週間ブログ拍手ランキング【08/10~/16】

2017年08月16日 11:26

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それ故弾が力なく 13

留守は要らない 12

どうして昼寝などしていたのですか? 7
こんな道の付け方が 6
ともかくも仰せには 5

○ 源斎窟(旧坂本村千旦林) 2
○ 安造穴(旧福岡町高山) 2


今週の1位はこちら! それ故弾が力なくです!
「合戦が始まった時」をこういう所で判断したのか、というお話。
なるほど当時の鉄砲は一発づつ弾薬を詰めていたわけですから、敵が近づいてきて焦れば、よほどの熟練者以外は
その作業もぞんざいになり充分な威力のない弾丸も、多く出たことでしょう。弓ほどではなくても、やはり腕前の差は
出たのでしょう。このあたり、雷汞や金属薬莢が発明され、銃弾の威力が威力が均一化、規格化した近代の戦争とは
全く違いますね。
こういった現象も経験則として、当時は知られていたのでしょう。そしてそれが戦場の様子を把握する要素にも成っていた。
近現代の常識とは別の常識が当時存在したことを教えてくれる、良い逸話だと思います。

2位はこちら留守は要らないです!
昨今の関ヶ原理解の主流になりつつある、「小早川秀秋は合戦以前から裏切っていた」「あらかじめ東軍だった」という解釈に
近い内容ですね。そしてここで現れる秀秋像は、創作物などでよくある気弱で優柔不断なものとは全く違う、かなり
果敢な決断力に富む性格の人物として描かれています。後世に軍記物で問い鉄砲の話が広まる以前の、小早川秀秋の
世間での印象の一端が現れているのかな、などと感じてしまいますね。
こちらも実に興味深い内容だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!こんな道の付け方がです!
上杉家中が堀尾家の戦の仕方を批判したお話ですが、これも実は、様々に解釈できる内容だなと思いました。
端的に言えば、ただ単に、堀尾家の合戦知識の衰退という話ではなく、実際に堀尾家の経験してきた機内西国の合戦と、
上杉家が経験してきた東国の合戦のあり方が相当違ったのではないか、という事です。
大阪の陣という、全国各地の大名を大阪という一点に集めた中で、そういった合戦の「文化摩擦」が、あらためて出てきて、
それが、やはり「東国大名」であった徳川政権化で、東国大名の発想のほうを正しいとする形でこのように逸話とされた
のではないか、という解釈です。
逸話の意図的には無論、「合戦知識を保持出来ていなかった家が、知識を保持していた家から笑われる(だから武家は
合戦の知識を守りた保たなければればならない)」ということでしょうが、元をたどるとそういうこともあったのではないかな、
なんてことを考えました。


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週間ブログ拍手ランキング【08/03~09】

2017年08月09日 15:33

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秀忠、江戸城内に孫の遊び部屋を作る 25

弓矢の礼儀 17

七郎兵衛の策略 13
そして19人目に、 11

飛びあがり飛びあがりいたされ候 10
督姫、駿府の家康へ会いに行ったときの行列で 10
○ 重箱獅子舞(三郷町野井) 10

印を見せて 7
○ 弥五郎社(旧武並村藤) 5
○ 枝垂栗(旧静波村) 2


今週の1位はこちら!秀忠、江戸城内に孫の遊び部屋を作るです!
徳川秀忠という人は私心の少ない人だという印象があり、そのせいか、人間味を感じる逸話は少ないように思います。
そんな中でこれは、確かに政治的なものも関わっているのでしょうが、「家庭人秀忠」というものが現れていますね。
孫の髪を秀忠が剃り、妻の江が結うという光景からは、最高権力者という肩書から離れた、ある意味どこの家庭にもあるような
温かみを感じます。孫が怪我しないよう柱をビロードで覆うなんて、愛情あふれる「おじいちゃん」そのものですねw
秀忠関連のお話は、良くも悪くも張りつめたものが多いのですが、このお話は本当に、ほっこりしましたw

2位はこちら! 弓矢の礼儀です!
元北条氏照の家臣だった石原主膳が、城乗っ取りにおける作法を浅野幸長配下に諭すお話で、城塞を占拠した折に、
このような一種の慣例があったことも含めて、興味深い内容だと思いました。
敵城塞の占拠というのはよほど出ない限り、大混乱の中で行われているわけで、このような決まり事があると
頭では解っていても、混乱に取り忘れること、ままあったと思います。そういう意味でも、これが実際にあったかどうかはともかく、
当時の戦場を考える上でリアルなものを伝えているんじゃないかな、なんて感じました。
またこのことを伝えるのが、かつて豊臣に多くの城塞を攻略された、元北条家臣というのも、なんだか良いですね。
そこに至るまでのドラマも感じさせる逸話だと思いました。そして確かに「いい直政の家臣」ですねw

今週管理人が気になった逸話はこちら!七郎兵衛の策略です!
堀秀政の謀臣的な、最近の流行りでは「軍師」と呼んでいいような堀七郎兵衛のお話。この方は史実の秀政家臣の内
誰に比定されるかも、実はまだよく解っていないようですが、江戸期の堀家関連の逸話、伝承では有名な人だったようで、
このお話は名将言行録にも収録されていますね。
堀秀政といえば「名人久太郎」の異名から、一人でなんでも出来たように思われがちで、実際に逸話でもそのようなものが
多いのですが、実はこのような、優秀な補佐役がいて、はじめて「名人久太郎」たりえたのだ。なんてことを感じさせてくれます。
堀秀政の堀家というものに、広がりを感じさせてくれる、そんな逸話だと思いました。



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週間ブログ拍手ランキング【07/27~08/02】

2017年08月02日 19:08

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主人の馬を戦場で放つ時 17

人を見立てる時は 13

武士の作法 12
日本国に歌道が流行れば 11
近衛信尹、関ヶ原後の家康への歳賀で 11

妻子を引き取る 9
乍去十五年おそく候 6
右馬允の意見 7
・唯落の城の事 本名高城 4


今週の1位はこちら!主人の馬を戦場で放つ時です!
戦場では、大将が馬を乗り換えるのも作法がある、というお話ですが、成功例が黒田長政なのも面白いですねw
彼はわりと、突進して逃げ帰る、という逸話のある人で、それ故か、こういう場合の対処について、家臣も手慣れている、、
という印象を持ってしまいますw
それにしても戦場では、心理のありようで戦局が大きく変わるという事、これは実戦の中での経験則だったのでしょう。
故に作法として、上層部に何かあっても、その心理的影響を最小限にする工夫が出来ていったのでしょうね。
そういうことを考える上でも、興味深い内容だと思いました。

