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週間ブログ拍手ランキング【06/06~/12】

2019年06月12日 14:35

06/06~/12のブログ拍手ランキングです!


大阪城開かずの間 9

阿波国三好之系図 9

”沙也可”について 8
【雑談】足利義輝謀殺について 8
逆に刀を抜きにくくするためではないか 8

【ニュース】初公開 山形城主・最上義光 直筆の手紙一般公開へ 山形市 6
一季居、耶蘇教、負傷者、煙草、屠牛ニ関スル禁令五ヶ條 5
「信玄公は御在世なり」 5

内藤修理は元来工藤なり 4
龍造寺隆信「佐賀に来い」 4
不死美濃鬼美濃 4
上杉家ノ喫煙ニ関スル令 4
山本勘介と申す大剛の武士と聞く 4

京極高吉の改宗 3
“奥の源四郎” 3
薩摩の王の紋章は、我が十字架と同形の十字 3


今週の1位はこちら!大阪城開かずの間です!
江戸期の大阪城でまことしやかに囁かれていたという豊臣家の亡霊(?)が棲まう開かずの間伝説。松浦静山が書き残して
居たということは、実際にこのような噂があったのでしょう。そういえば大阪城内では、大阪の陣を描いた軍記『難波戦記』も
読んではいけないという話があったとかどうとか。建て替えられたものだと頭では解っていても、場所が場所なのでそこに
在る人々にとって、何かしらの思うところがあったのでしょう。
それにしても林述斎が「歴史を知らないから作り話を信じた」という言葉、現代人にも様々に通じる言葉ですね。

今週は同票でもう一つ!阿波国三好之系図です!
三好家が畿内で活躍するきっかけをつくった三好之長は、調べれば調べるほど相当したたかな武闘派で、なんのかんので
こういうバイタリティを持つ人や家がのし上がるのが戦国時代だよな、なんて思ったりします。かれは京近辺で土一揆の扇動
なんかもして治安を揺るがしていますが、当時の土一揆と足軽はほぼほぼ同じ存在だとされており、三好家はこの時期から
結果的に畿内での潜在的軍事力を扶植していたと考えると、後の歴史の展開もこの基盤の上に有ることが想像できます。
それにしても三好家の歴史は、やはり魅力的ですね。今後三好氏研究がさらに盛り上がることを期待しています。

今週管理人が気になった逸話はこちら!一季居、耶蘇教、負傷者、煙草、屠牛ニ関スル禁令五ヶ條です!
この禁制の内、「一季居」は一季奉公人、つまり臨時雇いの雑用係で、農村などからの流れ者が多かったらしく、このあたりは
「負傷者」についてもそうですが、主に治安関係の法令ですね。「耶蘇教」は言うまでもなくキリシタン禁制に関わるもので、
「煙草」は、この当時は健康のためではなく、主に火災予防の面が強かったと言われます。考えてみれば10数年くらい
前までは、煙草の最大の害といえば、煙ではなく吸い殻の投げ捨てによる火災でした。そして「牛を殺すことの禁止」ですが、
これは「一季居」の禁止にも繋がると思うのですが、当時牛が農村における重要な労働力であり、未だ動けるにもかかわらず
食肉等の理由でこれを殺すのは、労働力を奪うことに等しく、現在で言えば工場の機械なり業務用の車両なりを無駄に
破壊するような感覚があったようです。「一季居」も、農村から労働力を奪うもの、と捕らえられていた向きもあったようです。
レスの中にもありましたが、キリスト教宣教師が牛肉を食することにも強い批判が存在したようですね。ただわざわざ禁制に
入れているということは、そういう事例が少なからず有ったのだということを表して居るとも思います。
法令から当時の社会の有り様を想像してみるのも、非常に面白いですよ!



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週間ブログ拍手ランキング【05/30~06/05】

2019年06月05日 17:59

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細川持隆謀殺 11

三好義継三家老の別心 9

国を守護して三好家は繁栄したが 7
敵陣に大量のキングコブラをまくという戦法 6

了的ただいま降り参り候 5
ついにその名は高きものだという 5

薙ぐのではなく突くのが良い 4
北条家の弓矢は敵の油断を肝要に 4
見てすみがたき露の下帯 4
見附石 4

永井白元の健脚 3
足利義輝の陰謀 3
定直を“乾内蔵允義直”となされ給う 3
【雑談】『弥助』について 3
信玄公御旗及び御はた本備押の作法十五条の事 3

深く慎め慎め。件の如し。 2
生死の気 2


今週の1位はこちら! 細川持隆謀殺です!
阿波細川家、阿波三好家においてもターニングポイントと成った事件ですね。構図としては、実休の兄三好長慶が、旧主
細川晴元へ取った対応と似ているかも知れません。長慶は晴元に変えて高国系の細川氏綱を細川京兆家当主としましたが、
さらにその後継者として晴元嫡男の昭元を置きました。そういえば織田信長も、彼が追放した尾張守護斯波義銀や将軍
足利義昭の嫡男を保護していますね。このあたりは一言で下剋上と言われがちなのですが、旧主の後継者をきっちり保護する
ことが、世間の信頼を得るためにも大切であったと言えるのでしょう。そういう、「下剋上の作法」についても考えさせる
内容だと思いました。

2位はこちら!こっちは畿内三好家三好義継三家老の別心です!いわゆる若江三人衆による三好家からの離反。これが決定打と成って、三好義継は切腹し、
畿内の三好宗家は事実上滅亡するわけです。ここで吉継の切腹の様子は非常に勇壮に描かれていますが、実際にも
彼の切腹の有り様は大変な評判に成ったようで、安国寺恵瓊による例の『信長之代五年・三年者可被持候、明年邊者公家
なとに可被成候かと見及申候、左候て後、高ころひにあをのけにころはれ候すると見え申候、藤吉郎さりとていの者にて候、』
で有名な天正元年十二月十二日付書状の中でも、『今度三好左京大夫(義継)内衆なりかわり候て腹を切候、代々如此候と
申候か、さりとてハの腹を仕候と申候、』と、高く評価しています。
現在、三好義継はあまり評価されることのない武将ではありますが、名門武家の棟梁として、それに似合った勇敢さを持った
人物であったと言えるのでしょう。

今週管理人が気になった逸話はこちら!敵陣に大量のキングコブラをまくという戦法です!
海外でこんな事になっていたとはw外国人による日本理解という面は、おそらく魏志倭人伝の昔から、記録した人々の側の常識
と思い込みと偏見と決めつけ、が確実に入り込んでいます(これは日本人の外国理解にも言えるでしょう)。
戦国期の宣教師などは、キリスト教敵偏見が有るにせよ、現地で直接に交流しただけ有って、わりと見たままを描いているの
ですが、それらの記録をベースにしたモンタヌス日本史あたりになると、さほど時が経ったわけではないのに、もう西洋の
東洋イメージを元にした思い込みと偏見にあふれているわけですw
逆にそういう所から日本人は、その海外文化の、ベースやパターンのようなものを察することが出来たりします。
日本人から見れば無茶苦茶に見えても、そこから色々学び取れる部分がある。そんなことも考えたお話でした。



