週間ブログ拍手ランキング【10/12~/18】

2017年10月18日 18:39

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さすが人間ウィキペディア 24

米商人八郎兵衛 17

上杉景勝の厳格 13
朧月夜にしくものぞなき 11
己はどうして斯くも 11

高橋の長刀打 6
鬼絵の始まりであった 6



今週の1位はこちら!さすが人間ウィキペディアです!
林羅山という人、実は昨今では、徳川家康のブレーンというよりも、その博識が重宝されていたに過ぎなかった、なんて言われています。
すなわち本当に百科事典扱いだった、というわけで、そういう知識を持ってこの逸話を読むと、「ああなるほど」と思ってしまいますねw
徳川政権としては、全国各地の色々なことに対応するために、百科事典的知識が必要であり、そのために羅山の能力を求めた、
というのは、儒者として政治に参画することを望んでいたであろう羅山自身にとっては、何とも複雑であったのでしょうね。
林家、および儒者が体制の中において尊敬を受けるように成るのは、だいたい徳川綱吉の時代だと言われます。
元禄は本当に、あらゆる意味で日本史のターニングポイントですね。
そんな事も考えさせてくれた逸話でした。

2位はこちら!米商人八郎兵衛です!
この逸話、基本的には「正直に非を認めたことで、却って徳分を得た」というお話なのですが、リアルに考えていくと色々と
深いものを感じさせますね。確かに大きい升と小さい升の容量差はどれほどだったのか、結果的に「安売り」nとなったことに、
競合商店はどのような反応があったのか、等々、興味深い疑問が次々と出てきます。
こういうところから、時代小説を創作する、というのも面白そうですね。江戸初期の経済や社会を復元しつつ、その中で
このお話を矛盾なく展開すると、実に興味深い作品ができそうです。やる気の有る方、是非!w

今週管理人が気になった逸話はこちら!己はどうして斯くもです!
このお話、現代でも良く使われるお話のパターンの、「原型」とも言うべきものなのでしょう。それだけでも面白いのですが、
コメント欄が「能書あるある」あるいは「書状が残ってしまったあるある」になっていて、それにもとても笑わせてもらいましたw
こういうのが「歴史を楽しむ」事だと思うし、こういう楽しさがあるからこそ、歴史を勉強するのも楽しいのだと思うのですよ。
このあたりのネタが理解できる人は勿論楽しいですが、理解できない人も、いろいろな歴史の本を読んだり、あるいはこのサイトの
逸話を読んでいる内に「あ、あのネタはこれのことだったのか!」と気がつく瞬間が有ると思います、そうやって記憶と知識が
つながる事は、すごい快感だと思うのです。
そういう形でも、このサイトを楽しんでいただけると嬉しいな、なんて思ったのでした。



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
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週間ブログ拍手ランキング【10/05~/11】

2017年10月11日 19:08

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この瓢箪こそ賜るべきもの 21

毛利元就の正親町天皇即位の御料献上とその影響 21

赤い毛氈 16
巻絹裁断 14

きうりの紋 12
利休の才 12

罪一等を減刑し、 11
【疑問】別所安治の弟・別所重棟(重宗)が 9
利太(前田慶次)は浴場で入浴した。 5



今週の1位はこちら!この瓢箪こそ賜るべきものです!
既にいくつか類例逸話が出ていますが、丹羽家の出口藤蔵家臣、出口さんとその妻のお話です。
やはりこの奥さん、凄いインパクトありますよねw旦那さんも勇者なのに、普段の口や態度が悪くて小身に留められている
人ということですが、そういった人と添い遂げる女性だなあと、妙な説得力を感じますw
そしてこの時代の女性の強さを、端的に表している感じがしますね。
本多忠勝「俺の若い頃は女だって」
このお話で、本多忠勝が戦国の女性の強さを賞賛していましたが、この逸話のような女性たちだったのだろうなと、
想像させてくれる逸話だなと感じました。

そして同票でもう一つ!毛利元就の正親町天皇即位の御料献上とその影響です!
毛利元就が正親町天皇即位のための献金をしたお話は有名ですが、それが後世にも影響を与えたと言うお話ですね。
たしかこの縁で、毛利は江戸期を通じても朝廷とつながりが深く、それも幕末の毛利の動きに影響を与えた、とも言われます。
まあ歴史というのは、日々の営みと偶然の積み重ねですから、歴史を積み重ねた勢力にとって、むしろ「影響を与えなかった」
事象の方が少ないといえるかもしれません。しかし元就の献金という史実は、幕末「勤王回天」を旗印とした長州にとって、
非常にシンボリックなものとなったのは間違いないでしょう。また毛利がそもそも「大江毛」という、朝廷に仕える学問の家、
だったことも、江戸期を経た毛利家中の意識に、影響を与えていたのでしょう。
毛利家だけでなく、歴史というものを考えさせてくれるおはなしだな、なんて思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!きうりの紋です!
織田信長と言えば、現代では創作物(だけでもないですけどね、TVなどでは”歴史番組”でも)では未だに、「無神論者」「反宗教」
みたいな描かれ方をされてしまう信長ですが、実は「信仰」「信心」のお話は意外と残っています。
そもそも信長の織田家は、越前剣神社の神主がルーツですし、彼の自歴を辿っても、「非常に信心深い信長」という像を
描き出すのは実は容易です。現代の、魔王的な信長像は、史実の人物としての織田信長とは何の関係もない、後世の
想像によって作られたキャラクターにすぎない、とも言えます。
そういうキャラとしての「信長」の影響のない時代のお話は、むしろ新鮮さを感じる。
そんな事を考えさせてくれた逸話でもありました。



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週間ブログ拍手ランキング【09/28~10/04】

2017年10月04日 19:02

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願うところの幸いに候 13

陸奥守政宗は三方を頭に被って踊り申された 12

冥加無く生き残り 9
『並ぶ者はあるが、増す者はいない』が良い 9

摂州白井河原の戦い 8
心得の上手、下手 8
奥州押さえの働き 2


今週の1位はこちら!願うところの幸いに候です!
大阪の陣での青山忠俊家臣、野一色頼母のお話ですが、「討ち死に」が非常に名誉なものであったこと、これを常に
覚悟していることが正しい武士の素養であること、などがよくわかります。
こういうお話は割と最近まで「後世の儒教道徳で潤色させた武士道で云々」なんて言われたりしたものでしたが、
昨今では「どうも本当にそうだったらしい」というふうに成っていますね。いわゆる「武士道」が、鎌倉室町期に遡る
武士階層の倫理観であったとの、再評価(?)をうけているわけです。(それでもまあ、明治期以降の新渡戸稲造などの
「武士道」とはやはり別ですが。)
「武士ってこんな人達だったのか」というのを、このような逸話からもっと素直に受け取ってもいいのだなあ。なんて今は
考えています。

2位はこちら!陸奥守政宗は三方を頭に被って踊り申されたです!
何やってるんですか政宗公w
しかしまあ、実に政宗らしいお話で、後世の僕達も、『政宗なら興が乗ったらやるだろうな』と、自然に思いますよね。
こういう逸話が残るところが、伊達政宗という人の人徳でもあるでしょうし、現在に至るまで人気の衰えない理由、だとも
思うのです。
やっぱり政宗は政宗だ。逸話でこう思わせてくれる武将はそうは居ません。流石政宗ですw

