週間ブログ拍手ランキング【03/16~/22】

2017年03月22日 10:34

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今は、天下創業の御政務である。 16

用来の用、不用の用、明勝の用 11

明主の賢慮は推量し難い 10
「法度は改め変える事なかれ。年貢は少なく取ろう」 10

1567年(永禄10年)、豊後の王よりの書簡 9
平手政秀は優美な男であった 9
糞瓶の運上まで取っていく 8

これよりしてこそ、信長公の名誉は  7
サウジの国王が来日で混乱どころの話じゃないレベルで 5
「さざえ”あわびのかみ”になられたのだ。」 5
秀吉公は神明を仰がれられて 2


今週の1位はこちら!今は、天下創業の御政務である。です!
江戸幕府初期の幕僚の思いを、土井利勝が語る逸話です。
実際に江戸幕府は創業の時代を「武断政治」と定義していて、まあ要は「社会の安定を脅かしそうなモノは何でも容赦なく
潰すぞ」みたいな発想です。秀忠、家光期に外様譜代の区別なく大名の改易が多かったのは、そういう考えがベースに
あったようです。
ただそういう乱暴な政治は長続きしない、という考えも江戸幕府は同時に持っていて、社会の安定を一定のレベルで達成したと
判断された家綱、綱吉期に、「文治政治」に転換されます。
「平和で安定した社会」は、当時の日本人が誰も経験したことのないものであり、初期江戸幕府というのはそれを、かなり自覚的に
定着させようとしています。その目標に向かっての幕府の高級スタッフの矜持とはかくなるものであった、というものを
感じさせる逸話だと思いました。

2位はこちら!用来の用、不用の用、明勝の用です!
徳川家康の、家中の人々の用い方についてのお話。
やはり面白いのは、「役立たずでも捨てるべきではない」という部分でしょうか。そこから「賢い子供が生まれてくるかもしれない」
という発送は、実に封建時代的ですが、「イエ」と言うもの自体、一族血族が全体としてフォローし合いイエ共同体を維持発展
させる、という発想の在るものですから、そういう「イエの原理」を認めたものと考えていいかもしれませんね。
あるいは「主君にバカが出ても忠誠を強要されるんだから、家臣にバカが出ても許されるべき」という考えかもしれませんw
色んな意味で、近世の家中というものの発想を表している逸話じゃないかな、なんて思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!平手政秀は優美な男であったです!
平手政秀の優美なその行動。平手政秀といえば「若い頃の信長に右往左往する爺」といったイメージが、やはり強いかと
思いますが、こういう逸話を見ると、非常に水際立つ武士だったと感じさせますね。
平手さんもそうですが、歴史上の人物の世間的なイメージと実態って、相当別物です。歴史を学ぶ面白さの一つに、
「この人、こんな人だったのか!」という発見があると思います。そこから、同じ歴史上の事象でも、それに対する解釈が、
自分の中でどんどん変化したりもします。
この逸話も、そういう取っ掛かりをくれるものじゃないかな、なんて思いました。


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週間ブログ拍手ランキング【03/09~/15】

2017年03月15日 19:12

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山口さんお疲れ様です。 45

讃岐守の子は油断できない 22

「織田信長は類なき大うつけ者」 15
大河ドラマ応援エピソード 12

大人・公子の御身として、幽霊女の真似など 10
此の方の宛名は何と書いた 10
すなわち御名を織田三郎信長と付けなさる。 10

髪に伽羅を 9
もはやというところで余りの苦しさに 8
三州山中八幡の事  7

「父は知らず。母は官女」 6
賊軍の平行長から 6
平戸広前院、壱岐覚音寺、田平弥勒寺、城下正安寺、誓願寺等鐘之事 6

坂田五郎左衛門、穴沢左近と勝負之こと 付異聞 5
種子島蔵人 5


今週の1位はこちら!山口さんお疲れ様です。です!
この山口直友という人、かなり不思議な人物で、丹波赤井氏出身なのですが何故か信濃山口氏を相続しいつの間にやら
徳川家康に仕え近習と成っていたりと、徳川家中でもかなり珍しい経歴の人ですね。
なお、この、かなりアクティブな経歴からは「ホントかよ?」と思ってしまうのですが、病弱だったようで、
そのため長く女性を遠ざけていたにも関わらず。60歳になってから18歳の妻を娶り、この妻が早世すると
74歳で19歳の妻と再婚するという、老齢に成ってから何かに目覚めたフシのある方でもありますw

それにしても徳川家康という人は、こういう学術的な技能を持つ家臣をわりと大切にしますね。
オランダ人から時計が献上されたときも、家臣にこれを分解させてその原理や技術を習得させています。
信長が時計を献上された時、「我々では壊れても修理できないから」とそれを返した、なんて話がフロイスの日本史に
収録されていますが、こう言ったあたりに信長と家康の個性の違いを見ることができるかもしれません。
このあたりも一般的な印象と逆ですが、織田信長という人はかなり素朴な武辺の人で、家康の方が新奇なもの大好き、
だったりします。
そんなこともふと思ったりしました。

2位はこちら!讃岐守の子は油断できないです
島原の乱の頃は、何のかんのでまだまだ徳川家中の「武功派」が生きていますから、若手との摩擦というのは
当然有ったことでしょう。そんな一面を感じさせてくれる逸話です。
それにしてもこの時期の幕府重臣というのは、この酒井忠朝もそうですが、この手の組織の中の摩擦をうまく調整する
能力に長けた人が多い、って感じがありますね。「豊臣政権」にこの手の能力を持つ人が少なく、結果分解してしまった
事を考えるに、非常に対照的に思えます。
こう言った人材が集まったこと、意図的なのか偶然なのか。相違言ったことをいろいろ考えてみるのも、面白そうです。

今週管理人が気になった逸話はこちら!
「織田信長は類なき大うつけ者」です!
個人的には、若い頃の織田信長は、本気でグレていた、と思っていますw
それが、平手政秀の切腹などで改心して、「世間から模範的な武士と呼ばれるようになろう!」と一念発起した事が、結果として
彼を天下取りの道に進ませた。と考えています。
そういう目で見たほうが、織田信長という人物をわりと素直に理解できると思うのですよね。
前にそんな風に考えていたことをふと思い出した逸話でした。


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週間ブログ拍手ランキング【03/02~/08】

2017年03月08日 09:40

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御当家からの御恩賞 16

沼田の御方勇力の事 12

汝はこの夜中にどこに 11
桶狭間の戦いの時 11

加賀爪忠澄の名裁き 9
見物の群衆があちこちにできたところを、入れ替わりに 8

岡本大八事件を受けての処罰と処置 7
「差出高の衆」 7
せめて連歌ならば 7

鳥居家改易顛末 6
可児才蔵、宝蔵院に槍法を学しこと 6
“公方絶ゆれば吉良継ぎ、吉良絶ゆれば今川継ぐ” 6

人にとっては、一言であっても 4
「甲乱記」では勝頼の新府城からの逃亡を 4
まず尾張を攻め平らげて攻め上らん 4

織田信長殿、内裏様を殊の外大切に思われ 3
真田幸村の遺跡付秀頼 2
浅井殿を打ち潰そうと心がけなさったことによって 1


今週の1位はこちら!御当家からの御恩賞です!
この逸話の面白いところは大名(格)となったときの所領が「本領」として、一種の基礎的財産と理解されている所ですね。
改易などもこれをベースに行われると、少なくともこの武野燭談が成立した頃には、そう考えられていたようです。
そういえば中世では借金の形として土地が質流れしても、その土地自体の潜在的所有権は失われず、その土地の売買にも
もとの所有者の許可が必要だったり、また優先的返還権を有していたりしたようです。
そういった中世の土地財産に関する慣習が、この意識に繋がったのかな、などと思いました。

