FC2ブログ

週間ブログ拍手ランキング【01/10~/16】

2019年01月16日 18:54

01/10~/16のブログ拍手ランキングです!


わざと深いかのように 19

寄手の人々は御覧になれ! 弥平次自害の様子 15

その悪しき臭いは安土中へ吹き散らし申した 7
「狼を退治した狛犬」 6

平蜘蛛の釜と同様に微塵に砕けた 5
たのしみに 命にかへて何かあらん 5
合戦も仕掛けず、人質も出さず、 5
異教徒の特徴 5


今週の1位はこちら! わざと深いかのようにです!
源平合戦の昔から、味方を出し抜くのも武士の習い。この郷戸三郎左衛門、中間とはいえ正しく武士の魂を持っている
人物ですね。武士の正々堂々とは、敵や味方を騙さないことではなく、騙したことに言い訳をしないこと、だと思っています。
そして出し抜くことがちゃんと評価されるのも武士の習い。彼を武士に値すると評価した田中吉政も、正しく武士の主人ですね。
そんな事を考えさせてくれる逸話でした。

2位はこちら!寄手の人々は御覧になれ! 弥平次自害の様子です!
これも武士らしさ溢れる逸話ですね。散り際の鮮やかさ、華やかさこそ武士の真骨頂。理屈抜きに美しい死に様です。
逆にここが悪いと武士としてそれまでの生き様も全否定されるので、正しく必死です。
三河者に限らず、武士というものはつくづく面倒くさい人々なのですが、だからこそ今も日本人に、強烈な印象を残して
いるのでしょう。そんな事も思うわせてくれる逸話です。

今週管理人が気になった逸話はこちら!その悪しき臭いは安土中へ吹き散らし申したです!
実はこれと似た逸話は「祖父物語」に有るのですが、そちらでは中国の秀吉より緊急の援軍要請がありそのため
任務替えとなると、光秀が腹立ちのあまり用意していた食材などを安土城の百々橋の下に棄てたというもので、
腐っていた云々はこの時点では存在しませんね。おそらく同じ話が、川角太閤記の時点でいろいろ脚色されたということでしょう。
逸話というのはこのように、ソーズがそのまま伝えられるというより、時代と共に、また様々な人の手を経るごとに「成長」するもの
でして、これもその一典型なのだろうなあ、なんてことを思いました。逸話って、そういう楽しみ方も出来るのです。


今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます。
また気に入った逸話がありましたら、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
(/・ω・)/
スポンサーサイト

週間ブログ拍手ランキング【01/03~/09】

2019年01月09日 16:52

01/03~/09のブログ拍手ランキングです!


みだりに人数を殺すのみを武と思うのは、 16

どこもかしこもみなやけ申候 11

兜は念入りにすべきだ 10
永禄12年、武田軍駿河撤退と武田重代の家宝・八幡大菩薩の旗 10
我を殺すのか、又甲冑を奪うのか!? 9

【雑談】一番槍について 7
それでは、試しに受けて見給え! 7
三の重宝 5


今週の1位はこちら!みだりに人数を殺すのみを武と思うのは、です!
このお話を読むと、大阪の陣の頃の武士だな、なんて感じます。戦国全盛期だと、捨て頸だろうが偽頸だろうが頸は頸、みたいな
世界ですから。そういう世界の住人だった武士が「こういう方がかっこいいぞ」と感性が変化したこと、これぞ近世なのだなと
しみじみ思います。戦争が常態化していた自力救済世界から、それらが否定された近世世界において「武士らしい武士」とは
何かという事に、一定の方向が生まれてきていた。そんな事を感じたりしました。

2位はこちら!どこもかしこもみなやけ申候です!
元和七年の大火についてですが、政宗がやっぱり「まさむね」表記なのが、目についちゃいますねw
この諱読みに関しては、コメントにもありましたが、相当に高名であり、誰もがその諱を知っているような状況で、はじめて
成立したようです。政宗はそういう人物の中でも、代表的であったという事なのでしょう。そう考えると政宗側、伊達家側としても
一種の誇りであったかもしれません。
あと最後の「めてたく かしく(めでたく、かしこ)」は、女性や子供の手紙で、書状の相手をほめ、おそれかしこまるという意味の
結びの言葉ですね。決して火事のことを目出度いといっているのではありませんw

今週管理人が気になった逸話はこちら!兜は念入りにすべきだ
これは「武士は先ず死ぬ時のことを考えろ」という考え方なのでしょうね。生き残ることを前提にはしない。それが武士の
戦い方であるのでしょう。そして死んだときこそ見栄えを良くしないといけないのは、討死こそが武士の花道であったことを
表すのでしょうね。逆に言えば、家康はそういう人たちに、討ち死にの場を放棄させる方向に時代を導いた人であり、
そこにはいろいろな葛藤が当然有ったのだろうな、なんて思ったりもしました。


今週もたくさんの拍手を各逸話からいただきました。いつもありがとうございます!
また気に入った逸話がありましたら、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
(/・ω・)/

【謹賀新年】週間ブログ拍手ランキング【12/27~01/02】

2019年01月02日 19:05

今年始めて!12/27~01/02のブログ拍手ランキングです!


平田宗次セブン 17

門を開けたままにしておけ 15

掛川開城 12
四郎こそ我が子と言いながら 12

池田光政、お見舞いのお菓子を作る 11
すべて信玄の作謀 11

故に私は法体となるべし 9
池田長吉と犬狩 9

同名淡路守・同弾正、並びに采女佐の知行宛行いの事 8
天狗の仕業に疑いなし 8
慶長18年ローマ法王宛、伊達政宗書翰 5


今週の1位はこちら!平田宗次セブンです!
諱被り過ぎwいくら通常諱を呼ぶことは無いとは言え、ほぼ同時期に同じ一族内でこれだけ被るのは本当に珍しいと思います。
その上それぞれの死に様が、さすがは当時の薩摩武士と言わざるを得ませんね。最初の3人位で諱にしても縁起が悪いと
改名なり同じ諱を控えるなりありそうだとも思うのですが、そんなちょこざいな真似をしないのも、これが薩摩隼人かと
不思議な感慨を持ちましたw

2位はこちら!門を開けたままにしておけです!
「門を開けっ放しにするの好きだねえ」、全くですwよほど「逆にこうした方がビビる」という確信があったのか、そういうスリルに
身をおくことが好きだったのか。ただ日本の城郭の縄張りは、一見開放されているように見えて入り込むと皆殺しの間、というもの
多いので、そういう発想なのかもしれません。また火縄に関しては本来赤々と松明を炊けばよいのでしょうが、そうすると
内外の緊張感を高めてしまうという事での火鉢であったのかと思います。大胆さと繊細さの併存は、家康という人物の
真骨頂ですね。そんな事も思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!慶長18年ローマ法王宛、伊達政宗書翰です!
こういう書状をぬけぬけと出せるのが、政宗の強さなのだと、割と真面目に思っています。
この書状も下手に出ながら、よく読むと現地に高位の責任者、及び高度の決定権を持ってくるように誘導していますね。
つまり政宗の影響下でコントロールできるようにすることを意図しているわけで、このあたり、政宗という人の、政治家としての
油断のなさを感じます。
伊達政宗は、本来大変にプライドの高い人物であると感じているのですが、必要であると思えばそのプライドを即座に
押さえられる部分が、政宗を政宗たらしめたのだろうな。なんて思ったりしました。



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
また気に入った逸話がありましたら、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
そして、今年はブログ開始11周年。元号も新しくなり、新たなスタート、という気持ちでやっていきたいと思います。
本年もどうぞ、よろしくお願いいたします!
(/・ω・)/

週間ブログ拍手ランキング【12/20~/26】

2018年12月26日 22:25

12/20~/26のブログ拍手ランキングです!


