週間ブログ拍手ランキング【07/12~/18】

2018年07月18日 15:11

07/12~/18のブログ拍手ランキングです



井伊直政本多忠勝西軍ノ挙動ヲ評ス 15

池田光政、お尻をつねられる 13

常在寺の盛衰 11
水谷勝隆ノ乳母勝隆ヲ護シ難ヲ逃ル 8
忠興其子忠隆ノ優柔ヲ怒ル 8

鈎の陣 6
大阪の陣の前兆っぽい事 6
古の軍記等には虚説が多い 6
奪う者は飢え、奪われる者は飢えず。 5


今週の1位はこちら!井伊直政本多忠勝西軍ノ挙動ヲ評スです!
関ヶ原直前における井伊直政と本多忠勝の、西軍認識の差についてのお話ですが、これはどちらが正しい間違い、という
話ではなく、性格の違いと受け止めたほうがいいのかもしれません。
出典が松浦鎮信の「武功雑記」ですので、内容自体も後世になって形成されたと見たほうが良いと思います。
ここは「教訓」としては、家康は軍監として、強気な直政と慎重に状況を見る忠勝という、性格の違う二人を派遣して
バランスを取ったのだ、という所かもしれません。
ともあれ直政、忠勝が、未だその記憶の強く残る時代の人々に、どのように捉えられていたかを見る上で非常に面白い
お話だとも思いました。

2位はこちら!池田光政、お尻をつねられるです!
池田家に嫁いだ加藤嘉明の娘に、おしりをつねられたことを語る池田光政。なんともほっこりするお話ですね。
武士の教育が、一家一族全体の中で行われていたことも見えてくるようです。
またこのれは光政にとっても、良い思い出だったのでしょう。言われる池田長明にとってはなんとも困った話題だったかも
しれませんがw
この池田長明は、池田光政より大変に信任された家老だったのですが、その信任の元に、その母かたお尻をつねられながら
治世者の心得を教えられた事も含まれていたのかもしれません。

今週管理人が気になった逸話はこちら!鈎の陣です!
コメントでもありましたが、足利義尚への評価ってかなり極端に別れているのですよね。これは逸話レベルだけでなく、
現在の研究者レベルでも、高く評価する人と低く評価する人で極端だと感じています。
義尚は鈎の陣に至るまで、父である大御所の義政が未だ握る権限を自分のものにするため様々に対立し、騒動を
起こしています。その「成果」の出る前に亡くなったため、「騒動だけ起こして何も確立できず死んだ」と見ることも、
「応仁の乱御の幕府を立て直すため様々な改革を行ったが、志半ばにて夭折した」とも見られるわけで、確かに
評価の難しい人だと思います。
個人的には義尚という人は、室町幕府という組織を「再構築」するために本気で活動していた将軍だと思っています。
彼はその一環として、室町幕府の「正史」を作るべく、史料を集めていたフシがあるそうです。義尚は歴史における
室町幕府の自己認識をしっかり定義して、その上で再スタートを計る、という意識があったのだと思います。
それも含めて、彼の夭折は非常に残念ですね。室町幕府自身の定義した「歴史」がいかなるものだったか、読んでみたかった。



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週間ブログ拍手ランキング【07/05~/11】

2018年07月11日 15:40

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あれでも能の上手か!? 17

センゴク権兵衛の水野勝成動静より 16

斎藤織部落武者を助くる事 13
水野勝成さん、水野家出奔から蟹江城攻めまで 13
清見寺の膏薬 12

門出の朝は黒米飯 10
謙信の家臣って、歳食ってる奴多くね? 9
鷹に鶴を取らせる心 9
小西行長の長子 8


今週の1位はこちら!あれでも能の上手か!?です!
中村靭負さんの主家が主家だけに、確かに途中までドキドキしちゃう内容ですねw中村さんが芸事に真摯な人で本当によかった。
これよりちょっと前の時代だと、武芸者が素人の話を取り入れて、なんて話が多いのですが、能という文化的なものに
なっているあたり、それだけ時代が平和に成ったのかなあ、なんて感じますし、そういう文化的な人が細川家だというのも、
またらしいですね。
こういう血生臭さのない逸話もまた、良いものですw

2位はこちら!センゴク権兵衛の水野勝成動静より です!
こちらは血生臭さしか無い人ですが、このお話もまあ、血まみれの中の「いい話」ですねw
竹崎右衛門の兄を殺したことにああいう形で贖罪する勝成にも、またそれで勝成を許す竹崎右衛門にも、まるで感情移入
出来ないというか、気持ちが頭では理解しても感覚として解らない、という気持ちです。
しかしこういう事で心が通じちゃってたのが、あの時代というものなのか、とも感じます。
過去を理解することの難しさはこういうところにも有るな、と思いました。
あと今日予定のヒストリア「水野勝成」が18日に伸びていましたね。残念(T_T)

今週管理人が気になった逸話はこちら!清見寺の膏薬です!
こういう形で武士を離れた今川の遺臣がいた、という話も興味深かったのですが、コメントから判明した後日談には、
更に驚かされました。そんな事に、なっていたとは。本当にびっくりですw
こういう事が寺を介して起こるというのも、この時代らしいのでしょうが、強烈な本末転倒感といい、インパクトありますね。
しかし膏薬をアレにどう使ったのだろう、気になるw



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週間ブログ拍手ランキング【06/28~07/04】

2018年07月04日 22:38

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日置の夜合戦 23

毛利輝元、自分の少年時代を振り返って 16

合戦というものは結局、気負い次第 15
なにやってんねん織田家 15

大坂御陣中御支度の事 12
天下で切支丹御法度となった事 10

大阪の陣の頃の流行り色々 9
池田恒興、息子に正室の実家を継がせる 9
大野修理襲撃事件のこと 6
伊藤武蔵守、馬験を拾う事 5



今週の1位はこちら!日置の夜合戦です!
この木造長政さん、後には関ヶ原で織田秀信を補佐し、敗北したにもかかわらず、福島正則から2万石で迎えられるなど、
高く評価された武将であり、決して凡庸な人ではありません。
そんな木造さんが仕掛けた罠にまんまとハマりながら、それを平然と覆せるのが、蒲生氏郷の、氏郷たる所なのでしょうね。
確かにチートキャラ呼ばわりされても仕方ありませんwこれで倒せないならどうやって倒せばいいのか。
武士という人たちの中には、稀に兵というより生きた機動兵器みたいな人が現れますが、氏郷さんも明らかにその一人ですね。
こんなのが暴れまわっていたのですから、戦国というのも本当に厄介な時代ですw

