週間ブログ拍手ランキング【2/15~/21】

2018年02月21日 20:18

2/15~/21のブログ拍手ランキングです!


ついに富田長繁がピックアップされた小説が 20

過分の扶持 18

那須神社 御由緒 12
細川幽齋覺書より、川を挟んだ合戦 10
団右衛門を逃がす 9

両大将の御軍法 8
細川の流れが2つになってしまう原因 4
越中魚津の蜃気楼 乾達婆城の事 4


今週の1位は、何とこちら!ついに富田長繁がピックアップされた小説がです!
まさかまさか、何とあの富田長繁が小説にピックアップされるなんて!僕はKindle版待ちで、そちらは23日からだそうなので
指をくわえて待っていますが、面白いという噂は聞こえてきます。楽しみ!
井伊直虎も大河に成りましたし、こうやって、わりと早くにいい悪いスレで掘り起こされていた戦国時代の人物が、
こうやって世間的に知られて、少しずつ大きな存在に成っていくというのは、なんだかうれしいです。
いい悪いまとめの中には、まだまだ魅力的なキャラがたくさんいますから、その中からまた新たにピックアップされる
人が出てくるのを、ワクワクして待っていますw

2位はこちら!過分の扶持
福島正則が、落ちぶれた老将を千石で召し抱えるお話。正則が評価したのが、かつて小城主をも任されていた、という
経験である点が面白いですね。そしてその経験を活かすには、小さな知行では不可能だ、という考え方も実に理論的で
実践的です。
勿論正則は、それだけでなく一種の宣伝効果も考えてこういった人事をしたのでしょう。、このような話を聞けば、
他の家の、不遇を感じる老勇士たちへのアピールにもなりますしね。
わりと脳筋扱いされがちですが、福島正則という人の優秀さも感じさせてくれる。そんな逸話だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!両大将の御軍法です!
ここの信長秀吉の対比って、秀吉自身がそう思わせよとした信長像、秀吉像そのままですねw
これは実態を表しているというより、秀吉政権のプロパガンダをそのまま書き残した、と言うべきでしょうし、
細川幽斎にとってこう言ったという記録を残すことが、一種の保身と成り得た、と考えるべきなのでしょう。
そんな、発言の裏側を読む面白さの有る内容だな、と感じました。



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
また気に入った逸話を見つけたら、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
(/・ω・)/

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週間ブログ拍手ランキング【02/08~/14】

2018年02月14日 18:22

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細川幽齋覺書より、兵糧・食料のこと 23

殉死せぬこと 19

御最後の時、さぞかし私の事も 13
伊勢新九郎の伊豆討ち入り 11

細川幽齋覺書より、竹束に関連するお話 10
細川幽齋覺書より、取った頸の扱い方 10

天下に名ありし者ども 9
京都四条糸屋の事件 5


今週の1位はこちら!細川幽齋覺書より、兵糧・食料のことです!
細川幽齋覺書は、幽斎自筆の覚書が後世に伝わったもの、とされる書物ですが、淡々と描かれつつ、内容は実に生々しさを
感じますね。ここだと「食べ物の話をするのは恥ずかしい、などという考えは何の役にも立たない」という部分など、近世の
いわゆる「武士道」や、戦国期には既にあったらしい「武士は食わねど高楊枝」的な発想とは真逆の、現実を突きつけられている
気持ちになります。
今週は他にも、
細川幽齋覺書より、竹束に関連するお話
細川幽齋覺書より、取った頸の扱い方
と、細川幽齋覺書からのお話がありました。調べてみた所、この本は国立国会図書館デジタルコレクションで読むことが出来ますね
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920302/68?tocOpened=1
気になる方は、よかったら原文の方にも、チャレンジしてみましょう!

2位はこちら!殉死せぬことです!
これを読むとどうしても知恵伊豆が頭に浮かんできちゃいますねwまあ松平信綱でなくても、この理路整然さは江戸期の武士かな
と感じます。
しかしかっこいいお話ですが、コメントの中でもそういった物がありましたが、嫌われることを恐れない発言でもありますね。
少なくとも好かれようとは全く考えていない。こう言ったタイプの人が堂々と生きていけるもの、江戸期ならではかな、
なんてことも思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!京都四条糸屋の事件です!
信長公記に有る殺人事件のお話。その事件のディテールはわからないのですが、わからないだけに様々な想像が広がります。
小説や漫画をかく方は、この事件で短編を書いてみたらいいのに、なんて思うのです。僕は読みたいですしw
創作をされる方、是非是非!w



今週もたくさんの拍手を各逸話に頂きました。いつも本当に有難うございます!

ところで今日はバレンタインデーらしいですよ!ハッピーバレンタイン!
僕は何とチョコを頂けましたよ!チロルチョコを!
…本当に義理チョコでチロル配る人って居るんだなあと、変な感心をしましたよ。
は、ハッピーバレンタイン!
まあ毒とか入ってなかったからそれはそれでハッピーだったのでしょう。

そんなわけで、また気に入った逸話を見つけましたら、曽於の拍手ボタンを押してやってくださいね!(/・ω・)/クヤシクナンカナイゾ

週間ブログ拍手ランキング【02/01~/07】

2018年02月07日 19:37

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正しく、素直でなければ、 13

関八州に鉄砲始まること 12

次左衛門こそが 10

下知につかずば 9
どうして一張の弓をもって 9
北條五代記より、信長、秀吉について 9
長柄刀のこと 8


今週の1位はこちら!正しく、素直でなければ、です!
これは色々と面白い逸話だな、と感じます。本多忠勝自身が、武士に対する評価というものは、基本的に過大になりがちな
ものだと認識しており、だからこそ自己評価は自分をありのままに見ることが大切である、と考えていますが、
これはつまり、世間の評価に自分が飲み込まれてはならない、というような意味合いがあるのでしょう。
世間的に大きくなった虚像の自分を基準にしてしまえば、地に足の着いた働きが出来るとは思えませんからね。
このお話は現在でも、そのまま規範に出来るなあ。なんて思いました。

