週間ブログ拍手ランキング【05/10~/16】

2018年05月16日 21:27

05/10~/16のブログ拍手ランキングです!


蘆名盛隆と美麗な小姓 11

柴田などに騙されるものか 11

少之御普請も御堪忍、御尤候事 10
中々あふなき事にて候事 10
義太夫が心剛であり 10

不届者ハかたはしよりなて切りニ 9
水谷蟠龍斎は生まれる前からすごかった 8
汝が心を見んとして 7
神戸の関家への使い 4


今週の1位はこちら!蘆名盛隆と美麗な小姓です!
戦国好きにはわりと有名な逸話ではありますが、こちらは蘆名盛隆に近侍していた医者が悪い噂を広めたという
話になっていて、こういう細部が描かれていると、またいっそう逸話が立体的に見えてきますね。
蘆名盛隆が殺害された事件は当時としてもよほど印象的なものだったようで、様々な所でこの逸話が収録
されています。実際これ以降、蘆名家は下り坂を転げ落ちるような衰運となるわけで、蘆名家衰退の画期とも
考えられていたのでしょう。
また現代の私達からしても、非常にインパクトの強いお話ですね。武家の衆道にははっきりと、「武士道」ともいうべき
感覚が強く染み付いていると思います。いろいろな角度から見ること尾でいる逸話だな、なんて思います。

今週は同票でもう一つ!柴田などに騙されるものかです!
滝川一益が秀吉を足止めする策を考え、それを秀吉が看破する、と言うお話です。ところでここで、軍師の代表として
張良と楠木正成が出てきましたが、戦国当時のことを考えると、秀吉はその両名を確実に知っているはずです。
何故かと言えば、戦国後期から近世初期にかけては、「太平記」の一大ムーブメントが起こっていた時代であり、
世間には「太平記読み」といって、太平記を語ることで金銭や食料を得る人たちもいたのです。
太平記は庶民層まで含めて当時の基礎教養ともいっていいものであり、当然ながら秀吉も、楠木正成を知っています。
そして太平記は「描写に困ると中国の故事を入れる」なんて評もありますがwその中に張良も活躍もしっかり描写
されており、これまた当然、秀吉も張良が何者か解っていたはずなのです。
ついでに言うと太平記の中には「源平交代論」というべき思想も描かれていまして、これまた武士だけでなく世間一般に
共有された考え方であったと言っていいでしょう。
戦国期に最も大きな影響を与えた本は、太平記だと言い切っていいと思います。
そんな事をふと思い出した逸話でも有りましたw

今週管理人が気になった逸話はこちら!水谷蟠龍斎は生まれる前からすごかったです!
水谷蟠龍斎と言う人、名前だけはなんとなく知っている、という方も多いでしょう。かく言う僕もそういう一人ですw
しかし独立した大名でもないのに、その出生譚がこれだけ様々に彩られているとは、これは、同時代、或いは
近い時代の人たちにとって、よほど強烈なインパクトの有った人だったということなのでしょう。
逸話、伝説が語り継がれるためには、やはりその本人にパワーがなければ、難しいものですね。
そうでなければ後世の人達も「語りたい」という思いがわきません。
そうかんがえると、生まれたところだけですら、これだけ強烈に「語りたい」と思わせた、水谷蟠龍斎という人物が、
実に興味深く思えてきます。
今後僕も勉強したいと思います。



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週間ブログ拍手ランキング【05/03~/09】

2018年05月09日 19:46

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名も無き奉公人の話 ―鍬の槍― 29

異形な僧体の正体は 16

我らも御爪の端 15
西国の桶狭間、事の始まり 11
息子が分別無く深入りしたのだ 11

戸部の蛙 7
豊臣秀保の死 5
光秀利三最期 5


今週の1位はこちら!名も無き奉公人の話 ―鍬の槍―です!
本当に名もなき人の、そしておそらく、その家の中だけで語り継がれてきた逸話なのでしょう。
しかしだからこそ、本当に貴重で、素晴らしい逸話だと思います。こういう逸話をまとめられたこと、管理人として
嬉しい限りです。
一国一城をせめぎ合った武将たちだけでなく、名が残らずとも一人ひとりの人たち全てにドラマが有ったのだ。
その事をはっきり感じさせてくれる、そんなお話ですね。

2位はこちら!異形な僧体の正体はです!
武田信虎の肖像を見ると、確かに異形と表現したくなりますね。何というか、人というより妖怪に近いというかw
実際に、見るからに只者では無さを感じさせる人だったのでしょう。
そんな信虎が伊達家と関わるこの逸話。いろんな事を想像させてくれますね。
こういう事も、信虎ならありそう、と思わせるだけでも、武田信虎という人の異形さかな、なんて思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!戸部の蛙です!
アレに元ネタがあったとは!寡聞にして知りませんでした。びっくりしましたw
それにしても忍たま乱太郎
>作者の友達が戸部新左衛門の子孫で
そういう環境の中で、ああいう、実は中身的に相当にコアな世界が描かれる作品が生まれたのかと、妙な納得を
してしまいました。こういう事まで知れるとは、やはりいい悪いスレは凄い所です。



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週間ブログ拍手ランキング【04/26~5/2】

2018年05月02日 10:40

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少年のときは少年のように 16

藤吉郎は才覚者である 12

木下藤吉郎、堂洞城攻めの功 11
日本の歴史を大きく変えた偽メール事件 9
小堀の三ヶ条の要求 9

信長と云う者だ。 8
【ネタ】このスレの民は、そのニュースを聞いて、ほぼ全員 7
中村作り取りの事 6
大身の方に嫁がせて物入りになれば 6
羽柴秀吉と柴田勝家の戦いは 5


今週の1位はこちら!少年のときは少年のようにです!
滝川一益による井口又兵衛息への批評。少年の頃は少年なりの粗忽さが必要、という発想、逆に言えば「変に大人びた子供は
気持ち悪い」という事で、そういう考え方は現在でもありますね。「子供は子供らしく」という奴で。
まあ当の子供からしたらそういう評価は困ってしまうと思うのですがwこういう『大人が望む子供像』と、子供自身の自己認識の
間のズレみたいなものが、この時代にも既にあったんだな、という見方をするのも面白いかもしれません。
まあやってることは殺人で、しかも謀殺なんですけどねw一益が末恐ろしさ、不気味さを感じてもしょうがないかなとも思います。

