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週刊ブログ拍手ランキング【11/07~/13】

2019年11月13日 17:24

11/07~/13のブログ拍手ランキングです!


小田原城、早川口攻めと豊臣秀吉 8

唐の頭に本多平八 8

公方である足利義稙公は、近江の六角殿を頼まれていた 7
石垣山一夜城 7

気遣いは分別のいろは 6
信玄公御一代敵合の作法三ヶ条 5
相手にすると恐ろしい者 4


今週の1位はこちら!小田原城、早川口攻めと豊臣秀吉です!
小田原城早川口攻めにおける秀吉の処置ですが、よくも悪くも戦に逸りやすい細川忠興を選んで煽るなど、秀吉の人を見る目の
面目躍如といった観があります。また家康信雄謀反の噂に、単身彼らの陣営に乗り込むこと、これも秀吉の得意技ですね。
有名なのは上洛した家康に、対面の前日その宿舎に乗り込んだ逸話ですが、前田利家や上杉景勝相手にも似たようなことを
やっており、朝鮮人儒者の書いた看羊録にも、秀吉がこういった事をやるという記事があるところを見ると、秀吉の側からこの手の
行為は積極的に宣伝されていたフシがあります。
秀吉による、様々な配下の操縦方法の一端を見ることの出来る逸話であるとも感じました。

今週は同票でもう一つ!唐の頭に本多平八です!
どうも一部では「唐の頭”の”本多平八」と受け取っている向きがあるらしく、つまり本多忠勝が唐の頭の兜をつけていた、としている
ようで、そういう発想がなかったので驚いたりしていますwこの甲陽軍鑑の記事でわかるように、忠勝はあくまであの有名な
鹿角の兜ですね。
この記事で「小身の家康に似合わない」としているように、唐の頭は非常に贅沢な装飾であると、当時考えられており、
三河勢がみんなこの唐の頭を付けていたというのは、それだけ戦場での装飾に金をかけていた、という事が見て取れます。
三河衆はやれケチだ吝嗇だと言われがちですが、その結果蓄えた金を何に使ったか、ここによく顯れていると思います。
当の家康自体、軍装もファッションも非常に派手な人ですね。再現された家康の服飾がいかに綺羅びやかなものであったかは、
福島雅子 著『徳川家康の服飾』で見ることが出来ますので、興味の有る方は是非読んでみてください。
若い頃の家康が、武田などから「なんか身代不相応の派手なやつ」と見られていた事が何となく察せられる。そんな逸話であると
思いました。

徳川家康の服飾
http://www.chukobi.co.jp/products/detail.php?product_id=756


今週管理人が気になった逸話はこちら!公方である足利義稙公は、近江の六角殿を頼まれていた です!
ここから定頼の時代が、近江六角氏の全盛期ともいえそうです。実質的に畿内の政治動向を主導し「武門の棟梁」とまで
評され、現在では事実上の「天下人」であったという評価もあります。これ以降、六角氏は基本的に親将軍路線を採るのですが、
永禄の変以降にそれが崩れた事が信長の上洛を促す事にもなり、よくも悪くも畿内東方のキーパーソンであったと言えるでしょう。
この時期の六角氏につては、村井祐樹 著『六角定頼 武門の棟梁、天下を平定す』が非常に詳しく、また内容的にも
興味深いものと成っております。こちらも興味の有る方は、是非読んでみてください!

『六角定頼 武門の棟梁、天下を平定す』
https://www.minervashobo.co.jp/book/b449986.html




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週刊ブログ拍手ランキング【10/31~11/06】

2019年11月06日 12:47

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豆州韮山城攻め 10

蒲生氏郷、小田原役に際して 10

韮山城、十八町口の戦い 9
この祖父と孫の別れ 9

秀吉の着陣 7
漢家三傑に比すべき家臣 5
小田原評定 4


今週の1位はこちら!豆州韮山城攻めです!
小田原の役における韮山城攻めのお話。北条氏規率いる城方の果敢な防戦、そして攻め手の蒲生氏郷隊のはげしい
城攻めが伝わってくるような描写ですね。左目への跳弾をものともしない蒲生左門の凄まじさ。この時代、八幡太郎義家の
時代の武士など、ほとんど神話上の人物と言って良いのでしょうが、それに例えられるというのは本当にこれ以上無い
称賛でもあったのでしょう。
激しい戦いの中にも敵味方を越えて勇者を称える、そんな武士らしさがこの戦いの中でも生きていることを感じさせる
お話だと思いました。

今週は同表でもう一つ!蒲生氏郷、小田原役に際してです!
こちらは上のお話で蒲生隊が奮戦した、その理由の一つでも有るでしょう。佐々成政は小田原役の2年前、天正16年に
肥後国人一揆の責任を取らされ切腹しているわけですが、それでいてなお蒲生氏郷が憧れるほど、彼の武勇が優れていたと
言えるのでしょう。また氏郷は信長の時代は、柴田勝家の与力であった時期もあり、長島一向一揆にも参戦していますから、
その間に佐々成政の戦いの様子を間近で見てもいたのでしょう。
蒲生氏郷と佐々成政の交流に焦点を当てた物語なども、一度読んでみたい気がします。

今週管理人が気になった逸話はこちら!韮山城、十八町口の戦いです!
こちらも韮山城の戦い。北条氏規が非常に際立った城将として描かれていますね。これもうがってみれば、結果的に韮山城が
最後まで落ちなかったこと、北条一族の中で彼の家系が大名家として残ったこと、また氏規が家康の「幼馴染」とされていた
ことなども関わるのかもしれません。しかしその上でも、北条勢の全体的な劣勢の中にあって韮山城を保った氏規の
指導力というのはやはり目を瞠るものが有ったと言えるのでしょう。
実は氏規は、当時の北条一族の中ではあまり実力を認められていなかったフシがあります。氏規は北条氏康正室の子で
ありながら、弟であり、かつ庶出である氏邦に序列で抜かされていると指摘されています。実際に有る種の不遇の中に
あった可能性が高いと言えます。そういった背景の上での韮山城での活躍を考えると、また別の感慨が有るかもしれません。
そんな事も感じさせてくれた逸話でした。


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週刊ブログ拍手ランキング【10/24~/30】

2019年10月30日 16:03

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永正の錯乱 12

防戦一方の覚悟を以て望めば 6
翌年の四月十二日になって思い当たった 6

信長一味の家康が遠き輝虎を 5
沼尻の戦いのこと 5

この頃宇都宮の力が弱くなっていたため 4
由良国繁・長尾顕長兄弟幽閉 3



今週の1位はこちら!永正の錯乱です!
それまで、地方に比べると比較的安定していた畿内を一気に戦国騒乱になさしめた永正の錯乱についてのお話です。
魔法に惑溺し家中や政務を顧みない細川政元に、これを心配し、あるいは乗じて様々に動き出す家臣や周辺。
お家騒動の見本のような構図です。
細川政元といえば、戦国時代の到来を決定づけた明応の政変の首謀者とされ、にも関わらず政務に対しこのように無責任で
あることへの批判は昔からあり、逆に後になってその理由として魔法への惑溺が取り上げられたのかもしれません。
しかしながら昨今では、明応の政変を主導したのは日野富子と伊勢貞宗であり、細川政元は巻き込まれただけである、という
説も出され、そうであるとすれば、政元の体制に対するこの一見無責任な態度も理解できるかもしれません(京兆家という家に
本来存在する責任は別として。)
わりと一面的に捉えられがちな話なのですが、読み込むと様々な物が見えてくる、そんなお話だと思いました。

