303 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/14(月) 03:25:25.51 ID:YrWW/aMd
明良洪範より勝女のこと
勝女は京生まれで織田信行に仕え、生まれつき聡明で容貌も美しく寵愛されていた。
ある酒宴の際、信行は重臣津田八弥に
「お前もそろそろ妻をめとれ、わしが媒酌してやろう」
とその場で勝女の婚姻を決め、良日を選んで祝言をあげてやると約した。
この津田八弥というのは農民の生まれだが美男と才能のため信行にとりたてられ、織田一族の
「津田」を姓として与えられた者である。
しかし信長から信行につけられた老臣で佐久間七郎左衛門というのがあり、
八弥より待遇が悪いため大いに嫉妬し、両者のいさかいが絶えなかった。
とうとう七郎左衛門は八弥の屋敷に火を放ち、出てきた八弥を刺殺してしまった。
目付役が吟味すると、八弥の厩のそばに七郎左衛門の兄、佐久間玄蕃が信長から下賜された正宗が落ちてあり、
また、火をつけた盗賊をとらえた所、七郎左衛門に命じられたと白状した。
信行が玄蕃に七郎左衛門をつれてくるよう命じた所、七郎左衛門は美濃に出奔し、斎藤道三に匿われてしまった。
304 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/14(月) 03:27:43.10 ID:YrWW/aMd
勝女は、婚儀はまだとはいえ夫と約した八弥の仇を討とうと信行に暇を乞うた。
信行は「相手は勇士、お前は女だからここは尼にでもなって八弥の菩提を弔え」
とすすめたものの、結局八弥を刺したと思われる正宗を与え、暇を出した。
勝女は岐阜近在に住みつくと、鷹狩をしていた道三の嫡子龍興の目にとまり、そのまま道三夫人の侍女となった。
器量よしで歌道にもすぐれていたため寵愛されていたところ、翌年三月、競射の参加者の名簿に
佐久間七郎左衛門の名を認めたため、夫人に願って競射を拝見する許可を得た。
参加者25名中15番目の佐久間七郎左衛門が名乗った瞬間、勝女はおどりいでて短刀で七郎左衛門の脇腹を突き、
「津田八弥が妻勝なり。夫のために仇を報ずる!」と大音声で叫んだため、大騒動となった。
七郎左衛門は即死。道三、龍興も驚き経緯を尋ねると勝女は動ぜずありのままを答えたため、
道三の怒りは減じたものの
「お主の志には感動したが、織田信行から七郎左衛門を戻せと言われても今まで断ってきた。
わしを頼ってきたため隠してきたのだ。しかし女のためにむざむざ殺されたことが世間に知られれば
わしにとっては恥辱極まりない。かわいそうだが明日死刑に処す。それまで牢に入っておれ」
道三夫人は勝女を牢に入れるにしのびず、道三に懇願し、勝女を一晩あずかる許可を得た。
夫人「わたしはあなたの行為に感動しました。このまま逃げなさい」
勝女はそれでは夫人にとって申し訳ない、罰を受けましょう、と言ったものの、結局夫人に説得され、
夫人から路銀をもらい、未明に城外に逃亡した。
305 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/14(月) 03:30:38.58 ID:YrWW/aMd
勝女は三河は岡崎に来て宿屋の主人にわけを話すと、主人は大須賀五郎左衛門康高に事の次第を話し、
康高はすぐに家康に報告し、貞烈に感動した家康は「男女に限らず万人の鑑である」と城に引き取った。
七郎左衛門の兄、佐久間玄蕃は勝女が岡崎にいると知るや信長に勝女を尾張へ戻すよう願った。
信長は池田紀伊守恒興を使者として勝女を乞うたが、
家康は「勝は夫のために仇を討った貞婦です。おそらくこれは玄蕃の願いでしょう。
仇討は古今稀であり、しかもわたしを頼ってきたものをそちらに渡す理由がありましょうか。
信長殿は玄蕃の願いを叶えなければ玄蕃が謀反するとおそれているですか?