2位はこちら!関八州に鉄砲始まることです!
鉄砲伝来には諸説ありますね。そもそも、いわゆる『種子島鉄砲」以前、「てっぽう」は火薬を使った兵器全般を指して使われた
言葉だったようです。例の蒙古襲来絵詞の火薬が炸裂している場面(最近の研究では、アレは後世になって書き加えられた
可能性があるらしいですが)、あの火薬兵器のところにも「てつはう」と書かれていますね。
種子島以前にも中国製鉄砲は様々な形で日本に入ってきていたのは確かなようです。ただ、中国製のものは鋳造で、射撃の衝撃で
非常に割れやすいものだったそうです。そのため兵器としての実用性に乏しかったそうで。
一方で錬鉄を巻いて作った種子島鉄砲は、少々のことでは壊れず、なおかつ極端な話、筒に入るなら銃弾以外のものでも
どんどん発射できる一種の万能性があり、これが種子島以降、鉄砲が爆発的に普及した理由なのだとか。
そのあたりのkとも頭に入れつつ、この逸話を読むと、また違った感慨も感じるかな、なんて思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!北條五代記より、信長、秀吉についてです!
北条系の軍記ですから、秀吉に対して恨みつらみを感じるのは、ある意味仕方がないことだと思います。
ただ、信長への評価は面白いですね。ここからは、北条五代記の成立時点では既に、怒りっぽい、感情的な織田信長像というものが
既に成立していた事。にもかかわらず「冷静に戦歴調べたら、信長ってむしろ無理をしない人なんじゃない?」というy
意見があったこと。このあたり、昭和に形成された「革命児信長」像が、昨今の、信長を客観視した研究により訂正されていくことと
非常によく似ているな、なんて感じました。
織田信長への認識には、今も昔も、イメージと実態の相克があったのだなと、つくづくと感じさせてくれるおはなしだと
思いました。


今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
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週間ブログ拍手ランキング【01/25~/31】

2018年01月31日 21:43

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一つ提灯 16

坂井久蔵の頸 14
首を取り返す程なら 14

氏康傷 12
一番乗りの軍功 11
黒田家の後藤又兵衛に対する公式見解 11

上下の間の作法を申し付けぬ人 9
つまり大澤は信というものを 3


今週の1位はこちら!一つ提灯です!
北条家の勇士のお話ですね。「提灯の指物」にこう言った意味があるとは。近代の戦争で、戦闘機のエースパイロットが機体に
撃墜数を描く、というようなことがありますが、それと同じような感覚だったのでしょうね。
その人がどういう勇者であるか、見れば解る。という。
だからこそ三好孫太郎は、「なんかかっこいいから」程度で提灯を指物にした山下に我慢がならなかったでしょうし、
山下は言われたことで、ならばと直ぐに、自身の提灯も軍功の証に仕立て直しました。
実に戦国時代らしいエピソードだと思います。
こういう話を知っていると、「小田原提灯」というモノの見方も、少し変わってきますね。

2位はこちら!坂井久蔵の頸です!
姉川の戦いが1570年、そして豊臣秀次が聚楽に住むようになったのが1591年から。その間20年以上。
その間、おそらくは曖昧であった坂井久蔵頸を取った人物について、何故にはっきりさせる必要があったのか?
ここには描かれていませんが、たまたまその二人が秀次の家臣となったことや、秀次が関白となり、天下の主催者として
家臣にも相応の格式を求められた、という事など、色々と推察させてくれます。
こう言った想像をふくらませることで、一遍の小説も描けそうですね。そんな、読み手の想像力を大きく膨らませtくれる逸話だな、と
感じました。

2位は同表でもう一つ!首を取り返す程ならです!
さすが森家(;´Д`)
味方打であっても、「戦死」というものは、生き残った者にとって最も利益になる形で活用されるべきである、という、
揺るぎない信念を感じます。そしてそれは、戦国期の武士の思想として完全に正しいのでしょう。
また「取り返すくらいなら相手を殺せ」というのも、中世の武士というイキモノの習性を、実によく顕していると思います。
そして逆に考えると、頸を取り返した「子供」たちは、若いがゆえに、軍隊・組織の秩序を第一に考える、近世的な発想に
馴染んでおり、故にこういう行為になったのかも、なんて想像しちゃいました。
本当にいろいろと考えさせてくれる、良い逸話だと思います。



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週間ブログ拍手ランキング【01/18~/24】

2018年01月24日 18:32

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頸の周りをよく拭くように 16

時移り世変じて 11

人の所為に非ず 10
調略を討ち果たす 10

この自慢の赤松家 9
給人衆頭の討ち死に 8
大将がこのように傾いては 2


今週の1位はこちら!頸の周りをよく拭くようにです!
信繁と、彼を説得に来た叔父信尹」のお話。この内容とは違っていましたが、対面自体は一昨年の大河「真田丸」でも
印象的なシーンとして描かれていましたね。
このお話などは「サムライ、かく有るべし」と言いたくなる内容で、信繁が後々まで、多くの人に愛された理由が
良く見えてきます。

ところで明日、1月25日21時からは、BS日テレの「片岡愛之助の解明!歴史捜査」にて、なんと真田信尹特集です!
http://www.bs4.jp/hsi/onair/100.html
テレビ番組で真田信尹が単体で特集されるなんて、本当に空前絶後の事だと思いますw
視聴できる方は、是非ご覧に成ることをお薦めします!

