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週刊ブログ拍手ランキング【07/02~/08】

2020年07月08日 17:38

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賤ヶ岳の戦について 14

信長の鷹 10

【雑談】「勝者が歴史を作る」について 8
松永星 7

献上された人魚 6
申す旨に任せ、朱印を遣わす 6
弘法大師が玉造という双紙を絵に書き置かれ 6

合戦を遂げることこそ尤もです 5
甚五郎の欠落ち 4


今週の1位はこちら!賤ヶ岳の戦についてです!
昨今では秀吉周辺の研究も進み、賤ヶ岳の戦いについても、先の先を見通した秀吉の戦略的勝利、というよりも、
様々な偶然のあった上での、やはりギリギリの勝利であった、と見られるようになってきましたね。長らく日本人の歴史理解に
大きな影響を与えてきた『豊太閤史観』とも言うべきものが、すこしずつ剥がされているように感じます。
そこで近年の秀吉研究の内容を知りたいという方には、ちょうど直近に出版された、『図説 豊臣秀吉』(柴裕之/編著)
お勧めします!図説であるので非常にわかりやすく、歴史初心者の方にも手に取りやすい内容だと思います。
秀吉は非常に大きな存在だけに、彼への認識の変化は、それに関わった他の多くの人々の評価の変更にも結びつきますね。
賤ヶ岳だけでなく、今後どのように秀吉を中心とした歴史が描かれていくのか、非常に興味深く思っています。
そもそもこの本の帯に「残虐者か」とある時点で、秀吉という人物への印象が、ここ10年くらいで大きく変わったことを
感じちゃいますね。

561.jpg
『図説 豊臣秀吉』(柴裕之/編著)

2位はこちら!信長の鷹です!
この逸話で読むべきところはやはり、信長の失った鷹を、触れを出しただけで、明後日にはその鷹場から相当離れた
大和国で発見され得た、という所なのでしょう。つまりこの当時信長の命令が、同時代的には瞬時と言っていいスピードで、
少なくとも畿内周辺で徹底されている事を、このお話は端的に顕しているのだと思います。
多分、鷹が見つかった事よりも、それについての驚きが、このお話を記録させたのではないだろうかと感じます。
当時の畿内周辺ではそこまで信長の権力が浸透していた、という事を考えた上でこの時代の様々な出来事を見ていくと、
また違った物が見えてくるかもしれません。そう言う意味でも面白い逸話だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!献上された人魚です!
コメントにもありましたが、人魚を食べて不老不死を得たという八百比丘尼伝説も若狭国が中心ですし、若狭では人魚が
ある種の名物という側面が有ったのかもしれませんwまた、珍獣、奇獣の出現は中国などでは王、皇帝の徳を天が寿ぐ、
という発想があり、丹羽長秀がこれを献上したというのも。そういった意味を込めているのでしょう。
それにしても人魚なのに足があるのですね。西洋でも、足がある上で尾びれがしっぽのようについている人魚の絵図も
あり、これもそういったものなのかもしれません。これに限らず中世には人魚というものが捕らえられた、発見されたという記事が
間々見られ、人魚というもの自体、当時の社会に既に広く認識されていたことを伺わせます。それこそ松平家忠日記にも
書かれていたりしますね。
それにしても、この献上された人魚はその後どうなったのか。そっちもやはり気になっちゃいますね。
そんな事も感じた逸話でした。


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週刊ブログ拍手ランキング【06/24~07/01】

2020年07月01日 17:09

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かかる心を武田とや云 12

信友の忠言 12

乱以後その猿は居なく成った 9
猶以てこのように 9
光秀のその明鑑 8

十七ヶ条の意見書 5
五重の天守を建てられ然るべし 5
右先祖は真田伊豆守様御家来にて 7


今週の1位はこちら!かかる心を武田とや云です!
当代記の、いわゆる義信事件についての記事ですね。当代記ですから、これ自体は後の織田徳川による反信玄のプロパガンダ的
内容で、必ずしも事実を現しているわけでは無いでしょうし、また武田側からの見解は、甲陽軍鑑などに著されていますね。
そのあたり読み比べてみるのも面白いかも知れません。
ただし義信に対してにせよ信虎に対してにせよ、追放や粛清は明確に事実であり、そこからはやはり、武田家中の闇を感じ取って
しまいます。それにしても上手い落書というのは当時の、なにかイメージを広める時に必須ですね。武田信玄の「悪行」を
見事に言い表しています。当時の戦国大名にも、こういった宣伝工作を担当する人々が居たのかなと、記録にはないものの
想像してしまいます。

今週は同票でもう一つ!信友の忠言です!
僕も最初「のぶゆきって誰?」と戸惑ってしまいましたw「親友」の当て字なんですね。まあ「信じる友」ですから字義的にも
正しいですね。
こちらは島原の乱へ出陣する友への言葉。通り一遍に無事を祈る他の人々に対して、討ち死にの覚悟を促すところは、
確かに信頼しあう人間同士でないとなかなか言えない事かもしれません。それとともに、大坂の陣の頃では誰も彼も
討ち死にの覚悟、というかむしろ討ち死にを望んで出陣し、周囲もそれを当然としていたことから思うと、島原の乱の
段階では、相手が一揆であるというのを差し引いても、一般的には無事を祈るという所に、社会の変化も感じてしまいます。
島原の乱を、「国内内戦の終結」として戦国の終わりとする説がありますが、社会の意識としては確かにその分岐点だったと
言えるのかも知れません。

今週管理人が気になった逸話はこちら!乱以後その猿は居なく成ったです!
比叡山焼き討ちについてのお話ですが、コメントで「なるほど」と感じたのは、歴史上何度か有った比叡山焼き討ちですが、
本気で叡山を焼き討ちしたのが、確かに「細川政元だけ」という可能性がありますね。
足利義教の焼き討ちは、叡山側の自焼であり、信長の焼き討ちも、考古学的調査で大規模な火災が起こっていなかったことが
確認されています。というか信長の焼き討ちの時点で、比叡山は細川政元の焼き討ちのダメージから未だ回復していなかった
という説があります。つまり細川政元だけはガチだった可能性が高いのです。本当にさすが魔法半将軍ですw
まあ信長の焼き討ちが小規模だったからと行って、攻撃を抑えてたのだという訳ではなく、実際には坂本など麓の町を
大規模に焼き払い、根切りを行っているので、叡山については「焼くまでもなく退散させ占拠できた」という事かもしれません。
そして焼き討ち後「猿が居なく成った」という話も面白いですね。猿は山王神の使いですから、叡山が「神からも見放された」
という事を現しているのかと思いました。様々に興味深い記事ですね。


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週刊ブログ拍手ランキング【06/18~/24】

2020年06月24日 17:52

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大船検分と茶の湯 12

柴田勝家の最期 10

柴田勝家の刀狩り 9

万事、汝が計るべし 7
雀の楽しみを楽しみ候へ 7
暇を取らせた隙を考え 7

長氏はその虚を窺い 6
光秀は寺跡ばかりに心を入れたる 5
第一次鳥越城の戦いと鬼玄蕃の活躍 4



今週の1位はこちら!大船検分と茶の湯です!
いわゆる『鉄鋼船』で有名な第二次木津川合戦の後に行われた、堺衆による信長を客とした茶の湯の記事ですが、
やはり同席者、御供衆の顔ぶれが非常に興味深いですね。
同席者の近衛前久は公家衆の筆頭、松井友閑は堺奉行かつ信長の文化政策の責任者であり、佐久間、滝川は
重臣の中より選ばれたというところでしょうか。
御供衆では京兆家当主の細川昭元、三好、摂津系の堺に縁の深い人々と、信長近習層とで別れている感じですね。
中で目を引くのは、レスでも指摘されていましたが、佐久間信盛、信栄父子が揃って参席している所でしょう。
これはこの時点で、信盛だけでなくその子信栄まで含めて信長政権の中枢にあり、佐久間家は政権の柱石である、
と言うことを現していると言えるのでしょうね。当時の人たちもそう受け取ったと想像出来ます。
それが僅か2年後には、折檻状による追放と成るのですから、人の有為変転とは全く解らないものだ、と感じざるを
得ません。
この時期の信長政権の有り様を切り取ったポートレートのような、そんな内容だとは感じました。