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週間ブログ拍手タンキング【05/23~/29】

2019年05月29日 13:01

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話す人より聞く人が上手なり 11

どうして『天下を進ぜられましょう』と 11

藤きちろうおんなども  のぶ(印) 10
信長の武辺形儀は父の弾正忠を少しも真似ず 10

アンコールワットに渡ったという森本一房について 8
「宇喜多の狐憑き」について、甲子夜話 7
先祖の武功他人より聞く 6
平島公方系図 6

信玄公軍法、4人のままになり給う事 5
武田の家のあらん限りは 5
津候の念珠 4
義親は不運にして病気が差し出て 3


今週の1位はこちら!話す人より聞く人が上手なりです!
曽呂利新左衛門と言う人は、ほぼ実在していなかったと考えて良いのですが(モデルは居るかも知れない)、長い間、
秀吉時代を語る上での人気者として、人々から愛されていました。ああいった人物像系がいつの頃から形成されたのか詳しく
調べていないので何とも言えませんが、歴史上の秀吉という人物の個性を際立たせる上でも、重要なキャラクターであったと
思います。だからこそこの逸話にように、細かいキャラ設定まで形成されていったのでしょうね。後世の「太閤さん人気」の
いくぶんかは、曽呂利新左衛門との掛け合いが貢献していると思います。
こちらの逸話ではその曽呂利新左衛門の死に様が描かれていますが、忠臣の死に様といっていい描かれ方で、後世の
人達が、秀吉と曽呂利新左衛門との関係性にどのようなものも望んだか、がよく表されていると感じます。

今週は同票でもう一つ!どうして『天下を進ぜられましょう』とです!
こちらは教興寺の戦いについての逸話ですが、安宅冬康の対応から、三好親族であっても、宗家に対し相対的に
独立性が高いことを感じさせますね。三好に限らず、こういったあり方がこの時代の戦国大名の実態でもあったのでしょう。
ただここで「天下を」と言っているあたりが、事実上天下(京を含む畿内近国)を支配していた三好家の、他とは違う意識を
表していると言えるかも知れません。後の信長の『天下朝倉殿持ちたまへ』、秀吉の『天下は丹羽殿と持ち回り』なんてお話を
思い出しますが、そういった話の源流にあたると言えるのかも知れませんね。

今週管理人が気になった逸話はこちら!信長の武辺形儀は父の弾正忠を少しも真似ずです!
このお話はいろいろ面白いところがあって、一つに武田には、織田弾正忠家が今川配下に成っていたという認識があり、
これは織田信秀の晩年には、美濃での敗北や自身の病気などでその権威が大きく縮小し、当時西三河での影響力を
ほぼ喪失し、東尾張まで侵食されつつ有った状況を表しているのでしょう。
そんな逼塞常態の織田弾正忠家をどうにか盛り返したのが信長ですが、彼が父信秀の体制を模倣しなかったのはある意味
当然で、信秀の段階では、弾正忠家は雑多な連合体の盟主くらいの存在で、戦国大名化しておらず、先行して戦国大名化を
果たしていた美濃斉藤家(一色家)の体制に範を求めたのは、美濃の統治も含めて、むしろ合理的と言えるでしょう。
そういった部分を「自然なこと」と評している信玄も、その辺りの機微を理解していたという事なのでしょうね。
いろいろと読み込みがいのあるお話だな、なんて思いました。


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週間ブログ拍手ランキング【05/16~/22】

2019年05月22日 13:03

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信虎公はこの刀で50人余りを 11

勝ちを千里の外に決す 7

つまり原作者は引用箇所のページ数と書籍名を間違っていて 6
岩屋の太刀 5
良き大将でござった由を 5

また三好長春は淫乱不道にして 4
何人たるを問わずこれに対して善をなせ 4
と、信玄公は仰せ渡されたのである 4

道三はその時すでに耳が遠く 3
本当の合戦両度ながら、信玄公御勝利なり。 3
老王は堅固な柱のように 2



今週の1位はこちら!信虎公はこの刀で50人余りをです!
81歳の信虎を、かの勇猛を謳われる武田家臣団が明らかに恐れているのが面白いというか何と言うかw
また親類衆による逆心を恐れている辺り、勝頼の権力基盤の弱さを表しているとも言えるのでしょう。
そして 長坂長閑斎の、勝頼近習としての有能さも何気に表現してあり、群像劇の一幕を見ているような思いもします。
総じて勝頼は大変だったなあと、どうしても感じちゃいますねw

2位はこちら!勝ちを千里の外に決すです!
織田信長による見事な計略のお話。実は織田信長という人、甲陽軍鑑に限らず、どうも生前はこの手の計略の達人だった、
と思われていたフシがあります。そしてこれ故に周囲から、うかつに信用できない人物であるという印象もあったようです。
甲陽軍鑑の他の記事では、この手の信長の謀略癖(?)を批判的に記述しているものもありますね。
織田信長についての、同時代的な印象を端的に表した逸話でも有ると思います。
あと、忍たまの戸部先生こと戸部新左ヱ門、何故この名前かと思ったら、戸部新左衛門(政直)が、作者である尼子騒兵衛先生
の御子孫なのですね。このようなお話からも、歴史というものは、生きているのだなと感じます。ゆらり。

今週管理人が気になった逸話はこちら!つまり原作者は引用箇所のページ数と書籍名を間違っていてです!
この事も知りませんでした!実に興味深い。この手の、引用元の勘違いというのは他にも有ることでしょうが、花の慶次は
影響力が大きいだけに、エンタメとは言えこういった部分の指摘は大切だと思います。絶対孫引きしている人いるしw
新しい版ではこの辺りの注釈とか入っているのかなあ(未確認)。若し未だな場合は、出版社に善処を求めたいですね。
個人的にもとても勉強になりました。また自分にとっても自戒としたいです。



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週間ブログ拍手ランキング【05/09~/15】

2019年05月15日 14:22

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日本をすべて取ろうと思ってようやく中国を 9

虎生まれて三日にして牛を食うの機あり 9

關八州に鉄炮はしまる事 7
主君と、兄弟と、息子の舅の仇から感状をもらった 7

信玄公御時代諸大将之事 6
片手綱を達者に覚えてこそ 5

そこで法体となり“実 休”と呼ばれ 4
大森伝七郎、切死の事 4
若王はこれを聞くと急いで王妃のもとに 4

耳川の敗戦後の、豊後国内 3
フランシスコ・カリヤン書簡より、耳川の戦い 3
智者は闇主の為に謀らず 3


今週の1位はこちら!日本をすべて取ろうと思ってようやく中国をです!
毛利元就年少時の逸話として、非常に有名なものの一つですね。これが『甲陽軍鑑』に収録されているということは、軍鑑が
成立したと考えられる、少なくとも江戸初期には、早い段階だと高坂弾正が口述させた時点で、既にこのような話が世間で
言われていた、という事になります。事実かどうかはともかく、当時毛利元就が既に歴史的英雄として認識されており、幼少期からの
「英雄譚」が形成されており、それは安芸から遠い甲斐にまで伝わっていた、と考えることが出来ると思います。
史料的に、このような「元就伝説」伝播の過程が調べられると面白いのに、なんて思います。

今週は同票でもう一つ!虎生まれて三日にして牛を食うの機ありです!
こちらも「甲陽軍鑑」より、今度は徳川家康の幼少譚ですね。家康という人は武田家にとって、実は上杉謙信以上の宿敵と呼べる
人物でした。三方原に至る信玄の西進も、「家康への多年の鬱憤」を理由として挙げていたほどです。
ただ甲陽軍鑑の面白いところは、上杉謙信にしてもそうですが、真正面で自分たちと戦い続けた武将を割と讃えている所です。
「このくらい立派な武将なのだから我等が苦戦したのも仕方がない」という所でしょうか。一方長篠で大敗した織田信長や、
同盟の復活まで行った北条氏政などへの評価は厳しいですね。甲陽軍鑑における人物評価について調べてみるのも
面白そうです。

