783 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 01:34:23.26 ID:S5Ypw33x
元亀3年12月、武田信玄が再び大軍を率い、徳川家康の居城、浜松近くに攻め寄せた。
いわゆる「三方ヶ原の戦い」である。
これに人心は恐々としていた。
鳥居四郎左衛門忠次は家康から斥候を命ぜられ、はせ帰るとこれを報告した
「敵は大軍であり、行軍の様子も厳正です。である以上たやすく合戦を始めるべきではありません。
早々に御先手を引き帰らせるべきです。
また、もし一戦を遂げられるつもりなのなら、我々は軍列を整え鉄砲での迫合いで時間を稼ぎ、
敵が堀田のあたりまで打ち出るのを待って戦を始めれば万が一にも勝利があるでしょう。
しかしこれも、全勝の道ではありません。」
家康はこれを聞くとたちまち機嫌を悪くし
「信玄と言っても鬼神ではない!また大軍だからといって恐るるに足らず!
おまえはいつもは大剛の者であるのに、今日はどうして臆しているのか!?」
しかし鳥居忠次
「殿こそ普段は自重が過ぎるほどなのに、今日はどうして血気にはやっているのですか!?
全く心得ぬことです。
わかりました!ただいま私が申したことを、思い知らせてあげましょう!」
(只今某が申せし事を思い当たらせ給うべし)
そう言って御前を退いたが、外の御家人たちに向かっては
「今日の戦、かならず勝つぞ!おのおの進んで忠戦せよ!」
と言い捨て、自らは敵陣に突撃して討ち死にした。
(東遷基叢)
鳥居忠次の討ち死にについての逸話である。
784 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 03:01:45.02 ID:jwIDiRcZ
三方ヶ原での家康の考えだけは未だにわからん
桶狭間の体験とか影響したのだろうか
785 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 07:47:48.32 ID:gNJJqO9F
織田の援軍が主戦派だったとか
786 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 09:05:23.81 ID:HguOHKq9
城を素通りされて、そのまま見過ごしたら、今後の家臣への示しがつかなくなると考えた末の焼き味噌。
787 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 09:24:34.71 ID:Dmww0v7A
ただでさえ国境沿いの領主が武田側になっちゃったのに
その上びびって引っ込んでたら
さらに武田に走る連中が増えると思ったんじゃね
788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 09:37:25.81 ID:ynTzV5w9
>>785
先輩を切って無禄になっていた信長の小姓たちは主戦派でしょうな
789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 09:44:14.17 ID:DeH1NMPm
自分が武田に走るって選択肢は…
援軍に監視されてるし無理か
790 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 10:04:59.06 ID:PPRdKStg
当時生き残りを掛けている小領主としては
二代続いて当主が若くして亡くなってる松平に付くってのはどんな気持ちだったのか…
791 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 10:09:18.45 ID:DdbAyVs1
これで味噌が付いたんだな
792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 10:10:36.44 ID:ji6rMtZT
小領主にとっての現実は自領の保全のみ。縁起とか気にする余裕なんてない
793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 10:44:42.54 ID:H7ojjQEU
>>784
・信長から援軍を送られながら、一戦もせずに武田軍をやり過ごすことは立場上出来なかった
・相次ぐ遠三の国人衆の離反を止めるために、一戦して存在感を示さねばならなかった
・家康本人は武田軍が待ち構えているとは予想しておらず、地理的優位を生かして一当たりはできると思っていた
定本徳川家康見たらこんな風に書いてあった)
794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 11:16:19.18 ID:cF4X+d7l
・後背を突ける
・さらに相手は坂を下ってる状態なのでより有利
・さらに夕暮れなので数を頼んだ反撃を受けても夜になるので追撃されない
安全に一矢報い入れれる!威信回復!名誉挽回!
ジャーンジャーンジャーン。家康「げえっ 山縣!」.
信玄「坂の手前で待ち受けちゃうよ。反転反撃は得意だよ。三増峠の再現だね。」
家康は攻めなければならない理由もあったし作戦も理に適ってたが
信玄が上回ってたちゅう一戦やね
795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 12:43:18.86 ID:axf17gV4
意識して抑えてるけど元々プッツンしやすい気質だしな、権現様
多分母方の水野一族の血統のせいなんだろうが
796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 16:00:37.22 ID:1co0NzCY
>790、少弐さん家なら日常だろ?