2位はこちら!藤吉郎は才覚者であるです!
この時代の秀吉の、命ぜられたことを、与えられた条件の中で不必要な摩擦を起こさずスムーズに成し遂げる才覚、というものを
感じさせてくれる逸話ですね。これは確かに出頭する人だなと思わせます。
実際にも若い頃の秀吉の出頭というのは、こういった物事を成し遂げる才覚が非常に高く、またそれを信長に非常に評価されて
いたのでしょう。だからこそ、20代で既に尾張在地の奉行となっていますし、信長の上洛戦の頃には既に、一手の部隊を
任される、「重臣」の一人になっています。
そんな秀吉の「実務能力」を表す逸話だな、と感じました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!信長と云う者だ。です!
本文のレスにもありましたが、ここでは勝頼を批判していますが、実際には信玄に対しての批判なんでしょうね。
徳川の記録や逸話からも見えてくるところがありますが、信玄の釜炒り等の残忍な処刑方法は、当時の基準でも
非人道的である、と考えられていたフシがあります。
その上で、祖父物語成立の段階で、「武田家関連で印象の悪いことは勝頼のやったことにする」というような意識が
あったのだな、とも感じさせてくれますね。これは良い悪い、正しい正しくないではなく、武田家を滅亡させた勝頼という
存在に、世間一般がそういう印象を持っていた、という事を表しているとも思います。
この逸話の内容だけでなく、逸話の成立した当時のバックボーンを考えると、非常に様々に想像できる、そんな
逸話だなとも思いました。



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週間ブログ拍手ランキング【4/19~/25】

2018年04月25日 15:32

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信長公、木曾義昌を酷評 14

枉げて勝頼の下知を了承し 13

”信長”という字が欲しい 10
本能寺の変、当日のドキュメント 10
そして明智光秀は本能寺を取り巻き 10
異郷の地にて 10

御衣装も常に黒いものを 8
花を生けない風 7
池田輝政の立身について 7

この茶筅御曹司は 5
長門守は侍の冥利が尽きた人なので 5
【ネタ】大田原資清と大関高増の遊び場 4
島津家大永の内訌 2


今週の1位はこちら!信長公、木曾義昌を酷評です!
コメントなどでも指摘されていましたが、「うつけ」とか「礼儀知らず」「田舎者」とか、かつて信長が散々言われてきた言葉ですねw
その頃から時が経ち、信長も自覚の上では都会的な文化人となった、という事なのでしょう。
その上で実際の「田舎」の「礼儀知らず」を見てしまうと、自分の過去を見せられるようで、余計に冷淡に成ってしまう、
なんて想像が出来るかもしれません。
本当に最晩年の信長の、自己認識の一端を感じられるような逸話かな、なんて思いました。

2位はこちら!枉げて勝頼の下知を了承しです!
新府城退去の際の、勝頼と武田信豊との会話ですが、お互いに信頼しあっている空気を感じさせてくれます。
信豊も、武田滅亡における、勝頼に道を誤らせた近臣の一人として、評価の芳しくない人ですね。
武田滅亡という事実がある以上、その政権中枢にあった人物がマイナスの評価を受けるのは、仕方のないことかもしれません。
しかし当然ながら本人たちは滅びようと思ってやっていたわけではなく、必至に生き残ろうとあがいていたわけで、
その部分に思いを馳せるのも、また歴史を見る上で必要なことかもしれません。

今週管理人が気になったのはこちら!明智光秀大河が発表に成ったことも在ってか、光秀関連の逸話が
投稿されていました。

本能寺の変、当日のドキュメント
そして明智光秀は本能寺を取り巻き
この茶筅御曹司は

光秀大河の放送は再来年。先は長いですが、戦国史界隈が再び盛り上がる、よい大河になってほしいと思います。
個人的には三好長慶、足利義輝の時代をきっちり描いてくれると嬉しいな、なんて希望を今から持っています。
何はともあれ、楽しみにしたいですね~



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週間ブログ拍手ランキング【04/12~/18】

2018年04月18日 09:57

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幕府政所伊勢氏の滅亡 15

「万年君」 14

三好義興の死について 13
唐人松の伝説 9

汝は何方にて骨折り、武辺を仕ったか!? 8
今後『菊石』と呼ぶ 6
観音寺騒動のはじまり、後藤賢豊父子誅殺事件 6


今週の1位はこちら!幕府政所伊勢氏の滅亡です!
幕府政所伊勢氏は財政を握り、まさに室町幕府の中枢であったわけですが、これによって実質的な権力を失いますね。
足利義昭の幕府にも参画するのですが、目立った影響力は行使できず、義昭追放後は明智光秀の統率を受け、
そのまま本能寺~山崎の戦いに参加して、伊勢宗家としては滅びる形になります。
こういう、本質的に室町幕府そのものであった幕府政所伊勢氏の没落をみると、やはり三好時代も時代の画期だったのだな、
と感じますね。

2位はこちら!「万年君」です!
戦国期、この「東京湾岸」の人々のように、二つの戦国大名に両属する形を「半手」(西国では半納)と呼び、北条勢力圏では
西上野でも武田と両属の地帯があったようです。西方では、少し時代が下りますが毛利と羽柴秀吉勢力圏の間にこの
半手地帯があり、毛利と秀吉との国境画定交渉では、この両属地帯をそのまま維持したい毛利側と、
はっきりと国境を確定したい秀吉側との間で議論に成ったといいます。そう考えると、この両属状態というのは
中世的特徴でも有るのでしょう。
ただ、戦国大名はともかく、領民にとっては非常に負担の大きい体制であることは確かであり、だからこそ
その状況の解消が、近世のテーマに成ったとも言えるのでしょうね。
この場合、北条か里見かと言った「どちらに付く」かというのは、領民にとっては二義的な話でもあるのでしょう。
そんな事も考えさせられた逸話でした。

今週管理人が気になった逸話はこちら!汝は何方にて骨折り、武辺を仕ったか!?です
コメントにもありましたが、フロイスの日本史にも、この甲州征伐の最中に、明智光秀が織田信長から暴力を受けた、
との記述があり、この逸話が事実を書いているかどうかは別として、どうも、信長と光秀の間で何かあったらしいというのは
ある程度事実ではなかったかと考えられます。
そして仮にそのようなことが人の噂になるレベルであったとすれば、それだけで本能寺を起こす理由に成ると思います。
当時の武士(に限らず日本人全般)というのはそういうものですからね。恥をかかされたら「自力で」その恥を雪ぐ事を、
まず考える人々です。恥を背負ったままでは精神的だけでなく、社会的に劣った存在と見られてしまうからです。
そういう意味では、「本能寺の変」は当時の人達にとって、そのことの評価はともかく、起きたことについては不思議でも
何でも無かったかと思います。
実際、主君から侮辱をうけて謀反を起こした事例なんて、戦国期もそれ以前もたくさんありますからね。本能寺は影響力が
非常に大きかっただけで、本質的にはそういった「謀反」の一つだったと考えていいと思います。
そんな事を思った逸話でした。



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週間ブログ拍手ランキング【04/05~/11】

2018年04月11日 18:08

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大内家滅亡 17
【ニュース】 <歴史>「大坂の陣」巨大陣図が見つかる 最古級・最大級 17