今週管理人が気になったいつわはこちら!關八州に鉄炮はしまる事です!
日本ではいわゆる「種子島」鉄砲が後年あまりに一般化したため、鉄砲と言えば種子島式、と認識されるに至ったのですが、
実は種子島銃以前にも、「鉄砲」と呼ばれる火薬を用いた兵器は日本に入っており、かつ使用されていたのではないか、なんて
言われています。応仁の乱でも、投石機で火薬を詰めたものを使用していた記録があります。伊勢盛時の三河侵攻の折の
「鉄砲」も、そういった「プレ種子島期」の火器だった可能性は充分あるのでしょう。その場合は後年の鉄砲とは、相当
運用の仕方が異なったとは思われますが、それもふくめて、日本の「鉄砲」の歴史と見たいですね。
そしてこの逸話では小田原の役における長大な火線に言及されており、武器としての鉄砲が広まった「成果」が、実に可視的に
描かれていると思います。鉄砲の始まりから、当時的な結実まで描いた、非常に興味深い内容だと思います。


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週間ブログ拍手ランキング【05/02~/08】

2019年05月08日 13:33

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河尻秀隆の最期5撰 13

藤堂高虎『転職について』 12
佐久間信盛、信長を諫める 12

【雑談】明智光秀の描写について 9

【雑談】家康の甲斐侵攻について 8
甲斐は結局信玄の子の代で滅び 8
小笠原の行く末は 8

元和改元と武家諸法度について 7
当分は太閤は怒り給えども 6
越来賢雄(ごえく けんゆう) 6

氏康は鉄砲の音に驚き給う。 5
細川持隆の滅亡 5

小次郎は信長の時分の脇の上手であるという 4
福島左衛門大夫の家来に名高き者多し 4
又ものの分として何とて能せん 4

桑垣元二という鼓者は名高し 3
豊国大明神石灯籠 3
この世子は知識と思慮に富み 2


今週の1位はこちら!河尻秀隆の最期5撰です!
河尻秀隆の横死について、個人的には家康が煽ったかどうか、という議論はあまり意味がないと思っています。本能寺の
信長の死により、甲州征伐後に行われた知行割は、政権の地域秩序維持機能も崩壊したため維持不能となり、室町幕府の頃と
同じように、政権の追認はあるにせよ、本質的には戦国的な実力による地域安全保証に戻ってしまったためです。
河尻が他国よりの攻撃ではなく甲斐国内の一揆で滅んだことが象徴するように、河尻には自力では一国の安全どころか、知行内の
秩序を維持する実力も備えていませんでした。そこから考えると、一義的には彼が殺されたのは、自身の判断ミスだったと思います。
同じように甲州征伐後川中島を与えられた森長可は、その領地の保持が即座に不可能だと判断し脱出していますし。
河尻的なあり方も含めて、体制の崩壊時の混乱なのだろうな、なんて考えたりします。

2位はこちら藤堂高虎『転職について』です!
さすが戦国の転職王wいいことを言っていますね。面白いのは、中世の武士の奉公心得では概ね、新参はともかく譜代については、
主君がどうであっても我慢して仕えるべきだしそういう義務がある、なんて書かれているものなのですが、ここでは「譜代であっても
ダメ主人なら退職すべきだ、そんな所にいては自分が腐る」とはっきり言っている所でしょう。この部分こそ高虎の面目躍如たる
部分かな、なんて思っちゃいます。儒教においては「君君たらずとも臣臣たらざる可からず」なんて言いますが、高虎にとっては明確に
「君君たらずば臣臣たらず」だったわけですね。こういう考え方であると意識しつつ高虎の生涯を見てみると、また違った感想を
得られるかもしれません。

今週は同票でもう一つ!佐久間信盛、信長を諫めるです!
宣教師関連の記録でも、日本の記録でも、佐久間信盛という人は、世間から「信長にもの申せる」人物である、と考えられていた
ことが見えてきます。織田家内部における権威も権限も巨大で、正しく重臣の代表でした。それだけに信長にとっても、彼の判断を
尊重する必要のある、ある意味重苦しい存在でもあったのでしょう。例の『佐久間信盛父子折檻状』にも、信長の判断について
猛然と反論し、しかもそのまま席を立った事が書かれています。これにより面目を失った信長ですが、だからといってその場で信盛を
処罰もできなかったのです。折檻状の他の条々もよく読むと、信長が信盛に直接的な指示が出来なかったのではないかと
想像させます。
織田信長という人は、よく独裁性を指摘されることが多いのですが、昨今では彼も他の戦国大名と同じように、家中組織の上で、
合議によって家を運営する人物だったのではないか、という説も出てきました。僕も個人的には、信長に独裁性があったにせよ、
それは晩年のかなり限られた期間ではないかな、なんて思っています。
佐久間信盛という人物も、もっと研究が深められて良い人だな。なんて感じています。



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週間ブログ拍手ランキング【04/25~05/01】

2019年05月01日 16:10

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家康、茨木で鷹狩りをする 13

これ武略なり 13

元和元年成候。珍重なり。 9

小笠原与八郎の事 8
法華乱というのは 7

蜂の毒を感じることも在る 6
岐阜をもって降参し、これ故に敗軍した 6
婦人の悪魔を払う 5

傲慢なるゼザベルを罰するに 4
阿波国にも公方家あり 4
この悪しきゼザベルは 4


今週の1位はこちら!家康、茨木で鷹狩りをするです!
このお話があったのが1599(慶長4)年12月3日、時系列で言えば、石田三成襲撃事件(いわゆる七将襲撃事件)を家康が収拾し、
向島から伏見城西の丸へ移ったことで、多聞院日記などで『天下殿に成られ候』と評されたのが同年閏3月13日、昨今「家康による
一種のクーデター」とも評される、北政所が明け渡す形で大阪城西の丸に入城したのが同年9月27日。12月といえば、いわゆる
「加賀征伐」騒動が続いているとは言え、当時ほぼ、前田利長が屈服する形での解決のめども立っていたらしく、大阪における
家康の権威がほぼ確立していたと言え、この鷹狩も、豊臣政権下における家康執政の安定をアピールするパフォーマンスの
一環でもあったのでしょう。秀吉の鷹匠衆を引き連れていたというのも、「大阪城の(事実上の)支配者」という部分の
表現かもしれませんね。ただ秀吉の鷹匠衆を当時家康が自由に動員できたか、という部分は考える必要があります。
これが豊臣宗家からの提供という可能性もあり、その場合は豊臣宗家と家康の関係の良さ、協調のアピールとも受け取れる
ためです。
色々なことを考察させてくれる記録だと思います。

今週は同票でもう一つ! これ武略なりです!
桶狭間の戦いは、アレだけ有名な合戦にかかわらず非常に史料が無いことでも有名で、未だに諸説が入り乱れるほど、
実態がわかっていません。異説の多さも、そこから来るのでしょう。そもそも信長自身すら実態がわからなかった可能性すら
あります。
この中で、「熱田の神前でしばしまどろみ夢を見ている体で、応じる声が3度あった。」という描写があるのは興味深いですね。
有る種の神頼みを信長も行っていた、という事であり、当時「信長はこういうことをする人」というイメージが有ること、またこれを
「武略」と表現している所から、それは真摯な信仰では無いことも表しており、信長の死後、彼について割と広く受け止められて
いたと考えられる、「謀略家」イメージに沿った内容になっていると思います。
歴史上の人物の逸話については、時代ごとのイメージの変遷という角度から見ていくのも面白いと思います。