2位はこちら!柴田勝家の最期です!
勝家の最期については様々な逸話が伝わっていますが、何れも武人として立派に、泰然として自決したとあり、
古くからそういった印象が広く有ったことが伺えます。
この逸話でも、とにかく敵である秀吉が大絶賛していますね。逆にこういった逸話から、勝家の無骨、硬骨な印象も生まれて
いったのでしょう。その意味では、後世の柴田勝家と言う人物イメージを決定付けた、そんな内容かも知れないと感じました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!柴田勝家の刀狩りです!
そして勝家の刀狩のお話ですが、彼の刀狩は秀吉に先行するもので、秀吉の刀狩も、恐らくは勝家のそれに影響を受けた
ものと考えられます。検地も織田家の武将の中ではかなり早期に実施しており、無骨、硬骨のイメージからか、秀吉などに
比して旧来的な武将という印象を持たれがちなのですが、実際には織田家の中では新しい施策を次々と実施する
人物であり、行政、民政的分野でも、トップランナーであったと言えるのでしょう。
勿論、この逸話の内容と同じように刀狩が実施された訳では有りませんが、後世の人々に、このような、領民に対して
一種の父性愛的な統治を感じさせる、そんな印象を残した人だったのかと、想像を膨らましたくなるお話だと感じました。



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週刊ブログ拍手ランキング【06/11~/17】

2020年06月17日 17:49

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桶狭間後日譚 14

桶狭間の毛利新介と服部小平太 14

【ニュース】「秀吉側近の武将 駒井重勝の日記 自筆原本見つかる」 11
瓢箪から駒が出たぞ 9
【ニュース】九鬼氏に剃髪禁じる書状 石田三成ら五奉行通達 9

安宅冬康謀殺 8
今からでも取り掛け申すべきを 6
上様より拝領申したるぞ、汝らも有り難く存じ頂戴せよ 6

存命は 又信長や忍ばれん 5
牛を切るほどなのだから 4
岡崎領内渡利村の一揆が生害なし奉る 3


今週の1位はこちら!桶狭間後日譚です!
桶狭間の戦いの直後くらいい、どういう事があったかというのはあまり語られませんね。
実際にはその段階からすでに、戦後処理が始まっているとも言えます。塚を作り今川軍の戦死者の供養をした、というのも
その一環と言えるのでしょう。
またいわゆる「義元左文字」、或いは「松倉郷義弘」についても言及されていますね。信長が義元から分捕った刀は
どちらなのか、或いは両方なのか、色々と考察したくなります。
「後始末」を見ることで、信長が戦前に意図したことや、勝利後の状況をどう認識していたか、そんなこともほのかに見えてくる
内容だと思いました。

今週は同票でもう一つ!桶狭間の毛利新介と服部小平太です
桶狭間の戦いでの戦功で有名な毛利新助と服部小平太のお話。先日の大河「麒麟がくる」の桶狭間回では、毛利新介が
非常に印象的な活躍をしていましたね。ツイッターのトレンドに毛利新介の名を見たときにはびっくりしましたw
信長公記首巻では「毛利小平太の親族が斯波氏の親族を助けた冥加」と書いているのが面白いですね。
いかにも信長公記首巻らしいとも言えます。逆に言えば、それほど神がかった戦果であった、という意識が確かに有ったの
でしょう。
そんな事も感じさせてくれる内容だと思いました。

今週管理人が気になった記事はこちら!
【ニュース】「秀吉側近の武将 駒井重勝の日記 自筆原本見つかる」
【ニュース】九鬼氏に剃髪禁じる書状 石田三成ら五奉行通達
と、秀吉関連の新史料が見つかったという報道が立て続けにありました。
戦国大河が有ると、その登場人物に関する新史料が多く発見される、という事は巷間よく言われる話ですが、それを
ちょっと感じてしまいますねw
どちらも興味深く、九鬼嘉隆の剃髪など、嘉隆の人物像や当時の九鬼家の状況、あるいは秀吉没後の、その死の秘匿について
どこまで徹底されていたのかという事などを色々想像できる内容だと思います。
新史料の発見はそれだけで、その歴史を見る視点を増やしてくれますね。今後も新しい史料の発見と研究の深化を
期待していきたいと思います。



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週刊ブログ拍手ランキング【06/04~/10】

2020年06月10日 17:11

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『松平記』より、桶狭間の戦い 20

桶狭間の戦いと熱田町口の紛争 13

『三好の平和』 12
左衛門佐ほどの人の無穿鑿はあってはならない 8

曲者めが、また先へ廻った 7
四国に行って魚の餌になるがましか、ここにて死にたるがましか 7
この日、骸を城外に晒した。 6

山形県長井市「草岡の大明神桜」 5
揖斐落城のこと 5
揖斐氏顛末 4



今週の1位はこちら!『松平記』より、桶狭間の戦いです!
先日、大河ドラマ『麒麟がくる』でも描かれた桶狭間の戦い。あちらでは、おそらく大石泰史先生が唱えられていた、今川軍が
占拠した城や地域に軍を分散させていたのではないか、という説を用いていましたね。『甲陽軍鑑』にある今川軍の乱取りの
事も採用していました。
こちらの『松平記』の桶狭間は、今川軍が油断していた所への奇襲、という内容ですね。
同時代、近時代史料の中でも、桶狭間の戦いについての認識が様々なのは、結局は、おそらく信長も含めてこの合戦の
全体像を把握できていなかったからなのだと思います。それぞれの立場に依って、それは正面攻撃であり、或いは奇襲であり、
或いは甲陽軍鑑にあるような騙し討であるという印象が有ったのでしょう。今川だけでなく織田軍にとっても、おおよそ混乱の
中の戦いであったのではないか、そう想像します。
桶狭間が後世所謂「名合戦」となったのは、ただ強敵である今川義元を討ち取ったと言うだけではなく、本質的には信長が
その戦後処理を非常に上手くやり、結果的に信長晩年に至るまで尾三境目をほぼ安定させ、信長勢力が西へと拡大する礎と
成った為でしょう。
討ち取られながらも義元やその近習、家臣たちの勇猛な戦いぶりが描かれていることも含めて、様々な考察の出来る内容
だとも思いました。

2位はこちら!桶狭間の戦いと熱田町口の紛争です!
服部友貞は尾張服部党の棟梁であり、尾張河内(海西郡)において一向門徒を纏めていた、と言える人物ですね。
早くから信長に従うことを拒絶しており、この記事のように、桶狭間の折も今川と連携していました。
その後も、彼は伊勢の北畠具教に仕え信長との戦いを継続していたようですが、永禄11年正月、信長の刺客により
切腹に追い込まれます。彼の存在が尾張と伊勢との紛争要因となっていたわけで、戦国大名の戦いの主因といっていい
境目争論の典型と言って良いかも知れませんね。また一向門徒の取りまとめ役であった彼をそのような形で滅ぼした事が、
長島一向一揆の原因の一つともなったと言えるでしょう。
信長と伊勢、また一向宗との関わりを見る上で、わりとキーポイントとなる人物についての挿話だと思いました。

今週管理人の気になったお話はこちら!『三好の平和』です!
こちらは京より将軍義輝を追放しながらも、畿内において平和を成し遂げていた三好長慶についてのお話ですね。
この事は足利将軍の、特に京や畿内近国における権威を大きく損なわせ、またこの「先例」は、後の信長の、足利義興追放後の
あり方に関する重要なモデルケースと成ったとも言え、一種のターニングポイントともなった時期だとも思います。
三好政権は、後の信長政権に比べて良く言えば穏健、悪く言えば消極的な存在と捉えられることがあります。
ただこのような記事を読むと、個人的には三好の政治力、調整力の高さ故に、信長・義昭政権のように、周りを全部敵に回す
しっちゃかめっちゃかな状況にさせなかったため、信長のような強硬さは必要なかったと捉えるべきではないか、なんて考えます。
そんな事を思わせてくれた内容でも有りました。



