週間ブログ拍手ランキング【06/15~/21】

2017年06月21日 19:55

06/15~/21のブログ拍手ランキングです!


容易ならぬ風聞 17

罪も恨みも一切の雑念の消えた新しい世界がそこに 11
彦根藩士は美服奢侈の排すべきを 11

勇者の思い 10
そのときは拙者とて 10
こんなことを言わずに謀叛すればいい 9

つまるところ、武士は詞が大事である。 8
白鷺か何ぞと人の問いし時 8
利勝の知慮は衆人の及ばぬところ 7
加藤の亡魂 7

中国の日本に関する地理誌「東西洋考」によれば 6
ティモシー・ブルック「セルデンの中国地図」より、日本の地名 6
その節諸事に御軽きこと 6

牛頭天王の神慮 5
雑談・茶器についてのことなど 5
「南蛮寺興廃記」より、日本人キリシタンのハビアン、コスモ、ジュモンについて 5
“井伊家の一本槍” 4
姜沆の上杉景勝評 3


今週の1位はこちら!容易ならぬ風聞です!
板倉勝重による、呪詛をある意味笑い飛ばしたと言っていい知的で剛毅なお話ですが、じつに「近世」を
感じさせる話でもあります。中世の歴史を学んでいるとすぐに気づくと思いますが、「呪詛」というのは大事件なのですよね。
上は皇室から下は庶民まで、呪詛が関わる騒動は枚挙に暇が無いほどです。
こういう感覚は戦国期でもそうは変わらず、例えば無神論の合理主義者と言われがちな織田信長でも、武田攻めの際、
畿内の寺社などに武田滅亡の祈祷をさせていたそうです。
ところが近世に成ると一般的に、祈祷や呪詛を、否定とまでは言わないものの、そういった行為を非常に低評価するように
なりますね。そのあたりの変化がどこから来たのか、色々と調べつつ、考えてみるのも面白いかもと、この逸話を読んで
少し思ったりしました。

2位はこちら!罪も恨みも一切の雑念の消えた新しい世界がそこにです!
村越茂助も実に面倒くさい三河者の典型、といった感じなのですが、こういう逸話を読むたびに、三河者というのは、家康のことが
本当に大好きなのだな、と感じちゃいますね。その好きの表現は相当ひねくれていますがw
その不器用さも含めて、三河武士なのでしょう。そういった、三河武士のいいところも悪いところも、能く出ている逸話だと感じます。

同表で2位はこちら!彦根藩士は美服奢侈の排すべきをです!
井伊直孝が言葉を使わずして奢侈を止めさせたお話です。世の中には「言葉にすると角が立つ」というものが、実際多く
有るものです。しかし態度で察してもらうのも、なかなかにテクニックにいることです。
この彦根藩などは、当時のファッションの中心地である京に近い事で、ややもすれば豪華で流行の衣服を身に着けたいという
欲求も強かったことでしょう。それをあたまごなしに禁止しては反発が出る。だからこそ、皆が自主的に考えを改めてくれるよう
もっていくというのは、これも領主、君主の器量なのでしょうね。
こう言ったことが出来るからこそ、家康も井伊家を直孝に任せたのかな、なんて思えてくるお話でした。



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週間ブログ拍手ランキング【06/08~/14】

2017年06月14日 18:53

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藤堂高虎遺訓ニ百ヶ条で、よくわからないもの 21

一つとして難ずるべき所無し 15

男子これなく候へとも、 13
三斎は実は 13

御鷹の鶴の胆(マル)を上げらるるときの咒文 8
「南蛮寺興廃記」より、イエズス会が伊吹山に薬草園をひらくこと 8
「南蛮寺興廃記」より、南蛮寺ができるまで 8

英雄の掘った井戸である故 7
釣り髭であった 7
今は石垣山と呼んでいる 6
三池典太光世の鎌 6

『好き』を止めよ 5
人の挨拶 5
牧野成里、池田輝政の仲介により帰参 5

吉村には似合わぬこと 4
「南蛮寺興廃記」より、キリスト教布教の様子 2


今週の1位はこちら!藤堂高虎遺訓ニ百ヶ条で、よくわからないものです!
実は追加まで含めると204ヶ条ある藤堂高虎遺訓。その中には一見現代人にはよくわからないものもあるというお話ですが、
高虎自身、叩き上げの人だけに、彼の得た教訓も体系化されているわけではなく、そのアドバイスも、この遺訓と同じように、
断片的であったり、ニュアンスを感じろ的な物ではなかったかなと想像できますね。
また彼の遺訓から、豊臣秀長や秀吉の手法も想像できるのではないかな、なんて感じます。

『藤堂高虎遺訓』は伊賀上野城のサイトからも通販できるので、興味のある方、藤堂高虎ファンの方は是非!
http://igaueno-castle.jp/?page_id=24

2位はこちら!一つとして難ずるべき所無しです!
織田家の歴々が、竹中半兵衛の軍略に感嘆するお話です。
逸話ですが時期を想像すると天正5年前後でしょうか?半兵衛は信長直臣であり、秀吉に寄騎として付けられていた筈ですね。
この逸話で面白いのは、半兵衛が自軍の戦略についてだけでなく、敵である毛利の分析について、織田家諸将から感心された、
という所でしょうか。このあたり、当時の「軍師」に求められる物は何かを表しているようで、興味深く感じました。
「軍師・竹中半兵衛伝説形成の過程の一つ」というべきお話かもしれません。

今週管理人が気になった逸話はこちら!
「南蛮寺興廃記」より、イエズス会が伊吹山に薬草園をひらくこと
「南蛮寺興廃記」より、南蛮寺ができるまで
です!
キリスト教関連の話は、やはり主に、当の宣教師たちの記録からの研究がほとんどですが、やはり日本側の記録も、
きちんと見た上でないと見方が偏る、と思います。その意味でこの>「南蛮寺興廃記」は、非常に貴重なものだと思います。
それにしても京の教会を「永禄寺」と名付けようとした、という記事は非常に面白いですね。
これはキリスト教も「寺門」の一つに組み込もうとした、と見ることが出来ますし、この路線で行けばやがてキリスト教の
上層部には、皇族や摂関家、あるいは武家の子弟が「門跡」として入ったことでしょう。いわゆる「権門体制」の中に、
キリスト教も組み込まれてしまうわけですね。
宣教師の側の、キリスト教を日本に広める運動と同時に、日本の側にもキリスト教を体制に取り込む発想があった、
という部分を想像するのも面白いかもしれません。


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週間ブログ拍手ランキング【06/01~/07】

2017年06月07日 18:50

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先んずれば人を制す、という事です 15

六文銭のチョイスが 13

船手のあしらい神妙なり 12
御陣所の体、味方の様子、見及んだ所 11

東照宮物具の御物語 附小野木笠の事 10
松井康之が利休最後の手紙を 9
ある時、皇寛と申す唐人の話に曰く 9

這い出る病 8
重任は威が無ければなしえない 8
都ははるのこしきなりけり 5
下総守の判断 4


今週の1位はこちら! 先んずれば人を制す、という事ですです!
ここに出てくる「伊賀甲賀のあぶれ者たち」というのはいわゆる傭兵の足軽集団なのでしょうね。それが本能寺の変の勃発で
不穏な様子が見えたので、貴重な戦力ではあるがこれを帰国させる、という事なのでしょう。
このお話からは、同じような傭兵的軍勢を多く従えていたとされる織田信孝の四国攻めの兵が、本能寺の変の影響で
多く逃亡したという話を思い出させます。いざという時頼りに出来ない戦力を抱えるのは、リスキーにすぎるという判断も
解るような気がします。当時の、ギリギリの危機管理を表したお話だな、なんて思いました。