今週管理人が気になった逸話はこちら!冥加無く生き残りです!
1位の逸話の裏返しでもあるのでしょうが、武士とはつくづく面倒な人種です。
明示していなくても、松平信綱たちは板倉・石谷の指揮が悪いとして、交代要員として派遣されたわけで、それは石谷たちも
わかっているわけです。そこで反応が「よろしい、ならば討ち死にだ」になるわけですから、こういう人たちを統帥する立場の人々の
苦労は想像もつかないほどです。
これも討ち死にが至上の名誉であることからくるのでしょうが、この逸話だと、その負の面も表している気がしますね。
そういえば平山優先生は、「武田氏滅亡」などで、武田氏の軍法では不利になっても逃げずに留まって戦うことが評価され、
それが武田軍の勇猛の評判ともなったが、一方で長篠などでの、多くの指揮官クラスの人材の討ち死ににもつながったのでは
ないか、などとも書かれていました。これも、同じような副作用を感じますね。
そんなことを考えさせられた逸話でした。



今読み進めている本、楽しみにしている本を久々に紹介します~


武田勝頼 試される戦国大名の「器量」
丸島 和洋 著


・平山優先生の「武田本」とはまた別の角度から切り込んでいます。「外交」から武田家を見るというのは実に丸山先生らしい。
 面白いです。


兵農分離はあったのか
平井 上総 著


・「兵農分離というがそもそも”兵”とは何か」という疑問から「兵農分離」なるものの実態を描いていく良著。
 初版に誤植がありましたが、今週からそれを直したものが出回るようです。中世、近世の”兵”の実態が
 見えてくる本です。

DLRq-vHVAAIucpk.jpg
享徳の乱 中世東国の「三十年戦争」
峰岸 純夫 著
講談社選書メチエ(10月10日発売予定)

・呉座勇一先生の「応仁の乱」よりはじまった「室町大乱ブーム(?)」ですが、いよいよ関東における本命「享徳の乱」
 出版です。
 戦国好きでもなかなか全体の把握が難しい享徳の乱がどのように描かれるか、今から楽しみにしています!
 多くの注文が来て、既に発売前の重版も決定したそうです。関東における「戦国の始まり」とされるこの乱、
 興味の有る方は是非。



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週間ブログ拍手ランキング【09/21~/27】

2017年09月27日 09:14

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池田の力、池水の流れ 19

この一言を聞いて、 12

今朝とあけて 麓は柳桜哉 10
「中世宇都宮氏 頼朝・尊氏・秀吉を支えた名族」 行ってきた 9
本成りの瓜 9

此の度の戦いにうたれし三河武者、末が末までも 8
家康は利根か 6
本多安房守は色々御話を申し上げた 4


今週の1位はこちら!池田の力、池水の流れです!
信長と乳母兄弟であった池田恒興は、本当に信長から親族同様に信頼されていますね。彼の池田家と森家が、信長の体制の中の
「股肱」と呼ぶべき存在だったのだろうな、と感じます。仮に本能寺がなければ、この両家は更に大きな役割を与えられたでしょう。
そこから考えると、小牧長久手でこの池田と森が共同で行動していたのは象徴的に思えてきますね。織田政権の継承を掲げる
秀吉にとって、一種の象徴たる役割を果たしたのでしょう。その分扱いも難しかったのでしょうけど。
この書状の内容は、池田が後に「織田の継承」のシンボルとするに足る存在だった事を、表しているように思えますね。
非常に興味深い内容だと感じました。

2位はこちら!この一言を聞いて、です!
色んな意味で、ろくな逸話のない大友義統のお話ですが、これもまあ、難儀なお話でw
結果として彼の代で大名家としての大友氏は滅亡しますし、復活をかけた関ヶ原も、黒田如水の前に良い所無く敗北しましたから、
逸話としてもこういうものが残っちゃうのは、仕方ないと思います。逸話の殆どは(まあ逸話に限らず人間の評価もほとんどが
そうでしょうが)、結果からの遡及ですからね。成功すれば過去は正当化され、失敗すれば過去も否定されちゃうものです。
このお話だって、後に義統が復権を遂げ、そこでこの家臣が活躍していれば、さすがの眼力であったと称揚される逸話になった
のでしょう。中国の古典だと、漢の宰相蕭何が兵の脱走が相次いだ時、ただ一人韓信が脱走しなかったことを喜んだ、なんてのが
ありますね。これも結果として漢が滅んでいたら、否定的な逸話と成ったと思うのです。
そんなことを考えた逸話でした。

今週管理人が気になった逸話はこちら!「中世宇都宮氏 頼朝・尊氏・秀吉を支えた名族」 行ってきたです!
宇都宮氏が「秀吉を支えた」の意味、そういうことだったのですね。非常に良く理解できました。こういうレポート、
本当にありがたいです!
それにしても、朝鮮の役の頃秀吉は、宇都宮氏に限らず地方大名にプレッシャーを与えて朝鮮での奮戦を促す、みたいな事が
多いように感じます。伊達政宗なんかも構図としてはそういう所ありますしね。
勿論意図的にそう仕向けた、という事ではないのでしょうが、秀吉による「自主性の引き出し方」を考える上でも興味深いな、
なんて思いました。



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週間ブログ拍手ランキング【09/14~/20】

2017年09月20日 18:54

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【ニュース】明智光秀が土橋重治に宛てた書状 17

最後の後南朝 14

【情報】 「中世宇都宮氏 頼朝・尊氏・秀吉を支えた名族」 開催中 12
蒲生氏郷の勤務管理 9
不覚悟の品々 9

【雑談】信長が生きていたら次に追放されるのは 8
禄が重くなれば安堵致して、 8
人はただ、学ぶべきである 8

輝政公関ヶ原行軍順見の事 7
監物殿は柳の枝を土手に差し 7
荒木素白は書の名 6
左門殿は殊の外おどけた人で 6
その者を前に抱えて立ち退き 5



今週の1位はこちら!【ニュース】明智光秀が土橋重治に宛てた書状です!
まあこれについては、そもそも存在は知られていて、その「実物」が見つかったという話で、厳密な意味では「新発見」ではない、
というのも含めて、わりと世間の注目度から温度差がありますw
あとやっぱり、この史料は明智光秀が室町幕府再興のために本能寺の変を起こした、というよりもむしろ、光秀が本能寺の変を
起こしたことに、足利義昭や室町幕府の存在は何も関係がなかった、という事を補強する史料だと思うのですよ。
義昭とのつながりと言うにはあまりにも迂遠すぎますw
本能寺に関して、光秀と義昭の、直接の通信が発見されない限り、いわゆる「本能寺の謎」(これも言うほど謎なんてあるのかと
思いますがw)における、足利義昭関与説は、非常に信憑性が低いと言わざるをえないかなあ、と考えます。

2位はこちら!最後の後南朝です!
これは非常に興味深い、ロマンあふれるお話ですね。
室町幕府という政権の厄介さは、そもそも「南朝」を打倒して生まれたと言うのに、政権内の反主流派にとって「南朝」、
および南朝に連なる勢力が、主流派打倒の「奥の手」として使われ続けた事ですね。なにぜ初代将軍たる足利尊氏からして
そうなのですから、半ば政権の体質と言ってもいいくらいです。南朝勢力は逆説的ですが、北朝政権の軸である室町幕府によって
生かされた、と言っていいと思います。だから戦国時代に入って室町幕府の力が衰えると、軌を一にして「南朝勢力」も
その存在感をなくしていくのですね。
そんな南朝勢力の最末期の姿が、室町幕府の高級官僚出身で、かつ子孫が「北条」を名乗る、伊勢宗瑞の記録の中に
出てくるというのは、様々なドラマを感じさせてくれるお話だな、なんて思いました。これぞ歴史ロマン、ですね。

