609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/31(土) 13:56:14.66 ID:u+cnralg
秀吉が小牧に陣を出す時、紀州の根来・雑賀の一揆を抑えるために、中村式部少輔一氏を
岸和田の城に置きなされた。
紀州の一揆は秀吉が大坂を打ち立つと聞いて、2万3千ほどの勢が二手に分かれ、一手は
東の山際から堺に向かい、一手は岸和田に押し寄せた。すると、血気にはやる若者たち
2,3騎が城を出て、攻め寄せる軍勢に向かって行った。
士大将の早川助右衛門、川毛惣左衛門は「引き返せ!」と、使いを送ったが、それを聞いた
一氏は、「このような時に、行き続く武者を引かせようとすれば、敗北するものだよ。
さあ、打ち出よう!」と、言って、“鉄蓋が峯”と名付けた兜の緒を締めて、城を乗り出した。
先に進んだ者たちは、菅笠の馬印を振り返って見て、「あっ、殿がお出になれた! この戦は
勝ったぞ!」と、言う間こそあったが、1万余りの紀州勢に対して面も振らず切りかかって
打ち破り、敵が七筋に分かれて逃げるのを追った。
一氏は3百ほどの勢で堂の池という所に控えて、先陣が帰るのを待った。そんな折に、堺海道に
馬煙が暗く見えた。これは堺に向かった敵が返して来たのだ。「新手の大軍に駆け合って戦う
なんて、思いも寄らないことだ。早く城に立て籠もろう!」と、人々が口々に言うと、一氏は、
「いやいや、退けば味方の気力が挫けて打ち負けることだろう。一寸でも退く時は、
先陣を捨て殺すことになり、城をも攻め落とされることになる。一揆は何百万といても、
先陣をさえ切り崩したならば、二陣はたちまち敗北することであろう。私に任せよ!」
と言い、敵が同時に攻め掛かり難い地の利を推量し、堂の池を前にして大敵をお待ちになった。
一氏は、「馬をことごとく城へ返すのだ。馬を引き付けておくと、引き退きたい心が生じるぞ」
と言って、床几に腰かけ、本陣3百ほどの勢は槍を膝の上に置いて片ひざをついた。
新藤勘左衛門は強弓、矢継早の手利きであった。彼はこの時、散々に射た。敵が射られて怯み、
手負いや死人が倒れ重なって躊躇った時、一氏は、「弓の者の羽壺(矢入れ具)を、勘左衛門に
渡せ!」と下知なされたので、勘左衛門はますますつがえては引いて、つがえては引いて、
矢に空矢は無かった。一氏は麾(ざい)を取り、「掛かれ!」と言って立ち上がった。
ところで、
黒田如水は大坂にいたのだが、岸和田に敵が押し寄せると聞き、14歳になった
息子の長政が岸和田にいたので「いざ救うぞ!」と言って、7百ほどの勢で敵の後ろに駆けて来た。
これを見て一氏はますます進んで、喚き叫んで切って掛かり追い立てて、8百余りの首を取った。
如水が「長政はどうしているだろう」と思っていると、長政は黄羅紗の羽織を着て鹿毛の馬に乗り、
今朝討ち取った首を鞍の四方手に付けて馳せ巡った。それを見て如水はたいへんお喜びになった。
秀吉は一氏に感状を賜った。一氏は豊臣家諸将の中でも優れた勇将なので、
加藤嘉明も羨み慕い、
息子の明成を式部少輔にしたということである。
――『常山紀談』
610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/31(土) 14:32:25.26 ID:9HoDTP3/
信長を苦しめた雑賀衆が
中村一氏ごときに追い散らされる様子が想像出来ない
612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/31(土) 21:11:47.00 ID:vlWoQ0Mm
孫一とかは秀吉側でしょ?
本能寺の時に逃げ出してから勢力を維持してるとも思えないけど
614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/31(土) 23:08:49.07 ID:23jTJFzj
>>610
根来雑賀は籠城戦では力を発揮するが野戦だとてんでダメなんだよなぁ
615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/31(土) 23:28:31.87 ID:TtK/bThA
つか雑賀は石山本合戦の講和のあと、内部分裂して争い始めてるしなあ。
それで雑賀の鷺森に退去してた本願寺顕如の身の回りも危険になって、信長がわざわざ警備兵派遣したりしてる