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週刊ブログ拍手ランキング【05/28~06/03】

2020年06月03日 16:39

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三好長慶暗殺未遂事件 12

将軍義輝の帰洛 9

汝の運命尽きたることを告げんがために 8
「右京、主殿に及びもないが せめてなりたや殿様に」 8

芥川孫十郎の裏切り 7
斎藤義龍の死 7

濃州稲葉山由来之事 6
公方家又京都御退座の事 5
先年御腹めさせ候刻を佐渡覚悟を以て申延候 4


今週の1位はこちら!三好長慶暗殺未遂事件です!
三好長慶のお話の中でも、この進士九郎による暗殺未遂事件は有名なものの一つでしょう。この記事の中にも有るように、
この暗殺未遂も実は理由がはっきりせず、将軍義輝に教唆された、あるいは所領を没収されたことの恨みがあったなど
諸説あった模様です。個人的には所領没収という理由が生々しいな、と思っちゃいますw
この中で進士九郎は、暗殺に失敗したにもかかわらず、大剛の者と評価されていますが、これには一方で襲撃された
三好長慶が、ただ巨大な権力者と言うだけではなく、武芸に於いても「達人」と考えられていた、と見ることも出来ると思います。
本当に何でも出来る人物ですからね、長慶は。仮に彼が、あと10年生きていたらどうなっていたか、と想像するのは
なかなか楽しい知的シュミレーションだと思います。
そして真偽はともかく、細川晴元ではなく、将軍がこの暗殺未遂に関わったという話が出ること自体、義輝の不徳というものを
感じさせるものかも知れません。

2位はこちら!将軍義輝の帰洛です!
その将軍義輝と三好との和睦についてのお話。三好長慶側の正当化の論理というものがよく出ているとも思います。
長慶は、これはあくまで京兆家内部の紛争であると規定し当時一体だった義輝と細川晴元を分断したという事なのでしょう。
実態としては必ずしもそういったものではありませんが、そう規定することに依って事態を矮小化し和睦できる環境を作る、
というあたりからも、長慶の政事センスを感じさせる内容ですね。
『續應仁後記』は細川晴元や足利義輝などに非常に辛辣な軍記でもありますが、それはこういった長慶の「思慮の深さ」を
彼等が蔑ろにしている、という認識からのものなのでしょう。
筆者の感状が見えてくる記事、そんな事も少し思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!「右京、主殿に及びもないが せめてなりたや殿様に」です!
この記事でやはり注目してしまうのは播磨で謡われたという「右京、主殿に及びもないが せめてなりたや殿様に」との俗謡ですね。
この歌詞を見た多くの人は、出羽国酒田の豪商・本間光丘の威勢を謡った「本間様には及びもないが せめてなりたや殿様に」を
思い出すでしょう。調べてみると、この『池田家履歴略記』は寛政11年(1799)の成立であり。本間光丘の没年が享和元年(1801)
であるので、『池田家履歴略記』の著者は本間光丘の全盛時を知っていた事でしょうし、故に本間氏への俗謡を、『池田家履歴略記』に
取り入れた、と見ることが出来るかも知れません。このように、歴史の描写にもその時々の時代性が反映されるという事なのでしょう。
そんな事も考えさせてくれた逸話でした。



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週刊ブログ拍手ランキング【05/21~/27】

2020年05月27日 18:04

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狐の嫁入り 宇宙稲荷ver 9

光秀に子数多あり 9

【話題】伊達政宗”容疑者”!? 9

ついに武蔵守殿を生害し奉りけり 7
武蔵守殿にまた御謀叛の企てある由 7
尾州稲生合戦事 同美作守被討捕事 7
太平寺の戦いと木沢長政の滅亡 7

【雑談】織田信長と弟・信勝との争い等について 6
伊勢宮川の戦い 6

真に奇特の大名であると 5
さるほどに、斉藤新九郎義竜妻女は、一条殿御むすめ 5
まず今回は御赦免なさった 4


今週の1位はこちら!狐の嫁入り 宇宙稲荷verです!
こちらのお寺が『宇宙山 乾坤院』で、その境内にあるため『宇宙稲荷大明神』と呼ばれているのですね。
ウィキペディアによると
>寺号の由来
>乾坤とは八卦で言う所の西北と南西の方位を表し、緒川城から見て西方(乾と坤の間)に造られた事からその名が付けられたと伝えられている。また、乾坤が「天と地」をも意味することから、山号を「宇宙山」としたと由来される。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%BE%E5%9D%A4%E9%99%A2
という事だとか。また知多半島における「狐の嫁入り」伝承の発祥でも有るのだとか。
またこれ自体、家康の神君神異譚の一つでもあり、様々な角度から、興味深く読むことが出来る内容だと思いました。
掘り下げていくと以外なものも見つけられそうなお話です。

今週は同表でもう一つ!光秀に子数多ありです!
コメントの方でも指摘されていましたが、明智光秀の子として記録に有るのは、嫡男(十五郎)、細川忠興の妻(ガラシア)、
津田信澄の妻、あとルイス・フロイスの書簡に坂本城で光秀の息子2人が自刃したとある、くらいですね。後は本当に
伝説と言っていいもので、少なくとも史料上確認できるものではありません。この『美濃国諸旧記』の内容もその一種であり、
おそらく、現地の伝承を採集したものだと考えられます。
明智光秀は歴史的にも大変な有名人で、また信長政権における、ただしく大幹部の一人ですが、そういう人物であっても
どういう子があったかすら良くわからない、という部分は、光秀が敗亡して、おそらく多くの記録が破棄されたという面を
差し引いても、やはり、そもそもこの時代、事象は記録しても個人に対する記録自体は少なかった、という事を思うべきかも
しれません。そんな事を考えた内容でした。

そして今週はさらに同表でもう一つ!【話題】伊達政宗”容疑者”!?です!
こちらは、発見された白骨遺体が伊達政宗と関係「あるかも」といった内容ですね。
ただ、政宗との繋がりはあくまで非常に間接的なもので、これを補完する記録も無い以上、政宗の名を出すのは、やはり
政宗の名を借りてこの事件(?)のニュースバリューを上げる、という意図なのでしょう。まあ「政宗ならありそう」と捉えられて
しまう部分も、これへの違和感を少なくさせているとも思えますがw
内容としては面白いものだと思いますが、歴史好きとしては、これを真正面から受けとめられるとこまっちゃうな、とも
感じてしまう内容でもありました。これおまた有名税の一つなのでしょうか



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週刊ブログ拍手ランキング【05/14~/20】

2020年05月20日 14:46

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三好元長の滅亡 8

一向宗、土一揆と山科本願寺の戦い 8

織田信雄、敵を助けた小姓を 8

一向一揆の伊勢乱入 7
ここを落ちて存命をなし、明智の家名を立てられなされ 6
さて通貞は 6

二六時中、四季、昼夜と騒動の止むこと無く 5
心得ざる左近の言い分かな 5
【雑談】長尾上杉氏や御館の乱について 4
潔きこと誰がこの上に立てようか 4


今週の1位はこちら!三好元長の滅亡です!
細川晴元、木沢長政などの煽動による一向宗の一揆によって、三好元長が滅ぼされたお話ですね。内部勢力の粛清に対して
外部勢力の力を頼る段階で、この時期の晴元家中、京兆家権力の弱体も感じてしまうかも知れません。
切腹の際に元長が自らの腸を投げつけた、という話は有名ですね。他にも類する話が見えるものではありますが、その猛々しさ、
或いは無念を表す切腹のあり方であったのかもしれません。またこの内容からも、元長が良き武人であったことが伝わってきますね。
これは逆に、元長を討った人々の、その後の動向への悪印象が、元長への好印象として返ってきたのかも知れません。
そんな事を感じさせた逸話でした。

次も同票で!一向宗、土一揆と山科本願寺の戦いです!
で、こちらは、この上の話を受けて、三好元長を滅ぼすために一揆を煽動したものの、コントロールが効かなくなり煽動した側の
晴元、木沢長政とも対立するように成った一向宗勢と、それに対抗するため今度は法華宗を煽動して戦わせる、という内容ですね。
本当にただただ対立が煽られているだけで、誰が何のために戦っているのか、と考え込んでしまうような内容ですが、これが一面、
戦国期畿内の実態でも有ったのでしょう。このあたりを頭に入れておくと、後の本願寺と織田信長との対立などによる、『元亀騒乱』も
流れとして理解できるかも、なんて思いました。こういったものも結局、積み重ねなんですね。
そう言う意味でも、興味深い内容だと感じます。