もしこの言葉が無礼と思われるのなら戦で決着つけましょう。
その場合こちらは信玄と同盟して尾張に攻め入りましょう」
と答えたため信長もあきらめた。
玄蕃は怒りを増し、金銀で勇士たちを雇い、岡崎に潜入させて勝女を殺そうとした。
勝女は物詣のため城外に出たが、警護していた大原左近右衛門惟宗、今村伝十郎が
曲者二人を見とがめ、生け捕り拷問。曲者二人は玄蕃に頼まれたと白状した。
即刻二人の賊は処刑。梟首の上、制札に書かれた文面は
「この者共、佐久間玄蕃に頼まれた由を白状すれども、盗賊ら己が難儀を逃れんために
いうことならん。よってここに梟首するものなり」
306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/14(月) 03:32:46.06 ID:YrWW/aMd
信長は大いに怒り「わが領内に関することと知りながらこちらに通達もなしによくも罰したことよ。
しかも玄蕃の名前まで書くのは無礼であろう!」と使者を出したが
岡崎で老臣たちが使者に答えるには
「われわれも相談したのですが、貴国の老臣佐久間ともあろうものが
まさか一婦人に刺客をさしむけ殺害をはかるなどとは思われず、
おそらくこれは盗賊が自分の罪を免れようと嘘を言ったのだろうと判断したのです。
制札にもそう書いてますよね?」
これを使者より伝え聞いた信長はよけいに憤怒し、和平を破って戦闘におよぼうとしている、
という風説が岡崎までに届いたため、城の警護を固くすることになった。
勝女はこれを聞き
「わたくしめ一人のせいで、この国が戦になってしまうことは本意ではありません」
と今までの恩を感謝する書をしたため自殺。
この書を見たものはみな落涙し、家康も絶世の烈婦であると讃え、次第を信長に伝え、
大樹寺に葬り厚く弔った。
307 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/14(月) 03:36:45.81 ID:YrWW/aMd
と書いたものの、佐久間玄蕃って誰だろう
時代から考えて盛政のはずはないし
308 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/14(月) 06:55:05.76 ID:jOloNtFC
最後自殺すんだろなーと思ってたら自殺した
この辺のメンタリティーは500年前から変わらずか
309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/14(月) 07:01:42.67 ID:UdEexSsb
道三がいるのに、家康と信長が同盟関係にある時点でわけがわからんよね
310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/14(月) 07:52:44.37 ID:UGyojH9t
義龍「…」
311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/14(月) 08:03:16.18 ID:4unFyKeC
単に道三と義龍混同しただけだとすると
桶狭間のあと家康が岡崎城を取り戻して
義龍が死ぬ前の1560年か1561年ごろか
清洲同盟はまだだがとりあえず小康状態ってことで和平、と言ってるのだろうか
でも信行生きてるってことは尾張を出た後数年岐阜に?
どこまでほんとかわからないから考察するだけ無駄な気もするが
312 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/14(月) 13:38:18.59 ID:yk0AUsYP
一言、でっちあげ、でいいんじゃないここまでくると
明良洪範より勝女のこと
勝女は京生まれで織田信行に仕え、生まれつき聡明で容貌も美しく寵愛されていた。
ある酒宴の際、信行は重臣津田八弥に
「お前もそろそろ妻をめとれ、わしが媒酌してやろう」
とその場で勝女の婚姻を決め、良日を選んで祝言をあげてやると約した。
この津田八弥というのは農民の生まれだが美男と才能のため信行にとりたてられ、織田一族の
「津田」を姓として与えられた者である。
しかし信長から信行につけられた老臣で佐久間七郎左衛門というのがあり、
八弥より待遇が悪いため大いに嫉妬し、両者のいさかいが絶えなかった。
とうとう七郎左衛門は八弥の屋敷に火を放ち、出てきた八弥を刺殺してしまった。
目付役が吟味すると、八弥の厩のそばに七郎左衛門の兄、佐久間玄蕃が信長から下賜された正宗が落ちてあり、
また、火をつけた盗賊をとらえた所、七郎左衛門に命じられたと白状した。
信行が玄蕃に七郎左衛門をつれてくるよう命じた所、七郎左衛門は美濃に出奔し、斎藤道三に匿われてしまった。
304 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/14(月) 03:27:43.10 ID:YrWW/aMd
勝女は、婚儀はまだとはいえ夫と約した八弥の仇を討とうと信行に暇を乞うた。
信行は「相手は勇士、お前は女だからここは尼にでもなって八弥の菩提を弔え」
とすすめたものの、結局八弥を刺したと思われる正宗を与え、暇を出した。
勝女は岐阜近在に住みつくと、鷹狩をしていた道三の嫡子龍興の目にとまり、そのまま道三夫人の侍女となった。
器量よしで歌道にもすぐれていたため寵愛されていたところ、翌年三月、競射の参加者の名簿に
佐久間七郎左衛門の名を認めたため、夫人に願って競射を拝見する許可を得た。
参加者25名中15番目の佐久間七郎左衛門が名乗った瞬間、勝女はおどりいでて短刀で七郎左衛門の脇腹を突き、