足利義輝のクーデターの顛末 14
進士九郎による三好長慶暗殺未遂事件 13

一宇治城攻略と狐火 11
その頃、芸州に毛利元就という人が 7

誠に多年旧功の主従であり 6
諸塁はたちまち日新公に 6
弘治三年の大旱魃と大洪水 5


今週の1位はこちら!大内家滅亡です!
足利李世記に見える大内滅亡の顛末。
その頃、芸州に毛利元就という人が
この記事と合わせて、畿内におけるこの地域への関心の深さを察せられます。
それにしても史実かどうかはともかく、足利義輝が大内への亡命を考えていたとか、大内の方はさらに、天皇家まで含めた
受け入れを望んでいたとか、どちらも仮に実現すれば日本史そのものが大きく変わったであろう内容で、当時の大内氏の
スケールの大きさ、強力な存在感を充分に感じられます。「大内ならこのくらい考えていた」と、少なくとも考えられていた、
ということでしょうからね。
この時期の戦国史の、固定化したイメージを大きく揺さぶってくれる、そんなお話だと思いました。

同票でもう一つ!【ニュース】 <歴史>「大坂の陣」巨大陣図が見つかる 最古級・最大級です!
こちらも本当に大発見で、今後、他の陣図や文献史料とのとの比較といった作業の中で、様々な仮説、新説を生むであろう
新史料だと思います。全ての内容を早く知りたいなあw
大阪の陣への理解も、やはり軍記物の影響が今なお強く、実態とは相当乖離があったと考えられます。
その乖離を正せるような研究が、この史料により更に発展してほしいな、と切に望みますね。

2位はこちら!足利義輝のクーデターの顛末です!
足利義輝が三、好長慶によって没落させられた細川晴元の勢力を頼んで、三好からの自立を意図したものなのでしょうけど、
完全に裏目に出て、近江への逃亡という顛末となります。
実は「流浪将軍」足利義稙以来、足利将軍家でこのパターン多いですねw畿内を制する実力者に対し、その反対者を
味方につけて自分の主導権を回復しようとする行為。ほぼ全部失敗するのですがwただしこれは、足利将軍がそもそも
複数の有力大名に推戴され、そのバランスの中で主導権を発揮する存在であるため、一人の実力者に寄ってのみ
推戴される形は、逆に「バランスの悪さ」を、将軍家や幕府構成員に感じさせるものであったのでしょう。
ある意味では「傀儡」を断固拒否する姿勢だとも言えますが、そういう姿勢が畿内の争乱を無駄に長引かせた要因でもあり、
いつの時代も「政治」とは難しいものだと、そんな気分になりますね。


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週間ブログ拍手ランキング【03/29~04/04】

2018年04月04日 18:25

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新たに征服した地域を支配する際の注意点 14

足利義明と止められなかった逸見忠次、里見義堯 12

天文法華の乱 8
天文十四年八月二十三日酉の刻、天下は一斉に黄色と成った 7
高畠はついに討たれたのである 7
晴元は、浅謀である 7

今をさかりの みよしのの花 6
九里信隆謀殺 6
両葉去らずんば斧柯を用うるに至る 5
山科本願寺陥落 5
天下が破れるということは、すべて 5
満天の諸星が尽く動揺し 4


今週の1位はこちら!新たに征服した地域を支配する際の注意点です!
毛利輝元による、征服地の支配論。「征服された側の気持ちになって考えろ」というのは、中国の覇者と成ってなお
「毛利を慕う者など一人も居ないのだ」といい切れる、元就らしい言葉ですね。ここまで割り切っているからこその、
一国人領主から大膨張を成すことが出来た、とも言えるのでしょう。
一方の武田信玄ですが、実はこちらは、占領地から非常に評判が悪いw
早くから切り取った信濃でも、武田は懐かれていた、とはいい難く、駿河は大変な収奪をされたという記憶が残っており、
上野にいたっては、武田は悪鬼羅刹に近い印象を持たれていますw
このあたりの器量は(勿論単純に比べられるものではありませんが)、元就に軍配が上がるのかなあ、なんて思ったりもします。

2位はこちら!足利義明と止められなかった逸見忠次、里見義堯です!
足利義明といえば、個人的にこの逸話を思い出します
小弓公方、足利義明の倒し方・悪い話
まるで人間重戦車のような、とにかく個人的武勇に優れた人物で、本人もそれに非常に誇りを抱いていたようで、だからこそ、このような、自信過剰な戦術(?)を選択してしまった、ということでもあるのでしょう。
こういう所はやはり「匹夫の勇」という「言葉を思い出してしまいますね。
1位の逸話と合わせて「将器」というものを考えさせられるお話だな、なんて感じました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!天文十四年八月二十三日酉の刻、天下は一斉に黄色と成ったです!
どうも内容を読むと、夕方の太陽光が黄色となり、人や物にそれが反射して皆黄色に輝いた、という事のようですが、
なにが起こるとこのような減少に成るのでしょうね?
ここでは「天下」と書かれていますが、おそらくこの当時の概念で、都とその周辺程度の意味でしょう。
黄砂との指摘もありますが、この時代にはたして黄砂はあったのか、そしてそれが京周辺で影響を与えるのか、
等々、様々に考えさせられます。
色々と想像力も掻き立てられる、面白い記録だな、なんて感じました。



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週間ブログ拍手ランキング【03/22~/28】

2018年03月28日 21:42

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よく人を見立ててから 15

三好之長切腹 12

河内帰還 11
後陣も雲霞のごとく 10

私は元々出家ですので、刀を 8
薬師寺元一の乱 8

わか世のはての 近きうれしさ 6
およそ目を驚かせるその風情は 5
平瀬落城 3


今週の1位はこちら!よく人を見立ててからです!
森忠政による、所領を与える際の心構えについてのお話です。同じ石高でも、切米(サラリー】のほうがコストが高い、
というのはちょっと面白いお話だとおもいました。
そういえば、江戸期、武士はどんどん所領制度から切米に変わっていくのですが、それでも所領を持っている方が、
たとえその維持のためにコストが掛かっていても、より誇りあるものだったようです。
そのあたり、「一所懸命」の精神が残っていたということなのでしょうね。
あと、ここで言われる、実際に所領を与えるか否かというのは、現在で言うと役職を与えるかどうか、ということなのかなと
ちょっと感じました。

2位はこちら!三好之長切腹です!
三好という名は、機内では応仁の乱のあたりから見え始めるのですが、そこから見えてくる姿は、
機内周辺の荒くれ者を組織した、かなり凶悪な集団の頭目であり、もうはっきりと「反社会的勢力」の趣があります。
三好之長もそういった人であって、強くてももう、はっきり嫌われている観があり、彼の滅亡はかなり歓迎されていた
フシがあります。
それでも三好勢力が機内で生き残りつづけ、やがて三好長慶という「プレ天下人」を生み出すまでに至るのは、
当時の機内における三好的な存在の「社会的需要」の高さを感じてしまいます。
そんなことを考えた逸話でした。