可児に好まれて辞し難し 22

久野氏内紛 18

伊勢貞衛と名刀・小烏丸 14
永禄12年正月22日掛川城攻め 12

正信偈合戦顛末 11
イケメンすぎて町娘から惚れられる森蘭丸 11

今は速やかに天意人望に応じて降参するべし 9
掛川城の戦いの時。23日の城攻め失敗後 9
悪右衛門尉由来 9

伊達政宗、慶長六年(1601)四月二十一日付書条 8
堀川城の戦いの時。掛川城再攻後 8
南北合体 5

三月七日の掛川城攻め 4
吾陰嚢の垢ほどもあらぬ物を 4
【ニュース】江戸時代初期に「大坂幕府構想」検討か 新たな書状見つかる 4


今週の1位はこちら!可児に好まれて辞し難しです!
レスにもありましたが、『天下七兄弟』、辻小作と中黒道随に出ているように、辻小作、可児才蔵、中黒道随は「天下七兄弟」と呼ばれる義兄弟の契を結んでおり、故に打ち取るかどうかで
すこし悩んだ、という事なのですね。しかし友人同士でも、敵味方に別れれば馴れ合いという感じをさせないのは、流石
この時代の名のある武士たちですね。ここでは勝敗がほぼ決定したからこそこの態度であったのでしょうし、もし勝敗
定かならぬ激戦であれば躊躇わず命を奪い合ったことでしょう。しかし、基本秀吉系とはいえ、様々な家の家の家臣が
友人関係という「横のつながりを結ぶというのは、秀吉の天下統一により、多くの武士が京に集住したことで生まれた
現象なのでしょう。そう考えるとこの逸話も、秀吉の天下統一が成って初めて生まれたもの、と言えるかもしれません。

2位はこちら!久野氏内紛です!
掛川城攻めのさなか、家康と今川氏真の間で揺れ動く国衆久野氏。戦国時代には、このような立場に追い込まれた国衆が
何百何千と有ったことでしょう。そして運の良い少数は生き残り、殆どは歴史の表舞台からからひっそりと退場しました。
この久野家は、この後も色々あったものの、最終的には御三家紀伊徳川家の家老となり、伊勢国田丸城代として1万石を
所領し、そのまま明治を迎えます。勝ち組そのものと言っていい一族ですが、それもこの時のギリギリの決断が有った故
であると思うと、運命の不思議さなども感じてしまいます。

今週管理人が気になったものはこちら!伊達政宗、慶長六年(1601)四月二十一日付書条です!
後半の秀吉についての提案は非常に有名ですが、前段も面白いですよね。最上義康との連携は非常に上手くいった。
彼の父親である義光とは上手く行かなかったのに、不思議だなー(棒)、のあたり、様々に察せられますねw
最上義光への牽制など色々考えた上でのこの表現なのでしょう。政宗も政治家ですね。
秀頼を家康の手元で育てる、という提案ですが、もしかすると家康は「そんなこと出来るならとっくにやっとるわい!」という
思いだったかもしれません。そのあたりに興味のある方は、、黒田基樹先生の「羽柴家崩壊 茶々と片桐且元の懊悩」を
おすすめします!結局大阪の陣に至る流れも、直線ではなく、本当に紆余曲折なわけなんです。



今週もたくさんの拍手を各逸話にいただきました。いつも有難うございます!
また気になった逸話がありましたら、どうぞそこの拍手ボタンを押して下さい。

なんのかんので、今年最後の拍手ランキングとなりました。今年でこのまとめも10週年となりましたが、どうにか無事に
年を越せそうです。有り難い事です。
本年中も、元スレの皆様初め、ここを閲覧しに来て頂いている多くの方々に大変にお世話になり、様々な場所で励まされ、
元気づけられました。心より御礼申し上げます。

来年はいよいよ平成も終わり、そして文化14年(1817年)の光格上皇以来、およそ200年ぶりの上皇の誕生など、
正しく歴史的な年となりますね。そんな中でも、特に変わらず淡々と更新できればいいな、なんて思っています。
少し早いですが、来る新年が、皆様にご多幸有る年と成りますように。

まとめ管理人・拝
(/・ω・)/

週間ブログ拍手ランキング【12/13~/19】

2018年12月19日 22:26

12/13~/19のブログ拍手ランキングです!


こうしてこの者どもの手並みは知れた 12

汝は何ぞ主人の盟約に背き当国へ乱入するや 12

私は京の所司代になりたい。何故なら 10
富樫氏と金津 10
なんですって! 父御前を打ち殺しなさったというのですか! 10

guminori = ごめんなり 世界周遊記続き 9
相場の倍の代銀をあい渡すべし 9
予が最初より東方より西方に至るまでの君主 9

掛川城攻め 8
新なる事物は新なる言葉を必要とするのみならず 8
伊藤内蔵という者を討つ 6


今週の1位はこちら!こうしてこの者どもの手並みは知れたです!
天文23年の北条と武田との戦いのついてのお話ですが、いやあお互い、実に東国武者っぽくて良いですねw
非常にカラリとした野蛮さのぶつかり合いと言いましょうか。戦いを楽しんでいる、という雰囲気すら伝わります。
武士という人々はそもそも、こういう人たちだったのでしょうね。おそらくこのようなお話を、江戸期の武士たちは、
どこか憧れを感じつつ仰ぎ見たのではないか。そんな事もこのお話から感じました。

今週は同票でもう一つ!汝は何ぞ主人の盟約に背き当国へ乱入するやです!
かの有名な秋山虎繁の遠州侵入。この事で家康は信玄に対し決定的に不信感を懐き、徳川と武田の関係はこじれにこじれ、
両者と同盟関係に有った織田信長はどちらにも良い顔をして和解の役にはたたず、結果として三方ヶ原となり長篠となり
武田滅亡に至ったと考えると、武田にとって決定的なボタンの掛け違えの最初の一歩だった、なんて事を思ったりもします。
しかしこの露骨な油断のなさこそが信玄の真骨頂でもあり、最高の長所は最悪の短所でもある、なんて言葉も浮かんだり
しました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!なんですって! 父御前を打ち殺しなさったというのですか!です!
こちらにも同じお話が出ていましたね太田康資、鬼に金棒・悪い話
この話、どこか平家物語の萬蔵武者評『軍はまた親も討たれよ、子も討たれよ、死ぬれば乗り越え乗り越え戦ふ候ふ。』を
思い出しちゃいます。この時代、やはり戦士としての意識は、源平合戦の頃とあまり代わって居なかったのではないかと
思っちゃいますね。たとえそれが軍記による脚色だとしても、やはりそこに「坂東武者はかくあるべし」という気持ちが
あったわけなのです。そんな事を考えながら、このお話も読んでいました。



今週もたくさんの拍手を各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
また気になった逸話がありましたら、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
(/・ω・)/

週間ブログ拍手ランキング【12/06~/12】

2018年12月12日 11:23

12/06~/12のブログ拍手ランキングです!