今週管理人が気になったお話はこちら!蒲生氏郷の勤務管理です!
蒲生氏郷というと、とにかく配下の士卒の働きに厳しかった人、という印象がありますが、ここまで事細かに勤務管理していた
とは、氏郷に仕えていた人は大変だっただろうなと、変な苦笑いしちゃいますねw勤務状況を見るため間者まで使っていたとは。
ただ氏郷の蒲生家は急成長した家であり、彼の主君である信長や秀吉の期待に答えるために、成長した分限以上の働きを
見せねばならなかったでしょうから、このくらい強烈な統制を行う事が必要であったのかな、などとも想像します。

急成長した家は、その家中統制のありかたに、それぞれの戦国武将、大名の個性が出てきますね。
その中でも氏郷は相当個性的だったと、後の世にも印象が残っていた、ということの解る逸話だなと思いました。



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週間ブログ拍手ランキング【09/07~/13】

2017年09月13日 19:07

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「三浦、三浦」 11

小ネタ「地味な方の加藤さん」で 9

七夕・八朔に白帷子を着用するのは 8
今よりここは我が城 8

一番乗りは 7
私と刺し違えるのは、 7
元日の朝に兎の御吸物を 7

浅利のハイタカ 6
鷺を持たせて 5





今週の1位はこちら!「三浦、三浦」です!
久能山にて徳川家康に「呼ばれた」、幼馴染の三浦八郎左衛門さん。このお話の事実姓はともかくも、家康が駿府という土地に、
少年時代の良い思い出を持っていた、という面が垣間見られる気がします。駿府には三浦さんに限らず、家康子供時代の
「仲良し」が多く居たのでしょうね。そういう事を、このお話を記録した方も把握していた感じもします。
徳川家康と、駿府との長い繋がりを感じさせる、そんな逸話だと思いました。

2位はこちら!小ネタ「地味な方の加藤さん」でです!
地味な方のお加藤さん「加藤嘉明」(ひどい)、地味にも成れなかった加藤さん「加藤光泰」(もっとひどい)w
これは、「メジャーな加藤さん」こと加藤清正と比べての印象に成るのでしょうが、彼らが生きていた時代、正直清正より
彼らのほうが大物なんですね。加藤光泰は秀吉配下において明らかに清正たちの先輩格ですし、嘉明も
将軍秀忠嫡男竹千代(家光)の鎧親を勤めるなど、将軍家から非常に厚遇されています。
なのに、何故に後世清正だけがこんなにメジャーに成ったのかといえば、彼が法華の熱心な信者であった事から、江戸期に
法華信仰のシンボルの一つになったとか、「軍記物」の中で朝鮮の役での「朝鮮二王子捕縛」「清正の虎退治」といった活躍が
大きく取り上げられたためだとか、まあ色々ありますが、正直な所「偶然」ではありますね。
歴史上の人物がメジャーに成るかマイナーに成るかの違いは何か、という事について、様々に考えさてくれる内容だと思います。

今週管理人が気になった逸話はこちら!私と刺し違えるのは、です!
同士討ちに成りかけたので罵倒したけど、その罵倒の内容が容赦ならないものだったので刺し違えると決心する。
武士とは実に難儀な生き物ですw中世の武士は「ナメられたら終わり」ですからね。
更に面白いのは、「その相手が誰であるか確認できない状況で言った罵倒はノーカンにあたる」という考え方が出ている
部分です。相手が特定できていない以上、その罵倒もプライドやメンツを損なわせたものではない、という事なのでしょう。
そうかなあ?とも思いますが、結果としてこれを言われた相手が(恥ずかしくなって?)逃げたので、そうなのでしょうねw
ところでこの平野弥次右衛門さん、どこかで聞いたと思ったら、この逸話

敵も認めた漢の褒美

の、五右衛門さんの主君ではありませんか!主君の方にもこんな逸話が残っていたとは、これもまた面白いものです。



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週間ブログ拍手ランキング【08/31~09/06】

2017年09月06日 20:27

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西江左足のきゝし 16

仙台では政宗生誕450年をお祝いしていたのに 15

下間頼広の出奔と栄転 12
主人は褒めるもの 11

利太が変通を知ること 10
「前田利太の馬である」 9
その死期に望んで 9

信親忠死の跡なれば 8
我に組み付くほどの者は有るべからず 6
取った頸に証拠 5



今週の1位はこちら!西江左足のきゝしです!
たしかに大抵の逸話では、主君が家臣を手討ちにしようとした時、傍に居た家臣は諫言をするなり、もしくは気の利いたことを
言うなりして、手討ちを思いとどませるものです。しかしそこは薩摩、そして忠恒。まさかのナイスアシストw
この手の逸話によくある「命は大切なんだから、主君であっても無駄にそれを奪うべきではない」という教訓が、欠片もない
この内容。島津は違うなあと感ぜざるを得ませんねw
江戸期においても、「薩摩ってのはそういうところだ」という印象があったことが良く解る逸話だと思います。

2位はこちら!仙台では政宗生誕450年をお祝いしていたのにです
仙台では今なお「我らが主君」という雰囲気すら有る伊達政宗ですが、「出身地」である米沢ではそうでもない、というのはなかなか
面白いですね。まあ米沢は「上杉家のお膝元」感が強いから…、とも思いましたが、考えてみれば上杉家は「出身地」の越後でも、
今も大人気なんですよね。何か類例無いかなと思ったら、そういえば毛利家も、出身地の広島、転封先の山口双方で今でも
人気がありますね。政宗的な現象だと、織田信長が、本拠地尾張では人気がない、とはいいませんが、やはり尾張徳川家の
影響が今も強く、彼が尾張から出て本拠地とした、岐阜や安土のほうが信長にこだわっている、という感じがあります。
このあたり、色々調べていくと、何か面白い法則や理由が見えてくるかもしれませんね。

今週管理人が気になった逸話はこちら!下間頼広の出奔と栄転です!
そういえば、池田家と本願寺というと、石山合戦の講和が成り(まあ教如がいろいろ反対するものの)、石山本願寺から
本願寺勢力が退去したあと、輝政の父である池田恒興がその「大阪城」の管理を任されているのですよね。
この逸話、なんで仲介が輝政なんだろうかとも思いましたが、そういう意味で繋がりがあった、というふうに理解したほうが
いいかもしれません。
昨今では、信長が「一向宗」を滅ぼそうとしていた、という話は、江戸期に作られた「お話」に過ぎず、実際はその信仰を
決して否定していなかったし、和睦以降はむしろ保護していた、と概ね考えられています。
信長勢力と本願寺が、あくまで「是々非々の関係だった」という観点を踏まえた上で読むと、また違った感慨を持たせてくれる
逸話じゃないかな、なんて感じました。