「津田八弥が妻勝なり。夫のために仇を報ずる!」と大音声で叫んだため、大騒動となった。
七郎左衛門は即死。道三、龍興も驚き経緯を尋ねると勝女は動ぜずありのままを答えたため、
道三の怒りは減じたものの
「お主の志には感動したが、織田信行から七郎左衛門を戻せと言われても今まで断ってきた。
わしを頼ってきたため隠してきたのだ。しかし女のためにむざむざ殺されたことが世間に知られれば
わしにとっては恥辱極まりない。かわいそうだが明日死刑に処す。それまで牢に入っておれ」
道三夫人は勝女を牢に入れるにしのびず、道三に懇願し、勝女を一晩あずかる許可を得た。
夫人「わたしはあなたの行為に感動しました。このまま逃げなさい」
勝女はそれでは夫人にとって申し訳ない、罰を受けましょう、と言ったものの、結局夫人に説得され、
夫人から路銀をもらい、未明に城外に逃亡した。
305 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/14(月) 03:30:38.58 ID:YrWW/aMd
勝女は三河は岡崎に来て宿屋の主人にわけを話すと、主人は大須賀五郎左衛門康高に事の次第を話し、
康高はすぐに家康に報告し、貞烈に感動した家康は「男女に限らず万人の鑑である」と城に引き取った。
七郎左衛門の兄、佐久間玄蕃は勝女が岡崎にいると知るや信長に勝女を尾張へ戻すよう願った。
信長は池田紀伊守恒興を使者として勝女を乞うたが、
家康は「勝は夫のために仇を討った貞婦です。おそらくこれは玄蕃の願いでしょう。
仇討は古今稀であり、しかもわたしを頼ってきたものをそちらに渡す理由がありましょうか。
信長殿は玄蕃の願いを叶えなければ玄蕃が謀反するとおそれているですか?
もしこの言葉が無礼と思われるのなら戦で決着つけましょう。
その場合こちらは信玄と同盟して尾張に攻め入りましょう」
と答えたため信長もあきらめた。
玄蕃は怒りを増し、金銀で勇士たちを雇い、岡崎に潜入させて勝女を殺そうとした。
勝女は物詣のため城外に出たが、警護していた大原左近右衛門惟宗、今村伝十郎が
曲者二人を見とがめ、生け捕り拷問。曲者二人は玄蕃に頼まれたと白状した。
即刻二人の賊は処刑。梟首の上、制札に書かれた文面は
「この者共、佐久間玄蕃に頼まれた由を白状すれども、盗賊ら己が難儀を逃れんために
いうことならん。よってここに梟首するものなり」
306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/14(月) 03:32:46.06 ID:YrWW/aMd
信長は大いに怒り「わが領内に関することと知りながらこちらに通達もなしによくも罰したことよ。
しかも玄蕃の名前まで書くのは無礼であろう!」と使者を出したが
岡崎で老臣たちが使者に答えるには
「われわれも相談したのですが、貴国の老臣佐久間ともあろうものが
まさか一婦人に刺客をさしむけ殺害をはかるなどとは思われず、
おそらくこれは盗賊が自分の罪を免れようと嘘を言ったのだろうと判断したのです。
制札にもそう書いてますよね?」
これを使者より伝え聞いた信長はよけいに憤怒し、和平を破って戦闘におよぼうとしている、
という風説が岡崎までに届いたため、城の警護を固くすることになった。
勝女はこれを聞き
「わたくしめ一人のせいで、この国が戦になってしまうことは本意ではありません」
と今までの恩を感謝する書をしたため自殺。
この書を見たものはみな落涙し、家康も絶世の烈婦であると讃え、次第を信長に伝え、
大樹寺に葬り厚く弔った。
307 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/14(月) 03:36:45.81 ID:YrWW/aMd
と書いたものの、佐久間玄蕃って誰だろう
時代から考えて盛政のはずはないし
308 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/14(月) 06:55:05.76 ID:jOloNtFC
最後自殺すんだろなーと思ってたら自殺した
この辺のメンタリティーは500年前から変わらずか
309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/14(月) 07:01:42.67 ID:UdEexSsb
道三がいるのに、家康と信長が同盟関係にある時点でわけがわからんよね
310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/14(月) 07:52:44.37 ID:UGyojH9t
義龍「…」
311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/14(月) 08:03:16.18 ID:4unFyKeC
単に道三と義龍混同しただけだとすると
桶狭間のあと家康が岡崎城を取り戻して
義龍が死ぬ前の1560年か1561年ごろか
清洲同盟はまだだがとりあえず小康状態ってことで和平、と言ってるのだろうか
でも信行生きてるってことは尾張を出た後数年岐阜に?
どこまでほんとかわからないから考察するだけ無駄な気もするが
312 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/14(月) 13:38:18.59 ID:yk0AUsYP
一言、でっちあげ、でいいんじゃないここまでくると
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