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揖斐氏顛末

2020年06月04日 18:44

111 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/06/04(木) 01:24:22.53 ID:pW5SX5wd
国枝正則の討死後。>>106

しかるに国枝の舅である清水城主・稲葉伊予守良通方へ、名礼の戦いで命を逃れし者一両輩が逃げ
込み、その様子を告げると良通大いに驚き、現在の婿を討たれて打ち捨て置けるはずもなく、速や
かに馳せ付け仇の光就(揖斐光就)を討ち取らんと即時に士卒を下知して清水を乗り出した。

戦場目指して馳せたところ、深坂の峠で国枝の家来がまた一両輩逃れ来たり「主人はすでに討たれ
て候。揖斐は早や兵士を纏め、城中に引き入りました」と申した。良通は無念骨髄に徹し、むなし
く揖斐の方を睨んで見つめ、歯噛みするといえども光就はすでに居城へ引き入ったので、力無く馬
を返して清水へと帰った。

光就はすこぶる勇剛の士なれば、容易には誅し難し。そこで折を窺って油断を見済まし、不意に押
し寄せようと月日を送った。天正8年(1580)に至り、12月下旬に及び、清水で良通急病な
りと沙汰した。これによって家の子や郎等は騒動する様子で、近辺を行き違う輩引きも切らず。揖
斐では稲葉の振る舞いを気遣い思うところであったから、これを聞いて事実と思い大いに喜んで油
断をなす。

すでに12月の大晦日なので早春元朝の儀式などを取り繕ったが、明ければ天正9年巳正月元日で
ある。良通は形の如く士卒に令を伝え、大晦日の夜より出馬の用意をなし、兵糧など十分にしてそ
の夜の丑三過ぎる頃に清水を出陣し、揖斐坂(原注:揖斐というのは谷汲道にして、白石から深坂
へ越える坂である)の辺りから打ち上り、山続きに押し通って城際へ押し詰めた。

揖斐の城中では元日新玉の儀式をしてそうとも知らずにいたところ、やがて寅の一天に至れば、城
の前後より一同に鬨を作り攻め立てた。城中大いに騒ぎ立ち「こは敵に不意を打たれたり!面々持
ち口に至り防ぎ候へ!」と、上を下へ大慌てした。そこを良通は下知し、数多の松明を灯し連ねて、
城の四方山上の樹木へ一同に火を掛ければ、たちまち猛火が八方へ燃え上がり、煙の下より寄手短
兵急に攻め立てれば、堀池備中守、その子・千代寿丸、大西源吾、花木藤五郎以下は思いのまま戦
い討死した。

城将・光就ももはや討死と馳せ出たのを士卒らが制し「一先ず城を落ちて逃れ給え!」と勧める故、
光就も力無く城の西より桂の郷へ逃れ出て、山岸勘解由左衛門光信の隠館へ落ち入ったが、東南の
風が荒く吹き来たり、山上の猛火はたちまち桂の郷へ焼き下って、その辺りは残らず一片の煙とな
り残さず焼亡した。この時、堀池父子、宇佐美平馬、稲川治左衛門、大西、佐藤、花木、畑野など
数多の勇士が討死した。稲葉の郎等では、加納悦右衛門が比類無き武功を顕した。

さて光就は桂を出て安八郡大垣へ落ち行き、氏家左京亮直元(直昌の誤り)を頼んで蟄居した。そ
の後、氏家は勢州桑名へ移ったので同じく桑名へ赴き、その後の文禄元壬辰年(1593)、濃州
石津郡駒野村で卒去した。56歳なり。

さて稲葉良通は光就を討ち得ずといえども、揖斐の一城焼落し大いに喜んで清水へと帰った。この
時に揖斐山上の城は断絶した。天正9年正月元日の事、未明に落城なり。これ故に今揖斐で俗説に
「朝寝すると城が落つる」というのは、これが例となったのである。今の揖斐中で元日の礼勤を朝
未明より行うのは、この例を引いた事なのだと言われている。