今週管理人が気になった逸話はこちら!薬師寺元一の乱です!
ここで注目したいのはやはり、細川政元の

この時分より、政元は魔法を行うようになり、空に飛び上がり空中に立つなど不思議を顕し、
後には御心も乱れ、うつつ無き事を宣うようになった。


この部分でしょうねw
すでに空中浮遊の魔法を使える段階にまで至っていた半将軍!しかもどんどんわけわからないことを言っている。
そんな危険な存在は早く滅ぼさないととんでもないことに成る、と周りの人達が考えたとして、一体誰がそれを
批判できるでしょうか?w
創作などではよく、本能寺は信長の権力の暴動を止めようとして云々、なんて話がありますが、細川政元の場合は
まさにそれで、何でもっと政元に世間は注目しないのかと、謎の義憤すら感じます。
魔法半将軍の創作、もっと出ていいのですよ!w



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週間ブログ拍手ランキング【03/15~/21】

2018年03月21日 11:54

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畠山政長の最後 14

荒木は思わず計らず、信長の敵と 12

諍いの原因は、「男色のもつれ」 11
長時公は強き御大将であり我儘気随で遊ばされるゆえに 11

南総の友情 9
今も誠に賢い人がいるので 9
高国近江落ち 9
越水城の戦い 9

弓取りほどの者は、彼の行いを煎じて飲むべき 8
桶狭間の戦い 8
小笠原長時の没落 7
1,300人が招かれた空前の花見 7

阿房丸 5
神田将監の存分 5


今週の1位はこちら!畠山政長の最後です!
「応仁の乱」は様々な要因が複雑に重なったものですが、間違いなくその中の中心的要因が、この畠山政長ですね。
彼が「御霊合戦」を起こさず、失脚した大守護の慣例通りに、地方へと没落していれば、応仁の乱は起きなかったと言われます。
そしてこの政長が倒される「明応の政変」が起こることで、学説的に「戦国の始まり」と見られるのもまた面白いですね。
本人が意図したかどうかにかかわらず、まさしく時代のキーマンであったと言えるのでしょう。
いわゆる室町末期戦国初期は、細川京兆家の存在感が強いのですが、時代を引っ張ったのは畠山家の尾州家、総州家への
分裂と抗争であったと言えるかも知れません。
そんな事も考えた逸話でした。

2位はこちら!荒木は思わず計らず、信長の敵とです!
荒木村重が中川清秀の諫言によって、織田信長に敵対することに成るというお話ですが、面白いのは基本的に、
摂津国衆は高山右近を除いて、信長に反抗することを支持する、と描写されている所ですね。
天野忠幸先生の研究によると、実は荒木村重の乱が討滅された後も、摂津国衆や惣村は信長との戦いを継続しており、
それは信長が戦争をし続けている所から来る、過度の軍役への強い反発があったとしており、荒木村重もそういう地域の
領主として、「領民」たちの不満を無視することが出来ず、信長に反抗せざるを得なかった、とありました。
これは村重に限らず、信長が多くの謀反を起こされた理由の一つとして、納得できるものだと思います。
この逸話からもそういう一面が見て取れるな、なんて感じました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!弓取りほどの者は、彼の行いを煎じて飲むべきです!
立入左京亮入道隆佐記を書いた立入宗継は、朝廷の禁裏御蔵職であったそうです。そういった人が明智光秀を
高く評価しているのは面白いですね。光秀は最近では、信長政権後期において、「近畿管領」と呼ぶべき役割を
任されていたと言われます。それほど、織田政権の中で京・畿内における代表的責任者と、自他ともに認識されていた
ということなのでしょう。こう言った評価も、だからこそ、という面があるのでしょうね。
逆に言えばそれだけ畿内において強い権限と高い権威を持っていたからこそ、本能寺を意図してしまったのかなあ、
などとも感じます。
そんな事もふと考えた逸話でした。


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週間ブログ拍手ランキング【03/08~/14】

2018年03月14日 22:13

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高橋鑑種、謀反の意思 13

欲の熊鷹股裂くる 12

仙石橋 白滝橋 9
夫の留守を守った妻 8
故に仙石氏の敗卒、つつがなく国へ帰る 8

お珊地蔵・珊誉女 7
有馬と龍造寺合戦の次第 5
船岡山合戦 5
諏訪併呑 5

塩尻峠の戦い 4
大手が敗軍した以上は 3


今週の1位はこちら!高橋鑑種、謀反の意思です!
高橋鑑種が大友宗麟に背いた理由。兄である一萬田鑑相の妻を奪うために、兄を誅殺した所から謀反の心が生まれた、
という事ですが、大友宗麟・義統父子には、こういった逸話が多いですね。事実かどうかはともかく、こういうイメージを
持たれていた、という事なのでしょう。また完全に作り話かというと、お隣の毛利輝元にも似たような話があり、しかも、どうも
事実らしきフシが有り、一概に否定が出来ないのが困ったところです。
有力な戦国大名と言えども、自己をコントロールしきれる政治人間は少なく、殆どは生々しい、人間味あふれる人間であった、
と言えるかも知れません。
そんな事を考えさせてくれた逸話でした。

2位はこちら欲の熊鷹股裂くるです!
この逸話、内容も面白いのですが、『欲の熊鷹股裂くる』や『神いかり人恨れば必ず災害す』、『胡越千年の隔たり』と、
これが書かれた当時の言い回しが多用されているのが実に面白いですね。こう言ったところから、当時の人達の思考も、
ある程度感じられる気もします。
古文、古書を読む面白さって、こういう部分もあるな、と改めて思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!有馬と龍造寺合戦の次第です!
これの面白いのは、龍造寺と有馬という、戦国大名同士の闘いの起こった根源が、踊り興行の集団と村民との、ある意味
他愛のない喧嘩(死者は出ていますが)という所ですね。
戦国大名同士の戦いというのは、実際には殆どが、国境での村や集団の小さな紛争が拡大して起こるものだと言われています。
「境目相論」と言われたりしますね。この逸話は、そういったものをきちんと表現していて、ある意味大変リアルだと感じました。
この程度のことから、一国レベルの争いに発展してしまうのが、戦国時代なのですね。
そういう意味で、なんだか感心してしまった逸話でしたW


