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週間ブログ拍手ランキング【09/03~/19】

2018年09月19日 18:15

09/03~/19のブログ拍手ランキングです!


北条一門の歌 11

信長は彼が陪臣であるにもかかわらず 11

今の深志、山より高く海よりも深い 11

汝の不明は私の不明 9
菅小左衛門、島津家臣に報復した咎により切腹する 9

堀と堀尾は難なく山を 7
今川の ながれの末も絶えはてて 7
光秀天罰逃れ難く 6
【雑談】それにしても上杉景勝って 6

この儀、別の仔細に非ず 5
この傲慢で残忍な国民に 5
任官之事 4
南坊が最初に総門を固めたのは 4
勝敗は互いに天運に任せ候 4


今週の1位はこちら!北条一門の歌です!
黒田基樹先生の『戦国北条家一族辞典』によると、この「喜連川文書」で系譜的地位が不明とされていたのは「氏親」「氏能」「氏冬」
そして「範以」でした
そのうち「氏親」は「大宅高橋家過去帳」にて、16歳でなく成った氏康嫡男として存在が確認され、「氏能」「氏冬」は、
一方が上杉謙信養子となったいわゆる「上杉景虎」、および北条宗哲長男三郎(宝泉寺殿)ではないかと比定されています。
また「範以」は今川氏真嫡男の今川範以と考えられています。
これは一度にこれが詠まれた、というより、足利義氏の時代に詠まれたものを後世編纂した、というもののようですね。
長く研究者を悩ませてきた記録でしたが、ようやく全体が見えてきた史料、とも言えそうです。

同票でもう一つ!信長は彼が陪臣であるにもかかわらずです!
陪臣も評価する、というのは戦国武将には割とつきものの「美談」で、この類だと榊原康政なんかも有名ですね。
ただこの人は信長によっては結局直臣に引き上げられること無く(こういう所、信長は律儀です)、彼が独立した存在となるのは
秀吉の時代に丹羽家が減知転封された後、秀吉によってですね。丹羽家の後に北ノ庄へ入った堀家の与力大名となります。
秀吉の目から見ても、彼が北陸方面の統治に必要な、非常に優秀な人材で有ったことが明らかに見えたのでしょう。
やがて溝口秀勝は越後新発田6万石を与えられ、溝口家新発田藩は明治まで存続します。
非常に実直な印象を持つ武将の家が、非常に実直に大名家としての生涯を全うした。そんな印象も受けますね。

そして更にもう一つ!今の深志、山より高く海よりも深いです!
追放された佐久間信盛父子を訪ね来た山岡景友・平井安斎のお話ですが、この山岡景友、非常に不思議な人物です。
なにせ彼は「足利義昭の寵臣」であったとされ、義昭蜂起の際は彼に従って信長と戦っています。義昭が追放されると
信長に従い佐久間信盛の与力となります。また小牧長久手では織田信雄に付いていたものの戦後秀吉の家臣に。
そして秀吉死後は藤堂高虎の邸宅に居候(!)し、家康のための情報収集に当たった模様です。さらに関ヶ原後、
その功績により家康から、伏見城で討ち死にした甲賀の士の子孫を組織した「甲賀組」を付けられます。いわば
「忍者の頭領」ですね。現在でも彼について様々に語られることがあります。
そういう人が訪ねてきたことを、色々と深読みするのも、歴史のおもしろさかな、なんて思います。


今週もたくさんの拍手を、各逸話にただ来ました。いつもありがとうございます!
また気に入った逸話を見つけたら、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね
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そして記事のエントリ数も、昨日11500となりました。
これも本当に、逸話を投稿される本スレの皆様をはじめとして、ブログを見に来て頂いている皆様、
ここに関わる全ての皆様のおかげだと思っています。心から感謝いたします。有難うございます。
来月にはここも10周年となります。こんなに続いていたのですね。我ながらびっくりです。
どうぞこれからも、よろしくお願いいたします。

まとめ管理人・拝

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週間ブログ拍手ランキング【09/06~/12】

2018年09月12日 22:04

09/06~/12のブログ拍手ランキングです!


家康に関連する苗字ネタ2発 16

大関氏の城、那須氏の城 16

腹も背も切るる計に笑ひつつ、息しもあへず臥轉び給ひけり 14
【ネタ】『しげしげ』 12

二俣城請取 11
「曲淵討たすな!」 10

この私が継いだことは冥利の程にも恐ろしい 8
”みつめの法” 8
誠に愁嘆止む時無く 8
『運は天に在り、生死は定まる』 8

駿河なる 富士の山にて 甲斐喰ひて 7
直孝12歳のときに、 7
一生の期はここにあり 7
忠次がいわれざる無礼を振舞ったせいで 6


今週の1位はこちら!家康に関連する苗字ネタ2発です!
「勘解由」姓と「昼間」姓、勘解由は百官名として名前では割とよく見ます(黒田孝高もそうですね)が、名字になっていたのですね。
しかも家康は名前としてつけたのに姓にw
これはまあ、江戸期に「権現様由来」が非常に価値が有ったことから来たものなのでしょうが、この他にこういった、
名前として付けられて姓となった、という由来の有る名字にどんな物があるのか、気になります。
また姓に転嫁した経緯も知りたくなりますね。
「昼間」は割とある名字、という印象があるのですが、ここにも権現様由来があったとは。ただ、個人的感想ですか
こっちは後世のこじつけかな、という印象を受けます(井伊系昼間氏はともかく)。
名字・名前も含めた「権現様由来の研究」誰かやらないかなあw

今週は同票でもう一つ!大関氏の城、那須氏の城です!
色々と解釈される那須家と大関家の関係ですが、端的に言えば戦国期によくあった「下剋上」の形がたまたま、世の中の秩序の
回復期である戦国最末期に顕れたために悪目立ちした、という面もあったのでしょう。細川京兆家と三好家、
斯波武衛家(あるいは織田守護代家)と織田弾正家、なんてのも結局はこの形ですしね。
それにしても「居城の規模の大きさ」がダイレクトにその権勢の規模を顕している、というのはいかにも戦国的で、
その到達点である徳川江戸城が、規模として安土や豊臣大阪城どころか、北京の紫禁城をも凌ぐ世界最大の
城郭となったのも、そういう意識の上であったのかな、なんて考えたりもしました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!腹も背も切るる計に笑ひつつ、息しもあへず臥轉び給ひけりです!
信長公大爆笑というお話ですが、逸話を見ると信長という人は、今の世間的なイメージと違い、かなりよく笑いますね。
それも変な所にツボがあるw
彼の一面として「魔王的」な残酷さ、冷酷さがあったのは確かでしょう。しかしそれはそれとして、ユーモアがあり
よく笑い接しやすい、そういう一面も確実にあったという印象を、少なくとも後世でも割と近い時代の人々は
持っていた、だからこそこのような話も残された。そんなふうに思います。
それにしても何でこんな変な遊びを思いついたのか、そこも気になるお話でもありますねw


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週間ブログ拍手ランキング【08/30~09/05】

2018年09月05日 21:57

08/30~09/05のブログ拍手ランキングです!