平八稲荷 20

徳川家康と井伊谷三人衆 19

氏康が何ぞ悪法師めの油口に誑かされんや 12
福島正則、岐阜城を落とした後の書状 9

此大帝國(日本)に属する歳入 8
竹束の仕寄 8
薩た峠の戦い 8
しからば親父に似ないように 8

日本人に対し無礼であり、気が利かぬ 7
朝倉家にも滅亡の時が訪れたと見え 3
武士のうそをば武略と云 2


今週の1位はこちら!平八稲荷です!
「平八稲荷」は浜松のものが有名なのですが、こちらはそれこそ本場なのに本多忠勝とは関係なく(普通に平八という名前の狐)、
大坂の平八稲荷が本多忠勝由来に成るというのも、なんとも面白いですね。それにしても秀吉は一度稲荷や狐を絶滅
させかけたこともあり
お稲荷さんと狐さん、危機一髪!・悪い話
こういう事もあって豊臣諸椽の名前にしなかった、なんて想像もできますね。しかしやっているイタズラが葬式詐欺なのは
戦乱で多くの人(おそらく狐も)が死んだことを人々が忘れないように、という心から来たものだというのも、このお話自体に
鎮魂の気持ちがあり、本多平八の名前を得たのも、その力で世を鎮めるのだ、という意味が内包されている気がします。
実は割と深い意味が入っているお話なのではないか、なんてことも思いました。

2位はこちら!徳川家康と井伊谷三人衆です!
大河ドラマ「おんな城主直虎」は個人的にも大好きでしたが、今考えても井伊谷三人衆が、特に近藤康用があんなに
ピックアップされた映像作品は空前絶後でしょう。まああの大河は近藤さんだけでなく、小野政次をはじめ、今川氏真、中野直之、
奥山朝忠などなど、普通の大河や歴史物ではモブとしてスルーされがちな人物を丹念に描いた、戦国ヲタとしても本当に
印象に残る作品でした。あの榊原康政は今でも宇宙一かっこいい榊原康政だと思っていますw
結果的に井伊家の名字の地である井伊谷は井伊谷三人衆のものとなり、井伊家は井伊谷の外に出て大きく羽ばたいた。
そう考えると不思議な感慨も持ちます。

今週管理人が気になった逸話はこちら!此大帝國(日本)に属する歳入です!
この時代の人名地名の発音、非常に興味深いですね。個人的にはFingo 肥後、Fangy 萩、Fitayts 常陸など、現代の日本人が
あまり使わないF音が目につくあたり、この頃の日本人がH音ハヒフヘホとF音ファフィフフェフォを区別して使っていた事を
反映しているように思います。あと鼻濁音がしっかり発音されている感じもしますね。
実は日本語の話し言葉自体は、江戸初期には概ね現代に近い形で「近代化」されていたらしいのですが、発音の変遷は
どのようなものがあったのか、そういう事も考えさせてくれる内容だなとも思いました。



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
また気に入った逸話を見つけたら、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
(/・ω・)/

週間ブログ拍手ランキング【11/29~12/05】

2018年12月05日 16:13

11/29~12/05のブログ拍手ランキングです!


氏真はこの事を夢にも知らず 20

叛臣たちの末路 16

乱世忠臣を知る 15
甲斐もなき大僧正の官賊が 欲に駿河を追倒す見よ 13
仁義の道の奥義 12

黒田如水入道は茶の湯を嫌っていた 10
武田軍、駿河侵攻 10
池田忠継 「鬼孫なり」 9

林羅山と円模の地図 7
久能山城 7
天地開闢の時は日に吉凶あるまじ 6

サヴェリウスよ、汝は 5
光秀恨む女の霊 神社に残る戦国悲話/兵庫・丹波市 4
フランシスコが正当なる王として 4


今週の1位はこちら!氏真はこの事を夢にも知らずです!
武田の駿河侵攻で、武田による調略を受けた今川重臣たち。戦う前に勝負は決して居るという、信玄の戦略の真髄のような
内容です。日根野弘就父子が氏真の忠心として活躍しているのも、いいですね。「今川の終わり」のお話ですが、それだけに
ここに出てくる人たちのこれから、を感じさせてくれる内容だと思いました。主君から寝返ってまで生き残った。しかし生き残り
続けることの方が、実は大変なんですよね、この時代。

2位はこちら!叛臣たちの末路です!
武田信玄への「お前が言うな!」は正しい反応だと思いますw実際にはこの葛山氏元はこの時殺されてはおらず、信玄の
西上作戦の最中であった天正元年(1573)2月末に、謀反の疑いで処刑されたとあります。この、結果的に信玄の命によって
殺されたことが、駿河侵入の際まで時間がさかのぼって語られたのでしょう。しかしこのお話、武田滅亡の時に、武田から寝返った
小山田信茂が、織田信忠から同じ事を言われて処刑されるお話をどうしても連想させますね。そこからは栄枯盛衰、因果応報などと
いう言葉を感じさせます。この改正三河後風土記の記述も、どこかそれを意図してこう描いたのではないか、なんて思ったりしました。

今週管理人が気がついた逸話はこちら!仁義の道の奥義です!
仁義という抽象的観念を、当時の日本人の心性に即して、非常に具体的に解説されており、藤原惺窩と言う人の頭の良さも
感じさせてくれる内容ですね。儒者というのは、現在では色々言われがちですが、彼らの仕事というのは結局秩序のコーディネート
であったと思うのです。彼らは過去の歴史をその立場から様々に決めつけますが、それは今の現実の秩序をいかに導き保持する
かという意図から出たもので、必ずしもイデオロギーの徒というわけでは無いと考えます(イデオロギー体質の人が居たのも確かですが)
そんな、儒者について色々思ったりもした内容でした。



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
また気に入った逸話が在りましたら、そこの拍手ボタンを押してくださいね!
(/・ω・)/

週間ブログ拍手ランキング【11/22~/28】

2018年11月28日 18:47

11/22~/28のブログ拍手ランキングです!


謙信の武勇などいか計りの 11

それをくびきる今福浄閑にも 11

三越同盟 10

氏真はこの事を夢にも知らず 9
中川秀政の討ち死に 9
姉川勝利 9

秀吉は紅梅の色の布団を敷き、ビロードの枕をして 8
秀吉「皆々ここに居よ!」 7
名門貴族の人々はよくよく心得なさるべきことではないか 7

只今ほど通りやすい事はありません 6
快く信玄に遠江を賜るべし。 6
おそらくこれが信長であった 5
皆々家一つで育った片口者なので 5


今週の一位はこちら!謙信の武勇などいか計りのです!
佐々成政という人、甫庵信長記では、例の浅井長政や朝倉義景の金箔ドクロの宴会の後、信長に対して諫言しています
(別にドクロの件ではない)。何で成政が、おまえ信長公記じゃ信長の暗殺未遂事件起こしてるのに!なんて思ったりも
するわけですが、彼に関して、良く言えば誰に対しても物怖じしない、悪く言えば身の程を知らない、という印象があったのかも
しれません。この逸話も「謙信何するものぞ」という意識が強く出ており、それはある意味武将として必要なものなのでしょうが、
人格が鞘走りしている危うさも感じさせます。
逸話は同時代、あるいは後世の人達の感じていた「印象」を保存している、とも言えるのかなと思います。

今週は同票でもう一つ!それをくびきる今福浄閑にもです!
このお話、多分文字面だけを追うと、色々納得の行かない所が出てくると思うのですが、この手のものはやはり、
「誰が言うか」と「誰が聞くか」が大切なのだと思います。法興和尚はこの短い話の中からも、今村今福浄閑をはじめ
武田家の武士たちに尊敬されていることが見て取れます。また和尚が今福と親しく、彼のことをしっかり理解していることも
把握できます。そういった双方の関係性を前提として、この説法(これに限らないのでしょうが)は成り立つのでしょう。
そんな事も考えさせてくれた逸話でした。

今週管理人が気になった逸話はこちら!秀吉は紅梅の色の布団を敷き、ビロードの枕をしてです!
秀吉が佐々成政を寝室に呼び入れたお話。
当時、寝室という最も無防備な場所に入れるというのは、相手に全幅の信頼を寄せている、という意味合いがあり、
これもそういうお話では有るのですが、紅梅色の布団にビロードの枕という、実にけばけばしいアイテムを用意しているあたり、
まあ色々解釈もできるのでしょうけど、やはり一義的には成政をビビらせようと思った、という所かなと思ってしまいます。
こういう事を、硬軟取り混ぜてというのかどうか。秀吉という人の感性は、難しいw



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
また気に入った逸話が在りましたら、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
(/・ω・)/

週間ブログ拍手ランキング【11/15~/21】

2018年11月21日 16:41

11/15~/21のブログ拍手ランキングです!