2位はこちら!毛利輝元、自分の少年時代を振り返ってです!
「その地位に見合うよう厳しく育てられた」といえばそれまでなのですが、輝元の場合それが良かったのかどうか。
そういう面があったから、もしかして輝元は、嫡子秀就に甘かったのかもしれません。
秀就は「毛利殿は生まれつき不調法」とまで言われ、本来一番の味方であるべき親類たちほぼ全てと緊張関係に
なってしまうような人で、逆にこういう人には厳しく躾けなきゃダメだったんじゃないかな、とも思ってしまいます。
彼の息子の綱広に至っては、家臣たちから押し込めをされてしまう始末で、実は毛利はお取り潰し寸前だったのですね。
しかしそこでお取り潰しを免れたのは、毛利輝元が関ヶ原の後家康からもらった安堵状のお陰が大きかったようで、
輝元も、結果的に子孫を救っているのだなあと、不思議な思いを感じたりします。
この書状も歴史を勉強するほど興味深く読める、そんな内容ですね。

今週管理人が気になった逸話はこちら!なにやってんねん織田家です!
「なにやってんねん織田家」といいつつ、そもそも信長の頃から織田家というのは、この手の芸事、イベント事に非常に
熱心な家風がある気がします。信長も若い頃女装して集団でダンスイベントやってたり、京に出てから家臣とともに競馬に
興じたり、例の「馬揃え」も、その延長線上の物なのでしょう。
そう考えると、信雄や有楽が新興の芸能に興じ、その家臣たちがテンションが上った挙げ句騒ぎを起こすというのも、
むしろ「織田家らしい」と考えるべきではないか。なんてことがふと頭をよぎったりしました。
まあ信長がこんな有様を見たら激怒はするでしょう。だけど彼の身内への甘さを考えると、最終的にはなあなあで
許していただろうなあ、とも。
「織田家の家風」について思いを馳せる事の出来る、そんな逸話だと思いました。



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週間ブログ拍手ランキング【06/21~/27】

2018年06月27日 19:13

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敵の後にただ一人 14

大阪方の人々 13

大阪の陣の頃の世間の風潮 12
松野亀右衛門鉄砲修練の事 11
軍法は、聖人賢人の作法 10

我は常に軍旅の事を 9
大阪冬の陣の和睦の時 9
吹かねど花は散るものを 9
陣佐右衛門一揆の長四郎が首を取る事 7


今週の1位はこちら!敵の後にただ一人です!
蒲生氏郷が北条勢の夜襲に単騎で、しかもろくな武装もせずに夜襲勢の後ろに回り壊乱させたというお話です。
いかにも単騎突撃大好きな蒲生氏郷らしいお話ですが、このように線機を鋭敏に感じられるからこそ、単騎突撃を
繰り返しても生き残り、また家臣たちも「銀の鯰尾兜」の後をついていったのでしょう。
そう考えると、この逸話も蒲生氏郷の武将としての本質を描いているのかも知れないな、なんてことを思いました。

2位はこちら!大阪方の人々です!
長沢九郎兵衛という、おそらくは比較的近くで観察できた立場の人による大阪の陣での城の中の人々についての印象です。
やはり目につくのは秀頼が「世に無いお太り」という所で、この「太る」を同時代的にどういう印象として捉えるか、というのも
なかなか難しいですね。
確かに太い=がっしりしている、という意味もありますし、また太っていることがその裕福を表していた事もあったようです。
ただ仏教系の縁起を描いた絵画などを見ると、太っていることは貧欲や怠惰を象徴している、という意識もあったようです。
それだけに「世に無いお太り」というのも、色々な感慨を込めているのじゃないかな、なんて感じたりしました。
後藤又兵衛の「百人頭という風情」というのは、高級将校と言うより、兵士に密着する実戦部隊の部隊長のような雰囲気が
あった、という事かなと解釈しております。

今週管理人が気になった逸話はこちら!軍法は、聖人賢人の作法です!
これは直後の切り返しがうまいw
後藤又兵衛と言えばやはり黒田長政との関係を思い出しますね。創作物などでは、黒田官兵衛の下、長政と又兵衛は兄弟の
ように育てられたなんて描かれたりしますが、どうも実際には官兵衛は又兵衛に対してほぼ無関心で、彼は長政によって
見出され出立した家臣だったようです。だからこその長政による奉公構だった、と言えるのでしょう。
逆に、この又兵衛による一種の「大将論」から、彼が自分を引き立てた長政の下から出奔した原因を想像するのも、
面白いかも知れませんね。



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週間ブログ拍手ランキング【06/14~/20】

2018年06月20日 22:04

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お陰を以って天下に面目を 15

心の問はば如何こたへん 13
セキレイの目 13

物事に分別のある人 12
川北九大夫肥後国川尻を守る事 12
世の中に 我は何をか那須ノ原 10

今は諸浪人の多くが先知を減じ 9
毛利孫左衛門、村山越中を詰る 8
バラッバラな量産型蒲生さん達 8


今週の1位はこちら!お陰を以って天下に面目をです!
最上義光を立てる蒲生氏郷。ただどうしても、義光を立てたと言うより、政宗への嫌がらせをした、と見えてしまいますね
それまでの経緯的に。まあ政宗は氏郷からこんな扱いを受けても仕方がないくらいのことはしているわけですがw
義光の方もただ氏郷の配慮に感動した、と言うだけではなく、これを期に豊臣政権の東北管領とも言うべき氏郷との
つながりを深くすることで、立場の強化と政宗への牽制を意図したとも取れるでしょう。
そう考えると、氏郷、政宗、義光の三すくみのような状況も見えてきて、この時期の東北情勢も、また違った角度で
見えてくる気がします。

2位はこちら!心の問はば如何こたへんです!
蒲生家重代「佐々木鎧」についてのお話ですが、「佐々木」というからには、蒲生家が近江で代々仕えた、佐々木六角氏の
事でしょうね。六角氏より拝領した鎧だったのでしょう。
そういう鎧が有ることを知って欲しがる細川忠興も実に彼らしいし、一度使わすと言った以上、似せの鎧を渡すことを薦め
られても、断固として本物を遣わそうという氏郷も、非常に彼らしいと感じます。
このあたり、武士らしい爽やかな面倒くささ、という印象をもつお話ですね。最期に忠興が氏郷の嫡子に返還する所も
含めて、とても読後感のいい逸話だと思いました。

同票でもう一つ!セキレイの目です!
これも有名なお話ですが、ここでは「針で明けた穴」ではなく、普通に墨で目を入れていたように読めますね。
この逸話は、そのくらい伊達政宗という人の謀は微に入り細に入っていた事を表現しているのですが、一方、秀吉の方は
政宗が後で言い訳が通るようにやっていたことだと承知しているわけですね。その上で政宗を排除した場合の影響と
このまま膝下に置いておく利点を天秤にかけて、政宗のこの芝居に乗って、彼をとりあえず許すとしたわけでしょう。
もちろん政宗の方も、真実か否かで許してもらえるとは全く考えておらず、この政宗が仕掛けた芝居に秀吉が乗るかどうかに
かけた(そして乗ったほうが得だから秀吉は乗ると見た)という、裏しか無いようなお話だと考えていいのでしょう。
伊達政宗の魅力の一つに、こういった自分自身も投げ出した上での、それでも計算ずくの賭けをやっちゃう所も有るのでしょうね。
そんな事をふと思ったお話でもありました。