2位はこちら!防戦一方の覚悟を以て望めばです!
小田原の陣を控えての、北条氏政の言葉ですね。この言葉に関して、氏政の状況認識への批判というのは有ると思うのですが、
これはあくまで家臣たちの前での言葉であり、氏政でなくても大名であれば、誰であってもこういう言葉を発せざるを得ないと
思うのです。ここで弱気な発言をすれば、それこそ求心力が無くなり家中の統率もおぼつかなくなるでしょう。
実際、例えば徳川家康も、小牧長久手後、和睦交渉の不調で秀吉による再討伐の話が出た時、家臣団に似たようなことを言った
逸話が残っていますね。家康は運良く生き残った故にその発言も評価され、氏政は滅びた故にその発言は批判される。
正直それだけのことだとも思うのです。
そんな事を考えさせてくれた内容でした。

今週は同表でもう一つ!翌年の四月十二日になって思い当たったです!
こちらは武田信玄が、身延山を叡山にしようとしたというお話。信玄はどうも実際、こういう提案をしていたようで、これには
焼き討ちにあった比叡山関係者も、感謝しつつも戸惑った様子が伺えたりします。叡山のアイデンティティは京城鎮護なので、
ある意味近江のあの地にないと存在としておかしいわけでもありますからねw
また身延山久遠寺の方々もいい迷惑で、身延山が日蓮入滅の地であるからこそ、そこに有ることに意味があるわけで、
移動すること自体宗祖日蓮の法恩を損なう行為と批判されても仕方ありません。
まあ信玄としてはこれを期に宗教勢力のコントロールを強化し云々、なんて考えたく成ったりもしますが、結果として
信玄の死がこのことに対する仏罰、と捉えられているのが面白いですねw
仏法の守護者というイメージを持たれ、自身もそのように振る舞ったフシの有る信玄ですが、そういう人物であっても仏罰を
受けるという皮肉というか何というか、そういうものを感じさせる逸話だと思いました。


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週刊ブログ拍手ランキング【10/17~/23】

2019年10月23日 14:09

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「助五郎よ」「竹千代よ」 12

筆の初めという意味で 10

一益退去 7
膳城素肌攻め 6

つい立姿見せぬ小次郎 5
上見ぬ鷲 5
皆もこのざまを見ろ 5

神梅一党の事 4


今週の1位はこちら!「助五郎よ」「竹千代よ」です!
北条氏規と徳川家康の、人質時代以来の親しい関係を如実に描いた内容ですね。黒田基樹先生でしたか、氏規は
今川人質時代に関口氏の娘、すなわち家康最初の正妻であった築山殿の姉妹と結婚していた可能性がある、という説を
述べられていました(この時の氏規妻は夭折したとされる)。事実だとすると家康と氏規は妻を通じての義兄弟でもあった
わけで、更に太い縁があったと言え、のちの小田原の役などでの家康の氏規への信頼も、より納得できるかもしれません。
この関八州古戦録の書かれた当時も、家康と氏規の間に幼友達である、という印象が有ったこともよくわかります。
そこもふくめて、面白い逸話だと思いました。

2位はこちら!筆の初めという意味でです!
こちらは伊達政宗由来の地名のお話。「検地のはじめ」というあたり、当時の伊達家にとって検地がいかに重要なこととして
認識されていたがかよく分かる気がします。そういえばそもそも「仙台」も、政宗命名の地名ですね。
旧仙台藩領の中には、政宗由来、あるいは政宗に由緒があるとする地名がもっとたくさんあるでしょうね。
そのあたりの研究がないか、ちょっと調べてみたく思います。

今週管理人が気になった逸話はこちら!膳城素肌攻めです!
このお話の勝頼、本当に主体性が無くただただ場の勢いに流されているだけなんですよね。全くもって「勝利したから
良いようなものの。」という内容で、少なくとも数ヵ国の戦国大名としてそれはどうか、と言いたくなる体たらくです。
このあたり、もちろん後世の軍記の特徴として、かなり誇張した形で描かれているのは間違いありません。
ただ武田勝頼という武将に対して、このような印象が持たれていた、というのも確かなのでしょう。
史実的に言えば、勝頼は長篠の後であっても所々の合戦で勝利を積み重ねています。ですが個々の勝利をうまく
全体として繋げられない、という印象があります。これはもちろん当時の勝頼の置かれた環境が大きな要因でもありますが、
印象として「勝っているだけ」というものも有ったのでしょう。そんな事を考えさせてくれた逸話でした。



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週刊ブログ拍手ランキング【10/10~/16】

2019年10月16日 15:13

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太田三楽斎追放 12

大関高増の逆心 8

三楽斎の小田城乗っ取り 7
小西行長捕縛 6
臼井城攻防戦 6

小田城再乗っ取り 5
里見勝広の滅亡 4
里見騒動 3 


今週の1位はこちら!太田三楽斎追放です!
この太田三楽斎追放、実際には実子で親北条派の氏資によるクーデターの側面が強かったようですね。彼はこの時
異母弟の梶原政景やその母を幽閉しています。追放された父親のほうが長生きしたのも含めて、武田家を連想してしまいますね。
三楽斎も武田信虎に劣らぬアクの強い人物ですしw
岩槻の太田家は、氏資が三船山の戦いで討ち死にしたあと、北条氏政の三男北条国増丸がその娘を娶ってあとを継ぎ、
北条家に内包されます。このお話の中で北条側の謀略が強調されているのも、そういった結果があっての事でも有るのでしょう。
当時の関東国衆の不安定さもよくあらわした、そんな内容だと思いました。

2位はこちら!大関高増の逆心です!
いい悪いスレでは有名な大関高増が逆心に至る過程。ただまあ、この内容であれば当時的にはむしろ当然逆心おこすだろ、
という話ではありますねwそもそも当時の配下国衆は厳密な意味では家臣ではなく、内部的には独立していて、従う形であれ
同盟に近い存在であり、だからこそ那須家の頭越しに佐竹と連絡も取るわけですね。これが近世に入ると国衆も主家を頂点に
大名の家中組織に組み込まれ家臣化するわけで、その部分で戦国期と近世の意識の断絶は確かにあるな、と感じます。
大関氏の話は、戦国期、あるいは中世国衆の典型を表しても居るのだろう、そんな事も思わせてくれるお話ですね。

今週管理人が気になった逸話はこちら!里見勝広の滅亡です!
この里見勝広という人、もともと無位無官の浪人で、桐生助綱によって引き立てられるまで何をしていたかよくわからない
謎の人物でも有るのですね。安房里見の一族ということなのですがどこまで本当なのかw
このお話の中で奸臣とされる津布久、山越といった人々は、養子として桐生助綱の後を継いだ桐生親綱の実家である
佐野家より付き従った人々であり、その面から見ると新旧の当主側近の権力闘争であった、と見ることができるかも
しれません。結果として桐生親綱の時代に桐生家は滅亡し、そのため津布久、山越なども、桐生家の道を誤らせた奸臣と
記憶されたのでしょう。このあたり、里見勝広の最後も含めて、どこか甲斐武田家を連想させる気がします。
また当時の関東諸侯の関係の複雑さも考えさせてくれるお話だと思いました。