さらの同表でもう一つ!織田信雄、敵を助けた小姓をです!
信雄、家康の意図をどう取るか、なかなか難しいお話ですね。
表面通りに受け取るなら、信雄は最初に家康の問い合わせに不明と答えた以上、後で家康自身からその者に対して、
別の話題でも名を問われた所、秘匿のためこれを誤魔化した、という所でしょうか。
小姓として召し使っている所を見ても、丹羽左兵太が信雄お気に入りの人物だったことが伺えます。
(それならここで家康の接待に出すなよというツッコミもありますがw)
何はともあれ、信雄がある意味、家臣を守る、というお話であると受け取るべきなのでしょう。
その評価は人それぞれにようにも思いますが、信雄という人物に、血の通った逸話だな、なんて感じました。



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週刊ブログ拍手ランキング【05/07~/13】

2020年05月13日 15:49

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遠江をめぐる今川と斯波の争い 11

名誉の精兵 9

しかるにその頃、斎藤道三という者あり 7
下郡半国も過半は御敵となったのである 7
明智光秀由来 7

然るに政元は 6
【雑談】斎藤義龍の僭称などについて 5
雑人陣にて煩ひの時 5

晴元の心の中、頼もしからぬ愚かさよ 4
人数多勢無勢出立の事、 4
“はんか(范可)” 4
永正の錯乱前の情勢 4
四郎殿の御沙汰は何とも 4


今週の1位はこちら!遠江をめぐる今川と斯波の争いです!
遠江をめぐる今川と斯波の戦いは、わりと地味な扱いを受けがちですね。しかし、今川氏親の父・義忠の討死もこの遠江での
戦いに係るとされますし、またここに著された斯波義達の敗北以降、尾張勢力はその東方において、ほぼ桶狭間まで今川勢力に
圧されっぱなしであったとも言えるでしょう。そのような経緯を把握しておくと、桶狭間や、その後の信長と家康の同盟の画期が
見えてくるような気がします。
この中にも書かれていましたが、遠江をめぐる今川と斯波の反目の元は、足利義満の時代の守護職交代にありますね。
その辺りまで遡って、東海における今川氏と斯波氏の歴史を見るのも、また面白いと思います。

2位はこちら名誉の精兵です!
蒲生貞秀配下の鍛冶屋、のお話です。彼が「稀代の弓の上手」なのは、もしかすると鏃などを、自分専用に自在にカスタマイズ出来た
ためかもしれません。
それにしてもやはり面白いのは、敵であっても凄いことをした人物は素直に称える、という所でしょうか。
牧歌的というか、スポーツ的と言うか、無論このような事ばかりであったはずはありませんが、何かしら、この時代の
合戦の空気を伝えているように感じます。
前に、細川幽斎のお話で、偵察のために敵の城に「鷹狩をしたい」と申し込むという話がありました
鷹にとらせ申度候御免候へかしと申候得ば
そのお話にちょっと似た空気も感じた、そんな逸話だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!しかるにその頃、斎藤道三という者ありです!
大河ドラマ『麒麟がくる』でも、惜しまれつつもとうとう退場した斎藤道三ですが、歴史において、おそらくかなり早い段階から、
このように商人上がりというイメージを持たれていたのでしょう。現在ではこのような逸話の内容は、その「父」とされる
松波庄五郎のものだと考えられていますね。ただし松波家は北面の武士の家柄で、庄五郎は京都妙覚寺の僧侶であったとされ、
どこから「商人」という属性が入り込んだのか。実はよくわかりません。或いは敵対勢力からの一種の誹謗であったのかも
しれませんね。
この『美濃国諸旧記』の記事もそうですが、史学において人物の研究が進むと、それについて後世記された物の「意図」も
様々に見えてくるのが、歴史の面白さの一つだとも思います。軍記などに於いても、そういった部分を意識しながら読むと
新たな発見が有ると思います。そんな事を感じさせてくれる逸話だとも思いました。



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週刊ブログ拍手ランキング【04/30~05/06】

2020年05月06日 16:46

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三組坂 9

政長一人の惣勝ちを見せ申さん 9

雀部與作、先祖の領地で 7
足利義材の脱出 7
右大将拝賀 6

鈎の陣と将軍足利義尚の死去 5
斎藤山城先祖の事 4
“勝千代殿” 3
永井カ事 斎藤カ事 3


今週の1位はこちら!三組坂です!
家康由来の地名のお話。家康の日常的な雑務を担う中間・小人・駕籠方が合せて「三組」と認識されていたのは興味深いですね。
現在は解明されたが故に、その土地の由来が見えなくなってしまったのは、少し残念さも感じます。
地名はその土地の記憶そのものであり、だからこそ安易な変更は、それを断絶させてしまうとも言えるわけで、やはり一時の
イメージや商業性を優先した地名の改称には、危うさを感じざるを得ません。改めるにしても、その土地位の名称が一体何を
現しているのかをしっかりと認識した上で行ってほしいものだな、と思ってしまいます。

今週は同票でもう一つ!政長一人の惣勝ちを見せ申さんです
レスにもありましたが、畠山政長という人物は、敵役の義就がバケモノすぎて存在感が霞んでいる面がある、というのは確かだと
思います。時歴をたどれば武勇にしても政治にしても、、充分に水準以上の存在だと考えられます。
そして彼の存在が、結果として応仁の乱を起こし室町幕府の求心性を大きく損じ、乱後自身が中心となって幕府の復興を
計るも、明応の政変によって殺され、これによって一般的に「戦国時代」が始まったと考えられていることを思えば、政長という
存在自体がこの間の室町幕府を象徴していると言えるかも知れません。
この記事からは、政長を高く評価する気持ちが溢れていますね。そういった認識が存在したことは、この頃の歴史を見る上で
持っていたほうがいいと思います。

今週管理人が気になった逸話はこちら!雀部與作、先祖の領地でです!
こちらは元々、先祖が三好家に仕えた人物が後に池田家に仕え、大坂の陣で「諸縁の地」との間に板挟みになる、という
お話ですね。地元も当然必死でこういう事になったのでしょうが、縁というものは、たとえ長い時を経たとしても繋がりは
途切れていないものである、という当時の人々の発想が垣間見られますね。また領民にこう言った考えを想起させるくらいには、
與作の先祖である雀部伊豆の統治が悪いものではなかった、という認識もあったのでしょう。
多分こう言った感性は。現在にも何かしら受け継がれているように思います。そんな事も感じさせてくれる逸話でした。



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週刊ブログ拍手ランキング【04/23~/29】

2020年04月29日 12:47

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文明元年、公方家の若君、今年五歳に成られ給うを、御家督に定められ 9

『鯖の頭の塩出し』 9

そしてこの故事を海外研究者がイラスト化したものである 8
不覚者、兵家に用無し 8

「佐藤ばかもの(に)候」 6
あちらこちらで辻斬り、追い剥ぎなどが夜ごとに起こり 5

応仁の乱における、朝倉敏景の寝返りなど 4
千徳丸の供養墓石 4
大内義隆、方角を忌説 4
「享徳の乱」 3


今週の1位はこちら!文明元年、公方家の若君、今年五歳に成られ給うを、御家督に定められです!
こちらは応仁の乱で、足利将軍家も分裂の様相を呈した事の記事ですね。
そもそも応仁の乱は、いわゆる三管領家の内、畠山金吾家、斯波武衛家の分裂が大きな原因となった乱であり、そこに将軍家の
分裂まで重なるというのも、この時代の様相をよく顕していると言えるかもしれません。
この後、明応の政変で終に細川京兆家まで分裂し、この将軍、管領家といった室町幕府中枢の分裂は、信長秀吉の時代でようやく
収拾された事を思うと、「戦国時代」とは室町幕府大分裂の時代と定義することも出来そうです。
ここではその発端が著されていて、当時から近い時代の人達にとっても、それが異様なものだと印象されていたことが、
感じられる気がします。そんな事を考えた内容でした。