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週間ブログ拍手ランキング【08/24~/30】

2017年08月30日 09:51

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戸次川合戦讃岐勢の最期 12

【ニュース】 立花宗茂の甲冑の袖「金白檀塗色々威壺袖」発見 11
下人などは、このようにして殺すものだ 11
近江にての事であると、 11

君の為にして自ら為にせざるときは 10
灰を集めて 8
豊後勢から見た戸次川合戦渡河 8

東照宮御奇瑞記 7
「その方、先に下に降りろ」 4


今週の1位はこちら!戸次川合戦讃岐勢の最期です!
戸次川合戦では、その主力である四国勢の、十河存保も長宗我部元親も、散々な目にあいます。
ただ、こんな無理な戦いを強行した仙石秀久が無能だったのか、というと、それだけの問題でも無いようで、そもそもこの合戦は、
島津に攻められた豊後鶴ヶ城の救援が目的でした。この際、仙石率いる豊臣軍は、大友義統の軍と合流してこの作戦を
行う予定だったのが、何故か大友軍が合流せず、しかし仙石秀久としては、九州での豊臣軍の信頼をつなぎとめるためにも、
鶴ヶ城救援のための戦いをせざるを得ず、結果としてこの戦いを強行せざるを得なかった、なんて説があるようです。
この説だと悪いのは「また大友義統か」って事になってしまいますねwまあこの説でも、十河、長宗我部が恨むのは、そんな
「豊臣のメンツ」のために無謀な合戦を強行した直接の上官である秀久であることに変わりはないでしょうけどw
見る角度によって様相がだいぶ異なってくるお話の一つだな、なんて思います。

2位はこちら!【ニュース】 立花宗茂の甲冑の袖「金白檀塗色々威壺袖」発見です!
なんと、逸話が事実であったらしい、というお話で、実に興味深いニュースです。
立花宗茂に、本当に逸話で語られるような性格があったのかと思うと、彼のことが更に身近に感じちゃいますね。
戦国期の遺物としても非常に貴重な発見ですが、人間としての宗茂を把握する上でも、とてもワクワクするニュースだと思います。

同票でもう一つ!下人などは、このようにして殺すものだです!
「羽柴四天王」とも言われる、神子田正治さんの「放し打ち」に関するお話ですが、コメントなどもにありましたが、立花宗茂の
逸話とはえらく違いますねw非常にドライというか「形式さえ整っていればいいでしょ」という精神を感じますw
こういう話を読むと「仕事のできる人だったのだろうな」とも思うし、また「上司からはあまりいい目で見られないだろうな」なんて
気持ちも出てきますw
歴史ファンには有名な神子田さんですが、彼の性格の一端を伺える、貴重な逸話だと思いました。

さらにもう一つ!近江にての事であると、
近江の「水争論」での、「軍師」的な浪人のお話ですが、この浪人、いずれ名のある武士だったことを感じさせますね。
興味深いのは、この浪人の戦術が当時の合戦で一般的な手法である、最初に遠距離武器で敵の行動を封じ、そこから
槍兵による突撃を行う、という流れがここでもきちんと描かれている事ですね。逆に敵側は考えなしの数を頼んだ「平攻め」で、
ここに合戦の玄人と素人の戦いという構図が鮮明に描かれています。
そんな象徴性を持つ、とてもいい逸話ですね。


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週間ブログ拍手ランキング【08/17~/23】

2017年08月23日 18:12

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細川幽斎「武家に仕える者は」 15

彼は既に死人同然 13
父子の間であっても、武士の道とは 13

すると敵は驚き気圧され 11
総じて武士の殉死には 9

茶がどうして人よりも 8
あなたも相手に塩を 8

戸次川合戦における讃岐勢の悲哀 7
岩村落城の伝説 7
後顧の憂い残してはならぬと 6
軍監の命なれば是非に及ばず 6


今週の1位はこちら!細川幽斎「武家に仕える者は」です!
人によっていろいろな感想を持たれるタイプの逸話だと思いますが、「侍の子は事有れば必ず死に直面するのだから」好きに
させるのだ、という考え方に、当時の刹那主義的な空気を感じさせますね。無論「だからこそ身を律する」という志向もあったの
でしょうが、だから自由にさせるというこの幽斎の考え方は、少年たちの多くが永らえること無く死ぬのだ、という残酷な
諦観の上とは言え、確かに「優しさ」なのでしょう。
一見、細川幽斎という人を称揚するための逸話に読めますが、そこからもいろいろなものを感じ取れる内容だと思いました。

2位はこちら!彼は既に死人同然です!
非常に象徴的な構図が見えてくる逸話ですね。この時、大野治長は秀頼を生かすために必死であった事でしょう。
しかし「勝者」たる徳川方の人達にすれば、彼の姿は死人同然に写っていたという。
同じ空間の中に、生者の世界と死者の世界が現れていた、というといかにも神話的ですが、歴史は時に、そういう残酷な空間を
作りますね。大阪の陣もまた、その一つであったのでしょう。そんなことを感じさせてくれる逸話だと思います。

同じく2位でこちら!父子の間であっても、武士の道とはです!
こちらは、武士というものについて非常に考えさせてくれる逸話ですね。
名こそ惜しまん、というのが武士の基本的な思考の一つであると思います。ただしこの場合の「名」とは、例えば正々堂々とか
正直とか、約束を守る、裏切らない、といった、あるいみ近代的な倫理観を守るというよりも、少なくとも近世以前は、
卑怯だろうが裏切ろうが、とにかく「強く頼もしい」という「名」を守ることであると解釈しています。
この逸話も、だからこそ「父に助けられた」というレッテルは、彼の「頼もしさ」を損なうものであり、だからこそ息子であっても
助けなかった、と捉えるべきなのでしょう。逆に言えば、そういう意味の「名」を保持できない者は、武士として生きていても
仕方がない、と言えるのでしょうね。
こういった意識は近世に成ると徐々に洗練され倫理的・観念的なものとなり、やがて近代以降、新渡戸稲造が著したような
『武士道』へと修練されますが、そういう観念化するまえの「武士の道」を感じさせてくれる、そんな逸話だと思いました。


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週間ブログ拍手ランキング【08/10~/16】

2017年08月16日 11:26

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それ故弾が力なく 13

留守は要らない 12

どうして昼寝などしていたのですか? 7
こんな道の付け方が 6
ともかくも仰せには 5

○ 源斎窟(旧坂本村千旦林) 2
○ 安造穴(旧福岡町高山) 2


今週の1位はこちら! それ故弾が力なくです!
「合戦が始まった時」をこういう所で判断したのか、というお話。
なるほど当時の鉄砲は一発づつ弾薬を詰めていたわけですから、敵が近づいてきて焦れば、よほどの熟練者以外は
その作業もぞんざいになり充分な威力のない弾丸も、多く出たことでしょう。弓ほどではなくても、やはり腕前の差は
出たのでしょう。このあたり、雷汞や金属薬莢が発明され、銃弾の威力が威力が均一化、規格化した近代の戦争とは
全く違いますね。
こういった現象も経験則として、当時は知られていたのでしょう。そしてそれが戦場の様子を把握する要素にも成っていた。
近現代の常識とは別の常識が当時存在したことを教えてくれる、良い逸話だと思います。