さて、稲葉はこれより揖斐の山下三輪村の要害に嫡子・右京亮(稲葉貞通)を入れ置いて守らせた。
しかるに良通は婿の怨みだと揖斐光就を攻め出し、いささか憤怒を散じたといえども、三代相恩の
主君の連枝(揖斐氏は土岐一族)を攻め落としたので、勇士の本意あらずと思ったのか、その年の
秋に清水北方の山の麓、長良村の釣日寺で法体し“一鉄斎”と号しける(原注:一説に岐阜長良の
崇福寺ともいう)。

112 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/06/04(木) 01:25:47.57 ID:pW5SX5wd
しかるに光就落去の折に子息3人あり。長男を栄千代丸という。この時より江州坂本に至り、明智
の養育によって成長し、後には江戸将軍に仕えたという。二男は早世、三人目は女子なり。成長の
後に他家へ嫁いだ。光就の室はこの折より尼となって横倉寺に入ったという。また徳山五兵衛(則
秀)に嫁いだとも聞く。

さて今回の放火によって桂の郷は皆類焼し、鎮守八幡宮も焼失したが本地はつつがなしという。後
に当社へ、明智光秀の霊を祭った。

さてまた周防守基信の妾腹の子に、揖斐六郎太夫基行という者あり。桂の郷戸(虫損)渡という所
に住んだが、弘治元年卯(1555)8月病死。その子・六郎太夫貞行は山岸勘解由左衛門の婿な
り。後に勢州近士の家に養子行ったという。晩年は明智に仕えて近士となり、四手衆の内なり。天
正10年6月2日、京都本能寺で湯浅甚助友俊(直宗)と組み合い、双方刺し違えて死す。

貞行の子を揖斐造酒三郎という。後に作之丞貞次という。母は山本対馬守和之入道仙入斎の娘なり。
貞次は明智の山崎合戦の前日に光秀の遠計に従って濃州に落ち来たり、後に江戸将軍に仕えて子孫
は関東にあり。

康永元巳年(1342)3月に揖斐出羽守頼雄が初めて当城を築き在住してより以来、揖斐氏代々
ここに住し、240ヶ年の星霜を経て、天正9年正月元日ついに落去したりけり。当城は山上に本
丸あって山下三輪村には要害があり、侍屋敷満々たり。山上落去の後は山下の要害だけであった。
故に後にこれを城に改築し、矢倉、塀、堀などを修復してよき一城である。

さて揖斐というのは庄の名で甚だ広大である。城のある所は揖斐の庄三輪村という。しかしながら
揖斐の本城があるので三輪とは言わず、ただ揖斐と称す。揖斐の庄の村々は数多し。三輪村を始め
として桂、南方、北方、房島、仁坂、中津、原野村もその内である。現在、この揖斐は岡田伊勢守
(善同。幕府旗本、美濃郡代)の陣屋である。

――『美濃国諸旧記



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揖斐落城のこと

2020年06月03日 17:57

106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/06/02(火) 22:27:47.54 ID:VzM8DUrR
義龍の子・龍興の代に至り、ついに信長のために当国を奪われる。この時に光親(揖斐光親)は
稲葉山で織田勢と戦い討死したと沙汰するも、その説は詳らかではない。しかればこれより揖斐
も織田家に降参し、相続いて揖斐に在住した。

さて揖斐落城のことを尋ねるに、その頃の池田郡本郷城主に国枝大和守正則という者あり。これ
は安藤一族の国枝大和守藤原守房の末孫である。数代本郷村の城主で、また本郷の内に良徳寺と
いう禅寺がある。当時は稲葉良通(一鉄)の父・臨仁定門が隠居していたので、正則と良通は折
節参詣した。

また揖斐光就も時々参詣したのだが、光就、良通、正則が良徳寺に参詣して碁会を催したところ、
光就と正則は碁の勝負のことで互いに口論に及んだ。良通はこれを仲裁して双方を宥め、ようや
く怒りを晴らしてその日の参詣は終わった。しかし光就の利はもっとも正しきものであった。良
通は正則の舅故に非を曲げて、無礼に扱った振る舞いであった。これによって、光就は甚だ憤り、
これより遺恨を差し挟む。