今週は同票でもう一つ!『鯖の頭の塩出し』です!
こちらは近世初期の「茶菓子」について。干した鯖の頭を食べるのか、その塩を掬って食べるのか、正直良くわからなかったり
しますが、どちらにしてもやはり、現在の人間がイメージする茶の湯とは、相当に異っていたことを察せられる内容だと
思います。当時の「茶の湯」は一種のコース料理である、とはよく言われますが、そういった部分も感じさせますね。
そしてこれも、普段は味合う事のないものを体験出来る、特別な趣向であり、そういった部分が「茶の湯」というものに
多くの人々が熱心に参加した理由の一つでも或るのでしょう。
非常に興味深い記事だと思いました。

今週管理人が気になった記事はこちら!そしてこの故事を海外研究者がイラスト化したものであるです!
日本史で言えば『東インド会社遣日使節紀行』(『モンタヌス日本誌』)以来、「外国人の描いた不思議な日本の様子」というものは
間々見られるわけで、こちらも、その系統に有るものと言えそうですね。それにしてもこの鐘のかぶり方、まんまというか
これじゃ動けねえよ!というかw実にファンタスティックでもあります。
そのようでありながら、日本でもわりとマイナーな逆井城の逸話を採用しているというアンバランスさも面白いですね。
その他のイラストも含めて、ツッコミどころ満載なのですが、「なぜそう描いたのか」という意図を考えるのも含めて楽しい、
そんな内容だと思いました。不思議な魅力に満ちていますw



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昨今、世の中的にも色々と大変な時期で、外出を控える方も多いと思います。
そんな中、ここを閲覧される事で、何かしら気が紛れることがあれば、幸いです。
このブログの中には、管理人ももう把握できないほど記事があります。
様々に楽しむことが出来ると思うので、良かったら、興味をどんどん掘り下げてみて下さい。

週刊ブログ拍手ランキング【04/16~/22】

2020年04月22日 16:43

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西明寺の焼き討ち 14

兄の下野に何やら不足を申し 8
天正五年十月、和州信貴山城攻め顛末 8

井目も武蔵が強い 5
猶々御忠節仕るべき 5
これよりいよいよ沢庵の墨跡が流行った 5

松田左馬介忠義の説 4
志岐天草表の手柄 4
細川幽斎、聚楽第行幸の際の代作 4



今週の1位はこちら!西明寺の焼き討ちです!
織田信長による比叡山焼き討ちの余波から、僧侶、及び地域住民が機智を以て大きな被害を逃れた、というお話ですね。
信長の比叡山焼き討ちに関しては現在も様々な評価が有り、考古学的研究からは、焼き討ち自体は伝わるほどの大規模なものでは
なかった、とも言われます。ただし坂本などで住民に対する大規模な撫で斬りなどがあったのも確かで、強烈な「見せしめ」として
実行された面も強かったのでしょう。またこれによって、元亀の騒乱の和議の結果、畿内で劣勢にあった信長勢力が息を吹き返す
きっかけとも成り、「織田政権」の歴史における大きな転機であったとも言えるのでしょう。
そういう大きな流れはともかく、このお話の内容だと、ある程度の「形」を見せることで丹羽・河尻の両将が納得した、というあたり、
いかにも中世的な話だな、などとも思いました。或いは寺を守ろうとする、僧侶・地域住民の思いが両将にも伝わったか、なんて
考えたくもなります。
後世に、当時の人々の気持ちを伝える、良いお話だと思いました。

2位はこちら!兄の下野に何やら不足を申しです!
水野家といえば、勝成が家を継いだ時、水野家出身で徳川家康の生母である於大の方が、
「水野家にようやくまともな当主が出来た」
と喜んだ、なんて逸話があります。勝成と言えば戦国期でも屈指の暴れん坊、無頼の人というイメージが強く、
「なんでよりによって」なんて思ったりもするのですが、こういうお話を見ると、その一端を感じることが出来る気がしますね。
勝成の行動も、彼個人の性格というより、むしろ刈谷水野家の家風ではなかったか、なんて疑いが湧いてきます。
そういった部分を知ると、勝成の放浪譚も、また別の面白さを感じられますね。そんな事を思った逸話でした。

今週は同票でもう一つ!天正五年十月、和州信貴山城攻め顛末です!
『佐久間軍記』の信貴山城攻めの描写。軍記の趣旨通り、佐久間信盛の活躍が描かれているのと同時に、松永久秀の
イメージが、この頃既に、こう言った形で形成されていた、というのがよく解り、その意味でも興味深いですね。
佐久間軍記の成立はおおよそ、大坂の陣の終結からまもなく、と言われます。その段階で、実際には係わっていないと
現在は考えられている、永禄の変や三好義興の死について主犯扱いをされていたという事は、松永久秀という人物に対する
社会の受容の過程を、様々に考察したくなります。相当早い段階で、三好家に関わる色々なことを、久秀に押し付ける、といった
状況が生まれていたのでしょう。そのあたり「何故そうなったか」を調べてみるのも、歴史の愉しみの一つですね。
面白い内容だと思いました。



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本当に、たくさんの方に助けて頂いて、このブログの更新を出来ているなと、つくづく感じます。
感謝することばかりです。
これからもどうぞ、宜しくお願いいたします。

週刊ブログ拍手ランキング【04/09~/15】

2020年04月15日 19:06

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【雑談】本拠地移動と領地の拡大などについて 10

多々良浜の戦いにおける毛利軍の撤退について 9

ハナ筋マカル、ロクニ付ナヲスヘシ 8
厳島社に元就より病気回復の願書を納めさせ 7

「夏蔭城」 6
清州会議後の情勢と丹羽長秀 5

佐久間軍記の三方ヶ原の戦いの模様 4
島村弾正左衛門、蟹となる説 4
【雑談】”三本の矢”の逸話について 4
武田信玄は曾我時致が再生といふ説 4
豊前陣撤退から毛利隆元の死去まで 4
【雑談】信長と”天下”の関わりについて 3


今週の1位はこちら!【雑談】本拠地移動と領地の拡大などについてです!
戦国大名の中には、本拠地を動かす勢力と、ほぼ動かない勢力が有り、一般的には前者を活動的で先取敵、後者を
往々にして保守的で退嬰的と捉えがちで、創作物などでも戦国大名を、そのような形で「キャラクター分け」しているものも
少なくないと思います。ただ、個人的には一概にそういった話ではなく、結局はそれぞれの大名の置かれた環境と必要性の問題に
過ぎない、とも考えています。そもそも戦国大名の本拠地というものは、概ねその直接に影響力のおよぶ勢力圏の中央辺りに
もって来るものでして、これは当然のことですが、それが一番各地域と連絡が取りやすいからです。織田信長などは断続的に
本拠を変更した代表的な戦国大名とされますが、その位置を見ると、やはりその時その時の勢力圏の中央あたりに
本拠を据えていることが解ると思います。そういった部分が「必要」であり、もう一つの「環境」について言えば、例えば北条氏は
韮山から小田原に本拠を移して以降、結果的に本拠を動かさなかったわけですが、これはやはり、相模、南武蔵を制した時点から
勢力拡大の停滞が起こり、むしろ駿河、甲斐、越後、或いは房総などからの防衛が必要な状況となった、という面が大きいと
思います。このような状況は結局武田の滅亡、或いは天正壬午の乱まで続いたわけで、それに対処するには小田原で非合理な
事は無かった、と言えるでしょう。
近世の大名家、藩の首府とちがい、戦国大名の本拠地は、それぞれにその存在意義が違っていたりもします。そのような面を
考えながら、歴史を眺めてみるのもまた面白いと思います。

2位はこちら!多々良浜の戦いにおける毛利軍の撤退についてです!
大内輝弘の乱の勃発のため、筑前立花城を撤退する毛利勢のお話ですが、色々なドラマが見られるおはなしですね。
この撤退の殿をするのが、毛利元就の聟で有力親族である宍戸隆家であり、それを将として指示するのが毛利隆元で、
また同時に桂、浦、坂、といった有力な家臣を残すことでこの地の親毛利勢力へのある種の責任を取ること、
そして更に、大友方がこの3人の命を助け、警備までして送り返したこと、これらからは本当に色々なことが読み取れると
思います。そういった事に思いを馳せてみるのも、歴史の大きな楽しみだなと思っています。