今週管理人が気になった記事はこちら!元和元年成候。珍重なり。です!
今日は令和に改元されましたが、こちらは元和改元についての内容です。改元時期が延びたのは、この直前に、徳川秀忠が
上洛しての、武家諸法度(元和令)発布があった為のようです。ここより、かの「元和偃武」が始まるわけですね。
江戸幕府は歴代、この元和偃武を祈念し、政権としてのアイデンティティと捉えていたようで、正しく歴史的改元と言って
良いのでしょうね。
この、およそ400年前の改元から、今回の改元について思いを馳せてみるのも良いかも知れません。



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そして今日は奇しくも、令和に成って最初の更新になります。上の逸話のタイトルをもじれば、
『令和元年成候。珍重なり。』という日ですね。
この新しい御代が、皆様にとっても益々幸多き時代と成ることを、心より祈念いたします。
令和の時代もどうぞ、このまとめを宜しくお願い致します。

まとめ管理人・拝(/・ω・)/

週間ブログ拍手ランキング【04/18~/24】

2019年04月24日 15:28

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最上義光、山形城作庭のいい話 23

義昭公の御果報のほどこそ 8

海賊に遭難 7
玄澤は小西の家臣で領知3千石なり 7

作州は即日に京の町人から借りていた銀を返しなされ 6
【雑談】小山評定について 6
あるいは曰く勝入が討たれたのは 6

志岐鎮経によるキリシタン迫害 5
豊後の王の勝利 5
家康は自身で戦い、私は動かなかった 5
本多八蔵という者が武蔵守の首を取ったが 5
異変があればその時に軍を発する 3


今週の1位はこちら!最上義光、山形城作庭のいい話です!
ああ、いいお話ですね。最上義光の優しさとともに、地元の人々が最上義光という人物に描いたイメージが伝わってきます。
気は優しくて力持ち。弱い者への哀れみも深い。そういう人物像を後々まで抱いていたと思うにつけ、「我らの殿様」への
思慕を感じさせます。多分その思いは、最上家改易以後に、より一層強くなったのではないでしょうか。
最上義光という人は、戦国大名として苛烈な世界を生き抜いた人ですが、今に残る逸話には、その人間味や暖かさを感じさせる
ものが多いように感じます。それはそのまま、そういうお話を伝えた後世の人々の、義光への愛を表しているのではないか。
なんて思います。

2位はこちら!義昭公の御果報のほどこそです!
いわゆる「室町幕府滅亡」を描いたお話ですね。この時信長の敵対者として、現在一般に考えられる朝倉ではなく近江六角氏を
出してきている辺り、出典である室町殿物語の(史実的には多くの誤認が含まれているにせよ)、畿内中心主義的な編纂姿勢を
感じさせますし、また畿内の人々の、当時の情勢に対する受け取り方を表しているのかも知れません。室町殿物語自体は、
秀吉の時代に編纂された書籍ですので、その時代からさほど隔たっていないはずの信長義昭の時代ですら、既にこのような
認識だった(認識があった)と言う意味でも、面白いかも知れません。

今週管理人が気になったお話はこちら!【雑談】小山評定についてです!
関ヶ原研究界隈でわりと論争の続いた「小山評定」ですが、個人的には、(軍記に有るようなものではないにせよ)あった、という事で
ほぼ決着したのではないかと考えています。このあたりは本多隆成先生の「『小山評定』再々論」(『地方史研究』三九八号)に
詳しく述べられていますので、ご興味の有る方は是非読んでみてください。また本多先生の近著『徳川家康と武田氏』には、
この小山評定論争も含めて、史学における論争のあり方なども書かれており、史学に興味の有る方には非常に為になると
思われますので、よかったら一読してみてください(118ページ位から)。



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週間ブログ拍手ランキング【04/11~/17】

2019年04月17日 18:13

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足利義昭の最後 13

武功を挙げた盛政は 11

老人雑話より、蒲生氏郷の逸話まとめ 10
この両人は隠れ無き武勇の者なり 10

秀吉公、京都の様子御尋ねの事 9
さては天狗が手出しして 7

老人雑話は忠興に厳しい 6
【記事】壬生綱雄 天満宮の暗殺事件首謀者は誰? 6

洛中、洛外の境を、末代まであい定めるべし 5
三斎は刀を取り、御屋形を抜き打ちに 5

「在る甲斐もない身の上かな」 4
又者で名高き者は 4
織田信長公、座興ふかき事 3


今週の1位はこちら!足利義昭の最後です!
織田信長などを糾合し、征夷大将軍として幕府を再興し、また信長と激しく天下の覇を争った足利義昭ですが、現代に於いて
その晩年が顧みられることは少ないと言っていいでしょう。逸話などでも、秀吉政権下、帰京後の義昭の動静について
取り上げたものは少なく、当時に有って、かつての公方の存在感の薄さ、感心の低さを現していると言ってもいいのでしょう。
ここではその最後の様子が非常に細かく描かれていますね。毛利との縁が切れておらず、輝元から援助が有ったこと、
また信長と敵対したことに対して、自分の能力がなかったことも含めて、忸怩たる思いがあったことが伺えます。
もちろんこれが歴史的事実、というわけではないのでしょうが、外部から見て足利義昭の晩年がこのように観られていた、
という部分は感じられるかと思います。

2位はこちら!武功を挙げた盛政は です!
佐久間盛政は、賤ヶ岳とその戦後処理の中で、逸話的に非常に存在感のある武将ですが、ここを見ると、その前から
豪傑というべき活躍をしていたのですね。首を取って真っ先に叔父の勝家の所に持っていくなど、微笑ましいと言うかなんというかw
勝家としては、困りながらも、愛すべきかわいい甥だった事でしょう。
賤ヶ岳敗戦後の、一個の武士としての豪胆さ、爽やかさを表す逸話は、彼の体躯や性格が、広く知られていたことが大きかった
のかもしれません。

今週管理人が気に成った逸話はこちら!さては天狗が手出ししてです!
秀吉の時代の、兵法のあり方が見える感じがする逸話ですね。ここでは京ですが、地方では諸大名の城下町に宿を取り、
そこを拠点に家中の人々に指導し徐々に門人を広げていったという事なのでしょうね。そこには当時既に、武士たちの間に
武芸を学ぶ事への需要があったのでしょう。
このお話の少年(天狗)をどう捉えるべきなのか。お話から見ると、人々が武芸を身につけることを天狗がよく思わなかった為、
というように見えますね。「天狗」は兵法のルーツ、なんて伝説もありますが、もしかすると塚原卜伝流の兵法に対して、
「天狗流」兵法の優位性を見せつけたのだ、という事かもしれない、なんて思ったりもしました。


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週間ブログ拍手ランキング【04/04~/10】

2019年04月10日 15:30

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【ニュース】狸に化かされる宴席料理「狸食(たぬくい)」を現代に復活 兵庫・夢前町 12

禁中は信長の時から興隆した 11

御為なれば申すのである 8
岩崎角弥が事 8

今宵、なんとも心得ざる夢を見たため 6
大師の制法、ありがたくこそ覚える 6

大内とは 目出度き名字 今知れり 4
老人雑話より短い記述を抜粋 3
天文九年の徳政令 3


今週の1位はこちら!【ニュース】狸に化かされる宴席料理「狸食(たぬくい)」を現代に復活 兵庫・夢前町です!
内容を見ると非常に興味深い料理ですね。これは一度食べてみたくなります。そして赤松氏由来の伝承のあるのも良いですね。
さすが播州、赤松王国。赤松氏の記憶が今も脈々と受け継がれているかと思うと、歴史が生きていることを実感させてくれます。
また同じく記事に出てくる「玉子ふわふわ」、これは中近世の料理に関する文書にも、間々出てきますね。
これも一度、歴オタとしても味わってみたい料理です。現地に一度行ってみたくなりました!