2位はこちら!時移り世変じてです!
人生の分かれ道、についてのお話なのでしょうね。水野信元謀殺の時点では、そりゃあ明らかに、家康より信雄に仕えたほうが
ステイタスも将来性も上なのですよ。信元が殺されたのは天正三年一月で、長篠の戦いも未だであり、今にも武田に
すり潰されそうな有様でしたからね。
それがまさに「時移り世変じて」、元々同じような評価だった二人が、徳川に仕えた方は譜代の大名格となり、信雄に
仕えた方は没落大名の家臣と成る。有為転変は世の習いと言いますが、こういうことに成るとは、誰にとっても予想も
出来なかったでしょう。
行間のドラマを覗いて見たく成る。そんなお話だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!この自慢の赤松家です!
赤松氏というと南北朝期に現れた武士団で、出自のない悪党と長らく言われていましたが、昨今では楠木正成などと同じように、
どうも正規の鎌倉幕府御家人であったらしい、とされていますね。
そして室町期には、赤松氏は周防大内氏と並んで、室町将軍の親衛軍事力であった、なんて説もあります。
そんな歴史あり地位もあった赤松氏の「自慢」は、さすがに生半可なものではありませんね。こういったものがダイレクトに「誇り」に
繋がるのも解る気がします。
そして赤松氏というのは、ひつ筋縄で行かない歴史を綴る室町期の有力守護の中でも、殊更に色んな意味でジェットコースター
的な 紆余曲折をたどるわけですが、そういう家にして、こういう意識を持っていたことに、色々と想像が膨らむなあ、なんて
思ったりもしました。



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週間ブログ拍手ランキング【01/11~01/17】

2018年01月17日 19:03

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小田原城中に入りたいのです 30

福島正則「石一個に対し米一俵差出候」 17

秀吉の甥としての覚悟 12
成る程、気をつけねば 11
腰は抜けても、先ず今日は 10

事が多聞に漏れては大功成りがたし 9
主人を裏切った天罰でしょう 9
故太閤の遠忌 6



今週の1位はこちら!小田原城中に入りたいのですです!
小田原の陣において、秀吉勢に囲まれながらも、そこに入ろうとした山岸主税介さんと、彼を捕えた榊原康政家中のお話。
ここでなにげに、「まあ一人くらいいいだろう」と小田原入城を許しちゃう家康も面白いというか、こういう所が「大将の器量」
というものなのでしょう。自分の所に無駄に引き止めないのも含めて、家康らしさも感じます。
コメント欄で石高の話が出ていましたが、200石というと、江戸末期ではもう充分に藩の上級クラスの石高ですね。
大河で「西郷どん」が始まりましたが、今あそこに出ている人物たちの多くは、何石どころか「何人扶持」という所得
ですからね。あの大河では西郷家などの貧乏や身分の低さが強調されていますし、実際に貧乏だったのは確かなようですが、
それでも西郷家は薩摩藩の中でも、上位10%には入る身分だったのです。だからこそ島津斉彬からの抜擢も受けたのですが。
この逸話は近世初期ですが、近世もはじめと終わりで、石高の意味もそのくらい異なったのだなあ、なんて事にもふと、
思い至りました。

2位はこちら!福島正則「石一個に対し米一俵差出候」です!
福島正則と言えば、秀吉子飼い中では長らく「武闘派」「猛将」の代表格、のように言われていましたが、昨今では武人というよりも
石田三成ら奉行衆と同じようなグループで、吏僚的側面が強かったのではないか、なんて言われたりもします。
そう見ると、この逸話も軍略というより、吏僚的な、功利的知恵を発揮したお話、という感じしますね。
石田三成に全く同じ逸話があったとしても、特に違和感を感じないと思います。(三成の葦に運上税をかけて1万石の軍役をはたす、
という逸話も本質的な部分で似たものを感じます)
現在広く伝わる福島正則像とはまた違う姿を、この逸話は伝えているんじゃないか、
なんてことを思わせてくれる逸話でした。

今週管理人が気になった逸話はこちら!秀吉の甥としての覚悟です!
これもまあ、色々解釈の有る書状では有るのですが、そもそも天正12年の段階だと、秀次は未だ16歳ですね。
当時としてはもう子供扱いする年齢ではない、と雖も、やはりようやく元服という年頃ですから、未熟なのは
むしろ当然といっていいでしょう。また「三好信吉」であったのが、2年前に羽柴家に復帰して「羽柴信吉」と変わった
わけで、立場も変わり「天下人」秀吉親族としての振る舞いを求められることへ、そういった訓練や教育を受けて
育てられていない以上、戸惑いも大きかったでしょうね。
僕は秀次無能説も、またその反動としての秀次有能説も、どちらも極端だなと思っている方で、秀次に関しては
秀吉の方から求める事が、状況状況でコロコロと変わりすぎ、秀次自体の抱えるものが、主に秀吉の意向で大きくなっていく中、
最終的にどうにも身動きが取れなくなった、という形に考えています。
秀吉は非常に軍陣的、システマチックな人物ですから、城でもなんでも必要なら全力で築き、不要になれば容赦なく破却します。
「親族」に対しても同じように対応したのだろう。そんな風に思います。
こんなことを、ちょっと考えさせてくれた逸話でした。


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週間ブログ拍手ランキング【01/04~01/10】

2018年01月10日 18:10

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形は人であるが、心は畜生である 18

浅井久政切腹と鶴松太夫 12

花も久しく出来るのならば 10
浅井の御娘は秀忠に 10
真に必死と志さなければ 10

三好家落人の島 7
これは東照宮以来の御定なれば 4


今週の1位はこちら!形は人であるが、心は畜生であるです!
小谷落城の折、信長が浅井長政、及びその重臣を侮辱したという内容です。武田勝頼のときといい、信長の逸話には、
敗者に容赦がない、というものが結構有りますね。それが世間一般の信長像にもなっているのですが、本当にそうかというと
やはりだいぶ違っていたと思います。
もちろん、信長が浅井長政を裏切り者として強く憎んでいたことについては、当時の書状や髑髏杯の話からも確かだと思うのですが、
それでも武士たる者の最期について、この話のように感情に任せた行為を行う人ではありません。彼は自分の行為が
「外聞」にどう評価されるかを非常に気にする人でもありますから、徒に自分の評価を下げるような事には強い自己抑制が
はたらきます。
で、この手のお話、おそらくは長政のあとに入った領主、すなわち秀吉が統治する中で出来てきたお話かな、と
考えています。「信長はかくも非道かったがそれに比べて秀吉公は寛容で」みたいに語られたのでしょう。
他に武田勝頼亡き後の甲斐においては、「信長は勝頼の頸に暴言を吐いたがそれに比べて家康公は」と、
徳川家中で語られたのでしょうね。良い悪いではなく、権力というのはきっとそういうものなのだろうと思います。
そんな事を考えさせてくれた逸話でした。