嘉明家中の者迄みな、前帯に 17

加様の時ばかり、又市又市とばかり 14

6月28日姉川合戦・徳川勢 13
武士は病に依りて死せず、戦争に於て死する 12
江州の滑者共さこそあらめ 11

御心強く御談合候へ 7
勇士・真柄十郎左衛門直隆父子 7
早くも軍伍を定めたぞ。心安く思い候へ 7

大将は何処におわしますぞ 6
はや笛を吹くように 6
人の馬は猶以嫌 5
その血は神君の御刀にそそぐほど 5
「さらば掛かれ!」 3


今週の1位はこちら!嘉明家中の者迄みな、前帯にです!
まあセコイですよね。しかも地味に。キャラには合っている気がしますがw
しかしこの手の妙な戦国いざという時ワンポイントアドバイス、手拭い大好き藤堂高虎さんが有名ですが、加藤嘉明にも
この手の逸話が有るという事は、秀吉、というか羽柴家取り立ての人々には、割とこういう細かい日常(?)でつかえる
技術を考えたり教えたりしたがる、アイデアママみたいな特性があったのではないか、なんてことを妄想したりすると、
割と面白い気がしますw

2位はこちら!加様の時ばかり、又市又市とばかりです!
同じ様な話として人の馬は猶以嫌も紹介されていますが、
この小栗又市も安藤さんもこんな事言いながら大阪の陣では非常に奮戦し、両者結局、その時の負傷が元で死んでしまうわけです。
それを知った上でこれらの逸話を読むと、なんとも不思議な感慨を持ってしまいます。
確かに三河者は、面倒くさいですね。面倒くさい本物の戦士たちなのだな。そんな気持ちになる逸話でした。

今週管理人が気になった逸話はこちら!武士は病に依りて死せず、戦争に於て死するです!
非常に生々しく、戦国期の京都の有り様が描かれていると思います。朝廷権力が朝廷と武家に分裂し朝廷権力が衰退し、
更に武家券力も分裂するというあたり、中世日本の権力の流れを大変良く理解していると感心sます。よほど日本の歴史に
詳しい人物からレクチャーを受けたのでしょう。
それにしても、最後の「武士は病に依りて死せず、戦争に於て死する爲め生まるる者なりと信ぜり。」という言葉、
実際に誰か、或いは複数の武士がそう言ったのでしょう。ここからは近世葉隠の一節、「武士道とは死ぬことと見つけたり」の
精神の源流を感じたりもします。
非常に興味深い内容だと思いました。



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました、いつもありがとうございます!
また気に入った逸話が有りましたら、そこの拍手ボタンを押して下さいね!
(/・ω・)/

週間ブログ拍手ランキング【11/08~/14】

2018年11月14日 19:05

11/08~/14のブログ拍手ランキングです!


この王子、他の信長の子息達よりも、その父に似ている故 17

細川忠興、結城秀康に行列の先を譲る 13

そんな秀吉の元同僚 12
扇でお顔をしたたかに打って 11
奈良の鹿 10

伊予の身において誉れとすべし 9
三田村の後殿 9
御父 織田弾正忠殿 8
春の花に秋の紅葉を混ぜ合わせた様 7

小筒も、用いる所によって利があり 6
信長は手早き大将なので 6
これに宗矩が返し 6
手ひどき合戦には不合と見へたり 5


今週の一位はこちら!この王子、他の信長の子息達よりも、その父に似ている故です!
まあなんと言いましょうか。まさしく「三介殿のなさること」ですねwしかし信雄も信雄ですが、信長も甘いですね。
小さな枕を投げるしか出来なかったとは。戦わせた所で相手が信長の息子相手に無茶なことできないのも重々わかっていた
はずです。家康なら息子に、こういう時に本気でぶん殴りに来る補佐役付けるのに、などとも思いましたが、忠輝の例とか
考えるとそれもケースバイケースですかね。
それにしてもこの「殿」って、誰なんでしょうねw

二位はこちら!細川忠興、結城秀康に行列の先を譲るです!
さすが忠興、実にソツがない。このお話を見て、秀康と伊達政宗の、このお話を思い出しました
結城秀康と下馬しない伊達政宗・悪い話
こっちは怪我を言い立ててまで意地でも下馬しない政宗で、なんとも彼らしいお話なのですが、秀康という、立場的に
色々難しいところにある人への接し方にも、各大名の個性が現れている、なんてことも思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!御父 織田弾正忠殿です!
これも、有名なものですが、将軍が自分を補佐する重臣を「御父」と呼ぶのは前例があり、足利義政が幕府政所執事の伊勢貞親に
対してそういう扱いをしていますね。まあこのコンビで文正の政変、そして応仁の乱に至ってしまうわけですがw
そこを下敷きにして考えると、義昭が信長に求めていたものの生々しさを少々感じてしまいます。
義昭はこの時、幕府三管領の一つ、斯波武衛家の家督継承も求めています。それによって、畿内の細川、畠山とともに、三管領
体制の復興を図った、なんて評価もされますが、斯波家を継ぐということは、その斯波家から独立していた朝倉を、信長の配下に
させるか拒否するなら戦うか、という事に、自動的になってしまいます。そういう事を義昭も信長も解っていて、虚々実々の
やり取りをしていたのではないか。そんな事を考えてしまいます。
足利義昭研究は昨今盛り上がっており、信長と共に、新しい義昭像も次々表れてくると思います。
僕もそれを楽しみに待ちたいと思っています。


今週も琢団の拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます。
また気に入った逸話がありましたら、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
(/・ω・)/

週間ブログ拍手ランキング【11/01~/07】

2018年11月07日 19:34

11/01~/07のブログ拍手ランキングです!


松村の報告 14

あの兄弟の働きは良き膏薬 13

六代の討死にして 12
少しも汝らが気遣いすることはない 12

武田総敗軍 8
さすが信玄の遺烈かな 8

武蔵守はその容貌の逞しさを感心し 7
下人などは如此こそころすべけれ 6
山県さんによると、鉄砲は 5


今週の1位はこちら!松村の報告です!
明智光秀の元家臣たち、謀反の家というイメージに反し、実は各所で重宝されていますね。それだけ光秀の家臣団は
有能であったということなのでしょう。この松村さんも、家康を褒めていると言うよりも、「世間的な家康のイメージに
引きずられたら間違うよ」という事を語っており、秀吉にとって有用だったことでしょう。「観察眼が有る」と秀吉が評価したのも
納得できるものだと思います。こういうお話を読むと、こういった人材を集め使っていた光秀という人への評価も、
新たに成ると思います。

2位はこちら!あの兄弟の働きは良き膏薬です!
有名な長篠での大久保兄弟の活躍ですね。三河物語でもある意味自賛していますが、客観的にも非常に印象に残る
戦いぶりだったようです。あの合戦で徳川勢は、「そもそも自分たちの戦い」であると、相当に奮戦したようですね。
その一つの象徴が、大久保兄弟であったのでしょう。
また武田というのはやはり徳川にとって非常に大きな楔であり、徳川勢はしばしば、武田軍というだけで怯えていた時期も
あったようです、しかし長篠後、徳川勢はそういった武田へのコンプレックスを脱し、むしろ武田のほうが、
徳川勢に対し逃げ腰になったとも言います。この「蝶の舞」は、そんな軛からの開放も著しているのかもしれません。

今週管理人が気になった逸話はこちら!六代の討死にしてです!
この平子主膳こと平子貞詮が討ち死にした伯楽淵砦の戦いでは、同時に彼の息子の平子茂兵衛も討ち死にを遂げており、
はからずも七代の討死になってしまっています。
この平子という人、どうも同時代では相当有名だったらしく、平子というだけで「ああ、あの人」と通じるくらいだったようです。
しかし後代にその名があまり伝わらなかったのは、やはり子孫が続かなかったため、でしょうか。
討死で名を成し、討死で名が途切れた、とすると、何とも言えない皮肉となりますね。
それにしても六代、七代にわたっの討死とすると、おそらく戦国期全般で誰かしら討ち死にしているという事であり、
これもまた、戦国の申し子という人であり、家なのでしょう。
またこういうお話を読むと、大阪の陣で幕府方にも豊臣方にも、やたら討ち死にしたがる連中が出てくることの社会背景を
感じられるように思います。


今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつも本当に有難うございます!
また気に入った逸話を見つけたら、そこの拍手ボタンを押してみて下さい!