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週刊ブログ拍手ランキング【10/03~/09】

2019年10月09日 14:20

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籠沢采女の出奔と帰還 13

かくして輝虎は行きがけの駄賃であると 9

その発する心を奪いたくありません 8
身の毛がよだつほど輝虎を恐ろしいと 7
原美濃甲府へ帰る 7

北条氏、その親類一党の栄え 5
行長も心ならず引き立てられて共に敗北し 4


今週の1位はこちら!籠沢采女の出奔と帰還です!
長尾景虎(上杉謙信)に近侍しながら逐電した、籠沢采女という武士のお話ですね。このお話、基本的には「こんな事も
あるかと思ってあえて敵に降ったのだ、という内容になっていますが、これについては色々と解釈出来る感じですね。
単純に再度の寝返りの返り忠、という事にも見えますが、それでは景虎の「人を見る目」に傷がつく、という事になるかも
しれません。
関八州古戦録は関東戦国史についての代表的な軍記ですが、享保11年(1726)の成立とされます。まあ江戸中期ですね。
その成立の頃の上杉謙信認識が、当然この内容の中にも入っているわけで、そういう所を考えつつ読むのが、良い姿勢と
いうべきかもしれません。
まあその成立時に、上杉謙信にこのような暴風雨の如きキャラクター認識が有ったことは、それはそれで非常に興味深いの
ですがw

2位はこちら!かくして輝虎は行きがけの駄賃であるとです!
そんな謙信公の暴風雨というか天災というか、そういった面が十全に現れている内容ですw
誤解であることが解ったのに、「もう途中まで来てるしそんな話が出ること自体怪しいし、まあ攻めながら考えよう。」と
攻撃をかける謙信公。なんという理不尽。しかしこの理不尽さこそが「軍神」なのでしょうね。人の都合など神の前には
些細ですらありません。
上杉謙信は、上杉家中で割と早くから神格化されたと言われますが、それは一種の祟り神を祀るような、そんな神格化では
なかったか、そんな事を思わせてくれる逸話だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!その発する心を奪いたくありませんです!
一方の北条家は、全体的に常識的と言うか理性的と言うか、武士としてあまり破綻のない印象があります。
このお話も遠山富永は、事前にちゃんと氏康へ伺いを立てているのですよね。普通の武家だと、連絡なしに勝手に進出
しちゃう事、多々ありますし、それが武勇を表すという考え方も、当時確かに有りました。しかし北条家中はそういう事をせず、
きちんと手続きを取っているあたり、これも後世における北条氏のイメージを良く表していると思います。
その上で不満の有る層へは、重鎮たる黄八幡北条綱成が爽やかに、重厚に諭します。これなど近世的組織のあり方を
感じさせますね。小田原北条氏は「プレ近世大名」と評されることもありますが、このお話も、その面目躍如といった観が
ありますね。良い逸話だと思いました。


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週刊ブログ拍手ランキング【09/26~10/02】

2019年10月02日 15:03

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当地には大身等の間に戦争が絶えず 8

速やかに討死して名を万代に留めよ 7

味方の中に勇士はいなかったのだ! 6
彼等が甚だ大切にしているものが二つ有る 6

愛の聖物 5
キリシタン全体にとって甚だ悲しむべき、また我等の敵にとって大いに喜ぶべき報知 5

平戸の王は我等に友情を示したのではない 4
摩利支天と称する大にして甚だ美麗なる偶像 4


今週の1位はこちら!当地には大身等の間に戦争が絶えずです!
常に戦乱と放火略奪に怯える、戦国乱世の実態をよく描いている報告だと思います。
放火と言えば、平安後期の坂東の武者たちの基本的戦術が、まず村や家屋を放火することだったのを思い出しました。
その坂東武者の戦術は保元・平治の乱で畿内に導入され、やがて彼等を中心とする鎌倉幕府の成立により全国へと
広がったと言います。そんな鎌倉以来の武士の習性が、この時代もしっかり息づいている、なんて事を思いました。
それにしても、確かにどうして制札取らなかったのでしょうね。そういった習慣を知らなかったのか、つてがなかったのか、
資金がなかったのか、色々と考えさせます。

2位はこちら!速やかに討死して名を万代に留めよです!
こちらは関ヶ原への移動の際の、西軍、および小西行長の様子ですね。西軍が非常に混乱している様子が描かれています。
本質的には物語的脚色と見るべきなのでしょうが、実際にも西軍はどうも、自軍からの足軽などの逃亡に悩まされていたフシがあり、
結果的にある種のリアリティがある気がします。
それにしてもこの『古今武家盛衰記』は、小西行長を非常に高く評価していますね。小西行長主人公の関ヶ原小説といった
感があります。何故に行長がこういった描写に成ったのか、ちょっと調べてみたいですねw

今週管理人が気になった逸話はこちら!彼等が甚だ大切にしているものが二つ有るです!
日本人が大切にしているものが名誉と武器、これはある意味表裏の関係でもありますね、自力救済社会において自己の名誉を
守るものは、最終的には自分の力だけであり、それを保証する最期の手段は武器であるわけです。当時の宣教師が、商人などに
比べて経済的には貧しい武士が社会的に最も尊敬されている、なんて指摘していますが、それは武士が「自力で自己の名誉を
守ることの出来る人たち」であったことも大きいのでしょう。こういった意識は、ある程度現在の日本人にも受け継がれている
気がします。そんな事を思わせてくれた記録でした、



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週刊ブログ拍手ランキング【09/19~/25】

2019年09月25日 16:10

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この者達の忠孝を認めぬと言うのなら 19

デウスの栄光を、人間、鳥獣および蛇の朽つるべき像に変じ 11

「黒し!者共このように撃て!」 7
この地にはまた塩もなく 6
20万石余 小西摂津守行長 5

我等の友である豊後の王は 4
ザビエルの最期 4


今週の1位はこちら!この者達の忠孝を認めぬと言うのならです!
長束正家の家臣たちを抱えようとする伊奈忠次のお話。伊奈忠次といえば関東代官頭としても有名な、徳川家康の代表的な
実務官僚の一人ですね。そういう人だけに、実務に長けた長束正家の旧臣達を得たいと思ったのでしょう。
家康も反対というよりは、長束旧臣というようないわくつきを抱えると、お前が評判を悪くするぞ、と言う忠告なのですね。
徳川家康も、今川、武田、北条などの旧臣を多く抱えてきた人ですから、そういう人たちを抱えた時の内外に起こる摩擦を
よく心得ていたのでしょう。
伊奈忠次はこの後も、利根川や荒川の付け替えなど、多くの業績を成すわけですが、それにはこういった、有能な人材を積極的に
抱える事が大いに益したのでしょう。そんな事を考えさせてくれる逸話でした。

2位はこちら!デウスの栄光を、人間、鳥獣および蛇の朽つるべき像に変じです!
イエズス会の報告における、日本の動物などへの信仰についての記録ですね。「牛を殺せば死刑」というのは信仰というより
労働力保護の観点だった気もします。これを信仰と誤解(?)した事が後の禁教の一因にも成ったのかな、などとも思いました。
欧州では古来兎は多産・豊穣のシンボルであった、と言われています。しかしキリスト教の浸透の中、異教として強く排除
されました。
ただ、今でも復活祭のイースターバニーにその痕跡が残るとも言われます。ただイエズス会が日本に来た頃、欧州ではそういった
古俗が表面上ほぼ排除されつくした状況でしたでしょうから、そういう信仰を排除する気もない世界というのは実に異様に
見えたかもしれません。
そんな事を想像させる内容だなと感じました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!20万石余 小西摂津守行長です!
これ、元来卑賎云々とは言っているものの、小西行長を相当高く評価していますね。そこが非常に興味深い。
三成の失敗の一因を、行長の策を用いなかったためと言い切っています。
無論ここに書かれていることは史実、事実から離れたものも多く、一概に正しいとは言い難いのですが、ただこれの書かれた
時代に、小西行長という人に、どんな印象や評価があったかを如実に顕していると思います。
朝鮮役では人気のある加藤清正の敵役で、関ヶ原でも目立った戦果はなく、関ヶ原後は石田三成らとともに斬首にされた
人物であり、これらを並べると決してイメージが良いとは言い難いと言えます。それでもなお、このように評価されていたのですね。
このソースである『古今武家盛衰記』は、作者も成立年も不明なのではありますが、他の軍記物などと比較して、小西行長評価の
変遷を調べてみるのも面白そうです。