2位はこちら!六文銭のチョイスがです!
こちらは海外での「サムライグッズ」のお話。清朝銭だと、真田よりずっと後の時代のものになってしまいますねw
「銭」であればなんでも良いだろうという、なんとも言えない適当さ。嫌いではありませんw
しかし清朝銭の頃に成るともう、日本は江戸幕府が寛永通宝などの「独自通貨」を発行していましたから、
日本国内に広く流通する、ということはありませんでしたね。
ギリギリの所で日本史への登場を逃した(?)通過、と言えるかもしれません。
それが巡り巡って遠く海外で戦国グッズのデザインに取り入れられるのですから、世の中とは不思議なものですねw

今週管理人が気になった逸話はこちら!
船手のあしらい神妙なり
御陣所の体、味方の様子、見及んだ所
この2つ!村上通清さんのお話です!
この方、元は毛利から離反し羽柴秀吉についた来島村上氏の一族ですが、経歴が非常に面白く、海賊停止令が出ると
さっさと来島家を致仕して黒田家に仕えたと思えば、そこも離脱し関ヶ原は西軍として戦い、その後福島正則に仕えるといった、
「西国系つわもの」という趣があります。最後は人材マニアの南龍公・紀伊頼宣に召されるのも、勇者の面目を感じます。
そんな興味深い人物の、いかにも戦玄人な内容のお話2つ、非常に興味深く読みました。



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週間ブログ拍手ランキング【05/25~/31】

2017年05月31日 22:04

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溝ノ口岩穴祭の奴踊り 26

谷太郎左衛門、戦での心得 19

敵城に飯を炊く煙が立ち上った故 16
「フロイス日本史」から、戸次川の戦い 14
彼らが通過した後には、何一つ 14

あまり有名でなく高尚でもない男であった 11
かほのしはすをのべて参らん 10

中里介山「大菩薩峠」の「伊達政宗と細川忠興で半分こ」 9
〔若州〕小浜城の旧地、泣珠明神之こと 9

三ヶ条ほどは珍しいことを 8
天下は御前に参るでしょう 6


今週の1位はこちら!溝ノ口岩穴祭の奴踊りです!
非常に興味深い内容で、様々な想像が膨らみますね。薩摩では様々な祭り、風習の起源は島津氏関係になっている
事が多く、名実ともに島津王国なのだなと感心させられます。
このような祭りなどは鎌倉初期の、島津氏入国以前に遡ることもできそうなのですが、歴史の古さより島津氏所縁であることの
方が重い、という事もあったかもしれません。
祭りの存続には色々とご苦労が多そうなのですが、末永くこの伝統を守っていってほしいと、部外者の身勝手な思いではありますが、
本当にそう思います。

2位はこちら!谷太郎左衛門、戦での心得です!
これはまた身もふたもないほど現実的な、武功のノウハウについてのお話ですね。
戦術上の必要性など一切触れられておらず、とにかく功を認定されるために何をすれば良いかのみが語られています。
「評価が低いので弓鉄砲を習得するのは無駄」など、いっそ清々しいほどですねw
このような考え方は、実際に鑓働きをする戦士たちにとってまごうことなき本音であったのでしょう。
彼らは大名家や公儀ではなく、まず第一に自分や自分の家のために戦っているのですから。
そういった思いをいかにコントロールして、強力な戦力に成すことこそが、戦国大名の「器量」というものでもあったのでしょう。
戦国時代をより多層的に見るきっかけをくれるような逸話だな、なんて感じました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!「フロイス日本史」から、戸次川の戦いです!
流石に当時の豊後府中といえば、キリシタンにとっての本拠地の一つといっても良い場所であるだけに、薩摩軍の進行に
混乱する府内の様子が、非常にリアルです。
また薩摩軍の有能さ、勇猛さも非常によく描かれていますね。仙石秀久たちを壊乱させたのが、銃撃をも気にせずの
刀剣突撃だったなど、戦術史を考える上でも非常に興味深いです。
もちろんキリスト教宣教師という立場で書いたものである以上、無批判に信じるのは危険ですが、当時の現場の空気を知っている
人による記録として、高い臨場感の有る著述だと思います。


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週間ブログ拍手ランキング【05/18~/24】

2017年05月24日 19:17

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加藤清正石垣の上手なる事 14

「肥後のからしれんこん」 12
物音の響に差別あり 12
黒田如水の大名論 12

直江兼続は断じて反対し 9
博打を用いる 8
蜂須賀もとに 澄水の 8

阿波殿へは御感状を下された 6
遺物は武具と書籍のみ 5
林家の古き家紋に、杏葉牡丹を用ゆること 5
直江兼続の衣食住は 3


今週の1位はこちら! 加藤清正石垣の上手なる事です!
加藤清正と言えば熊本城、熊本城と言えば石垣、と言われるほど高名な、清正の石垣技術。前にNHKNの番組の中でも、
この石垣について特集されていましたね。
その番組の中で意外だったのは、熊本城の石垣技術は朝鮮役で身につけたものではなく、その後の慶長伏見地震での
伏見城倒壊といった経験より生まれたものではないか、という推察です。
考えてみれば高石垣の城郭というのは、少なくとも本格的なものは安土城からというごく新しい技術であり、
清正の時代辺りまで、様々な試行錯誤があったことでしょう。
高石垣城郭の技術的確立期の巨人の一人。清正をそう捉えてもいいのではないかと思いました。

2位は3つ!まずはこちら「肥後のからしれんこん」です!
清正から肥後熊本を受け継いだ細川家、その忠利による「名物誕生」の物語。
からし蓮根が、お殿様一人のための料理、というのは面白いですね。事実かどうかは別として、からし蓮根という
料理にある種の「貴重性」を付与していると思います。こんな話聞いたら、やっぱり食べてみたく成るじゃないですか。
細川の殿様気分になってw
そしてお子様の一緒に歴史を楽しんでおられて、たいへん微笑ましく思いました。
歴史をこうやって身近に感じて成長できるのは、素敵な環境だなと、羨ましく思いました!

次は物音の響に差別ありです!
日根野弘就による、戦場における一種の観察眼のお話。
音の響きによってその虚実を知るという、いかにも歴戦の勇士という内容です。その機微というのはなかなか凡百には
理解し得ないものなのでしょうが、戦巧者という人たちは、このような研ぎすまされた感覚によって、武功を上げ、あるいは
生き残って来たのだなあと、その凄みを感じちゃいますね。
戦場に限らず、日常生活でもおそらくあらゆる場所で、こういった機微は存在するのでしょう。
それを感じられるかどうかが人生を左右する、という意味では、現代の人々にも教訓と成るお話かもしれません。

最後にこちら!黒田如水の大名論です!
まあ皆さんの想像通り、これは黒田長政のことを言っているのでしょうね。だって古郷物語ですからw
如水や他の人々の口を借りて遠回しに長将のやりようをDisる、というのは古郷物語の基本パターンでもあります。
著者はよほど長政の治世に含むところがあったのでしょう。
個人的には黒田如水と長政を比べた場合、比較するベースが違うのは確かでしょうが、黒田家を大大名として飛躍させたのは
間違いなく長政であって、そのスケールでは父如水を凌駕していると考えていますが、世の中はその基礎をを作った人を
評価しがちですね。まあ古郷物語の長政評価はそういうのとはまた別なのでしょうけどw
そんなことをいろいろ考えたお話でした。


