905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/21(火) 20:19:38.84 ID:xcIPBiIw
寛永十五年、肥州島原の乱でのこと。二月二十一日、黒田家の家臣である竹森石見貞幸が、
同僚である吉田壱岐守(重成)の陣屋へ夜話に行き、その帰りに及んで
「今夜必ず夜討ちがあるだろう。怠ること勿れ。」
と戒めた。その夜、賊徒が黒田の陣所に忍び来て夜討ちをしたが、兼ねて準備をしていた黒田方に
打ち負けて撤退した。
ある人が貞幸に、なぜ事前に夜討ちのことを知っていたのか問うた所、彼はこのように答えた
「前日に城中が物騒がしく、殊に夜に入って婦女の泣き声が聞こえてきた。これを以て察したのだ。」
二月二十八日、諸手が本丸を攻め破った時、貞幸は一番に黒田の旗を本丸に入れて先登した。
(志士清談)
黒田二十四騎の一人とされる竹森次貞の息子、貞幸の島原の乱での活躍について
寛永十五年、肥州島原の乱でのこと。二月二十一日、黒田家の家臣である竹森石見貞幸が、
同僚である吉田壱岐守(重成)の陣屋へ夜話に行き、その帰りに及んで
「今夜必ず夜討ちがあるだろう。怠ること勿れ。」
と戒めた。その夜、賊徒が黒田の陣所に忍び来て夜討ちをしたが、兼ねて準備をしていた黒田方に
打ち負けて撤退した。
ある人が貞幸に、なぜ事前に夜討ちのことを知っていたのか問うた所、彼はこのように答えた
「前日に城中が物騒がしく、殊に夜に入って婦女の泣き声が聞こえてきた。これを以て察したのだ。」
二月二十八日、諸手が本丸を攻め破った時、貞幸は一番に黒田の旗を本丸に入れて先登した。
(志士清談)
黒田二十四騎の一人とされる竹森次貞の息子、貞幸の島原の乱での活躍について
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