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週間ブログ拍手ランキング【09/12~/18】

2019年09月18日 14:42

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藤堂高虎『遺訓二百ヶ条』、人斬り実践編 14

香川氏と言えば… 8

馬の怨霊 6
文字を介した時のみ互いに了解する 6
大阿武船解体までの顛末 5

一人も洩らさず討捨てたるは一段と気味能き 4
権左衛門の従者を打捨てに仕るのは 4
鷹と狐とキリスト教 4

座の興が冷めるのも構わずに飲みなさらず、一器量あり 3
清正公は石垣普請の御上手で 3


今週の1位はこちら!藤堂高虎『遺訓二百ヶ条』、人斬り実践編です!
本当に、実戦感覚に裏打ちされた、非常に生々しい内容ですね。こういう事は確かに、江戸期であっても道場などでは
伝承されにくい内容でも有ったのでしょう。
全体的に、見た目の格好良さよりも確実性を非常に重視しているように思いました。鑓で突いたらそれを捨てる、家臣を打ち取る時
に一刀だけで様子を見てはいけない、などなど、戦場でも日常でも命のやり取りの多かった時代の経験則の厚みを感じさせますね。
こういったこと、確かに高虎だけでなく、多くの家でも伝承されていたのでしょう。
非常に時代の空気を感じさせる、そんな内容だと思いました。

2位はこちら!香川氏と言えば…です!
いわゆる西遷御家人、西遷武士についてのお話ですね。
源平合戦での勝利、承久の乱などで主に西國に多くの没官領を得た鎌倉幕府は、そこを御家人である東国武士に褒美として
与え、このため多くの東国武士が西國に移住します。鎌倉幕府は基本的に頼朝の挙兵に参加した武士団の権利保護団体の
性格が強く、故にその御家人はほとんどが武蔵相模を中心とした東国武士であり(鎌倉幕府はその滅亡まで、非御家人の武士
(西国一円地住人など)を御家人として取り込むことはありませんでした)、多くの東国武士が西国にも勢力の根を張る事に
なりました。香川氏は承久の乱の功績で安芸・讃岐に領地を得ての西遷ですね。有名なところだと毛利氏、小早川氏、吉川氏は
全部西遷御家人の出自ですし、九州でも大友氏、伊東氏など。島津氏はもともと京の近衛家の家令であったとされますね。
西遷御家人というのは実は、長いスパンで日本の歴史に非常に大きな影響を与えた存在ですね。故に研究も割と活発な
印象があります。興味の有る方は、ぜひ調べてみて下さい!
お薦めはこの当たり

武蔵武士団
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b165193.html

相模武士団
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b307781.html


今週管理人が気になった逸話はこちら!鷹と狐とキリスト教です!
キリスト教の奇跡(?)で逃げた鷹が見つかり狐憑きが治るお話。イエズス会の報告書間などを見るとすぐに目につくのが、
この手のキリスト教の信仰による、あるいは聖水、十字架を用いての奇跡、奇瑞によって病気を治し困難を脱するという
事例の記録の多さです。信仰のおかげで様々な現世利益を受けたということで、この当たりは仏教説話などとまるで変わりません。
綿密に、組織的に記録していったという意味では当時の仏教よりもある意味露骨かも知れませんw
ただ、宗教の本質的な部分はやはりこういう部分にあるのでしょうし、キリスト教も、外来宗教、あるいは世界宗教であると言っても
そこは変わりなく、故に戦国期のキリスト教についても、勿論その存立には様々に特異な部分はあるといっても、宗教としては
相対化して見たほうが良いと思います。そんな事を考えた逸話でした。


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週間ブログ拍手ランキング【09/05~/11】

2019年09月11日 13:58

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政宗最後の日光参拝 19

働いた茶湯 7

彼等は甚だ無遠慮で、殊に外国人にはこれを軽蔑し常に嘲罵する。 6
【ニュース】400年ぶりに復元される亀甲船、龍頭・鉄甲のようなものはない=韓国 6
下および豊後教区の諸領主 6

或いは彼以前にはかつて見なかった事であった 4
宣教師たちは、その豪奢な生活のため他より憎悪されている 4
加藤左馬助殿は常に動かない人である 4

なにゆえその始めよりその教えを当地方に弘布せしめず 3
かの一類を成敗すべし 3


今週の1位はこちら!政宗最後の日光参拝です!
老いた政宗、おそらく足腰も弱っていたのでしょう。しかし転倒を、参拝をここまでにせよという「お告げ」と称したのは、
政宗の強がりにも感じますね。しかしこういった強がり、弱みを見せない事も、戦国を生き抜いてきた大名として必要だったのかも
知れません。最後にはらはらと涙を流す政宗からは、自分の生き抜いてきた激動の時代が、自身も含めてとうとう終わるのだという
感慨や、様々な想いのこもった涙であったのでしょう。
後世の僕たちにもいろいろなことを感じさせる、そんな記録だなと思いました。

2位はこちら!働いた茶湯です!
千道安のこの逸話、利休のものとして伝えられているものもありますね。
花入はご覧になりましたか
こちらは椿ですが、利休の茶湯にはこういう傾向があったのは確かなのでしょう。あるいは逆に、利休が道安のこのような趣向に
影響を受けたのかも知れません。なにはともあれ、千家の茶湯とがどういうものか、その一端を感じさせる象徴的なお話の
一つだと思います。

今週管理人が気になった逸話はこちら!或いは彼以前にはかつて見なかった事であったです!
関白に就任する前後の秀吉についてのフロイスの観察ですが、ここで目を引くのは秀吉の権力について
>今日まで甚だ稀な、或いは彼以前にはかつて見なかった事であった。
と表現している所でしょう。勿論秀吉が自己の権威権力を高めるため大いに宣伝したことも有るのでしょうが(信長が
関白の位を望んでいたが与えられなかった、など)、フロイスは信長の時代も当然、かなり詳細に知見しているわけで、
そんな彼から見ても秀吉権力は信長のそれを遥かに凌駕する、という印象があったというのは、興味深いと思います。
逆に言えば信長権力は、現在においてイメージされがちな絶対的なものではなく、相当に制限されていた権力であった、
と見ることが出来るかも知れません。
フロイスなど宣教師の記録を見る時は相応の注意も必要ですが、当時の日本人とは異なる視点からの観察は様々な示唆を
現代の僕たちに与えてくれます。この内容もそういう物の一つだな、なんて感じました。


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週間ブログ拍手ランキング【08/29~09/04】

2019年09月04日 17:29

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【ニュース】「秀吉から拝領」伝承の十字型洋剣、400年前に国内製造が判明 13

はたして後日、言葉の通りに成った 11

ひとりには 塵をもをかじ ひとりをば 10
伊藤一刀斎と船頭 9
あまり顕栄でない血統の一貴族 9

伴道雲が御馬口に取り付き 8
足ノウラヲカク 8
御師範などとは事おかし 8
「万千代!万千代!」 8
只今石田を殺したならば 8

左吉の容貌起居は他に優れたことによって 6
冥加尽きて逆心があった 4
「日頃の数寄が出た」 2


今週の1位はこちら!【ニュース】「秀吉から拝領」伝承の十字型洋剣、400年前に国内製造が判明です!
豊臣秀吉より加藤清正嘉明に与えられたとされる、十字洋剣(レイピア)についての記事、しかも日本製、というニュースです。
東京文化財研究所の見解によると、このモデルとされたものは『1600年から1630年の間』に制作されたもの、との事ですので、
伝承の秀吉から嘉明に与えられた、という話とは時期的に齟齬が有りますが、少なくとも近世初期に、何らかの目的で西洋剣を
国産化する試みが一部にあった、という事は言えるのでしょう。このあたりは今後の研究を期待したいところですね。
なにはともあれ、様々に想像の膨らむニュースだと思いました。本当に今後加藤嘉明がゲームなどに出る時は、レイピア使いに
成るのでしょうねw