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週間ブログ拍手ランキング【06/07/~13】

2018年06月13日 17:50

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本能寺の変と近江情勢 18

勝家への返答 11

富士には似ぬぞ松坂の 10
天下一の比気者 10
神戸乗っ取り 10

大仏殿普請の事 7

信長と秀吉の違い 5


今週の1位はこちら!本能寺の変と近江情勢です!
本能寺の変の後、京の様子はともかく、機内情勢というのはあまり取り上げられませんね。
ここでは光秀は、近江については蒲生以外をほぼ平定しており、この方面は概ね順調、という印象を持ちますね。
これ以外に目立った反抗というのは、丹後の細川幽斎・忠興親子くらいですから、この話が事実を反映しているのだとしたら、
信孝や秀吉の動きがもう少し遅ければ、光秀はもっとしっかりと畿内を固められていたのではないか、なんて想像もできそうです。
こういう所から、本能寺に対する新しい視点も得られるかも、なんてことも思った逸話でした。

2位はこちら!勝家への返答です!
蒲生家というのは、信長生前はいわば「柴田派」であった、という事を気付かせてくれる逸話ですね。
そういう存在を切り崩した秀吉の手腕というものも凄いわけですが、やはりその使者に対する勝家の態度に、
たいへん爽やかなものを感じますね。
賤ヶ岳の敗戦のあとの、前田利家との対面の逸話も、非常に爽やかで鮮やかな印象を持たせるものでした。
それが事実かどうかはともかく、少なくとも世間的に、柴田勝家という人が、そういう颯爽とした印象をもたせる
人物であったのでしょう。そこに気付かせてくれた逸話だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!大仏殿普請の事です!
蒲生氏郷、京に巨石をでも紹介されていた逸話ですが、
なんといいましょうか、この時代の「武士」の基質というものを、よく表しているなと思います。
某南北朝漫画に、「武士は舐められたら殺す!」というものがありましたが、これは、まさにそれですねw
メンツのためなら不可能に思える巨石運びもするし少々の死傷者(処分1名事故1名)も気にしない!
全ては自分を舐めたものに対する報復を行うため!
沢山の人がいい面の皮になっているわけですが、このくらいしないと自分の「武威」は守れない、という意識はこの時代、
確かにあったようです。
中世の「空気」を感じさせてくれる逸話でも有るな、なんて思います。

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ところで!

歴史秘話ヒストリア「“戦国最弱”小田氏治がゆく」 - NHK 「最弱」で歴史ファンに大人気?な戦国武将「小田氏治(おだ・うじはる)」。このオダ様、20回近くも合戦に負けたが、しぶとく生き残る。その「奇跡」の秘密とは―?
http://www4.nhk.or.jp/historia/x/2018-06-13/21/30822/1458349/


今晩10時25分よりNHKで、いよいよ天庵様のヒストリアですね!
どう言うふうに紹介されるのか、僕も心して視聴したいと思います。
楽しみです!(/・ω・)/

週間ブログ拍手ランキング【05/31~06/06】

2018年06月06日 17:10

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穂井田元清の虎狩りの話 16

白井百人衆謀討 10

氏郷初陣 9
岐阜四天王(ただし一人) 9
佐野天徳寺は先手を望むも 9

関白鶴ヶ岡参詣の事 8
佐野宗綱討死 7
上様日和という事 7

南部越後母衣串をぬかざりし事 6
必要なのは頭と肉と腸 5


今週の1位はこちら!穂井田元清の虎狩りの話です!
何故か虎を生け捕りにして戻ってしまった穂井田元清。秀吉に贈る肉や肝のためために殺すのも忍びなかった所も
あったのでしょうか。そういえば 虎と両加藤 こんなお話もありますし、当時は日本にも虎がそれなりに入ってきていたのかも
知れません
江戸期に成ると虎も詳細がよくわからず、長沢芦雪の「猫みたいな虎」なんかが描かれたりするわけですがw
rosestuooneko_2.jpg
そんな事もふと考えた逸話でした。

2位はこちら!白井百人衆謀討 です!
裏切りを利用した真田昌幸による白井百人衆の討滅。これを読んでいるとどうしても、そもそも林、吉野、井上が真田家を退転
した所から昌幸の謀略だろ!と思っちゃいますねw
個人的には、こう言った形で信州で勢力を拡大させていた時期が、謀略家としての真田昌幸の全盛期ではなかったかと
思います。真田系の軍記はいろいろと脚色しますが、その上でもにじみ出る悪どさ(褒めてます)を感じさせてくれますからw
戦国期でも騙し騙されの、一瞬も油断できない時期の空気を感じさせてくれる逸話だなと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!岐阜四天王(ただし一人)です!
四天王、他の3人が詳細不明、というなかなかカオスな内容w
しかしどうも、この「四天王」という呼び方、家によっては単純に数字の問題ではなく、家中の「格」を表すものでも
あったようで、「四天王並」とか「準四天王」であっても、大雑把に「四天王」とする、なんて考え方があったらしいの
ですね。これがまあ4人以上居る四天王にもつながったりするようなのですが、こういうのは「〇〇人衆」とか「ナントカ〇〇家」
などでもあり、数字が必ずしも数を表さなくなる、中世らしい現象ですねw
それにしても四天王で1人、というのは流石に無く、中世人でも4といえば「おおよそ3~5くらい」の感覚なので、
逆に特異例ですね。もしかすると「最期の生き残り」かもしれず、そうだとするとまた別のドラマになるな、なんてことも
思いました。



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週間ブログ拍手ランキング【05/24~/30】

2018年05月30日 19:50

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我が孫に似合いたる申し付け様なり 13

鬼武蔵、神蛇を喰う 10

山田の怨霊 9
【ニュース】小田氏治がNHKの歴史番組で取り上げられます 8
瀬田橋乗打 8
戸次道雪勢の宗像攻め 8

仙千代奪出 7
片岡新助の事 5


今週の1位はこちら! 我が孫に似合いたる申し付け様なり です!
言い訳にも武略が有る。そんな事を考えさせてくれる逸話ですね。家康や幕府としては、ぶっちゃけどっちが正しいとか間違ったとか、
あまり関心がなく、どう事態を収拾するのが全体の戦略にとって最も齟齬が少ないか、を考えているのでしょう。
ここで田宮対馬は、幕府方の全体の戦略に沿った形で、しかも概ね自分ひとりが責任を受け持つ形で弁明をつくり、
これにより例え話がこじれても、ほぼ田宮対馬だけが責任を取れば良い形にしています。
家康が褒めたのはそういう所だろうなと、そう感じます。
組織の弁明というものについても、考えさせてくれる逸話だと思いました。