2位はこちら留守は要らないです!
昨今の関ヶ原理解の主流になりつつある、「小早川秀秋は合戦以前から裏切っていた」「あらかじめ東軍だった」という解釈に
近い内容ですね。そしてここで現れる秀秋像は、創作物などでよくある気弱で優柔不断なものとは全く違う、かなり
果敢な決断力に富む性格の人物として描かれています。後世に軍記物で問い鉄砲の話が広まる以前の、小早川秀秋の
世間での印象の一端が現れているのかな、などと感じてしまいますね。
こちらも実に興味深い内容だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!こんな道の付け方がです!
上杉家中が堀尾家の戦の仕方を批判したお話ですが、これも実は、様々に解釈できる内容だなと思いました。
端的に言えば、ただ単に、堀尾家の合戦知識の衰退という話ではなく、実際に堀尾家の経験してきた機内西国の合戦と、
上杉家が経験してきた東国の合戦のあり方が相当違ったのではないか、という事です。
大阪の陣という、全国各地の大名を大阪という一点に集めた中で、そういった合戦の「文化摩擦」が、あらためて出てきて、
それが、やはり「東国大名」であった徳川政権化で、東国大名の発想のほうを正しいとする形でこのように逸話とされた
のではないか、という解釈です。
逸話の意図的には無論、「合戦知識を保持出来ていなかった家が、知識を保持していた家から笑われる(だから武家は
合戦の知識を守りた保たなければればならない)」ということでしょうが、元をたどるとそういうこともあったのではないかな、
なんてことを考えました。


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週間ブログ拍手ランキング【08/03~09】

2017年08月09日 15:33

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秀忠、江戸城内に孫の遊び部屋を作る 25

弓矢の礼儀 17

七郎兵衛の策略 13
そして19人目に、 11

飛びあがり飛びあがりいたされ候 10
督姫、駿府の家康へ会いに行ったときの行列で 10
○ 重箱獅子舞(三郷町野井) 10

印を見せて 7
○ 弥五郎社(旧武並村藤) 5
○ 枝垂栗(旧静波村) 2


今週の1位はこちら!秀忠、江戸城内に孫の遊び部屋を作るです!
徳川秀忠という人は私心の少ない人だという印象があり、そのせいか、人間味を感じる逸話は少ないように思います。
そんな中でこれは、確かに政治的なものも関わっているのでしょうが、「家庭人秀忠」というものが現れていますね。
孫の髪を秀忠が剃り、妻の江が結うという光景からは、最高権力者という肩書から離れた、ある意味どこの家庭にもあるような
温かみを感じます。孫が怪我しないよう柱をビロードで覆うなんて、愛情あふれる「おじいちゃん」そのものですねw
秀忠関連のお話は、良くも悪くも張りつめたものが多いのですが、このお話は本当に、ほっこりしましたw

2位はこちら! 弓矢の礼儀です!
元北条氏照の家臣だった石原主膳が、城乗っ取りにおける作法を浅野幸長配下に諭すお話で、城塞を占拠した折に、
このような一種の慣例があったことも含めて、興味深い内容だと思いました。
敵城塞の占拠というのはよほど出ない限り、大混乱の中で行われているわけで、このような決まり事があると
頭では解っていても、混乱に取り忘れること、ままあったと思います。そういう意味でも、これが実際にあったかどうかはともかく、
当時の戦場を考える上でリアルなものを伝えているんじゃないかな、なんて感じました。
またこのことを伝えるのが、かつて豊臣に多くの城塞を攻略された、元北条家臣というのも、なんだか良いですね。
そこに至るまでのドラマも感じさせる逸話だと思いました。そして確かに「いい直政の家臣」ですねw

今週管理人が気になった逸話はこちら!七郎兵衛の策略です!
堀秀政の謀臣的な、最近の流行りでは「軍師」と呼んでいいような堀七郎兵衛のお話。この方は史実の秀政家臣の内
誰に比定されるかも、実はまだよく解っていないようですが、江戸期の堀家関連の逸話、伝承では有名な人だったようで、
このお話は名将言行録にも収録されていますね。
堀秀政といえば「名人久太郎」の異名から、一人でなんでも出来たように思われがちで、実際に逸話でもそのようなものが
多いのですが、実はこのような、優秀な補佐役がいて、はじめて「名人久太郎」たりえたのだ。なんてことを感じさせてくれます。
堀秀政の堀家というものに、広がりを感じさせてくれる、そんな逸話だと思いました。



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週間ブログ拍手ランキング【07/27~08/02】

2017年08月02日 19:08

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主人の馬を戦場で放つ時 17

人を見立てる時は 13

武士の作法 12
日本国に歌道が流行れば 11
近衛信尹、関ヶ原後の家康への歳賀で 11

妻子を引き取る 9
乍去十五年おそく候 6
右馬允の意見 7
・唯落の城の事 本名高城 4


今週の1位はこちら!主人の馬を戦場で放つ時です!
戦場では、大将が馬を乗り換えるのも作法がある、というお話ですが、成功例が黒田長政なのも面白いですねw
彼はわりと、突進して逃げ帰る、という逸話のある人で、それ故か、こういう場合の対処について、家臣も手慣れている、、
という印象を持ってしまいますw
それにしても戦場では、心理のありようで戦局が大きく変わるという事、これは実戦の中での経験則だったのでしょう。
故に作法として、上層部に何かあっても、その心理的影響を最小限にする工夫が出来ていったのでしょうね。
そういうことを考える上でも、興味深い内容だと思いました。

2位はこちら!人を見立てる時はです!
これは徳川家康の、人を推薦する場合、自分を基準にするなというお話。
確かに、その人を基準にして誰かを推薦されても、それはその人の劣化バージョンでしかないでしょうから、主君としても
今更感があるでしょう。またその人の取り巻きを推薦されても、それは主君ではなくその人の権力を広げる助けにしか
ならないでしょう。
その人が持っていない能力を持った人を推薦することこそ忠義、という事なのでしょうね。こういうお話は現代にも通用するな、
なんて思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!近衛信尹、関ヶ原後の家康への歳賀でです!
このお話、最近出た、黒田基樹先生の「羽柴家崩壊」にも出ていましたね(非常に良い本でした)。
家康父子の取次として池田輝政が出てきたことに、近衛信尹が不快に思った、という内容ですが、いろいろ解釈の仕方が
ありそうな内容です。近衛信尹の不快が、輝政を取次にさせている家康父子に対してなのか、それとも家康父子の取次を
勤めている輝政に対してなのかで、解釈もそれなりに変わってしまうと思うのです。
前者は徳川家康が「豊臣公儀」を有名無実化していることへの不快であるし、後者であれば、早速「新しい権力者」家康に対する
池田輝政のおもねりへの不快に成るでしょうし、もしくは近衛信尹自身が、輝政とその前から関係が悪く対面したくなかった、
なんてことも考えられるからです。
昨今は、いわゆる「徳川史観の見直し」的なブームから、前者的(つまり「豊臣体制」が未だ人々の中に強く残っていた)解釈が
多いように思いますが(「羽柴家崩壊」もそういう解釈でした)、個人的には昨今の「徳川史観の見直し」という流れは、豊臣政権、
あるいは織豊政権への前のめりな過大評価になっている気がしていて、「どうかなあ」と思うことがしばしばありますw
そんなことも考えさせてくれたお話でした。