その後、天正6年寅(1578)8月18日のことであるが、正則は大野谷汲の観音へ参詣のた
め、わずかな主従で本郷を出て株瀬川を越え、道行の慰みに四方の景色を遊覧して赴いた。光就
はこの由を聞き大いに喜び、日頃の憤りを散ずべき時至れりと郎等を下知し、正則の来る道筋で
ある名礼の崎の広野に伏勢を隠し置いて、揖斐城の裏手へ出て待ち受けた。

そうとも知らずその日の巳の刻に至り、正則はわずかの士卒を引き連れやって来たのを、光就は
すは掛かれと呼ばわって大声を揚げ、「過ぎし頃の碁会の遺恨、良通の不道の扱い!その憤りを
晴らさんがため、早くよりここで待っていた!逃すまじ!」と呼ばわった。

正則大いに驚き、覚えのある事なれば、心を決して少しも恐れずに郎等を下知して切って掛かる。
揖斐勢も槍刀を打ち振り血戦したが、国枝勢もここを先途と戦った。折しも木陰より揖斐の伏勢
50余人がドッと叫んで突いて掛かれば、国枝も仰天してここまでなりと心を定め、太刀を持ち
自害しようと思った。そこへ揖斐の郎等・大西太郎兵衛が切り掛かり、ついに首を取ったりける。

正則すでに討たれければ、残る郎等は七転八倒の働きをしてことごとく討死した。(中略。国枝
方と揖斐方の戦死者を列挙)しかし光就は大いに喜び、兵士を下知して早々に城中へ引き入った。
本郷勢の13の輩の死骸を取り集め、名礼・結城村辺りの土中に埋めて13ヶ所に葬った。その
形は今も残って、谷汲道の傍らにある“十三塚”というのがこれである。

――『美濃国諸旧記

続き
揖斐氏顛末


109 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/06/03(水) 03:18:02.59 ID:PNJemRL3
>>106
だから賭け麻雀はだめなんだ

110 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/06/03(水) 11:05:40.10 ID:ahKb3dTD
>>109
アハッ

伊予の身において誉れとすべし

2018年11月11日 16:24

497 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/11(日) 03:32:25.39 ID:KKOyQnSl
(姉川の戦いの直前)

終夜火を焚く敵方を見た織田信長は龍ヶ鼻本陣への敵襲を悟り味方の備定めをされた。毛利新助(良勝)を神君御陣
へ使者に遣わし「明日の合戦で信長は越前勢に向かう。徳川殿は浅井に向かいなされ。しかしながら、御勢は多くは

ないので、誰でも加勢を申し付けよう」との口上をした。神君は聞かれ「私がここに来た以上は水をも火をも避ける
わけにはいきません。朝倉・浅井のどちらでも受け取り申しましょう。しかし左様な打ち込みの合戦はまったく本意

ではありません。強敵と覚える一方を受け取り勝負を決します。浅井の8千を我が3千で戦うことは、人数において
不足なし。されども加勢を添えて下さるならば稲葉伊予(良通入道一鉄)を差し遣して下さい」との御返答であった。

新助は帰り、信長はこれを聞かれて「徳川殿は伊予に将略があるのを知られて加勢に望まれた。この事は伊予の身に
おいて誉れとすべし」と仰せられ、伊予守に加勢を命じられ、重ねて織田勢を13段に定められた。1番は坂井右近

(政尚)、2番は池田勝三郎(恒興)、3番は木下藤吉郎(秀吉)、4番は柴田修理亮(勝家)、5番は明智十兵衛
(光秀)、その他に中条将監(家忠)・簗田出羽守(広正)などを堂々整々として備え、また丹羽五郎左衛門長秀・

氏家常陸介卜全・伊賀伊賀守範秀(安藤守就)などは横山城の押手と定められた。徳川勢は酒井左衛門尉(忠次)と
石川伯耆守(数正)を先手になされ、松平甚太郎家忠・松井左近(松平康親)・大須賀五郎左衛門(康高)・高天神

の小笠原与八郎(信興)など総じて2千余騎を2陣となされ、中軍の御大将左右に榊原小平太(康政)・本多豊後守
(広孝)が備え、稲葉伊予守を後軍として都合6千余騎なり。