797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/27(日) 03:35:43.71 ID:G6mW8orW
武田相手に手出し出来ないと武田、徳川間でどっちにつこうか
迷ってる遠江の国人達が一斉に武田方になって
さらなる苦境に陥るのは火を見るより明らかだから乾坤一擲に
かけるしかなかった
元亀3年12月、武田信玄が再び大軍を率い、徳川家康の居城、浜松近くに攻め寄せた。
いわゆる「三方ヶ原の戦い」である。
これに人心は恐々としていた。
鳥居四郎左衛門忠次は家康から斥候を命ぜられ、はせ帰るとこれを報告した
「敵は大軍であり、行軍の様子も厳正です。である以上たやすく合戦を始めるべきではありません。
早々に御先手を引き帰らせるべきです。
また、もし一戦を遂げられるつもりなのなら、我々は軍列を整え鉄砲での迫合いで時間を稼ぎ、
敵が堀田のあたりまで打ち出るのを待って戦を始めれば万が一にも勝利があるでしょう。
しかしこれも、全勝の道ではありません。」
家康はこれを聞くとたちまち機嫌を悪くし
「信玄と言っても鬼神ではない!また大軍だからといって恐るるに足らず!
おまえはいつもは大剛の者であるのに、今日はどうして臆しているのか!?」
しかし鳥居忠次
「殿こそ普段は自重が過ぎるほどなのに、今日はどうして血気にはやっているのですか!?
全く心得ぬことです。
わかりました!ただいま私が申したことを、思い知らせてあげましょう!」
(只今某が申せし事を思い当たらせ給うべし)
そう言って御前を退いたが、外の御家人たちに向かっては
「今日の戦、かならず勝つぞ!おのおの進んで忠戦せよ!」
と言い捨て、自らは敵陣に突撃して討ち死にした。
(東遷基叢)
鳥居忠次の討ち死にについての逸話である。
784 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 03:01:45.02 ID:jwIDiRcZ
三方ヶ原での家康の考えだけは未だにわからん
桶狭間の体験とか影響したのだろうか
785 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 07:47:48.32 ID:gNJJqO9F
織田の援軍が主戦派だったとか
786 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 09:05:23.81 ID:HguOHKq9
城を素通りされて、そのまま見過ごしたら、今後の家臣への示しがつかなくなると考えた末の焼き味噌。
787 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 09:24:34.71 ID:Dmww0v7A
ただでさえ国境沿いの領主が武田側になっちゃったのに
その上びびって引っ込んでたら
さらに武田に走る連中が増えると思ったんじゃね
788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 09:37:25.81 ID:ynTzV5w9
>>785
先輩を切って無禄になっていた信長の小姓たちは主戦派でしょうな
789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 09:44:14.17 ID:DeH1NMPm
自分が武田に走るって選択肢は…
援軍に監視されてるし無理か
790 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 10:04:59.06 ID:PPRdKStg
当時生き残りを掛けている小領主としては
二代続いて当主が若くして亡くなってる松平に付くってのはどんな気持ちだったのか…
791 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 10:09:18.45 ID:DdbAyVs1
これで味噌が付いたんだな
792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 10:10:36.44 ID:ji6rMtZT
小領主にとっての現実は自領の保全のみ。縁起とか気にする余裕なんてない
793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 10:44:42.54 ID:H7ojjQEU
>>784
・信長から援軍を送られながら、一戦もせずに武田軍をやり過ごすことは立場上出来なかった
・相次ぐ遠三の国人衆の離反を止めるために、一戦して存在感を示さねばならなかった
・家康本人は武田軍が待ち構えているとは予想しておらず、地理的優位を生かして一当たりはできると思っていた
定本徳川家康見たらこんな風に書いてあった)
794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 11:16:19.18 ID:cF4X+d7l
・後背を突ける
・さらに相手は坂を下ってる状態なのでより有利
・さらに夕暮れなので数を頼んだ反撃を受けても夜になるので追撃されない
安全に一矢報い入れれる!威信回復!名誉挽回!
ジャーンジャーンジャーン。家康「げえっ 山縣!」.
信玄「坂の手前で待ち受けちゃうよ。反転反撃は得意だよ。三増峠の再現だね。」
家康は攻めなければならない理由もあったし作戦も理に適ってたが
信玄が上回ってたちゅう一戦やね
795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 12:43:18.86 ID:axf17gV4
意識して抑えてるけど元々プッツンしやすい気質だしな、権現様
多分母方の水野一族の血統のせいなんだろうが
796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/26(土) 16:00:37.22 ID:1co0NzCY
>790、少弐さん家なら日常だろ?
797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/27(日) 03:35:43.71 ID:G6mW8orW
武田相手に手出し出来ないと武田、徳川間でどっちにつこうか
迷ってる遠江の国人達が一斉に武田方になって
さらなる苦境に陥るのは火を見るより明らかだから乾坤一擲に
かけるしかなかった
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