2位はこちら!沼田の御方勇力の事です!
小松姫怪力のお話です。このような小松姫像は、姫自身がやはり、「女傑」を感じさせる人物だったことが大きいのでしょうが、
それにさらに、平家物語や太平記などの「女武者」のイメージが付加されていったのかなあ、なんて思います。
そういったものが付加されるだけの器量の持ち主、という印象があったのでしょうね。
こういう逸話は、その行間から、逸話成立当時の人々の持つイメージや、その人物に対する感情のようなものを読み取るのが
面白いな。なんて考えています。

今週管理人が気になった逸話はこちら!「差出高の衆」です!
差出し検地というのは、現代では「(惣村の強い反発を受けやすい)竿入れ検地が出来るほどの大名権力が無かった」、
すなわち大名権力が未熟であった、なんて評価されたりするのですが、この当時は一種の「既得権」として捉えられていた、
というのが非常に面白いと思います。
出典の翁草は江戸中期の成立ですが、確かにこの頃では辺境であっても、大名権力のあり方は中央と特段差がなく、
実高と差出し値の差から来る得分ばかり目につく、という状況だったかもしれません。まあこういう「差出高の衆」も、
今後様々に苦しくなっていくのではありますが。
こういうのも、「その時代」の空気を感じさせてくれる逸話だな、なんて思います。


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週間ブログ拍手ランキング【02/23~03/01】

2017年03月01日 09:57

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伊東家による宮崎城攻め 21

松平家信「若輩とは十二、三歳の事」 18

流石長慶とも言える武将としての優美さ 15
奈良かしや この天下殿二重取り 13
羽織についての事 10

居間に有る屏風を取り寄せよ 9
森川重俊の殉死、それに纏る事ども 8
熱川温泉は猿が温泉に入っているのを 6

山下金之助 5
今川義元。足みじかく。胴ながく 5
獄司所用の鑓之事 5
この説虚実を知らず 4
不服秀吉異見条、間柄不快。 4


今週の1位はこちら!伊東家による宮崎城攻めです!
伊東祐兵の軍勢が、機敏に宮崎城を攻め落としたお話。このあたり、当時の伊東家の軍勢、特に稲津重政が
高い戦場感を持っていたことを感じさせますね。まあ混乱に乗じた火事場泥棒的とも言えるのですがwしかしこれぞ
「切り取り次第」の実践ですね。
この後も伊東家は様々な紆余曲折があるのですが(面白いのでぜひ調べてみてください!)、この時期が、日向を陥落以降、
伊東家が最も高揚した時かもしれませんね。

2位はこちら!松平家信「若輩とは十二、三歳の事」です!
はやり「親の心子知らず」「子の心親知らず」なんて言葉を思い出してしまいますね。そして「いつの時代も」なんて気持ちに
なってしまいます。特にこの紀伊守家忠(家忠日記の深溝松平家忠とは別人)にとって、家信は一人息子だった模様で、
家の保持という面でも、うかつに戦場に出すことに、強い不安があったのでしょう。結果として紀伊守系の形原松平家はこの
家信の時代に大発展を遂げることに成りますし、その基は家信が家康に初陣を訴え出たことが強く印象に残ったため、
とも言えるかもしれません。
いろいろな角度、立場から、考えることの出来る逸話だな。なんて思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!流石長慶とも言える武将としての優美さです!
『翁草』は江戸中期成立の書籍ですが、この時代で歴史上の人物に対し、知識人層でも、儒教道徳にとらわれず
『当時の風俗を以って評価すべきだ』という発想があり、それを書籍の形で発表している事に、やはり感銘を覚えるべきだなと
思っちゃいます。
家康が新田源治を名乗ったことから、江戸期は基本的に南朝を讃えており、その敵役として徹底して悪党に描かれていた
高師直を、きちんと文化人であると評価している部分からも、イデオロギーや公的道徳を相対化出来る知性の高さ、
みたいなものを感じます。
著者である神沢杜口は突然現代に現れても、すぐに近代人として生活できるだろうな。などとも思いましたw

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さて、久しぶりに本を紹介します!今回紹介するのは、こちら!

平山 優 著 『武田氏滅亡』です
http://www.kadokawa.co.jp/product/321601000712/



帯にも有りましたが、まさしく「大著」と呼ぶに相応しい本です。それは751ページという
分量だけでなく、その濃厚な内容においてもそう呼ぶべきでしょう。

この本は、ただ単に地域権力たる武田家が信長の中央権力に飲み込まれる過程を描いたものでは
ありません。武田家という強大な戦国大名の滅亡を通して、戦国時代末期の日本の様相というものが
描かれています。

この中で、戦国時代末期は、研究の進展によって顕れた、新しい相貌を見せてくれています。

天正期に入っての日本は、明らかに、二つの「中央権力」が存在していました。
一つは将軍・足利義昭を追放することによって成立した、新興たる信長公儀。
もう一つはその追放された義昭が、旧来の権威に寄って、信長に反発する各地の
戦国大名を統合する義昭公儀です。

義昭を追放した事で、織田信長は逆に、全国を覆う足利義昭の謀略により、
塗炭の苦しみを味合わされます。
読者は、足利義昭という人物によって形成された「反信長連合」の壮大さ、緻密さに驚き、
義昭の評価は改められるべきと感じるのではないでしょうか。
信長は、『分裂した公儀権力の克服』に、多くの時を費やされます。

そして各地の戦国大名は、激しくぶつかるこの二つの公儀のどちらかと、否応なく結びつくことになります。
その状況は、本来的には地域権力であったはずの戦国大名を、「中央の理論」と「地域の理論」の間で
もがき苦しませます。上杉、北条、毛利、そして武田家。
その相克こそ、近世の「産みの苦しみ」であったのでしょう。
読者は、この本の「主人公」といえる武田勝頼を始めとした戦国大名たちが、そのような状況・情勢をどう判断し、決断し、
それによって何が起こったかを追体験するのです。

実はボクもまだ、これを読んでいる途中です。そして読み進めるごとに圧倒されています。

ただ、本当に分厚い本ですが、決して読みにくいものではありません。むしろ戦国初心者でも、
かなり入りやすい物では無いかと思います。
そしてタイトルは「武田氏滅亡」ですが、決して武田家だけにスポットの当たった内容ではなく、
むしろ、東日本情勢を中心とした汎戦国末期史と見るべきものであり、あの時代に関心のかる方全てが、
興味を持てる内容であると思います。

ある意味、ページ数に惑わされず、先ず手にとってほしい。そういう気持ちになる本です。
つまるところ、お薦めなのですw

※ 現在品薄とのことで、まもなく重版がかかるようです。著者の平山先生によればアマゾンで予約するのが確実、とのこと。

週間ブログ拍手ランキング【02/16~/22】

2017年02月22日 21:22

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鼻の色はかはりにけりな異な面に 42

思う事 一つ叶えば又二つ 17

これが武道の眼つよみ第一 15
井上正就、及びその父のこと 15
自身の大水牛の立物にも 13

あのようでも良きことがある 10
武であるのに嗜みをしないこと 10
家蔵、山科弓 9
かの国に我が軽便なる仮名文を 9

喜多見殿はいつから鼻付を 8
宇喜多秀家流罪に及びしこと 8
嘉隆の運命のほど 8
産湯八幡付産湯の井併井辺の大楠 7


今週の1位はこちら!鼻の色はかはりにけりな異な面にです!
忠恒はの、中学生並みのイタズラと、侏儒どんの見事な切り返し。これに限らず徳田太兵衛の逸話には、
なんとも不思議な空気感が有りますねwかなり冷酷なイメージのある島津忠恒も、徳田太兵衛の前では
悪ガキに戻れる。そんな関係だったのかなあとも感じますね。
薩摩という土地は、良くも悪くも殺伐さが特徴的な面があるのですが、この侏儒どんの逸話は、そんな薩摩の
違った面を表してくれているように思います。