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2018年03月07日 18:39

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秀頼公が降らせたとしたら 19

悪い知行地 17

それ故に、私は未だ身の養生を 12
慈悲なる覚悟 9
福島正則は侍衆を叱った時 8

こうして民部少輔高国と申す人を家督に据え申した 7
そういった格好をするものは 7
紀伊守殿は利口ぶっている 7
九郎殿は御腹を召され 4


今週の1位はこちら!秀頼公が降らせたとしたらです!
細川忠興による、わりと辛辣(?)な豊臣秀頼評。これは息子忠利への書簡であり、公開を目的としたものでない以上、
かなり本音を言っているとみていいのでしょう。
どういう意味なのか、いろいろな受け取り方が出来ると思いますが、個人的には単純に、秀頼という人は
怨霊としても、そういっただいそれた事の出来る人ではない、と受け取っていいと思います。
実際の秀頼という人も、どんな史料や逸話からも、彼個人の強烈な意思というものを感じることはあまりありません。
秀頼本人を、割と近い場所から見ていた細川忠興のこういう証言も、秀頼という人の個性を考える上で、貴重な史料ではないかな、
と思ったりもします。

2位はこちら!悪い知行地です!
たしかにむかし話的ですね、こぶとり爺さんや舌切雀とかのw
前例から、同じように「御暇を下さい」と訴えればよかったのに、とも思いますが、そうしたらそうしたで、正則の方に
何か別のスイッチが入ってやっぱり切腹させられるような、そんな気もするのですwもしくは本当に暇を取らされるとか。
「福島太夫殿御事」は、基本的には正則の立場から編纂されたものだと思うのですが、ただその内容を読んでいると、
福島正則というひとは、仕えるのが難しい主君だなあ、などとも感じてしまいます。もしかするとそういう面もふくめて、
福島家中の人々の能力を鍛えた、のかもしれませんがw

今週管理人が気になった逸話はこちら!それ故に、私は未だ身の養生をです!
有名な石田三成の「干し柿」の逸話、こういうものもあったのですね。普通に喉が渇いたと言えば茶が出てきたw
その上で茶菓子としての干し柿を食うかどうかという話とは。
このお話、三成の武将としての不屈さも表していると思いますが、「自分の体調」の事ばかりを気にしていて、親切にしてくれた
老女の「心を得る」部分に気が至らない、三成のある意味偏った性格も見せているな、なんて思います。
秀吉なら大喜びで食うでしょうね。食わないにしても何か気の利いたことを言うなり与えるなりして、その親切に報いる自分、を
表現すると思います。
勿論これが事実かどうかはともかく、という話ですが、江戸前期頃の人々の、石田三成という人に持っていた印象は、良く
表されていると思います。



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週間ブログ拍手ランキング【02/22~/28】

2018年02月28日 22:25

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福島正則、散々に叱りつけ 16

木造長政の警護 15

広島での知行割、屋敷割 13
乗打騒動 13

細川幽齋覺書より、戦場での心得について 10
めいどには 能わか衆のありければ  10

細川幽齋覺書より、武士の心得のことなど 7
永正の錯乱 6


今週の1位はこちら!福島正則、散々に叱りつけです!
広島城普請で怒り心頭の福島正則、木造長政にも盛大に叱りつけるというお話。
いかに君臣とはいえ、武士が衆目のある中で叱りつけられては、面目が保てません
もうこれだけで謀反を決断してもおかしくないほどです。
フロイスの記録に、日本では主君は配下に怒気を見せない。なぜなら主君に害意が有ると知ると、配下は
先んじて主君を討つからである。というようなものがありました。
ここから見ると、この時の正則は主君としての資質に難あり、と言えるかもしれません。
ただ、ここで、同僚たちの説得もあったとはいえ、グッとがまんできるあたり、「近世の武士」に成りつつあったのだな、
とも感じてしまいます。

2位はこちら! 木造長政の警護です!
そういえば木造長政の享年は慶長9年(1604)で、福島正則が亡くなったのは寛永元年(1624)ですから、ずいぶんと
以前の話です。そこから考えると、ここに出てくる木造大膳は、このお話が事実とすると、長政の息子か親族かな、などと
想像します。福島家については詳しく知らないので、想像するしか無いのですがw
どこか福島家について、良い入門書はないものか。

今週管理人が気になった逸話はこちら!めいどには 能わか衆のありければ です!
この歌、本当に上手いこと言っていて、薬師寺元一の並々ならぬ歌才を感じてしまいます。流石京兆家被官。
彼だけでなく、室町期の三管領四職(あるいは二十一屋形)の被官は、行動が脳筋でも学識は並々ならぬ人たちが多くて
本当に油断がなりません。このあたりも、この時代の魅力ですね。

現在、月刊スピリッツでゆうきまさみ先生が、伊勢新九郎(北条早雲)を主人公としてこの時代を描いた『新九郎、奔る!』が
連載中です。現在2話までですが、戦国前夜の様相が実に丁寧に描かれ、僕も毎月の楽しみにしていますw
今後、細川政元も必ず出てくるでしょうし、皆さんにぜひぜひ読んでほしいマンガです!
https://www.shogakukan.co.jp/magazines/series/02400A



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週間ブログ拍手ランキング【2/15~/21】

2018年02月21日 20:18

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ついに富田長繁がピックアップされた小説が 20

過分の扶持 18

那須神社 御由緒 12
細川幽齋覺書より、川を挟んだ合戦 10
団右衛門を逃がす 9

両大将の御軍法 8
細川の流れが2つになってしまう原因 4
越中魚津の蜃気楼 乾達婆城の事 4


今週の1位は、何とこちら!ついに富田長繁がピックアップされた小説がです!
まさかまさか、何とあの富田長繁が小説にピックアップされるなんて!僕はKindle版待ちで、そちらは23日からだそうなので
指をくわえて待っていますが、面白いという噂は聞こえてきます。楽しみ!
井伊直虎も大河に成りましたし、こうやって、わりと早くにいい悪いスレで掘り起こされていた戦国時代の人物が、
こうやって世間的に知られて、少しずつ大きな存在に成っていくというのは、なんだかうれしいです。
いい悪いまとめの中には、まだまだ魅力的なキャラがたくさんいますから、その中からまた新たにピックアップされる
人が出てくるのを、ワクワクして待っていますw

2位はこちら!過分の扶持
福島正則が、落ちぶれた老将を千石で召し抱えるお話。正則が評価したのが、かつて小城主をも任されていた、という
経験である点が面白いですね。そしてその経験を活かすには、小さな知行では不可能だ、という考え方も実に理論的で
実践的です。
勿論正則は、それだけでなく一種の宣伝効果も考えてこういった人事をしたのでしょう。、このような話を聞けば、
他の家の、不遇を感じる老勇士たちへのアピールにもなりますしね。
わりと脳筋扱いされがちですが、福島正則という人の優秀さも感じさせてくれる。そんな逸話だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!両大将の御軍法です!
ここの信長秀吉の対比って、秀吉自身がそう思わせよとした信長像、秀吉像そのままですねw
これは実態を表しているというより、秀吉政権のプロパガンダをそのまま書き残した、と言うべきでしょうし、
細川幽斎にとってこう言ったという記録を残すことが、一種の保身と成り得た、と考えるべきなのでしょう。
そんな、発言の裏側を読む面白さの有る内容だな、と感じました。