2位はこちら! 鬼武蔵、神蛇を喰う です!
いい悪いスレに鬼武蔵の話があると、やはり華やぎますねw
それにしても粗暴、乱暴で、さすが鬼武蔵としか言いようがありませんw
しかし「兼山記」というのは、基本的に森家、長可を称揚するのが目的の軍記であり、このお話も「森長可の凄さ」
を描いているのですね。後世の我々は「うん、たしかに凄いけど…」と若干引きながら読んでいるわけですが、
そういう感覚の差も、逸話を読む上での面白さなんだろうな、と思います。
ただこれに限らず森家関連の軍記物は、当時の基準から言っても「自慢しようとする所」が変、という若干の気持ちは
有るんですけどねw

今週管理人が気になったお話は、やはりこちらでしょう、【ニュース】小田氏治がNHKの歴史番組で取り上げられます です!
このニュース、ツイッターでも(局地的に)盛り上がりましたね!まさかヒストリアで、しかも天庵様単体で取り上げられるとは。
今ある天庵様の人気(?)というものも、やはりほかのどこでもなく。戦国板での盛り上がりの中から生まれたものだと思うので、
個人的にも謎の身内感があります。
ヒストリアで天庵様がどのように描かれるか、6月13日を楽しみにしたいと思います!
http://www4.nhk.or.jp/historia/


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週間ブログ拍手ランキング【5/17~/24】

2018年05月23日 16:19

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水谷蟠龍斎、家重代の刀剣を売る 30

山中行軍での用心 13

雨月物語 菊花の約 11
宗像大宮司より見た大寧寺の変 9
【雑談】葬送について 9

殿は不思議なるお生まれ 8
家の宝を焼いたこと 6
【web記事】古墳の石棺から出てきた山中鹿介の首なし遺骨 6
寛永2年6月17日の。肥後地震被害について 6

宗像氏男跡目の事 5
山田事件 3


今週の1位はこちら! 水谷蟠龍斎、家重代の刀剣を売るです!
これは本当にいいお話ですね。戦国期の領主にとって譜代家臣と領民、この二つが双輪であることをよく表していると思います。
いくら家重代の宝が有っても、この双輪のどちらかが潰れれば領主としても武将としても成り立たない。そういうことを、この
水谷さんはわずか20歳(!)にて悟っていたのでしょう。
また百姓たちの反応も本当に良いですね、豊作になったから水谷さんの売った刀を自分たちで買い戻すとは。
このあたり、ただ恩を受けるだけの存在ではない、この時期の百姓衆の自立や自負を感じます。
総じてみんなかっこいい、そんな素敵な逸話だと思いました。

2位はこちら!山中行軍での用心です!
これも本当に、何よりも合理主義が大好きな家康らしいお話ですね。家康の凄い所は、彼自身も行動もそうですが、
それがかっこ悪く見えてもまるで気にしない所だと思います。何より大切なのは目的を達成するための合理的方法であり、
それが出来れば形は気にしません。人間、ある程度偉くなるとどうしても無駄に格好をつけたがるものなのですが、生涯そういう
感覚が見えない所なども、家康も常人ではないなあ、なんて感じます。また部下がそういう、不細工でも合理的な事を考えた時、
それを積極的にフォローしてくれるのも心強いですね。
惣じて、家康は良い上司だったのだろうな、と感じさせてくれる逸話でした。

今週管理人が気になった逸話はこちら!山田事件です!
非常にエグい逸話で、ここに出てくる吉田飛騨守は自分の保身しか考えていないように見えます。
しかしこういう事が、宗像家のみならず、当時の大大名に従属していた中小国衆が多かれ少なかれ味わった悲哀なのでしょう。
従属し、保護を受けることの代償が、こういった家中への介入となり、そこに様々な摩擦や悲劇が生まれたこと、想像に難く
ありません。
戦国大名に従った国衆の家の多くに、様々な形の「山田事件」があった。そんな事も感じさせてくれる逸話だとも思いました。


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週間ブログ拍手ランキング【05/10~/16】

2018年05月16日 21:27

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蘆名盛隆と美麗な小姓 11

柴田などに騙されるものか 11

少之御普請も御堪忍、御尤候事 10
中々あふなき事にて候事 10
義太夫が心剛であり 10

不届者ハかたはしよりなて切りニ 9
水谷蟠龍斎は生まれる前からすごかった 8
汝が心を見んとして 7
神戸の関家への使い 4


今週の1位はこちら!蘆名盛隆と美麗な小姓です!
戦国好きにはわりと有名な逸話ではありますが、こちらは蘆名盛隆に近侍していた医者が悪い噂を広めたという
話になっていて、こういう細部が描かれていると、またいっそう逸話が立体的に見えてきますね。
蘆名盛隆が殺害された事件は当時としてもよほど印象的なものだったようで、様々な所でこの逸話が収録
されています。実際これ以降、蘆名家は下り坂を転げ落ちるような衰運となるわけで、蘆名家衰退の画期とも
考えられていたのでしょう。
また現代の私達からしても、非常にインパクトの強いお話ですね。武家の衆道にははっきりと、「武士道」ともいうべき
感覚が強く染み付いていると思います。いろいろな角度から見ること尾でいる逸話だな、なんて思います。

今週は同票でもう一つ!柴田などに騙されるものかです!
滝川一益が秀吉を足止めする策を考え、それを秀吉が看破する、と言うお話です。ところでここで、軍師の代表として
張良と楠木正成が出てきましたが、戦国当時のことを考えると、秀吉はその両名を確実に知っているはずです。
何故かと言えば、戦国後期から近世初期にかけては、「太平記」の一大ムーブメントが起こっていた時代であり、
世間には「太平記読み」といって、太平記を語ることで金銭や食料を得る人たちもいたのです。
太平記は庶民層まで含めて当時の基礎教養ともいっていいものであり、当然ながら秀吉も、楠木正成を知っています。
そして太平記は「描写に困ると中国の故事を入れる」なんて評もありますがwその中に張良も活躍もしっかり描写
されており、これまた当然、秀吉も張良が何者か解っていたはずなのです。
ついでに言うと太平記の中には「源平交代論」というべき思想も描かれていまして、これまた武士だけでなく世間一般に
共有された考え方であったと言っていいでしょう。
戦国期に最も大きな影響を与えた本は、太平記だと言い切っていいと思います。
そんな事をふと思い出した逸話でも有りましたw