2位はこちら!思う事 一つ叶えば又二つです!
南龍公、徳川頼宣の逸話ですが、家康の子供の中でも、特に豪傑の感が強い人物であり、この逸話も
そんな豪傑性を強調しているのですが、そんな彼でも、このように「望みを果たそうとすると、きりがないものだ」なんて、
諦観めいた歌を口ずさむとは。その対比が面白い逸話だなあ。なんて感じました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!自身の大水牛の立物にもです!
細川忠興は「兜の立物はあえて壊れやすく作るものだ」なんて言っていましたが、こちらの黒田長政は真逆。
「抜け落ちないようにしっかり固定しろ」と言っています。
こんな事でも基本的な思考が違うのか!と、少々感動してしまいました。これは仲が悪くて当然ですねw
もう思想の方向性が噛み合わない。
黒田家と細川家が対立したのは、ある意味宿命だったのだなあ。そんな事まで感じさせてくれた逸話でしたw



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
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それから、左のカテゴリ、主家以外の家中をアイウエオ順に並び替えました!もうずっと増えるに任せて放置してきましたが
さすがに分かりにくすぎるということで、なんとか改善(?)してみました。
多少なりともこのブログが皆さんに使いやすく慣れば、幸いです。

これからもどうぞ、よろしくお願いいたします。m(_ _)m

週間ブログ拍手ランキング【02/09~/15】

2017年02月15日 18:24

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人々は康政に 24

「すわ、例の本多よ!平八郎よ!」 22

上野介、良く聞け。 17
時節相応に主とする所を、 16
中筋村の飢饉 ~妙玄寺縁起~ 15

猩々瓶 14
台徳院様が三河田原で御狩りをなさった時 12
本多忠勝、本丸の堀を腰の高さまで 11

子孫秋月氏と改称す。 10
伊達政宗、豊臣秀吉公へ初見之とき謡ひし歌付政宗豊公へみへし考 9
尼ヶ崎侯家紋九曜を用る由来 8
「孕石の一番槍を見たぞ!」 8

金剛大夫の祖、朝鮮攻のとき彼地に渡りし話 5
長坂源五郎の事 5
この八十島は 5


今週の1位はこちら!人々は康政にです!
有名な、小牧長久手の時の榊原康政の立てた高札と、その後の秀吉の反応です。
井伊直政の逸話でもそうですが、こういう時に対比として石川数正が出されてきちゃうのは、ある意味お約束ですね。
そういえば余り知られていませんが、石川数正はその諱を、家康からの偏諱をもらった『康輝』に改名しており、であるのに出奔後、
秀吉のもとで大名になると、今度は秀吉の偏諱を得て『吉輝』に改名したとされます。
これが事実だとすると、それもまた「節操の無さ」として世間が印象したかもしれません。
榊原康政たち徳川武士の「節操」を語る時、絶好の比較対象であった。石川数正は意図せず、そういう存在になってしまった
のかもしれません。

2位はこちら!「すわ、例の本多よ!平八郎よ!」です!
本多忠勝の具体的武勇を表した逸話ですね。河中に入れば、当然動きが制限されるのですから、心理的にも
そこから取って返すというのは、大変な勇気を必要とした行為だったことでしょう。それこそ、一度「背水の陣」を放棄して、
もう一回背水の陣に、しかも一人で成るということですものね。
小牧長久手での武勇もそうですが、本多忠勝には、「平然と自分自身を的に出来る」という面に強い印象を持たれていた、
というフシがあります。そういう姿を戦国時代の人たちも「かっこいいなあ」と感じたのでしょう。
『天下無双』と呼ばれるためには、能力とまた別個に、そういう度胸と運が必要であった、ということでもあるのでしょう。
これは現代でも同じようなものかもしれません。

今週管理人の気になった逸話はこちら!猩々瓶です!
非常に実証主義的な話でもあり、また残虐な暴君的逸話でもあり、のちの松平忠輝の運命を感じさせるような内容だと
思います。ただ、これを読んで、「織田信長の、このあたりの逸話に通じるものがあるな。」と感じました

織田信長、無辺を殺す

もしかしたら似た系統の逸話を検証することで、当時その人物が世間にどのように把握されていたか、見えてくるんじゃないか、
なんてことを考えました。



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週間ブログ拍手ランキング【02/02~/08】

2017年02月09日 18:27

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内裏の修理を完了 25

徳川頼宣「動いて見給え。忽ち刺し申すぞ!」 23
秀忠は、参勤してきたとの注進を聞くと 23

十三塚原 22
一人の弟を捨て殺さば 15
その後鶴の汁にあたり申した 15

土呑み裁判 14
朝鮮飴〔細川氏家製〕之事 13
佐州は未だ御愁傷のうちに 11

永禄六年〔足利氏の末〕諸役人附鈔書付考註 9
岡崎殿御生害之こと併異聞 10
【ニュース】織田信長=「大猿」「黒鼠」 豊橋金西寺文書に辛辣な批判記述 6
隅州高城、日州耳川での大友家敗北により 6

正しく沢庵の書であった。 5
“淫乱の人跡”とはいったい… 5
〔壱岐〕朝鮮鴉之事 3



今週の1位はこちら!内裏の修理を完了です!
織田信長という人が、「将軍や朝廷と言った旧権威を否定した」などと言われたのは今や昔。現在の織田信長像は、
旧権威を尊重し、むしろその復興の尽力した人物、とされるまでになりました。ただ、実は史料を素直に読むと、信長は
そういう性格であるとしか読めないのですが、一種の「思い込み」や「願望」に引きずられて、史料解釈が非常に歪んだ
状況が長く続いていた、というべきでしょう。その傾向は、もしかするとまだまだ払拭されていないかもしれません。
「書いて有ることを、先ずは素直に読む。」歴史に限らず、何かを学ぶ時は先ずはそこから始めるのが大切なのじゃないかな。
なんて思ったりしました。

2位はこちら!徳川頼宣「動いて見給え。忽ち刺し申すぞ!」です!
南龍公が龍(?)に驚くというお話、色々解釈できそうなお話ですけど、紀伊の山奥ならこんなこと起こっても不思議じゃないかな、
なんて思っちゃいますねw
ちょっともののけ姫的な光景も想像して、ワクワクしちゃいます。ビジュアルとしてみてみたく成りますね。
徳川頼宣の剛毅さも、紀伊の山奥の土地柄も見えてくる、いいエピソードだな、なんて感じました。

同票でもうひとつ!秀忠は、参勤してきたとの注進を聞くとです!
結城秀康という人の解釈も、現代ではだいぶ変わって、「終生、父家康や弟秀忠と良い関係だった。」と考えられています。
むしろ義父である秀吉との間のほうがしっくり行っていなかったのでは…、なんて思えるフシもあります。
これもまあ、「史料を素直に読むとそうなる。」という話なのですが、史学の世界でも「先入観」の力って、やはり強いのですね。
そしてそういうものを剥がしていくのもまた、研究の力ですね。
ボクは研究者ではないですが、歴史好きとして、なるべく予断を持たずに歴史に接したいものだな、なんて思うものです。