2位はこちら!禁中は信長の時から興隆したです!
戦国期の朝廷が衰亡していた、というのはよく言われるところですが、昨今では研究の進んだ結果、そのイメージもだいぶ変化し、
イメージとして「年収五千万円くらいで日々の暮らしには全く困らないが数億かかる儀式を執り行うには足りない。」というような
状況だった、と言われます。ここにある御所の荒廃というのも、コントラストの強調を意図した、多分に「盛った」表現なのでしょう。
ですが朝廷権威とは定められた儀式の執行が有って保たれるものであり、それを復興させたのは信長である、という部分は
全く正しいと思われます。その流れの中で、朝廷そのものを取り込んだ秀吉の政権によって朝廷権威は一定の復活を得た、
そう言えるでしょう。
しかし「衰亡していた時の方が歌は良かった」というのは、個人的には一種の過去の美化かなあ、と思ってみたり。
一般論ではありますが、やはり文化って安定の中でこそ豊かに花開くと思うのですよw

今週管理人が気になった逸話はこちら!大師の制法、ありがたくこそ覚えるです!
先住権を主張する竜に、嫌がらせを敢行して無理矢理に立ち退きさせる弘法大師。地上げ屋かwなんて連想もしちゃいます。
この逸話は色々と受け取れると思います。竜(大蛇)はそれこそ高野山に元々棲んでいて、立ち退きを強要された人々の事を
表現しているのだ、なんてベタな解釈も有るでしょう。(個人的には説話というものはそこまで単純に形成されないという感覚を
持っています。)
これに関しては、秀吉という強大な「天下人」であっても、大師の制法に反せば、かくなる目にあわされるのだ、という部分を
素直に見るべきなのでしょう。高野山は秀吉に服従する際、その所領を大きく削られたとされます。そういった事への反発、
反感が、このような逸話の形成に繋がったのではないか。そんな事をふと考えました。


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週間ブログ拍手ランキング【03/27~04/03】

2019年04月03日 17:41

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牛肉の炊き込みご飯 13

「天正の楠木」の軍略 12

硝石の当地への輸入を一切禁止し 10
故に、もし彼を殺したいのであれば 8

肥前五島の国に在った時見た怪物について 6
丸山豊後は武勇の名あり 6

老人雑話序 5
一休ニ休三休さん 5

“大内本” 4
修理は多才の者である 4
王は常に大いに歓待する 3

土佐日記(定家筆本) 2


今週の1位はこちら!牛肉の炊き込みご飯です!
宣教師がお祝いの料理として牛肉の炊き込みご飯をつくって振る舞ったというエピソード。一体どんなものだったのでしょうね?
レシピが残っていないのが、惜しいw
ただこの牛肉を食べるという行為、日本心には激しく嫌われたらしいのです。後の秀吉のキリシタン追放令でも、理由の
一つとしてきっちり書かれていますね。牛は当時の日本人にとって貴重な労働力として捉えられており、それを食べるというのは
非常に野蛮な行為である、という観念が在ったようです。「牛馬を食べる」は、籠城でも兵糧攻めをされた挙げ句の最終段階で
行われるものです。そういう意味で、キリスト教との間には、この段階から既に「異文化摩擦」が蓄積されていっていたの
だなあ、と考えることも出来るかも知れません。
まあ今の時代なら、この記事を元に大分牛を使った「牛めし」みたいなものを、新名物として作るのも良いかもですがw

2位はこちら!「天正の楠木」の軍略です!
志賀親次の、対島津の見事な軍略。油断させ、罠に誘って、皆殺し、という、むしろ島津のほうがやりそうな戦術に島津軍を
引っ掛けているのが面白いですねwまあこういうのは基本的に軍記物のパターンであり、こういう描写も、それこそ楠木正成、
或いはそのネタ元にもなった三国志や楚漢軍記などの描写をモデルにしたもので、事実というわけではないのでしょう。
ただ、志賀親次が「こういう軍略を用いてもおかしくない人物」というイメージを持たれていたことはやはり大きいと思います。
志賀親次も含めて、「大友忠臣」に対する後世の評価の高さというのは、少し武田家に似ているようにも思い、地元における
愛の強さも感じられる気がします。

今週管理人が気になったお話はこちら!老人雑話序です!
ほぼ百年、永禄から元亀天正の戦国真っ只中、そして江戸幕府体制が完全に定着した寛文の時代まで生きたという、江村専斎の
談話を記録したとされる老人雑話。彼が見聞きした本当に様々なことが書かれており、その内容はこのまとめにも多く収録
されていますね。当時の大きな事件や武将などに対する世間のイメージなんかも得ることが出来、本当に貴重な史料だと
思います。老人雑話を読むと、あの時代の人らしく茶の湯に非常に興味のあるのが見えてくるのですが、専斎は千利休の
茶会のも参加したことが在ったらしく、その面でも貴重だと思います。
そんな『老人雑話』は国立国会図書館デジタルコレクションでも手軽に読むことが出来ますので、興味のある方にお薦めしますよ!
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920299/146


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2019年03月27日 18:28

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【ニュース】政宗と有楽斎、親密な証し 19

義は千載朽ちざる 11

現在刀脇差を差すのは 10
最上義光、山形城作庭の悪い話 9
田峯・長篠菅沼氏の滅亡と二人の烈女 9

私が切腹に及ばない事の方を憂い 8
世の中は くうてはこして寝て起きて 7
国王はかくのごとくして殺したり 6

ところが『孟子』に至ると、 5
「江源武鑑」について 5

大峰入り、すなはち大なる山に入るといふ意 3
連歌師の次第 3
幽斎はその時第一の買主である 3


今週の1位はこちら!【ニュース】政宗と有楽斎、親密な証しです!
有楽と政宗、不思議と「気が合いそう」な印象を持っちゃいますね。勝手なイメージですが、きっとろくでもないこと話して
意気投合してそう、みたいなw
こういう交友関係の資料が出てくると、歴史の流れもより複層的に見ることが出来ますね。例えば大阪冬の陣で、有楽と
政宗は敵味方となるわけですが、この時双方どんな思いでいたのか、なんて想像が膨らみます。
新史料はいつも歴史の感じ方を豊かにしてくれる。そんな事も思わせてくれた記事でした。

2位はこちら!義は千載朽ちざる です!
ドン・パウロこと志賀親次。忠節厚い大友家家臣としても、敬虔なキリシタンとしても、結果的には苦悩と挫折の生涯だったのでは
ないかと想像します。また九州役後、大友義統からは疎まれていたフシが有るのですが、それらの意味でも「楠木の再来」という
呼び名に、どこか感じるものがありますね。彼は結果として多くの大名に仕えることになりましたが、それも変節漢と言うより、
その能力を世間が認識していたから。と受け止めるべきなのでしょう。この逸話の華々しさと同時に、生きることの難しさなんかも
ふと感じさせる。そんな逸話だと思いました。