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週間ブログ拍手ランキング【05/11~/17】

2017年05月17日 14:04

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新納が申した如く 31

その事の始末を探求し 21

ひえもんとりの話し 17
養徳院、孫の池田輝政に宛てた遺言状 14

「武田の弓矢は今、頂上に登った」 13
判官殿の鞍 13
滝川はよく察したようだ 12
元来片鎌である 6


今週の1位はこちら!新納が申した如くです!
沖田畷の戦いの際しての大将の選択についてのお話です。情報の時点と実戦の時点での、慎重さと大胆さは別で、
この場合実戦に対して慎重な島津家久を選ぶべきだという新納元忠の提言。
結果から見れば当然の選択だ、などもも思えますが、見方が少人数であれば現場で大胆動く人物のほうが良い、という見方も
当然有るわけで、ここからは新納元忠の、味方だけでなく敵の龍造寺軍も含めた、深い洞察を感じます。
それにしても新納元忠は武勇あり智謀あり、そして歌をはじめとした教養あり。当時の薩摩武士の良いところを、全部
集めたような人物ですね。さすがは親指武蔵ですw

2位はこちら! その事の始末を探求しです!
竹中半兵衛による、武功話を聞く歳の、あるいは話す際の心構えを説いたお話。
表面的な、誰が功をなした、誰が手柄を立てた、という話はいくら聞いても意味がない。一連の流れの中でどうやって始まり
いかに終息し、その要点はなんであったか、そこを考えないといけない、という事なのでしょう。
これは現代でも充分に通じるお話ですね。例えば、歴史・軍事だけでなく、政治やビジネスに関する本を読むときも、
そこを考えながら読むことで、身になり教訓として得られることも大きく違うと思います。
戦国期や江戸期でも、軍記物や武功話はスーパーヒーローの大活躍の物語、と捉えられる面が大きかったフシがあります。
その中でこういう逸話の残る竹中半兵衛という人はやはり、理知的な人物という印象が強かったのでしょうね。
そんなことも思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!ひえもんとりの話しです!
幕末における、薩摩の習俗として有名な「ひえもんとり」のお話。これは非常に興味深いですね。
ひえもんとりをしていたのは士分ではなく農民(郷士?)、また死刑囚の肝臓がなくなるのは他の藩でも一緒、など、
現在広まっているひえもんとりのイメージからは、かなり違った姿が想像できます。
ひえもんとりに限らず、幕末までの「薩摩藩」というものに対しては、実態以上に「野蛮」イメージが強くついていると思います。
これは幕末期に、薩摩藩の側があえて自分たちを強く見せるため、その野性的強靭さを強調した面や、またそれと対峙した
江戸幕府や西南戦争期の明治政府が、彼らを「文明の敵」としたプロパガンダの面、そういったものがないまぜとなって
一種の伝説化した、と考えてよいのでしょう。実際の薩摩というのは、例えば公教育の面などで京や江戸などの先進地域と
比べると遅れていた面は確かにあったと思いますが、当時の九州全体から見れば特筆するほどの個性ではなかった、
そういうふうに相対的に見たほうが、薩摩藩というものの本質に近づけるのではないかな。なんてことも感じました。
そもそも島津家だって、京下りの西遷御家人であり、そもそも摂関家の職員だった家柄ですから、文化的な素養も強いのですよね。
なんてことを考えました。



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最近読んでいる本(外出するかばんの中に入っている)
DSCF0410.jpg
・列島を翔ける平安武士 九州・京都・東国
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b280811.html

過去、武士の発生を地方に求める論が盛んでしたが、昨今では武士とは地方ではなく、京を中心に生まれた階層であるという
考えが広がっています。この本では、その武士が、どのように地方へと広がっていったのかを描いており、非常に説得力が
あります。島津家についても詳しく描かれていますよ!

・越天の空(下)
https://secure.ikaros.jp/sales/list.php?srhm=1&tidx=0&Page=1&ID=3219

いわゆる架空戦記物の系譜を強く引き継いでいる本であると思います。細部をとてもリアルに描いていますが、
設定で重くなりすぎて居ないところも好きです。コミック版も面白いですよー

・中世ヨーロッパの騎士
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062924283

よく「武士」と比較される、中世ヨーロッパの「騎士」ですが、一般には騎士について、創作物などから来るイメージで
語っていることが多いと思います。この本は、アメリカにおけるヨーロッパ中世研究の大家である著者による、騎士の実態と
その盛衰を描く、非常に面白い本です。これを読みながら、武士と騎士は何が同じで何が違うのかを考えてみるのも
楽しいと思います。
僕も読み始めですが、騎士というのは武士と対比すると、地侍に近い存在かな、なんて印象を持ちました。

週間ブログ拍手ランキング【05/04~/10】

2017年05月10日 08:37

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「なるほど」 27

不届きに付き、かくの如くせしむる 16

潔く自殺などするはおと等の事よ 11
義政は公儀を知らず 9
門役の大切 8

贔屓が強い、ということは 7
天下の干城 2
法性院阿闍梨 2


今週の1位はこちら! 「なるほど」です!
名奉行・板倉勝重のお話。死体の「生活反応」を見て犯罪を見抜いていますが、この話の真偽とは別に、
当時の操作も、経験則的にこういった知識が蓄積されていたのだろうな、なんて想像します。
そういえばこのような、犯罪捜査を含む治安維持は、鎌倉期は私権の範囲にあり、一種の利権でもあったそうです。
それが室町期から徐々に公的な社会的義務となっていき、近世になって公共性がほぼ確立されるのだとか。
このあたり、西田友広先生の『悪党召し捕りの中世 鎌倉幕府の治安維持』に詳しく述べられていて非常に面白かったです。
ご興味の有る方は、ぜひご一読を

2位はこちら!不届きに付き、かくの如くせしむるです!
大久保忠隣没落のときの、忠臣のお話。近世の主従関係とはまた別の、戦国的な人格で繋がった主従関係を
彷彿とさせますね。それと同時に、当時の大名権力が停止されたとき、どんなことが起こるのかということも示唆して
いるようです。現代でもそうかもしれませんが、権力秩序の崩壊は、すぐに自力救済社会の復活につながるのですね。
そこで治安維持に有効なのが、また自力救済の戦国時代的な主従関係、というのも面白いと思いました。
いろいろなことが読める逸話でも有りますね。

今週管理人が気になった逸話はこちら!義政は公儀を知らずです!
最近はわりと再評価の機運も高い足利義政、現在大ヒットしている呉座勇一先生の『応仁の乱』でも、相応の責任感を持って
政治に当たる義政の姿が著されています。
後世、足利義政が文化に溺れて政治を蔑ろにした、という印象を持たれたのは、一つには戦国から近世初期にかけて、
文化面における足利義政の「好み」が、大きな影響力を持ったことがあったと思います。
『銀閣』よりひろまる有名な「書院造」はもちろん、真偽は別として、茶の湯も義政由来とされる茶器、作法が大きな権威を
持っていました。戦国武将が出陣前によく食する「湯漬け」ですら、義政による発明とされ、義政由来の作法があったほどです。
そのような後世への大きな影響力から逆算され、文弱将軍とされたのではないかなあ。なんて考えていたりします。


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2017年05月03日 18:47

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苦辛城(くららじょう) 27

島津豊久が関ヶ原にて討ち死にしたのは 20

「功者の料理人」 15
その勇功といい義を守ることといい 14

嘆きの中の喜びとはこのことです 11
御感状お望みのことは 10
頂いた白瓜は 10

生きて五鼎に食まずんば、死して即ち五鼎に烹られん! 8
誠の忠臣と言うものは 7


今週の1位はこちら!苦辛城(くららじょう)です!
名は体を表す、とはよく言いますが、体の方も名に合わせてしまう事がある、という事を教えてくれるようなお話です。
確かに、”苦辛城”ではもう字面から直感的に、辛く苦しい戦いがここであったのだろうな、と思ってしまいますね。
その前の”鞍良”がわりと平和で文化的なイメージをもたらすだけに、一層ギャップを感じます。
表意文字である漢字の特徴かもしれません。
それにしても「後世になるほど伝承が勝手にできる」というのは、戦国に限りませんが、遺構、遺跡によくあることで、
研究などでも「民間伝承」を鵜呑みにして判断すると、大きく間違える結果になりがちです。
下手すると4,5年で出来ちゃうんですよね、「民間伝承」