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週間ブログ拍手ランキング【02/08~/14】

2018年02月14日 18:22

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細川幽齋覺書より、兵糧・食料のこと 23

殉死せぬこと 19

御最後の時、さぞかし私の事も 13
伊勢新九郎の伊豆討ち入り 11

細川幽齋覺書より、竹束に関連するお話 10
細川幽齋覺書より、取った頸の扱い方 10

天下に名ありし者ども 9
京都四条糸屋の事件 5


今週の1位はこちら!細川幽齋覺書より、兵糧・食料のことです!
細川幽齋覺書は、幽斎自筆の覚書が後世に伝わったもの、とされる書物ですが、淡々と描かれつつ、内容は実に生々しさを
感じますね。ここだと「食べ物の話をするのは恥ずかしい、などという考えは何の役にも立たない」という部分など、近世の
いわゆる「武士道」や、戦国期には既にあったらしい「武士は食わねど高楊枝」的な発想とは真逆の、現実を突きつけられている
気持ちになります。
今週は他にも、
細川幽齋覺書より、竹束に関連するお話
細川幽齋覺書より、取った頸の扱い方
と、細川幽齋覺書からのお話がありました。調べてみた所、この本は国立国会図書館デジタルコレクションで読むことが出来ますね
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920302/68?tocOpened=1
気になる方は、よかったら原文の方にも、チャレンジしてみましょう!

2位はこちら!殉死せぬことです!
これを読むとどうしても知恵伊豆が頭に浮かんできちゃいますねwまあ松平信綱でなくても、この理路整然さは江戸期の武士かな
と感じます。
しかしかっこいいお話ですが、コメントの中でもそういった物がありましたが、嫌われることを恐れない発言でもありますね。
少なくとも好かれようとは全く考えていない。こう言ったタイプの人が堂々と生きていけるもの、江戸期ならではかな、
なんてことも思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!京都四条糸屋の事件です!
信長公記に有る殺人事件のお話。その事件のディテールはわからないのですが、わからないだけに様々な想像が広がります。
小説や漫画をかく方は、この事件で短編を書いてみたらいいのに、なんて思うのです。僕は読みたいですしw
創作をされる方、是非是非!w



今週もたくさんの拍手を各逸話に頂きました。いつも本当に有難うございます!

ところで今日はバレンタインデーらしいですよ!ハッピーバレンタイン!
僕は何とチョコを頂けましたよ!チロルチョコを!
…本当に義理チョコでチロル配る人って居るんだなあと、変な感心をしましたよ。
は、ハッピーバレンタイン!
まあ毒とか入ってなかったからそれはそれでハッピーだったのでしょう。

そんなわけで、また気に入った逸話を見つけましたら、曽於の拍手ボタンを押してやってくださいね!(/・ω・)/クヤシクナンカナイゾ

週間ブログ拍手ランキング【02/01~/07】

2018年02月07日 19:37

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正しく、素直でなければ、 13

関八州に鉄砲始まること 12

次左衛門こそが 10

下知につかずば 9
どうして一張の弓をもって 9
北條五代記より、信長、秀吉について 9
長柄刀のこと 8


今週の1位はこちら!正しく、素直でなければ、です!
これは色々と面白い逸話だな、と感じます。本多忠勝自身が、武士に対する評価というものは、基本的に過大になりがちな
ものだと認識しており、だからこそ自己評価は自分をありのままに見ることが大切である、と考えていますが、
これはつまり、世間の評価に自分が飲み込まれてはならない、というような意味合いがあるのでしょう。
世間的に大きくなった虚像の自分を基準にしてしまえば、地に足の着いた働きが出来るとは思えませんからね。
このお話は現在でも、そのまま規範に出来るなあ。なんて思いました。

2位はこちら!関八州に鉄砲始まることです!
鉄砲伝来には諸説ありますね。そもそも、いわゆる『種子島鉄砲」以前、「てっぽう」は火薬を使った兵器全般を指して使われた
言葉だったようです。例の蒙古襲来絵詞の火薬が炸裂している場面(最近の研究では、アレは後世になって書き加えられた
可能性があるらしいですが)、あの火薬兵器のところにも「てつはう」と書かれていますね。
種子島以前にも中国製鉄砲は様々な形で日本に入ってきていたのは確かなようです。ただ、中国製のものは鋳造で、射撃の衝撃で
非常に割れやすいものだったそうです。そのため兵器としての実用性に乏しかったそうで。
一方で錬鉄を巻いて作った種子島鉄砲は、少々のことでは壊れず、なおかつ極端な話、筒に入るなら銃弾以外のものでも
どんどん発射できる一種の万能性があり、これが種子島以降、鉄砲が爆発的に普及した理由なのだとか。
そのあたりのkとも頭に入れつつ、この逸話を読むと、また違った感慨も感じるかな、なんて思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!北條五代記より、信長、秀吉についてです!
北条系の軍記ですから、秀吉に対して恨みつらみを感じるのは、ある意味仕方がないことだと思います。
ただ、信長への評価は面白いですね。ここからは、北条五代記の成立時点では既に、怒りっぽい、感情的な織田信長像というものが
既に成立していた事。にもかかわらず「冷静に戦歴調べたら、信長ってむしろ無理をしない人なんじゃない?」というy
意見があったこと。このあたり、昭和に形成された「革命児信長」像が、昨今の、信長を客観視した研究により訂正されていくことと
非常によく似ているな、なんて感じました。
織田信長への認識には、今も昔も、イメージと実態の相克があったのだなと、つくづくと感じさせてくれるおはなしだと
思いました。


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週間ブログ拍手ランキング【01/25~/31】

2018年01月31日 21:43

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一つ提灯 16

坂井久蔵の頸 14
首を取り返す程なら 14

氏康傷 12
一番乗りの軍功 11
黒田家の後藤又兵衛に対する公式見解 11

上下の間の作法を申し付けぬ人 9
つまり大澤は信というものを 3


今週の1位はこちら!一つ提灯です!
北条家の勇士のお話ですね。「提灯の指物」にこう言った意味があるとは。近代の戦争で、戦闘機のエースパイロットが機体に
撃墜数を描く、というようなことがありますが、それと同じような感覚だったのでしょうね。
その人がどういう勇者であるか、見れば解る。という。
だからこそ三好孫太郎は、「なんかかっこいいから」程度で提灯を指物にした山下に我慢がならなかったでしょうし、
山下は言われたことで、ならばと直ぐに、自身の提灯も軍功の証に仕立て直しました。
実に戦国時代らしいエピソードだと思います。
こういう話を知っていると、「小田原提灯」というモノの見方も、少し変わってきますね。