2位はこちら!はたして後日、言葉の通りに成ったです!
こちらは山中鹿介による、初陣の武士二人に対する見解ですね。戦国期の記録、あるいは覚書等の多くにも、初陣の時は
強い恐怖に襲われ視野が極端に狭くなり、何がどうなっているか解らなくなる、というような事が書かれています。それは
戦場においての、偽りのない素直な感想だったのでしょう。そんな中でも武功を挙げられるような人物こそ、武功の士へと
成長できる可能性がある、と見られていたようです。おそらく戦場の危険性を肌できっちりと感じていて、その上で鑓働きが
出来る事が合戦における才能であると言うことだと思います。であれば、この逸話の二人目の武士のように、初陣でも冷静に
過ぎるほどの観察が出来ている場合、戦場の危険性を感じていないのだ、という事になるのかも知れません。「拾い首か、
そうでなければ討たれてしまうだろう」とう言葉は、戦場における危険性への鈍感さを言っているのだろうと感じました。
多くの合戦を生き延びてきた古豪とも言うべき山中鹿之介らしいお話だな、なんて思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!あまり顕栄でない血統の一貴族です!
フロイスによる毛利家についての記述ですが、実に詳細かつ正確に把握していたのだなと感心します。これはおそらく、毛利が
彼らキリシタンを庇護した大友家に於いて、長らく正面の敵だったこともあるのでしょう。敵だからこそ、その内情をしっかりと
把握していなければならない、という事ですね。逆に東国に関しては非常に適当です。徳川家康に関しても長く「織田信長の
義兄弟」と記していますし。こういった地域による理解の粗密も、キリシタン史料を見る時には気をつけるべきだと思います。
それにしても隆元を含めた毛利三兄弟を『皆武勇と才幹の有る者』と表記しているのは興味深いですね。当時、世間的に、
あるいは大友家周辺において隆元も、「武勇と才幹」の人物であるという認識があったことを顕しているのでは、なんて思いました。


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週間ブログ拍手ランキング【08/22~/28】

2019年08月28日 15:21

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愛姫、服を仕立てる 17

北野大茶会の事 11

井伊直孝の御貯え 9
その一言は大きな誉れである 9
その時、秀吉公も返事は無く、家康公も御言葉は無かった 9

重ねを厚く、大平に御打たせなさり 7
森の美作殿、屋敷の池に化け物すみし事 5
重大にして過酷なこと 4



今週の1位はこちら!愛姫、服を仕立てるです!
後世には「伊達者」と、そのファッションの華麗さを伝えられた伊達政宗ですが、彼の装束は妻である愛姫のお手製であったの
ですね。非常に興味深い内容です。政宗や伊達家の装束の華麗さはその当時から評判であり、それが伊達家の特徴とも
成っていたわけですが、この内容からすれば、そういう伊達家の特質を造ったのが、愛姫であったと言えるのかも知れません。
それにしても、服飾において布の裁断というのは、サイズや模様の位置まで、完成品をきっちり頭にイメージできていないと出来ない
ものです。それを一人でやっていたというのは、相当の服飾センスの持ち主であったと見ていいのでしょう。まさに政宗の
ファッションデザイナーであり、ある意味では政宗のプロデューサーであったと言っていい気がします。
また大名の正妻についても、色々認識を新たにしてくれる、そんな内容だと思いました。

2位はこちら!北野大茶会の事です!
北野大茶会についての思い出が描かれた、貴重な体験記であると思います。
この北野大茶会、『多聞院日記』には「信長の京都馬備えを模倣したもの」揶揄されています。茶湯と騎馬パレードでは
イベントとしてまるで異なるようにも思うのですが、どうも馬備えのコンセプトを茶湯に置き換えただけ、という印象があったようです。
まあこの頃秀吉は、信長所持の名物の召し上げを多数行っており、その茶器のコレクションにおいても「信長の後継者」を
アピールしていたフシが有るので、信長の行ったイベントと印象的に重ねたのも、秀吉のがやった可能性もあります。
ただ内容的には、侘び茶の競演としてシンプルで、秀吉晩年の醍醐の花見のような、非常にイベント性の強い内容とは一線を
画している感もあります。
しかし久保長闇堂に限らず、この北野大茶会を見て、茶湯に憧れその道を目指した人々も多かったことでしょう。
色々と受け取りがいのある内容だな、なんて思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!その時、秀吉公も返事は無く、家康公も御言葉は無かったです!
秀吉家康に対し、今まさに滅びようとしている北条氏の名誉を強く指摘した板部岡江雪斎のお話。
非常にいいお話ですね。実は昨今の研究だと、秀吉の小田原征伐は、最初の攻勢の後はわりと膠着していた、という話が
あります。小田原城も含めて、全体として豊臣軍が攻めあぐんでいたわけですね。フロイスは豊臣軍の兵糧が不足して
足軽などの脱走が相次いだ、という事を記録していたりしますし、一般にある「小田原の役は終始秀吉の軍が圧倒していた」
というイメージは修正すべきなのかも知れません。このお話は、そういう北条氏の意地の一端を、板部岡江雪斎の口を通して
伝えてくれる、そんな逸話だと思いました。


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週間ブログ拍手ランキング【08/15~/21】

2019年08月21日 16:12

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那古野山三郎の弟のこと 16

大久保彦左衛門は名誉の一徹者である 9

滑稽さにおいて幽斎はその姿を得た達人である 8
安国寺肩衝・異聞 8

推参なり! 早くも天下取りの顔をするか!! 7
水中で首を取り申した 6
既に常の人とは違っていた 6

飛石を置くように成った始まり 5
赤絵の茶碗 5
カスウの大兵 4

若輩でそのうえ理に当たる故 3
堀越公方のこと 3
池田輝政の最期 2



今週の一位はこちら!那古野山三郎の弟のことです!
「天下三美少年」の一人、出雲阿国の夫、また「豊臣秀頼の実際の父」などという噂まで有ったという、いろいろな意味で
当時におけるスキャンダラスな存在であった名古屋山三郎の跡継ぎについてのお話です。
名古屋山三郎は森忠政の重臣・井戸宇右衛門と斬り合いの末相打ちしたとされ(にらみあいの松事件)、
その相続は非常に混乱の中行われたと見て良いでしょう。父・因幡守の遺言と言うのも、なんとか混乱を収め
相続をスムーズにするために作られた話かもしれませんね。
どういう状況でこの相続が行われたかを知っていると、受け取り方が様々に深くなる内容、だと思いました。