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週間ブログ拍手ランキング【07/20~/26】

2017年07月26日 22:58

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蜂屋を加えておけば、 17

首の臍 14
児玉は何故語らなかったのか 14

前足か後ろ足か 9
基広謀反と広継夫妻の自殺 7
『天上天下唯我独尊』の旗 7

信玄は釈迦を超えることを決意しているが故に 6
石川五右衛門偽上使の伝説 5
丈巌岩(岐阜県鶴岡村田代) 2


今週の1位はこちら!蜂屋を加えておけば、です!
このお話の面白いのは、信長の人事を平然と拒絶する柴田・坂井と、それに対して粘り強く、しかも丁寧に説明してなんとか
同意を取り付ける信長という、創作物などからイメージされる信長とは全く違う姿が描かれていることですね。
個人的には、実際の信長はこうい細やかな気遣いをした人だったでしょうし、信長の配下は信長に必ずしも
従順ではなかった、と考えています。信長が柴田勝家に宛てた、有名な「決して私に足を向けるな」という書状も、
実際に家臣から足を向けられている、という意識がないと書かないことだと思うのですよ。
秀吉なんて信長の命令に逆らうことばかりしていますしね。手取川の前に勝手に撤退したり信長が絶対殺せって言ってる
宇喜多直家と勝手に同盟組んだり。
そのあたりを見ても、信長というのは必ずしも独裁的な人間ではなかった、と考えていいと思っています。
そういうことを考えさせてくれる逸話だなと思いました。

2位はこちら!首の臍です!
こちらの面白いのは、池田と佐々の武功の譲り合いが「美しすぎて」信長がイラつく、という所でしょうねw
わりと良い光景なのに、そういう事に偽善や白々しさを感じてしまうということでしょうか。こういう感性も面白いものです。
そしてこういう場での「道化役」というもののありがたさも感じる逸話ですね。
こんな、わりと険悪な空気の中、「その頸、きっと自然に落ちたんですよ!」なんて事を平然と言えるのは、確かに
只者ではありません。また信長の小姓たちも、この空気を完全に無視した発言に、笑ってしまったのでしょうし、
信長自身も、自分の作った空気を破ってもらって、ある意味救われたと言っていいでしょう。
眼前で繰り広げられてる光景自体は「美しい」ものであり、それを怒るのは、決して良いことではないわけですからね。
そういう意味でも、実はわりと深いことを語っている気のする逸話だなと感じました。

同票でもうひとつ!児玉は何故語らなかったのかです!
このお話からは「武士は相身互い」という言葉を感じさせますね。
現在でも、同じ場所で同じことを経験してすら、それについて語る内容がまるで違う、なんてこともよくある話です。
しかもこれは、世間で有名と成った一騎打ちについての当事者の言葉であり、それに相違が有れば、それについて
様々に言われるであろうこと、想像できますね。
ここで児玉さんは、現在はその武功と関係なく家中で相応の地位を保っており、それゆえにこの時の話をことさら
語ることで藪内匠に無駄に批判を受けるような立場に立たせる必要はない。という事なのでしょう。
武士の「やさしさ」とは、こういう意識なのかな。などと思ったりしました。



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週間ブログ拍手ランキング【07/13~/19】

2017年07月19日 21:59

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「見るべき所を見ている」 21

秀吉の才用は、かくこそ 14

夢のお告げの大石を 8
許可しなかった理由 6
わが国にとって幸いであるのはことさら言うまでもない 
6

右衛門佐 頂くものが二つある 5
鎌倉杉 4


今週の1位はこちら!「見るべき所を見ている」です!
蒲生氏郷が蒲生四郎兵衛の報告を褒めたお話ですが、なるほど、ただ単に「敵はいない」では、あまり意味のない
報告なのですね。当然「罠かもしれない」と考えられるからです。であるので、なるべく多角的な情報がほしい。
そこに蒲生四郎兵衛は、さすが戦略眼を持って観察し、10日以上前に敵が撤退したと推測しました。
こういう技能が、部将クラスの高級将校に求められたのだな、とも感じます。
色々と興味深い逸話だと思いました。

2位はこちら!秀吉の才用は、かくこそです!
ホントかどうかわからないが、という注釈付きの逸話ですが、たしかに秀吉には、この手の「人を制する」才能を持っていた
印象がありますね。有名な、上洛した徳川家康の宿舎に忍んで来訪し、自分に平伏することを頼み込んだという逸話がありますが、
それと似た印象です。
本当に、事実かどうかは別として、秀吉という人はそういう印象を持たれていた、ということは言えるのでしょう。

今週管理人が気になった逸話はこちら!右衛門佐 頂くものが二つあるです!
応仁記の、畠山義就の逸話ですが、義就と言えば大ヒットした中公新書の「応仁の乱」でも、とにかく強い武将として
登場していますし、TV番組ではシン・ゴジラに例えられたりしていましたねw
そんな彼も朝敵とされ逼塞を余儀なくされていたのが、山名宗全などの工作で復権し、上洛まで果たしました。
この落書は、それを京雀たちは皮肉ったものということなのでしょうが、この「応仁記」は、細川京兆家に近い人物による、
応仁の乱当時の京兆家の行動を正当化するため書かれた書物、と考えられており、そこを見ると、この落書を紹介することで、
「畠山義就や山名宗全は、京の市民の支持を得ていなかった」という印象を与えたかったのかもしれません。
歴史のおもしろさは、様々な角度から物事を見ることだと思っていますが、このお話からも、そういった趣を感じました。



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週間ブログ拍手ランキング【07/06~/12】

2017年07月12日 18:12

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祁答院河内守良重、妻に殺されること 15

歯を白く、髪も美しく 15

ここに松を植えたので 11

ラスボスから茶々への愛の見舞状 10
花澤城の鯨波の声 9
「今迄の鼻は、ここにてかむべき為であった。」 9

鳥取籠城のこと 8
此度の功によって我が疑いは晴れた 7
何宗であっても松を立てよ 7
於萬様は宮部に養育されていた 7

伊賀伊賀守のことなど 6
山口重政は申し触れて廻った 5
この国の殿は 4

「竹村を討たんならば忽ち民部殿を打落とさん」 4
長顕、軍に従えないことを憤って 4
父・吉政に不義の行いあったので 3


今週の1いはこちら!祁答院河内守良重、妻に殺されることです!
レスやコメントなど見ると、祁答院良重という人物は、非常に興味深いですね。良くも悪くも当時の島津家において大きな力を
持っており、そこから「実は粛清されたのだ」という発想が出てきてもおかしくなさそうです。
島津家の記録というのも、基本的には政治的な思惑が入るものですし。
そういった意味でも、祁答院良重という人物の掘り起こしというものも、戦国期島津家を見る上で、また新しい角度から
光が当てられるような感じがしますね。

同票で1位はもう一つ!歯を白く、髪も美しくです!
徳川家康と上田宗箇の、良き討ち死にのための気遣いのお話です。
討ち死にとは死ぬことですから、勿論悲劇と面もあるのですが、それ以上に武士にとって「最高の名誉」であるのも
確かなのですね。合戦がほぼなくなった近世初期の武士の記録を見ると、とにかく「君の面前で討ち死にできない」事を
非常な不満としていますね。そういう鬱憤が溜まりに溜まった挙句が、大阪の陣の(幕府方、大阪方双方に見える)
死にたがりの続出、という現象だったと思います。
葉隠は「武士道とは死ぬことと見つけたり」なんて書き残しましたが、それはシュチュエーションを整えた上でなら
まったくもって真実なのですね。むしろ、討ち死に後の家族一族の利点(家系の名誉が高くなり所領も保全される)を
考えると、現実的、利己的なな望みだとすらいえますw
そういう「名誉」に傷をつけない配慮をするべきだというのは、これも将として配下に伝えるべき事だったのでしょう。
そんなことをふと、思いました。