今週管理人が気になった逸話はこちら!佐久間軍記の三方ヶ原の戦いの模様です!
佐久間軍記は、タイトルからも解るように佐久間家を称揚、或いは弁護する傾向を持つ軍記です。そして三方ヶ原での
佐久間信盛の行動は、後に信長の『佐久間信盛折檻状』の中でも取り上げられているほど、かなり否定的に捕らえられています。
信長の言い分を見る限り、「自分の身内には討死を一人も出さず、同じく派遣された平手汎秀を見殺しにした」ですから。
しかしこちらでは、「信玄の軍が予め大軍で佐久間軍を牽制していた」こと、また家康とともに浜松城を堅く防衛し信玄に手出し
させ無かったことなど、佐久間側の言い分が描かれていますね。このあたりも、おそらく佐久間の主観から見れば、一面の
真実であったのでしょう。この描写から、佐久間信盛と信長の認識の齟齬を考えてみる、という事もなかなか興味深いことじゃ
ないかな、なんて思います。
一方の評価だけでなく、評価された側の認識も知ることは、何であっても大切なことだなと感じます。



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週刊ブログ拍手ランキング【04/02~/08】

2020年04月08日 19:26

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武士の「話」について 10

赤松家の再興と赤松政則について 8

三村家親暗殺事件について 6
この両大将の御軍法は 6

毛利の家 鷹の羽を継きははしら 5
明善寺合戦の結果とその後 5
【雑談】戦国期の陣形についてなど 5
「松明の心得」「城はやし」「言葉争い」 5


今週の1位はこちら!武士の「話」についてです!
細川幽斎による、武士の「話」に関するお話ですが、コミニュケーションを取るのに趣味の話をとっかかりにしよう、というのは
今も昔も変わらないものだなと感じちゃいますねwまた人間観察のありかたとしても取り上げています。この部分も、
ある意味現代に通じるところがあるといえるでしょう。組織の中における人物評価というのは、本質的には時代が違っても
そう変化はないのでしょうね。
そしてこの中で幽斎が「名人」と評する人が松永久秀だとしたら、これもまた面白いですね。
彼が三好長慶の連歌での作法を高く評価した記録などもありましたが、幽斎にとっての三好政権の印象というものも
感じさせてくれる気がします。

2位はこちら!赤松家の再興と赤松政則についてです!
南北朝、室町、戦国における赤松氏の有為転変というのは、勿論嘉吉の変を起こしたことも相まって非常にドラマチックですね。
また嘉吉の変で将軍暗殺という驚天動地の事態を起こしながら、結果として守護として復帰してしまうのも、赤松家のみ成らず
室町時代というものに対し、現代的感覚からは。不思議さを感じさせるものだと思います。無論そこには様々な過程があり、
この記事はその過程を説明しているものでもありますね。
赤松政則も、個人としても非常に面白い人物であり、彼を通して応仁の乱に至る過程、戦国初期の様相などを調べてみる事も
お勧めしたいです。きっと楽しいと思いますよ!

今週管理人が気になった逸話はこちら!この両大将の御軍法はです!
細川幽斎による信長、秀吉のあり方に対する比較、ですね。
本文のレスにもありましたが、幽斎は「豊臣家の末路」を知らないまま亡くなったわけで、そこを押さえつつ読むべきもの
なのでしょう。内容としては基本的に、「秀吉がそう認識させたかった秀吉政権の性格(また信長政権の性格)」を描いていると
思います。幽斎自身、秀吉政権に深く係わっていますから、そういった印象を広めることにも関係していたと考えるべきでしょう。
少なくとも秀吉を客観視する立場ではありません。
ですので、実態が云々というよりも、これは秀吉政権内部の自己設定である、と見るべきなのでしょうね。
そういった視点を持った上で秀吉政権の行動を見ると、また別の物が見えてくるかもしれません。そんな事を感じた
内容でした。



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週刊ブログ拍手ランキング【03/26~04/01】

2020年04月01日 14:55

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細川幽斎による、鉄砲隊運用の心得 11

当家続き申す内は、今度の御恩忘れ申しまじき 11

フランチェスコ・カルレッティ「世界周遊記」の日本に関する部分の続き 8
仔細が有り、丹波路を行く 8

合戦場にて鑓を合わせる時に 7
黄金百枚の儀 7
鷹にとらせ申度候御免候へかしと申候得ば 5


今週の1位はこちら!細川幽斎による、鉄砲隊運用の心得です!
細川幽斎の語る鉄砲隊の運用ですが、これを見ると、正直あまり大きな部隊を想定していませんね。せいぜい十数人から、
多くて数十人?くらいでしょうか。このあたりは細川幽斎は主に合戦を行った場所が畿内近国であり、足利将軍、また信長の
下にあった、という事を考えるべきかも知れません。当時、東国では既に兵種別編成が行われていたとされますが、畿内西国では
必ずしもそういった運用は成されておらず、配下の武士団ごとに編成されたと考えられます。信長も例外ではなく、長篠の段階でも
鉄砲隊は所属する武士団から一旦離され「織田軍」として再編成された、というよりも、その武士団の鉄砲隊ごとに配置された、と
見られています。そこでは大まかな方針と指揮はあっても、判断の多くは各部隊に任されており、そういった環境下に於いて、
このほ幽斎のような発想が出てくるのではないか。そんなふうに考えました。
これに限らず戦国の軍隊の運用というものは、進んでいる遅れているではなく、はやりそれぞれの置かれた環境での合理性を
求めて成り立つもので、こういった記録から、当時の軍隊の環境を考えるのも、また面白いと思います。

今週が同票でもうひとつ!当家続き申す内は、今度の御恩忘れ申しまじき です!
こちらは幽斎の息子、忠興による、前田利家と徳川家康を和解させた事のお話ですね。
江戸期まで残った大名家ではその多くに、関ヶ原前後に、このように家康、徳川家に対して何かしらの大きな功績を成した、という
「由緒」が伝わっているものでして、これも事実かどうかと言うよりも、後の肥後細川家における「由緒」であると考えるべきでしょう。
この由緒故に、細川家の処遇に関して、幕府は様々に考慮せざるを得ないわけで、大名家にとって武器でも在るのですね。
この手の「由緒」で面白いものは、毛利家に伝わった、関ヶ原合戦後の毛利に対する家康の、「防長二州安堵」のお墨付きでしょう。
これによって、逆に毛利家は、関ヶ原の結果減封されたにせよ、防長二州に関しては「家康の保証を得た」という形になり、
以降その所領を保全する最大の根拠ともなりました。毛利氏は参勤交代の際、このお墨付きを先頭に立てて江戸に入ったと
言われます。「由緒」の露骨なデモンストレーションですねw
勿論ここに描かれている事は、歴史に一端も現していると思いますが、もう一つ、この話が残された理由、というものも考えてみると、
また違った面白さを発見できるかも知れません。

今週管理人が気になった逸話はこちら!フランチェスコ・カルレッティ「世界周遊記」の日本に関する部分の続きです!
こういった、外国人、外部による記録の面白いところは、当時の日本人が「あたりまえ、当然のこと」として記録しなかった事を、
外部的には不思議な慣習、習俗であるとして、記録してくれるところでしょう。当時の日本人が輸入品として蘇芳や白檀(?)を
重視していた事など、非常に興味深いと思います。
また「A」や「O」がyesの意味だというのは、「ああ」「応」という事でしょうし、「Mi」が自分を表すというのは、「身」「身共」を
指しているのでしょう。このあたりから当時の人々の言葉遣いを想像するのも非常に楽しいと思います。
こういった記録は、直接的に歴史の流れに関わりがなくても、それを見る際の視界を非常に広く、豊かにしてくれますね。
そういう意味でも、貴重な内容だと思います。