二位はこちら!大久保彦左衛門は名誉の一徹者であるです!
大久保忠教は当時から「武辺者」という評判が有ったらしいのですが、その彦左衛門らしい逸話でもありますね。
特に理屈をこねるのが実に彼らしいw単純に武辺を気取っている牢人にムカついただけなのかも知れませんが、
それをストレートに言わず言葉で圧倒するあたり、個人的にはこういう所が、あるいはこういう人だとイメージされた所が、
彼が様々な逸話や講談の中で愛されてきた所以かなとも思います。彼には確かに人文的才能があるw
そんな事をふと気づかせてくれた逸話だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!推参なり! 早くも天下取りの顔をするか!!です!
この中川清秀という人、城郭研究でも高名な中西裕樹先生の『戦国摂津の下克上─高山右近と中川清秀』によると、
荒木村重の乱の後、彼は織田信長によって「村重の後継」と認められていたとされます。山崎の合戦の折、秀吉も清秀を
「荒木瀬兵衛」と呼んでいます。また清秀は信長より「中国一両国」を与えることを約束され、息子長鶴丸(秀政)と
信長の娘・鶴姫との婚礼も成立したといいます。つまり織田一門に連なったわけですね。
さらに天正八年六月には、羽柴秀吉が、清秀との「兄弟之契約」を起請文に認めています。信長政権末期において、
中川清秀は織田家の摂津支配における最も重要な人物の一人であり、また中国攻めの指揮官である羽柴秀吉とも
深いつながりが有ったと考えるべきなのでしょう。
そこからこの逸話を見ると、もちろんこれはあくまで逸話ですが、よくも悪くも清秀の、「兄弟」である秀吉との距離の近さ、を
見て取れるのかも知れません。信長が本能寺で滅びなければ、あるいはこの後清秀が賤ヶ岳の戦いで討ち死にしなければ、
歴史上「中川清秀」の名はもっと重きを成していたと思われます。そんな事も考えさせてくれる逸話だと思いました。

紹介




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週間ブログ拍手ランキング【08/08~/14】

2019年08月14日 13:38

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さもあるべき実情の物語 19

清正は大馬鹿者だ! 11

古田織部などでもあろうか 7

露すぼこくて折られないもさ 6
信玄の国柄の兜 6
七月の盆灯籠 6
逆心がある故か 6

常々変わり者であった故 5
阿茶の局 5
遠州好み 3
朽木家の重宝 3


今週の1位はこちら!さもあるべき実情の物語です!
戦国を経験した古兵の語る戦場での心の有り様。合戦が始まるまでは恐怖に囚われ、いざ始まると心が停止した状態になる。
そんな事がなんとなく察せられます。高名な武将の回顧にも、戦場では極端に視野が狭くなる、なんて事を語っているお話が
いくつかありますね。そして「もう武士を辞めよう」と思っていたも、戦が終わるとその気持ちがなくなるというのは、戦時の
心の麻痺が、結果的に生き残ったことにより開放されたことから来る気持ちなのかも知れません。
色々と受け止められる、興味深い内容だと思いました。

2位はこちら!清正は大馬鹿者だ!です!
大阪城で罵られて化けて出た(?)清正公の霊。ここで面白いと思ったのが、この人足が人を殺す武器である鉄砲に
南無妙法蓮華経のお題目を入れている事を「不都合」と言っているところですね。つまり南無妙法蓮華経の言葉は、人殺しの道具
には相応しくない、もっと平和的、人道的な言葉であるという発想が当時広く存在したと考えられるからです。
戦国期には法華一揆として、南無妙法蓮華経の旗の元強力な武力を擁した法華の人々でしたが、江戸期には武器を象徴として
争いを忌避する意識が定着していた、と受け取ることも出来るでしょう。江戸後期の世界に清正を登場させることで、そういった
意識のコントラストも表している、なんてことも思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!常々変わり者であった故です!
織田左門(頼長)と言う人は、織田有楽の息子ですが、変わり者と言うか、非常に厄介な人物ですね。
諱「頼長」に「頼」の字が入っていることからも解るように、彼は豊臣秀頼に非常に近い人間で、側近と呼んでも良いと思われます。
大阪の陣の勃発に於いては当所から強烈な主戦派で、豊臣家をこの戦争に引きずり込んだ張本人の一人と言ってもいいでしょう。
(そもそも秀頼の側近、近習層は主戦派だらけなのですが。)
ただ、この頼長は大坂の陣直前には「織田常真(信雄)を総大将として、大阪城から秀頼も追い出して天下の兵を迎えて戦う」
なんて事を言っていたりします。織田家意識の強さ故なのかもしれませんが、やたらやる気は有るけど何がしたいのかよく
わからん、と思ってしまいます。この逸話も織田左門のそういった、気持の空回りが見えるお話だな、なんて思いました。


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週間ブログ拍手ランキング【08/01~/07】

2019年08月07日 14:27

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四郎勝頼公は尾州織田信長の婿になられたのである 9

相手によって褒めどころが有るのだ 7
とかく物事は、心がけ次第である 7

金森出雲殿が最も目利きの巧者と言われた 6
かかる神脈は誠に神仙ともいうべきや 5
信長の唐櫃 5

清正像の怪異 4
それでは侘びの心がない 4
小督の局、名は於万の御方 3
信玄公の御使 2


今週の1位はこちら!四郎勝頼公は尾州織田信長の婿になられたのであるです!
こちら、いわゆる濃甲同盟締結における武田勝頼と信長養女との婚姻についてのお話。
この養女が遠山氏で有ることも大きなポイントで、信州に進出した武田氏と美濃に進出した織田氏にとっての国境問題は、
東濃の遠山氏の帰属問題でありました。結果として遠山氏は、一種の両属状態になるのですが、勝頼との婚姻は
その状況を保証する意味合いもあったと言えるでしょう。
それにしても「信玄公から信長への書状は1年に1度出すか出さないかだった。」というあたりも、武田家に有った信長に対する
格上意識の現れなのでしょう。甲陽軍鑑はこういった部分が細々と出てきて、そこも面白いですねw

2位はこちら!相手によって褒めどころが有るのだです!
金森可重による茶湯の褒めようについてのお話。可重くらいになると、今の人達がイメージするような「茶人」になってきた
感じしますね。芸術感覚の勝負という部分は残しつつも、全体としてその場を和ませる精神。利休的なあり方からすると
ぬるくなったのかもしれませんが、茶湯が普及し一般化しはじめたのだ、とも取れると思います。感性のぶつけ合いばかりでは、
普通の人では神経がすり減ってしまうでしょうからwテイスティングは凄いけどそれだけじゃワインは楽しくないだろ、みたいな
事ではないかと思ったりします。また、何であっても褒められると嬉しいものですからね。
茶湯が円熟へと向かうのを感じさせるお話だとも思いました。

今週は同票でもう一つ!とかく物事は、心がけ次第であるです!
こちらは『長闇堂記』の著者、久保長闇堂が若い頃を振り返ったお話。ここに出てくる秀吉の馬廻衆というのは、増田長盛の下に
付けられた人々ではないか、なんて言われたりしているそうです。それにしてもこの描写からだと、なかなか業の深い今人物像を
想像しちゃいますねwまあ長闇堂に限らず当時の茶人全体にそういう傾向はありますね。
しかしそれでいて、小堀遠州に「あなたは物を知らず、智も暗く」などと言われたことから長闇堂と名乗るわけですから、
ただ業が深いと言うだけではなく、なんとも複雑な人物でもあったのでしょう。
参照
そうしたわけで、「長闇堂」と名付け
こうやって過去の人物を様々に想像して、またその時代を感じられるのも、いろいろな逸話を知ることの楽しさの
一つだな、なんてことも感じました。


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暑い日が続きますが、どうぞ皆さん、体調などには充分お気をつけください。
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週間ブログ拍手ランキング【07/25~/31】

2019年07月31日 18:48

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筒井筒 五つに割れし井戸茶碗 9
世の中すべての床天井は高くなった 9

