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討ち死にするため罷り来たり

2014年08月13日 20:33

931 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/13(水) 00:59:15.26 ID:OohdeqJC
天文9年(1540)、尼子晴久が毛利元就を攻めた、吉田郡山城の戦いの折のことである。

尼子方の重臣、牛尾遠江守幸清の家臣に、琢阿弥という大力の剛の者があった。
彼は牛尾遠江守の子息である、湯原弥二郎に従ってこの吉田郡山城の戦いに出陣したが、
現地で風邪をひき寝込んでいた所、その日、主人である湯原弥二郎は討ち死にしてしまった。

琢阿弥は彼に従って出ることが出来なかったことを口惜しく思いながらも、
病身であり心に任せることが出来ず、日を送っていたが、そんな中ようやく少し回復した様子を覚えたため、
早速郡山城近くまで寄せ来ると、城に向かって叫んだ

「私は牛尾が近習の者である!主人である者が討ち死にした時、所労の事によって
その場に居合わせることが出来なかった!只今、討ち死にするためこちらに罷り来たり。

毛利勢よ、討ち取りに出て来られよ、勝負せん!」

この呼びかけに、郡山城から井上与三右衛門が出て、名乗りを上げ、
終にこれを射落とし首をとったという。

(芸侯三家誌)

吉田郡山城の戦いにおける、討ち死にに来た男の逸話である、



932 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/13(水) 17:36:43.68 ID:1OqoGbPe
射落としたのか、まあ死にに来た奴なんかと組み合うと危ないよな

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