――『改正三河後風土記(東遷基業・岐阜記・武徳編年集成・四戦紀聞)』


「洪水見物」

2012年11月19日 19:51

416 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/19(月) 12:45:14.65 ID:mYCjmfy1
稲葉一鉄が伊予守だった頃、軍糧奉行の助左衛門は亭を建てて閑暇の折には
そこで友人と一緒に楽しんでいた。

ある時、長く雨が降り続き洪水が田畑に溢れ亭の辺りに水が流れた。
これを聞きつけた助左衛門は「良い見物になる」と友人を連れて遊興にふけった。

雨はますます降り続き日々水が増していたので「洪水見物」と人は皆
助左衛門の亭にやって来て酒宴を催した。これを耳にした一鉄は驚愕した。

「兵糧は軍国の第一であるのに、それを掌る身分として作毛の豊凶に心を用いず、
田畑の冠水を楽しんで酒宴に及ぶとは言語道断。その罪は決して軽くない。
しかし、かの者はいつも正直だからこの一件のために見棄てるべきではないな。
それに不所存者に大切な役目を任せたのは私の過ちだった」

一鉄は自分を戒めて三日の間、酒肴を絶ち粗食ばかりを食して自らの過ちを
家臣に示した。また助左衛門には「助左衛門の一件は、その職分をわきまえなかったこと
不届きである」と五十日の閉門を申し付けた。これにはいずれの者も大いに畏服した。

――『良将言行録』




417 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/19(月) 13:14:55.03 ID:u86furky
   /     /     /      /  /  / /
/     /     /     /     /   /
             ビュー   ,.、 ,.、    /   /
    /    /       ∠二二、ヽ    / /
  /    /   /   (( ´・ω・`)) ちょっと田んぼの様子見てくるお
               / ~~ :~~~〈   /
       /    / ノ   : _,,..ゝ   /
    /    /     (,,..,)二i_,∠  /    /

418 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/19(月) 13:16:27.36 ID:u86furky
______________________
  ロ   ◇     ロ   ◇     ロ   ◇     ロ
 (( ))  ◇     (( ))  ◇     (( ))  ◇     (( ))
  ロ  ◇      ロ  ◇      ロ  ◇      ロ
     ◇        ◇        ◇

   Λ∞Λ  Λ_Λ       Λ_Λ
   ( ´∀`)  ( ´∀`) (祭)  (・∀・ )
  / ヽ у 〉 /`___У__」つY   /) 〕〕 〕〕つ  洪水見物とは風流ですな
  l゚ |ニニニ|゚ ゚ |_|__|      ゚|_|| | |||
 △(__)_)  (__)_)      (__)_)

419 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/19(月) 13:17:52.19 ID:u86furky
  ∧_∧
⊂(#・ω・)  兵糧は軍国の第一だろうになめとんのか!
 /   ノ∪
 し―-J |l| |
         人ペシッ!!
       __
       \  \

420 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/19(月) 14:25:04.34 ID:wY2zrM6X
讃岐の住民「美濃にあふれるぐらい降るならこっちに降ってくれよ」

422 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/19(月) 19:34:04.72 ID:RbQCKCwP
>>416
不良学生に苦心する教師みたいだ

423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/19(月) 20:02:58.01 ID:5duFWdRW
もうどうにでもなーれって感じじゃないのかw

稲葉一鉄「お前の主人は」

2010年06月21日 00:00

506 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/20(日) 12:23:51 ID:cx7oP8Ah
稲葉一鉄「お前の主人は」

稲葉一鉄が信長の命により菊亭晴季のところに使者として赴いた。
ところが、早朝に着いたにもかかわらず、晴季はすぐに会おうとせず、
一鉄を何時間も待たされた。

お昼も過ぎても出てこず、なお待たされる。
晴季は八つ時(午後2時頃)にやっと出てきて、
「信長の使い、それへ、それへ」
と言った。長時間待たされていた一鉄、この晴季の態度に切れた。
脇差に手をかけて、抜き打ちにする姿勢をとり、目をいからせ
「お前の主人の天皇は俺の主人の信長さまから扶持を得ているのに、
 さんざん待たせた挙句、その態度はなんだ。ゴラー!!」
晴季も一鉄のこの言葉に怒り、険悪な雰囲気のまま、一鉄は
帰った。