2位はこちら!浅井久政切腹と鶴松太夫です!
息子長政に比べて久政の最期は語られること少ないと思うのですが、このお話を読むと、すこし久政の人間味まで感じますね。
昨今では、久政は息子長政の「クーデター」で、強制隠居させられた、などと言われます(これだけでなく、浅井長政という人は
むしろ梟雄と呼んだほうが良い人物に、昨今では捉えられていますね)。そういう事を知った上でこの逸話を読むと、そういう、
息子に権力を奪われてもなお、本来その必要のない人まで共に死す魅力を持つ人物であった、なんて想像も出来るかと
思います。
こういう逸話を知ると、自分の中の戦国の風景が、また豊かになるな。なんて感じます。
そしてこの逸話、11111番めのエントリーなのです。めでたい!w

今週管理人が気になった逸話はこちら!三好家落人の島です!
瀬戸内で落人というとほぼほぼ「平家」なのですが、ここでは三好なのが、とても地域性なども出ていて興味深いですねー。
この島における風習が、本当に三好残党の歴史からくるものなのか、それとも先に対立があって後付の理由として
これが出来たのか、今なら未だ調べられるのではないかなあ。
このての伝承が瀬戸内にどのくらいあるかも含めて、様々に興味深いお話だなと感じました。



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週間ブログ拍手ランキング【12/28~01/03】

2018年01月04日 18:49

12/28~01/03のブログ拍手ランキングです!


古びて見苦しいからと言って、 15

第一の善政 15

夜々互いに往来し、昼は終日の合戦 14
速やかに誅し賜るべし 13

「武士道とは死ぬことなり」という武士道の鉄則は 10
此輪の内になしと知れ君 7
慶長14年元日<甲申>、毎年の如し 7


今週の1位はこちら!古びて見苦しいからと言って、です!
色々と興味深い内容ですが、何より「古い橋が天下静謐のモニュメントである」という発想、確かに内乱期を経た感覚を
感じさせますね。
橋というのは現代に至るまで、戦略の要衝なのは言うまでもありません。橋を落とす、橋を架けるという事は
それだけで軍事活動の一環でもありました。橋がそのような存在であったからこそ、「長く保たれた橋」に対しての
人々の眼差しも、現代とは大きく異なるものだったのでしょう。
そんなことを考えさせてくれた逸話でした。

同表で同じく1位!第一の善政です!
これも酒井忠勝の橋の逸話ですね。酒井さんは初期江戸幕府の非常に有能なブレーンの一人ですが、このようにインフラ担当
だったのかな、と思わせてくれますw
俗に「江戸幕府は防衛のために橋を架けず云々」なんて言われますが、実は江戸幕府というのは架橋も含めて道路整備に
非常に熱心な政権ですね。大井川の件なども指摘されていますが、アレは単純に、当時の架橋技術では不可能だった、
ということだったようです。
まあ実在か、もしくは仮想の強力な敵が存在しているならともかく、忠勝の時代にはもうそういう存在はないですからね、
それなら交通を潤滑にしたほうがどう考えても得、という発想に至るものなのでしょう。
これもまた「天下静謐」の逸話だなあ。なんてことを思いました。

そして2位はこちら!夜々互いに往来し、昼は終日の合戦です!
有名といえば一部で非常に有名な佐竹義重と蘆名盛隆の逸話です。佐竹義重が一目惚れしたという事はよく知られていますが、
この逸話では蘆名盛隆の方もひと目見てキュンとしちゃってるのですね。運命の出会いだw
そして昼は合戦夜は逢瀬というのも、どれだけ倒錯した関係なのかと。
双方の重臣たちが和議をまとめたのも、二人のためというより、双方の陣営に対する悪影響を鑑み、なんて気すらしてきますw
まあ史実かどうかと言われると相当?のつく逸話ではあるのですが、こういうお話が伝わった、という事自体に、様々な
面白さや不思議さを感じさせてくれる、そういうお話だと思います。



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつも本当に有難うございます!
そして今日の更新で、記事数が『11111』を越えました!
新年から1並び、非常におめでたい!w
SnapCrab_No-0326.jpg

そんなわけで本年最初の週間ランキングでしたが、改めまして今年も、どうぞ宜しくお願い致します!

週間ブログ拍手ランキング【12/21~/27】

2017年12月27日 22:34

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敗走した後、残された兵卒はどうなったか? 27

彼に使われる者、一人として強兵でない者はおらず 15

武臣たる者の実義は汝にある 13
教え方というものがある 13
ホワイトな社風です。 13
多賀高忠の仕置 13

末の松山波もこさなん 11
正直も不律儀に移り 9
ドン・トマス滝野嘉兵衛の数奇な運命 9
何とぞ悪事災難に遭わせてたまわれ 9


今週の1位はこちら!敗走した後、残された兵卒はどうなったか?です!
要約すると「大友が攻めて来たから応戦しただけ。仙石勢の被害は不幸な事故であり我らとしても甚だ遺憾。
我々は悪くない。」という所でしょうかw
まあ戦国大名なんてみんなこんな感じで自己正当化しますし、武田信玄みたいな、これが可愛いレベルの正当化の鬼みたいな人も
居るわけで、そういう視点から見ると、これも素朴な言い訳ではあるのですが、やはり面白いですね~。いろんな想像が膨らみます。
島津が敗兵たちを保護して送還したというあたり、島津であってすら「本気で戦ってはやばい」という理性がそれでも働いていたのか、
しかしその程度のことで言い訳がきくと考えていたのか、等々、この時の島津家内の、硬軟それぞれの対応の「軟」の部分が
すけて見えるのがいいですね。
大変興味深く読ませていただいた、逸話でした。