今週もたくさんの拍手を各逸話にいただきました。いつも本当に有難うございます!
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今日は久々に本の紹介を!といっても、今や11刷、累計11万部の大ヒットと成った本、

応仁の乱
戦国時代を生んだ大乱
呉座勇一 著
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/10/102401.html

です!
まさに歴史的大乱でありながら、その複雑な構造から、いまひとつその内容が世の中に理解されてない応仁の乱。
それを見事に解き明かした、まさに名著です。大ヒットしているのも納得です。
多くの人が手に取られていると思いますが、まだ読んでいない人には「これを読まないのはもったいないですよ!」
という意味で紹介してみましたw

そして応仁の乱と言えば
応仁・文明の乱
石田 晴男 著


こちらもおすすめです。こちらは乱の分かりにくさをそのまま引き写したような、天下の難解歴史書として、実は有名だったりしますw
読んでいくのにかなりのタフさを要する本なのですが、呉座先生の「応仁の乱」を読んでからなら、かなり頭に入りやすいのでは、
と思います。こちらの本は、とにかくデータの全部乗せ!と言っていい内容の濃さですので、呉座先生の本で応仁の乱を
面白いと思った方には、次に読む本としておすすめしたいです。

この機会に、世間で応仁の乱がもっともっとメジャーに慣ればいいな、と思っています!w

週間ブログ拍手ランキング【01/26~02/01】

2017年02月01日 09:11

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三条三光院殿が十六歳の御時 29

一備の将たる者は、 26

膳も飯碗も 24
武道については、これ、御覧なされよ 14

福岡侯の軍鐘を銅鑼に代る起り 13
井伊家の付人連署して直政を諫めし事 12

【雑談】戦国時代展行って初めて知った事 11
惜しいなあ、九郎兵衛とは名が古い 11
この根本を三好は推し量り 8

ただその時の運によって 7
「三好」と人の言い伝えているのは 7
隈本、佐嘉、清正之縄と云伝る事 7
清正の花押筆画多かりし事 3


今週の1位はこちら!三条三光院殿が十六歳の御時です!
年長者たちのいやがらせ(?)を、見事に切り替えしたお話ですが、実に才知というものを感じさせますね。
この三条西実枝といえば、細川幽斎に対し『古今伝授』を行ったことでも有名です。あの幽斎の師匠と云われて、
納得もさせられますねw
基本的には頓智話の枠内なのでしょうけど、面白いお話です。

2位はこちら!一備の将たる者は、です!
徳川家康が井伊直政に、赤備えを任せる時に与えた教訓。直政のことを期待しつつ、実に心配している様子も
感じ取れます。当時の徳川軍が多士済々の中、あえて若く経験も少ない直政を選んだというのは、大抜擢もいい所ですからね。
家中の軋轢もあっただろうなと想像できます。それを押して決断した家康ですが、やはり心配は心配だったでしょう。
それがこのような書状になったのでしょうね。
しかしこの後直政は、独断や単独行動をしまくり、家康の付けた重臣層とは対立しまくるわけで、しかしそれでも
徳川軍の中の「軍団」としては結果的にうまく機能するわけで、世の中一筋縄ではいかないな、ということも感じたりしますw

今週管理人が気になった逸話はこちら!この根本を三好は推し量りです!
確かに信長公記で太田牛一は、三好三人衆による足利義輝謀殺(永禄の変)を、三好長慶がやったと記しているのですすよね。
これは三好長慶が「自分の死を秘匿せよ」と命じたことが、少なくとも地方では機能していた、という事を表していると言われます。
一方この老人雑話の内容を語った儒医江村専斎は京近辺の人であり、このあたりからも、当時の地方と京の情報格差を
感じさせるな、なんて思います。
そういった比較をしながら読むのも、逸話の面白さでしょうね。



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2017年01月25日 09:07

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謎の手紙 19

”八幡大菩薩”の大旗を差しかざし 15

晴宗は大身であることに奢り 12
三成は亭主として 11

「又左衛門は、まったく只者にあらず」 9
仙石氏の家紋 8

水野勝成宛消息 7
今大路道三養生訣ならびに狂歌 7
真田幸村の智謀 7

しかしながら、忠輝卿は 6
脇坂氏之先、裏切叛逆に非ざる事 6
池田輝政"せいひく舞"を舞う 6

高麗宗五郎。付吾国高麗町之事 3
蜂須賀至鎮の手紙、名古屋城普請のときのはやり歌 3
忠輝卿幽閉 3


1位は伊達政宗から水野勝成への書状について謎の手紙です!
伊達政宗といえばそれはもう露骨に油断の成らない人ですが、水野勝成も有名な傾奇者であり一筋縄で行く人ではありません。
その二人の書状のやり取りにはどうしても注目したく成りますね。
どんなことを指して言っているのか、たいへん想像が膨らみます。
しかしこの二人、大阪夏の陣では、追撃戦においてかなりガチでやりあっていたのですが、そのわりに仲良さそうなのがまたw
きっと、気は合うんでしょうね。そんな感じしますw

2位はこちら!”八幡大菩薩”の大旗を差しかざし玉縄北条氏といえばもちろん、あの”黄八幡”北条綱成に連なる北条一門の武の名門です。氏勝はその孫ですね。
彼はその黄に染まった八幡大菩薩の旗を掲げ入城したわけです。
そういえば武田勝頼について、実は長篠の後、少なくとも高天神城落城の頃までは、むしろ勢力の回復基調に
ありました。昨今の勝頼再評価は、そういう面も含まれていますね。信長も最後まで勝頼を非常に警戒していましたし、
当時の感覚としては、武田の滅亡は「頓死」に近い受け止められ方をしていたようです。

今週管理人が気になった逸話はこちら!三成は亭主としてです!
わりと「コミニュケーションが苦手」的な印象を持たれがちな石田三成ですが、ここでは実に堂々とした亭主っぷりを
発揮しています。三成自身も茶人でしたし、こういう事の嗜みが、十分以上にあったことが伺えます。
ただ、この逸話の中にも出てきましたが、実に「重々しい」。いくら家康からの遣いといっても、ちょっと重すぎないか、
と思わなくもありませんwこういうのをみると、良くも悪くも「過剰」な面があったんだろうな、なんて想像したりします。


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週間ブログ拍手ランキング【01/12~/18】

2017年01月18日 09:38

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豊臣秀次の最期 26

日光一文字刀之拵注文 25

名人久太郎 13
秀次妻子の処刑 13
松阪城の歴代城主に服部一忠ってのが居た 12

高家今川氏先祖祝ひ之事付表高家品川氏之事 8
一段の事である。そのまま夫婦にせよ 8
朝鮮攻の節、香蘇散の験 8

池田家臣伊木豊後と若原右京の衝突(未遂)事件 7
白熊の引きまわしなどでは、 6
快事 6

鎌倉光明寺勅額裏年号之事 3
鳥居家に似合わぬ軍法かな 2
門は、上総主が。家は松平筑前守が 2


今週の1位はこちら!豊臣秀次の最期です!
秀次の最期と言えば、昨今「勝手に切腹した説」なるものがあり、去年の大河「真田丸」でもその説を採用していましたが、
個人的にはあの説は納得出来ないと考えています。秀吉は秀次の切腹までに、秀次の重臣である白江備後守、熊谷大膳を
切腹させ、秀次を弁護した木村常陸介を斬首し、その首を秀次に送りつけています。何れも秀吉の強い怒りこそ感じますが、
秀次を助命しようなどという甘い考えは全く見えません。
この逸話の中で秀次は、実に堂々とした切腹をしていますね。この「石田軍記」は石田三成の陰謀を強調する軍記物なので、
その陰謀に陥れられた秀次を立派に描くのは、ある意味コントラストを際立たせる作劇上の演出ともいえるのでしょうが、
これに続く秀次妻子の処刑の話もそうですが、悲劇的な最期を迎えた人々の死に様を立派に描くことで、せめてもの供養と
しているのではないかな、なんて思いも抱いてしまいます。