507 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/20(日) 12:24:46 ID:cx7oP8Ah
一鉄が晴季のところで何かやらかしたらしいとの話は、一鉄が
帰る前に、信長の耳に入った。信長は一鉄を呼び出し
「その方、菊亭どののところで、何か無作法がなかったか。
正直に申せ」と問いただした。
一鉄が晴季邸での一部始終を詳しく説明したところ、
信長は手を打って
「さあ大変。」といい、頭を抱え、事態を収拾するため。
晴季に再び使者を出すなどした。
この件で、一鉄はとくに処分などは受けなかった。




509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 12:48:33 ID:dfgfGQEa
>お前の主人の天皇は俺の主人の信長さまから扶持を得ているのに

いくら朝廷や御上が蔑ろにされていてもこれは酷いよねw

510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 12:54:09 ID:FJxcb4wM
でも信長としちゃあ悪い気持ちせんだろね

511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 13:17:55 ID:NW3nFfUw
一方信長は大貴族である菊亭晴季を、面と向かって「おい、菊」と呼び捨てにしていた。

513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 13:53:20 ID:TGnfzSHi
>>511
洒脱というか、ぞろっぺなおっさんだよな信長公って案外……

514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 13:59:20 ID:LxmvF6f+
おい近衛、てめえは中仙道で帰れ

515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/20(日) 14:51:56 ID:CqbgNKtC
350年後 陸軍若手将校「おい荒木」 「若いもんは元気じゃのう」

稲葉一鉄と、森家の一汁三菜

2009年06月24日 00:04

686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 19:24:08 ID:tjuV9HUb
「森家一汁三菜のこと」

天正11年12月から翌年2月間での間に、長可は、濃洲梶田の城主
斉藤玄蕃、安八郡の城主稲葉一鉄、郡上の遠藤大隈守
胤基左馬介慶隆、高山の金森長近などの城を攻めてこれらを降し、
いずれもその幕下に入れて領地を拡大した。
稲葉一鉄が金山へ挨拶に来たところ、長可は大変喜んで
三汁十菜以上の御馳走を作りもてなそうとしたところ、一鉄は
これを見て次の間へ立って行き、一汁三菜にしてくれといい、
林新右衛門と各務清右衛門の両名に向かって言うには、

「長可様はまだお若いのだから、方々方はよくよく気を配って
御奉公を願いたい。みんな大名のことゆえ御料理のことなどに
ついて好き嫌いをいうはずはないが、このたび美濃の面々が
沢山御旗下になって、これから追々御挨拶に来ることと思う。
そのときに金山は山の中ゆえ、いつも肴があるわけではなく、
このような御馳走をしようと思っても出来ないこともある。
すると稲葉一鉄が初めて伺候した時の料理と後から来たものの
料理とが違うとあっては、差別待遇したこととなって不快の
念を持つようになり、長可様の御為によくないと思う。
御旗下になった以上は、必ず御家のために働くから決して御心遣いを
せられぬよう願いたい」といった。

これ以来、何人が来ようとも森家においては一汁三菜の外は決して
御馳走せぬようにと林、各務両名へ申しつけたと言う。

・・・・「森家一汁三菜のこと」なんてタイトルですが、稲葉一鉄のちょっといい話・・・?




687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 19:28:14 ID:luwCnGqf
さすが頑固一徹の語源になっただけのことはあるw

688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 19:37:34 ID:+/134Aw0
>三汁十菜

出しすぎだろうw

689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 19:47:36 ID:luwCnGqf
>>688
まぁこんな人もいることだし義興に比べればまだマシなほうかと
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-848.html

690 名前:sage[] 投稿日:2009/06/23(火) 19:57:15 ID:oZVEUTxh
雑賀衆と根来衆はともに鉄砲のプロフェッショナル集団。
鉄砲に関する先見性は信長を超えていると思う

692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 20:02:54 ID:+/134Aw0
>>689
そいつを忘れてた。