そして今週は、管理人なりの「逸話」についての見解を。
「逸話」は結局は、ある人物やある事態の一曲面を切り取って物語的に編纂したものであり、それ自体は史実でも
事実でもありません(史実や事実を元にしたものはあります。)
ただそこからは、その逸話の産まれた時代に、人々がその人物や事態をどの様に解釈し受け入れていたか、という事が
見えてきます。
人が社会的動物である以上、人についての評価とは、その人物の内面性ではなく、社会にどう写ったか、という事に成ってしまいます。
逸話とはそういった社会評価を物語的な形で現したものであり、それもまた、人間の社会における、個人、事態の「歴史」で
あると言えます。
「逸話」は大抵は、その人物の死後、事態が過去に成ってから語られるものです。逸話を読む時、その人物や事態がどのように
社会に咀嚼され「歴史化」されたのか。逸話はそんな視点で見ることで、より豊かに楽しめると思うのです。
「史実か否か」というような単純な価値判断をしてしまうと、きっとそこからいろいろなものがこぼれ落ちてしまいます。
そんな事を昨今は思っている、管理人でした。
(/・ω・)/

週間ブログ拍手ランキング【10/25~/31】

2018年10月31日 19:02

10/25~/31のブログ拍手ランキングです!


『山城に行こう!2018~森長可の東美濃統一~』のお知らせ! 13

名高き兜を敵に取られては如何なものか 11
前田利長と七人の鋳物師 11

古老どもも古者だから捨てたか! 9
内藤昌豊の討死 9
あれこそ山県である 9
私は今日までデウスに対し不平を述べたことはなかった 9

故に大将に手を負わせたのだ 8
私は武田家の古老、馬場美濃なるぞ 7
彼女は獰猛な牝ライオンのように 7
同じ忠次でも 7

奇特なる志の留守意 6
「流石に猛将かな」 5
織田信長を模倣する 4


今週の1位はこちら!『山城に行こう!2018~森長可の東美濃統一~』のお知らせ!です!
今月で、このまとめも十週年と成りましたが、そんな十年目に鬼武蔵も地元の歴史イベントの看板になるほどに成ったのだなと、
聊かしみじみしてしまいました。地元に愛される鬼武蔵!こんな日が来るなんてw
いつかこの記事が実現することも!
森長可について。そして大河ドラマ「鬼武蔵」・雑談
まああの、痛快なほど殺伐とした鬼武蔵像が浸透したわけではないのでしょうが、こういうイベントの中で「織田家の猛将」が
市民権を得てくと、なんだか嬉しいです。
それにしても実に興味深いイベントですね!行ってみたいなあ(;´Д`)

2位はこちら!名高き兜を敵に取られては如何なものかです!
敗戦の時、主君に変わり命を捨ててその逃亡を助ける。大きな合戦にはそういう役割の武士が表れますね。
有名所では三方ヶ原での夏目吉信などがいます。ここでの笠井高利、もし武田が滅びなければ、夏目のように
その家中で長く重く讃えられたのでしょう。家の興亡というものからは、忠義の意味もいろいろと考えさせられます。
そして秘蔵の冑すら捨てて逃げたという所からは、長篠敗戦後の勝頼の逃亡がどれほど過酷であったかを感じさせてくれます。
勝頼はそれでも、この敗戦から一旦盛り返しているのですよね。そこだけでもなまなかな人物ではないですね。
甫庵太閤記で秀吉が、信長が勝頼を殺したことを批判する内容があったりしますが、あの本が成立した時代、
そういう評価が存在したのだろうな、たどということも感じました。

今週2位はもう一つ!前田利長と七人の鋳物師です!
加賀、能登、越中はどこも、その地の産業に何かしらの前田伝説がある「前田王国」である、という話はよく聞きます。また事実、
それらは前田家の統治の中で育てられたものだったのでしょう。高岡の鋳物も、そういった産業なのでしょうが、「仏具の需要」
という言葉を見ると、どうも「越中一向一揆」を連想してしまいます。高岡と言えば、有名な高岡大仏も、高岡銅器職人の
技術の高さを伝えるものですが、あの大仏も阿弥陀如来である所に(「一向一揆」と直接に関わるわけではありませんが)、
そちらのつながりも感じちゃいますね。さすが真宗王国、でもあります。
越中の長い歴史を感じさせる、そんなお話だとも思いました。


今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
また気に入った逸話を見つけたら、そこの拍手ボタンを押してみてくださいね!
(/・ω・)/

週間ブログ拍手ランキング【10/18~/24】

2018年10月24日 18:12

10/18~/24のブログ拍手ランキングです!


幼児に聞かせる物語でも心得があるべきだ 17

三人は因幡守家の従縁です 16

もし斥候の者が討たれると、 13
順慶の小姓 12

滝川辰政の履歴 9
この利勝である 8
多田新蔵のこと(改正三河後風土記ver) 7

【雑談】そいえば、秀秋は 6
宣教師も燻される 6
長久手古戦場と白骨 6

この中でも信友は、 4
下瀬九太夫と茨木兵太 4


今週の1位はこちら!幼児に聞かせる物語でも心得があるべきだです!
一休さんはねえ、厄介な人なんですよw
ここに出ているのは一休頓智話の一種であり、事実かどうかは何とも言えませんが、あの人、このくらいの事は平気で
やっちゃう人だよな、という印象を持っています。
あの露悪趣味、気に入らない者への容赦ない批判、そのくせ自分の「出自」を露骨に利用し、保身には鋤がない。
そらま直接に関わりのない人にとっては人気も出るなと思います。無責任に見ている分には、面白いですもんw
しかし「関わらざるを得なく成った人」には厄介としか言いようがありません。
あれが「禅」というものなのか、あれも「禅」というべきなのか。
このお話も子供への語り方を示しつつ、一休さんの厄介さを垣間見せている、そんなお話だと思いました。

2位はこちら!三人は因幡守家の従縁ですです!
新聞記事の方は正直、う~んという(;´Д`)、「自分は新聞と同じ速度で古文書を読める」というのを自慢したかっただけではないか
という気持ちも(僕はそんな事できないのでやっかみですがw)
内容自体は新発見でも何でも無いし俗説もいいところですので。ここから話をふくらませるなら、この方向は筋が悪いと思います。
その意味で投稿者の書かれた先代実録のお話は、話のふくらませ方から言っても考察のやりがいから言っても、
非常に良いものだと感じました。ここから、信長兄弟の複雑な関係性、尾張の非常にややこしく入り組んだ、地域勢力と
織田家との関係などにも興味が至りますね。そんな、良いお話だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!【雑談】そいえば、秀秋はです!
小早川秀秋は元服後の羽柴秀俊と名乗っていた一時期、事実上秀吉の後継者とされていたらしいのです。
天正16年(1588)4月、後陽成天皇の聚楽第行幸で、織田信雄、豊臣秀長、徳川家康、豊臣秀次、宇喜多秀家、前田利家という
6名の大名が連署した忠誠を誓う起請文の宛所は、金吾殿(秀秋)でした。
それがまあいろいろ有って気がついたら後継者の枠から外され、自身の全く関与しない形で変に秀吉から目をつけられ、
九州やら北陸やらと、地方を転々とする羽目になり、彼が客観的にも「酒でも飲まないとやってられない」状況に居たことは
確かなのでしょう。
強大な秀吉の権力というものに最後まで振り回され続けた豊臣の公達。彼にはどうしても、そんな印象を持ってしまいます。



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます。
また気に入った逸話が有った時は、そこの拍手ボタンを押して下さいね!
(/・ω・)/

週間ブログ拍手ランキング【10/11~/17】

2018年10月17日 17:16

10/11~/17のブログ拍手ランキングです!