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2020年03月25日 17:19

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細川父子の入部と丹後 13

古今箱伝授のこと 12

稲富一夢が事 11

一色義定室・伊也姫の事 6
一色義定謀殺 6

これぞ一色滅亡の基であった 5
小野木縫殿頭切腹の事 4



今週の1位はこちら!細川父子の入部と丹後です!
このお話の面白さは、織田信長の時代の、入部してきた「大名」に対する在地国衆たちの様子が生き生きと描かれている
事でしょうね。どう対処するのか、議論をしてもまとまりがなく、そもそも友好関係に有るのは遠くの者達で、近隣の者とは
関係が悪い、という辺り、生々しさすら感じますw当時の「国衆」というものをイメージするのに、非常によい資料だとも感じました。
その上で、「戯言」からの喧嘩で簡単に当事者含めて数人の死者まで出てしまうなど、これもやはり、この時代の空気が
きちんと描かれていると感じました。ここから様々に考察するのも非常に面白い、そんな内容だと思いました。

2位はこちら!古今箱伝授のこと です!
古今伝授というものは中々ややこしく、もともと公家の二条家の秘伝であったものが、武士の東常縁に伝わり、その後連歌師の
宗祇に伝授されるなど、細川幽斎への伝授以前から、「公家」の枠内を超えたものだったようです。またそこから「御所伝授」、
「堺伝授」「奈良伝授」と分裂し、幽斎に伝授されたのは「御所伝授」の系統ですね。
古今伝授が何故朝廷を動かすほどの権威を持っていたかには、中世の教養における「古今和歌集」の地位の高さを理解しないと、
現代人には難しいかも知れません。和歌、あるいは連歌を読む、また文章を書くいおいても、古今和歌集の知識が無ければ
世間に認められるものには成りえませんでしたし、だからこそそれについての「正確な解釈」とされる古今伝授が重要だった
わけですね。
古今伝授など中世の文化史に関しては、講談社学術文庫から出ている『天皇の歴史10 天皇と芸能』などが手に取りやすく、
精しいと思いますので、良かったら読んでみて下さい。

今週管理人が気になった逸話はこちら!稲富一夢が事です!
稲富祐直は関ヶ原の時の、細川屋敷からの逃亡などで、戦国ファンからはあまり高く評価されているわけでは無いように思います。
ただ、そういった、「武勇」の観点で彼を評価するのもかわいそうだな、とも思ったりします。
稲富はやはり第一に鉄砲の技術者であり、それはただ単純に個人的技能というだけでなく、砲術家として一種の弾道学に
通じていました。また鉄砲製造の組織化にも着手しており、鉄砲の産業を近世に導いた一人としても、評価できるのでは
ないでしょうか。
彼がある意味武勇に欠けるところがあったとしても、技術と知識でそれを補って余りある評価を受けた、という所に、戦国後期、
あるいは近世の社会の変化を感じることも出来るかも知れません。そんな事もふと思った内容でした。
このお話も基本的に、稲富祐直を大変弁護していますね。この丹州三家物語が書かれた当時の、そういった気持も感じることが
出来る気がします。



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週刊ブログ拍手ランキング【03/12~/18】

2020年03月18日 13:37

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出羽国上山と『たくあん漬け』由来 9

池田恒興の父母の婚儀 8
生後一月を越えると歩き、二月過ぎて食し、八歳にして敵を討った 8

今、その第十の計りを用いる 7
尼子再興軍挙兵 6
山中鹿介、品川狼介、勝負の事 6

尼子勝久・通久兄弟の切腹 5
一戸兵部大輔政連横死のこと 5
尼子再興軍による月山富田城攻略失敗 4


今週の1位はこちら!出羽国上山と『たくあん漬け』由来です!
たくあん漬けの名の由来は様々あるらしく、農林水産省のHPによると、この沢庵和尚が作ったから、という由来の他に、
「沢庵和尚の墓石の形に似ていた」、「「貯え漬け」がなまった」、「「百一漬」が転訛した」等々、これが定説、
というものは無いようですね。
農林水産省HP
https://www.maff.go.jp/j/heya/sodan/1205/01a.html

そういえば、沢庵宗彭は紫衣事件に連座して、出羽上山へ配流されるわけですが、そこで沢庵を厚く保護し、彼に春雨庵を
寄進した土岐頼行は、今、大河でも進行中の、美濃の土岐頼芸と斎藤道三の内紛に巻き込まれ、美濃を脱出し奥三河へと
亡命した、土岐定政の孫であり、いわゆる「明智土岐家」の人物なのですね。
土岐定政が大河に出てくるのかは解りませんが(一説には明智光秀の甥とも)、こう言ったと所からも、何かしら、歴史というものを
感じられる気がします。

2位はこちら!池田恒興の父母の婚儀です!
この滝三四郎が、池田恒興の父である池田恒利ですね。滝川氏の存在感も感じ、後の池田家の繁栄に関しても
色々と想像、考察をしたく成る内容でもあります。養徳院は滝川一益などの推挙に寄って信長の乳母となったと言われますが、
その頃から一益は織田弾正忠家において一定の発言力を持っていなのかなど、想像も膨らみます。
このあたりも、「信長以前」を考える上で大変貴重な拠り所になりますね。
様々に考察しがいのある内容だと思いました。

今週の2位はもう一つ!生後一月を越えると歩き、二月過ぎて食し、八歳にして敵を討ったです!
こちらは山中鹿介生誕譚!戦国大名の神格化は珍しくないのですが、一武将に過ぎない人物の神格化(これは神格化以外の
何者でもないと思う)は、かなり稀なケースではないでしょうか。生後一月で歩いた、というのも、釈迦が生後すぐに歩いたという
伝承を想起させるものですしね。山中鹿介という人物が、無論その評判のベースと成る、高い実力や人を引きつける人格が
あったにせよ、世間に対してどれほど大きな幻想を与えていたかが見えてくるお話だとも思います。
そういえばこの山中鹿介は、後の「真田幸村」の原型の大きな要素であるとも言われますね。尼子十勇士を元に真田十勇士が
創作されたりしていますし。そもそも真田「幸村」の名も、山中鹿介「幸盛」をもじったのではないか、なんて感じていたりします。
「山中鹿介」と、「真田幸村」、この二人の間に創作的なつながりや継承を見出していく、という考察も面白いかも知れません。



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2020年03月11日 13:21

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【ニュース】 発見!松永弾正の肖像画 22

伊達輝宗の遭難と二本松義継の滅亡 15

北畠具教の滅亡 9
蘆名盛隆殺害事件 9

天正十二年、美濃賀々城攻め 7
尼子義久の芸州下向 6
御自身御取り立ての侍によって命を失われたこと 6
織田信長による北伊勢攻略 6


今週の1位はこちら!【ニュース】 発見!松永弾正の肖像画です!
松永久秀の肖像画(の、江戸後期の模写)とされるものが発見されたとのニュース。これも一種の大河効果、でしょうか。
非常に大きな発見だと思います。
ただあくまで模写であるとの事なので、その段階で書き換え、書き加えがあった可能性もあり、そのあたりも含めて
研究が進むことを期待したいです。傍らに茶器を入れた仕覆と考えられるものが置かれている所などは、逆に後世の、
自害の前に平蜘蛛を破壊した等の逸話に引きずられ、アイコンとして入れたのではないかな、なんて思ったりもしましてw
それにしてもこれまでほぼ想像に頼るしか出来なかった松永久秀の容姿に対し、大きな拠り所が出来たと言っていいでしょう。
昨今は研究の進展により久秀の人物像自体大きく変化していますし、今後は外見の造形も含めて、久秀と言う人物に対する
受け取り方が大きく変化するかも知れませんね。

2位はこちら伊達輝宗の遭難と二本松義継の滅亡です!
こちらは有名な、伊達輝宗の遭難についてのお話です。このお話は色々なパターンが有り、中でも輝宗自身が「わしとともに撃て!」
と促すものが有名だと思うのですが、こちらは、嫡子政宗が自身で、この追い詰められた状況の中で輝宗ともども討つことを
決断します。後世の儒教倫理が反映されたもの、と見ることも出来るでしょうが、それにしても苦渋の選択であり、一面として
政宗の心理や立場をよく表していると言えると思います。
二本松義継の立場も含めて、色々な角度から見ることの出来る逸話だとも思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!北畠具教の滅亡です!
北畠具教といえば、剣豪・塚原卜伝の弟子としても有名であり、その名声故に、このような最期が描かれたと言えるかも知れません。
これを読んで思い浮かべた人も多いと思うのですが、同じく塚原卜伝の弟子であったとされる、十四代将軍・足利義輝の
永禄の変での最期とそっくりですね。同じ剣豪の弟子ということで、そう描写されたのでしょうか。
このお話の書かれた『氏郷記』は成立年代不祥ですが、一説には氏郷に仕えた武士によって書かれたと云われ、成立も
寛永年間の頃ではないかとされています。とすると、かなり早い段階で成立した軍記と言えるでしょう。
その上で、義輝が永禄の変で激しく戦った上で死去したという話も、後世創作されたと考えられていて、ことによると、逆に
この北畠具教の最後の描写から、義輝の最後の模様も創作された、という可能性が有るかも知れません。
そんな事もふと思ったお話でした。



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週刊ブログ拍手ランキング【02/27~03/04】

2020年03月04日 16:14

02/27~03/04のブログ拍手ランキングです!