2位はこちら!日光一文字刀之拵注文です
黒田家伝来の名刀、日光一文字、圧切長谷部、安宅切の拵えが同じ、というお話。黒田忠之はわりと変人っぽい感性を
感じさせることのある人ではありますが、この話は黒田家の刀剣を、黒田ブランドに統一しよう、みたいな思いをちょっと
感じさせてくれます。
そういえば某ゲームの衣装は、拵えのデザインが反映されているのですね。そういう所、やはり嬉しくなっちゃいますねw

今週管理人が気になった逸話はこちら!池田家臣伊木豊後と若原右京の衝突(未遂)事件です!
こういう事件に、戦国間もない世間の殺伐さ、というのを感じるものなのでしょうが、これ以前の室町期などの歴史を知っていると
「合戦に成らず丸く収まっている!」
ということに驚くかもしれませんw室町期にこんなことがあったら、主君がどうあろうと、双方が家の子郎党を集め武力衝突に
至ったと確信を持って言えます。その視点からすると、殺伐とした世相というよりも
「武士は戦国を経て文明的になったんだなあ」
という妙な感慨を持ってしまいます。そんなことを思った逸話でした。


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週間ブログ拍手ランキング【01/05~/11】

2017年01月11日 17:45

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森忠政の水理 21

野口(もしくは野上)七郎右衛門という人は 17

日本の諸大名はこの日初めて、 14
督姫、池田家への入輿/伊庭惣兵衛の弓術 13
“嶺の松雪に圧さるる” 13

太刀「瀬上がり」 13
が、江口石見という者は 11
浅野幸長が早逝したのは 11

備前国福岡城合戦福井小次郎歌を遺して討死の事 10
ちょっちゅねが上手い事言って駿馬2頭GETする 8
上杉謙信自画併辞世詩 8

豊臣家の台所 7
知恩院の霊厳和尚和歌、公卿色を正ふする事 6
獅子踊祭 5
再福岡合戦 薬師寺額田片岡三士討死の事 5


今週の1位はこちら!森忠政の水理です!
治水の出来るのが良い領主、というのは古代から世界中で一種の真理みたいなものですね。古代中国の堯舜の世なんて、
徹頭徹尾治水ですし。森忠政も治水によって名を残せた、というのは、彼にとって栄誉の一つというべきでしょう。
確かに彼が領した金山といい川中島といい、治水が大変な地域ばかりです。だからこそ美作でも、統治の基礎として、
治水を重視したのでしょう。
わりと本気で、多くの人にとって、イメージがある程度固まってしまっている森忠政という人物を見直すきっかけとなる
逸話かもしれません。

2位はこちら!野口(もしくは野上)七郎右衛門という人はです!
この逸話とは直接関係ありませんが、戦国後期は甲冑類が全般的に軽装になっていく時代だと言われます。
これは鉄砲の普及で甲冑の効果があまり見られなくなったのが関わる、とされていますね。
足軽なども胴丸を着ていればいいほうで、やや厚めの羽織や紙子を着て戦場に出る物も多かったと言われます。
装甲よりも機動性、という考えが普及したのでしょうね。
戦国時代が仮にもう少し長く続けば、西洋のように、甲冑は兜や胸当てに象徴的な物を残して滅んだかもしれません。
そんな事がふと頭に浮かんだ逸話でした。
甲冑がなくても、なんとかなった時代に入っていたわけですね。

今週管理人が気になった逸話はこちら!日本の諸大名はこの日初めて、です!
官位や所領で他を圧倒しているといっても、基本的には豊臣政権内の「同僚」であった徳川家康が、諸大名の上に立つ
存在として、初めて認識された瞬間を捉えたお話ですが、なんとも生々しいものが有りますね。
印象的なのは、この後「五奉行」となる増田長盛と前田玄以が、率先して家康に従う姿勢を見せているところです。
この時点で家康の「権力」が、豊臣家公認のものであったと見て取ることが出来ます。
この状態から、秀吉の死後に石田三成や毛利輝元などの巻き返しも有り、様々な混乱の挙句、関ヶ原に至るのですが、
そういった歴史の始点としても、この光景は見ていいのじゃないかな、なんて考えたりしました。



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつも有難うございます!
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週間ブログ拍手ランキング【12/29~01/04】

2017年01月04日 08:12

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岩国の白蛇 19

水手(かこ)切りと厚藤四郎 17
池田輝政「もし槍先ならば」 17
「おかしき事ぞ、と存ずる」 13

我々の内実は、 10
相馬義胤の秀吉への臣従 10
予め慎む心得のある人は 10
“骨食” 10

【ニュース】真田父子肖像 原画は別人? 上智大准教授が研究 9
『武士としては』について 9
元日に将軍に出仕した衆は2日に大御所へ、2日に出仕した衆は3日に大御所へ 8

人が功を争おうとするのは悪いことだ。 7
成田氏のこと 6
元均の人柄を見るに 5
「私も子を不憫に思っていた」 5



今週の1位はこちら!岩国の白蛇です!
天然記念物でも有る、有名な岩国の白蛇ですが、米子から吉川家の姫についてきたものという伝承があったのですね。
他にもネズミが变化したものだったり、伝承の形も様々ですが、白蛇が弁天様の使いとされているのも、女性との関わりを
連想させたのかもしれません。それにしても、姫にかわいがってもらっていたからついてきた、というのも可愛いお話ですね。

2位はこちら!水手(かこ)切りと厚藤四郎です!
座礁の責任を取って秀吉によって切腹した明石与次兵衛のお話。このお話で非常に面白いのは、明石与次兵衛の碑が
流され、消失するたびに再建され、この地域の海神としての役割を担っていっている所ですね。
ふと思ったのですが、彼は所謂播磨明石氏であり、この播磨明石氏はこののち秀次事件に連座して滅亡すると
されています。この表彰は、そのような悲運を被った播磨明石氏への慰霊の意味もあったのではないかな、なんて
想像したりもしました。

2位は同表でもう一つ!池田輝政「もし槍先ならば」です!
わりと有名な、福島正則が池田輝政に下品な戯言を言ったお話。これを友人に対するの冗談ととるか、強烈な皮肉ととるかで
印象も大きく変わりますね。まあ無理やり関ヶ原後の政治軍事的な状況に当てはめると、輝政は德川親族として姫路城を任され、
これは西国に何かあった時、徳川勢力の第一防衛ラインとなり、また前線司令塔となります。その圧力は「西国大名」となった
正則ももちろん認識しており、それ故の皮肉である。なんて話になるでしょうか?
まあ、こう言った話に後世の後知恵であまり意味を求めるのも良くない事で、もし実際にあったとしても、普通に友人同士の冗談と
とったほうが無難だとは思いますw
そんな感想を持った逸話でした。



今年最初の週間ランキングでした!
いい悪い本スレの皆様、本サイト閲覧者の皆様、今年もどうぞ、宜しくお願い致します。
本年も、まったりと見守って頂けると、幸いです。
今年が皆様にとって、良い一年に成りますように。