少々不出来なことが有っても、手初めをすれば 16

滝川今の一言天晴な盟主 15

相合元綱謀殺 14
神流川の戦い一日目 12

何條八幡の神体可成 11
鈴張 11
後北条氏の家宝「酒伝童子絵巻」 11
成瀬正成、名誉の挨拶 11

広良身に代えても申し助け候べし 9
池田輝政の肖像画、モデルは木像 9
神流川の戦い二日目 9

神流川の戦い、戦後 7
名馬を2頭も貰った滝川さん 7

日本語についての報告 6
世にその勇を称して“鬼勝蔵”という 6
日本人は他の諸国民と、想像の出来ないくらい違っている 6

信長が少女を斬り捨てたのは驚くに足らぬこと 5
穴山梅雪の計略 5
【雑談】最近になって真田信勝という人について知ったのだけど、 2


今週の一位はこちら!少々不出来なことが有っても、手初めをすればです!
多少出来は悪くても雑でも、最初に成した者は評価される。そして一度何かがなされてしまえば、以降はその内容や質が
問われるので評価されにくく成る。現代でもそういう事はよくありますが、この頃からそういう発想があったのですね。
これは島原の乱のお話ですが、古き巧者の話していることですから、きっとずっと前からそうなのでしょう。
人間、結局はそう変わらないものだな、なんて気持ちになります。
戦国時代の逸話に現代性が有るとすれば、人間自身はたいして変わること無く今に至っている。そういう事かなあと思ったりもします。

二位はこちら!滝川今の一言天晴な盟主です!
実は東国における滝川一益の逸話って、みんなかなり立派なのですよね。彼が結果的に敗北したこととは別に、その人格には
東国の人々が敬意を払う何かがあったのでしょう。そういえばこの時、滝川陣営に若き日の前田慶次もいるはずですね。
一益はこの敗北のあとは、復活する足がかりをついに得られず、大名の地位から転落してしまいます。
また一旦は秀吉と敵対しながら、小牧長久手では秀吉に従った挙げ句に家康に敗北してしまいますから、後年の印象も
あまり良くないと言っていいかも知れません。しかし彼の選択には、彼なりの筋は通していたのだろう。そんな気はするのです。
このお話からふと、そんな事を考えました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!何條八幡の神体可成です!
非常に鬼武蔵らしいお話ですね。逸話の中で触れていましたが、織田信長も桶狭間の時、熱田神宮に参拝して銭を十何枚か
投げて「全部表だった!これは勝てる!」なんてやっていますね(実際には全て表面に加工した銭を使った)。
「そうやって兵の気持ちを乗らせるのも大将の仕事」という事なのでしょうが、鬼武蔵はそんな事一顧だにせず、せっかくの
神主の好意を引き裂いちゃいました。こういう所で「勇将だけど良将ではない」と言われてしまうのですが、きっと僕たちにとって
鬼武蔵の魅力が、こういう面であることも確かだと思います。

十週年の日の更新に鬼武蔵の逸話があったのも、何かしら不思議なめぐり合わせを感じました。



そんなわけで十周年も過ぎ、今週も、それぞれの逸話にたくさんの拍手を頂きました。いつもありがとうございます!
また気に入った逸話がありましたら、そこの拍手ボタンを押してやって下さい!
(/・ω・)/

週間ブログ拍手ランキング【10/04~/10】

2018年10月10日 19:24

10/04~/10のブログ拍手ランキングです!


うちの実家に伝わる本当かどうか微妙な話 11

光秀のもとに、このような天晴の武士が 11

妖刀”あざ丸” 10
陣頭武者 10
仙石は四国を指して逃げにけり 10
清州会議 9

信長四国征伐の事情 8
名胡桃城について、北条氏直の言い分 8
日本国に大いなるうつけたる者三人あり 8
池田恒興、信輝改名説の出所 8

『お静の涙雨』(またはお静の血の涙) 7
何の用にも立たざる氏真へ、くれられ候程用なくば、 6
山伏、悪魔と語る不可思議の行為 5


今週の1位はこちら!うちの実家に伝わる本当かどうか微妙な話です!
安芸武田家の存在のためか、毛利方面には甲斐武田家との繋がりを表す話が結構あります。
山県昌景はもともと大内の家臣の子弟だったとか、山本勘助も讃岐出身の大内の家臣で、三河出身と言われたのは讃州と三州を間違えたためだ、とか。
山口と武田家のあの人
大内氏の家臣、山県重秋の次男
実際、甲斐武田、若狭武田、安芸武田の間には武田ネットワークというようなものがあり、緩やかながら繋がりを保っていたとか。
そのあたり、鎌倉以来の守護、大族のありかたが、戦国期にも未だぎりぎり生きていたのだなと感じます。宇都宮氏なんかも、
関東と九州の間でもそういうつながりを保っていましたね
この場合、さすが武田家は名門、と言うべきなのでしょう。
このお話がどういった過程で成立したか、色々な考察や想像ができると思います。ご先祖が武田家の誰に当たるのか、
という所から調べ考察していくと、大変面白いものが見つけられる気もします!

今週は同票でもう一つ!光秀のもとに、このような天晴の武士がです!
大雑把に言えば「同じ謀反人でも松永久秀とは雲泥の差だな!」という事なのですがw逆にここは、何故に松永久秀の
自刃はこんなに評判が悪かったのかを考えてみたいですね。そもそもに久秀は(大仏焼き討ちやら三好家、将軍家との関わりやらで)それが事実かどうかはともかく、とかく評判が悪かったのは確かなようですが、この「、死ぬ前に「蜘蛛を破壊した」というのも、
その評判の悪さを更に加速させたのかも知れません。なにせ自他ともに認める天下の名物、第一級の美術品、なのですからね。
そういうモノは個人ではなく公共の財産であり、後世まで残し伝えるべき、と考えられたのでしょう。そこをあえて自身とともに
滅ぼしたのが、松永久秀の「梟雄伝説」のラストを飾る出来事として素晴らしい、ともいえます。
まとまったようなまとまらなかったような話ですが、少なくとも明智光秀本人やその類縁は、久秀のような梟雄性を
世の中に(あまり)感じさせなかった。そんなふうに考えることもできる気がします。

今週管理人が気になった逸話はこちら!清州会議です!
何故気になったかと言えば、管理人が今丁度これを読んでいるからですw

シリーズ・実像に迫る017 『清須会議 秀吉天下取りへの調略戦』
https://www.ebisukosyo.co.jp/item/507/


非常に良い本だと思うので、皆さんも是非読みましょう!

後同じ出版社より、これも大変おすすめ!

マンガで読む 新研究 織田信長
https://www.ebisukosyo.co.jp/item/510/


近年著しい信長研究ですが、その結果、現時点で最新の織田信長像というものがどういうものかを、この作品は実によく表しています。
また足利義昭像にも新しい視点を加えており、そこもまた非常に面白く読めると思います。
この織田信長像を、素直に納得するか、違和感を持つかは人それぞれかも知れません。しかしその内容一つ一つに根拠があり、
「読んだほうがいい」本なのは確かだと思います。僕はおすすめします!



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
また気に入った逸話を見つけたら、そこの拍手ボタンを押してみて下さいね。
(/・ω・)/

週間ブログ拍手ランキング【09/27~10/03】

2018年10月03日 22:33

09/27~10/03のブログ拍手ランキングです!