2位はこちら!島津豊久が関ヶ原にて討ち死にしたのはです!
島津豊久の討ち死にの様子について、彼の死後に薩摩武士たちの集団自決があった、という説が、およそ江戸中期くらいには
存在したらしいというお話ですが、これは豊久の英雄性、その身を犠牲とした英雄性をより強調するために追加された
ものなのでしょう。
ここから見えてくるのは、島津義弘らが退却できたのは、ひとえに豊久の英雄的犠牲のおかげだった、という認識が、
当時の人々の間に広く共有されていた、という部分でしょう。そしてそんな豊久を。一人で死なせたくない。そんな気持ちが
働いたのではないでしょうか。
島津豊久は生前もそうでしたが、死後も薩摩隼人たちに愛された。そんなことを感じさせてくれる逸話かと思います。

今週管理人が気になったお話はこちら!嘆きの中の喜びとはこのことですです!
やはりここから見えてくるのは、当時の「家」を中心とした社会認識でしょうか。
秀吉は池田恒興・元助親子の討ち死にを共に嘆きつつ、輝政・長吉が行きていることを賀すとし、また彼らに池田家の
家中スタッフを継承させるとして、新たな池田家運営についての「覚悟」をも迫っています。
ここからは、当主、および嫡男であった恒興・元助の死は悲しむべきことながら、家の運営主体が残っていたことは喜ばしい
事態であり、何よりも大切なのは家の運営であるという価値観です。こう言った認識から、当時、家が法人であったという事が
よく見えてくると思います。
こう言った認識は実は武士だけでなく、この時代一般のものだったりしますね。
戦国時代を見る時、個人に焦点を当てるばかりではなく、こういった部分を忘れないようにするのも大切なことだと思います。
そんなことを思い出させてくれた内容でした。


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2017年04月26日 08:36

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上田宗箇の剛勇 20

岡本加介の討ち死に 14

雑談・楠葉西忍について 10
蘆名盛隆の悪い癖で 7

名ある勇士である上は 5
この人にこそ、必ず国郡を保つべき威がある  5
案の定、長野を討ち取り申した 5

この両人を以て優れた勇者と 4
遠吠えしてぞ 返る犬山 4
乗するかごしま担うぼうのつ 4


今週の1位はこちら!上田宗箇の剛勇です!
上田宗箇といえば、大阪夏の陣では樫井の戦いでの活躍が有名ですが、彼の「武名」のはじめが、火事騒ぎでの
指揮であった、という指摘は面白いですね。火事も合戦も、人の生き死にのかかる緊急時での指導、統率力が問われますから、
そういう部分で評価されるものだったのかもしれません。
その一方で、矢弾の飛んでくる中で大筒の上に乗るというのは、実に豪傑的です。
指導力と豪傑姓、二つ併せ持ってこそ「勇者」というのが、当時の感覚であったのか。そんなことをふと感じました。

2位はこちら!岡本加介の討ち死にです!
小牧長久手でも名を成したという、戦場のベテランと言っていい人の大阪の陣。
この時代の、個人的武功と組織的な利益がどう知り合わされていたか、なんとなく見えてくるような逸話です。
それにしても岡本さんがその最期、考えた通り後藤又兵衛の間近にあって討ち死にしたのも、彼の栄誉と言えるのでしょう。
武士という存在の凄まじさも、確かに感じさせてくれる、そんな逸話だと思いました。

今週管理人が気になったお話はこちら!雑談・楠葉西忍についてです
楠葉西忍といえばその出自の不思議さもあって、あの時代を取り上げる歴史小説、伝奇小説では、時代の怪異性の強調要素として
非常に便利扱いされる人でもありますw
しかし、呉座勇一先生の「応仁の乱」にも出てきましたが実態は、有能な人なのは確かであったのでしょうが、当時の
公的機関にも食い込んでいる典型的な商人、という感じですね。「設定」だけを見て人物を判断してはいけないなあ、
と思わせてくれる人物の一人でもあります。
そして日本にイスラーム教徒が来ていなかったのか、というお話ですが、元寇の時のモンゴル兵の内、何人かは
イスラム教徒であったのだろうな、とは想像出来ますね。それ以外にも、個人的にイスラーム教徒であった人物は、
特に中国南方から日本に渡来していたと思います。だとしたら何故、日本にキリスト教以上に、イスラームが根付かなかったのか、
これは「解らない」としか言いようがないですね。
もしかすると、中国におけるイスラームは元の時代に広まったこともあり、元寇の記憶から、イスラームも親元勢力として警戒された、
ということがあったのかもしれません。ちょうど近世初期にスペイン・ポルトガル勢力とカトリックが同一視されたのと似たような話で。
もちろん文献にそう記されているわけではありませんが、そういう想像も有りうるかなと思っています。



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週間ブログ拍手ランキング【04/13~/19】

2017年04月19日 17:35

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自分の手で頸をもたげ 16

岐阜城攻めと城受け取りの時の争論 13
岐阜城攻めのくじ取り 13

人間無骨の槍 12
ギョーム・ポステルの日本観 11
金森長近の質素 11

「太平記」とよばれる歴史物語 10
「『ちゃんきのもんき』、とは何だ?」 10
これ故に先立って戦死を遂げる 7
よむいろは教ゆる指の下を見よ 7

杉江勘兵衛を討ち取ったのは 6
三引の下に山の字を加ふときは、さんざんの唱 6
龍造寺隆信「塚崎の湯」 5
軍令違反者には御宥恕がなかった 4



今週の1位はこちら!自分の手で頸をもたげです!
北条家の武士、勝田八左衛門さんのすさまじい生存劇。まあ「半ば斬られた」などは流石に文飾が入っているのでしょうが、
もう助からないと思われた重傷でも、自分で生存をアピールしたその生命力には感嘆の念をいだきます。
こういう話を見ると、少なくとも関東では、武士とは生命力、という気がしてきますね。
最悪の戦場に放り込まれても行きて帰ってくるのが良き武士、なんて思えてきますし、それは当時の認識から
そう離れては居ないのだろうなと。
そんな事を思わせてくれる逸話でした。

2位はこちら!岐阜城攻めと城受け取りの時の争論です!
岐阜城攻めとその受取で、福島正則が我を通したお話ですが、このあたりはどうも、後に正則が改易されたことから逆算して、
関ヶ原当時から協調性がなく反抗的だった、というように想像されたというフシが有り、どうも実際には大きな摩擦は
無かったんじゃないか、なんて言われたりしています。福島正則も流石に、東軍の協調を乱すのはどういうことかを解っていた
はずですからね。じゃあ伊奈昭綱の切腹はどうなのか、というと、アレは家中の統率が関わるのと、敵が消滅した以上
家康は良くも悪くも豊臣家筆頭家老の地位に「戻る」と考えた意識の齟齬かなあ、とも。
わりと有名ですが、色々考えされてくれる逸話だと思います。

同票で2位はこちら!岐阜城攻めのくじ取りです!
こちらも岐阜城攻めのお話ですが、多くの諸将が大手攻めを望んで、搦手を嫌がった、と言うのは面白いですね。
合戦において大手がメインストリート、搦手は裏路地、という意識があった、ということでしょうか。
ただ、どうも城において「大手」「搦手」をことさら分けて考えるのは近世かららしく、戦国期はあまり区別しなかった、
ぶっちゃけ「どうでもよかった」という説もあります。
こういう事を考えると、大手か搦手かで争ったというのは、見栄の問題ではなく戦術上の問題に起因する可能性があり、
そういうところを見ながらこの逸話を読むと、新たな発見があるかも、なんて思いました。