2位はこちら!坂井久蔵の頸です!
姉川の戦いが1570年、そして豊臣秀次が聚楽に住むようになったのが1591年から。その間20年以上。
その間、おそらくは曖昧であった坂井久蔵頸を取った人物について、何故にはっきりさせる必要があったのか?
ここには描かれていませんが、たまたまその二人が秀次の家臣となったことや、秀次が関白となり、天下の主催者として
家臣にも相応の格式を求められた、という事など、色々と推察させてくれます。
こう言った想像をふくらませることで、一遍の小説も描けそうですね。そんな、読み手の想像力を大きく膨らませtくれる逸話だな、と
感じました。

2位は同表でもう一つ!首を取り返す程ならです!
さすが森家(;´Д`)
味方打であっても、「戦死」というものは、生き残った者にとって最も利益になる形で活用されるべきである、という、
揺るぎない信念を感じます。そしてそれは、戦国期の武士の思想として完全に正しいのでしょう。
また「取り返すくらいなら相手を殺せ」というのも、中世の武士というイキモノの習性を、実によく顕していると思います。
そして逆に考えると、頸を取り返した「子供」たちは、若いがゆえに、軍隊・組織の秩序を第一に考える、近世的な発想に
馴染んでおり、故にこういう行為になったのかも、なんて想像しちゃいました。
本当にいろいろと考えさせてくれる、良い逸話だと思います。



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週間ブログ拍手ランキング【01/18~/24】

2018年01月24日 18:32

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頸の周りをよく拭くように 16

時移り世変じて 11

人の所為に非ず 10
調略を討ち果たす 10

この自慢の赤松家 9
給人衆頭の討ち死に 8
大将がこのように傾いては 2


今週の1位はこちら!頸の周りをよく拭くようにです!
信繁と、彼を説得に来た叔父信尹」のお話。この内容とは違っていましたが、対面自体は一昨年の大河「真田丸」でも
印象的なシーンとして描かれていましたね。
このお話などは「サムライ、かく有るべし」と言いたくなる内容で、信繁が後々まで、多くの人に愛された理由が
良く見えてきます。

ところで明日、1月25日21時からは、BS日テレの「片岡愛之助の解明!歴史捜査」にて、なんと真田信尹特集です!
http://www.bs4.jp/hsi/onair/100.html
テレビ番組で真田信尹が単体で特集されるなんて、本当に空前絶後の事だと思いますw
視聴できる方は、是非ご覧に成ることをお薦めします!

2位はこちら!時移り世変じてです!
人生の分かれ道、についてのお話なのでしょうね。水野信元謀殺の時点では、そりゃあ明らかに、家康より信雄に仕えたほうが
ステイタスも将来性も上なのですよ。信元が殺されたのは天正三年一月で、長篠の戦いも未だであり、今にも武田に
すり潰されそうな有様でしたからね。
それがまさに「時移り世変じて」、元々同じような評価だった二人が、徳川に仕えた方は譜代の大名格となり、信雄に
仕えた方は没落大名の家臣と成る。有為転変は世の習いと言いますが、こういうことに成るとは、誰にとっても予想も
出来なかったでしょう。
行間のドラマを覗いて見たく成る。そんなお話だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!この自慢の赤松家です!
赤松氏というと南北朝期に現れた武士団で、出自のない悪党と長らく言われていましたが、昨今では楠木正成などと同じように、
どうも正規の鎌倉幕府御家人であったらしい、とされていますね。
そして室町期には、赤松氏は周防大内氏と並んで、室町将軍の親衛軍事力であった、なんて説もあります。
そんな歴史あり地位もあった赤松氏の「自慢」は、さすがに生半可なものではありませんね。こういったものがダイレクトに「誇り」に
繋がるのも解る気がします。
そして赤松氏というのは、ひつ筋縄で行かない歴史を綴る室町期の有力守護の中でも、殊更に色んな意味でジェットコースター
的な 紆余曲折をたどるわけですが、そういう家にして、こういう意識を持っていたことに、色々と想像が膨らむなあ、なんて
思ったりもしました。



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週間ブログ拍手ランキング【01/11~01/17】

2018年01月17日 19:03

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小田原城中に入りたいのです 30

福島正則「石一個に対し米一俵差出候」 17

秀吉の甥としての覚悟 12
成る程、気をつけねば 11
腰は抜けても、先ず今日は 10

事が多聞に漏れては大功成りがたし 9
主人を裏切った天罰でしょう 9
故太閤の遠忌 6



今週の1位はこちら!小田原城中に入りたいのですです!
小田原の陣において、秀吉勢に囲まれながらも、そこに入ろうとした山岸主税介さんと、彼を捕えた榊原康政家中のお話。
ここでなにげに、「まあ一人くらいいいだろう」と小田原入城を許しちゃう家康も面白いというか、こういう所が「大将の器量」
というものなのでしょう。自分の所に無駄に引き止めないのも含めて、家康らしさも感じます。
コメント欄で石高の話が出ていましたが、200石というと、江戸末期ではもう充分に藩の上級クラスの石高ですね。
大河で「西郷どん」が始まりましたが、今あそこに出ている人物たちの多くは、何石どころか「何人扶持」という所得
ですからね。あの大河では西郷家などの貧乏や身分の低さが強調されていますし、実際に貧乏だったのは確かなようですが、
それでも西郷家は薩摩藩の中でも、上位10%には入る身分だったのです。だからこそ島津斉彬からの抜擢も受けたのですが。
この逸話は近世初期ですが、近世もはじめと終わりで、石高の意味もそのくらい異なったのだなあ、なんて事にもふと、
思い至りました。

2位はこちら!福島正則「石一個に対し米一俵差出候」です!
福島正則と言えば、秀吉子飼い中では長らく「武闘派」「猛将」の代表格、のように言われていましたが、昨今では武人というよりも
石田三成ら奉行衆と同じようなグループで、吏僚的側面が強かったのではないか、なんて言われたりもします。
そう見ると、この逸話も軍略というより、吏僚的な、功利的知恵を発揮したお話、という感じしますね。
石田三成に全く同じ逸話があったとしても、特に違和感を感じないと思います。(三成の葦に運上税をかけて1万石の軍役をはたす、
という逸話も本質的な部分で似たものを感じます)
現在広く伝わる福島正則像とはまた違う姿を、この逸話は伝えているんじゃないか、
なんてことを思わせてくれる逸話でした。