2位はこちら!彼に使われる者、一人として強兵でない者はおらず です!
福島正則の配下といえば、正則が改易された時、皆が一廉の人材であったため他藩の争奪戦になった、なんて話があるくらい、
正則は人材を育てるのが非常に上手かったと言われます。
彼は配下に、権限をきちんと与え、仕事を大胆に任せたそうで、そういう中で、自分で判断できる人材が育っていったのでしょう。
対象的に加藤清正の方は、全て自分で指図するため、自己判断のできる人材が育たず、加藤家改易のときは、旧臣たちは
再就職に非常に苦労したとか。
同じような、秀吉の子飼いとして育った人物でも、そのありようは大きく違ってきたりするのだなと、不思議な感慨も持って
しまいます。
そういえば正則は、最近では秀吉の部将というより、三成などと同じような「文官」、「吏僚」と呼ぶべき人物だったのではないか、
なんて言われたりしますね。そういう部分も加味すると。、更に想像が広がるのでは、なんて感じます。

今週管理人が気になった逸話はこちら!多賀高忠の仕置です!
多賀高忠たがたかただタガタカタダ!たしかに声に出して読みたい名前ですねタガタカタダw
しかし「名前が面白い」が反応の中心に成るとは。まあこの逸話を読んだ方は、おそらく一生、多賀高忠の事を忘れないでしょうねw
名前というのも、時にそれだけで、数百年後でもなにがしか影響を与えられるんだなあ、なんてことをしみじみと感じました。


今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
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そして、週間ランキングも今年はこれで最後ですね。今年も1年間、本スレの方々、この纏めを見てくれる皆さま、
皆々様に本当にお世話になりました。心から感謝、御礼申し上げます。
よろしければ来年も、どうぞよろしくお願いいたします。
来年が皆様の、良い御年となりますように。

まとめ管理人・拝

週間ブログ拍手ランキング【12/14~/20】

2017年12月20日 18:53

12/14~/20のブログ拍手ランキングです!


其方の頸は私が 16

私は一体これから、何を目安に 14

人になれ人 人になせ人 11
心中では上野介をいかばかり 11
平野甚右衛門の墓の土 11
伊予日振島における戦後処理の逸話 11

御このミ候て可被下候 7
最早五十万石を領知する者は 7


今週の1位はこちら!其方の頸は私がです!
これも武士の有り様、ということなのでしょうね。普段から家を訪れ合うような、半ば親戚のような関係でも、敵味方となれば
頸を取り合う。そこに恨みや憎しみがあろうはずがなく、ただ武士とし、主君への忠義との誇りと面目によって戦う。
中世、武士を以って「犬畜生」と批判されたフシがありますが、戦場での行為だけでなく、こういう習性にもよるのだろうな、
なんて感じました。
こういう、武士の一種の獰猛性を大きくスポイルし、「紳士」かくあるべきとした武士道を成立させた江戸時代というのは、
やはり偉大だとも思うのです。

2位はこちら!私は一体これから、何を目安にです!
初代高安道善はおおよそ戦国初期ころの人物ですね。この時代でも、芸事における「ライバル」の存在の重要性を認識して
いたのかと、すこし驚きを感じました。
「同じくらいの高いレベルで競い合う存在」というものは確かに得にくく、現在でも「天才」と呼ばれる人の多くは孤独を
感じさせます。そんな貴重な存在をなくした高安道善の嘆きは、きっと過去から現在まで、洋の東西も問わず、普遍的に
存在したものなのでしょう。そんな気がします。

今週管理人が気になった逸話はこちら!御このミ候て可被下候です!
戦国期の鉄砲は、現在からは考えられないほど、様々なバリエーションが存在したと言われます。
構造として、ともかく火薬を詰めればなんでも発射できたので、弾丸の口径だけでなく、それこそ矢を発射させるようなものまで
あったそうです。ドラマなんかを見ると単一規格の量産製品のように感じてしまいがちな鉄砲も、「鉄砲隊」ですら、それぞれで
弾の口径から飛距離まで事なるそうとう雑多なものであったと考えたほうがいいようです。
「戦国の軍隊」というのは近代のように「規格化」を志向していたのは確かですが、それでも時代や状況による限界があり、
そういう部分も頭に入れておいたほうが良いな。なんて考えています。
そんな事をふと思い出させてくれた、そんな逸話でした。


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週間ブログ拍手ランキング【12/07~/13】

2017年12月13日 19:29

12/07~/13のブログ拍手ランキングです!


陶興房、我が子を殺害すること 19

大須賀康高には度量があり 16

信の勇士の理 11
こうすれば地下人共が立ち上がり 9
信長の度量 9

池田利隆、生母との逢瀬 7
世界周遊記の二十六聖人殉教について書かれている箇所 7


今週の1位はこちら!陶興房、我が子を殺害することです!
なんというか、変に生々しいお話ですね。
室町~戦国期というのは、現代においては、江戸期の「武士道」につながる武士倫理が発展していった時代だと言われています。
無論君臣関係は、その最も大切な倫理であり、特に譜代家臣にとって当然のものとされていました。
「謀反」や「下克上」が大きなトピックス足り得たのも、ベースに「そういうことはよくない」という常識が存在した故ですね。
名門大内家なら、そういった倫理は他よりも深化していたことでしょう。
とはいえ、倫理はあくまで倫理であり、人間の行動に対する一種のタガでしかないとも言えるわけで、そういうタガを外した
人というのも居るからこそ、謀反や下克上が現実に起こるわけなのですが、それにしても露骨に生々しい。
むしろこれは、大内家、陶家にこういう雰囲気があったからこそ、陶隆房(晴賢)のような存在と行動が成立したのだ、
そう読むべきなのかなあ、なんて思いました。