2位はこちら!人を見立てる時はです!
これは徳川家康の、人を推薦する場合、自分を基準にするなというお話。
確かに、その人を基準にして誰かを推薦されても、それはその人の劣化バージョンでしかないでしょうから、主君としても
今更感があるでしょう。またその人の取り巻きを推薦されても、それは主君ではなくその人の権力を広げる助けにしか
ならないでしょう。
その人が持っていない能力を持った人を推薦することこそ忠義、という事なのでしょうね。こういうお話は現代にも通用するな、
なんて思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!近衛信尹、関ヶ原後の家康への歳賀でです!
このお話、最近出た、黒田基樹先生の「羽柴家崩壊」にも出ていましたね(非常に良い本でした)。
家康父子の取次として池田輝政が出てきたことに、近衛信尹が不快に思った、という内容ですが、いろいろ解釈の仕方が
ありそうな内容です。近衛信尹の不快が、輝政を取次にさせている家康父子に対してなのか、それとも家康父子の取次を
勤めている輝政に対してなのかで、解釈もそれなりに変わってしまうと思うのです。
前者は徳川家康が「豊臣公儀」を有名無実化していることへの不快であるし、後者であれば、早速「新しい権力者」家康に対する
池田輝政のおもねりへの不快に成るでしょうし、もしくは近衛信尹自身が、輝政とその前から関係が悪く対面したくなかった、
なんてことも考えられるからです。
昨今は、いわゆる「徳川史観の見直し」的なブームから、前者的(つまり「豊臣体制」が未だ人々の中に強く残っていた)解釈が
多いように思いますが(「羽柴家崩壊」もそういう解釈でした)、個人的には昨今の「徳川史観の見直し」という流れは、豊臣政権、
あるいは織豊政権への前のめりな過大評価になっている気がしていて、「どうかなあ」と思うことがしばしばありますw
そんなことも考えさせてくれたお話でした。

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週間ブログ拍手ランキング【07/20~/26】

2017年07月26日 22:58

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蜂屋を加えておけば、 17

首の臍 14
児玉は何故語らなかったのか 14

前足か後ろ足か 9
基広謀反と広継夫妻の自殺 7
『天上天下唯我独尊』の旗 7

信玄は釈迦を超えることを決意しているが故に 6
石川五右衛門偽上使の伝説 5
丈巌岩(岐阜県鶴岡村田代) 2


今週の1位はこちら!蜂屋を加えておけば、です!
このお話の面白いのは、信長の人事を平然と拒絶する柴田・坂井と、それに対して粘り強く、しかも丁寧に説明してなんとか
同意を取り付ける信長という、創作物などからイメージされる信長とは全く違う姿が描かれていることですね。
個人的には、実際の信長はこうい細やかな気遣いをした人だったでしょうし、信長の配下は信長に必ずしも
従順ではなかった、と考えています。信長が柴田勝家に宛てた、有名な「決して私に足を向けるな」という書状も、
実際に家臣から足を向けられている、という意識がないと書かないことだと思うのですよ。
秀吉なんて信長の命令に逆らうことばかりしていますしね。手取川の前に勝手に撤退したり信長が絶対殺せって言ってる
宇喜多直家と勝手に同盟組んだり。
そのあたりを見ても、信長というのは必ずしも独裁的な人間ではなかった、と考えていいと思っています。
そういうことを考えさせてくれる逸話だなと思いました。

2位はこちら!首の臍です!
こちらの面白いのは、池田と佐々の武功の譲り合いが「美しすぎて」信長がイラつく、という所でしょうねw
わりと良い光景なのに、そういう事に偽善や白々しさを感じてしまうということでしょうか。こういう感性も面白いものです。
そしてこういう場での「道化役」というもののありがたさも感じる逸話ですね。
こんな、わりと険悪な空気の中、「その頸、きっと自然に落ちたんですよ!」なんて事を平然と言えるのは、確かに
只者ではありません。また信長の小姓たちも、この空気を完全に無視した発言に、笑ってしまったのでしょうし、
信長自身も、自分の作った空気を破ってもらって、ある意味救われたと言っていいでしょう。
眼前で繰り広げられてる光景自体は「美しい」ものであり、それを怒るのは、決して良いことではないわけですからね。
そういう意味でも、実はわりと深いことを語っている気のする逸話だなと感じました。

同票でもうひとつ!児玉は何故語らなかったのかです!
このお話からは「武士は相身互い」という言葉を感じさせますね。
現在でも、同じ場所で同じことを経験してすら、それについて語る内容がまるで違う、なんてこともよくある話です。
しかもこれは、世間で有名と成った一騎打ちについての当事者の言葉であり、それに相違が有れば、それについて
様々に言われるであろうこと、想像できますね。
ここで児玉さんは、現在はその武功と関係なく家中で相応の地位を保っており、それゆえにこの時の話をことさら
語ることで藪内匠に無駄に批判を受けるような立場に立たせる必要はない。という事なのでしょう。
武士の「やさしさ」とは、こういう意識なのかな。などと思ったりしました。



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週間ブログ拍手ランキング【07/13~/19】

2017年07月19日 21:59

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「見るべき所を見ている」 21

秀吉の才用は、かくこそ 14

夢のお告げの大石を 8
許可しなかった理由 6
わが国にとって幸いであるのはことさら言うまでもない 
6

右衛門佐 頂くものが二つある 5
鎌倉杉 4


今週の1位はこちら!「見るべき所を見ている」です!
蒲生氏郷が蒲生四郎兵衛の報告を褒めたお話ですが、なるほど、ただ単に「敵はいない」では、あまり意味のない
報告なのですね。当然「罠かもしれない」と考えられるからです。であるので、なるべく多角的な情報がほしい。
そこに蒲生四郎兵衛は、さすが戦略眼を持って観察し、10日以上前に敵が撤退したと推測しました。
こういう技能が、部将クラスの高級将校に求められたのだな、とも感じます。
色々と興味深い逸話だと思いました。

2位はこちら!秀吉の才用は、かくこそです!
ホントかどうかわからないが、という注釈付きの逸話ですが、たしかに秀吉には、この手の「人を制する」才能を持っていた
印象がありますね。有名な、上洛した徳川家康の宿舎に忍んで来訪し、自分に平伏することを頼み込んだという逸話がありますが、
それと似た印象です。
本当に、事実かどうかは別として、秀吉という人はそういう印象を持たれていた、ということは言えるのでしょう。

今週管理人が気になった逸話はこちら!右衛門佐 頂くものが二つあるです!
応仁記の、畠山義就の逸話ですが、義就と言えば大ヒットした中公新書の「応仁の乱」でも、とにかく強い武将として
登場していますし、TV番組ではシン・ゴジラに例えられたりしていましたねw
そんな彼も朝敵とされ逼塞を余儀なくされていたのが、山名宗全などの工作で復権し、上洛まで果たしました。
この落書は、それを京雀たちは皮肉ったものということなのでしょうが、この「応仁記」は、細川京兆家に近い人物による、
応仁の乱当時の京兆家の行動を正当化するため書かれた書物、と考えられており、そこを見ると、この落書を紹介することで、
「畠山義就や山名宗全は、京の市民の支持を得ていなかった」という印象を与えたかったのかもしれません。
歴史のおもしろさは、様々な角度から物事を見ることだと思っていますが、このお話からも、そういった趣を感じました。



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週間ブログ拍手ランキング【07/06~/12】

2017年07月12日 18:12

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祁答院河内守良重、妻に殺されること 15

歯を白く、髪も美しく 15

ここに松を植えたので 11

ラスボスから茶々への愛の見舞状 10
花澤城の鯨波の声 9
「今迄の鼻は、ここにてかむべき為であった。」 9

鳥取籠城のこと 8
此度の功によって我が疑いは晴れた 7
何宗であっても松を立てよ 7
於萬様は宮部に養育されていた 7

伊賀伊賀守のことなど 6
山口重政は申し触れて廻った 5
この国の殿は 4

「竹村を討たんならば忽ち民部殿を打落とさん」 4
長顕、軍に従えないことを憤って 4
父・吉政に不義の行いあったので 3


今週の1いはこちら!祁答院河内守良重、妻に殺されることです!
レスやコメントなど見ると、祁答院良重という人物は、非常に興味深いですね。良くも悪くも当時の島津家において大きな力を
持っており、そこから「実は粛清されたのだ」という発想が出てきてもおかしくなさそうです。
島津家の記録というのも、基本的には政治的な思惑が入るものですし。
そういった意味でも、祁答院良重という人物の掘り起こしというものも、戦国期島津家を見る上で、また新しい角度から
光が当てられるような感じがしますね。