まさに過ぎたもてなしw

694 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 20:45:10 ID:3JAuAQ5s
でも、朝飯に蓼使ってるのに切れて塩でいいとか言う奴も居るしなあ
栄養学という概念が無いから仕方ない点はあるんだが

714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 18:33:21 ID:nMj2gr4P
>>694
栄養学がなくたって「良いもの食えば体が発達する、ただし食い過ぎるとブクブク太る」
ぐらいのことは本能的・経験的に分かってたでしょ

蓼の奴は正確が悪いだけ


本能寺の後の稲葉一鉄・悪い話

2009年02月19日 01:38

134 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/18(水) 11:50:28 ID:lOCVxQI6
稲葉一鉄のちょっと悪い話

美濃三人衆と言われる割に稲葉一鉄以外の織田家での活躍はあまり聞かない
当然といえば当然である
氏家卜全は長島攻めで早々に討死
安藤守就は後方支援が多かった上に武田勝頼との内応を疑われ一族揃って織田家を追放されていたのだから
その安藤守就のもとに本能寺の変が伝わる
生活支援してくれていた竹中重治(半兵衛、娘婿)も死んでおり気が焦ったのか、はたまた織田家が本気で憎かったのか、止められぬ野心に火が着いたのか
信長の死で混乱する美濃で息子と共に旧領回復の兵を挙げたのである
これに相対したのが当時織田家美濃衆筆頭だった稲葉一鉄
ところが一鉄は一鉄で独立しようと画策し旧美濃勢に檄を飛ばしたりしていた
結局、二人は相容れる事無く北方城で交戦に及び安藤守就は自決、一族は虜囚の身に
しかし一鉄にとっては単に一地方の問題で済まなかった
ここで日数を喰ったが為に美濃での地盤を固める前に秀吉が帰ってきてしまった
瓦解すると思われた織田家の組織的な逆襲が始まってしまったのだ
ちなみに
本能寺の変が6月2日
秀吉の姫路城帰着が6月7日
安藤守就自決が6月10日
秀吉の尼崎着陣が6月11日
山崎の戦いは6月13日
すると一鉄、腹いせか証拠隠滅の為か安藤守就の一族を火事場泥棒扱いして女子供を含めて皆殺しに
その後は独立の檄文も守就達不平分子の謀略と表向きは処理しつつ地盤固めの為に暗躍した
しかし秀吉の台頭がはっきりしてくると何食わぬ顔で織田家美濃衆筆頭として秀吉と合流
賤ヶ岳でも秀吉と共に戦っている
もしもキルヒア(ry、竹中重治が秀吉の側近として生きていたら…
歴史は違う方向に動いたかも知れない




135 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/18(水) 12:07:35 ID:iKghjJ6g
西美濃で一鉄と安藤守就が激突、その後も一鉄暗躍
東美濃で鬼武蔵が無双

信孝テラカワイソス

織田信長と稲葉一鉄、死の茶会・いい話

2008年11月25日 00:12

696 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/24(月) 08:27:26 ID:1UgCzC0o
死の茶会

稲葉一鉄は織田信長に降参したが、信長は一鉄の忠誠心を疑い、茶室に招いて暗
殺する計画を立てた。

茶室に一鉄と三人の織田家の侍が入り、侍が一鉄の油断を誘おうと茶室の掛軸
の画讃の意味を問うた。
僧侶出身の一鉄はよどみなくその讃を読み、意味を説明した。

隣の部屋でそれを聞いていた信長は一鉄の知識の深さに驚き、茶室に入ってこう
言った。
「実は、今日の茶会は貴殿をもてなすものではなく、暗殺するためのものじゃ。
しかし、貴殿の博識に免じ命を奪うのはやめた。これからはわしの謀臣として仕
えてくれ。」
と、三人の侍の懐刀を一鉄に見せた。
一鉄は信長に助命の礼を言ったあと、
「実は、それがしはこの茶会が自分を殺すためだと薄々気付いてました。その際
には一人でも多く道連れにしようと懐刀を忍ばせました。」
と、懐中から短剣を取り出して信長に見せた。

信長は一鉄の覚悟を大いに誉めたという。
(武将感状記)