2位はこちら!大須賀康高には度量がありです!
こういう人は、本当に上司に欲しいですねw
大須賀康高というひとは今でこそマイナーで、地味な存在ではあるのでしょうが、実は徳川四天王にも匹敵するような武功の持ち主、
なんて話もあります。
徳川家というのはこの康高のように、地味ながらかなりの強者、という人たちが多く、そういう家は強いよなあ、なんて感じる
ことがあるます。ただし取扱は面倒くさいですけどねw
この大須賀康高も、実子がいるのにそれは出家させて榊原康政に嫁いだ娘の子に跡を継がせたり(結果として大須賀家は
榊原家に吸収される形になるのですが)、なかなか一筋縄ではいかない人格を感じさせます。
そういうことを想像するのも、歴史の面白さですね。

今週管理人が気になった逸話はこちら!こうすれば地下人共が立ち上がりです!
小早川秀秋に、「自分で成敗すると色々言われるから、地下人に殺させようよ」と提案したというお話ですが、不思議な
生々しさのある内容ですねw
小早川秀秋がわりと暗君気味(?)に描かれている感じもあり、彼に対する批判的イメージがそのベースにあるのでしょうが、
個人的に面白かったのは在々の者達、地下人たちへの理解です。
「落人からがぶんどり自由」とすれば、彼らが勝手に殺すと、当選のことのように言っていますね。
中世ではこれは常識に属する話で、民衆は「敗者」には容赦なく、だからこそ「落ち武者狩り」なんてものがあったわけですが、
足利義昭なんかも信長に京を追放された時、群衆に襲われ宝物を奪われたとか。
また軍事的敗北だけでなく、政治的敗北、つまり流罪などでも、その身の安全保障が剥奪されたと考えられ、
その道中を群衆たちが襲うこと多く、自身の力で自身を守らなければいけなかったそうです。「流罪」だからと言って
罪一等を減じた寛大な処置、というわけでは全然なかったということなのですねw
そういう感覚が、これの書かれた時代(江戸時代前記くらい)も生きていたのか。そんな感慨を持ちました。
逸話からは本当に、いろんなものを得ることが出来ますね。



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週間ブログ拍手ランキング【11/30~12/06】

2017年12月06日 18:54

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世界周遊記 続き 19

況や郡邑など 17
天庵様が評価されたいい話? 17

秀吉の恩顧、度量に 14
黒田長政は参勤する時 13
フランチェスコ・カルレッティ「世界周遊記」の一部 11

故に半兵衛は手足を揉み 10
尼子の強弓坂田原蕃、一矢七殺 9
汝らの功を以って我が功とすべし 7
それ故に、士気は常に十倍 7



今週の1位はこちら!世界周遊記 続きです!
フランチェスコ・カルレッティ「世界周遊記」の一部とあわせて、非常に興味深い内容となっています。
こういうのを読むにつけ、「外部の目」と言うものの大切さをつくづく感じます。日本人だけであったら、
あるいは似た文化圏からの目だけであったら、その社会における「当然」「常識」は、それゆえに記録されず
後世解らなくなってしまうものですが、こうやって大きく異る視点によって、その当時の社会のありようがいきいきと
蘇ってくる。そういった一種の快感すら感じますね。
またこの知識を得た上で、既存の日本人による記録を読むと、、また違った光景が見えるようにも思います。
本当に面白くて興味深くて、これを紹介してくれたことに心から感謝です。

2位はこちら!況や郡邑などです!
有名な伊達政宗と秀吉の対面のお話ですが、秀吉は実際にこの時、政宗のことをどこか気に入ったのでしょうね。
もちろん、この頃既に唐入りの計画は進んでおり、真逆の東北の平定に時間をかけていられない、という秀吉の事情が
あったことは確かでしょう。政宗もそういった秀吉側の事情を察した上でのパフォーマンスだったフシもあります。
それでも、やはり秀吉は専制君主であり、その考え一つで政宗の首が飛ぶことも十分あり得たわけですから、
それを回避できた最も大きな部分は、秀吉が政宗のことを何処か気に入った、という所なのでしょう。
政宗の側も、秀吉が自分を割と気にいってくれたということを、生涯、どこか恩義に感じていたフシがあります。
だからといってそういう感傷で政治行動を取るわけではなかったのですが、関ヶ原後の例の、
『秀頼を家康のもとで育て、天下人の器量がないのなら2,3カ国の大名にするべきだ』という書状も、
彼なりの豊臣家への好意であったのだろうな、などとも思います。
本当に有名ですが、だからこそ色々考えさせてくれる逸話でも有りますね。

そして同表でもう一つ!天庵様が評価されたいい話? です!
Twitterでもつぶやきましたが、いい悪いスレをずっとまとめていると、歴史上実在した人物ながら、天庵様にも、「あのスレが
育てたキャラ」という感覚があり、不思議な親しみと一種の身内感を持っています。
いい悪いスレやここを昔から見ていただいている方の中にも、きっと同じような感慨を持つ方がいらっしゃるのではないでしょうか。
あの「信長の野望」に、こうやって一つの大きな個性として紹介されたという事に、僕が何をした、というわけでもないのに、
何か一種の達成感のようなものも感じます。(これは井伊直虎が大河に成る、とはじめて聞いた時も少し思いましたw)
こういうのも、一種の「歴史への親しみ」かな、なんて思っています。
こういう感覚が変に自己肥大しちゃうとちょっと問題ですが、なんとなく一人でニヤニヤしてる程度ならいいよね。なんて
少々気持ち悪い思いをもっていますw