武器がなくてもどうということのない伊東七蔵さん 15

汚れなく弓馬を取って 12

淡路守の倅 11
本圀寺襲撃と入札 11
建部政長、父の所領等を安堵される 8

松平御一族御礼次第 7
【雑談】「甲陽軍鑑」などの史料について 7
「ああ天なるかな!」 7
この家には銀の兜をつけた侍が 7
ニュース【ミス・ワールド日本代表に伊達政宗直系21代目の伊達佳内子さん】 7
かの大軍に気を呑まれてその指図に従われる 7

幾程命伸びた所で 6


今週の1位はこちら!武器がなくてもどうということのない伊東七蔵さんです!
さすが伊東七蔵さん。刀脇差を落としてもまるで動揺しない堂に入りっぷり。むしろ最初から武器を持たないほうが
強いのではなかろうか、なんて思っちゃいますね。
こういうものも、きっと戦国の世が生んだ一種の異能なのでしょう。戦場というものに特化した才能ですね。
あの時代にはこういう「才能」の持ち主がその大小にかかわらず多く居たのでしょう。しかしこのような才能を
集めた結果として、彼らの存在理由ともいえる「戦場」がどんどん無くなっていく。
戦国の勇者とは、そんな矛盾を抱えた存在なのだなと、そんな事をふと思いました。

2位はこちら!汚れなく弓馬を取ってです!
信玄が言うから胡散臭いのか、もしくは信玄が言うからこそ説得力が有るのか、言っていることは大変高邁ですが、
いろいろ裏読みをしたくなる内容ですねw
とにかく武田というのは、彼らの侵略にさらされた地域では「鬼か悪魔か」というような印象を持たれています。
信長も家康も氏康も氏真も謙信も、信玄を鬼畜と呼ぶことにためらいがありませんw
しかし信玄自身の自己認識がこれだった、という可能性はあります。甲陽軍鑑なんて読むと武田家自体は
「われこそ正義」の意識が有ったことがわかります。
自己認識と他社認識の差とはこういうものか、なんてことも思ったりした逸話ですねw

今週管理人が気になった逸話はこちら!本圀寺襲撃と入札です!
これも色々な捉え方のできる逸話だと思いますが。個人的にはこの、緊急時に指揮官を決めるため投票を行う、
という行為が当時、あるいはこの逸話の書かれた時代に一般的だったのか、という所ですね。
実は日本では、入れ札で何かを決めるという行為は割と古くから行われており、江戸時代末期には、ほぼ全国の村落で、
村の代表は「入れ札」で決められていたと言われます。
もちろん現代的な、民主的な投票とはまた別のものですし、投票権も「家」単位でしたから、いわゆる「民意」とも
別のものでしょう。
ただそいういった決定システムが、当時、軍事の領域でも行われていたのか、非常に興味深いと思いました。


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週間ブログ拍手ランキング【08/23~/29】

2018年08月29日 18:56

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信長公、検校からの罰金で 17
右府信長公は末世において稀なる大将 17

今度は遊びに飽きてまた浜松に帰ってきた 16
大坂冬の陣で家康から感状を得た横河次太夫重陳の話 14

信繁も一騎で勝負 10
朽木は節義も一時の所縁も忘れて 9

曲淵城主と○○ 8
真実無妄の誠を以って 6
とかく高坂のことを讒言し妨げたので 5


今週の1位はこちら!信長公、検校からの罰金でです!
盲人組織において検校が配下の座頭から上納金を得るシステムを、「利権」として悪用した事に、織田信長が処断したお話。
中世は言うまでもなく「自力救済」の世界なのですが、一方で基本的には「弱い存在」と見られがちな盲人たちは集団を
形成することで、社会的に無視できない力を持っていました。盲人に武士が暴力を奮ったとこそ、その主君の城が盲人に
取り囲まれた、なんて話もあります。逆に言えばそれだけの力を持っているだけに、内部で恣意的なルールのねじまげを
してしまうと、その内外に様々な悪影響を与えるものでも有ったのでしょう。
それにしても罰金で宇治橋が建設できるとは。ここからも彼らに巨大な財力が存在した(と考えられていた)事がよくわかります。
いろいろな角度から読むことの出来る逸話だと思いました。

今週は同票でもう一つ!右府信長公は末世において稀なる大将です!
古を尊ぶ織田信長。最近でこそ「保守的」な信長像が受け入れられるようになりましたが、ほんの10年ほど前までは
この手の逸話も「後世の儒教倫理に合わせて創作されたもので云々」と、ほぼ無視されていたものでした。
本当に専門書でも、信長について「革新的天才」であることを前提に書かれてたりしましたからね。
そこから考えると隔世の感があります。
この逸話から、そんな事を思ったりしました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!信繁も一騎で勝負です!
何故そこでごまかすのか謙信公w
第4次川中島を描いた軍記では、謙信との一騎打ちが名場面としてよく出てきますが、ここで信繁が謙信と戦っているのが
非常に面白いですね。これは、このお話の中で武田信繁を非常に高く評価している、という事でしょう。
だからこそ一方の主人公である、謙信と一騎打ちで討たれているわけです。信繁にそれだけの「格」があると、
この著者は考えていたのでしょう。
軍記を読む時、そのように「著者・編者の意図」を考えてみるのもまた、面白いと思いますよ!


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週間ブログ拍手ランキング【08/16~/22】

2018年08月22日 19:23

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謙信は唯鬼神にて候 12

織田信忠三位中将任官 10
「虎の尾を履む。人を咥らう。凶。武人大君と成る」 10

家康の米蔵 9
てんかとりしつめ候 9

貧乏の時によく仏神の心に叶う 8
流石増田の子だ 8
為景は歌人でもあり 6

各々数年心身を苦しめ、勲功を積んできた故に 5
このような名君が表れたのは天下の悦び 5
仙石秀久讃岐入部時の弾圧とそれによって生まれた神社 4
真田幸隆、危機一髪 3


今週の1位はこちら!謙信は唯鬼神にて候です!
いわゆる第4次川中島での謙信と信玄の一騎打ち。この二人が刃を合わせたかどうかはともかく、謙信が実際に
自身で切り込んだことは、近衛前久の書状などにも出てくる事ですね。大将として相応しい行為かどうかはともかく、
なるほど軍神と呼ばれるわけだと思いますw
上杉謙信という人は非常に恐ろしい印象を持たれるタイプの人だったようで、関東に攻め込んだ時も、名だたる坂東武者たちが
「あんな怖い大将は居ない」と慄いていますね。そういう印象も、このような戦場での勇猛さに由来するのでしょう。
しかし謙信は戦国大名として見ると、その生涯の主敵であった武田信玄や北条には結果的には押され、信濃、上野に置いて
労多くして功少ない状況に至るわけで、大将個人の武勇やカリスマの限界のようなものも感じます。
そんな事をふと思ったりもした逸話でした。