だからこそ胸の覚悟が第一なのだ 8

家康の事は良きように頼み入ります。恐惶謹言。 6
人々御固浅まに候得は気違物にて候 6

小姓衆まで裸で御給仕致した 5
千与四郎殿に明日御茶を差し上げたい。 5

茶湯が改まった 4
脇差を御取り寄せて御覧になれば、中身は竹 4

山上宗二は顔つきが悪く、口も悪く 3
さては宇治・淀川の運上は万石に及んで 2


今週の1位はこちら!筒井筒 五つに割れし井戸茶碗です!
細川幽斎が事あるごとに、気の利いた句を詠んで場を収める、という逸話はそれこそ山のようにありますが、これはそういった行為が
逸話や伝承と言うだけでなく、どうも本当にも有ったらしい、という内容ですね。彼が教養深く、また頭の回転の非常に早い、
更にとっさに空気を読む達人であったことが、この逸話の中からだけでも伺えます。
コメントにもありましたが、Wikipediaの記事の方では
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%92%E4%BA%95%E7%AD%92#%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96
このように多少の異同があります。伝えられるうちに少しずつ変化したものもあったでしょうし、そういう変化が起こるくらい、
多くの人々によって口伝された、とみても良いかもしれません、そこに細川幽斎という人への、当時の人々にとっての注目の
大きさも見て取れそうです。

今週は同票でもう一つ!世の中すべての床天井は高くなったです!
こちらは千利休の影響で全ての床天井が高くなった、というお話ですが、彼の村田珠光至上主義も感じられるお話ですね。
創作などでは利休は孤高の芸術家のように描かれることが多く、こういった面はあまりフォーカスされることが少ないように
思いますが、大げさに言えば、イエス・キリストが生涯ユダヤ教徒であったように、利休自身は生涯、村田珠光の茶湯の徒、
という意識が有ったのかもしれません。この逸話もそうであるように、その美意識につきあわされた人々は色々大変だったと
思いますがw
「茶聖」というような利休像とは違う、彼の生々しい息遣いを感じるような逸話だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!家康の事は良きように頼み入ります。恐惶謹言。です!
わりと忘れられがちでは有るのですが、武田信玄と織田信長は同盟を結んでいたのですよね。なので信長を介して
家康とも、一種の三角同盟を形成していたと言えます。しかし武田から見て家康はあくまで格下であるという認識があったらしく、
信玄は家康を、信長組下の国衆。大名として接していたという指摘もあります。なので信玄は家康との摩擦が起こるように成ると
しばしば信長に「あいつなんとかしろ」と訴え出ています。信長からも家康に信玄への刺激を抑えるようにと言う働きはおそらく
あったと思うのですが、家康の方はせっせと反信玄的行動を繰り返し、それへの怒りが三方ヶ原へと繋がると言っていいでしょう。
この内容のような信長の書状が実際に有ったのかどうかは何とも言えませんが、武田家における徳川家康認識の一端を
表しているとは言えると思います。



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2019年07月24日 16:11

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長曽我部元親の3女阿古姫は 11
政宗「さてさて珍しきなり!紅の肩衣というものは」 11

立花宗茂と舞 8
大久保忠隣改易 7
直江も腰をかヽめ候迄の由 6

千利休の切腹と石灯籠 5
大坂との御誓詞の御取り替え 5
三ヶ所手が違った 4
千利休の身上が相果てた理由について 4



今週の1位はこちら!長曽我部元親の3女阿古姫はです!
阿古姫の夫である佐竹親直は大阪で主人たる長宗我部盛親と命を共にし、子の柴田外記(朝意)は身を以て伊達家を守るという、
忠義の血筋と言うべき人々であり、長宗我部家、或いは土佐佐竹家の実直な家風を感じさせます。いかに母が長宗我部家の
姫という身分の高い女性であるとしても、その息子朝親に伊達家の「一家」として重きを成す譜代の名家四保柴田氏を継がせると
いうのは、家風や人物への高い評価が有ったと見るべきなのでしょう。
しかし「仙台真田家」もそうですが、仙台藩は大坂の陣で滅びた人々の諸縁を積極的に取り込んでいた印象がありますね。
それは家の強化のためでもあり、また「武士の情け」でもあったのでしょう。そしてそれが「伊達騒動」という危機から伊達家を救う
一助になった事に、善因楽果という言葉を思い出しました。

そして今週は同票でもう一つ、政宗「さてさて珍しきなり!紅の肩衣というものは」です!
で、上の阿古姫を救った政宗のお話ですが、こちらはいつも通りですねw
ここでは紅の肩衣に対して多少遠回しに「なにその独創的で珍妙なファッション!?」と揶揄したと見るべきなのでしょう。
それにしても、政宗が出仕するからみんな変わり装束にしよう、というのは面白いですね。当時の江戸城の、色んな意味で
風通しの良さを感じます。政宗が後に「伊達者」という言葉に結び付けられたのもむべなるかな、なんて思います。
何歳になっても危なっかしさがあって、それ故に注目され愛される。政宗の天性のタレント性を感じさせてくれる逸話だと
思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!直江も腰をかヽめ候迄の由です!
こちらは政宗と慶長出羽合戦で戦った直江兼続のお話。
家康って、過去に自分に敵対した者に対して、事が過ぎればかなりフランクなんですよね。三河一向一揆の昔から。
まあ家康に限らず戦国大名とは、そういう度量がなければ生きていけなかったという事も有るのでしょう。
「直江状」が現在伝わっているものと同様な内容であったかどうかは議論がありますが、家康を激怒させたというのは
確かであり、そんな、かつて自分を怒らせた相手に、その事を必要以上に気にさせない、追い込まないというのは
個人的人格以上に、統治の問題として大切だったと感じます。そういえばフロイスも、日本では主人が家臣に対して怒っている
事が知られた時は、家臣は先立って主人を害する。なんて記録していました。秀吉も小牧長久手で彼を怒らせた榊原康政を
和睦が成ると早々に許すだけでなく官位まで与えていますね。疑心、異心を持たせないのが大切という意識を感じさせます。
そんな事を考えさせてくれた逸話でした。



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2019年07月17日 15:19

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消えた秀吉取り立ての家臣たち 13

三斎公はいつも利休に蒲生氏郷の悪口を言い、また氏郷も 12

花入はご覧になりましたか 9
細川忠興と茶入 6
但馬守殿は御あしらいなされ 6


朝鮮から見た秀吉の「唐入」について 5
御宿勘兵衛の最期 5
若はいとこにておはせしを妹と披露して 5
敵が寄せて来れば、牛起きに起きて突いて掛かれ! 5

ただし一ヶ所、下手な部分が 4
加藤一分殿 3
玉ノ跡七ツト哉ラン有之由 2


今週の1位はこちら!消えた秀吉取り立ての家臣たちです!
豊臣政権の崩壊の理由については、様々な議論がありますが、その中でも挙げられやすいものに、譜代家臣層の薄さが
あります。これを見るとやはり、秀次事件はそれに大きな影響を与えているなと感じちゃいますね。
ただ、これは信長やある意味家康もそうなのですが、急激に拡大した家中や領地の運営は、必ずしも既存の家臣で行いうる
物ではなく、外部に人材を求めざるを得ないわけですね。それによりノウハウが確立すれば担当を内部人材に切り替えるの
ですが、豊臣政権はその切り替えが、色々理由があって上手く出来なかった、とも考えられそうです。そこには譜代層の
薄さと言うより、秀吉一代で打ち立てられた家ゆえの、譜代層の存在感や影響力の小ささを感じたりもします。
秀次事件の有無に関わらず、やはり豊臣家、あるいは羽柴宗家の構造問題は豊臣政権の崩壊において考えるべきじゃないか、
なんてことも思った内容でした。

