵の報が入っただけ
それがなかったらそのまま上杉と交戦してる

395 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/25(木) 22:05:04.88 ID:MI+/cINI
>>394
そういえば中田正光先生の『北の関ヶ原合戦 ~北関東・東北地方で戦われた「天下分け目」の前哨戦』で、
「上杉は家康と戦う気はなかった」と断言してた。上杉の面子を保つ範囲で家康との講和を目指していたとか。

397 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/25(木) 23:49:24.50 ID:o7TINGEP
>>393
史実では西軍が決起した頃に死んでる。

422 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/27(土) 01:40:35.58 ID:FkzD9Ro4
>>397
そうか…
関ヶ原まで生きていてくれれば、タコを召喚して面白いことになっていたのに

竹田五兵衛の大指物

2010年07月08日 00:00

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/07(水) 18:49:07 ID:BVbUiaie
中村一忠の家臣、竹田五兵衛は、一忠の父、中村式部小輔一氏の姪の子であり、
当時、無双の大力として有名であった。
彼は2間(約3,6メートル)余りもある、大鳥毛の指物を用いていた。

慶長五年(1600)、家康の会津征伐に中村一忠は従軍することとなる。
当時、重い病の床にあった中村一氏も、出陣の行列を観兵するため駿河城の
玄関まで出てきた。

この時竹田五兵衛は、誇らしげに件の大指物を指していた。
しかしこれを見た一氏は苦言を発した

「五兵衛よ、そんな大指物を指していては、戦場での機敏な駆け引きがおぼつかないではないか。」

これを聞いた五兵衛は返答もせず、突然その指物をつけたまま、側の塀に飛び上がった。
そこからまた軽々と飛び降り、側にいた弟の三十郎に向かって語った

「殿は武士に対して、軽率なことを言われるものだ。私は今回の陣できっと、忠死することに
なるであろうよ。」

自分はこの指物をつけたまま大いに働く自信がある、だがもし今回の軍陣で働きが悪ければ、
大指物を着けることは間違っているという、一氏の発言を肯定してしまうことに成る。
武士としてそのような恥辱を受けることは耐えられない。そのため自分は今回の戦で、
討死を覚悟した働きをする。五兵衛は、そう言っているのだ。

後でこの事を聞いた一氏は、自分の発言に、大変に後悔したと言う。


竹田五兵衛は一忠と共に家康に付き従い、言葉の通り晴れがましく戦い、関ヶ原において
見事な討死を遂げたという。享年、23歳であった。

一方、中村一氏は出陣式の後病状を悪化させ、関ヶ原の戦いの直前、慶長5年7月17日
(1600年8月25日)に死んだ。


武士への言葉というものの重さ、という話である。




752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/07(水) 20:13:53 ID:dvWyR56M
>>749
中村さんは有能なんだろうけど
失言も多いイメージだなあ

中村一氏と加藤明成、二人の式部少輔

2010年05月17日 00:04

968 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/16(日) 21:03:20 ID:hUh25fK5
中村一氏は秀吉の最も古くからの家臣の一人であり、様々な戦いに参加し、武功を挙げてきた。
小牧長久手の戦いの際に雑賀・根来衆の一揆から岸和田城を守り抜いた功により、翌年には近江水口城主となり、
従五位下式部少輔に叙任される。

一氏は秀吉の家臣団の中でも、とくに武勇に優れた人としてその名を知られていた。
賤ヶ岳七本槍の一人・加藤嘉明などは、一氏の武勇にあやかりたいと思って、息子の明成を式部少輔にしたほどであった。


しかし、式部少輔を受け継いだ加藤明成という人物は、どうにも評判が良くない人物であった。
家臣団と対立し、度重なる城郭改築からくる財政難のために圧制を敷き、民から金を巻き上げていった。