2位はこちら!織田信忠三位中将任官です!
織田信忠が天正5年(1577)に従三位左近衛少将に任官した時のお話。
この逸話では「松永久秀討伐」がその理由と成っていますね。逆に言えば、松永久秀を滅ぼすというのはそれほどの
価値の有ることであると畿内において認識されていた、ということでも有るかと思います。
それにしても実に筋の通った、絵に描いたような任官の受け入れ方ですね。父信長の許可をなにより重視するところなど、
ここだけでも立派な後継ぎであったことが伺えます。
しかしもしかすると、こういう何よりも父を重視する姿勢が本能寺で自身だけで逃げることが出来なかった、という
姿勢に繋がるのかもしれません。
その事も連想させた逸話でした。

今週は同票でもう一つ!「虎の尾を履む。人を咥らう。凶。武人大君と成る」です!
この北越太平記は江戸後期ころの成立であるようですが、その頃にはもうこのように、ストレートに「毘沙門天の生まれ変わり」
と謙信は認識されていたのですね。それにしても本卦が凶故に「武人大君と成る」とは。占いは難しいw
上杉謙信もその生前から徐々に神格化されていった人ですが、後世にかけての神格化の過程を調べていくのも面白そうですね。
そういう研究、どこかにないかなあw


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週間ブログ拍手ランキング【08/09~/15】

2018年08月15日 11:15

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私が道悪しき場所で馬より降りるのは 13

律儀なる佐竹義宣 10

今世武道に正しき将なし 9
ああ、将軍家が他界されれば三好が時を得て 8
東照大権現、明暦の大火を警告する 7

忍び難く、哀なること 6
香西元盛謀殺事件 6
我が去年攻め残したる城なれば 6

これより攻め滅ぼさせていただく 5
新居の物件探しをしてたら 5
まこと山鷹野のいうものには 4
今の武将(将軍)は有名無実なり。 4


今週の1位はこちら!私が道悪しき場所で馬より降りるのはです!
有名なお話ですが、家康という人は合理主義者なんだなと感じさせてくれますね。
大坪流一伝なんて割と大げさな感じに表現していますが、馬術の流儀も結局は、基礎的な技能をベースにして、
後はシンプルに状況・目的毎に「すべきこと」「すべきではないこと」を蓄積した物だといっていいでしょう。
家康の強さの一つは、自分の見栄えを気にせずそういう部分が忠実に出来た、という所かもしれません。
こういうの、言うは易しですがなかなか難しいのですよね。人間技術を持っていると、やっぱりそれを見せびらかしたいし
格好をつけたいものです。それをしないというのも人としては一種の異能なのではないかな、なんて思ったりします。

2位はこちら!律儀なる佐竹義宣です!
律儀すぎて(?)結果的に関ヶ原後転封となった佐竹義宣。「大名佐竹家」というレベルで考えると家中統制がここでほぼ
成ったわけで転封されたのは返ってよかったのでは、なんて考えることもありますがw(無論強制された転封により多くの
摩擦や悲劇が発生した事は理解した上で)、関ヶ原で佐竹が「中立」となったのも、佐竹の複雑な中世的体制が関わっており、
かつて大名権力確立のため滅ぼした「南方三十三館」など国衆の残存勢力が国内各地に残っていて、関ヶ原の時に
佐竹が仮に旗幟鮮明にすれば、滅亡国衆勢力が佐竹の敵方と結びつき蜂起する可能性があって動けなかった、などとも
言われます。
もしかすると佐竹義宣が動けなかったことを家康が「律儀ゆえ」と評価したのは、佐竹の当時の政治情勢を知っていた上での
有る種の優しさであったかもしれません。

今週管理人が気になった逸話はこちら!これより攻め滅ぼさせていただくです!
昨今、大阪の陣は徳川家康が対豊臣融和派で、徳川秀忠が強硬派であった、なんて言われたりします。
「娘婿」秀頼を(おそらくその関係で有るがゆえに断固として)滅ぼそうとする秀忠を、なんとか宥めて和平に持っていきたい
家康、という構図が語られたりします。
この逸話については、その大阪の陣の時の印象が関ヶ原に転嫁したのではないか、という印象を持ちます。
「駿河土産」の成立は1720年頃と言われますが、その頃にも、対豊臣で非常に強硬な秀忠の印象が残っており、
彼ならば関ヶ原でもこう行動しただろう、と考えられたのではないでしょうか。
そんな事を感じた逸話でした。


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週間ブログ拍手ランキング【08/02~/08】

2018年08月08日 16:58

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剣豪公方は義輝だけではないのだぞ 17

己は正しく主君の敵である 14

細川澄之の敗北と切腹 10
伊達ノ士濱田治部ノ忠勇 10

薬師寺騒動 9
森忠政、川中島四郡のかわやに牢屋番などを命じる 8
布橋由来 8

新九郎は大いに喜んだ。 7
政元養子の事 6


今週の1位はこちら!剣豪公方は義輝だけではないのだぞです!
「流れ公方」「唯一の復位した将軍」「3回も改名されてややこしいことこの上ない」等、ただでさえ複雑な室町時代を
一層複雑にした人としても有名(?)な足利義稙のお話ですが、これ、内容は諸説あるものの「史実」なんですね。
さすが、波乱万丈の人生を送る人の多い足利将軍の中でも特に波乱万丈な人らしく、そのスペックも高かったのですね。
この足利義稙に関しては、山田康弘先生が書籍を出されています。大変面白い内容で、興味を持った方は是非ご一読
してみてはいかがでしょうか

中世武士選書33 足利義稙ー戦国に生きた不屈の大将軍
https://www.ebisukosyo.co.jp/item/250/


2位はこちら!己は正しく主君の敵であるです!
その影響の大きさに比して、あまり語られることの少ない(せいぜい風呂場で殺された程度)の細川政元暗殺(細川殿の変)
ですが、このような敵討ち譚があったのですね。
しかし殺したのが右筆で敵を討ったのが小姓と、双方政元に身近な人間だというのも、この事件の陰惨な印象を増して
しまいますね。
ここから「永正の錯乱」→「両細川の乱」となり、畿内は本格的な戦国乱世へと移行するわけですが(そこで上記の
足利義稙も様々に活躍するわけですが)、本当にたいへんややこしく、このあたりを詳しく解説した本は出ないものかと、
常々期待していますw

今週管理人が気になった逸話はこちら!森忠政、川中島四郡のかわやに牢屋番などを命じるです!
森忠政治世下の川中島で、革の加工業者に牢屋番などが申し付けられたお話です。城の掃除も申し付けられおり、
対価がその地域の農家一戸につき糠や稲一束出るといっても、ちょっと過重なんじゃないかなと思ってしまいますが、
多分これ、生業である革加工をその地域で独占させることの見返りでもあるのでしょう。
前近代は一見大変な職業には、それに見合うだけの「役得」を付けることが一般的ですね。そうやってバランスをとって
いたのでしょう。たしか「殿様のお米を研ぐ役」には、お米を研いだ時こぼした米を持って帰っていい役得があったとかw
現在的な倫理観で見てしまうと、これらは「不正」なり「腐敗」と捉えられてしまいそうですが、当時なりの合理性の中で
考えられた慣習であると捉えるべきだと思います。
そんな事をふと思った逸話でした。