同票で1位はもう一つ!歯を白く、髪も美しくです!
徳川家康と上田宗箇の、良き討ち死にのための気遣いのお話です。
討ち死にとは死ぬことですから、勿論悲劇と面もあるのですが、それ以上に武士にとって「最高の名誉」であるのも
確かなのですね。合戦がほぼなくなった近世初期の武士の記録を見ると、とにかく「君の面前で討ち死にできない」事を
非常な不満としていますね。そういう鬱憤が溜まりに溜まった挙句が、大阪の陣の(幕府方、大阪方双方に見える)
死にたがりの続出、という現象だったと思います。
葉隠は「武士道とは死ぬことと見つけたり」なんて書き残しましたが、それはシュチュエーションを整えた上でなら
まったくもって真実なのですね。むしろ、討ち死に後の家族一族の利点(家系の名誉が高くなり所領も保全される)を
考えると、現実的、利己的なな望みだとすらいえますw
そういう「名誉」に傷をつけない配慮をするべきだというのは、これも将として配下に伝えるべき事だったのでしょう。
そんなことをふと、思いました。

3位はこちら!ここに松を植えたのでです!
田中吉政の統治についての内容です。
吉政という人は、秀吉や家康から重要な政務や拠点を任され、当時の人材の中でも相当優秀だったこと間違いないのですが、
歴史的には関ヶ原で「友人だった」石田三成を捕えて家康に差し出した人物といった、少々小物のな印象を持たれており
そこは非常に残念だと思っていました。
この逸話を見ても、近世大名の政策をほぼほぼ先取りしたような先進的な統治で、非常に感心させられます。
コメントにも「この人の作った町はどこも美しい」とありましたが、本当にそう思います。
この人も再評価の待たれる人物だなと、感じた逸話でした。


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週間ブログ拍手ランキング【06/29~07/05】

2017年07月05日 18:25

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かつて朝廷が関白職を設置した由縁を 16

河村の才知 12

広高には少しも悪しきことはなかった 11
我の外孫なれば我が子に准ずべし 10
島津のこと、それがしに征伐を命じられれば 10

一日の間貸され候へ 9
それが白指山西琳寺である 8
淀殿に仕えた各務兵庫の娘 7
御留守に任じて 4


今週の1位はこちら!かつて朝廷が関白職を設置した由縁をです!
秀吉が自らに関白職を与えるのを躊躇する朝廷を論破するお話。慣例を実力で突き破る、いかにも秀吉らしい逸話ですね。
厳密に言うとこれは史実ではなく、実際には秀吉は、近衛前久の猶子となり「藤原秀吉」として関白に任官しています。
豊臣姓下賜はそのあとですね。
ただ、このお話は、おそらく、当時これを書いた人も読んだ人も「そうだよなあ」と思ったであろうかとが重要だ、と思います。
このお話の中に、当時の人々の『高位高官とはいかに有るべきか』、という思想が読み取れるように感じます。
必ずしも史実に則さない逸話でも、見方次第で非常に興味深いものとなるという好例のようなお話だと思いました。

2位はこちら!河村の才知です!
これも非常に興味深いお話で、戦うべき時は先手を取るべきという中世の自力救済の世界と、先に手を出したものが罰せられる、
自力救済を否定した近世の、2つの価値観のせめぎ合いが見えてきますね。
戦国的には、即時開戦が正しい思考でしょう。そもそも実際に枝城が攻められていなくても、百姓間の境相論が紛争化した
時点で開戦の理由と出来たのですから。しかし近世はそうではありませんね。一義的には当事者間の交渉で、それが
まとまらねば上級権力(幕府)の裁断、という形で紛争は解決されます。実力(武力)の発揮は禁じ手に成っていたのですね。
河村さんはこの時若年であったとありますが、若年だからこそ、「近世の思考」を自然に身に付けていたのかもしれません。
そんなことを考えさせてくれる逸話でした。

今週管理人が気になった逸話はこちら!広高には少しも悪しきことはなかったです
寺沢広高というのはなかなか評価の難しい人で、そもそもは三成や小西行長に近い人でありながら関ヶ原で東軍についたり、
キリシタンに改宗していながら禁教令にともない改宗、弾圧者に身を翻すなど、非常に権力遊泳に秀でた人物のように
見えます。また天草の石高を課題に申請し、過酷な統治により後の天草の乱の原因を作ったともされます。
しかし一方で非常にストイックな武士敵性格を持ち、また所領の経営を重視する、近世大名の先駆的存在でも
あったようです。
このお話からも、当時も寺沢広高の評価というのは難しいものだったのだな、という印象を与えられますね。
そういう面でも、興味深く読んだお話でした。


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週間ブログ拍手ランキング【06/22~/28】

2017年06月28日 18:56

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皆さん歯を大事にしましょう。 22

ならばこれからは尚更に 13
終始の勝敗は、終始の政による 13

和談の使い 10
織田信長の頃まで、槍という功名は 9
1563年頃の松永久秀 9

山村の策略 6
体内の光物 5


今週の1位はこちら!皆さん歯を大事にしましょう。です!
前近代において「虫歯」って、人類にとって大変な脅威だったそうです。
根本的に「抜く」しか対処の仕方がないですからね。それだけに歯のことについては、現代人が想像出来ないほど、
本気の「祈り」が、これは洋の東西を問わずあったようですね。
そんな事を思い出させてくれるお話で、「尚武の家」であり少々の負傷などではびくともしななそうな島津家においても、
葉の痛みは別格であったか、なんて少々微笑ましくも成ってしまいましたw
現代の我々も、虫歯云々だけでなく、将来長く自分の歯で食事ができるためにも、葉を大切にしないといけませんね!

2位はこちら!ならばこれからは尚更にです!
これは立花宗茂のお話。宗茂は自分の立ち位置の理解が、実にシンプルですね。「武」こそが自分たちの存在理由だという
その単純かつ強烈な認識。いかにも宗茂らしい、と感じてしまいます。
実際に、大阪の陣などでも宗茂は秀忠の参謀のような役割をしていたようで、その軍事の能力、知識によって大名として
復帰できた、というのは概ね事実でも有るのでしょうし、逆に言えばここまでシンプルに自分の役割を理解していたからこそ、
家康、秀忠もある意味安心して彼を引き立てたのかな。なんて事も感じてしまいました。

そして同票でもう一つ!終始の勝敗は、終始の政によるです!
こちらは豊臣の滅亡について、端的に言えば「一日や一度の戦の結果で滅びたのではない。それまでの政治や家の運営の
失敗の蓄積で、敗北したのだ」ということでしょう。これはもう確かにその通りで、「負けに不思議の負け無し」なんて松浦静山の
言葉がありますが、「滅亡に不思議の滅亡なし」とは言えるのでしょう。
現代人は、様々な場面で状況が悪化した時、わりと短絡的に、どこが悪かった、何が悪かったと原因を決めつけてしまうことが
多く有るように感じます。しかし、実際にはそうなるに至る様々な蓄積があるわけでして、この逸話から、そういう思考位が大切だよ・
という事を教えてもらったように思いました。