三雲実乃の婿 29

忠興の母 麝香 15

毛利輝元「これも私の分の悪さです」 11

「伴内が困っておる」 9
無事に帰陣して…… 9
勝頼は飢え疲れておられ 9
督姫、母の供養のために宗旨替えをする 9
「心得たる者もあるものかな」 9

一方の大将たらん者は、 8
左馬助の馬 8
【雑談】関ヶ原の毛利家のことなど 8
松永「だから言ったのに…」 8


今週の一位はこちら!三雲実乃の婿です!
いやあこのお話、本当に面白いですね。内容だけでも非常に興味深いですが、さらにこの伝承が形成されるに至る過程を、
様々に想像させてくれます。これを御子孫が投稿されたことも含め、「いい悪いスレならでは」と感じます。
ここで築城技術者として武田牢人が出てくることについて、同じ近江出身の大名である蒲生氏郷が、会津若松城建設で、
真田昌幸と共に『信玄の両眼』と呼ばれた曽根昌世が縄張りをしたこと、また近世近江を領したのが武田遺臣を組織した
井伊家だったこと、などがとっさに連想されます。そういう部分も含め、様々な想像もさせてくれるお話だと思いました。

二位はこちら!忠興の母 麝香です!
何というか、忠興の母だなあと感じちゃいますね。特にガラシア死後、キリシタンに融和的になる辺り、同じです。そっくりです。
忠興は後年、鏡で自分を見て「幽斎そっくりやんか!」と驚いた、なんて話が残っており、容姿は父親似だったようですが、
せいかくは母親似だったのでは、なんて、このお話を見て感じちゃいました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!督姫、母の供養のために宗旨替えをするです!
このお話と直接関係有るのか、何とも言えませんが、中世では武士は、複数の宗旨に帰依しているのが普通だった
らしいのです。平均して二つから三つの寺院、宗門を信仰し、(武士なら禅宗+他の宗門、のパターンが多かったようで)
むしろ一つの宗旨に拘ることの方が珍しかったとか。だからこそ一つの信仰に拘る人々に、「一向宗」なんて独自の名前を
わざわざ作ったのでしょう。
これは近世初期のお話ですが、まだまだ中世的な信仰の考え方も残っており、家康臨終の時の藤堂高虎の逸話も含めて、
こういう話が出たのではないかなあ、なんて思ったりしました。



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます。

そしてもう10月ですね。実はこのいい悪いまとめ、最初の記事の投稿日が、2008年10月15日。
そう、今月15日で10年目になります。うわー、10年か。管理人としても様々な思いがよぎります。
まあ余り特別なことをしても仕方がないので、できるだけ淡々と10年目を迎えたいと思います。
最初の逸話、織田信長の、おそらくは天王寺の戦いのお話でしたね。
そこから記事数も、これを入れると11526となりました。
なんだかとても不思議です。

これからもどうぞ宜しくおねがいします。
そして気になった逸話がありましたら、そこの拍手ボタンを押してみて下さいね!
(/・ω・)/

週間ブログ拍手ランキング【09/20~/26】

2018年09月26日 17:43

09/20~/26のブログ拍手ランキングです!


鵜殿氏の菩提寺・長應寺と絵曼荼羅 11

坂井政尚の討死 10

茶の湯の歴史について 9
織田信長公は信を堅く守る人物であった。しかしそれ故に 8
鳥居強右衛門勝商顕彰碑 8

敵は皆腰印を捨てたるぞ! 7
10本の矢 6
斎藤内蔵助利三という光秀股肱の者で候 6

「筑前、早くも天下を併呑する気象あらわれたり」 5
明智光秀の最期 4
伊勢貞興、諏訪盛直の討死 4


今週の1位はこちら!鵜殿氏の菩提寺・長應寺と絵曼荼羅です!
寺に歴史あり。それにしても実に波乱万丈ですね。戦国と明治、この二つの時期に大きな変動が起こっている事に、つくづく
この時期が非常な動乱期だったことを伝えてくれていると思います。故地のから江戸へ、そして今は北海道幌延へ。
波乱万丈と言えば、ここに出てくる西郡局が生んだ娘が、あの督姫ですね。北条氏直に嫁ぎ秀吉の小田原征伐のために
離縁し、後に池田輝政と再婚しました。そんな動乱の時代が少しでも静まってほしい。この長應寺にはそんな思いも、
きっと籠められていると思います。

2位はこちら!坂井政尚の討死です!
坂井政尚といえば信長上洛の時の四大将の一人であり、織田家中において非常に重要な人物の一人でありました。
四大将とは柴田勝家、蜂屋頼隆、森可成、坂井政尚ですが、この内二人は信長在世中に討死、柴田勝家も賤ヶ岳の敗北で
切腹し、畳の上で死んだのは蜂屋頼隆だけでした(そんな彼も子がなく家は断絶)。
織田政権はその中途で崩壊したためもありますが、「初期の功労者」たちの顛末の虚しさには、色々と考えさせるものが
あります。

今週管理人が気になった逸話はこちら!織田信長公は信を堅く守る人物であった。しかしそれ故にです
このお話、割と真を突いているというか、昨今の研究では、織田信長という人は「かなり真面目」であったと認識されています。
この場合の「真面目さ」というのは、自分の役割をしっかり認識すること。そしてその責務を果たすことを自覚している、
というようなことを言います。信長はこれを自分だけでなく他者にも求め、将軍にその自覚がなければ将軍に、天皇が
自覚を欠いていると思えば天皇にきっちり諫言します。で、その自覚がないと思った人には容赦がありません。
将軍義昭は勿論、安土城で信長の留守中に遊びに行った女房衆たちを皆殺しにした、なんて事になります。
そういう生真面目さが織田軍の統率を保っていた、のもたしかでしょうが、逆に生真面目さ故の厄介さも、おそらく
当時の人たちも感じていたのでしょう。
そんな事も考えさせてくれた逸話でした。



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
また気に入った逸話が有れば、そこの拍手ボタンを押してみてください!
(/・ω・)/

週間ブログ拍手ランキング【09/03~/19】

2018年09月19日 18:15

09/03~/19のブログ拍手ランキングです!


北条一門の歌 11

信長は彼が陪臣であるにもかかわらず 11

今の深志、山より高く海よりも深い 11

汝の不明は私の不明 9
菅小左衛門、島津家臣に報復した咎により切腹する 9

堀と堀尾は難なく山を 7
今川の ながれの末も絶えはてて 7
光秀天罰逃れ難く 6
【雑談】それにしても上杉景勝って 6

この儀、別の仔細に非ず 5
この傲慢で残忍な国民に 5
任官之事 4
南坊が最初に総門を固めたのは 4
勝敗は互いに天運に任せ候 4


今週の1位はこちら!北条一門の歌です!
黒田基樹先生の『戦国北条家一族辞典』によると、この「喜連川文書」で系譜的地位が不明とされていたのは「氏親」「氏能」「氏冬」
そして「範以」でした
そのうち「氏親」は「大宅高橋家過去帳」にて、16歳でなく成った氏康嫡男として存在が確認され、「氏能」「氏冬」は、
一方が上杉謙信養子となったいわゆる「上杉景虎」、および北条宗哲長男三郎(宝泉寺殿)ではないかと比定されています。
また「範以」は今川氏真嫡男の今川範以と考えられています。
これは一度にこれが詠まれた、というより、足利義氏の時代に詠まれたものを後世編纂した、というもののようですね。
長く研究者を悩ませてきた記録でしたが、ようやく全体が見えてきた史料、とも言えそうです。

同票でもう一つ!信長は彼が陪臣であるにもかかわらずです!
陪臣も評価する、というのは戦国武将には割とつきものの「美談」で、この類だと榊原康政なんかも有名ですね。
ただこの人は信長によっては結局直臣に引き上げられること無く(こういう所、信長は律儀です)、彼が独立した存在となるのは
秀吉の時代に丹羽家が減知転封された後、秀吉によってですね。丹羽家の後に北ノ庄へ入った堀家の与力大名となります。
秀吉の目から見ても、彼が北陸方面の統治に必要な、非常に優秀な人材で有ったことが明らかに見えたのでしょう。
やがて溝口秀勝は越後新発田6万石を与えられ、溝口家新発田藩は明治まで存続します。
非常に実直な印象を持つ武将の家が、非常に実直に大名家としての生涯を全うした。そんな印象も受けますね。

