週間ブログ拍手ランキング【03/08~/14】のブログ拍手ランキングです!
「武家閑談」から朝鮮での加藤清正の用心ぶり 14
「武家閑談」から朝鮮出兵の時の加藤清正と福島正則 13
「続武家閑談」から宮田光次 11
造作も御座無き御宗旨かな 11
「武家閑談」から庵原朝昌について 11
先週、二本松城を訪れたところ 11
今週の1位はこちら!「武家閑談」から朝鮮での加藤清正の用心ぶりです!
加藤清正の細心さ、慎重さを顕す逸話ですね。清正と言えば「豪傑」というイメージが強いのでしょうが、この逸話は
「それだけではないよ」と、名将その基礎の部分を見せてくれるお話と言えるのでしょう。
それにしても、ここで備えていたのが「米三升、干味噌、銭三百」というのはなかなか興味深いですね。食い物と金。
どれもかなりかさばりそうですが、このくらいあれば突然の合戦で、或いは一人で敗走することに成っても、ある程度
生き延びる事ができる、という計算上の産物なのでしょう。
加藤清正という武将が「知友兼ね備えていた」ということを表現され、また世間的にも、特に福島正則などと比して
そういうイメージがあった。そういう事が表されている逸話でも有ると思いました。
2位はこちら!「武家閑談」から朝鮮出兵の時の加藤清正と福島正則です!
こちらはダイレクトに、その福島正則と加藤清正を比した逸話ですね。花押について、ここでも清正の慎重さ、考え歩かさと
正則の無造作さが対比されています。
もちろんこれが史実、事実というわけではなく、多分に後世のイメージから形成された話という観が強いのではありますが、
後世においてこの二人が、このようにある種対極的なキャラクターとして認識されたことが、また興味深く感じます。
やはり三国志演義の関羽と張飛に似た対比をされたように思われるのですが、この二人が結果的に「秀吉恩顧」
の代表格と認識されたことも含めて、様々に考察してみたくなります。そんなことも感じたお話でした。
今週管理人が気になったお話はこちら!先週、二本松城を訪れたところです!
戊辰戦争、二本松城の戦いでの小城代とされた丹羽和右衛門の切腹のあり方ですが、これが「藩祖」丹羽長秀の、
病のはての切腹による自死の様子を模していたように見え、非常に興味深いですね。
一般に丹羽長秀は、腹に出来た腫瘍に苦しむ中、それを「退治」することで死んだとされますが、また一説では、
当時織田家中をほぼ乗っ取った羽柴秀吉の、その専横に対しての憤りのあまり自死したのだともされ、ある種の
義死であるとも言われたりします。この丹羽和右衛門の切腹は、新政府に対して、藩祖に習い自分たちの義を見せつける、
といった発想があったと考えるべきなのでしょう。
幕末期の二本松藩の人々の歴史観、歴史認識もどこか感じさせる、そんなお話だと思いました。
今週もたくさんの拍手を、各逸話に良い頂きました。いつも本当にありがとうございます!
また気になった逸話を見つけた時は、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
(/・ω・)/
「武家閑談」から朝鮮での加藤清正の用心ぶり 14
「武家閑談」から朝鮮出兵の時の加藤清正と福島正則 13
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造作も御座無き御宗旨かな 11
「武家閑談」から庵原朝昌について 11
先週、二本松城を訪れたところ 11
今週の1位はこちら!「武家閑談」から朝鮮での加藤清正の用心ぶりです!
加藤清正の細心さ、慎重さを顕す逸話ですね。清正と言えば「豪傑」というイメージが強いのでしょうが、この逸話は
「それだけではないよ」と、名将その基礎の部分を見せてくれるお話と言えるのでしょう。
それにしても、ここで備えていたのが「米三升、干味噌、銭三百」というのはなかなか興味深いですね。食い物と金。
どれもかなりかさばりそうですが、このくらいあれば突然の合戦で、或いは一人で敗走することに成っても、ある程度
生き延びる事ができる、という計算上の産物なのでしょう。
加藤清正という武将が「知友兼ね備えていた」ということを表現され、また世間的にも、特に福島正則などと比して
そういうイメージがあった。そういう事が表されている逸話でも有ると思いました。
2位はこちら!「武家閑談」から朝鮮出兵の時の加藤清正と福島正則です!
こちらはダイレクトに、その福島正則と加藤清正を比した逸話ですね。花押について、ここでも清正の慎重さ、考え歩かさと
正則の無造作さが対比されています。
もちろんこれが史実、事実というわけではなく、多分に後世のイメージから形成された話という観が強いのではありますが、
後世においてこの二人が、このようにある種対極的なキャラクターとして認識されたことが、また興味深く感じます。
やはり三国志演義の関羽と張飛に似た対比をされたように思われるのですが、この二人が結果的に「秀吉恩顧」
の代表格と認識されたことも含めて、様々に考察してみたくなります。そんなことも感じたお話でした。
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戊辰戦争、二本松城の戦いでの小城代とされた丹羽和右衛門の切腹のあり方ですが、これが「藩祖」丹羽長秀の、
病のはての切腹による自死の様子を模していたように見え、非常に興味深いですね。
一般に丹羽長秀は、腹に出来た腫瘍に苦しむ中、それを「退治」することで死んだとされますが、また一説では、
当時織田家中をほぼ乗っ取った羽柴秀吉の、その専横に対しての憤りのあまり自死したのだともされ、ある種の
義死であるとも言われたりします。この丹羽和右衛門の切腹は、新政府に対して、藩祖に習い自分たちの義を見せつける、
といった発想があったと考えるべきなのでしょう。
幕末期の二本松藩の人々の歴史観、歴史認識もどこか感じさせる、そんなお話だと思いました。
今週もたくさんの拍手を、各逸話に良い頂きました。いつも本当にありがとうございます!
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