2位はこちら!三斎公はいつも利休に蒲生氏郷の悪口を言い、また氏郷もです!
細川忠興も蒲生氏郷も、利休に対し互いの悪口を言い合っていたというお話。これを見るに、互いに「それぞれの数寄」が
間違っていると言い合っていたようですね。しかしこういう事を言うのは、お互いの実力を認めあっていた故とも言えるでしょう。
「あいつには負けたくない」「あいつより自分のほうが優れているはずだ」という思いが、師である利休へ相手の悪口を言わせた、
つまりライバル、という事なのでしょう。告げ口を受けた氏郷が、利休が氏郷をかばった(?)事に大喜びでわざわざ忠興に
嫌味を言うあたり、妙に微笑ましくもありますwまあ普通この時代の武士が悪口や告げ口が有れば即流血沙汰な事を考えれば、
非常に平和な内容でもありますね。そして三者三様の気持ちを想像したくなるような逸話だな、とも思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!花入はご覧になりましたかです!
こちらは利休の「数寄」のあり方が端的に著された内容ですね。なるほど茶会というのは亭主と客の勝負なのだと感じ入りました。
利休の弟子である山上宗二の「茶湯者覚悟十躰」には、利休の言葉として
「路地ヘ入ルヨリ出ヅルマデ、一期ニ一度ノ会ノヤウニ、亭主ヲ敬ヒ畏ベシ」
と記しています。「一期一会」の元になったともされる言葉ですね。利休は茶湯に於いて客の心の有り様も重視しており、
このお話も、その考え方がよく現れた内容であると感じました。



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2019年07月10日 13:27

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その心持が面白かった 7
森武蔵守平井頼母を討つ 7

尊公を一度御代に立てて、三好一族も安堵申したい 6

安国寺肩衝 5
森武蔵守土岐三河守を討つ 5
「能ある鷹は爪を隠す」は「北条氏直時分諺留」が元 5

太郎信勝の良き生まれ付きも 3
心安い人に、茶室の外での立ち振舞を見られてしまっては 3
悪くなるのは仕方のないこと 3
田島の屋敷 2



今週の1位はこちら!その心持が面白かったです!
珍しく(?)、千利休が翻弄されている感のあるお話ですね。墨跡の所有者、善意と嫌味のギリギリのラインをきっちり
攻めてくるあたり、なんとも京都人っぽいなと思ってしまうのは一首の偏見でしょうかw
それにしても、多くの場合「茶聖」「茶哲」として、茶の世界では他者を圧する天才と描かれがちな利休ですが、
こういうお話を見ると、彼も他者から一本取られる、血の通った人間だったのだな、という気持ちにさせてくれます。
そんな、利休の多様性も感じ取れる、よいお話だと思いました。

今週は同票でもう一つ!森武蔵守平井頼母を討つです!
森長可による平井頼母謀殺とその後の波紋の物語。鬼武蔵の側の苛烈さが目に付きますが、そもそもは平井頼母の無礼(?)が
発端です。これが事実かどうかはともかく、この頃鬼武蔵は未だ25,6歳という比較的若年であり、特に本能寺後美濃に帰国した
後は、寵愛を受けていた信長の庇護を失ったこともあり、周辺国衆から甘く見られていた部分は有ったと思うのです。
信長より与えられた川中島の所領を放棄して帰国したことも、決して勇猛なこととは見られなかったでしょうしね。
森長可の美濃帰国後に、暴勇と言っていい逸話や戦い方が多く見られるのも、そういった周辺の見る目を改めさせるという意図が
少なからず有ったのではないか、なんて思ったりします。

今週管理人が気になった逸話は、もう一つ鬼武蔵!森武蔵守土岐三河守を討つです!
FGOにも取り上げられ、鬼武蔵界隈があらためて盛り上がりそうですしねw
こちらも本能寺後の、鬼武蔵による久々利頼興謀殺のお話。「仕済みたり」という最後のセリフも恐々たる響きがありますね。
そして久々利頼興をはじめ、兼山周辺の国衆が、息を潜めて本能寺後の情勢を見極めようとしていた様子も感じ取れます。
この逸話の鬼武蔵も、謀を用い騙し討にするなど非常に梟雄的ですね。逆にそういう手段を取らざるを得ないというところに、
当時の森家の置かれた状況を感じることが出来るかもしれません。
森武蔵守平井頼母を討つの方にある「今の治平の世」というのは、信長の時代をそう受け取っていたということであり、
信長の横死で自力救済の世界が復活したことを表しているとも言えるでしょう。
信長権力の元で押さえつけられ変化しつつ有ったものが、いざタガが外れた時どんな事が起こったか、を感じさせてくれる
お話でも有るなと思いました。



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週間ブログ拍手ランキング【06/27~07/03】

2019年07月03日 12:53

06/27~07/03のブログ拍手ランキングです!


この吟味を三四郎に仰せつけられたのは 10

就中信虎御隠居分事 7
信玄公御座なくば家康を信長ころし候はん 7

まったく家康は只者ではない 6
この釜は、このようにしか据えようが無い 6
そうしたわけで、「長闇堂」と名付け 6
数寄がいつ始まったのかは知らず 6

台子は道の秘伝であり 5
江戸ノ悪少年、党ヲ結ビ、異装ヲナシ、横行シテ人ヲ害ス 5
南部下野殿改易は 5

奥州会津へ行って南部下野は 3
浅井某雲母坂奇怪事 3


今週の1位はこちら!この吟味を三四郎に仰せつけられたのはです!
北条三四郎さんの処置、ここではヒューマンエラーは起こるものだから糾明しても仕方ない、という事に読めますね。
明良洪範の方では責任者の切腹を命じられ、このようなことで軽々に生命を奪うべきではない、という流れになっており、
深刻度の差異を感じます。ともかくも、おそらくこれが逸話として成立した江戸中後期においては、主君、主人というものは
徒に配下の、個々のミスを糾明すべきではない、という意識が有ったということなのでしょうね。

2位はこちら!就中信虎御隠居分事です!
武田信玄によって駿河に追放された父信虎ですが、どうも武田家よりの生活費の仕送りが滞っていたようで、今川義元から直々の
催促の書状。なかなかの世知辛さも感じちゃいますw義元は「信虎さん困ってんぞ」と書いていますが、この書状を書かせるまでに
義元と信虎の間にどんなやり取りがあったのか、想像するとちょっと面白いですねw信虎には仕送りだけでなく、義元から所領も
与えられていたようです。信虎は駿府で大人しくしているどころか、男女合わせて子供も3人作り、一家を成していましたから、
ある意味お金がいくらあっても足りなかったかもしれません。
良くも悪くも、信虎の大名らしさを感じる内容だな、なんて感じたりしました。

今週2位は同票でもう一つ!信玄公御座なくば家康を信長ころし候はんです!
こちらの甲陽軍鑑の記事、確かに「武田家なら殺すだろうな」という意識は有ったと思いますw
この記事に限らず、甲陽軍鑑は全体的に家康を高く評価していますが、実は家康に限らず、上杉謙信など、正面の大敵というものを
高評価する傾向がありますね。強靭な敵をリスペクトする、という事では在るのでしょうか、一方で「その強靭な敵を退ける我々は
もと凄い」「そのもっと凄い我々をもっと評価すべき」という面も大きいのでしょう。
それにしても、結果として武田にとって家康を敵としてしまったことは痛恨と言っていい事態で、武田家の視点で見ると、信玄の
後半生は家康に苦汁をなめさせられ続けたと言えるかもしれません。その鬱憤の爆発が三方ヶ原なわけですからねw
しかしながら強敵をきちんと強敵と認識できる組織は強い組織だな、なんてことも考えた逸話でした。


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