まとめ管理人・拝
ヾ( ´ ▽ ` )ノ

週間ブログ拍手ランキング【12/22~/28】

2016年12月28日 09:35

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ある日、姫路城の池田輝政に手紙が届きますた・・・ 22

薩隅の戦国食べ物? ねったぼ 22

人で葺く 16
【雑談】なんでも鑑定団、4つ目の曜変天目について 16
米子城の伝説 15

松永貞徳が見た幽斎、物の上手と名人 13
中村家廃絶の話 ~正室、於さめの方側室の子を嗣子と認めず~ 13
大事の談合は昼に行うべし 12

結城秀康の死去/家康怒りの改葬 11
京都総検校の蔵、神祖拝領壺の事 11
本意に背く事はしないほうがいい 10
川通り餅の由来 10

士は終わる所に強い意地が 9
今川氏領地の事 7
愛宕に武運を 7
終に往く道をば誰も知りながら 7

真田左衛門佐幸村の妻女 6
淡路国をしてやったり 4
この両説は、確かには分からない。 4
同姓酒之丞が家例〔正月六日〕内称豆打之事 3


今週の1位はこちら!ある日、姫路城の池田輝政に手紙が届きますた・・・です!
ご存知の方も多い、姫路城の長壁姫(形部姫)伝説。江戸期を通して、姫路城の怪異として言い伝えられたお話ですね。
この長壁姫は人に怪異を成す妖怪、というだけではなく、年に一度姫路城主と対面し、その年の城の運命を伝える、なんてお話も
あったようです。日本では妖怪のたぐいと、わりと共存してしまいますねw
この長壁姫、現代も改修成った姫路城天守において、祀られてあります。

同表で同じく1位!薩隅の戦国食べ物? ねったぼです!
「侏儒どん」の最期について、こんなお話があったとは。
サツマイモも品種改良され続けた食べ物なので、当時のものと現代のものは相当違うのでしょうけど、やはり美味しそうですねw
ある意味、代表的な薩摩人である徳田太兵衛がこれを食べて亡くなったというのは、もしかするとその後に薩摩にサツマイモが
広まったことを、象徴するお話なのかもしれません。
「侏儒どんもこれを食べて~」なんて会話が、歴代の薩摩藩士の家庭でなされたのかも、なんて事を想像してしまいますね。

今週管理人が気になった逸話はこちら!松永貞徳が見た幽斎、物の上手と名人です
金春又右衛門がまさに感涙したという細川幽斎の太鼓。一体どんな演奏だったのでしょう。
幽斎は万能の人ですが、芸術関係においてはまさに当時の、天下の第一人者と見られていたという印象があります。
息子の忠興も顧みれないほど軍事に政治に奔走していたというのに、どこでこういうものを身に着けたのか。
天性の才能も大きかったのでしょうね。
そういえば、大河ドラマの真田丸は父子の物語でもありましたが、この細川幽斎・忠興父子も描いてほしかったな、
なんて事も思いましたw



今週もたくさんの拍手をいただきました。
そしてこれで今年最後の週間ランキングです。今年も1年、本当にありがとうございました!
来年もどうぞ、宜しくお願い致します!
ヾ( ´ ▽ ` )ノ


週間ブログ拍手ランキング【12/15~/21】

2016年12月21日 18:21

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福島正則と人柱 八振りの剣と雨夜踊り 37

「門松をやる。」 34

切腹を御許しください 18
二本松家相伝の旗 13

ただ紙を漉かせる事はいらざること 12
羽柴秀吉朱傘 12

鏡石神社 11
首を晒される事は、武士の本意 11
松江大橋の人柱 10

吉川広家(中村一忠)と人柱 人柱久米と河童の怪 9
【雑談】井伊直虎関連の話について 9
堀内家娘の事 9

松江城のギリギリ井戸 8
四足門 7
加藤清正と人柱1 横手五郎と修験者 7
加藤清正と人柱2 7

尼子の家の先祖の祟り、外からの恨み 6
尼子経久と人柱 米原太鼓 6
笄の井戸 4



今週の1位はこちら!福島正則と人柱 八振りの剣と雨夜踊りです!
福島正則が、人柱をやめさせたお話。福島正則という人は主君、領主として、善政の側にも暴政・悪政の側にも、
両極端な逸話が多いな、と言う感想を持っています。こちらはその善政の側の逸話ということになるのですが、
こういうのは「公式的」な評価をすると、「悪政の側は改易した幕府がその決定を正当化するため広めた云々」と
なりがちなのですが、僕はあまりそういう見方をしたくありません。端的に、正則という人物に(限らないかもしれませんが)
その両面があった、というだけのことではないかなあと。ある面をある角度で取り出せば、そこが善政にも成り悪政にも成り。
歴史上の人物の評価ってそういうものじゃないかな、などと言うことを僕に思い起こさせた逸話でありました。

2位はこちら!「門松をやる。」です!
この逸話の面白いところは、ツイッターでもつぶやきましたが、安藤重信に自身が面倒に思っているのに、家康に対して
「わざと負ける」という考えがカケラもない所ですね。これぞ三河者!と手を叩いてしまいますw
コメ欄によると家康ではなく秀忠である、というばーじょんもあるようですが、それもまた秀忠の生真面目さなど、
色々想像が膨らみます。
どちらにせよ徳川家の主君と家臣の関係を感じさせてくれる、いい話だなと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!ただ紙を漉かせる事はいらざることです!
蜂須賀家政といえば、あの伊達政宗から『阿波の古狸』と評された、一筋縄でいかない人物です。
この逸話も、通り一遍の解釈で良いはずがありません。製紙業といえばこの時代貴重な産業の一つであり、大名たるもの
それを領国に導入したいと考えるのが当然です。それをあえてしなかったというのは、やはりは隣国である土佐との関係を
慮った、政治的判断がはたらいていたと見るのが自然ではないかな、なんて考えました。
ではその頃阿波と土佐とはどんな関係だったのか、この逸話からは具体的年代が見えてこないので、何とも言えませんが、
阿波と土佐の関係史を調べていくことで、もしかすると何か見えてくるかも知れず、そういう面も歴史の面白さじゃないかな、
なんて思ったりしました。



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週間ブログ拍手ランキング【12/08~/14】

2016年12月14日 16:45

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「小袖餅」由来 28

塩冶興久の化け物退治 21

相馬顕胤が愛憐深く、義理を重んじる人であったので 20
「あざ丸」 13
江戸御城は、道灌のみに非ず。高虎縄張の事併道灌風流、桜楓の事 13

小浜の八幡祭の人形 11
この清水の作の脇差を帯び、 10
「小姓ども」と、申された 9
秀元は常人ではない。 9

北谷の稚児は雪より色白、南谷の稚児は花に勝る 8
(鍋島直茂は)また曰く、 5
盛胤にとってこの嫁は叔母である。 6



今週の1位はこちら!「小袖餅」由来です!
名和長年といえば、後醍醐天皇の忠臣として、「三木一草」の一人として呼ばれた、歴史における大ビックネームですね。
まあ、コレに関して、名和長年という名前の中に「木」も「草」も入ってないけどなんで?と思っちゃう人も多いですよねw
そうしたら答えは「伯耆(キ)守」だから」、って。「なんでやねん!」と思わず突っ込んでしまったものです。
そんな(?)名和長年の子孫がこんな所に!割と本気でびっくりしてしまいました。
そして個人的に、こういうことで驚けるのも、歴史好きの特権だなあ、なんて感じたりもしています。
旧知の人に意外な所で出会ったような、そんな感覚を抱けちゃいますからね。
なんだかそんなことを感じさせてくれた逸話でした。ありがとうございます!