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週間ブログ拍手ランキング【07/26~08/01】

2018年08月01日 21:54

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その心持ちがないのは不孝だ 14

天野隆重の方便 14

出雲方面と九州方面でしっちゃかめっちゃか 12
宇喜多直家は言葉巧みに 10

天井に血の足痕、急成長する松、飛び出る屏風 9
【雑談】海外でも軍記物丸写しで 8

されば流言とは 6
大徳寺総見院での信長の葬儀 6
南條兄弟寝返り 5


今週の1位はこちら!その心持ちがないのは不孝だです!
まあ母親孝行で、単純に母を喜ばせたいという事だとは思うのですが、これは一般家庭だとちょっとした笑い話で
終る話だと思うのです。しかしそれが国主の身だと体面やら何やらがあって或る種の理屈付が必要であった、という
お話かなと感じました。
よく軍記、家譜の類は先祖、家祖の表彰を目的とする、なんて言われ、個人的には必ずしもそういうわけではないという
感想を持っているのですが、こういうお話こそ、先祖の美化を目的とした、というものなんじゃないかと感じました。
池田光政が母親と実に他愛もない遊びをキャッキャしていた、では威厳も何も無いわけですから。そこに理屈が
必要だった。
そんな事をちょっと考えた逸話でした。

今週は同票でもう一つ!天野隆重の方便です!
攻勢をかける尼子再興軍をまんまと騙した天野隆重。まんまと騙された再興軍。わりと有名な逸話ではありますが、尼子勢の
初っ端でのつまづきは、その後の暗雲を予想させます。しかしこの逸話からもそんなイメージが感じられますが、
山中鹿介という人は、この手の謀略に弱いという印象があります。良くも悪くも一本気で真っ直ぐな武将だな、と。
尼子家も様々な謀略、陰謀でのし上がってきた家ですが、鹿介の世代になると、もはや大国となっていた尼子家では
家中に正直で真っ直ぐであることが求められた、なんてことを想像しました。
未だ謀略が必須であった毛利家とその当たりの意識の差があったのではないか、なんてことを妄想するのも面白いかも
しれません。

今週管理人が気になった逸話はこちら!天井に血の足痕、急成長する松、飛び出る屏風です!
ホラーハウス状態の大友家wこの描写からは、むしろ著者による「こんなに!こんなに!こんなに前兆があったのに何で
気が付かないんだ大友宗麟公!!!」という悲鳴が聞こえてくる気がしますw
まあみなさんも指摘されているように、「怪異」っぽい事って、実は日常的に起こっているのだと思います。で、いざ何か
事が起こった時、それまでにあった怪異に「意味」が付加されてしまう。このお話もそういうものなのでしょう。
だからといって松が急成長して消えるというのは流石に日常的に起こりづらいとは思いますが、これは何かしら
再現性のある現象なのか、それともバテレンか唐人の奇術なのか、だとするとむしろ宗麟が家臣たちを驚かそうと
こんな事をしていたのではないか。そんな事して喜ぶような主君はそら滅びますわ。と、そこまで考えてしまいましたw
色々と想像をふくらませることの出来る逸話だな、と思います。



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週間ブログ拍手ランキング【07/17~/25】

2018年07月25日 21:36

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三成元忠ノ遺臣ヲ宥ス 29

伊勢新九郎盛時という者があった 20

高遠城の"化物" 16
【話題】織田信長に仕えた黒人侍「弥助」が世界で脚光 11
目黒新右衛門の切腹 10

小出吉政ノ内通 8
吉川元春と陶隆房の兄弟の昵契 7
毛利隆元と芸豊和平 4


今週の1位はこちら!三成元忠ノ遺臣ヲ宥スです!
石田三成が伏見城における鳥居元忠の奮戦とその忠義に感動した、という話は様々に伝わっていて、これもその
一つなのですが、少なくとも同時代やその後の徳川家や鳥居家において、三成はそういう人だという印象が伝わっていた、
ということなのでしょう。ここからは「鳥居元忠の忠義は敵の大将すら認めるものだ」という主張とともに、石田三成という人物が、
敵であってもその忠義と奮闘を認め、称えるだけの器量を持っていたという事も、伝えていると考えます。
江戸期の、特に後年の関ヶ原に関連する軍記では確かに、石田三成は奸佞な讒臣という描き方が多く見られます。
しかし「ただそれだけの人物ではない」という事も、こういう逸話は伝えていると思うのです。
こちらを読みつつ、そんな事を考えました。

2位はこちら!伊勢新九郎盛時という者があったです!
北条氏研究でも有名な中世史家である黒田基樹先生の『【図説】戦国北条氏と合戦』の中で、北条早雲(伊勢宗瑞)研究は、
江戸初期に成立した「伊勢系図」の記載に、100年近くかけてその記述の正しさにたどり着いた、というような事を
書かれていました。
この應仁後記の記述も、それに当たるものなのでしょう。
しかしこれも、歴史研究の面白さだと思うのです。七転八倒した挙げ句その根本に立ち戻り、そこから再び、それまでの知見を
踏まえて研究を積み重ねていく、それが歴史(に限らないとも思いますが)を研究する営みというものなのだと思います。
そういう部分も含めて、非常に興味深い内容だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!目黒新右衛門の切腹です!
非常に悪いタイミングに当たってしまったがゆえに切腹してしまった目黒新右衛門さん。現代人の目から見れば
「これは切腹どころか何らかの責任すら取る必要のない事案ではないだろうか」と思う内容です。
ただこれ、おそらく同時代の人たちも、正直「これで切腹するの!?」と驚いたんだと思うのです。
基本的に「常識的なこと」は、逸話にはならないものです。目黒さんのような、正直「無名の士」であればなおさらです。
当時の人達からしてもあまりに驚くべき行動だったからこそ、こうして記憶・記録され、逸話として今に残った、そう見るべきだと
思うのですよ。
それだけ凄まじい行動だった。目黒さんの切腹は、そんなふうに捉えたほうが良い。そう感じる逸話でした。



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週間ブログ拍手ランキング【07/12~/18】

2018年07月18日 15:11

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井伊直政本多忠勝西軍ノ挙動ヲ評ス 15

池田光政、お尻をつねられる 13

常在寺の盛衰 11
水谷勝隆ノ乳母勝隆ヲ護シ難ヲ逃ル 8
忠興其子忠隆ノ優柔ヲ怒ル 8

鈎の陣 6
大阪の陣の前兆っぽい事 6
古の軍記等には虚説が多い 6
奪う者は飢え、奪われる者は飢えず。 5


今週の1位はこちら!井伊直政本多忠勝西軍ノ挙動ヲ評スです!
関ヶ原直前における井伊直政と本多忠勝の、西軍認識の差についてのお話ですが、これはどちらが正しい間違い、という
話ではなく、性格の違いと受け止めたほうがいいのかもしれません。
出典が松浦鎮信の「武功雑記」ですので、内容自体も後世になって形成されたと見たほうが良いと思います。
ここは「教訓」としては、家康は軍監として、強気な直政と慎重に状況を見る忠勝という、性格の違う二人を派遣して
バランスを取ったのだ、という所かもしれません。
ともあれ直政、忠勝が、未だその記憶の強く残る時代の人々に、どのように捉えられていたかを見る上で非常に面白い
お話だとも思いました。