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週間ブログ拍手ランキング【04/06~/12】

2017年04月12日 18:21

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勝茂さまの御願文 23

そしてほのかに笑った 22

上様団子 18
家康、結城秀康を上杉景勝の押さえに 16

心気に錆が付かない様に 12
織田有楽の殊勝な茶の湯 12
1616年(元和2年)、イスパニヤ国王より伊達政宗に贈りし書簡 9
週間ブログ拍手ランキング【03/30~04/05】 9

長谷川甚兵衛は非常な勇士であり 7
狂言、鷺仁右衛門、五徳の紋所。鷺と称する苗字の事 7
高安家、豊閤より賜し陣羽織之旧談併家紋巴之由来 7

神子田は戦功多しと雖も 6
無用な御心づけであった 6
近頃、良将と言い慣わしているのは3人である 5
雪打ちで結城討ち 5
その働きは職分には含まれていない 5


今週の1位はこちら!勝茂さまの御願文です!
この、非常に親心的な願文。たしかにいかにも鍋島家らしい、暖かさのある内容です。
ふと思いましたが、江戸期の鍋島と言えば学問に非常に熱心で、テストの成績で家格すら上下するという、恐るべき
教育藩だったといいます(そのあまりの上からの学問至上主義への反発から大隈重信が早稲田を創立したという話も)。
で、この願文、そのまま現在の進学校、あるいは予備校のモットーにしてもいいですねw「浪人が出ないように」あたり、
一層の切実さが出るような。どこかの進学校か予備校が取り入れませんかねこれw

2位はこちら!そしてほのかに笑ったです!
足利義政・義視兄弟のエピソード。足利の兄弟で、非常に仲がいいのに最終的に鋭く対立した、といえば、やはり
初代将軍足利尊氏と直義兄弟を思い出さずにいられません。彼ら兄弟の対立が(正確には直義と執事高師直の対立ですが)
観応の擾乱という、全国を覆う争乱となりました。
その後も足利義持と義嗣、関東では足利成氏と尊敒、足利高基と義明など兄弟の闘いが見られるのは、
「同族殺し」河内源氏の血の故か、なんて事も思ってしまいます。
しかしこのお話は、義政が政治的には対立していても、心では弟義視を愛していたというお話で、これを聞いた時、
義視は心中なにを思ったか、様々に想像の膨らむ内容だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!上様団子です!
あの曲直瀬道三が信長に対し、こういう役割をしていたとは。これもある意味、「名医の技」と言うべきでしょうか。
権力というものはやはり、緩衝材が必要で、それがないと使われる側だけでなく、使う側すら傷つけてしまうものです。
このエピソードも、「この程度のことで」小姓を処分しては、京の世論はさらに囃し立て、信長の評判を損ねたことでしょう。
そこを上手くいなしたのが、「名医」曲直瀬道三だというのが、この逸話のキャスティングの妙だなあ、なんて感心しました。


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週間ブログ拍手ランキング【03/30~04/05】

2017年04月05日 21:35

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薩隅の戦国お菓子 これもち(これがし) 27

我と等しき芹好き 13
木原屋鋪の事 13

「戦闘技術の歴史」5東洋編Fighting techniques of the oriental world より、戦国時代の描写 11
勝茂さまが御家老たちに、 11
今川家崩壊 10

このせいだろうか、家来に優れた功者は 8
伊達政宗よりローマ法王に贈る書簡 8
永禄三年(1560)の就職ランキング改訂版 8

支倉常長、スペイン国王宛書簡 7
今西春房と娘の大蔵姫 7
傘下国人の統制が利かない北伊勢諸家 7

高安家、豊閤より賜し陣羽織之旧談併家紋巴之由来 6
治部大輔義龍は悪逆不孝で 6
無用な御心づけであった 5
藤堂氏蔦の紋の事 5


今週の1位はこちら!薩隅の戦国お菓子 これもち(これがし)です!
鹿児島の、朝鮮役由来のお菓子についてのお話。朝鮮役で捕虜となった陶工の村を守るのに、朝鮮から檀君が現れた、
という話も非常に面白いですね。民族と神、信仰について、いろいろと考えさせる伝承だと思います。
そしてお菓子について、鹿児島の「高麗餅」と韓国の「シルットク」、形状は確かに似ているのですが、内容はだいぶ違う
お菓子のようで、そこに歴史、風土の違い、というものを見ることができそうです。
たいへん様々なことを考えさせてくれる、良い逸話だと思いました。

2位はこちら!我と等しき芹好きです!
同類相憐れむ、というような逸話なのでしょうか。しかし池田輝政、何故にそんなに芹がw
芹というのも、昨今では七草粥くらいでしかお目にかかる機会も少なく、なかなか現代人には解らぬ嗜好かもしれません。
次に芹を味わう機会があったとき、この逸話を覚えておくと、また違った感慨を持つかもしれませんね!
※修正しましたお恥ずかしいw

同票でもうひとつ!木原屋鋪の事です!
古式ゆかしい技術を持つ大工を家康が召し抱えたというお話。
これを読んでふと思い出したのですが、最近の説として、三河松平氏というのは、もともと土木技術を有する集団であった、
というものがあるそうです。その技能を以って次第に勢力を得た、という話になるそうで。
確かに、徳川軍というのはとにかく土木が得意で、土木で合戦に勝つ、という意識すら見えます。不利な地形なら
地形ごと変えてしまえばいい、という発想がたしかにあります。大阪の陣も真田丸などを土木で封じ込んだりしてますね。
その土木への志向は、最終的に関東地方そのものを大改造したりするのですがw
そんな、土木建築につよいこだわりを持つ家康の話だと考えると、いろいろ示唆に富む物があるのではないか、なんて感じました。


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永禄三年(1560)の就職ランキング改訂版

2017年04月02日 16:48

776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/01(土) 18:41:39.47 ID:C+rOU86v
新入社員に向けてのメッセージをひとつ

永禄三年(1560)の就職ランキング改訂版


SS 朝廷
------------------------------神
S 足利 今川 本願寺(内勤) 高野山
------------------------------公家
AA 武田 三好(畿内) 上杉 毛利 比叡山
------------------------------名門
A 大友 北条 朝倉 六角 三好(四国)  
------------------------------準名門
B 織田 島津 幕臣 武田家臣団
------------------------------有力
C 浅井 斎藤 龍造寺 長宗我部
  伊達 葦名 佐竹 南部 根来・雑賀集 
------------------------------高学歴はここまでには入りたい
D 最上 里見 姉小路 伊東 北畠
  結城 浦上(備前) 尼子 織田家臣団 
------------------------------地元有力
E 蠣崎 松平 若狭武田 波多野 神保 赤松 畠山 三好(松永)
------------------------------親戚にはあまり言えない
F 本願寺(末端ソルジャー) 切支丹(外資) 島津(前線配属) 古河公方
------------------------------殉職必至



778 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/02(日) 07:08:03.45 ID:QrnSpgKW
>>776
堺の町衆はどの辺なんだろな

779 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/02(日) 09:22:09.38 ID:+3bqmH24
>>776
古河公方はすごいよ
関東平野にあれだけ有力大名が群雄割拠していながら古河公方に引っかき回されてまとまらず
北条陥落後はなにも出来ずに秀吉に踏みつぶされてしまったんだから
最後は中身の無い権威だけの存在になってんのにそれでも支持されて戦国末期まで生き延びてんだから不思議なもんだ

780 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/02(日) 09:40:51.73 ID:JAydz93t
戦で散々負けまくったのに最後まで生き延びた堀越公方の孫もいたな

781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/02(日) 11:12:25.72 ID:Bg3aR8ni
常陸の不死鳥さんか

782 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/02(日) 11:28:34.39 ID:ZqjUGdIZ
一輝さん?