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週間ブログ拍手ランキング【06/15~/21】

2017年06月21日 19:55

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容易ならぬ風聞 17

罪も恨みも一切の雑念の消えた新しい世界がそこに 11
彦根藩士は美服奢侈の排すべきを 11

勇者の思い 10
そのときは拙者とて 10
こんなことを言わずに謀叛すればいい 9

つまるところ、武士は詞が大事である。 8
白鷺か何ぞと人の問いし時 8
利勝の知慮は衆人の及ばぬところ 7
加藤の亡魂 7

中国の日本に関する地理誌「東西洋考」によれば 6
ティモシー・ブルック「セルデンの中国地図」より、日本の地名 6
その節諸事に御軽きこと 6

牛頭天王の神慮 5
雑談・茶器についてのことなど 5
「南蛮寺興廃記」より、日本人キリシタンのハビアン、コスモ、ジュモンについて 5
“井伊家の一本槍” 4
姜沆の上杉景勝評 3


今週の1位はこちら!容易ならぬ風聞です!
板倉勝重による、呪詛をある意味笑い飛ばしたと言っていい知的で剛毅なお話ですが、じつに「近世」を
感じさせる話でもあります。中世の歴史を学んでいるとすぐに気づくと思いますが、「呪詛」というのは大事件なのですよね。
上は皇室から下は庶民まで、呪詛が関わる騒動は枚挙に暇が無いほどです。
こういう感覚は戦国期でもそうは変わらず、例えば無神論の合理主義者と言われがちな織田信長でも、武田攻めの際、
畿内の寺社などに武田滅亡の祈祷をさせていたそうです。
ところが近世に成ると一般的に、祈祷や呪詛を、否定とまでは言わないものの、そういった行為を非常に低評価するように
なりますね。そのあたりの変化がどこから来たのか、色々と調べつつ、考えてみるのも面白いかもと、この逸話を読んで
少し思ったりしました。

2位はこちら!罪も恨みも一切の雑念の消えた新しい世界がそこにです!
村越茂助も実に面倒くさい三河者の典型、といった感じなのですが、こういう逸話を読むたびに、三河者というのは、家康のことが
本当に大好きなのだな、と感じちゃいますね。その好きの表現は相当ひねくれていますがw
その不器用さも含めて、三河武士なのでしょう。そういった、三河武士のいいところも悪いところも、能く出ている逸話だと感じます。

同表で2位はこちら!彦根藩士は美服奢侈の排すべきをです!
井伊直孝が言葉を使わずして奢侈を止めさせたお話です。世の中には「言葉にすると角が立つ」というものが、実際多く
有るものです。しかし態度で察してもらうのも、なかなかにテクニックにいることです。
この彦根藩などは、当時のファッションの中心地である京に近い事で、ややもすれば豪華で流行の衣服を身に着けたいという
欲求も強かったことでしょう。それをあたまごなしに禁止しては反発が出る。だからこそ、皆が自主的に考えを改めてくれるよう
もっていくというのは、これも領主、君主の器量なのでしょうね。
こう言ったことが出来るからこそ、家康も井伊家を直孝に任せたのかな、なんて思えてくるお話でした。



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2017年06月14日 18:53

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藤堂高虎遺訓ニ百ヶ条で、よくわからないもの 21

一つとして難ずるべき所無し 15

男子これなく候へとも、 13
三斎は実は 13

御鷹の鶴の胆(マル)を上げらるるときの咒文 8
「南蛮寺興廃記」より、イエズス会が伊吹山に薬草園をひらくこと 8
「南蛮寺興廃記」より、南蛮寺ができるまで 8

英雄の掘った井戸である故 7
釣り髭であった 7
今は石垣山と呼んでいる 6
三池典太光世の鎌 6

『好き』を止めよ 5
人の挨拶 5
牧野成里、池田輝政の仲介により帰参 5

吉村には似合わぬこと 4
「南蛮寺興廃記」より、キリスト教布教の様子 2


今週の1位はこちら!藤堂高虎遺訓ニ百ヶ条で、よくわからないものです!
実は追加まで含めると204ヶ条ある藤堂高虎遺訓。その中には一見現代人にはよくわからないものもあるというお話ですが、
高虎自身、叩き上げの人だけに、彼の得た教訓も体系化されているわけではなく、そのアドバイスも、この遺訓と同じように、
断片的であったり、ニュアンスを感じろ的な物ではなかったかなと想像できますね。
また彼の遺訓から、豊臣秀長や秀吉の手法も想像できるのではないかな、なんて感じます。

『藤堂高虎遺訓』は伊賀上野城のサイトからも通販できるので、興味のある方、藤堂高虎ファンの方は是非!
http://igaueno-castle.jp/?page_id=24

2位はこちら!一つとして難ずるべき所無しです!
織田家の歴々が、竹中半兵衛の軍略に感嘆するお話です。
逸話ですが時期を想像すると天正5年前後でしょうか?半兵衛は信長直臣であり、秀吉に寄騎として付けられていた筈ですね。
この逸話で面白いのは、半兵衛が自軍の戦略についてだけでなく、敵である毛利の分析について、織田家諸将から感心された、
という所でしょうか。このあたり、当時の「軍師」に求められる物は何かを表しているようで、興味深く感じました。
「軍師・竹中半兵衛伝説形成の過程の一つ」というべきお話かもしれません。

今週管理人が気になった逸話はこちら!
「南蛮寺興廃記」より、イエズス会が伊吹山に薬草園をひらくこと
「南蛮寺興廃記」より、南蛮寺ができるまで
です!
キリスト教関連の話は、やはり主に、当の宣教師たちの記録からの研究がほとんどですが、やはり日本側の記録も、
きちんと見た上でないと見方が偏る、と思います。その意味でこの>「南蛮寺興廃記」は、非常に貴重なものだと思います。
それにしても京の教会を「永禄寺」と名付けようとした、という記事は非常に面白いですね。
これはキリスト教も「寺門」の一つに組み込もうとした、と見ることが出来ますし、この路線で行けばやがてキリスト教の
上層部には、皇族や摂関家、あるいは武家の子弟が「門跡」として入ったことでしょう。いわゆる「権門体制」の中に、
キリスト教も組み込まれてしまうわけですね。
宣教師の側の、キリスト教を日本に広める運動と同時に、日本の側にもキリスト教を体制に取り込む発想があった、
という部分を想像するのも面白いかもしれません。


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週間ブログ拍手ランキング【06/01~/07】

2017年06月07日 18:50

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先んずれば人を制す、という事です 15

六文銭のチョイスが 13

船手のあしらい神妙なり 12
御陣所の体、味方の様子、見及んだ所 11

東照宮物具の御物語 附小野木笠の事 10
松井康之が利休最後の手紙を 9
ある時、皇寛と申す唐人の話に曰く 9

這い出る病 8
重任は威が無ければなしえない 8
都ははるのこしきなりけり 5
下総守の判断 4


今週の1位はこちら! 先んずれば人を制す、という事ですです!
ここに出てくる「伊賀甲賀のあぶれ者たち」というのはいわゆる傭兵の足軽集団なのでしょうね。それが本能寺の変の勃発で
不穏な様子が見えたので、貴重な戦力ではあるがこれを帰国させる、という事なのでしょう。
このお話からは、同じような傭兵的軍勢を多く従えていたとされる織田信孝の四国攻めの兵が、本能寺の変の影響で
多く逃亡したという話を思い出させます。いざという時頼りに出来ない戦力を抱えるのは、リスキーにすぎるという判断も
解るような気がします。当時の、ギリギリの危機管理を表したお話だな、なんて思いました。