3位はこちら!ここに松を植えたのでです!
田中吉政の統治についての内容です。
吉政という人は、秀吉や家康から重要な政務や拠点を任され、当時の人材の中でも相当優秀だったこと間違いないのですが、
歴史的には関ヶ原で「友人だった」石田三成を捕えて家康に差し出した人物といった、少々小物のな印象を持たれており
そこは非常に残念だと思っていました。
この逸話を見ても、近世大名の政策をほぼほぼ先取りしたような先進的な統治で、非常に感心させられます。
コメントにも「この人の作った町はどこも美しい」とありましたが、本当にそう思います。
この人も再評価の待たれる人物だなと、感じた逸話でした。


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週間ブログ拍手ランキング【06/29~07/05】

2017年07月05日 18:25

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かつて朝廷が関白職を設置した由縁を 16

河村の才知 12

広高には少しも悪しきことはなかった 11
我の外孫なれば我が子に准ずべし 10
島津のこと、それがしに征伐を命じられれば 10

一日の間貸され候へ 9
それが白指山西琳寺である 8
淀殿に仕えた各務兵庫の娘 7
御留守に任じて 4


今週の1位はこちら!かつて朝廷が関白職を設置した由縁をです!
秀吉が自らに関白職を与えるのを躊躇する朝廷を論破するお話。慣例を実力で突き破る、いかにも秀吉らしい逸話ですね。
厳密に言うとこれは史実ではなく、実際には秀吉は、近衛前久の猶子となり「藤原秀吉」として関白に任官しています。
豊臣姓下賜はそのあとですね。
ただ、このお話は、おそらく、当時これを書いた人も読んだ人も「そうだよなあ」と思ったであろうかとが重要だ、と思います。
このお話の中に、当時の人々の『高位高官とはいかに有るべきか』、という思想が読み取れるように感じます。
必ずしも史実に則さない逸話でも、見方次第で非常に興味深いものとなるという好例のようなお話だと思いました。

2位はこちら!河村の才知です!
これも非常に興味深いお話で、戦うべき時は先手を取るべきという中世の自力救済の世界と、先に手を出したものが罰せられる、
自力救済を否定した近世の、2つの価値観のせめぎ合いが見えてきますね。
戦国的には、即時開戦が正しい思考でしょう。そもそも実際に枝城が攻められていなくても、百姓間の境相論が紛争化した
時点で開戦の理由と出来たのですから。しかし近世はそうではありませんね。一義的には当事者間の交渉で、それが
まとまらねば上級権力(幕府)の裁断、という形で紛争は解決されます。実力(武力)の発揮は禁じ手に成っていたのですね。
河村さんはこの時若年であったとありますが、若年だからこそ、「近世の思考」を自然に身に付けていたのかもしれません。
そんなことを考えさせてくれる逸話でした。

今週管理人が気になった逸話はこちら!広高には少しも悪しきことはなかったです
寺沢広高というのはなかなか評価の難しい人で、そもそもは三成や小西行長に近い人でありながら関ヶ原で東軍についたり、
キリシタンに改宗していながら禁教令にともない改宗、弾圧者に身を翻すなど、非常に権力遊泳に秀でた人物のように
見えます。また天草の石高を課題に申請し、過酷な統治により後の天草の乱の原因を作ったともされます。
しかし一方で非常にストイックな武士敵性格を持ち、また所領の経営を重視する、近世大名の先駆的存在でも
あったようです。
このお話からも、当時も寺沢広高の評価というのは難しいものだったのだな、という印象を与えられますね。
そういう面でも、興味深く読んだお話でした。


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2017年06月28日 18:56

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皆さん歯を大事にしましょう。 22

ならばこれからは尚更に 13
終始の勝敗は、終始の政による 13

和談の使い 10
織田信長の頃まで、槍という功名は 9
1563年頃の松永久秀 9

山村の策略 6
体内の光物 5


今週の1位はこちら!皆さん歯を大事にしましょう。です!
前近代において「虫歯」って、人類にとって大変な脅威だったそうです。
根本的に「抜く」しか対処の仕方がないですからね。それだけに歯のことについては、現代人が想像出来ないほど、
本気の「祈り」が、これは洋の東西を問わずあったようですね。
そんな事を思い出させてくれるお話で、「尚武の家」であり少々の負傷などではびくともしななそうな島津家においても、
葉の痛みは別格であったか、なんて少々微笑ましくも成ってしまいましたw
現代の我々も、虫歯云々だけでなく、将来長く自分の歯で食事ができるためにも、葉を大切にしないといけませんね!

2位はこちら!ならばこれからは尚更にです!
これは立花宗茂のお話。宗茂は自分の立ち位置の理解が、実にシンプルですね。「武」こそが自分たちの存在理由だという
その単純かつ強烈な認識。いかにも宗茂らしい、と感じてしまいます。
実際に、大阪の陣などでも宗茂は秀忠の参謀のような役割をしていたようで、その軍事の能力、知識によって大名として
復帰できた、というのは概ね事実でも有るのでしょうし、逆に言えばここまでシンプルに自分の役割を理解していたからこそ、
家康、秀忠もある意味安心して彼を引き立てたのかな。なんて事も感じてしまいました。

そして同票でもう一つ!終始の勝敗は、終始の政によるです!
こちらは豊臣の滅亡について、端的に言えば「一日や一度の戦の結果で滅びたのではない。それまでの政治や家の運営の
失敗の蓄積で、敗北したのだ」ということでしょう。これはもう確かにその通りで、「負けに不思議の負け無し」なんて松浦静山の
言葉がありますが、「滅亡に不思議の滅亡なし」とは言えるのでしょう。
現代人は、様々な場面で状況が悪化した時、わりと短絡的に、どこが悪かった、何が悪かったと原因を決めつけてしまうことが
多く有るように感じます。しかし、実際にはそうなるに至る様々な蓄積があるわけでして、この逸話から、そういう思考位が大切だよ・
という事を教えてもらったように思いました。



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2017年06月21日 19:55

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容易ならぬ風聞 17

罪も恨みも一切の雑念の消えた新しい世界がそこに 11
彦根藩士は美服奢侈の排すべきを 11

勇者の思い 10
そのときは拙者とて 10
こんなことを言わずに謀叛すればいい 9

つまるところ、武士は詞が大事である。 8
白鷺か何ぞと人の問いし時 8
利勝の知慮は衆人の及ばぬところ 7
加藤の亡魂 7

中国の日本に関する地理誌「東西洋考」によれば 6
ティモシー・ブルック「セルデンの中国地図」より、日本の地名 6
その節諸事に御軽きこと 6

牛頭天王の神慮 5
雑談・茶器についてのことなど 5
「南蛮寺興廃記」より、日本人キリシタンのハビアン、コスモ、ジュモンについて 5
“井伊家の一本槍” 4
姜沆の上杉景勝評 3


今週の1位はこちら!容易ならぬ風聞です!
板倉勝重による、呪詛をある意味笑い飛ばしたと言っていい知的で剛毅なお話ですが、じつに「近世」を
感じさせる話でもあります。中世の歴史を学んでいるとすぐに気づくと思いますが、「呪詛」というのは大事件なのですよね。
上は皇室から下は庶民まで、呪詛が関わる騒動は枚挙に暇が無いほどです。
こういう感覚は戦国期でもそうは変わらず、例えば無神論の合理主義者と言われがちな織田信長でも、武田攻めの際、
畿内の寺社などに武田滅亡の祈祷をさせていたそうです。
ところが近世に成ると一般的に、祈祷や呪詛を、否定とまでは言わないものの、そういった行為を非常に低評価するように
なりますね。そのあたりの変化がどこから来たのか、色々と調べつつ、考えてみるのも面白いかもと、この逸話を読んで
少し思ったりしました。