週間ブログ拍手ランキング【03/23~/29】

2017年03月29日 19:08

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猿楽の日の論争 16

戦国クラスタが作る!永禄3年(1560年)の全国戦国大名戦力図 16

アフォンソ・バズという人物一人を殺してしまった。 14
敵を射伏ば自軍の利。後まで苦しめるは不仁の業 13

之を以て、予が為した所を批判せよ。 11
とにかく大砲を早くよこせ 10
小早川隆景の学校、太田道灌釈菜の和歌 9

春日周防の徒党の磔 6
文禄元年、フィリピン諸島長官ゴメス・ペレス・ダマ・マリニヤスより豊臣秀吉に贈りし書簡 5
後悔すること無かれ。 5

夫死して妻を取り殺す事 4
後に剃髪して道三入道 3
秀頼藪之事 3


今週の1位はこちら!猿楽の日の論争です!
池田輝政の論争禁止のお話。このような論争禁止というのは、いわゆる「喧嘩停止」として、戦国期以来、大名が非常に重視した
政策の一つかと思います。とにかく騒ぎを起こすな、何かあったら大名権力に訴えてその判断に任せよ。というのが戦国大名の
基本姿勢のようなもので、これがいわゆる「喧嘩両成敗」法を生むわけですが、これは当時の喧嘩、論争が、即武力を伴った
衝突に至るものであった、という事が大きかったようです。大げさでなく、喧嘩させないことが「安全保障」だったのですね。
で、こちらのお話は、その論争禁止に対して、いざ騒ぎが起こった時の「下の側の対応」を感じさせるお話ですね。
禁止されても喧嘩論争は起こる時は起こってしまうもので、それは発覚すれば処罰を免れるためあの手この手でごまかしたで
あろう事、容易に想像できると思います。その「一例」(?)を記録した、という感想を抱くお話だと思いました。

2位はこちら!戦国クラスタが作る!永禄3年(1560年)の全国戦国大名戦力図です!
僕もツイッターでこれが作られる過程を見ていまして、凄いものだと感心しておりました。
このレベルの勢力図が教育で使われれば、一般の人の戦国期に関する認識も、大げさでなく大きく変わるだろうなと
感じました。
また、この地図について、レスやコメントの中でも幾つかして気が出されていますが、気がついた所があれば、地図の
製作者である世戸口政親 @Fransisco1530 さんに、この期間この地域はこうであると、できるだけ具体的に指摘が有れば
世戸口さんのご参考にし易いと思いますので、思う所有る方はぜひ、そのようにお願い致します。

今週管理人が気になった逸話はこちら!之を以て、予が為した所を批判せよ。です!
いろいろな情報が読み取れる書状だなと感じました。その反論からキリシタン追放令やサン=フェリペ号事件についての批判が、
秀吉にちゃんと伝わっていた、というのが非常に興味深く感じました。
しかしこの時期の秀吉の外交文書というのはどうも、相手に対する把握が非常に雑、という気がします。
言葉風俗の同じ日本の大名に対しての外交文書と一緒にしてはいけないとは解るのですが、天下統一の過程での
交渉相手に対しての非常に細やかな把握と比べて、やはり大雑把にすぎるという感覚を持ってしまいます。
これが外交に関してだけなのか、内政においても似た傾向があったのか、そういった部分を考えると、後期豊臣政権の
姿が、又少し違った形で見えてくるかもしれません。


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週間ブログ拍手ランキング【03/16~/22】

2017年03月22日 10:34

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今は、天下創業の御政務である。 16

用来の用、不用の用、明勝の用 11

明主の賢慮は推量し難い 10
「法度は改め変える事なかれ。年貢は少なく取ろう」 10

1567年(永禄10年)、豊後の王よりの書簡 9
平手政秀は優美な男であった 9
糞瓶の運上まで取っていく 8

これよりしてこそ、信長公の名誉は  7
サウジの国王が来日で混乱どころの話じゃないレベルで 5
「さざえ”あわびのかみ”になられたのだ。」 5
秀吉公は神明を仰がれられて 2


今週の1位はこちら!今は、天下創業の御政務である。です!
江戸幕府初期の幕僚の思いを、土井利勝が語る逸話です。
実際に江戸幕府は創業の時代を「武断政治」と定義していて、まあ要は「社会の安定を脅かしそうなモノは何でも容赦なく
潰すぞ」みたいな発想です。秀忠、家光期に外様譜代の区別なく大名の改易が多かったのは、そういう考えがベースに
あったようです。
ただそういう乱暴な政治は長続きしない、という考えも江戸幕府は同時に持っていて、社会の安定を一定のレベルで達成したと
判断された家綱、綱吉期に、「文治政治」に転換されます。
「平和で安定した社会」は、当時の日本人が誰も経験したことのないものであり、初期江戸幕府というのはそれを、かなり自覚的に
定着させようとしています。その目標に向かっての幕府の高級スタッフの矜持とはかくなるものであった、というものを
感じさせる逸話だと思いました。

2位はこちら!用来の用、不用の用、明勝の用です!
徳川家康の、家中の人々の用い方についてのお話。
やはり面白いのは、「役立たずでも捨てるべきではない」という部分でしょうか。そこから「賢い子供が生まれてくるかもしれない」
という発送は、実に封建時代的ですが、「イエ」と言うもの自体、一族血族が全体としてフォローし合いイエ共同体を維持発展
させる、という発想の在るものですから、そういう「イエの原理」を認めたものと考えていいかもしれませんね。
あるいは「主君にバカが出ても忠誠を強要されるんだから、家臣にバカが出ても許されるべき」という考えかもしれませんw
色んな意味で、近世の家中というものの発想を表している逸話じゃないかな、なんて思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!平手政秀は優美な男であったです!
平手政秀の優美なその行動。平手政秀といえば「若い頃の信長に右往左往する爺」といったイメージが、やはり強いかと
思いますが、こういう逸話を見ると、非常に水際立つ武士だったと感じさせますね。
平手さんもそうですが、歴史上の人物の世間的なイメージと実態って、相当別物です。歴史を学ぶ面白さの一つに、
「この人、こんな人だったのか!」という発見があると思います。そこから、同じ歴史上の事象でも、それに対する解釈が、
自分の中でどんどん変化したりもします。
この逸話も、そういう取っ掛かりをくれるものじゃないかな、なんて思いました。


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週間ブログ拍手ランキング【03/09~/15】

2017年03月15日 19:12

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山口さんお疲れ様です。 45

讃岐守の子は油断できない 22

「織田信長は類なき大うつけ者」 15
大河ドラマ応援エピソード 12

大人・公子の御身として、幽霊女の真似など 10
此の方の宛名は何と書いた 10
すなわち御名を織田三郎信長と付けなさる。 10

髪に伽羅を 9
もはやというところで余りの苦しさに 8
三州山中八幡の事  7

「父は知らず。母は官女」 6
賊軍の平行長から 6
平戸広前院、壱岐覚音寺、田平弥勒寺、城下正安寺、誓願寺等鐘之事 6

坂田五郎左衛門、穴沢左近と勝負之こと 付異聞 5
種子島蔵人 5


今週の1位はこちら!山口さんお疲れ様です。です!
この山口直友という人、かなり不思議な人物で、丹波赤井氏出身なのですが何故か信濃山口氏を相続しいつの間にやら
徳川家康に仕え近習と成っていたりと、徳川家中でもかなり珍しい経歴の人ですね。
なお、この、かなりアクティブな経歴からは「ホントかよ?」と思ってしまうのですが、病弱だったようで、
そのため長く女性を遠ざけていたにも関わらず。60歳になってから18歳の妻を娶り、この妻が早世すると
74歳で19歳の妻と再婚するという、老齢に成ってから何かに目覚めたフシのある方でもありますw