花村勾当 13

安房守の死と大坂の陣の左衛門佐 10

これは皆、其の方のためではないか 8

檀那、甲斐無し! 7
義士塚の由来 7
三左衛門はいかが致したか 7
北条氏所縁の娘、香沼姫 7

真田が尤もである。家康の誤りである 6
室賀正武謀殺 5
夫婦地蔵の伝説 5
南部信直・利直とプロパガンダ 4


今週の1位はこちら!花村勾当 13
近世の政権は、色々な理由にはよるのでしょうが、幕府を始めとして盲人の保護に割と熱心である、という特徴がありますね。
このお話もそういった流れの中のものでも有るのでしょう。
またこのお話に対するレスの中にもありましたが、政宗が文化を統治の中に巧みに用いていた事も察せられ、そういった面を
併せて読むと、更に一層興味深い内容に成るかと思われます。このあたりを現代の東北に根付く文化と比較して見るもの、
また面白そうです。
それにしてもこのお話も、花村正一の機転に対する面白がり方など、いい意味で伊達政宗のキャラクター性が存分に出て
いますね。やはり政宗自体、色々な意味で稀有な人物だったのだろうな、ろう感慨も抱かせてくれるお話だと思いました。

2位はこちら!安房守の死と大坂の陣の左衛門佐です!
真田昌幸の「遺言」、はかなり有名なのですが、彼の『作戦』なるものが当時の実情に適していたかどうか、といえば
率直に言って疑問と言わざるを得ないでしょう(そもそも瀬田を防衛線にして成功した例があるのかというw)
事実というよりも一種の軍記的修辞、と考えるべきなのでしょうね。
その上で、一種の伝説的軍略家としての評価があることを、自他ともに認識していた、という面が感じられる内容でもありますね。
また真田信繁の大坂の陣に於ける、有名な伊達騎馬鉄砲隊との戦いも、機敏な対応のみ成らず、兵の心理も利用するなど、
これもまた勝れた軍略家の面目躍如と言った形です。
敵をギリギリまで近づけて兜を着けさせ云々という話は、おそらく中国の古典か軍記に元ネタが有るとは思うのですが、これもまた、
信繁がそういった軍略を用いるに足る名将である、という事の表現でも有るのでしょう。
後世の真田昌幸、信繁父子に対する認識が、非常によく出ている内容だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!檀那、甲斐無し!です!
大阪の陣に関しては、幕府方、大阪方に拘らず、とにかく武士が「討ち死にしたがる」という現象が見て取れます。
これもまた、真田家におけるそういった現象の記録でも有るのでしょう。
この時期の若い武士たちにとっては、身内の中でも前の世代、更にその前の世代には多くの討ち死にが有り、彼らの存在、
そして現在在るその地位は、それら過去の人々の討ち死のおかげである、という事が繰り返し教え諭されたこと、想像に難く
ありません。である以上、彼らの多くがこの天下の大合戦の機会に、家のため、後世のためにも、教え諭され讃えられた「討ち死」
を望むことは、割と自然な選択ではないか、と思うのです。
勿論これは主君の立場、或いは彼らの下で家中を構成する人々からすれば、このお話の中で小林金太夫が「甲斐無し!」と
叫んだように、実に厄介な考え方であるのでしょうが、これも又、当時の武士たちの価値観に於いては自然な発想でも有った、
と考えることが出来るのかも知れません。そんな事をふと考えた内容でもありました。


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週刊ブログ拍手ランキング【02/20~/26】

2020年02月26日 14:28

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伊達政宗とプロパガンダの影響 12

雑談『松隣夜話』について 9

手取川の戦い 8
我等が首を切られないように 7

館林城の築城由来 6
必ず天下の主となるでしょう 6

「スッミッ」 4
謙信公の御在世が、長久有るまじきように 2


今週の1位はこちら!伊達政宗とプロパガンダの影響です!
東北における伊達政宗の、一種のメディアによるプロパガンダと言って良いのでしょう。当時の奥州における坂上田村麻呂信仰、
そして奥州安倍氏以来の東北の歴史を感じさせるお話ですね。
それにしても、もはや原型がどうだったかもわからないほど情報が上書きされるとは、伊達氏によるプロパガンダの巧みさと
強力さが非常に伝わってきます。伊達政宗が正妻の愛姫を非常に大切にしたというのは有名ですが、勿論それだけではないにせよ、
彼女が坂上田村麻呂の血を引いていた(と信じられていた)事も、彼女の扱いに関する大きな要素であったのは間違いないのでしょう。
そういえば、伊達政宗は奥州の既存秩序を破壊するほど戦いを拡大した、という評価をされることがありますが、昨今では、
政宗は舅である田村清顕の行動に引きずられ、彼を見捨てられないため結果的に戦線が拡大してしまった、という説もあります。
これも政宗、伊達氏において「坂上田村麻呂の子孫と繋がることが非常に重視されていた事の傍証に成るかも知れません。
戦国時代、近世初期だけでなく、古代末期から中世全体の東北についても考察を深めたく成る、そんなお話だと思いました。

2位はこちら!雑談『松隣夜話』についてです!
松隣夜話というのは著者、成立年不明というなかなか厄介な軍記なのですが、現在に至る武田信玄のイメージの多くが
甲陽軍鑑に寄っているのと同じように、上杉謙信イメージの形成の上で重要な役割をはたした書物であることも事実でしょう。
そして内容としては、明らかに甲陽軍鑑を重要なタネ本の一つとして使っていますね。その上で上杉謙信が主役と成るよう、
大胆な改変を行っています。そして各所に見られる謎の太田三楽への高評価については、この軍記の著者とされる
宇佐美勝興が仕えようとした水戸徳川家の初代頼房の母、英勝院の出自が太田氏であり、太田三楽とも関わりのあった(らしい)
太田康資の娘(とされている)事から何かしらの斟酌が有ったのか、なんて想像もしたりします。
軍記というものは必ずしも「史実」を描いているわけではありませんが、その成立背景などを考えた時には、また違った姿を
見せてくれると思います。それもまた、歴史を識る楽しみだなと感じます。

今週管理人が気になった逸話はこちら!館林城の築城由来です!
この、狐による館林城築城の由来というお話は、少なくとも近世初期には非常に有名だったらしく、北関東を舞台にした軍記物でも
多く指摘されていますね。生き物を助ける事で何かしらの恩返しをされる、という説話はそれこそ浦島太郎を始めとして数多く
有るわけですが、そのお返しが軍事技術というのは非常に珍しいと思いますし、おそらく当時もそうだったのでしょう。
ある意味、まさしく戦国時代らしいお話でもあり、故に色々な所で語られたのではないか、なんて思ったりします。
こう言ったお話のバックボーンには、何かしらの稲荷信仰の影響があるのでしょうけど、その地域の稲荷信仰の状況と含めて、
そこを色々調べ、考えていくのも面白そうですね。
お話としても、また信仰や民俗学の面でも興味深いお話だと思いました。



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