2位はこちら!六文銭のチョイスがです!
こちらは海外での「サムライグッズ」のお話。清朝銭だと、真田よりずっと後の時代のものになってしまいますねw
「銭」であればなんでも良いだろうという、なんとも言えない適当さ。嫌いではありませんw
しかし清朝銭の頃に成るともう、日本は江戸幕府が寛永通宝などの「独自通貨」を発行していましたから、
日本国内に広く流通する、ということはありませんでしたね。
ギリギリの所で日本史への登場を逃した(?)通過、と言えるかもしれません。
それが巡り巡って遠く海外で戦国グッズのデザインに取り入れられるのですから、世の中とは不思議なものですねw

今週管理人が気になった逸話はこちら!
船手のあしらい神妙なり
御陣所の体、味方の様子、見及んだ所
この2つ!村上通清さんのお話です!
この方、元は毛利から離反し羽柴秀吉についた来島村上氏の一族ですが、経歴が非常に面白く、海賊停止令が出ると
さっさと来島家を致仕して黒田家に仕えたと思えば、そこも離脱し関ヶ原は西軍として戦い、その後福島正則に仕えるといった、
「西国系つわもの」という趣があります。最後は人材マニアの南龍公・紀伊頼宣に召されるのも、勇者の面目を感じます。
そんな興味深い人物の、いかにも戦玄人な内容のお話2つ、非常に興味深く読みました。



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週間ブログ拍手ランキング【05/25~/31】

2017年05月31日 22:04

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溝ノ口岩穴祭の奴踊り 26

谷太郎左衛門、戦での心得 19

敵城に飯を炊く煙が立ち上った故 16
「フロイス日本史」から、戸次川の戦い 14
彼らが通過した後には、何一つ 14

あまり有名でなく高尚でもない男であった 11
かほのしはすをのべて参らん 10

中里介山「大菩薩峠」の「伊達政宗と細川忠興で半分こ」 9
〔若州〕小浜城の旧地、泣珠明神之こと 9

三ヶ条ほどは珍しいことを 8
天下は御前に参るでしょう 6


今週の1位はこちら!溝ノ口岩穴祭の奴踊りです!
非常に興味深い内容で、様々な想像が膨らみますね。薩摩では様々な祭り、風習の起源は島津氏関係になっている
事が多く、名実ともに島津王国なのだなと感心させられます。
このような祭りなどは鎌倉初期の、島津氏入国以前に遡ることもできそうなのですが、歴史の古さより島津氏所縁であることの
方が重い、という事もあったかもしれません。
祭りの存続には色々とご苦労が多そうなのですが、末永くこの伝統を守っていってほしいと、部外者の身勝手な思いではありますが、
本当にそう思います。

2位はこちら!谷太郎左衛門、戦での心得です!
これはまた身もふたもないほど現実的な、武功のノウハウについてのお話ですね。
戦術上の必要性など一切触れられておらず、とにかく功を認定されるために何をすれば良いかのみが語られています。
「評価が低いので弓鉄砲を習得するのは無駄」など、いっそ清々しいほどですねw
このような考え方は、実際に鑓働きをする戦士たちにとってまごうことなき本音であったのでしょう。
彼らは大名家や公儀ではなく、まず第一に自分や自分の家のために戦っているのですから。
そういった思いをいかにコントロールして、強力な戦力に成すことこそが、戦国大名の「器量」というものでもあったのでしょう。
戦国時代をより多層的に見るきっかけをくれるような逸話だな、なんて感じました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!「フロイス日本史」から、戸次川の戦いです!
流石に当時の豊後府中といえば、キリシタンにとっての本拠地の一つといっても良い場所であるだけに、薩摩軍の進行に
混乱する府内の様子が、非常にリアルです。
また薩摩軍の有能さ、勇猛さも非常によく描かれていますね。仙石秀久たちを壊乱させたのが、銃撃をも気にせずの
刀剣突撃だったなど、戦術史を考える上でも非常に興味深いです。
もちろんキリスト教宣教師という立場で書いたものである以上、無批判に信じるのは危険ですが、当時の現場の空気を知っている
人による記録として、高い臨場感の有る著述だと思います。


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2017年05月24日 19:17

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加藤清正石垣の上手なる事 14

「肥後のからしれんこん」 12
物音の響に差別あり 12
黒田如水の大名論 12

直江兼続は断じて反対し 9
博打を用いる 8
蜂須賀もとに 澄水の 8

阿波殿へは御感状を下された 6
遺物は武具と書籍のみ 5
林家の古き家紋に、杏葉牡丹を用ゆること 5
直江兼続の衣食住は 3


今週の1位はこちら! 加藤清正石垣の上手なる事です!
加藤清正と言えば熊本城、熊本城と言えば石垣、と言われるほど高名な、清正の石垣技術。前にNHKNの番組の中でも、
この石垣について特集されていましたね。
その番組の中で意外だったのは、熊本城の石垣技術は朝鮮役で身につけたものではなく、その後の慶長伏見地震での
伏見城倒壊といった経験より生まれたものではないか、という推察です。
考えてみれば高石垣の城郭というのは、少なくとも本格的なものは安土城からというごく新しい技術であり、
清正の時代辺りまで、様々な試行錯誤があったことでしょう。
高石垣城郭の技術的確立期の巨人の一人。清正をそう捉えてもいいのではないかと思いました。

2位は3つ!まずはこちら「肥後のからしれんこん」です!
清正から肥後熊本を受け継いだ細川家、その忠利による「名物誕生」の物語。
からし蓮根が、お殿様一人のための料理、というのは面白いですね。事実かどうかは別として、からし蓮根という
料理にある種の「貴重性」を付与していると思います。こんな話聞いたら、やっぱり食べてみたく成るじゃないですか。
細川の殿様気分になってw
そしてお子様の一緒に歴史を楽しんでおられて、たいへん微笑ましく思いました。
歴史をこうやって身近に感じて成長できるのは、素敵な環境だなと、羨ましく思いました!