それにしても徳川家康という人は、こういう学術的な技能を持つ家臣をわりと大切にしますね。
オランダ人から時計が献上されたときも、家臣にこれを分解させてその原理や技術を習得させています。
信長が時計を献上された時、「我々では壊れても修理できないから」とそれを返した、なんて話がフロイスの日本史に
収録されていますが、こう言ったあたりに信長と家康の個性の違いを見ることができるかもしれません。
このあたりも一般的な印象と逆ですが、織田信長という人はかなり素朴な武辺の人で、家康の方が新奇なもの大好き、
だったりします。
そんなこともふと思ったりしました。

2位はこちら!讃岐守の子は油断できないです
島原の乱の頃は、何のかんのでまだまだ徳川家中の「武功派」が生きていますから、若手との摩擦というのは
当然有ったことでしょう。そんな一面を感じさせてくれる逸話です。
それにしてもこの時期の幕府重臣というのは、この酒井忠朝もそうですが、この手の組織の中の摩擦をうまく調整する
能力に長けた人が多い、って感じがありますね。「豊臣政権」にこの手の能力を持つ人が少なく、結果分解してしまった
事を考えるに、非常に対照的に思えます。
こう言った人材が集まったこと、意図的なのか偶然なのか。相違言ったことをいろいろ考えてみるのも、面白そうです。

今週管理人が気になった逸話はこちら!
「織田信長は類なき大うつけ者」です!
個人的には、若い頃の織田信長は、本気でグレていた、と思っていますw
それが、平手政秀の切腹などで改心して、「世間から模範的な武士と呼ばれるようになろう!」と一念発起した事が、結果として
彼を天下取りの道に進ませた。と考えています。
そういう目で見たほうが、織田信長という人物をわりと素直に理解できると思うのですよね。
前にそんな風に考えていたことをふと思い出した逸話でした。


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週間ブログ拍手ランキング【03/02~/08】

2017年03月08日 09:40

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御当家からの御恩賞 16

沼田の御方勇力の事 12

汝はこの夜中にどこに 11
桶狭間の戦いの時 11

加賀爪忠澄の名裁き 9
見物の群衆があちこちにできたところを、入れ替わりに 8

岡本大八事件を受けての処罰と処置 7
「差出高の衆」 7
せめて連歌ならば 7

鳥居家改易顛末 6
可児才蔵、宝蔵院に槍法を学しこと 6
“公方絶ゆれば吉良継ぎ、吉良絶ゆれば今川継ぐ” 6

人にとっては、一言であっても 4
「甲乱記」では勝頼の新府城からの逃亡を 4
まず尾張を攻め平らげて攻め上らん 4

織田信長殿、内裏様を殊の外大切に思われ 3
真田幸村の遺跡付秀頼 2
浅井殿を打ち潰そうと心がけなさったことによって 1


今週の1位はこちら!御当家からの御恩賞です!
この逸話の面白いところは大名(格)となったときの所領が「本領」として、一種の基礎的財産と理解されている所ですね。
改易などもこれをベースに行われると、少なくともこの武野燭談が成立した頃には、そう考えられていたようです。
そういえば中世では借金の形として土地が質流れしても、その土地自体の潜在的所有権は失われず、その土地の売買にも
もとの所有者の許可が必要だったり、また優先的返還権を有していたりしたようです。
そういった中世の土地財産に関する慣習が、この意識に繋がったのかな、などと思いました。

2位はこちら!沼田の御方勇力の事です!
小松姫怪力のお話です。このような小松姫像は、姫自身がやはり、「女傑」を感じさせる人物だったことが大きいのでしょうが、
それにさらに、平家物語や太平記などの「女武者」のイメージが付加されていったのかなあ、なんて思います。
そういったものが付加されるだけの器量の持ち主、という印象があったのでしょうね。
こういう逸話は、その行間から、逸話成立当時の人々の持つイメージや、その人物に対する感情のようなものを読み取るのが
面白いな。なんて考えています。

今週管理人が気になった逸話はこちら!「差出高の衆」です!
差出し検地というのは、現代では「(惣村の強い反発を受けやすい)竿入れ検地が出来るほどの大名権力が無かった」、
すなわち大名権力が未熟であった、なんて評価されたりするのですが、この当時は一種の「既得権」として捉えられていた、
というのが非常に面白いと思います。
出典の翁草は江戸中期の成立ですが、確かにこの頃では辺境であっても、大名権力のあり方は中央と特段差がなく、
実高と差出し値の差から来る得分ばかり目につく、という状況だったかもしれません。まあこういう「差出高の衆」も、
今後様々に苦しくなっていくのではありますが。
こういうのも、「その時代」の空気を感じさせてくれる逸話だな、なんて思います。


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2017年03月01日 09:57

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伊東家による宮崎城攻め 21

松平家信「若輩とは十二、三歳の事」 18

流石長慶とも言える武将としての優美さ 15
奈良かしや この天下殿二重取り 13
羽織についての事 10

居間に有る屏風を取り寄せよ 9
森川重俊の殉死、それに纏る事ども 8
熱川温泉は猿が温泉に入っているのを 6

山下金之助 5
今川義元。足みじかく。胴ながく 5
獄司所用の鑓之事 5
この説虚実を知らず 4
不服秀吉異見条、間柄不快。 4


今週の1位はこちら!伊東家による宮崎城攻めです!
伊東祐兵の軍勢が、機敏に宮崎城を攻め落としたお話。このあたり、当時の伊東家の軍勢、特に稲津重政が
高い戦場感を持っていたことを感じさせますね。まあ混乱に乗じた火事場泥棒的とも言えるのですがwしかしこれぞ
「切り取り次第」の実践ですね。
この後も伊東家は様々な紆余曲折があるのですが(面白いのでぜひ調べてみてください!)、この時期が、日向を陥落以降、
伊東家が最も高揚した時かもしれませんね。

2位はこちら!松平家信「若輩とは十二、三歳の事」です!
はやり「親の心子知らず」「子の心親知らず」なんて言葉を思い出してしまいますね。そして「いつの時代も」なんて気持ちに
なってしまいます。特にこの紀伊守家忠(家忠日記の深溝松平家忠とは別人)にとって、家信は一人息子だった模様で、
家の保持という面でも、うかつに戦場に出すことに、強い不安があったのでしょう。結果として紀伊守系の形原松平家はこの
家信の時代に大発展を遂げることに成りますし、その基は家信が家康に初陣を訴え出たことが強く印象に残ったため、
とも言えるかもしれません。
いろいろな角度、立場から、考えることの出来る逸話だな。なんて思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!流石長慶とも言える武将としての優美さです!
『翁草』は江戸中期成立の書籍ですが、この時代で歴史上の人物に対し、知識人層でも、儒教道徳にとらわれず
『当時の風俗を以って評価すべきだ』という発想があり、それを書籍の形で発表している事に、やはり感銘を覚えるべきだなと
思っちゃいます。
家康が新田源治を名乗ったことから、江戸期は基本的に南朝を讃えており、その敵役として徹底して悪党に描かれていた
高師直を、きちんと文化人であると評価している部分からも、イデオロギーや公的道徳を相対化出来る知性の高さ、
みたいなものを感じます。
著者である神沢杜口は突然現代に現れても、すぐに近代人として生活できるだろうな。などとも思いましたw

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さて、久しぶりに本を紹介します!今回紹介するのは、こちら!