2位はこちら!塩冶興久の化け物退治です!
塩冶と言われると仮名手本忠臣蔵の塩冶判官を思い出す人も多いでしょう。で、調べてみたら、この塩冶判官は佐々木源氏で、
尼子氏と同族。そして出雲における源氏の祖であり、塩冶興久の塩冶はまさに、塩冶判官から続いたものを、受け継いだ名字
だったのですね。
塩冶興久が、「出雲源氏」の嫡流を受け継ぐ人物であるとすれば、このような神話めいた話もなんとなく理解できます。
これは出雲における「源氏神話」の一つだったのでしょう。
そんなことを考えた逸話でした。

今週管理人が気になった逸話はこちら!相馬顕胤が愛憐深く、義理を重んじる人であったのでです!
相馬顕胤というのは、長い歴史を誇る相馬氏の中でも特筆するような名君であった、とされています。
六尺(180センチ)あまりの長身で八人力の大力。鉄扇を自在に操る武勇の士であり、武士を愛し民を憐れむ、
まさに理想の主君でした。近世に続く大名家としての相馬氏が形成されたのは、この顕胤の時代であったと、認識もされて
いたようです。だからこそのこんな逸話が残っているのでしょうね。
それにしても相馬氏はややこしい。この顕胤は相馬氏14代当主なわけですが、彼の前後、13代と15代はともに「盛胤」、
16代の「義胤」は2代にもいる。よくよく注意しないと誰のことをいっているのかわからない。
そういう意味でも油断の出来ないのが相馬氏、だったりしますw



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週間ブログ拍手ランキング【12/01~/07】

2016年12月07日 18:40

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元就と隆元の近習頭の友情 25

下野の野州野州と申せども 24

一乱の前年に逝去したのは 13
駿河台化物屋鋪の事 13
【雑談】鏃の事など 12

日本国の衣装が結構な物になったのは、家康公より始まったのである 11
槌山城降伏の事 平賀隆保切腹の様子 11
石川丈山年老て勇気の事 9
顕胤は味噌を調える下屋にいた 8

侍妾等宗旨の話次、太閤の宗旨の尋に当惑せし事 7
「かさねての日本人の渡海は無用」 7
連歌その心自然に顕るる事 7

南蛮宗御禁制前、於御当地彼仏像画きの事 6
野間左馬之進田螺を以て勝負占物語の事 6
歌舞伎「盛綱陣屋」 6
「この度、奇特の死をした」 6

承諾の無い以上は、力及ばず 5
駿府にて毎夜、 4
主水正捕縛 4


今週の1位はこちら!元就と隆元の近習頭の友情です!
粟屋弥七郎の抜け駆けを赦す坂新五左衛門。大人ですね。
このお話いろいろな見方ができると思います。抜け駆けし、負傷までして先駆けをした栗屋に坂が感心したとも見れますし。
自分との戦功争いに、軍令をやぶるほどまで思い詰めていたことに、坂が責任を感じたとも見えます。
どのように感じるかは人それぞれでしょうし、それぞれの解釈を持つことで良いのではないかな、なんて思いました。
それにしても元就の旗本ですら割りとフリーダムなのに、隆元のところはがっちり軍規で固めているあたり、
隆元こそ、この時期の毛利の重心だったのだろうな、なんて感想も持ちました。

2位はこちら!下野の野州野州と申せどもです!
いい悪いスレではもはや人気キャラ(?)の一角である、侏儒どんこと徳田大兵衛のお話。
『野州(痩せう)野州(痩せう)と申せども』、言葉もリズムも本当に良く、なるほど才能を感じますw
こんなふうに言われたら、苦笑するしか感心するかしか無いですね。
薩摩島津氏の近世初頭の逸話というのは、わりと殺伐としたものが多いのですが(誰のせいかは言わない)
そんな中で侏儒どんは島津のイメージをすごく救っているなあ。なんて感じましたよ。

今週管理人が気になった逸話はこちら!【雑談】鏃の事などです!
一言で鏃と行っても、実は用途別に幾つか種類があるそうです。
近藤好和先生の『弓矢と刀剣』によると、鏃は大別して、『射通す』『射切る』『射砕く』の機能に分かれているとの事。
弓兵は状況によりつつそれを使い分けたということです。
この記事の中に出てくる鏃の写真も、それぞれの意図に適した形になっていますね。
そういう知識を持っていると、戦国期の合戦の見方も、またもうすこし違ったものに成るかもしれません。
そんなことを感じた記事でした。


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2016年11月30日 17:20

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隆元と元春(2) 抜け駆け禁止令違反者の処分の事 23

隆元と元春(1) 槌山攻めにて隆元激怒の事 21

そこに一人の山伏が現れた。 15
秀頼は毎度、惣構を巡って、 13

垣築地騒動 12
果して、宗茂公は二十年振りに 12
伏見馬揃えの事 11

豊臣関白北條征伐出陣の事 9
伊勢から駿河までの城主は、聚楽の豊臣秀次に 8
六間堀神明、雁披の事 6
亀ヶ谷山結成寺の墓 6

小倉侯数具足の由来 5
旗奉行は武功の者を撰ぶ 5
秀頼の御袋は武具を着けて番所を改めなさり 5
駿府城本丸女房局に火をつたるの間 2
三宅辰介親子3人を生害なさった。 2



今週の1位、2位はこちら!
隆元と元春(2) 抜け駆け禁止令違反者の処分の事
隆元と元春(1) 槌山攻めにて隆元激怒の事
この一連の逸話です!
「抜け駆け」に厳しく対処しようとする毛利隆元と、それを許容してしまっている吉川元春、毛利元就。
なんというか、大将の悩みですね。
軍隊の理想としては、隆元の対処があるべき姿でしょう。しかし現実的には、当時まだまだ国衆連合にすぎない毛利家にとって、
自分の軍隊であったとしてもそこまでの統制は出来ない。
どちらがいい悪いの話ではなく、一種の役割分担なのではないか、と感じました。
まあその意味であったとしても隆元は、周りから嫌われる、そんな役割を担ってしまっているわけですがw
なんというかそういうのが、嫡男の責任、なのかなあと思いました。そして、隆元がそういう役割ができる人物だったからこそ、
彼の死に、元就を始めとした毛利家の人々が大きく動揺したのではないか。
そんな事まで想像してしまいました。
色々と考えさせてくれる、いい逸話だと思います。

今週管理人が気になった逸話はこちら!伊勢から駿河までの城主は、聚楽の豊臣秀次にです!
秀吉の「隠居城」である伏見城建築にあたり、秀吉は東海地域以外の大名はすべて、この伏見に集合させたというお話ですが、
その「権力」を露骨に可視化するものであり、それこそ「関白は譲っても家督を譲った覚えはない」という秀吉の意思が強烈に
表れたものといえるでしょう。
やはり対照的だな、と思うのは、徳川家康がその「隠居城」である駿府には、藤堂高虎を除いて、大名が屋敷を建設することを
許さなかった、という話です。「德川の城下」はあくまで、秀忠が統治する江戸だけであり、それに従う諸大名は、江戸に屋敷を
作ることを要請されました。
家康のこの態度は、もしかすると秀吉のこう云った姿勢を反面教師として学んだものかもしれませんが、だとすると家康は
秀吉のこういった政策を批判的に見ていたということに成り、色々と想像が膨らむ話だな、と感じました。