今週管理人が気に成った逸話はこちら!国王はかくのごとくして殺したりです!
その志賀親次も仕えていた大友宗麟の、家中の処罰についてのお話。切腹がいかに名誉有るものだったかが、非常に強調された
お話であるとも思います。討伐との対応の差が実に極端で、こういう感性も、非常に中世日本人の特徴を表しているな、と
感じます。
それとこの記事では、戦国期の合戦の順序と言われる、遠距離から矢戦→近づいて鑓合戦→刀にての闘争、というものが
端的に描かれていますね。実際様々な合戦屏風などでも、追撃戦、掃討戦とみられる場面では刀にての突撃が描かれており、
戦場での武器としての刀の位置づけについて。この記事内容を補完していると思います。
様々な意味で、戦国期の武士の様子を知るのに非常に興味深い。そんな内容だと思いました。


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週間ブログ拍手ランキング【03/14~/20】

2019年03月20日 22:41

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池田輝政、晩年に松平氏を賜る 15

式部が常に言ったことには 12

タバコが流行り始めたのは、久しく昔という訳では 10
今後関東にては永楽一銭を使うべし 9

その鳩を鉄砲を以て撃ち落とし 8
勝頼が兵を用いることの意味を 7

秀頼は5歳の時に参内され、伏見より行列をなす 5
この時の政宗の行装美麗を尽くし 5
【雑談】ホームシックにかかって脱走する兵士が後を絶たないから 5
総じて名物の兜というものは 2


今週の1位はこちら!池田輝政、晩年に松平氏を賜るです!
松平姓と参議の官位って、病気の快気祝いでもらえるのか!なんてことを先ず思ったりしましたがw、まあこれは病気になった
事で、周りが池田輝政の健康不安を感じ、与えられるものは早めに与えておこう、という意識が生まれたのかもしれません。
この場合、程なく翌年には亡くなってしまうので、「この時与えておいてよかった」という案件なのでしょうね。
それにしても隠居した毛利輝元の号・幻庵宗瑞。この時代ならその号が小田原北条氏に由縁がある事、周りも感じただろうと
思うのですが、何故に輝元はそれを自ら名乗ったのか。いろいろな想像をさせてくれますねー。

2位はこちら!式部が常に言ったことにはです!
まあほら、中村一氏は関ヶ原合戦直前に亡くなりますしwあと、この時の東軍は、それこそ「太閤の軍」そのものでもあるのですね。
だから中村家が家康の指揮下に従うのは筋が通っていま。、それにここで家康に反旗翻そうものなら、家康の旧領ですから
即座に大規模一揆起こされるでしょうしねw
まあそんなこんな、いろいろ考えさせてくれるお話だな、なんて思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!今後関東にては永楽一銭を使うべしです!
ここで面白いなと思うのは、安斉随筆を書いた伊勢貞丈は江戸中期の人ですが、幕府により寛永通宝が発行され、中国銭の
類がほぼ流通しなくなった当時に於いても、「関東と言えば永楽通宝」という概念が未だ残っていた、というところですね。
実際戦国期において、関東では何故か永楽通宝が尊ばれ、西国では逆に永楽通宝の価値は低く、宋銭を尊んだといいます。
このあたりは高木久史先生の『撰銭とビタ一文の戦国史』に詳しく、非常に面白い本なので、興味の有る方にはお薦めです!
戦国時代の、英雄豪傑の活躍の裏の、普通の人たちの地べたの生活が見えてくると思いますよ。



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週間ブログ拍手ランキング【03/07~/13】

2019年03月13日 19:12

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「敵に塩を送る」異説 12

牧村家督顛末 11

斉藤山城守は、先手の兵士に三間柄の直鑓を持たせ 9
中村はそれに逢迎 9

例の猩々緋よ、唐冠よ 7
故に良将はかならず軍を監督し 7

臆病神がいつの間に憑いたのか 5
まことに良将が軍を統べる故なり 5
この二つは最も名誉とされる事である 5


今週の1位はこちら!「敵に塩を送る」異説です!
上杉謙信が信玄に塩を送ったのは、東方での争いを膠着させ、自身の北陸経営を有利に運ぶため。という内容ですね。
これはおそらく、謙信が後年、結果的に関東からほぼ追われ、北陸の経略に軸足を移した事を、逆算した発想なのでしょう。
塩留めと言いますが、実際には多くの軍需物資を含む物品の流入を阻止する貿易封鎖であり、当時の用語としては「荷留」と
呼ばれていたようです。
上杉謙信と武田信玄は、不倶戴天の敵のように言われがちではありますが、謙信にとっての実際の主敵は終始
小田原北条氏であり、武田に対しては是々非々という態度を感じますね。実際足利義昭による甲越和議を受け入れたり
していますし(しかも越相同盟の裏でw)
謙信という人も、今後研究が進んでいくと、だいぶイメージが変わるんだろうな。なんてことを考えていたりします。

2位はこちら!牧村家督顛末です!
これはまた暗澹たる内容で…。確かに稲葉家らしい、といえばらしいお話ですw
ツイッターで言われて気が付きましたが、この牛之助に刺客を放って殺した稲葉道通、妻があの日根野盛就の娘なんですよね。
稲葉道通も甥の暗殺後あえなく死に、伊勢田丸藩も改易されることを考えると、関わる人たち皆亡ぶという日根野盛就の呪いは
ここにもあったか!なんてことを感じさせるお話でもありますねw

今週管理人が気になった逸話はこちら!斉藤山城守は、先手の兵士に三間柄の直鑓を持たせ です!
長鑓と言うと織田信長が有名ですね。信長公記には少年時代既に長鑓を使うべきと考えていた、とあり、また畿内では、
三好がやはり長鑓によって合戦での強さを顕した、なんて逸話もあります。現代では戦国時代の武器といえば鉄砲と
捉えられがちですが、長槍もまた、合戦の様相を大きく変えた武器であると、当時から認識されていたのでしょう。
この逸話も、そういう長鑓評価の流れの中にある話であると思います。
昔の人も、戦国期急激に膨張した勢力に対し、その膨張の合理的理由を求めたのでしょう。そしてその理由の一つとして、
長鑓の活用というものが、納得の行く理屈であったのでしょう。
こういったお話は、そのくらいの意識で読むのが良いかな、なんてことを思います。



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週間ブログ拍手ランキング【02/28~03/06】

2019年03月06日 19:40

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甲州・信州・駿州三ヶ国が本意に属する旨は 14

この時に及んで富士山が私の山となり 10

信長信託 9
ガスパールの茶会事件 9

梅北一揆顛末 7
「賞功不踰時」というのはこれなり 5
これにより杉原・荒・仙石が先をなし 5

一体彼が何人力だったのか 4
その場の存念にあらず。年来の逆意と推測される 4


今週の1位はこちら!甲州・信州・駿州三ヶ国が本意に属する旨はです!
甲州征伐が天正記の段階では、ほぼ全部織田信忠の軍の功績と、きちんと把握されている所がまず興味深いですね。そして
この結果として東国はほぼ織田政権に属した、との認識があったこともわかります。この戦いはやはり、織田政権にとっての
画期だったと、当時の人々も思っていたということでしょう。それが1年も経たずに瓦解するわけですから、ここでその活躍が
讃えられている河尻秀隆の運命も含めて、つくづく人の未来なんてわからない。そう感じさせる逸話だなと思いました。