2位はこちら!池田光政、お尻をつねられるです!
池田家に嫁いだ加藤嘉明の娘に、おしりをつねられたことを語る池田光政。なんともほっこりするお話ですね。
武士の教育が、一家一族全体の中で行われていたことも見えてくるようです。
またこのれは光政にとっても、良い思い出だったのでしょう。言われる池田長明にとってはなんとも困った話題だったかも
しれませんがw
この池田長明は、池田光政より大変に信任された家老だったのですが、その信任の元に、その母かたお尻をつねられながら
治世者の心得を教えられた事も含まれていたのかもしれません。

今週管理人が気になった逸話はこちら!鈎の陣です!
コメントでもありましたが、足利義尚への評価ってかなり極端に別れているのですよね。これは逸話レベルだけでなく、
現在の研究者レベルでも、高く評価する人と低く評価する人で極端だと感じています。
義尚は鈎の陣に至るまで、父である大御所の義政が未だ握る権限を自分のものにするため様々に対立し、騒動を
起こしています。その「成果」の出る前に亡くなったため、「騒動だけ起こして何も確立できず死んだ」と見ることも、
「応仁の乱御の幕府を立て直すため様々な改革を行ったが、志半ばにて夭折した」とも見られるわけで、確かに
評価の難しい人だと思います。
個人的には義尚という人は、室町幕府という組織を「再構築」するために本気で活動していた将軍だと思っています。
彼はその一環として、室町幕府の「正史」を作るべく、史料を集めていたフシがあるそうです。義尚は歴史における
室町幕府の自己認識をしっかり定義して、その上で再スタートを計る、という意識があったのだと思います。
それも含めて、彼の夭折は非常に残念ですね。室町幕府自身の定義した「歴史」がいかなるものだったか、読んでみたかった。



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週間ブログ拍手ランキング【07/05~/11】

2018年07月11日 15:40

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あれでも能の上手か!? 17

センゴク権兵衛の水野勝成動静より 16

斎藤織部落武者を助くる事 13
水野勝成さん、水野家出奔から蟹江城攻めまで 13
清見寺の膏薬 12

門出の朝は黒米飯 10
謙信の家臣って、歳食ってる奴多くね? 9
鷹に鶴を取らせる心 9
小西行長の長子 8


今週の1位はこちら!あれでも能の上手か!?です!
中村靭負さんの主家が主家だけに、確かに途中までドキドキしちゃう内容ですねw中村さんが芸事に真摯な人で本当によかった。
これよりちょっと前の時代だと、武芸者が素人の話を取り入れて、なんて話が多いのですが、能という文化的なものに
なっているあたり、それだけ時代が平和に成ったのかなあ、なんて感じますし、そういう文化的な人が細川家だというのも、
またらしいですね。
こういう血生臭さのない逸話もまた、良いものですw

2位はこちら!センゴク権兵衛の水野勝成動静より です!
こちらは血生臭さしか無い人ですが、このお話もまあ、血まみれの中の「いい話」ですねw
竹崎右衛門の兄を殺したことにああいう形で贖罪する勝成にも、またそれで勝成を許す竹崎右衛門にも、まるで感情移入
出来ないというか、気持ちが頭では理解しても感覚として解らない、という気持ちです。
しかしこういう事で心が通じちゃってたのが、あの時代というものなのか、とも感じます。
過去を理解することの難しさはこういうところにも有るな、と思いました。
あと今日予定のヒストリア「水野勝成」が18日に伸びていましたね。残念(T_T)

今週管理人が気になった逸話はこちら!清見寺の膏薬です!
こういう形で武士を離れた今川の遺臣がいた、という話も興味深かったのですが、コメントから判明した後日談には、
更に驚かされました。そんな事に、なっていたとは。本当にびっくりですw
こういう事が寺を介して起こるというのも、この時代らしいのでしょうが、強烈な本末転倒感といい、インパクトありますね。
しかし膏薬をアレにどう使ったのだろう、気になるw



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週間ブログ拍手ランキング【06/28~07/04】

2018年07月04日 22:38

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日置の夜合戦 23

毛利輝元、自分の少年時代を振り返って 16

合戦というものは結局、気負い次第 15
なにやってんねん織田家 15

大坂御陣中御支度の事 12
天下で切支丹御法度となった事 10

大阪の陣の頃の流行り色々 9
池田恒興、息子に正室の実家を継がせる 9
大野修理襲撃事件のこと 6
伊藤武蔵守、馬験を拾う事 5



今週の1位はこちら!日置の夜合戦です!
この木造長政さん、後には関ヶ原で織田秀信を補佐し、敗北したにもかかわらず、福島正則から2万石で迎えられるなど、
高く評価された武将であり、決して凡庸な人ではありません。
そんな木造さんが仕掛けた罠にまんまとハマりながら、それを平然と覆せるのが、蒲生氏郷の、氏郷たる所なのでしょうね。
確かにチートキャラ呼ばわりされても仕方ありませんwこれで倒せないならどうやって倒せばいいのか。
武士という人たちの中には、稀に兵というより生きた機動兵器みたいな人が現れますが、氏郷さんも明らかにその一人ですね。
こんなのが暴れまわっていたのですから、戦国というのも本当に厄介な時代ですw

2位はこちら!毛利輝元、自分の少年時代を振り返ってです!
「その地位に見合うよう厳しく育てられた」といえばそれまでなのですが、輝元の場合それが良かったのかどうか。
そういう面があったから、もしかして輝元は、嫡子秀就に甘かったのかもしれません。
秀就は「毛利殿は生まれつき不調法」とまで言われ、本来一番の味方であるべき親類たちほぼ全てと緊張関係に
なってしまうような人で、逆にこういう人には厳しく躾けなきゃダメだったんじゃないかな、とも思ってしまいます。
彼の息子の綱広に至っては、家臣たちから押し込めをされてしまう始末で、実は毛利はお取り潰し寸前だったのですね。
しかしそこでお取り潰しを免れたのは、毛利輝元が関ヶ原の後家康からもらった安堵状のお陰が大きかったようで、
輝元も、結果的に子孫を救っているのだなあと、不思議な思いを感じたりします。
この書状も歴史を勉強するほど興味深く読める、そんな内容ですね。

今週管理人が気になった逸話はこちら!なにやってんねん織田家です!
「なにやってんねん織田家」といいつつ、そもそも信長の頃から織田家というのは、この手の芸事、イベント事に非常に
熱心な家風がある気がします。信長も若い頃女装して集団でダンスイベントやってたり、京に出てから家臣とともに競馬に
興じたり、例の「馬揃え」も、その延長線上の物なのでしょう。
そう考えると、信雄や有楽が新興の芸能に興じ、その家臣たちがテンションが上った挙げ句騒ぎを起こすというのも、
むしろ「織田家らしい」と考えるべきではないか。なんてことがふと頭をよぎったりしました。
まあ信長がこんな有様を見たら激怒はするでしょう。だけど彼の身内への甘さを考えると、最終的にはなあなあで
許していただろうなあ、とも。
「織田家の家風」について思いを馳せる事の出来る、そんな逸話だと思いました。