今週管理人が気になった逸話はこちら!水谷蟠龍斎は生まれる前からすごかったです!
水谷蟠龍斎と言う人、名前だけはなんとなく知っている、という方も多いでしょう。かく言う僕もそういう一人ですw
しかし独立した大名でもないのに、その出生譚がこれだけ様々に彩られているとは、これは、同時代、或いは
近い時代の人たちにとって、よほど強烈なインパクトの有った人だったということなのでしょう。
逸話、伝説が語り継がれるためには、やはりその本人にパワーがなければ、難しいものですね。
そうでなければ後世の人達も「語りたい」という思いがわきません。
そうかんがえると、生まれたところだけですら、これだけ強烈に「語りたい」と思わせた、水谷蟠龍斎という人物が、
実に興味深く思えてきます。
今後僕も勉強したいと思います。



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週間ブログ拍手ランキング【05/03~/09】

2018年05月09日 19:46

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名も無き奉公人の話 ―鍬の槍― 29

異形な僧体の正体は 16

我らも御爪の端 15
西国の桶狭間、事の始まり 11
息子が分別無く深入りしたのだ 11

戸部の蛙 7
豊臣秀保の死 5
光秀利三最期 5


今週の1位はこちら!名も無き奉公人の話 ―鍬の槍―です!
本当に名もなき人の、そしておそらく、その家の中だけで語り継がれてきた逸話なのでしょう。
しかしだからこそ、本当に貴重で、素晴らしい逸話だと思います。こういう逸話をまとめられたこと、管理人として
嬉しい限りです。
一国一城をせめぎ合った武将たちだけでなく、名が残らずとも一人ひとりの人たち全てにドラマが有ったのだ。
その事をはっきり感じさせてくれる、そんなお話ですね。

2位はこちら!異形な僧体の正体はです!
武田信虎の肖像を見ると、確かに異形と表現したくなりますね。何というか、人というより妖怪に近いというかw
実際に、見るからに只者では無さを感じさせる人だったのでしょう。
そんな信虎が伊達家と関わるこの逸話。いろんな事を想像させてくれますね。
こういう事も、信虎ならありそう、と思わせるだけでも、武田信虎という人の異形さかな、なんて思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!戸部の蛙です!
アレに元ネタがあったとは!寡聞にして知りませんでした。びっくりしましたw
それにしても忍たま乱太郎
>作者の友達が戸部新左衛門の子孫で
そういう環境の中で、ああいう、実は中身的に相当にコアな世界が描かれる作品が生まれたのかと、妙な納得を
してしまいました。こういう事まで知れるとは、やはりいい悪いスレは凄い所です。



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週間ブログ拍手ランキング【04/26~5/2】

2018年05月02日 10:40

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少年のときは少年のように 16

藤吉郎は才覚者である 12

木下藤吉郎、堂洞城攻めの功 11
日本の歴史を大きく変えた偽メール事件 9
小堀の三ヶ条の要求 9

信長と云う者だ。 8
【ネタ】このスレの民は、そのニュースを聞いて、ほぼ全員 7
中村作り取りの事 6
大身の方に嫁がせて物入りになれば 6
羽柴秀吉と柴田勝家の戦いは 5


今週の1位はこちら!少年のときは少年のようにです!
滝川一益による井口又兵衛息への批評。少年の頃は少年なりの粗忽さが必要、という発想、逆に言えば「変に大人びた子供は
気持ち悪い」という事で、そういう考え方は現在でもありますね。「子供は子供らしく」という奴で。
まあ当の子供からしたらそういう評価は困ってしまうと思うのですがwこういう『大人が望む子供像』と、子供自身の自己認識の
間のズレみたいなものが、この時代にも既にあったんだな、という見方をするのも面白いかもしれません。
まあやってることは殺人で、しかも謀殺なんですけどねw一益が末恐ろしさ、不気味さを感じてもしょうがないかなとも思います。

2位はこちら!藤吉郎は才覚者であるです!
この時代の秀吉の、命ぜられたことを、与えられた条件の中で不必要な摩擦を起こさずスムーズに成し遂げる才覚、というものを
感じさせてくれる逸話ですね。これは確かに出頭する人だなと思わせます。
実際にも若い頃の秀吉の出頭というのは、こういった物事を成し遂げる才覚が非常に高く、またそれを信長に非常に評価されて
いたのでしょう。だからこそ、20代で既に尾張在地の奉行となっていますし、信長の上洛戦の頃には既に、一手の部隊を
任される、「重臣」の一人になっています。
そんな秀吉の「実務能力」を表す逸話だな、と感じました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!信長と云う者だ。です!
本文のレスにもありましたが、ここでは勝頼を批判していますが、実際には信玄に対しての批判なんでしょうね。
徳川の記録や逸話からも見えてくるところがありますが、信玄の釜炒り等の残忍な処刑方法は、当時の基準でも
非人道的である、と考えられていたフシがあります。
その上で、祖父物語成立の段階で、「武田家関連で印象の悪いことは勝頼のやったことにする」というような意識が
あったのだな、とも感じさせてくれますね。これは良い悪い、正しい正しくないではなく、武田家を滅亡させた勝頼という
存在に、世間一般がそういう印象を持っていた、という事を表しているとも思います。
この逸話の内容だけでなく、逸話の成立した当時のバックボーンを考えると、非常に様々に想像できる、そんな
逸話だなとも思いました。



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週間ブログ拍手ランキング【4/19~/25】

2018年04月25日 15:32

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信長公、木曾義昌を酷評 14

枉げて勝頼の下知を了承し 13

”信長”という字が欲しい 10
本能寺の変、当日のドキュメント 10
そして明智光秀は本能寺を取り巻き 10
異郷の地にて 10

御衣装も常に黒いものを 8
花を生けない風 7
池田輝政の立身について 7

この茶筅御曹司は 5
長門守は侍の冥利が尽きた人なので 5
【ネタ】大田原資清と大関高増の遊び場 4
島津家大永の内訌 2


今週の1位はこちら!信長公、木曾義昌を酷評です!
コメントなどでも指摘されていましたが、「うつけ」とか「礼儀知らず」「田舎者」とか、かつて信長が散々言われてきた言葉ですねw
その頃から時が経ち、信長も自覚の上では都会的な文化人となった、という事なのでしょう。
その上で実際の「田舎」の「礼儀知らず」を見てしまうと、自分の過去を見せられるようで、余計に冷淡に成ってしまう、
なんて想像が出来るかもしれません。
本当に最晩年の信長の、自己認識の一端を感じられるような逸話かな、なんて思いました。