2位はこちら!この時に及んで富士山が私の山となりです!
で、甲州征伐後の富士見物で満足この上ない織田信長。このときが彼の頂点だったとは、神ならぬ身の誰が気づくでしょうか。
そういえばこの富士見物で、信長が斎藤利三の事を語ったこんな逸話がありますね
織田信長、富士山を見て、ふと
斎藤利三は、富士山を見てはしゃいでいる信長の姿に、この程度かと見切りをつけた事が本能寺の端緒である。
なんて小説的発想もできそうな気もします。

今週管理人が気になった逸話はこちら!ガスパールの茶会事件です!
様々に興味深いですが、やはりこの時期の「連座」の範囲の広さを感じてしまいますね。この連座の範囲については外国人の目にも
非常に特異なものと映ったらしく、近世初期くらいには「日本の治安が良いのはこのため」という報告も有ったりしますね。
この風習が徐々に緩和されていくのは、江戸幕府が安定しだした頃からでしょうか。
まあ秀吉は例の落書事件の時は容疑者が逃げ込んだ先の町の区画の住民全員を連座させるような人なので、その点
特に厳しかったかも知れません。秀吉の時代の社会の空気の重々しさ、というものを感じられる記録かもしれません。
あとは当時も、同じキリシタン同士であっても兄弟愛とはいかずこうして生々しい殺人もあったのだ。という、まあ当然といえば
当然な面を再認識させてくれる、そういうお話であるとも感じました。



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週間ブログ拍手ランキング【02/21~02/27】

2019年02月27日 18:49

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今ここに二つの不思議が有る 11

大指物の故であった 8

天下は秀吉の掌握に帰すといえよう 6
秀吉はこれを識量して 6
鬼武蔵と言われる者の鋒を挫けば 5

決しかねる二つのこと 4
故に再び謀叛を起こした 4
柴田勝豊の死 4

玄蕃助は罪多き故 3
勝豊は内々恨みを含んでいた 3


今週の1位はこちら!今ここに二つの不思議が有るです!
秀吉が太田三楽を「あんなに出来るやつなのに何で一国すら…」と不思議がるというお話。これは一面、秀吉による
「俺は実力だけの存在ではない(天運も得ているのだ)」というのアピールでもあるのだと感じます。まあそういう意図だとすると、
それに対して気がついているのか居ないのか、「知らんがな」と言わんばかりの家康の反応もちょっと面白いですがw
それにしても太田三楽(資正)が、反北条にその半生を費やし、北条が亡ぶとその翌年たちまち死去したことは、秀吉的な
生き方から考えるといたずらにその才能をすりつぶした、迂遠そのものでもあったでしょう。しかしそれも武士のあり方、
または生き方なのでしょう。そう思います。

2位はこちら!大指物の故であったです!
戦場ではその戦功の認定のため、軍監などがあるのですが、合戦規模の拡大とともにその機能も低下したようで、徐々に
「目立ったもの勝ち」の世界へとなっていきますね。旗指し物などが派手になったり大型化した事は、そういう部分に原因があると
思います。このお話もそういう、個々の武功認定が困難になっていった状況を鑑みたものだと考えるべきなのでしょう。
ちなみにこのお話には続きがあり、後にこうなります
藪内匠正照と渡辺勘兵衛
これもまた、非常に武士らさを感じるお話ですね。

今週管理人が気になった逸話はこちら!決しかねる二つのことです!
これを読むと逆にこの甘利さんが重用されなかった理由がわかるような、そんな気のする内容ですねw
まあ甘利さんの方にも高山右近に対してよほど鬱積したものが有ったのでしょう。彼からすれば現在の待遇は
武士の世界における一種の契約違反である、という思いがあったかと考えます。
まあ良くも悪くも、お互いに性格が合わなかったのだろうな。なんて思ったりしますねw
なかなか生々しい、いい逸話だと思いました。


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2019年02月20日 14:10

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小田原陣の堀秀政 12

撫で斬りを始めるぞ! 12

天が秀吉を祐けたのだ 8

草履を横さまに御つけ有しとそ 6
鶏鳴より取巻いて攻めれば 5
里村紹巴と秀次事件+α 5

秀吉はまことに前代未聞の大将なり 4
秀吉1人の天下となることは快きかな 4
三七信孝も智勇は人を超えていた 3
秀吉は摂津国大坂において城郭を定めた 3
柴田勝家自害 2


今週の1位はこちら!小田原陣の堀秀政です!
なるほどこれが堀秀政の「名人」ということか、と感心しちゃいました。予め状況を予測して対処を用意しておく、という事、
中世と言えば「中世に予防法無し」と言われるように、基本的に事が起こってから対処を考える、というのが一般的でした。
そういう観念の強い社会だったことを考えると、確かに秀政が「名人久太郎」と異名されるのも解る気がします。
また、このような問題対応に対する意識変化の過渡期でも有ったのでしょうね。そんな事も思ったお話でした。

2位はこちら!撫で斬りを始めるぞ!です!
武将感状記は正徳6年(1716)の成立なので、戦国乱世から100年以上後の逸話集ですね。ですがこのお話など、
非常に戦国の匂いを感じさせる内容で、編者の熊沢淡庵(謎の人物らしい)の、逸話収拾に対する面白さを感じたりします。
それにしても意訳すると、まさしく「ヒャッハー!皆殺しを始めるぜー!」ですからねw良くも悪くも、こういうものが
戦国気質だったのだろうなと思ってしまいます。

今週管理人が気になった逸話はこちら!秀吉1人の天下となることは快きかなです!
柴田退治記をはじめ、秀吉が大村由己に書かせた『天正記』は、その内容を公家など京の上流階級に「読み聞かせ」していたらしく、
正しく秀吉のプロパガンダ文章でした。古代ローマではカエサルがガリアにおいて、戦勝を重ねることにそれを文章に書いて
ローマに送り自分の勝利の偉大さを強調したのが『ガリア戦記』だと言われますが、それと似たような事をやっていた、という
事なのでしょう。こういう強烈な自己宣伝、世論操作は秀吉の大きな特徴の一つだと思いますし、後世に至っても、あまりこういう
人は、日本には出てきませんね。『天正記』は秀吉の覇権の過程で、彼が自分をどう見せたかったか、を理解させてくれる、
とても良い史料であると思います。



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2019年02月13日 14:49

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政宗が無理に取ってしまいました 23

君のなさけの今はうらめし 11
【ニュース】姫路の化粧品メーカーが姫路城の紋瓦型せっけん販売へ 11

ただいま私が天下に備わったのは、ひとえに長秀の御かげである 10
御茶ノ水の地名の由来 9

越中征伐陣立書 8
佐久間玄蕃の最期 8

同道し引き取れば良かったのではないか 6
省陌(せいはく) 6
神速無比の人なり 5
まだ若年の身でそれぞれ敵を討ち取り 5


今週の1位はこちら!政宗が無理に取ってしまいましたです!
さすが政宗。これぞ政宗。色んな意味でじつに政宗な逸話です。被害者(w)が忠利なのもいいですね。政宗が相手では面と向かって
強く言えなかったのだろうな、なんて情景が見えてくるようです。そして恐らく政宗は、細川忠興・忠利親子の審美眼を信用して
いたのでしょう。だから彼等の物を欲しがる。細川親子からしたらいい迷惑ですがwしかしそういうのを迷惑に思いつつも
政宗だから仕方ないと受け入れちゃうのが、伊達政宗という人の人徳でも有るのかなあ、なんて思ってみたりw
政宗のこの手のお話、掘り起こせばもっと出てきそうですね~。