今週管理人が気になった逸話はこちら!秀吉の甥としての覚悟です!
これもまあ、色々解釈の有る書状では有るのですが、そもそも天正12年の段階だと、秀次は未だ16歳ですね。
当時としてはもう子供扱いする年齢ではない、と雖も、やはりようやく元服という年頃ですから、未熟なのは
むしろ当然といっていいでしょう。また「三好信吉」であったのが、2年前に羽柴家に復帰して「羽柴信吉」と変わった
わけで、立場も変わり「天下人」秀吉親族としての振る舞いを求められることへ、そういった訓練や教育を受けて
育てられていない以上、戸惑いも大きかったでしょうね。
僕は秀次無能説も、またその反動としての秀次有能説も、どちらも極端だなと思っている方で、秀次に関しては
秀吉の方から求める事が、状況状況でコロコロと変わりすぎ、秀次自体の抱えるものが、主に秀吉の意向で大きくなっていく中、
最終的にどうにも身動きが取れなくなった、という形に考えています。
秀吉は非常に軍陣的、システマチックな人物ですから、城でもなんでも必要なら全力で築き、不要になれば容赦なく破却します。
「親族」に対しても同じように対応したのだろう。そんな風に思います。
こんなことを、ちょっと考えさせてくれた逸話でした。


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週間ブログ拍手ランキング【01/04~01/10】

2018年01月10日 18:10

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形は人であるが、心は畜生である 18

浅井久政切腹と鶴松太夫 12

花も久しく出来るのならば 10
浅井の御娘は秀忠に 10
真に必死と志さなければ 10

三好家落人の島 7
これは東照宮以来の御定なれば 4


今週の1位はこちら!形は人であるが、心は畜生であるです!
小谷落城の折、信長が浅井長政、及びその重臣を侮辱したという内容です。武田勝頼のときといい、信長の逸話には、
敗者に容赦がない、というものが結構有りますね。それが世間一般の信長像にもなっているのですが、本当にそうかというと
やはりだいぶ違っていたと思います。
もちろん、信長が浅井長政を裏切り者として強く憎んでいたことについては、当時の書状や髑髏杯の話からも確かだと思うのですが、
それでも武士たる者の最期について、この話のように感情に任せた行為を行う人ではありません。彼は自分の行為が
「外聞」にどう評価されるかを非常に気にする人でもありますから、徒に自分の評価を下げるような事には強い自己抑制が
はたらきます。
で、この手のお話、おそらくは長政のあとに入った領主、すなわち秀吉が統治する中で出来てきたお話かな、と
考えています。「信長はかくも非道かったがそれに比べて秀吉公は寛容で」みたいに語られたのでしょう。
他に武田勝頼亡き後の甲斐においては、「信長は勝頼の頸に暴言を吐いたがそれに比べて家康公は」と、
徳川家中で語られたのでしょうね。良い悪いではなく、権力というのはきっとそういうものなのだろうと思います。
そんな事を考えさせてくれた逸話でした。

2位はこちら!浅井久政切腹と鶴松太夫です!
息子長政に比べて久政の最期は語られること少ないと思うのですが、このお話を読むと、すこし久政の人間味まで感じますね。
昨今では、久政は息子長政の「クーデター」で、強制隠居させられた、などと言われます(これだけでなく、浅井長政という人は
むしろ梟雄と呼んだほうが良い人物に、昨今では捉えられていますね)。そういう事を知った上でこの逸話を読むと、そういう、
息子に権力を奪われてもなお、本来その必要のない人まで共に死す魅力を持つ人物であった、なんて想像も出来るかと
思います。
こういう逸話を知ると、自分の中の戦国の風景が、また豊かになるな。なんて感じます。
そしてこの逸話、11111番めのエントリーなのです。めでたい!w

今週管理人が気になった逸話はこちら!三好家落人の島です!
瀬戸内で落人というとほぼほぼ「平家」なのですが、ここでは三好なのが、とても地域性なども出ていて興味深いですねー。
この島における風習が、本当に三好残党の歴史からくるものなのか、それとも先に対立があって後付の理由として
これが出来たのか、今なら未だ調べられるのではないかなあ。
このての伝承が瀬戸内にどのくらいあるかも含めて、様々に興味深いお話だなと感じました。



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週間ブログ拍手ランキング【12/28~01/03】

2018年01月04日 18:49

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古びて見苦しいからと言って、 15

第一の善政 15

夜々互いに往来し、昼は終日の合戦 14
速やかに誅し賜るべし 13

「武士道とは死ぬことなり」という武士道の鉄則は 10
此輪の内になしと知れ君 7
慶長14年元日<甲申>、毎年の如し 7


今週の1位はこちら!古びて見苦しいからと言って、です!
色々と興味深い内容ですが、何より「古い橋が天下静謐のモニュメントである」という発想、確かに内乱期を経た感覚を
感じさせますね。
橋というのは現代に至るまで、戦略の要衝なのは言うまでもありません。橋を落とす、橋を架けるという事は
それだけで軍事活動の一環でもありました。橋がそのような存在であったからこそ、「長く保たれた橋」に対しての
人々の眼差しも、現代とは大きく異なるものだったのでしょう。
そんなことを考えさせてくれた逸話でした。

同表で同じく1位!第一の善政です!
これも酒井忠勝の橋の逸話ですね。酒井さんは初期江戸幕府の非常に有能なブレーンの一人ですが、このようにインフラ担当
だったのかな、と思わせてくれますw
俗に「江戸幕府は防衛のために橋を架けず云々」なんて言われますが、実は江戸幕府というのは架橋も含めて道路整備に
非常に熱心な政権ですね。大井川の件なども指摘されていますが、アレは単純に、当時の架橋技術では不可能だった、
ということだったようです。
まあ実在か、もしくは仮想の強力な敵が存在しているならともかく、忠勝の時代にはもうそういう存在はないですからね、
それなら交通を潤滑にしたほうがどう考えても得、という発想に至るものなのでしょう。
これもまた「天下静謐」の逸話だなあ。なんてことを思いました。

そして2位はこちら!夜々互いに往来し、昼は終日の合戦です!
有名といえば一部で非常に有名な佐竹義重と蘆名盛隆の逸話です。佐竹義重が一目惚れしたという事はよく知られていますが、
この逸話では蘆名盛隆の方もひと目見てキュンとしちゃってるのですね。運命の出会いだw
そして昼は合戦夜は逢瀬というのも、どれだけ倒錯した関係なのかと。
双方の重臣たちが和議をまとめたのも、二人のためというより、双方の陣営に対する悪影響を鑑み、なんて気すらしてきますw
まあ史実かどうかと言われると相当?のつく逸話ではあるのですが、こういうお話が伝わった、という事自体に、様々な
面白さや不思議さを感じさせてくれる、そういうお話だと思います。



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつも本当に有難うございます!
そして今日の更新で、記事数が『11111』を越えました!
新年から1並び、非常におめでたい!w
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そんなわけで本年最初の週間ランキングでしたが、改めまして今年も、どうぞ宜しくお願い致します!