2位はこちら!枉げて勝頼の下知を了承しです!
新府城退去の際の、勝頼と武田信豊との会話ですが、お互いに信頼しあっている空気を感じさせてくれます。
信豊も、武田滅亡における、勝頼に道を誤らせた近臣の一人として、評価の芳しくない人ですね。
武田滅亡という事実がある以上、その政権中枢にあった人物がマイナスの評価を受けるのは、仕方のないことかもしれません。
しかし当然ながら本人たちは滅びようと思ってやっていたわけではなく、必至に生き残ろうとあがいていたわけで、
その部分に思いを馳せるのも、また歴史を見る上で必要なことかもしれません。

今週管理人が気になったのはこちら!明智光秀大河が発表に成ったことも在ってか、光秀関連の逸話が
投稿されていました。

本能寺の変、当日のドキュメント
そして明智光秀は本能寺を取り巻き
この茶筅御曹司は

光秀大河の放送は再来年。先は長いですが、戦国史界隈が再び盛り上がる、よい大河になってほしいと思います。
個人的には三好長慶、足利義輝の時代をきっちり描いてくれると嬉しいな、なんて希望を今から持っています。
何はともあれ、楽しみにしたいですね~



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週間ブログ拍手ランキング【04/12~/18】

2018年04月18日 09:57

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幕府政所伊勢氏の滅亡 15

「万年君」 14

三好義興の死について 13
唐人松の伝説 9

汝は何方にて骨折り、武辺を仕ったか!? 8
今後『菊石』と呼ぶ 6
観音寺騒動のはじまり、後藤賢豊父子誅殺事件 6


今週の1位はこちら!幕府政所伊勢氏の滅亡です!
幕府政所伊勢氏は財政を握り、まさに室町幕府の中枢であったわけですが、これによって実質的な権力を失いますね。
足利義昭の幕府にも参画するのですが、目立った影響力は行使できず、義昭追放後は明智光秀の統率を受け、
そのまま本能寺~山崎の戦いに参加して、伊勢宗家としては滅びる形になります。
こういう、本質的に室町幕府そのものであった幕府政所伊勢氏の没落をみると、やはり三好時代も時代の画期だったのだな、
と感じますね。

2位はこちら!「万年君」です!
戦国期、この「東京湾岸」の人々のように、二つの戦国大名に両属する形を「半手」(西国では半納)と呼び、北条勢力圏では
西上野でも武田と両属の地帯があったようです。西方では、少し時代が下りますが毛利と羽柴秀吉勢力圏の間にこの
半手地帯があり、毛利と秀吉との国境画定交渉では、この両属地帯をそのまま維持したい毛利側と、
はっきりと国境を確定したい秀吉側との間で議論に成ったといいます。そう考えると、この両属状態というのは
中世的特徴でも有るのでしょう。
ただ、戦国大名はともかく、領民にとっては非常に負担の大きい体制であることは確かであり、だからこそ
その状況の解消が、近世のテーマに成ったとも言えるのでしょうね。
この場合、北条か里見かと言った「どちらに付く」かというのは、領民にとっては二義的な話でもあるのでしょう。
そんな事も考えさせられた逸話でした。

今週管理人が気になった逸話はこちら!汝は何方にて骨折り、武辺を仕ったか!?です
コメントにもありましたが、フロイスの日本史にも、この甲州征伐の最中に、明智光秀が織田信長から暴力を受けた、
との記述があり、この逸話が事実を書いているかどうかは別として、どうも、信長と光秀の間で何かあったらしいというのは
ある程度事実ではなかったかと考えられます。
そして仮にそのようなことが人の噂になるレベルであったとすれば、それだけで本能寺を起こす理由に成ると思います。
当時の武士(に限らず日本人全般)というのはそういうものですからね。恥をかかされたら「自力で」その恥を雪ぐ事を、
まず考える人々です。恥を背負ったままでは精神的だけでなく、社会的に劣った存在と見られてしまうからです。
そういう意味では、「本能寺の変」は当時の人達にとって、そのことの評価はともかく、起きたことについては不思議でも
何でも無かったかと思います。
実際、主君から侮辱をうけて謀反を起こした事例なんて、戦国期もそれ以前もたくさんありますからね。本能寺は影響力が
非常に大きかっただけで、本質的にはそういった「謀反」の一つだったと考えていいと思います。
そんな事を思った逸話でした。



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週間ブログ拍手ランキング【04/05~/11】

2018年04月11日 18:08

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大内家滅亡 17
【ニュース】 <歴史>「大坂の陣」巨大陣図が見つかる 最古級・最大級 17

足利義輝のクーデターの顛末 14
進士九郎による三好長慶暗殺未遂事件 13

一宇治城攻略と狐火 11
その頃、芸州に毛利元就という人が 7

誠に多年旧功の主従であり 6
諸塁はたちまち日新公に 6
弘治三年の大旱魃と大洪水 5


今週の1位はこちら!大内家滅亡です!
足利李世記に見える大内滅亡の顛末。
その頃、芸州に毛利元就という人が
この記事と合わせて、畿内におけるこの地域への関心の深さを察せられます。
それにしても史実かどうかはともかく、足利義輝が大内への亡命を考えていたとか、大内の方はさらに、天皇家まで含めた
受け入れを望んでいたとか、どちらも仮に実現すれば日本史そのものが大きく変わったであろう内容で、当時の大内氏の
スケールの大きさ、強力な存在感を充分に感じられます。「大内ならこのくらい考えていた」と、少なくとも考えられていた、
ということでしょうからね。
この時期の戦国史の、固定化したイメージを大きく揺さぶってくれる、そんなお話だと思いました。

同票でもう一つ!【ニュース】 <歴史>「大坂の陣」巨大陣図が見つかる 最古級・最大級です!
こちらも本当に大発見で、今後、他の陣図や文献史料とのとの比較といった作業の中で、様々な仮説、新説を生むであろう
新史料だと思います。全ての内容を早く知りたいなあw
大阪の陣への理解も、やはり軍記物の影響が今なお強く、実態とは相当乖離があったと考えられます。
その乖離を正せるような研究が、この史料により更に発展してほしいな、と切に望みますね。

2位はこちら!足利義輝のクーデターの顛末です!
足利義輝が三、好長慶によって没落させられた細川晴元の勢力を頼んで、三好からの自立を意図したものなのでしょうけど、
完全に裏目に出て、近江への逃亡という顛末となります。
実は「流浪将軍」足利義稙以来、足利将軍家でこのパターン多いですねw畿内を制する実力者に対し、その反対者を
味方につけて自分の主導権を回復しようとする行為。ほぼ全部失敗するのですがwただしこれは、足利将軍がそもそも
複数の有力大名に推戴され、そのバランスの中で主導権を発揮する存在であるため、一人の実力者に寄ってのみ
推戴される形は、逆に「バランスの悪さ」を、将軍家や幕府構成員に感じさせるものであったのでしょう。
ある意味では「傀儡」を断固拒否する姿勢だとも言えますが、そういう姿勢が畿内の争乱を無駄に長引かせた要因でもあり、
いつの時代も「政治」とは難しいものだと、そんな気分になりますね。


