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これを以て察したのだ

2021年12月22日 17:43

905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/21(火) 20:19:38.84 ID:xcIPBiIw
寛永十五年、肥州島原の乱でのこと。二月二十一日、黒田家の家臣である竹森石見貞幸が、
同僚である吉田壱岐守(重成)の陣屋へ夜話に行き、その帰りに及んで
「今夜必ず夜討ちがあるだろう。怠ること勿れ。」
と戒めた。その夜、賊徒が黒田の陣所に忍び来て夜討ちをしたが、兼ねて準備をしていた黒田方に
打ち負けて撤退した。

ある人が貞幸に、なぜ事前に夜討ちのことを知っていたのか問うた所、彼はこのように答えた

「前日に城中が物騒がしく、殊に夜に入って婦女の泣き声が聞こえてきた。これを以て察したのだ。」

二月二十八日、諸手が本丸を攻め破った時、貞幸は一番に黒田の旗を本丸に入れて先登した。

(志士清談)

黒田二十四騎の一人とされる竹森次貞の息子、貞幸の島原の乱での活躍について



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今夜、敵は

2014年07月01日 18:51

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/01(火) 01:05:17.44 ID:CqLvthWA
島原陣二月二十一日の夜、黒田忠之の旗奉行の竹森清左衛門(貞幸)は
同藩である吉田壱岐の陣屋へ夜話にやって来た。そして帰る時に、

「今夜、敵は夜討ち入るに違いない。油断するな」と言って出て行った。
その後で諸士は「何の見所があって今夜は夜討ち入るなどと言ったのだろうか?
例の武辺自慢であろう」と言って一同が笑っていると、清左衛門の言った通り
夜討ちがあった。

その後、「この夜討ちがあることをどのようにして知ったのだ?」と問うと、
清左衛門は「その夜は城中が何となく物騒がしく、そのうえ女の泣き声などが
聞こえたので城中の者は討死の覚悟で夜討ちに出るに違いないと察したのだ」
と言った。

――『明良洪範』