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週間ブログ拍手ランキング【11/23~/29】

2017年11月29日 23:00

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この夫婦の仲の良き事は、人間の世界にこれほどは 30

ルイス・フロイスによる不思議の国ニッポン 19

さてはますます勇士の機 18
江戸のもののはじまり事典 12

旗返の姫塚由来 10
高櫓は爆発しはじけ飛んだ 10

天正20年5月18日付 豊臣秀吉、秀次宛書状 9
「八重葎」「天の原」 8
マジヤバいお話 8

特に動揺はなかったという 7
居ながら尿を流すは、家の面目 6


今週の1位はこちら!この夫婦の仲の良き事は、人間の世界にこれほどはです!
歴史好きには割と知られているお話ですが、徳川秀忠正妻であるお江の方が「恐妻」というのは後世作られたお話で、
実際には非常に仲睦まじい夫婦であったらしいのです。
恐妻伝説については主に、保科正之に関わる逸話から形成されたものは多そうですふが、アレも実態としては、未だ固まったとは
言いがたかった当時の幕府に、自らの後継問題で無用な混乱を起こしたくなかった、という秀忠自身の意向が強かったと
考えたほうが、秀忠の人物像に合っている気もします。
そしてこのお話、前田家より人質として江戸に送られた芳春院の、江戸城「宮廷」での生活も垣間見られるようで、
非常に興味深く感じました。
そしてこれを書いていてふと思い出しましたが、保科正之関連の話を完全に無視した某大河を僕は今でも許せていませんw

2位はこちら!ルイス・フロイスによる不思議の国ニッポンです!
本当に、実に面白い内容ですね。現代にも通じる部分、現代とは真逆に成っている部分と様々ありますが、
これを一通り見ると、現代の感覚・常識で歴史を見たり評価したりするのが、どれほど危うい行為かよくわかります。
ルイス・フロイスという「外部」の人間による観察のありがたさって、こういう部分にあるのでしょう。
同時代の、同じ社会の人は、自分たちの常識に驚きも感じなければ、書き残そうとも思わないでしょうしね。
そんなことを思わせてくれる記事でした。

今週管理人が気になった逸話はこちら!江戸のもののはじまり事典です!
「天守」などもそうですが、色々なものが「信長からはじまった」という認識、江戸時代も多いのですよね。
やはり織田信長の時代というのは、江戸初期の人から見ても「画期」であったと認識されていたようなのです。
そもそも「戦国乱世」は、現代人だと応仁の乱からを考えがちですが。江戸初期くらいだと「元亀天正」時代の事だと
概ね捉えられていたようなのです。元亀天正、すなわちほぼ織田信長の時代、ですね。
この時代に室町的秩序がほぼ崩壊し、近世につながる新秩序がはじまった、と江戸初期にも考えられ、そこから、
近世的な文物風俗に、信長由来を見るという傾向も出たのでしょう。
そんなことを考えさせてくれた逸話でした。



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週間ブログ拍手ランキング【11/16~/22】

2017年11月22日 16:33

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これ士の見せしめである 18

犬畜生と呼ばれるのは良いが嘘つきは 16

財貨が有れば何時も 10
山口軍兵衛という勇士 9
先は我なり 9

若き人がそう望むのは 8
もしこの時取り乱せば、 6



今週の1位はこちら! これ士の見せしめであるです!
このお話、良くも悪くも伊達政宗らしいな、なんて感じちゃいました。
政宗って基本大真面目な中でどこか抜けていて、そこが愛嬌にも成っている人物だと思うのですが、このお話も、
峻厳な軍規を見せつつも、やはりそこに至るまでの緩みみたいなものも感じてしまうわけで、「本番の前に
確認は無かったの?」と、泥縄的な処分だなと言うツッコミも頭に浮かぶわけです。
ただこういう逸話も、後世政宗が「最期の戦国大名」とイメージされていく中で肯定的に受け入れられたのも確かであり、
江戸初期頃の人々にとっての「戦国大名」は、概ねこんな感じであったのでしょう。
そんな事も考えさせてくれる逸話でした。

2位はこちら!犬畜生と呼ばれるのは良いが嘘つきはです!
こちらも色々と考えさせてくれる逸話ですね。朝倉宗滴と言えば
「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候」
が有名ですが、考えてみれば犬畜生とまで言われるためには、その前段階で相当の信頼が無ければならないのかな、とも
思いました。前段階での信頼が高ければ高いほど、裏切りの効果も高く、相手からは犬畜生とまで恨まれ罵られる。
そういう事かなあ、などと解釈してしまいました。
「犬畜生と呼ばれるのも過程が大事」そんな何とも言えない教訓も含んでいるのかな、なんて感じちゃいました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!財貨が有れば何時もです!
「金があればなんでも出来る」「金で買えないものが有る」
相矛盾する2つの言葉が、一つにきれいに収まっている。そんな逸話ですね。
この主人公である某がかねてから考えたとおり、金で諸道具および従者は揃えられているわけです。
ところが普段から気心を通じたり、信頼でつながった関係ではないため、戦場に近づくとたちまち逃げ出してしまう。
この場合逸話の中でも「下人たちであったから」と、雇った人たちの倫理的素養の無さを指摘しており、それは事実でも
あったのでしょうが、逆に言えば金で雇える人たちの中に倫理的素養の高い人たちは少なかったことも、この話の中では
暗に指摘されているのでしょう。
かと言って利益を与えなければそもそも「武士」というユニット(武士は通常、戦場では数人から数十人のユニット単位で
活動します)を形成できないでしょう。
結局は、利益と関係性のバランスが大切。そんな事を言われている気がしました。