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2016年11月23日 14:00

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天吹(テンプク) 28

東照宮聚樂にて秀吉公に御対面の事 11

城地革変甲冑論 10
甲州伝目つぶし之法?活薬 9
家康が茂助を遣わしたのは 8

我々両名はここを抜け出し 7
吾中、治五平の天草陣物語 7
そして今もまだ生きていると聞いている。 7

三原城石垣の紋 5
「飢饉の兆しである」 5
北野天神の奇特 4

この春、小人島の者であるとして 3
藤堂和泉守を敵味方惡之歟 3
「薩琉軍記」について 3



今週の1位はこちら!天吹(テンプク)です!
薩摩の武士、北原嘉門助と縦笛”天吹(”の物語。かなり「いい話」の構図だと言うのに、悲劇的だったり身も蓋もなかったり、
そういう結末を迎えているところが、諸行無常といいましょうか、逆にリアルさを醸し出している気がします。
よく「歴史ロマン」なんて言いますが、個人的には、歴史というものはたいてい、身も蓋もないものであり、そこにロマンの要素など
カケラ程度しか存在しない。なんて思っています。それが現実だと思うのです。だからこそ、ロマンがそこに存在した時、それはより
強調されてしまうのでしょうけど。
と、いうようなことをふと思ってしまったお話でした。

2位はこちら!東照宮聚樂にて秀吉公に御対面の事です!
有名な秀吉と家康の対面のお話。実際にこういう、芝居じみたセレモニーがあったかどうかはわかりませんが、
後年の人たちは、「きっとこんな感じだっただろう」と思ったのでしょう。
実際にも、秀吉の政権における徳川家康の重量というのは、やはり思った以上に重たいものだったようです。
宣教師なんかの同時期の記録だと、外来者らしくストレートに、家康のことを「日本最強の大名」なんて言っていたり
しますから。
そういった客観的な事実と、後世の歴史を知った上での視線がまじわって、このような逸話が形成されていったのではないかなあ。
なんて思ったりしました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!我々両名はここを抜け出しです!
正重と政重、もうこれだけで実にややこしいw
まーこの頃、正木左兵衛こと本多政重は宇喜多家にいたりするんですが。すなわち関ヶ原も当然西軍です。
なので叔父と甥とはいえ、この時期にこう云った会話がかわされたかというと、ちょっと疑問ですね。
ただ、正重も政重も(ああややこしい)「徳川普代」の中での勇者ですから、こういうふうであってほしかった、
なんて気持ちが、この逸話の形成に働いたのかもしれません。
そんなことを思ったお話でした。



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週間ブログ拍手ランキング【11/10~/16】

2016年11月16日 21:50

11/10~/16のブログ拍手ランキングです!


我はどこにも行っていない 23

伊木清兵衛、池田輝政に家督を継がせ 14

昔の人の言葉を参考にし、他人にも相談をするならば 13
青竹二本 11
神祖、袋井縄手にて長剣用法の御論 10

「松川合戦 政宗福島城を攻める事」および東国太平記について 9
最上駿河父之遺跡を受て後 8
信長のきてはやぶるる京小袖 7

大阪御帰陣のとき神尾局早く御熨斗鮑を奉りし事 6
昔、坪内と申した者がいたが、 6
芸州寂静寺デイウス画像の事 6
飫肥城引き渡し 6

梅北一揆の事 4
東寺観智院密教御朱印の事 4
その者の腕は 2



今週の1位はこちら!我はどこにも行っていないです!
こういう逸話は、家康が百姓の「直訴」を許容した、ということを象徴しているのだと思います。
しかし代官は実に面目丸つぶれでw
わりと徳川家に特徴的なことだと思うのですが、この家では「代官」を担うような、中小役人層が実に分厚いですね。
なので、というわけではないのでしょうが、家康は何か起こった時、この「代官」を切り捨てることで事態を悪化させない、という
解決策をよく取ります。代官というのは上からの命令に沿って動くものですが、下から見れば直接の行政官ですから、
そういう層に責任を取らせるというのは納得されやすいのでしょうね。
そのあたり、家康のズルさと言うべきか、老獪な政治手腕と言うべきか。そんな事もふと想像させる逸話でした。

2位はこちら!伊木清兵衛、池田輝政に家督を継がせです!
伊木家といえば、幕末まで岡山藩池田家筆頭家老の家柄を保った名家ですが、そこにこんな話があったとは、寡聞にして
知りませんでした。それにしても伊木清兵衛(忠次)の喜び方、本当に犬のようでwいい年した武功の士なのに。
逆にこういった、邪気のない人だったからこそ、彼が筆頭家老に引き上げられ、その家は幕末までその地位を保った、
と言えるかもしれない、なんて考えは春秋の筆法ですかねw

今週管理人が気になった逸話はこちら!神祖、袋井縄手にて長剣用法の御論です!
今では徳川家康という人が、武芸全般について、かなり熟練した人だったという事もよく知られていると思います。
そんな家康の、戦場での長刀の使い方についてのアドバイス。
素人考えだと、薙ぎ払うというのは横の動きが大きくなるため、敵に付け込まれやすく、付くという行為は正面から見て
体の動きが少ないので敵を仕留めるのに有効、と言うことかななんて思いました。
中世の武士の武器、武具については、近藤好和先生の著作が非常に参考になると思います

弓矢と刀剣 中世合戦の実像
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b33624.html


騎兵と歩兵の中世史
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b33788.html


興味のある方は、このあたりを読んでみることをおすすめします!



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週間ブログ拍手ランキング【11/03~11/09】

2016年11月09日 13:30

11/03~11/09のブログ拍手ランキングです!


女性だけが参加できる神事「持明祭」 26

政宗の黒漆塗五枚胴は雪下胴と呼ばれ 24

細川さんちが小倉で国産ワインの製造を命じた文書が見つかったというお話 20
西ふさかりてあり今日明ケに参る 18

御羽織屋 16
慰めのために小寺といっても 15

ただ暁七つ頃に 14
伴惟安、妙向尼と森忠政を救い出す 14

本懐の至り 11
切団子 9
氏家内膳宅趾 9

坂上頼泰の鉢植え 8
主君に不意に召された時、 8
「どう聞こえましたか」 7



今週の1位はこちら!女性だけが参加できる神事「持明祭」です!
亀寿姫を祀る竜尾神社の女性だけが参加できる神事「持明祭」についてのお話。神事という以上に学術的な
講義という面が強いように思いましたが、実に興味深い内容です。
現在に至るまで、これほど慕われている亀寿姫という人物に、当時の人達が持っていた敬意や親しみ、といったものを
感じさせますね。そして歴史が下っていってなお、彼女に対して、様々な思い、わだかまりなどが残ったのでしょう。
昔の、そして今の人の心を鎮めるものが、「信仰」なのかもしれません。そんな事を思った内容でした。

2位はこちら!政宗の黒漆塗五枚胴は雪下胴と呼ばれです!
伊達政宗のあの有名な鎧についてのお話。興味深いのが政宗が、奥州の武士と上方の武士の、騎乗戦闘に関する
双方の違いを述べていることですね。雑兵物語などにも、東国(奥州含む)武士と上方武士の違いとして指摘されています。
井伊直政もこの雪下胴であったということは、やはり馬上戦闘を意識していた、という事でしょうか。
いろいろな意味で興味深い内容でした。

今週管理人が気になった逸話はこちら!細川さんちが小倉で国産ワインの製造を命じた文書が見つかったというお話です!
「ワイン製造」といっても、この頃は産業として考えていたわけではないでしょうね。当時、輸入ワインは茶会で、レスにも
あったように甘味の一つとして提供されていたようですので、「利休七哲」細川忠興を擁する細川家においても、茶会の
メニューを整える一環として葡萄酒の自前の製造を考えていた、ということかなと思いました。
この時期、日本産の葡萄酒製造に成功していたら、その後の歴史はどうなったのかなあ、なんて大きな想像もしたくなりますね。
そんな、空想の膨らむ記事だなとも思いました。



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