次は物音の響に差別ありです!
日根野弘就による、戦場における一種の観察眼のお話。
音の響きによってその虚実を知るという、いかにも歴戦の勇士という内容です。その機微というのはなかなか凡百には
理解し得ないものなのでしょうが、戦巧者という人たちは、このような研ぎすまされた感覚によって、武功を上げ、あるいは
生き残って来たのだなあと、その凄みを感じちゃいますね。
戦場に限らず、日常生活でもおそらくあらゆる場所で、こういった機微は存在するのでしょう。
それを感じられるかどうかが人生を左右する、という意味では、現代の人々にも教訓と成るお話かもしれません。

最後にこちら!黒田如水の大名論です!
まあ皆さんの想像通り、これは黒田長政のことを言っているのでしょうね。だって古郷物語ですからw
如水や他の人々の口を借りて遠回しに長将のやりようをDisる、というのは古郷物語の基本パターンでもあります。
著者はよほど長政の治世に含むところがあったのでしょう。
個人的には黒田如水と長政を比べた場合、比較するベースが違うのは確かでしょうが、黒田家を大大名として飛躍させたのは
間違いなく長政であって、そのスケールでは父如水を凌駕していると考えていますが、世の中はその基礎をを作った人を
評価しがちですね。まあ古郷物語の長政評価はそういうのとはまた別なのでしょうけどw
そんなことをいろいろ考えたお話でした。


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週間ブログ拍手ランキング【05/11~/17】

2017年05月17日 14:04

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新納が申した如く 31

その事の始末を探求し 21

ひえもんとりの話し 17
養徳院、孫の池田輝政に宛てた遺言状 14

「武田の弓矢は今、頂上に登った」 13
判官殿の鞍 13
滝川はよく察したようだ 12
元来片鎌である 6


今週の1位はこちら!新納が申した如くです!
沖田畷の戦いの際しての大将の選択についてのお話です。情報の時点と実戦の時点での、慎重さと大胆さは別で、
この場合実戦に対して慎重な島津家久を選ぶべきだという新納元忠の提言。
結果から見れば当然の選択だ、などもも思えますが、見方が少人数であれば現場で大胆動く人物のほうが良い、という見方も
当然有るわけで、ここからは新納元忠の、味方だけでなく敵の龍造寺軍も含めた、深い洞察を感じます。
それにしても新納元忠は武勇あり智謀あり、そして歌をはじめとした教養あり。当時の薩摩武士の良いところを、全部
集めたような人物ですね。さすがは親指武蔵ですw

2位はこちら! その事の始末を探求しです!
竹中半兵衛による、武功話を聞く歳の、あるいは話す際の心構えを説いたお話。
表面的な、誰が功をなした、誰が手柄を立てた、という話はいくら聞いても意味がない。一連の流れの中でどうやって始まり
いかに終息し、その要点はなんであったか、そこを考えないといけない、という事なのでしょう。
これは現代でも充分に通じるお話ですね。例えば、歴史・軍事だけでなく、政治やビジネスに関する本を読むときも、
そこを考えながら読むことで、身になり教訓として得られることも大きく違うと思います。
戦国期や江戸期でも、軍記物や武功話はスーパーヒーローの大活躍の物語、と捉えられる面が大きかったフシがあります。
その中でこういう逸話の残る竹中半兵衛という人はやはり、理知的な人物という印象が強かったのでしょうね。
そんなことも思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!ひえもんとりの話しです!
幕末における、薩摩の習俗として有名な「ひえもんとり」のお話。これは非常に興味深いですね。
ひえもんとりをしていたのは士分ではなく農民(郷士?)、また死刑囚の肝臓がなくなるのは他の藩でも一緒、など、
現在広まっているひえもんとりのイメージからは、かなり違った姿が想像できます。
ひえもんとりに限らず、幕末までの「薩摩藩」というものに対しては、実態以上に「野蛮」イメージが強くついていると思います。
これは幕末期に、薩摩藩の側があえて自分たちを強く見せるため、その野性的強靭さを強調した面や、またそれと対峙した
江戸幕府や西南戦争期の明治政府が、彼らを「文明の敵」としたプロパガンダの面、そういったものがないまぜとなって
一種の伝説化した、と考えてよいのでしょう。実際の薩摩というのは、例えば公教育の面などで京や江戸などの先進地域と
比べると遅れていた面は確かにあったと思いますが、当時の九州全体から見れば特筆するほどの個性ではなかった、
そういうふうに相対的に見たほうが、薩摩藩というものの本質に近づけるのではないかな。なんてことも感じました。
そもそも島津家だって、京下りの西遷御家人であり、そもそも摂関家の職員だった家柄ですから、文化的な素養も強いのですよね。
なんてことを考えました。



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最近読んでいる本(外出するかばんの中に入っている)
DSCF0410.jpg
・列島を翔ける平安武士 九州・京都・東国
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b280811.html

過去、武士の発生を地方に求める論が盛んでしたが、昨今では武士とは地方ではなく、京を中心に生まれた階層であるという
考えが広がっています。この本では、その武士が、どのように地方へと広がっていったのかを描いており、非常に説得力が
あります。島津家についても詳しく描かれていますよ!

・越天の空(下)
https://secure.ikaros.jp/sales/list.php?srhm=1&tidx=0&Page=1&ID=3219

いわゆる架空戦記物の系譜を強く引き継いでいる本であると思います。細部をとてもリアルに描いていますが、
設定で重くなりすぎて居ないところも好きです。コミック版も面白いですよー

・中世ヨーロッパの騎士
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062924283

よく「武士」と比較される、中世ヨーロッパの「騎士」ですが、一般には騎士について、創作物などから来るイメージで
語っていることが多いと思います。この本は、アメリカにおけるヨーロッパ中世研究の大家である著者による、騎士の実態と
その盛衰を描く、非常に面白い本です。これを読みながら、武士と騎士は何が同じで何が違うのかを考えてみるのも
楽しいと思います。
僕も読み始めですが、騎士というのは武士と対比すると、地侍に近い存在かな、なんて印象を持ちました。

週間ブログ拍手ランキング【05/04~/10】

2017年05月10日 08:37

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「なるほど」 27

不届きに付き、かくの如くせしむる 16

潔く自殺などするはおと等の事よ 11
義政は公儀を知らず 9
門役の大切 8

贔屓が強い、ということは 7
天下の干城 2
法性院阿闍梨 2


今週の1位はこちら! 「なるほど」です!
名奉行・板倉勝重のお話。死体の「生活反応」を見て犯罪を見抜いていますが、この話の真偽とは別に、
当時の操作も、経験則的にこういった知識が蓄積されていたのだろうな、なんて想像します。
そういえばこのような、犯罪捜査を含む治安維持は、鎌倉期は私権の範囲にあり、一種の利権でもあったそうです。
それが室町期から徐々に公的な社会的義務となっていき、近世になって公共性がほぼ確立されるのだとか。
このあたり、西田友広先生の『悪党召し捕りの中世 鎌倉幕府の治安維持』に詳しく述べられていて非常に面白かったです。
ご興味の有る方は、ぜひご一読を

2位はこちら!不届きに付き、かくの如くせしむるです!
大久保忠隣没落のときの、忠臣のお話。近世の主従関係とはまた別の、戦国的な人格で繋がった主従関係を
彷彿とさせますね。それと同時に、当時の大名権力が停止されたとき、どんなことが起こるのかということも示唆して
いるようです。現代でもそうかもしれませんが、権力秩序の崩壊は、すぐに自力救済社会の復活につながるのですね。
そこで治安維持に有効なのが、また自力救済の戦国時代的な主従関係、というのも面白いと思いました。
いろいろなことが読める逸話でも有りますね。

今週管理人が気になった逸話はこちら!義政は公儀を知らずです!
最近はわりと再評価の機運も高い足利義政、現在大ヒットしている呉座勇一先生の『応仁の乱』でも、相応の責任感を持って
政治に当たる義政の姿が著されています。
後世、足利義政が文化に溺れて政治を蔑ろにした、という印象を持たれたのは、一つには戦国から近世初期にかけて、
文化面における足利義政の「好み」が、大きな影響力を持ったことがあったと思います。
『銀閣』よりひろまる有名な「書院造」はもちろん、真偽は別として、茶の湯も義政由来とされる茶器、作法が大きな権威を
持っていました。戦国武将が出陣前によく食する「湯漬け」ですら、義政による発明とされ、義政由来の作法があったほどです。
そのような後世への大きな影響力から逆算され、文弱将軍とされたのではないかなあ。なんて考えていたりします。