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週間ブログ拍手ランキング【03/29~04/04】

2018年04月04日 18:25

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新たに征服した地域を支配する際の注意点 14

足利義明と止められなかった逸見忠次、里見義堯 12

天文法華の乱 8
天文十四年八月二十三日酉の刻、天下は一斉に黄色と成った 7
高畠はついに討たれたのである 7
晴元は、浅謀である 7

今をさかりの みよしのの花 6
九里信隆謀殺 6
両葉去らずんば斧柯を用うるに至る 5
山科本願寺陥落 5
天下が破れるということは、すべて 5
満天の諸星が尽く動揺し 4


今週の1位はこちら!新たに征服した地域を支配する際の注意点です!
毛利輝元による、征服地の支配論。「征服された側の気持ちになって考えろ」というのは、中国の覇者と成ってなお
「毛利を慕う者など一人も居ないのだ」といい切れる、元就らしい言葉ですね。ここまで割り切っているからこその、
一国人領主から大膨張を成すことが出来た、とも言えるのでしょう。
一方の武田信玄ですが、実はこちらは、占領地から非常に評判が悪いw
早くから切り取った信濃でも、武田は懐かれていた、とはいい難く、駿河は大変な収奪をされたという記憶が残っており、
上野にいたっては、武田は悪鬼羅刹に近い印象を持たれていますw
このあたりの器量は(勿論単純に比べられるものではありませんが)、元就に軍配が上がるのかなあ、なんて思ったりもします。

2位はこちら!足利義明と止められなかった逸見忠次、里見義堯です!
足利義明といえば、個人的にこの逸話を思い出します
小弓公方、足利義明の倒し方・悪い話
まるで人間重戦車のような、とにかく個人的武勇に優れた人物で、本人もそれに非常に誇りを抱いていたようで、だからこそ、このような、自信過剰な戦術(?)を選択してしまった、ということでもあるのでしょう。
こういう所はやはり「匹夫の勇」という「言葉を思い出してしまいますね。
1位の逸話と合わせて「将器」というものを考えさせられるお話だな、なんて感じました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!天文十四年八月二十三日酉の刻、天下は一斉に黄色と成ったです!
どうも内容を読むと、夕方の太陽光が黄色となり、人や物にそれが反射して皆黄色に輝いた、という事のようですが、
なにが起こるとこのような減少に成るのでしょうね?
ここでは「天下」と書かれていますが、おそらくこの当時の概念で、都とその周辺程度の意味でしょう。
黄砂との指摘もありますが、この時代にはたして黄砂はあったのか、そしてそれが京周辺で影響を与えるのか、
等々、様々に考えさせられます。
色々と想像力も掻き立てられる、面白い記録だな、なんて感じました。



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週間ブログ拍手ランキング【03/22~/28】

2018年03月28日 21:42

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よく人を見立ててから 15

三好之長切腹 12

河内帰還 11
後陣も雲霞のごとく 10

私は元々出家ですので、刀を 8
薬師寺元一の乱 8

わか世のはての 近きうれしさ 6
およそ目を驚かせるその風情は 5
平瀬落城 3


今週の1位はこちら!よく人を見立ててからです!
森忠政による、所領を与える際の心構えについてのお話です。同じ石高でも、切米(サラリー】のほうがコストが高い、
というのはちょっと面白いお話だとおもいました。
そういえば、江戸期、武士はどんどん所領制度から切米に変わっていくのですが、それでも所領を持っている方が、
たとえその維持のためにコストが掛かっていても、より誇りあるものだったようです。
そのあたり、「一所懸命」の精神が残っていたということなのでしょうね。
あと、ここで言われる、実際に所領を与えるか否かというのは、現在で言うと役職を与えるかどうか、ということなのかなと
ちょっと感じました。

2位はこちら!三好之長切腹です!
三好という名は、機内では応仁の乱のあたりから見え始めるのですが、そこから見えてくる姿は、
機内周辺の荒くれ者を組織した、かなり凶悪な集団の頭目であり、もうはっきりと「反社会的勢力」の趣があります。
三好之長もそういった人であって、強くてももう、はっきり嫌われている観があり、彼の滅亡はかなり歓迎されていた
フシがあります。
それでも三好勢力が機内で生き残りつづけ、やがて三好長慶という「プレ天下人」を生み出すまでに至るのは、
当時の機内における三好的な存在の「社会的需要」の高さを感じてしまいます。
そんなことを考えた逸話でした。

今週管理人が気になった逸話はこちら!薬師寺元一の乱です!
ここで注目したいのはやはり、細川政元の

この時分より、政元は魔法を行うようになり、空に飛び上がり空中に立つなど不思議を顕し、
後には御心も乱れ、うつつ無き事を宣うようになった。


この部分でしょうねw
すでに空中浮遊の魔法を使える段階にまで至っていた半将軍!しかもどんどんわけわからないことを言っている。
そんな危険な存在は早く滅ぼさないととんでもないことに成る、と周りの人達が考えたとして、一体誰がそれを
批判できるでしょうか?w
創作などではよく、本能寺は信長の権力の暴動を止めようとして云々、なんて話がありますが、細川政元の場合は
まさにそれで、何でもっと政元に世間は注目しないのかと、謎の義憤すら感じます。
魔法半将軍の創作、もっと出ていいのですよ!w



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週間ブログ拍手ランキング【03/15~/21】

2018年03月21日 11:54

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畠山政長の最後 14

荒木は思わず計らず、信長の敵と 12

諍いの原因は、「男色のもつれ」 11
長時公は強き御大将であり我儘気随で遊ばされるゆえに 11

南総の友情 9
今も誠に賢い人がいるので 9
高国近江落ち 9
越水城の戦い 9

弓取りほどの者は、彼の行いを煎じて飲むべき 8
桶狭間の戦い 8
小笠原長時の没落 7
1,300人が招かれた空前の花見 7

阿房丸 5
神田将監の存分 5


今週の1位はこちら!畠山政長の最後です!
「応仁の乱」は様々な要因が複雑に重なったものですが、間違いなくその中の中心的要因が、この畠山政長ですね。
彼が「御霊合戦」を起こさず、失脚した大守護の慣例通りに、地方へと没落していれば、応仁の乱は起きなかったと言われます。
そしてこの政長が倒される「明応の政変」が起こることで、学説的に「戦国の始まり」と見られるのもまた面白いですね。
本人が意図したかどうかにかかわらず、まさしく時代のキーマンであったと言えるのでしょう。
いわゆる室町末期戦国初期は、細川京兆家の存在感が強いのですが、時代を引っ張ったのは畠山家の尾州家、総州家への
分裂と抗争であったと言えるかも知れません。
そんな事も考えた逸話でした。