それもただ金銀を集めるのではなく、彼が集めたのは一分金ばかりであった。
人々は官名の式部少輔に引っ掛けて、加藤一分殿と揶揄したという。



式部少輔にまつわる、中村一氏のいい話と加藤明成の悪い話。




中村一氏、山中城攻めで・悪い話

2009年06月09日 00:06

134 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/08(月) 22:46:56 ID:jrJ0angC
小田原の役で堀尾吉晴が山中城を攻めた時のこと。
吉晴は好条件な場所を陣地にしていた。ところで中村一氏も参戦していたのだが、
一氏は吉晴の場所を見て「あそこいいなぁ」と思っていた。そこで一氏は・・・

「秀次様。あそこを俺の陣地にしたいんですけど」

「ん?まぁ、いいんじゃない」

なんと秀次に頼んで吉晴の場所を横取りしちまった!?
かくて一氏は一番乗りの武功を立てたのであった。

堀尾吉晴といえば温和な性格で知られ、仏の茂助と呼ばれた男だ。
しかしさすがの彼も怒った。いや怒ったどころじゃない。キレた。

「ザケンな一氏ィ!!」

吉晴は秀次の前だというのに一氏と差し違えようとした。
その勢いは秀次の家臣が懸命に引き止めるほどの怒りようだったとか。
おとなしい人を怒らせてはいけないぞ、というお話。




135 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/08(月) 22:55:35 ID:KL0xxXjL
>>134
中村一氏はこの山中城での功で、戦後駿河14万石頂いちゃったんだよなー。
そりゃ流石の堀尾も怒るわw

136 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/08(月) 22:56:05 ID:P4hiK0IA
>134
中村さんは一氏の倅が関ヶ原後にやらかしてしかも夭折、改易だっけか。

中村一忠、柳生宗章を巻き添えにして

親父殿のこすい行いが倅に伝染してしまったのか……

とか言いながら堀尾氏も途中で絶えちゃったんだよな。

137 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/08(月) 23:01:16 ID:KL0xxXjL
堀尾さんは色々と松江の祟りにやられた。

138 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/08(月) 23:01:43 ID:8fQmjvGF
仏の茂助も切れるのか…

139 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2009/06/09(火) 00:02:13 ID:Q17yXt8x
>>74
山中城に言った事があるが、北条時代の空堀がよく残っているんだよ。
まさか仏の茂助や中村一氏が攻めたとは思わなかったが。
攻撃側は相当無理して攻撃したかも知れないな。

140 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/09(火) 00:09:26 ID:ZPMP6IPT
>山中城攻略戦
一柳直末が戦死しているが、攻城側の名のある武将が戦死するってかなり異例だよね

141 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/06/09(火) 00:36:30 ID:VTjbFHJF
>>138
きっと以前に二回ほどなにかをやらかしてたんだよw

142 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/09(火) 00:42:51 ID:mB4i2aZh
最後の大戦功立てるチャンスだからねえ。関東攻略

143 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/09(火) 01:12:21 ID:49Ug6RmU
と思ったら、その後に朝鮮半島が待っていたのでした
(結果は戦功以前に飢餓地獄だったけど)

144 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/09(火) 02:10:12 ID:cs9ufI6K
一方、残る中老生駒親正は秀吉の命を無視して十河の遺児をぬっころして領地を横取りした

145 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/09(火) 03:10:50 ID:FO0+bYog
親は友に陣地を奪われ、
子は親の友に進言を横取りされて・・・

友達は選ぼうぜ

146 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/09(火) 06:57:20 ID:E6TC8WQI
中村一氏といえば戦国幻想曲

「のう勘兵衛、その陣羽織をわしに、くれぬか」
「なんと、しわくさい殿様か・・・」
「あっ、勘兵衛待て」
「我が主には、不足も不足」
「待てって」
「ふん!!」であった。

147 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/09(火) 11:43:58 ID:N1xcUQqr
>>136
そのこすい倅のアイデアを盗んだ奴は明治維新どころか現代まで家を残してるんだよなw

148 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/09(火) 13:08:43 ID:vS3yEoUU
>147
それ堀尾の倅ぢゃ……

149 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/09(火) 19:05:35 ID:tdMDg3Of
中村一氏の嫁ってそういえば鬼武蔵の嫁でもあったな。