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週間ブログ拍手ランキング【04/27~05/03】

2017年05月03日 18:47

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苦辛城(くららじょう) 27

島津豊久が関ヶ原にて討ち死にしたのは 20

「功者の料理人」 15
その勇功といい義を守ることといい 14

嘆きの中の喜びとはこのことです 11
御感状お望みのことは 10
頂いた白瓜は 10

生きて五鼎に食まずんば、死して即ち五鼎に烹られん! 8
誠の忠臣と言うものは 7


今週の1位はこちら!苦辛城(くららじょう)です!
名は体を表す、とはよく言いますが、体の方も名に合わせてしまう事がある、という事を教えてくれるようなお話です。
確かに、”苦辛城”ではもう字面から直感的に、辛く苦しい戦いがここであったのだろうな、と思ってしまいますね。
その前の”鞍良”がわりと平和で文化的なイメージをもたらすだけに、一層ギャップを感じます。
表意文字である漢字の特徴かもしれません。
それにしても「後世になるほど伝承が勝手にできる」というのは、戦国に限りませんが、遺構、遺跡によくあることで、
研究などでも「民間伝承」を鵜呑みにして判断すると、大きく間違える結果になりがちです。
下手すると4,5年で出来ちゃうんですよね、「民間伝承」

2位はこちら!島津豊久が関ヶ原にて討ち死にしたのはです!
島津豊久の討ち死にの様子について、彼の死後に薩摩武士たちの集団自決があった、という説が、およそ江戸中期くらいには
存在したらしいというお話ですが、これは豊久の英雄性、その身を犠牲とした英雄性をより強調するために追加された
ものなのでしょう。
ここから見えてくるのは、島津義弘らが退却できたのは、ひとえに豊久の英雄的犠牲のおかげだった、という認識が、
当時の人々の間に広く共有されていた、という部分でしょう。そしてそんな豊久を。一人で死なせたくない。そんな気持ちが
働いたのではないでしょうか。
島津豊久は生前もそうでしたが、死後も薩摩隼人たちに愛された。そんなことを感じさせてくれる逸話かと思います。

今週管理人が気になったお話はこちら!嘆きの中の喜びとはこのことですです!
やはりここから見えてくるのは、当時の「家」を中心とした社会認識でしょうか。
秀吉は池田恒興・元助親子の討ち死にを共に嘆きつつ、輝政・長吉が行きていることを賀すとし、また彼らに池田家の
家中スタッフを継承させるとして、新たな池田家運営についての「覚悟」をも迫っています。
ここからは、当主、および嫡男であった恒興・元助の死は悲しむべきことながら、家の運営主体が残っていたことは喜ばしい
事態であり、何よりも大切なのは家の運営であるという価値観です。こう言った認識から、当時、家が法人であったという事が
よく見えてくると思います。
こう言った認識は実は武士だけでなく、この時代一般のものだったりしますね。
戦国時代を見る時、個人に焦点を当てるばかりではなく、こういった部分を忘れないようにするのも大切なことだと思います。
そんなことを思い出させてくれた内容でした。


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2017年04月26日 08:36

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上田宗箇の剛勇 20

岡本加介の討ち死に 14

雑談・楠葉西忍について 10
蘆名盛隆の悪い癖で 7

名ある勇士である上は 5
この人にこそ、必ず国郡を保つべき威がある  5
案の定、長野を討ち取り申した 5

この両人を以て優れた勇者と 4
遠吠えしてぞ 返る犬山 4
乗するかごしま担うぼうのつ 4


今週の1位はこちら!上田宗箇の剛勇です!
上田宗箇といえば、大阪夏の陣では樫井の戦いでの活躍が有名ですが、彼の「武名」のはじめが、火事騒ぎでの
指揮であった、という指摘は面白いですね。火事も合戦も、人の生き死にのかかる緊急時での指導、統率力が問われますから、
そういう部分で評価されるものだったのかもしれません。
その一方で、矢弾の飛んでくる中で大筒の上に乗るというのは、実に豪傑的です。
指導力と豪傑姓、二つ併せ持ってこそ「勇者」というのが、当時の感覚であったのか。そんなことをふと感じました。

2位はこちら!岡本加介の討ち死にです!
小牧長久手でも名を成したという、戦場のベテランと言っていい人の大阪の陣。
この時代の、個人的武功と組織的な利益がどう知り合わされていたか、なんとなく見えてくるような逸話です。
それにしても岡本さんがその最期、考えた通り後藤又兵衛の間近にあって討ち死にしたのも、彼の栄誉と言えるのでしょう。
武士という存在の凄まじさも、確かに感じさせてくれる、そんな逸話だと思いました。

今週管理人が気になったお話はこちら!雑談・楠葉西忍についてです
楠葉西忍といえばその出自の不思議さもあって、あの時代を取り上げる歴史小説、伝奇小説では、時代の怪異性の強調要素として
非常に便利扱いされる人でもありますw
しかし、呉座勇一先生の「応仁の乱」にも出てきましたが実態は、有能な人なのは確かであったのでしょうが、当時の
公的機関にも食い込んでいる典型的な商人、という感じですね。「設定」だけを見て人物を判断してはいけないなあ、
と思わせてくれる人物の一人でもあります。
そして日本にイスラーム教徒が来ていなかったのか、というお話ですが、元寇の時のモンゴル兵の内、何人かは
イスラム教徒であったのだろうな、とは想像出来ますね。それ以外にも、個人的にイスラーム教徒であった人物は、
特に中国南方から日本に渡来していたと思います。だとしたら何故、日本にキリスト教以上に、イスラームが根付かなかったのか、
これは「解らない」としか言いようがないですね。
もしかすると、中国におけるイスラームは元の時代に広まったこともあり、元寇の記憶から、イスラームも親元勢力として警戒された、
ということがあったのかもしれません。ちょうど近世初期にスペイン・ポルトガル勢力とカトリックが同一視されたのと似たような話で。
もちろん文献にそう記されているわけではありませんが、そういう想像も有りうるかなと思っています。



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2017年04月19日 17:35

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自分の手で頸をもたげ 16

岐阜城攻めと城受け取りの時の争論 13
岐阜城攻めのくじ取り 13

人間無骨の槍 12
ギョーム・ポステルの日本観 11
金森長近の質素 11

「太平記」とよばれる歴史物語 10
「『ちゃんきのもんき』、とは何だ?」 10
これ故に先立って戦死を遂げる 7
よむいろは教ゆる指の下を見よ 7

杉江勘兵衛を討ち取ったのは 6
三引の下に山の字を加ふときは、さんざんの唱 6
龍造寺隆信「塚崎の湯」 5
軍令違反者には御宥恕がなかった 4



今週の1位はこちら!自分の手で頸をもたげです!
北条家の武士、勝田八左衛門さんのすさまじい生存劇。まあ「半ば斬られた」などは流石に文飾が入っているのでしょうが、
もう助からないと思われた重傷でも、自分で生存をアピールしたその生命力には感嘆の念をいだきます。
こういう話を見ると、少なくとも関東では、武士とは生命力、という気がしてきますね。
最悪の戦場に放り込まれても行きて帰ってくるのが良き武士、なんて思えてきますし、それは当時の認識から
そう離れては居ないのだろうなと。
そんな事を思わせてくれる逸話でした。