2位はこちら!罪も恨みも一切の雑念の消えた新しい世界がそこにです!
村越茂助も実に面倒くさい三河者の典型、といった感じなのですが、こういう逸話を読むたびに、三河者というのは、家康のことが
本当に大好きなのだな、と感じちゃいますね。その好きの表現は相当ひねくれていますがw
その不器用さも含めて、三河武士なのでしょう。そういった、三河武士のいいところも悪いところも、能く出ている逸話だと感じます。

同表で2位はこちら!彦根藩士は美服奢侈の排すべきをです!
井伊直孝が言葉を使わずして奢侈を止めさせたお話です。世の中には「言葉にすると角が立つ」というものが、実際多く
有るものです。しかし態度で察してもらうのも、なかなかにテクニックにいることです。
この彦根藩などは、当時のファッションの中心地である京に近い事で、ややもすれば豪華で流行の衣服を身に着けたいという
欲求も強かったことでしょう。それをあたまごなしに禁止しては反発が出る。だからこそ、皆が自主的に考えを改めてくれるよう
もっていくというのは、これも領主、君主の器量なのでしょうね。
こう言ったことが出来るからこそ、家康も井伊家を直孝に任せたのかな、なんて思えてくるお話でした。



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2017年06月14日 18:53

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藤堂高虎遺訓ニ百ヶ条で、よくわからないもの 21

一つとして難ずるべき所無し 15

男子これなく候へとも、 13
三斎は実は 13

御鷹の鶴の胆(マル)を上げらるるときの咒文 8
「南蛮寺興廃記」より、イエズス会が伊吹山に薬草園をひらくこと 8
「南蛮寺興廃記」より、南蛮寺ができるまで 8

英雄の掘った井戸である故 7
釣り髭であった 7
今は石垣山と呼んでいる 6
三池典太光世の鎌 6

『好き』を止めよ 5
人の挨拶 5
牧野成里、池田輝政の仲介により帰参 5

吉村には似合わぬこと 4
「南蛮寺興廃記」より、キリスト教布教の様子 2


今週の1位はこちら!藤堂高虎遺訓ニ百ヶ条で、よくわからないものです!
実は追加まで含めると204ヶ条ある藤堂高虎遺訓。その中には一見現代人にはよくわからないものもあるというお話ですが、
高虎自身、叩き上げの人だけに、彼の得た教訓も体系化されているわけではなく、そのアドバイスも、この遺訓と同じように、
断片的であったり、ニュアンスを感じろ的な物ではなかったかなと想像できますね。
また彼の遺訓から、豊臣秀長や秀吉の手法も想像できるのではないかな、なんて感じます。

『藤堂高虎遺訓』は伊賀上野城のサイトからも通販できるので、興味のある方、藤堂高虎ファンの方は是非!
http://igaueno-castle.jp/?page_id=24

2位はこちら!一つとして難ずるべき所無しです!
織田家の歴々が、竹中半兵衛の軍略に感嘆するお話です。
逸話ですが時期を想像すると天正5年前後でしょうか?半兵衛は信長直臣であり、秀吉に寄騎として付けられていた筈ですね。
この逸話で面白いのは、半兵衛が自軍の戦略についてだけでなく、敵である毛利の分析について、織田家諸将から感心された、
という所でしょうか。このあたり、当時の「軍師」に求められる物は何かを表しているようで、興味深く感じました。
「軍師・竹中半兵衛伝説形成の過程の一つ」というべきお話かもしれません。

今週管理人が気になった逸話はこちら!
「南蛮寺興廃記」より、イエズス会が伊吹山に薬草園をひらくこと
「南蛮寺興廃記」より、南蛮寺ができるまで
です!
キリスト教関連の話は、やはり主に、当の宣教師たちの記録からの研究がほとんどですが、やはり日本側の記録も、
きちんと見た上でないと見方が偏る、と思います。その意味でこの>「南蛮寺興廃記」は、非常に貴重なものだと思います。
それにしても京の教会を「永禄寺」と名付けようとした、という記事は非常に面白いですね。
これはキリスト教も「寺門」の一つに組み込もうとした、と見ることが出来ますし、この路線で行けばやがてキリスト教の
上層部には、皇族や摂関家、あるいは武家の子弟が「門跡」として入ったことでしょう。いわゆる「権門体制」の中に、
キリスト教も組み込まれてしまうわけですね。
宣教師の側の、キリスト教を日本に広める運動と同時に、日本の側にもキリスト教を体制に取り込む発想があった、
という部分を想像するのも面白いかもしれません。


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週間ブログ拍手ランキング【06/01~/07】

2017年06月07日 18:50

06/01~/07のブログ拍手ランキングです!


先んずれば人を制す、という事です 15

六文銭のチョイスが 13

船手のあしらい神妙なり 12
御陣所の体、味方の様子、見及んだ所 11

東照宮物具の御物語 附小野木笠の事 10
松井康之が利休最後の手紙を 9
ある時、皇寛と申す唐人の話に曰く 9

這い出る病 8
重任は威が無ければなしえない 8
都ははるのこしきなりけり 5
下総守の判断 4


今週の1位はこちら! 先んずれば人を制す、という事ですです!
ここに出てくる「伊賀甲賀のあぶれ者たち」というのはいわゆる傭兵の足軽集団なのでしょうね。それが本能寺の変の勃発で
不穏な様子が見えたので、貴重な戦力ではあるがこれを帰国させる、という事なのでしょう。
このお話からは、同じような傭兵的軍勢を多く従えていたとされる織田信孝の四国攻めの兵が、本能寺の変の影響で
多く逃亡したという話を思い出させます。いざという時頼りに出来ない戦力を抱えるのは、リスキーにすぎるという判断も
解るような気がします。当時の、ギリギリの危機管理を表したお話だな、なんて思いました。

2位はこちら!六文銭のチョイスがです!
こちらは海外での「サムライグッズ」のお話。清朝銭だと、真田よりずっと後の時代のものになってしまいますねw
「銭」であればなんでも良いだろうという、なんとも言えない適当さ。嫌いではありませんw
しかし清朝銭の頃に成るともう、日本は江戸幕府が寛永通宝などの「独自通貨」を発行していましたから、
日本国内に広く流通する、ということはありませんでしたね。
ギリギリの所で日本史への登場を逃した(?)通過、と言えるかもしれません。
それが巡り巡って遠く海外で戦国グッズのデザインに取り入れられるのですから、世の中とは不思議なものですねw

今週管理人が気になった逸話はこちら!
船手のあしらい神妙なり
御陣所の体、味方の様子、見及んだ所
この2つ!村上通清さんのお話です!
この方、元は毛利から離反し羽柴秀吉についた来島村上氏の一族ですが、経歴が非常に面白く、海賊停止令が出ると
さっさと来島家を致仕して黒田家に仕えたと思えば、そこも離脱し関ヶ原は西軍として戦い、その後福島正則に仕えるといった、
「西国系つわもの」という趣があります。最後は人材マニアの南龍公・紀伊頼宣に召されるのも、勇者の面目を感じます。
そんな興味深い人物の、いかにも戦玄人な内容のお話2つ、非常に興味深く読みました。



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