168 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/09(火) 23:45:02 ID:N+Ch1Reh
>>134
亀レス失礼。
堀尾さんって、顔立ちが「美婦人」のように優しく、平素は柔和温厚なので「仏茂助」と言われとったが、
戦に望んで敵をぶっ殺したり、人と理を争う時の威勢は半端じゃなくて、ラスボスをして
「鬼茂助の方があっているだろ」と言わしめた存在だぞ。

170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/09(火) 23:54:54 ID:EgGF1ZR6
ラスボス公認の鬼だって~!
まさにKingOf鬼称号

171 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/09(火) 23:57:03 ID:PttN1fTh
秀吉は天下一とか天下無双とか、称号ほいほい与え過ぎて、イマイチ有難味が無い。


中村一氏の一番槍・ちょっとかっこ悪い話

2008年11月07日 00:10

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 10:01:54 ID:Plj2b5at
無数の蛸に命を救われた逸話を持つことで有名な男中村一氏さんの数少ないお話

後北条攻めの時山中城攻略を一柳直末さん(ここで戦死。秀吉が「直末死んじゃたら
関東得ても全然うれしくないぉ。・゚・(ノД`)・゚・。」と数日口をきかなかったという)らとともに担当した時
家臣の渡辺さん「この辺が殿の正念場ですな。ここで味方出し抜いてでもものすごい手柄立てましょうや」といわれ
最初は「いやこっち大軍だし・・・」と渋っていたものの乗せられて出撃
渡辺さんは中村さんを引きずるようにして軍勢の先頭を駆け城壁に到達
引きずられてきた中村さんは「ちょ、ちょっと頼むからやすませて」とぜーはー状態
渡辺さんはしょうがなく「なら殿はここで好きなだけ休んでなさい!」とそばにいた中村家の旗担当の成合さんをひっつかみ
成合さんが突っ込みいれるまもなく引きずりながら突撃。そのまま城内に到達すると
「中村式部少輔一氏、一番乗り―ー!!!」と叫んだ
モチロンのお手柄である上に中村さんは水口城主の大名で攻めての大将の一人
それ自らが一番のりをしたということで豊臣軍全員超びっくり
結果山中城は他の人の頑張りもあって落城。秀吉は御褒美に羽織を中村さんに与えました。
中村さんは「これはお前の手柄だからお前が受け取るべき」と渡辺さんに与えようとしましたが
「俺は殿に手柄立てさせようとしてやったの。それに合戦は俺の趣味なんでそんなもんいらん」と拒否
「それじゃ家来の手柄奪ったみたいで心苦しいし」といっても断固拒否
しまいには「そんなにいらなけりゃその辺の犬猫にでもあげれば」と言われ中村さん、
出したものをひっこめる羽目になり大いに面目を失う
その後渡辺さんは中村家を辞した。中村さんは
「もったいない人だったけどわしの器じゃあいつの手綱はさばけないよね(´・ω・`)」と嘆息したという

中村一氏さんのちょっと(かっこ)悪い話
でもちょい前のドラマではこの中村さんたちのお手柄は
主役の山内さんの活躍に奪われてしまい(山内さんもいたのは事実だけどね
ただこのあと駿府14万石になった中村さんと掛川6万石の山内さんでは
どっちのほうが活躍していたかはこれみても一目瞭然)山中攻めのシーンでは取り上げらることもなかった
ただでさえ逸話が少ない上に子孫は大名として残れなかった人なのにカワイソス('A`)
ちなみに渡辺さんはこの後中村→増田→藤堂といずれも数千石から万石級で仕え
最終的に京都で銭湯(のようなもの)の経営者として1640年に世を終えました



612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 10:16:22 ID:QoMNwvO6
>>610
渡辺さんが(かっこ)いい話でもあるね。

614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 10:32:26 ID:zTiDNPRw
>>610
渡辺勘兵衛はその武勇を持って戦闘に明け暮れ、晩年は銭湯に明け暮れたということですね
わかります

615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 10:37:49 ID:ZWw68KdZ
結構良い人生だな戦国にしては

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 11:05:28 ID:A9s9D/RD
るいよ・・・もんよ・・・

617 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 12:33:46 ID:AjQij0V+
>無数の蛸に命を救われた逸話を持つことで有名な男中村一氏さん
戦国初心者の俺知らないw何なのコレ気になるw
前スレとかにあったっけ?