697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/24(月) 10:26:51 ID:dkjmnYRj
互いにカコイイ話だな~

698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/24(月) 13:14:14 ID:X89kdMUf
でも、暗殺されそうになった原因についてはなんら解決されてない気がw

699 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/24(月) 13:28:48 ID:kk5WKUU7
戦国ってこんな時代だしなw


「彼ら(日本人)は鞭で人を罰することをせず、もし誰か召使が主人の耐えられないほどの
悪事を働く時は、彼(主人)は前もって憎悪や激昂のしるしを表すことなく、彼ら(召使)を
殺してしまう。
何故なら、召使は嫌疑をかけられると、先に主人を殺すからである。」

宣教師オルガンティーノの報告書より


700 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/24(月) 13:33:10 ID:5SZ5LKxF
殺られる前に殺れ!

701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/24(月) 13:46:27 ID:dtojlPFU
ヤクザの抗争と変わらんもんなあ・・・戦国時代って。

702 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/24(月) 16:41:25 ID:0lJ3YGg0
戦国時代を行状を記した海外文献もかなり面白いよね

703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/24(月) 21:30:05 ID:fatzJk/C
>>696
義光の場合、ターゲットの鮭の食べ方が気に入って中止したんだっけ。

704 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/24(月) 21:49:52 ID:En7Eo2XZ

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 jヽjvi、人ノl__     / /  ヽ´{ミ,_   ̄`'''-ヽヾ    ` ̄ ̄
 )   ハ   7      /  / `'='´l  ̄i'-、_,,ン ノ 。
 )   フ    て   /  /   !。 l  l  - ニ
 7   ッ    (  __ヽ、__l ___ .!。 l__l__,-=-,___
  )   !!     ( ,-=-, ∠ヾゞゝヽ ,-≡-,l  l-=二=-,
  ^⌒~^⌒^~⌒^└==┘   ̄ ̄ ̄ ヽ==ノヽ=ノ\__/


稲葉一鉄と下人の斬首・いい話

2008年11月08日 00:06

199 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/07(金) 23:00:55 ID:MdlAUSIF
織田信長の武将として有名な稲葉一鉄の所で、下人の一人が罪を得、斬首にする、とした時の事。

その下人が「命が惜しい!ここで殺されるのは嫌だ!」と、泣き叫び暴れまわり、なかなか
斬首が出来ないとの事

これを聞いた一鉄が、どんな未練な男かと見に来ると、彼は下人に似合わぬ面魂をしていた。
それを奇怪に思った一鉄は

「何故そんなに卑怯未練に泣き喚く。そんなに命が惜しいのか?」と聞くと、下人は

「私は元々、あなたに謀略を持って殺された者の家臣だ。
主君の恨みを報じるため、あなたに一太刀でも加えようと、この様に身を落としてまで
生きながらえてきたが、つまらぬことで首を落とされることとなり、目的が果たせなくなった。

それが悔しくて、泣いたのだ。」

その言葉を聴いた一鉄は、家臣に彼の縄を解かせた。

「お前の忠魂に免じ、解き放つ。 わしを討てるものなら、討ってみよ。」
笑って言った。

「有難し」そう吐き捨てて、下人は立ち去った。



数年し、一鉄は病にかかり、やがて死んだ。
その少し後、あの下人が、一鉄の墓に詣でた

「私は、あなたに一太刀参らせんと狙い続けていましたが、ついに果たせず、
あなたは身罷ってしまいました。

これでは斬首の折に泣いた事、あれは命惜しさとのためだと思われてしまいます。

よって今、あなたの前で、相果てる」

そう言って、腹を掻っ切って、死んだ。



200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/07(金) 23:06:12 ID:qxFkmVRg
( ;∀;)イイハナシダナー

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/07(金) 23:08:54 ID:FHJFcA8Q
>>199
潔すぎだろwww
武人ってすげえなぁ

202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/07(金) 23:09:32 ID:xuKhWmfh
>>199
双方男らしい話だなー( ; ◆ ; )

203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/07(金) 23:24:41 ID:SnUxpdSX
武人凄いな
農民の良い話は無いのか