2位はこちら!岐阜城攻めと城受け取りの時の争論です!
岐阜城攻めとその受取で、福島正則が我を通したお話ですが、このあたりはどうも、後に正則が改易されたことから逆算して、
関ヶ原当時から協調性がなく反抗的だった、というように想像されたというフシが有り、どうも実際には大きな摩擦は
無かったんじゃないか、なんて言われたりしています。福島正則も流石に、東軍の協調を乱すのはどういうことかを解っていた
はずですからね。じゃあ伊奈昭綱の切腹はどうなのか、というと、アレは家中の統率が関わるのと、敵が消滅した以上
家康は良くも悪くも豊臣家筆頭家老の地位に「戻る」と考えた意識の齟齬かなあ、とも。
わりと有名ですが、色々考えされてくれる逸話だと思います。

同票で2位はこちら!岐阜城攻めのくじ取りです!
こちらも岐阜城攻めのお話ですが、多くの諸将が大手攻めを望んで、搦手を嫌がった、と言うのは面白いですね。
合戦において大手がメインストリート、搦手は裏路地、という意識があった、ということでしょうか。
ただ、どうも城において「大手」「搦手」をことさら分けて考えるのは近世かららしく、戦国期はあまり区別しなかった、
ぶっちゃけ「どうでもよかった」という説もあります。
こういう事を考えると、大手か搦手かで争ったというのは、見栄の問題ではなく戦術上の問題に起因する可能性があり、
そういうところを見ながらこの逸話を読むと、新たな発見があるかも、なんて思いました。



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2017年04月12日 18:21

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勝茂さまの御願文 23

そしてほのかに笑った 22

上様団子 18
家康、結城秀康を上杉景勝の押さえに 16

心気に錆が付かない様に 12
織田有楽の殊勝な茶の湯 12
1616年(元和2年)、イスパニヤ国王より伊達政宗に贈りし書簡 9
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長谷川甚兵衛は非常な勇士であり 7
狂言、鷺仁右衛門、五徳の紋所。鷺と称する苗字の事 7
高安家、豊閤より賜し陣羽織之旧談併家紋巴之由来 7

神子田は戦功多しと雖も 6
無用な御心づけであった 6
近頃、良将と言い慣わしているのは3人である 5
雪打ちで結城討ち 5
その働きは職分には含まれていない 5


今週の1位はこちら!勝茂さまの御願文です!
この、非常に親心的な願文。たしかにいかにも鍋島家らしい、暖かさのある内容です。
ふと思いましたが、江戸期の鍋島と言えば学問に非常に熱心で、テストの成績で家格すら上下するという、恐るべき
教育藩だったといいます(そのあまりの上からの学問至上主義への反発から大隈重信が早稲田を創立したという話も)。
で、この願文、そのまま現在の進学校、あるいは予備校のモットーにしてもいいですねw「浪人が出ないように」あたり、
一層の切実さが出るような。どこかの進学校か予備校が取り入れませんかねこれw

2位はこちら!そしてほのかに笑ったです!
足利義政・義視兄弟のエピソード。足利の兄弟で、非常に仲がいいのに最終的に鋭く対立した、といえば、やはり
初代将軍足利尊氏と直義兄弟を思い出さずにいられません。彼ら兄弟の対立が(正確には直義と執事高師直の対立ですが)
観応の擾乱という、全国を覆う争乱となりました。
その後も足利義持と義嗣、関東では足利成氏と尊敒、足利高基と義明など兄弟の闘いが見られるのは、
「同族殺し」河内源氏の血の故か、なんて事も思ってしまいます。
しかしこのお話は、義政が政治的には対立していても、心では弟義視を愛していたというお話で、これを聞いた時、
義視は心中なにを思ったか、様々に想像の膨らむ内容だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!上様団子です!
あの曲直瀬道三が信長に対し、こういう役割をしていたとは。これもある意味、「名医の技」と言うべきでしょうか。
権力というものはやはり、緩衝材が必要で、それがないと使われる側だけでなく、使う側すら傷つけてしまうものです。
このエピソードも、「この程度のことで」小姓を処分しては、京の世論はさらに囃し立て、信長の評判を損ねたことでしょう。
そこを上手くいなしたのが、「名医」曲直瀬道三だというのが、この逸話のキャスティングの妙だなあ、なんて感心しました。


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週間ブログ拍手ランキング【03/30~04/05】

2017年04月05日 21:35

03/30~04/05のブログ拍手ランキングです!


薩隅の戦国お菓子 これもち(これがし) 27

我と等しき芹好き 13
木原屋鋪の事 13

「戦闘技術の歴史」5東洋編Fighting techniques of the oriental world より、戦国時代の描写 11
勝茂さまが御家老たちに、 11
今川家崩壊 10

このせいだろうか、家来に優れた功者は 8
伊達政宗よりローマ法王に贈る書簡 8
永禄三年(1560)の就職ランキング改訂版 8

支倉常長、スペイン国王宛書簡 7
今西春房と娘の大蔵姫 7
傘下国人の統制が利かない北伊勢諸家 7

高安家、豊閤より賜し陣羽織之旧談併家紋巴之由来 6
治部大輔義龍は悪逆不孝で 6
無用な御心づけであった 5
藤堂氏蔦の紋の事 5


今週の1位はこちら!薩隅の戦国お菓子 これもち(これがし)です!
鹿児島の、朝鮮役由来のお菓子についてのお話。朝鮮役で捕虜となった陶工の村を守るのに、朝鮮から檀君が現れた、
という話も非常に面白いですね。民族と神、信仰について、いろいろと考えさせる伝承だと思います。
そしてお菓子について、鹿児島の「高麗餅」と韓国の「シルットク」、形状は確かに似ているのですが、内容はだいぶ違う
お菓子のようで、そこに歴史、風土の違い、というものを見ることができそうです。
たいへん様々なことを考えさせてくれる、良い逸話だと思いました。

2位はこちら!我と等しき芹好きです!
同類相憐れむ、というような逸話なのでしょうか。しかし池田輝政、何故にそんなに芹がw
芹というのも、昨今では七草粥くらいでしかお目にかかる機会も少なく、なかなか現代人には解らぬ嗜好かもしれません。
次に芹を味わう機会があったとき、この逸話を覚えておくと、また違った感慨を持つかもしれませんね!
※修正しましたお恥ずかしいw

同票でもうひとつ!木原屋鋪の事です!
古式ゆかしい技術を持つ大工を家康が召し抱えたというお話。
これを読んでふと思い出したのですが、最近の説として、三河松平氏というのは、もともと土木技術を有する集団であった、
というものがあるそうです。その技能を以って次第に勢力を得た、という話になるそうで。
確かに、徳川軍というのはとにかく土木が得意で、土木で合戦に勝つ、という意識すら見えます。不利な地形なら
地形ごと変えてしまえばいい、という発想がたしかにあります。大阪の陣も真田丸などを土木で封じ込んだりしてますね。
その土木への志向は、最終的に関東地方そのものを大改造したりするのですがw
そんな、土木建築につよいこだわりを持つ家康の話だと考えると、いろいろ示唆に富む物があるのではないか、なんて感じました。


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