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週間ブログ拍手ランキング【06/21~/27】

2018年06月27日 19:13

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敵の後にただ一人 14

大阪方の人々 13

大阪の陣の頃の世間の風潮 12
松野亀右衛門鉄砲修練の事 11
軍法は、聖人賢人の作法 10

我は常に軍旅の事を 9
大阪冬の陣の和睦の時 9
吹かねど花は散るものを 9
陣佐右衛門一揆の長四郎が首を取る事 7


今週の1位はこちら!敵の後にただ一人です!
蒲生氏郷が北条勢の夜襲に単騎で、しかもろくな武装もせずに夜襲勢の後ろに回り壊乱させたというお話です。
いかにも単騎突撃大好きな蒲生氏郷らしいお話ですが、このように線機を鋭敏に感じられるからこそ、単騎突撃を
繰り返しても生き残り、また家臣たちも「銀の鯰尾兜」の後をついていったのでしょう。
そう考えると、この逸話も蒲生氏郷の武将としての本質を描いているのかも知れないな、なんてことを思いました。

2位はこちら!大阪方の人々です!
長沢九郎兵衛という、おそらくは比較的近くで観察できた立場の人による大阪の陣での城の中の人々についての印象です。
やはり目につくのは秀頼が「世に無いお太り」という所で、この「太る」を同時代的にどういう印象として捉えるか、というのも
なかなか難しいですね。
確かに太い=がっしりしている、という意味もありますし、また太っていることがその裕福を表していた事もあったようです。
ただ仏教系の縁起を描いた絵画などを見ると、太っていることは貧欲や怠惰を象徴している、という意識もあったようです。
それだけに「世に無いお太り」というのも、色々な感慨を込めているのじゃないかな、なんて感じたりしました。
後藤又兵衛の「百人頭という風情」というのは、高級将校と言うより、兵士に密着する実戦部隊の部隊長のような雰囲気が
あった、という事かなと解釈しております。

今週管理人が気になった逸話はこちら!軍法は、聖人賢人の作法です!
これは直後の切り返しがうまいw
後藤又兵衛と言えばやはり黒田長政との関係を思い出しますね。創作物などでは、黒田官兵衛の下、長政と又兵衛は兄弟の
ように育てられたなんて描かれたりしますが、どうも実際には官兵衛は又兵衛に対してほぼ無関心で、彼は長政によって
見出され出立した家臣だったようです。だからこその長政による奉公構だった、と言えるのでしょう。
逆に、この又兵衛による一種の「大将論」から、彼が自分を引き立てた長政の下から出奔した原因を想像するのも、
面白いかも知れませんね。



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週間ブログ拍手ランキング【06/14~/20】

2018年06月20日 22:04

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お陰を以って天下に面目を 15

心の問はば如何こたへん 13
セキレイの目 13

物事に分別のある人 12
川北九大夫肥後国川尻を守る事 12
世の中に 我は何をか那須ノ原 10

今は諸浪人の多くが先知を減じ 9
毛利孫左衛門、村山越中を詰る 8
バラッバラな量産型蒲生さん達 8


今週の1位はこちら!お陰を以って天下に面目をです!
最上義光を立てる蒲生氏郷。ただどうしても、義光を立てたと言うより、政宗への嫌がらせをした、と見えてしまいますね
それまでの経緯的に。まあ政宗は氏郷からこんな扱いを受けても仕方がないくらいのことはしているわけですがw
義光の方もただ氏郷の配慮に感動した、と言うだけではなく、これを期に豊臣政権の東北管領とも言うべき氏郷との
つながりを深くすることで、立場の強化と政宗への牽制を意図したとも取れるでしょう。
そう考えると、氏郷、政宗、義光の三すくみのような状況も見えてきて、この時期の東北情勢も、また違った角度で
見えてくる気がします。

2位はこちら!心の問はば如何こたへんです!
蒲生家重代「佐々木鎧」についてのお話ですが、「佐々木」というからには、蒲生家が近江で代々仕えた、佐々木六角氏の
事でしょうね。六角氏より拝領した鎧だったのでしょう。
そういう鎧が有ることを知って欲しがる細川忠興も実に彼らしいし、一度使わすと言った以上、似せの鎧を渡すことを薦め
られても、断固として本物を遣わそうという氏郷も、非常に彼らしいと感じます。
このあたり、武士らしい爽やかな面倒くささ、という印象をもつお話ですね。最期に忠興が氏郷の嫡子に返還する所も
含めて、とても読後感のいい逸話だと思いました。

同票でもう一つ!セキレイの目です!
これも有名なお話ですが、ここでは「針で明けた穴」ではなく、普通に墨で目を入れていたように読めますね。
この逸話は、そのくらい伊達政宗という人の謀は微に入り細に入っていた事を表現しているのですが、一方、秀吉の方は
政宗が後で言い訳が通るようにやっていたことだと承知しているわけですね。その上で政宗を排除した場合の影響と
このまま膝下に置いておく利点を天秤にかけて、政宗のこの芝居に乗って、彼をとりあえず許すとしたわけでしょう。
もちろん政宗の方も、真実か否かで許してもらえるとは全く考えておらず、この政宗が仕掛けた芝居に秀吉が乗るかどうかに
かけた(そして乗ったほうが得だから秀吉は乗ると見た)という、裏しか無いようなお話だと考えていいのでしょう。
伊達政宗の魅力の一つに、こういった自分自身も投げ出した上での、それでも計算ずくの賭けをやっちゃう所も有るのでしょうね。
そんな事をふと思ったお話でもありました。


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週間ブログ拍手ランキング【06/07/~13】

2018年06月13日 17:50

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本能寺の変と近江情勢 18

勝家への返答 11

富士には似ぬぞ松坂の 10
天下一の比気者 10
神戸乗っ取り 10

大仏殿普請の事 7

信長と秀吉の違い 5


今週の1位はこちら!本能寺の変と近江情勢です!
本能寺の変の後、京の様子はともかく、機内情勢というのはあまり取り上げられませんね。
ここでは光秀は、近江については蒲生以外をほぼ平定しており、この方面は概ね順調、という印象を持ちますね。
これ以外に目立った反抗というのは、丹後の細川幽斎・忠興親子くらいですから、この話が事実を反映しているのだとしたら、
信孝や秀吉の動きがもう少し遅ければ、光秀はもっとしっかりと畿内を固められていたのではないか、なんて想像もできそうです。
こういう所から、本能寺に対する新しい視点も得られるかも、なんてことも思った逸話でした。

2位はこちら!勝家への返答です!
蒲生家というのは、信長生前はいわば「柴田派」であった、という事を気付かせてくれる逸話ですね。
そういう存在を切り崩した秀吉の手腕というものも凄いわけですが、やはりその使者に対する勝家の態度に、
たいへん爽やかなものを感じますね。
賤ヶ岳の敗戦のあとの、前田利家との対面の逸話も、非常に爽やかで鮮やかな印象を持たせるものでした。
それが事実かどうかはともかく、少なくとも世間的に、柴田勝家という人が、そういう颯爽とした印象をもたせる
人物であったのでしょう。そこに気付かせてくれた逸話だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!大仏殿普請の事です!
蒲生氏郷、京に巨石をでも紹介されていた逸話ですが、
なんといいましょうか、この時代の「武士」の基質というものを、よく表しているなと思います。
某南北朝漫画に、「武士は舐められたら殺す!」というものがありましたが、これは、まさにそれですねw
メンツのためなら不可能に思える巨石運びもするし少々の死傷者(処分1名事故1名)も気にしない!
全ては自分を舐めたものに対する報復を行うため!
沢山の人がいい面の皮になっているわけですが、このくらいしないと自分の「武威」は守れない、という意識はこの時代、
確かにあったようです。
中世の「空気」を感じさせてくれる逸話でも有るな、なんて思います。

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ところで!