2位はこちら!君のなさけの今はうらめしです!
これはもちろん、本多忠勝の辞世の句『死にともな 嗚呼死にともな 死にともな 深きご恩の君を思えば』の本歌取なのですが、
内容的に対になっているのが実に良いですね。さすが後世にまで伝わっただけ有って上手い。
そしてなんとも不本意さが伝わってきます。「死ぬのは仕方ないけどこの死に方はなあ…」みたいな。
それでも、しかも草履取りという低い身分でありながら殉死することが、心意気でも有ったのでしょう。
実は割と複雑な味わいのある逸話だな、なんて思いました。

そして今週は同票でもう一つ!【ニュース】姫路の化粧品メーカーが姫路城の紋瓦型せっけん販売へです!
五三桐紋、太閤紋とはいいつつ、現姫路城で見つかったものは、実際には木下家定か池田家の使ったものなのでしょうね。
一方で秀吉や現在の姫路城を建築した池田輝政はともかく、なぜに、基本あまり芳しい言い伝えのない酒井忠恭の紋なのか。
千姫が再婚した美男で有名な、本多忠勝の孫、本多忠刻ではいけなかったのか、などとも考えてみたり。
まあこれはこれで面白いのですがwそんな事を思ったお話でもありました。


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2019年02月06日 19:00

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我が家のことをばかり書き立て子供に譲る 12

彼藤吉猿面郎カ方ヘ我ヲツレ行一言可云事アリ 10

彼を「ノブヲ」と云うのは誤りである。 9
和田新五郎の処刑 9

池田恒興の犬山城略取に対する恩賞 8
そもそも賤岳の合戦というのは 7

それも義輝公が愚弱だったため 6
その憤りによって謀叛を企て 6
物を送るのは、むしろ新郎の方 4
百姓には似合わぬ事を致したものだな。 3


今週の1位はこちら!我が家のことをばかり書き立て子供に譲るです!
三河物語のここ、割と有名ではあるのですが、明らかに読んでほしいのですよね、彦左さんはw
というか読まれることが前提にあるからこそ、こんな「著作動機」を書き連ねているのでしょう。
この中で、「御譜代久しき衆は、何れも自分の家々の御忠節の筋目、御譜代久しき筋目を書き立て、
子供たちへ御ゆずりに成るべきだ」と書かれているのは、多分本音なのだと思います。徳川譜代の
それぞれの家がそれぞれの「三河物語」を描いてほしい、その呼び水に成りたい、という意識はやっぱり
有ったと思うのです。それは、結果的にはそれぞれの家の「家譜」編纂という形で実現したのかも知れません。
しかし諸家家譜は幕府主導の編纂というのも有って、三河物語の、ある意味粗野で一方的一面的な価値観を
大声で叫んでいるような、そういう「魅力」には乏しいですね。スマートにすぎます。
そういう意味では、大久保家以外の、譜代諸家の「三河物語」読んでみたかったな、とも思っちゃいますねw

2位はこちら!彼藤吉猿面郎カ方ヘ我ヲツレ行一言可云事アリです!
佐久間盛政の魅力が十全に出ているお話ですねー。そして捕縛されてもちゃんと「死なない」。
死ぬまで諦めない事こそ、この時代の武士であり、勇者というべきでしょう。まあ逆に延々諦めないからこそ面倒でもあるのですが。
死ぬまで諦めないは、殺さないと止まらない、でもありますからねw
戦国時代は、武士が武士であることも大変でしたが、その上に立つ主君であることも、それはそれは凄まじい緊張感の
中にあったのだろうな。なんて事もふと思ったりしたお話でした。

今週管理人が気になった逸話はこちら!彼を「ノブヲ」と云うのは誤りである。です!
ノブヨシなんて説もあったのですねえ。びっくりですw
一般的には信雄は、武家読みが「ノブカツ」で、有職読みが「ノブオ」なんて説明されたりするのですが、ノブヨシに至っては
ホントよくわかりません。しかし作者の伊勢貞丈的には一定の根拠も有ったようで、「諱」というものの難しさを感じさせる
お話でも有るな、なんて思いました。これだから歴史というものは面白いw



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週間ブログ拍手ランキング【01/24~/30】

2019年01月30日 10:09

01/24~/30のブログ拍手ランキングです!


筑前守殿は城介様に恋慕故 14

諸大名を全て国へ帰し、敵対を成すならば 11

褒美として機物にあげよ 8
徳川秀忠、池田輝政の屋敷での茶会 8
子のなき者はつる葉をも捜し求め 6
私に吉法師様の御守りを 5

常真を攻めなさろうと思し召し 4
如御意裏切は可被御免候外聞如何と存候 4
すなわち筑前こそ上様 4
人々が因果であると申し習わすのも 3


今週の1位はこちら!筑前守殿は城介様に恋慕故です!
織田信忠と秀吉が衆道関係にあった、という事を匂わす逸話となっていますね。やはりここで大切なのは、実際に衆道関係に
有ったかどうかと言うより、衆道関係ならば相手の遺児の後見をすることは当然、という発想が、当時、説得力を持って
いたというでしょう。後世になっても、井原西鶴の『男色大鑑』などを読むと、衆道関係にある者が、一方が死んだ時、その残された
妻や遺児に対して一方が援助する、という話が結構あります。この逸話も、当時の一種の社会的常識をお話の中に取り込んだ
ものなのでしょう。そんな事を考えました。

2位はこちら!諸大名を全て国へ帰し、敵対を成すならばです!
この内容については、大久保彦左衛門もはっきり記しているように、あくまで人々の間の噂に過ぎないのでしょうが、
そういう噂があった事自体が興味深く思います。徳川秀忠は現在では、基本的に守勢の将軍というイメージが強いのですが、
ここではむしろ積極的に戦うことを選択する、非常に好戦的な将軍として描かれており、当時はこのような印象があった、
もしくはそのように印象つけるような傾向が有った、と見ることもできると思います。
しかしこういう噂があれば、諸大名は帰国を命じられても気が気ではないでしょうね。逆に一挙一動に慎重に成る事でしょう。
そういう効果も考えてこのような噂が流された、とも取れるかも知れません。

今週管理人が気になった逸話はこちら!褒美として機物にあげよです!
秀吉が、佐久間盛政を捕縛した百姓たちを処罰したお話です。この手のお話、近い例だと織田信長が甲州征伐のとき、
武田勝頼から寝返った小山田信茂を、主君への不忠として処刑された事がありますね。こういうものを更に遡ると、
実はかの源頼朝が奥州合戦の時、奥州藤原氏譜代の家臣でありながら、藤原泰衡を討ち取って頼朝に投降した
河田次郎が、譜代の恩を忘れた不忠であるとして斬刑に処されています。
信長にせよ秀吉にせよ、頼朝を真似たというわけではないのでしょうか、その前例を意識した面は有ったと思われます。
「武家の棟梁」はそういうものだ、という発想が自身にも周辺にも、きっとあった事でしょう。
この逸話の中で、織田信孝はその頼朝の父、義朝が謀殺された際の故事を織り込んだ辞世の句を詠んでいます。
全体としてもどこか鎌倉イズムを感じさせる、そんな逸話だと思いました。



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