平山 優 著 『武田氏滅亡』です
http://www.kadokawa.co.jp/product/321601000712/



帯にも有りましたが、まさしく「大著」と呼ぶに相応しい本です。それは751ページという
分量だけでなく、その濃厚な内容においてもそう呼ぶべきでしょう。

この本は、ただ単に地域権力たる武田家が信長の中央権力に飲み込まれる過程を描いたものでは
ありません。武田家という強大な戦国大名の滅亡を通して、戦国時代末期の日本の様相というものが
描かれています。

この中で、戦国時代末期は、研究の進展によって顕れた、新しい相貌を見せてくれています。

天正期に入っての日本は、明らかに、二つの「中央権力」が存在していました。
一つは将軍・足利義昭を追放することによって成立した、新興たる信長公儀。
もう一つはその追放された義昭が、旧来の権威に寄って、信長に反発する各地の
戦国大名を統合する義昭公儀です。

義昭を追放した事で、織田信長は逆に、全国を覆う足利義昭の謀略により、
塗炭の苦しみを味合わされます。
読者は、足利義昭という人物によって形成された「反信長連合」の壮大さ、緻密さに驚き、
義昭の評価は改められるべきと感じるのではないでしょうか。
信長は、『分裂した公儀権力の克服』に、多くの時を費やされます。

そして各地の戦国大名は、激しくぶつかるこの二つの公儀のどちらかと、否応なく結びつくことになります。
その状況は、本来的には地域権力であったはずの戦国大名を、「中央の理論」と「地域の理論」の間で
もがき苦しませます。上杉、北条、毛利、そして武田家。
その相克こそ、近世の「産みの苦しみ」であったのでしょう。
読者は、この本の「主人公」といえる武田勝頼を始めとした戦国大名たちが、そのような状況・情勢をどう判断し、決断し、
それによって何が起こったかを追体験するのです。

実はボクもまだ、これを読んでいる途中です。そして読み進めるごとに圧倒されています。

ただ、本当に分厚い本ですが、決して読みにくいものではありません。むしろ戦国初心者でも、
かなり入りやすい物では無いかと思います。
そしてタイトルは「武田氏滅亡」ですが、決して武田家だけにスポットの当たった内容ではなく、
むしろ、東日本情勢を中心とした汎戦国末期史と見るべきものであり、あの時代に関心のかる方全てが、
興味を持てる内容であると思います。

ある意味、ページ数に惑わされず、先ず手にとってほしい。そういう気持ちになる本です。
つまるところ、お薦めなのですw

※ 現在品薄とのことで、まもなく重版がかかるようです。著者の平山先生によればアマゾンで予約するのが確実、とのこと。

週間ブログ拍手ランキング【02/16~/22】

2017年02月22日 21:22

02/16~/22のブログ拍手ランキングです!


鼻の色はかはりにけりな異な面に 42

思う事 一つ叶えば又二つ 17

これが武道の眼つよみ第一 15
井上正就、及びその父のこと 15
自身の大水牛の立物にも 13

あのようでも良きことがある 10
武であるのに嗜みをしないこと 10
家蔵、山科弓 9
かの国に我が軽便なる仮名文を 9

喜多見殿はいつから鼻付を 8
宇喜多秀家流罪に及びしこと 8
嘉隆の運命のほど 8
産湯八幡付産湯の井併井辺の大楠 7


今週の1位はこちら!鼻の色はかはりにけりな異な面にです!
忠恒はの、中学生並みのイタズラと、侏儒どんの見事な切り返し。これに限らず徳田太兵衛の逸話には、
なんとも不思議な空気感が有りますねwかなり冷酷なイメージのある島津忠恒も、徳田太兵衛の前では
悪ガキに戻れる。そんな関係だったのかなあとも感じますね。
薩摩という土地は、良くも悪くも殺伐さが特徴的な面があるのですが、この侏儒どんの逸話は、そんな薩摩の
違った面を表してくれているように思います。

2位はこちら!思う事 一つ叶えば又二つです!
南龍公、徳川頼宣の逸話ですが、家康の子供の中でも、特に豪傑の感が強い人物であり、この逸話も
そんな豪傑性を強調しているのですが、そんな彼でも、このように「望みを果たそうとすると、きりがないものだ」なんて、
諦観めいた歌を口ずさむとは。その対比が面白い逸話だなあ。なんて感じました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!自身の大水牛の立物にもです!
細川忠興は「兜の立物はあえて壊れやすく作るものだ」なんて言っていましたが、こちらの黒田長政は真逆。
「抜け落ちないようにしっかり固定しろ」と言っています。
こんな事でも基本的な思考が違うのか!と、少々感動してしまいました。これは仲が悪くて当然ですねw
もう思想の方向性が噛み合わない。
黒田家と細川家が対立したのは、ある意味宿命だったのだなあ。そんな事まで感じさせてくれた逸話でしたw



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
又気に入った逸話が有りましたら、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!

それから、左のカテゴリ、主家以外の家中をアイウエオ順に並び替えました!もうずっと増えるに任せて放置してきましたが
さすがに分かりにくすぎるということで、なんとか改善(?)してみました。
多少なりともこのブログが皆さんに使いやすく慣れば、幸いです。

これからもどうぞ、よろしくお願いいたします。m(_ _)m

週間ブログ拍手ランキング【02/09~/15】

2017年02月15日 18:24

02/09~/15のブログ拍手ランキングです!


人々は康政に 24

「すわ、例の本多よ!平八郎よ!」 22

上野介、良く聞け。 17
時節相応に主とする所を、 16
中筋村の飢饉 ~妙玄寺縁起~ 15

猩々瓶 14
台徳院様が三河田原で御狩りをなさった時 12
本多忠勝、本丸の堀を腰の高さまで 11

子孫秋月氏と改称す。 10
伊達政宗、豊臣秀吉公へ初見之とき謡ひし歌付政宗豊公へみへし考 9
尼ヶ崎侯家紋九曜を用る由来 8
「孕石の一番槍を見たぞ!」 8

金剛大夫の祖、朝鮮攻のとき彼地に渡りし話 5
長坂源五郎の事 5
この八十島は 5


今週の1位はこちら!人々は康政にです!
有名な、小牧長久手の時の榊原康政の立てた高札と、その後の秀吉の反応です。
井伊直政の逸話でもそうですが、こういう時に対比として石川数正が出されてきちゃうのは、ある意味お約束ですね。
そういえば余り知られていませんが、石川数正はその諱を、家康からの偏諱をもらった『康輝』に改名しており、であるのに出奔後、
秀吉のもとで大名になると、今度は秀吉の偏諱を得て『吉輝』に改名したとされます。
これが事実だとすると、それもまた「節操の無さ」として世間が印象したかもしれません。
榊原康政たち徳川武士の「節操」を語る時、絶好の比較対象であった。石川数正は意図せず、そういう存在になってしまった
のかもしれません。

2位はこちら!「すわ、例の本多よ!平八郎よ!」です!
本多忠勝の具体的武勇を表した逸話ですね。河中に入れば、当然動きが制限されるのですから、心理的にも
そこから取って返すというのは、大変な勇気を必要とした行為だったことでしょう。それこそ、一度「背水の陣」を放棄して、
もう一回背水の陣に、しかも一人で成るということですものね。
小牧長久手での武勇もそうですが、本多忠勝には、「平然と自分自身を的に出来る」という面に強い印象を持たれていた、
というフシがあります。そういう姿を戦国時代の人たちも「かっこいいなあ」と感じたのでしょう。
『天下無双』と呼ばれるためには、能力とまた別個に、そういう度胸と運が必要であった、ということでもあるのでしょう。
これは現代でも同じようなものかもしれません。

今週管理人の気になった逸話はこちら!猩々瓶です!
非常に実証主義的な話でもあり、また残虐な暴君的逸話でもあり、のちの松平忠輝の運命を感じさせるような内容だと
思います。ただ、これを読んで、「織田信長の、このあたりの逸話に通じるものがあるな。」と感じました

織田信長、無辺を殺す

もしかしたら似た系統の逸話を検証することで、当時その人物が世間にどのように把握されていたか、見えてくるんじゃないか、
なんてことを考えました。



今週もたくさんの拍手を各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
また気に入った逸話がありましたら、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
( ´ ▽ ` )