歴史秘話ヒストリア「“戦国最弱”小田氏治がゆく」 - NHK 「最弱」で歴史ファンに大人気?な戦国武将「小田氏治(おだ・うじはる)」。このオダ様、20回近くも合戦に負けたが、しぶとく生き残る。その「奇跡」の秘密とは―?
http://www4.nhk.or.jp/historia/x/2018-06-13/21/30822/1458349/


今晩10時25分よりNHKで、いよいよ天庵様のヒストリアですね!
どう言うふうに紹介されるのか、僕も心して視聴したいと思います。
楽しみです!(/・ω・)/

週間ブログ拍手ランキング【05/31~06/06】

2018年06月06日 17:10

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穂井田元清の虎狩りの話 16

白井百人衆謀討 10

氏郷初陣 9
岐阜四天王(ただし一人) 9
佐野天徳寺は先手を望むも 9

関白鶴ヶ岡参詣の事 8
佐野宗綱討死 7
上様日和という事 7

南部越後母衣串をぬかざりし事 6
必要なのは頭と肉と腸 5


今週の1位はこちら!穂井田元清の虎狩りの話です!
何故か虎を生け捕りにして戻ってしまった穂井田元清。秀吉に贈る肉や肝のためために殺すのも忍びなかった所も
あったのでしょうか。そういえば 虎と両加藤 こんなお話もありますし、当時は日本にも虎がそれなりに入ってきていたのかも
知れません
江戸期に成ると虎も詳細がよくわからず、長沢芦雪の「猫みたいな虎」なんかが描かれたりするわけですがw
rosestuooneko_2.jpg
そんな事もふと考えた逸話でした。

2位はこちら!白井百人衆謀討 です!
裏切りを利用した真田昌幸による白井百人衆の討滅。これを読んでいるとどうしても、そもそも林、吉野、井上が真田家を退転
した所から昌幸の謀略だろ!と思っちゃいますねw
個人的には、こう言った形で信州で勢力を拡大させていた時期が、謀略家としての真田昌幸の全盛期ではなかったかと
思います。真田系の軍記はいろいろと脚色しますが、その上でもにじみ出る悪どさ(褒めてます)を感じさせてくれますからw
戦国期でも騙し騙されの、一瞬も油断できない時期の空気を感じさせてくれる逸話だなと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!岐阜四天王(ただし一人)です!
四天王、他の3人が詳細不明、というなかなかカオスな内容w
しかしどうも、この「四天王」という呼び方、家によっては単純に数字の問題ではなく、家中の「格」を表すものでも
あったようで、「四天王並」とか「準四天王」であっても、大雑把に「四天王」とする、なんて考え方があったらしいの
ですね。これがまあ4人以上居る四天王にもつながったりするようなのですが、こういうのは「〇〇人衆」とか「ナントカ〇〇家」
などでもあり、数字が必ずしも数を表さなくなる、中世らしい現象ですねw
それにしても四天王で1人、というのは流石に無く、中世人でも4といえば「おおよそ3~5くらい」の感覚なので、
逆に特異例ですね。もしかすると「最期の生き残り」かもしれず、そうだとするとまた別のドラマになるな、なんてことも
思いました。



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週間ブログ拍手ランキング【05/24~/30】

2018年05月30日 19:50

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我が孫に似合いたる申し付け様なり 13

鬼武蔵、神蛇を喰う 10

山田の怨霊 9
【ニュース】小田氏治がNHKの歴史番組で取り上げられます 8
瀬田橋乗打 8
戸次道雪勢の宗像攻め 8

仙千代奪出 7
片岡新助の事 5


今週の1位はこちら! 我が孫に似合いたる申し付け様なり です!
言い訳にも武略が有る。そんな事を考えさせてくれる逸話ですね。家康や幕府としては、ぶっちゃけどっちが正しいとか間違ったとか、
あまり関心がなく、どう事態を収拾するのが全体の戦略にとって最も齟齬が少ないか、を考えているのでしょう。
ここで田宮対馬は、幕府方の全体の戦略に沿った形で、しかも概ね自分ひとりが責任を受け持つ形で弁明をつくり、
これにより例え話がこじれても、ほぼ田宮対馬だけが責任を取れば良い形にしています。
家康が褒めたのはそういう所だろうなと、そう感じます。
組織の弁明というものについても、考えさせてくれる逸話だと思いました。

2位はこちら! 鬼武蔵、神蛇を喰う です!
いい悪いスレに鬼武蔵の話があると、やはり華やぎますねw
それにしても粗暴、乱暴で、さすが鬼武蔵としか言いようがありませんw
しかし「兼山記」というのは、基本的に森家、長可を称揚するのが目的の軍記であり、このお話も「森長可の凄さ」
を描いているのですね。後世の我々は「うん、たしかに凄いけど…」と若干引きながら読んでいるわけですが、
そういう感覚の差も、逸話を読む上での面白さなんだろうな、と思います。
ただこれに限らず森家関連の軍記物は、当時の基準から言っても「自慢しようとする所」が変、という若干の気持ちは
有るんですけどねw

今週管理人が気になったお話は、やはりこちらでしょう、【ニュース】小田氏治がNHKの歴史番組で取り上げられます です!
このニュース、ツイッターでも(局地的に)盛り上がりましたね!まさかヒストリアで、しかも天庵様単体で取り上げられるとは。
今ある天庵様の人気(?)というものも、やはりほかのどこでもなく。戦国板での盛り上がりの中から生まれたものだと思うので、
個人的にも謎の身内感があります。
ヒストリアで天庵様がどのように描かれるか、6月13日を楽しみにしたいと思います!
http://www4.nhk.or.jp/historia/


今週も各逸話にたくさんの拍手をいただきました。いつも有難うございます!
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週間ブログ拍手ランキング【5/17~/24】

