909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/08(木) 18:35:41.05 ID:O8SFodjS
(ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-8452.htmlの続き)
後年、前述の甲斐守(本多政朝)が死去した時、前述の男子(本多政勝)は当時は
内記といったが、甲斐守の家督を相続した。だから系図では出雲守忠朝の孫に当たるが、
実は忠朝の嫡子であるから、父の家督を継いだのである。
しかし、忠朝以来五万石のところをこの度四万石にされ、残り一万石は一家の
能登守忠義へ加増されたので、忠義は五万石になり、政勝は四万石であった。
その頃の御定めでは五万石以上は乗輿、それ以下は馬上である。それが理由なのか、
政勝は四万石を受けなかった。一家の衆中は、
「たとえ一万石減るとしても、父の跡を継ぐのですから四万石をお受けするべきです」
と言ったが、政勝は承知しない。そこで細川越中守忠興を頼り、忠興が意見に及んだ時、
政勝は「父の出雲守忠朝は五万石の軍役を勤めたのに、私は五万石の軍役を
勤められないことの残念さにより受けないのである」と言った。これに忠興が、
「もっともな所存ではあるが、お受けしない時には本家に迷惑の事が起こるであろう。
分家の身で本家へ迷惑をかけては孝悌の道ではない」と言ったところ、政勝は、
「孝悌の道と仰せられるのならば、さっそく四万石のお受けをいたそう。しかしながら、
今も申した通り、父出雲守忠朝の通りに五万石の軍役を勤められないことが残念だ」
と言い、歯噛みをして落涙した。
すると忠興は政勝を褒めて「あっぱれ出雲守殿の子息かな。いつでも御身が出陣の折には
私めより弓、槍、鉄砲の人数どもを一万石だけ加勢するので、五万石の軍役を勤められよ」
と言ったので、政勝は大いに喜び、
「貴殿の御一言で私めの胸中は開けた。本当にかたじけない。一万石の軍勢のことを
なにとぞ頼み奉る」と言い、それから四万石をお受けして、公辺滞りなく家督のことは
済んだということである。
――『明良洪範続編』
関連
「さすが忠朝の子だ」
910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/08(木) 22:32:11.40 ID:VK3LLf/M
やっぱり三河だ、三代経ってもややこしや
まぁ忠勝以来、譜代きっての侍大将って誇りから来てるんだろうけれど。
911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/09(金) 08:33:46.13 ID:TQg1iug6
働いてその分を取り返してやろうとは考えないんだな
武の家ではなおさらそんな風には思わんか
912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/09(金) 10:03:43.96 ID:tFfucZBG
働くにしても元手が一備しか編成できない部隊長格の4万石と
二備を編成できる司令官格の5万石じゃ大違いだから父ちゃんと一緒がいい!ってことなんかね
913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/09(金) 21:27:01.72 ID:2LcYOYIA
ある時政勝に四万石をやろうと思って彼を呼んだのだが、どのように思ったのか受け取らなかった
そのため忠興は一万石を投げ与えた
(ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-8452.htmlの続き)
後年、前述の甲斐守(本多政朝)が死去した時、前述の男子(本多政勝)は当時は
内記といったが、甲斐守の家督を相続した。だから系図では出雲守忠朝の孫に当たるが、
実は忠朝の嫡子であるから、父の家督を継いだのである。
しかし、忠朝以来五万石のところをこの度四万石にされ、残り一万石は一家の
能登守忠義へ加増されたので、忠義は五万石になり、政勝は四万石であった。
その頃の御定めでは五万石以上は乗輿、それ以下は馬上である。それが理由なのか、
政勝は四万石を受けなかった。一家の衆中は、
「たとえ一万石減るとしても、父の跡を継ぐのですから四万石をお受けするべきです」
と言ったが、政勝は承知しない。そこで細川越中守忠興を頼り、忠興が意見に及んだ時、
政勝は「父の出雲守忠朝は五万石の軍役を勤めたのに、私は五万石の軍役を
勤められないことの残念さにより受けないのである」と言った。これに忠興が、
「もっともな所存ではあるが、お受けしない時には本家に迷惑の事が起こるであろう。
分家の身で本家へ迷惑をかけては孝悌の道ではない」と言ったところ、政勝は、
「孝悌の道と仰せられるのならば、さっそく四万石のお受けをいたそう。しかしながら、
今も申した通り、父出雲守忠朝の通りに五万石の軍役を勤められないことが残念だ」
と言い、歯噛みをして落涙した。
すると忠興は政勝を褒めて「あっぱれ出雲守殿の子息かな。いつでも御身が出陣の折には
私めより弓、槍、鉄砲の人数どもを一万石だけ加勢するので、五万石の軍役を勤められよ」
と言ったので、政勝は大いに喜び、
「貴殿の御一言で私めの胸中は開けた。本当にかたじけない。一万石の軍勢のことを
なにとぞ頼み奉る」と言い、それから四万石をお受けして、公辺滞りなく家督のことは
済んだということである。
――『明良洪範続編』
関連
「さすが忠朝の子だ」
910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/08(木) 22:32:11.40 ID:VK3LLf/M
やっぱり三河だ、三代経ってもややこしや
まぁ忠勝以来、譜代きっての侍大将って誇りから来てるんだろうけれど。
911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/09(金) 08:33:46.13 ID:TQg1iug6
働いてその分を取り返してやろうとは考えないんだな
武の家ではなおさらそんな風には思わんか
912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/09(金) 10:03:43.96 ID:tFfucZBG
働くにしても元手が一備しか編成できない部隊長格の4万石と
二備を編成できる司令官格の5万石じゃ大違いだから父ちゃんと一緒がいい!ってことなんかね
913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/09(金) 21:27:01.72 ID:2LcYOYIA
ある時政勝に四万石をやろうと思って彼を呼んだのだが、どのように思ったのか受け取らなかった
そのため忠興は一万石を投げ与えた
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