2位はこちら!荒木は思わず計らず、信長の敵とです!
荒木村重が中川清秀の諫言によって、織田信長に敵対することに成るというお話ですが、面白いのは基本的に、
摂津国衆は高山右近を除いて、信長に反抗することを支持する、と描写されている所ですね。
天野忠幸先生の研究によると、実は荒木村重の乱が討滅された後も、摂津国衆や惣村は信長との戦いを継続しており、
それは信長が戦争をし続けている所から来る、過度の軍役への強い反発があったとしており、荒木村重もそういう地域の
領主として、「領民」たちの不満を無視することが出来ず、信長に反抗せざるを得なかった、とありました。
これは村重に限らず、信長が多くの謀反を起こされた理由の一つとして、納得できるものだと思います。
この逸話からもそういう一面が見て取れるな、なんて感じました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!弓取りほどの者は、彼の行いを煎じて飲むべきです!
立入左京亮入道隆佐記を書いた立入宗継は、朝廷の禁裏御蔵職であったそうです。そういった人が明智光秀を
高く評価しているのは面白いですね。光秀は最近では、信長政権後期において、「近畿管領」と呼ぶべき役割を
任されていたと言われます。それほど、織田政権の中で京・畿内における代表的責任者と、自他ともに認識されていた
ということなのでしょう。こう言った評価も、だからこそ、という面があるのでしょうね。
逆に言えばそれだけ畿内において強い権限と高い権威を持っていたからこそ、本能寺を意図してしまったのかなあ、
などとも感じます。
そんな事もふと考えた逸話でした。


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週間ブログ拍手ランキング【03/08~/14】

2018年03月14日 22:13

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高橋鑑種、謀反の意思 13

欲の熊鷹股裂くる 12

仙石橋 白滝橋 9
夫の留守を守った妻 8
故に仙石氏の敗卒、つつがなく国へ帰る 8

お珊地蔵・珊誉女 7
有馬と龍造寺合戦の次第 5
船岡山合戦 5
諏訪併呑 5

塩尻峠の戦い 4
大手が敗軍した以上は 3


今週の1位はこちら!高橋鑑種、謀反の意思です!
高橋鑑種が大友宗麟に背いた理由。兄である一萬田鑑相の妻を奪うために、兄を誅殺した所から謀反の心が生まれた、
という事ですが、大友宗麟・義統父子には、こういった逸話が多いですね。事実かどうかはともかく、こういうイメージを
持たれていた、という事なのでしょう。また完全に作り話かというと、お隣の毛利輝元にも似たような話があり、しかも、どうも
事実らしきフシが有り、一概に否定が出来ないのが困ったところです。
有力な戦国大名と言えども、自己をコントロールしきれる政治人間は少なく、殆どは生々しい、人間味あふれる人間であった、
と言えるかも知れません。
そんな事を考えさせてくれた逸話でした。

2位はこちら欲の熊鷹股裂くるです!
この逸話、内容も面白いのですが、『欲の熊鷹股裂くる』や『神いかり人恨れば必ず災害す』、『胡越千年の隔たり』と、
これが書かれた当時の言い回しが多用されているのが実に面白いですね。こう言ったところから、当時の人達の思考も、
ある程度感じられる気もします。
古文、古書を読む面白さって、こういう部分もあるな、と改めて思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!有馬と龍造寺合戦の次第です!
これの面白いのは、龍造寺と有馬という、戦国大名同士の闘いの起こった根源が、踊り興行の集団と村民との、ある意味
他愛のない喧嘩(死者は出ていますが)という所ですね。
戦国大名同士の戦いというのは、実際には殆どが、国境での村や集団の小さな紛争が拡大して起こるものだと言われています。
「境目相論」と言われたりしますね。この逸話は、そういったものをきちんと表現していて、ある意味大変リアルだと感じました。
この程度のことから、一国レベルの争いに発展してしまうのが、戦国時代なのですね。
そういう意味で、なんだか感心してしまった逸話でしたW


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週間ブログ拍手ランキング【03/01~/07】

2018年03月07日 18:39

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秀頼公が降らせたとしたら 19

悪い知行地 17

それ故に、私は未だ身の養生を 12
慈悲なる覚悟 9
福島正則は侍衆を叱った時 8

こうして民部少輔高国と申す人を家督に据え申した 7
そういった格好をするものは 7
紀伊守殿は利口ぶっている 7
九郎殿は御腹を召され 4


今週の1位はこちら!秀頼公が降らせたとしたらです!
細川忠興による、わりと辛辣(?)な豊臣秀頼評。これは息子忠利への書簡であり、公開を目的としたものでない以上、
かなり本音を言っているとみていいのでしょう。
どういう意味なのか、いろいろな受け取り方が出来ると思いますが、個人的には単純に、秀頼という人は
怨霊としても、そういっただいそれた事の出来る人ではない、と受け取っていいと思います。
実際の秀頼という人も、どんな史料や逸話からも、彼個人の強烈な意思というものを感じることはあまりありません。
秀頼本人を、割と近い場所から見ていた細川忠興のこういう証言も、秀頼という人の個性を考える上で、貴重な史料ではないかな、
と思ったりもします。

2位はこちら!悪い知行地です!
たしかにむかし話的ですね、こぶとり爺さんや舌切雀とかのw
前例から、同じように「御暇を下さい」と訴えればよかったのに、とも思いますが、そうしたらそうしたで、正則の方に
何か別のスイッチが入ってやっぱり切腹させられるような、そんな気もするのですwもしくは本当に暇を取らされるとか。
「福島太夫殿御事」は、基本的には正則の立場から編纂されたものだと思うのですが、ただその内容を読んでいると、
福島正則というひとは、仕えるのが難しい主君だなあ、などとも感じてしまいます。もしかするとそういう面もふくめて、
福島家中の人々の能力を鍛えた、のかもしれませんがw

今週管理人が気になった逸話はこちら!それ故に、私は未だ身の養生をです!
有名な石田三成の「干し柿」の逸話、こういうものもあったのですね。普通に喉が渇いたと言えば茶が出てきたw
その上で茶菓子としての干し柿を食うかどうかという話とは。
このお話、三成の武将としての不屈さも表していると思いますが、「自分の体調」の事ばかりを気にしていて、親切にしてくれた
老女の「心を得る」部分に気が至らない、三成のある意味偏った性格も見せているな、なんて思います。
秀吉なら大喜びで食うでしょうね。食わないにしても何か気の利いたことを言うなり与えるなりして、その親切に報いる自分、を
表現すると思います。
勿論これが事実かどうかはともかく、という話ですが、江戸前期頃の人々の、石田三成という人に持っていた印象は、良く
表されていると思います。



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