2018年05月23日 16:19

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水谷蟠龍斎、家重代の刀剣を売る 30

山中行軍での用心 13

雨月物語 菊花の約 11
宗像大宮司より見た大寧寺の変 9
【雑談】葬送について 9

殿は不思議なるお生まれ 8
家の宝を焼いたこと 6
【web記事】古墳の石棺から出てきた山中鹿介の首なし遺骨 6
寛永2年6月17日の。肥後地震被害について 6

宗像氏男跡目の事 5
山田事件 3


今週の1位はこちら! 水谷蟠龍斎、家重代の刀剣を売るです!
これは本当にいいお話ですね。戦国期の領主にとって譜代家臣と領民、この二つが双輪であることをよく表していると思います。
いくら家重代の宝が有っても、この双輪のどちらかが潰れれば領主としても武将としても成り立たない。そういうことを、この
水谷さんはわずか20歳(!)にて悟っていたのでしょう。
また百姓たちの反応も本当に良いですね、豊作になったから水谷さんの売った刀を自分たちで買い戻すとは。
このあたり、ただ恩を受けるだけの存在ではない、この時期の百姓衆の自立や自負を感じます。
総じてみんなかっこいい、そんな素敵な逸話だと思いました。

2位はこちら!山中行軍での用心です!
これも本当に、何よりも合理主義が大好きな家康らしいお話ですね。家康の凄い所は、彼自身も行動もそうですが、
それがかっこ悪く見えてもまるで気にしない所だと思います。何より大切なのは目的を達成するための合理的方法であり、
それが出来れば形は気にしません。人間、ある程度偉くなるとどうしても無駄に格好をつけたがるものなのですが、生涯そういう
感覚が見えない所なども、家康も常人ではないなあ、なんて感じます。また部下がそういう、不細工でも合理的な事を考えた時、
それを積極的にフォローしてくれるのも心強いですね。
惣じて、家康は良い上司だったのだろうな、と感じさせてくれる逸話でした。

今週管理人が気になった逸話はこちら!山田事件です!
非常にエグい逸話で、ここに出てくる吉田飛騨守は自分の保身しか考えていないように見えます。
しかしこういう事が、宗像家のみならず、当時の大大名に従属していた中小国衆が多かれ少なかれ味わった悲哀なのでしょう。
従属し、保護を受けることの代償が、こういった家中への介入となり、そこに様々な摩擦や悲劇が生まれたこと、想像に難く
ありません。
戦国大名に従った国衆の家の多くに、様々な形の「山田事件」があった。そんな事も感じさせてくれる逸話だとも思いました。


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週間ブログ拍手ランキング【05/10~/16】

2018年05月16日 21:27

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蘆名盛隆と美麗な小姓 11

柴田などに騙されるものか 11

少之御普請も御堪忍、御尤候事 10
中々あふなき事にて候事 10
義太夫が心剛であり 10

不届者ハかたはしよりなて切りニ 9
水谷蟠龍斎は生まれる前からすごかった 8
汝が心を見んとして 7
神戸の関家への使い 4


今週の1位はこちら!蘆名盛隆と美麗な小姓です!
戦国好きにはわりと有名な逸話ではありますが、こちらは蘆名盛隆に近侍していた医者が悪い噂を広めたという
話になっていて、こういう細部が描かれていると、またいっそう逸話が立体的に見えてきますね。
蘆名盛隆が殺害された事件は当時としてもよほど印象的なものだったようで、様々な所でこの逸話が収録
されています。実際これ以降、蘆名家は下り坂を転げ落ちるような衰運となるわけで、蘆名家衰退の画期とも
考えられていたのでしょう。
また現代の私達からしても、非常にインパクトの強いお話ですね。武家の衆道にははっきりと、「武士道」ともいうべき
感覚が強く染み付いていると思います。いろいろな角度から見ること尾でいる逸話だな、なんて思います。

今週は同票でもう一つ!柴田などに騙されるものかです!
滝川一益が秀吉を足止めする策を考え、それを秀吉が看破する、と言うお話です。ところでここで、軍師の代表として
張良と楠木正成が出てきましたが、戦国当時のことを考えると、秀吉はその両名を確実に知っているはずです。
何故かと言えば、戦国後期から近世初期にかけては、「太平記」の一大ムーブメントが起こっていた時代であり、
世間には「太平記読み」といって、太平記を語ることで金銭や食料を得る人たちもいたのです。
太平記は庶民層まで含めて当時の基礎教養ともいっていいものであり、当然ながら秀吉も、楠木正成を知っています。
そして太平記は「描写に困ると中国の故事を入れる」なんて評もありますがwその中に張良も活躍もしっかり描写
されており、これまた当然、秀吉も張良が何者か解っていたはずなのです。
ついでに言うと太平記の中には「源平交代論」というべき思想も描かれていまして、これまた武士だけでなく世間一般に
共有された考え方であったと言っていいでしょう。
戦国期に最も大きな影響を与えた本は、太平記だと言い切っていいと思います。
そんな事をふと思い出した逸話でも有りましたw

今週管理人が気になった逸話はこちら!水谷蟠龍斎は生まれる前からすごかったです!
水谷蟠龍斎と言う人、名前だけはなんとなく知っている、という方も多いでしょう。かく言う僕もそういう一人ですw
しかし独立した大名でもないのに、その出生譚がこれだけ様々に彩られているとは、これは、同時代、或いは
近い時代の人たちにとって、よほど強烈なインパクトの有った人だったということなのでしょう。
逸話、伝説が語り継がれるためには、やはりその本人にパワーがなければ、難しいものですね。
そうでなければ後世の人達も「語りたい」という思いがわきません。
そうかんがえると、生まれたところだけですら、これだけ強烈に「語りたい」と思わせた、水谷蟠龍斎という人物が、
実に興味深く思えてきます。
今後僕も勉強したいと思います。



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週間ブログ拍手ランキング【05/03~/09】

2018年05月09日 19:46

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名も無き奉公人の話 ―鍬の槍― 29

異形な僧体の正体は 16

我らも御爪の端 15
西国の桶狭間、事の始まり 11
息子が分別無く深入りしたのだ 11

戸部の蛙 7
豊臣秀保の死 5
光秀利三最期 5


今週の1位はこちら!名も無き奉公人の話 ―鍬の槍―です!
本当に名もなき人の、そしておそらく、その家の中だけで語り継がれてきた逸話なのでしょう。
しかしだからこそ、本当に貴重で、素晴らしい逸話だと思います。こういう逸話をまとめられたこと、管理人として
嬉しい限りです。
一国一城をせめぎ合った武将たちだけでなく、名が残らずとも一人ひとりの人たち全てにドラマが有ったのだ。
その事をはっきり感じさせてくれる、そんなお話ですね。

2位はこちら!異形な僧体の正体はです!
武田信虎の肖像を見ると、確かに異形と表現したくなりますね。何というか、人というより妖怪に近いというかw
実際に、見るからに只者では無さを感じさせる人だったのでしょう。
そんな信虎が伊達家と関わるこの逸話。いろんな事を想像させてくれますね。
こういう事も、信虎ならありそう、と思わせるだけでも、武田信虎という人の異形さかな、なんて思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!戸部の蛙です!
アレに元ネタがあったとは!寡聞にして知りませんでした。びっくりしましたw
それにしても忍たま乱太郎
>作者の友達が戸部新左衛門の子孫で
そういう環境の中で、ああいう、実は中身的に相当にコアな世界が描かれる作品が生まれたのかと、妙な納得を
してしまいました。こういう事まで知れるとは、やはりいい悪いスレは凄い所です。



今週もたくさんの拍手を各逸話に頂きました。いつもありがとうございます!
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(/・ω・)/