そして更にもう一つ!今の深志、山より高く海よりも深いです!
追放された佐久間信盛父子を訪ね来た山岡景友・平井安斎のお話ですが、この山岡景友、非常に不思議な人物です。
なにせ彼は「足利義昭の寵臣」であったとされ、義昭蜂起の際は彼に従って信長と戦っています。義昭が追放されると
信長に従い佐久間信盛の与力となります。また小牧長久手では織田信雄に付いていたものの戦後秀吉の家臣に。
そして秀吉死後は藤堂高虎の邸宅に居候(!)し、家康のための情報収集に当たった模様です。さらに関ヶ原後、
その功績により家康から、伏見城で討ち死にした甲賀の士の子孫を組織した「甲賀組」を付けられます。いわば
「忍者の頭領」ですね。現在でも彼について様々に語られることがあります。
そういう人が訪ねてきたことを、色々と深読みするのも、歴史のおもしろさかな、なんて思います。


今週もたくさんの拍手を、各逸話にただ来ました。いつもありがとうございます!
また気に入った逸話を見つけたら、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね
(/・ω・)/

そして記事のエントリ数も、昨日11500となりました。
これも本当に、逸話を投稿される本スレの皆様をはじめとして、ブログを見に来て頂いている皆様、
ここに関わる全ての皆様のおかげだと思っています。心から感謝いたします。有難うございます。
来月にはここも10周年となります。こんなに続いていたのですね。我ながらびっくりです。
どうぞこれからも、よろしくお願いいたします。

まとめ管理人・拝

SnapCrab_No-0582.jpg

週間ブログ拍手ランキング【09/06~/12】

2018年09月12日 22:04

09/06~/12のブログ拍手ランキングです!


家康に関連する苗字ネタ2発 16

大関氏の城、那須氏の城 16

腹も背も切るる計に笑ひつつ、息しもあへず臥轉び給ひけり 14
【ネタ】『しげしげ』 12

二俣城請取 11
「曲淵討たすな!」 10

この私が継いだことは冥利の程にも恐ろしい 8
”みつめの法” 8
誠に愁嘆止む時無く 8
『運は天に在り、生死は定まる』 8

駿河なる 富士の山にて 甲斐喰ひて 7
直孝12歳のときに、 7
一生の期はここにあり 7
忠次がいわれざる無礼を振舞ったせいで 6


今週の1位はこちら!家康に関連する苗字ネタ2発です!
「勘解由」姓と「昼間」姓、勘解由は百官名として名前では割とよく見ます(黒田孝高もそうですね)が、名字になっていたのですね。
しかも家康は名前としてつけたのに姓にw
これはまあ、江戸期に「権現様由来」が非常に価値が有ったことから来たものなのでしょうが、この他にこういった、
名前として付けられて姓となった、という由来の有る名字にどんな物があるのか、気になります。
また姓に転嫁した経緯も知りたくなりますね。
「昼間」は割とある名字、という印象があるのですが、ここにも権現様由来があったとは。ただ、個人的感想ですか
こっちは後世のこじつけかな、という印象を受けます(井伊系昼間氏はともかく)。
名字・名前も含めた「権現様由来の研究」誰かやらないかなあw

今週は同票でもう一つ!大関氏の城、那須氏の城です!
色々と解釈される那須家と大関家の関係ですが、端的に言えば戦国期によくあった「下剋上」の形がたまたま、世の中の秩序の
回復期である戦国最末期に顕れたために悪目立ちした、という面もあったのでしょう。細川京兆家と三好家、
斯波武衛家(あるいは織田守護代家)と織田弾正家、なんてのも結局はこの形ですしね。
それにしても「居城の規模の大きさ」がダイレクトにその権勢の規模を顕している、というのはいかにも戦国的で、
その到達点である徳川江戸城が、規模として安土や豊臣大阪城どころか、北京の紫禁城をも凌ぐ世界最大の
城郭となったのも、そういう意識の上であったのかな、なんて考えたりもしました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!腹も背も切るる計に笑ひつつ、息しもあへず臥轉び給ひけりです!
信長公大爆笑というお話ですが、逸話を見ると信長という人は、今の世間的なイメージと違い、かなりよく笑いますね。
それも変な所にツボがあるw
彼の一面として「魔王的」な残酷さ、冷酷さがあったのは確かでしょう。しかしそれはそれとして、ユーモアがあり
よく笑い接しやすい、そういう一面も確実にあったという印象を、少なくとも後世でも割と近い時代の人々は
持っていた、だからこそこのような話も残された。そんなふうに思います。
それにしても何でこんな変な遊びを思いついたのか、そこも気になるお話でもありますねw


今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
また気に入った逸話がありましたら、そこの拍手ボタンを押してみてください!
(/・ω・)/

週間ブログ拍手ランキング【08/30~09/05】

2018年09月05日 21:57

08/30~09/05のブログ拍手ランキングです!

武器がなくてもどうということのない伊東七蔵さん 15

汚れなく弓馬を取って 12

淡路守の倅 11
本圀寺襲撃と入札 11
建部政長、父の所領等を安堵される 8

松平御一族御礼次第 7
【雑談】「甲陽軍鑑」などの史料について 7
「ああ天なるかな!」 7
この家には銀の兜をつけた侍が 7
ニュース【ミス・ワールド日本代表に伊達政宗直系21代目の伊達佳内子さん】 7
かの大軍に気を呑まれてその指図に従われる 7

幾程命伸びた所で 6


今週の1位はこちら!武器がなくてもどうということのない伊東七蔵さんです!
さすが伊東七蔵さん。刀脇差を落としてもまるで動揺しない堂に入りっぷり。むしろ最初から武器を持たないほうが
強いのではなかろうか、なんて思っちゃいますね。
こういうものも、きっと戦国の世が生んだ一種の異能なのでしょう。戦場というものに特化した才能ですね。
あの時代にはこういう「才能」の持ち主がその大小にかかわらず多く居たのでしょう。しかしこのような才能を
集めた結果として、彼らの存在理由ともいえる「戦場」がどんどん無くなっていく。
戦国の勇者とは、そんな矛盾を抱えた存在なのだなと、そんな事をふと思いました。

2位はこちら!汚れなく弓馬を取ってです!
信玄が言うから胡散臭いのか、もしくは信玄が言うからこそ説得力が有るのか、言っていることは大変高邁ですが、
いろいろ裏読みをしたくなる内容ですねw
とにかく武田というのは、彼らの侵略にさらされた地域では「鬼か悪魔か」というような印象を持たれています。
信長も家康も氏康も氏真も謙信も、信玄を鬼畜と呼ぶことにためらいがありませんw
しかし信玄自身の自己認識がこれだった、という可能性はあります。甲陽軍鑑なんて読むと武田家自体は
「われこそ正義」の意識が有ったことがわかります。
自己認識と他社認識の差とはこういうものか、なんてことも思ったりした逸話ですねw

今週管理人が気になった逸話はこちら!本圀寺襲撃と入札です!
これも色々な捉え方のできる逸話だと思いますが。個人的にはこの、緊急時に指揮官を決めるため投票を行う、
という行為が当時、あるいはこの逸話の書かれた時代に一般的だったのか、という所ですね。
実は日本では、入れ札で何かを決めるという行為は割と古くから行われており、江戸時代末期には、ほぼ全国の村落で、
村の代表は「入れ札」で決められていたと言われます。
もちろん現代的な、民主的な投票とはまた別のものですし、投票権も「家」単位でしたから、いわゆる「民意」とも
別のものでしょう。
ただそいういった決定システムが、当時、軍事の領域でも行われていたのか、非常に興味深いと思いました。


今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
また気に入った逸話がありましたら、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
(/・ω・)/