640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 22:24:29 ID:u3cnNSau
>>616
戦国幻想曲
結局妹二人の消息わからず仕舞いだったよなw

中村一氏と蛸地蔵さま・むかし話

2008年11月07日 00:07

617 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 12:33:46 ID:AjQij0V+
>無数の蛸に命を救われた逸話を持つことで有名な男中村一氏さん
戦国初心者の俺知らないw何なのコレ気になるw
前スレとかにあったっけ?


618 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 13:11:27 ID:XD3awMaP
>>617
蛸地蔵のお話

むかしむかし、おおむかし、岸和田にはお地蔵様の奉納されている立派なお寺がありましたが、
洪水で海に沈んでしまいました

天正の時代になると岸和田に立派な城ができ、中村一氏が城主になりました(松浦氏の話もあり)
あるときその城に。雑賀から大軍が攻めてきました。このままではお城が持たない。そのときです

海の方から巨大な蛸に乗った、大法師があらわれ、敵陣の中につっこみ縦横無尽に暴れました。
しかし敵は大群、大法師も取り囲まれ、これまでかと思われました。すると、

地鳴りのようなものが起こったかと思うと、今度は海から、何千何万とも知れない
蛸の大軍が現れました。
蛸の大軍は雑賀の軍隊に向かって次々と墨を吐き、彼らはたまらず退却して行きました。

岸和田城の人たちが喜んでいると、蛸と大法師はいつの間にか、消え去っていました。

その後、岸和田城のお堀で、大きな蛸を見た、と言う者が現れました。そのころお殿様の夢に、
お地蔵様が現れて『この間の戦いで敵を負かしたのは、この地を守る地蔵であるぞ』と
おっしゃいました。

不思議に思った殿様は、城の堀を隅々までさらわせると、そこから泥にまみれた
お地蔵様が出てきました。

殿様はこれをきれいに磨き、立派なお寺を立てそこに安置ししました。
このお地蔵様は「蛸地蔵」と呼ばれ、岸和田の守り神として、
今も人々に深く信仰されておるそうじゃ。

4m1h6h6[1]



619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 13:45:35 ID:AjQij0V+
>>618
こんな話だったんだ、現実味が無い良い話?だw
わざわざありがとう!

620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 15:36:02 ID:esXwpYEn
地蔵の人助けは普通としても、タコがシュールすぎるw

621 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 15:41:10 ID:3Y+nM+lz
何か雑賀衆にとったらホラーだなwww


622 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 16:05:36 ID:EF95JZad
雑賀衆といえば銃。
タコといえば触手。
…まんまエイリアンじゃん。

623 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 16:23:18 ID:7/3KENL6
映画化したら歴史物だかホラーだか昔話だかよくわからんものができそうだ。

因みに現在の岸和田でも蛸断ちつって蛸食わないらしい。
でもたこ焼きつったら大阪名物だし、蛸食えないのはストレスたまりそうだが。

624 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 16:36:32 ID:7G8/OZfl
>>618
後に実写化され名作オクトパスIN N.Y.が誕生するとは・・・

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 16:59:45 ID:QXBcOoGk
普通の昔話なら巨大タコに乗った法師様が出てきてびっくりした敵兵が総崩れ、
めでたしめでたしになりそうなもんだが
敵に囲まれて法師様まで苦戦しちゃってるのが妙なシュールさを醸し出してるな。

626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 18:35:47 ID:Yjgk98/e
海外版だと巨大タコに絡め取られた大法師が湖に沈んでいくエンディング

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 18:54:19 ID:CtWeh1XG
触手プレイハアハア

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/06(木) 19:06:28 ID:U0CSg4wZ
まず北斎漫画が頭に浮かんだオレはもうダメかもしれんねw