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週間ブログ拍手ランキング【11/09~/15】

2017年11月15日 17:18

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坌銭と頸銭 17

『松野平介に劣らぬよう』 10
餓鬼の首 武田一族終焉の地 10

かかるお情け深き主君のためには 9
武芸の他に乱舞の稽古をしているような輩は 8
おんばんさん 8

あまりに五郎はたしなまず 6
武家事紀での織田岸蔵坊 6
備の場にて馬を 6

戸次川合戦後の讃岐について 5
織田岸蔵坊は激怒した 5
【雑談】そもそも、長曾我部って豊臣にも石田にも 5
「伝説の姫君嶋子」 4



今週の1位はこちら!坌銭と頸銭です!
坌銭という慣習が本当に畿内で存在したのか、なんとも言えませんが、勝ちに乗じてこういうものを要求してくる輩は多くあった
事でしょう。しかしつくずく、中世というのは「関」の時代ですね。治安維持のためだけでなく、何かというと関なり木戸なりを作って
通行料を徴収します。よくこういった関を廃止したと言われる信長も、実は自分の分国内の軍事関を廃止しただけであって、
多くの経済関は温存されていたというのが現在は解っています。有名な京の七口の関も、廃止されたのは秀吉の時代です。
そういう当時の慣習を知ると、このお話もいろいろな角度から読めるかな、なんて思いました。

2位はこちら!『松野平介に劣らぬよう』です!
この松野平介(一忠)という人、最終的には本能寺の変に駆けつけ、信長父子の後を追い自害しています。甥には、小早川秀秋
に仕え、関ヶ原の折の寝返りに反発し戦線を離脱したという松野主馬(重元)がいますね。ウィキペディアによると一説には、
あの吉田松陰の遠い先祖に当たるとか。
こういった名前を上げても、功利主義から程遠い、実直な性格を継承している人々、という感想を持ちますね。
だからこそ信長も「かくあるべき見本」として、彼を評価したのでしょうし、彼の最期は、信長の人物眼に違いがなかったと
証明していますね。
実は結構奥深い逸話だな、なんて思いました。

そして同票でもう一つ!餓鬼の首 武田一族終焉の地です!
実はこの時、安芸武田家当主であり、若狭武田家より養子に入った武田信実は出雲に逃亡していたのですね。なのでここでは、
安芸武田家全体というより、佐東銀山城に籠城した人々の滅亡と言うべきではあるのでしょう。
当主であった武田信実は京に上り足利義昭に仕え、結果めぐりめぐって、義昭の京都追放に付き従い、安芸武田家を滅ぼした
毛利の庇護下に入った、というのも歴史の大きな皮肉でしょう。
しかしこの安芸武田家からは、安国寺恵瓊をはじめとして、多くの人材が毛利家にもたらされることとなりました。
いちばん有名なのは武田元繁の子孫を名乗った、幕末の高杉晋作でしょうか。
恵瓊といい晋作と言い、安芸武田家所縁の者が毛利を守ったという所も、通り一遍の解釈では歴史は見えてこないな、
なんて感じます。



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週間ブログ拍手ランキング【11/02~/08】

2017年11月08日 20:09

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戸次川合戦長宗我部信親の最期 20

それだけで肴を食うに勝るのだよ 16

「朝倉義景ノ勇将 鰐淵将監吉広書状」 15
小柄な馬を用いるべき 12

元親記による信親の最期 11
不覚悟の討ち死に 11

山口きらめーる255号より 9
武田左吉の子 9

三十人の墓 8
備の形成途中で 8



今週の1位はこちら!戸次川合戦長宗我部信親の最期です!
実に臨場感あふれる、戸次川合戦での長宗我部信親最期の模様。まさに鬼神とも言える信親の奮戦ですね。
この時の信親の戦いは本当に激しいものだったようで、其の一端は
信親の遺品
こちらの逸話にも出ています。逆説的になりますが、信親はこの最期があったからこそ、土佐における神話になった、とも
言えるのでしょう。
元親記による信親の最期
こちらも行間から、惜しんで余りあるという感状が伺えます。
漫画「センゴク」もとうとうここに差し掛かりましたね。
信親がこの時生きていれば、後の歴史は、長宗我部家はどうなったのだろう。
どうしてもそんな思いが湧いてしまう、そんな逸話だと思います。

2位はこちら!それだけで肴を食うに勝るのだよです!
本当にいいお話ですね。親の愛、父の愛を感じます。きっと隼人の方には、金を使っていないなんて言っていないのでしょう。
また感謝の気持ちも上手く伝えては居らず、息子もそういう事を求めず、というような関係性も感じてしまいます。
そしてそうやって貯まった金を、孫に与えるのがまた良いですね。「行きたお金の使い方」なんて言いますが、
こういうのがそれなのかな、なんて感じました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!「朝倉義景ノ勇将 鰐淵将監吉広書状」です!
「勇将」鰐淵吉広についてのお話ですが、信長と朝倉義景との戦いは、結果的に朝倉が自壊に近い形で滅びたのもあって
信長に敵対した「愚かな」戦国大名と認識されがちです。ですが実際には信長も、朝倉に相当追い込まれており、彼らの
滅亡も軍事的なものというより、自分たちだけではどうしようもない政治環境の変化の面も大きいと思います。
そんな朝倉家を支えた鰐淵吉広という人も、滅亡した家の臣としてその活躍が伝わらなかった人であったのでしょう。
元亀天正の騒乱では、何かと浅井長政がピックアップされますが、そういった構図にも
「惜しいかな後世、真田を云いて毛利を云わず」
と同じような感慨を持ってしまう事があります。
そんな事をふと考えた逸話でも有りました。



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週間ブログ拍手ランキング【10/26~11/01】

2017年11月01日 23:11

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猛き武士の心をも和らぐるは 21

朝夕樫の柄をこそ 14

幸長の筒 12
大将の旗、纏、馬印 11
赤川元保誅罰 11

突き折るほど働いて 10
池田輝政への呪い 8

その持ち主の名をしるして 7
【雑談】牡蠣談義 7
肥後の加藤が来るならば 6


今週の1位はこちら!猛き武士の心をも和らぐるはです!
毛利元就って確かに、やけに和歌に関する逸話のある印象がありますね。
そもそも毛利の祖である大江氏は、京都で学問の家として名を馳せていたわけで、その伝統が元就まで続いていても
不思議ではありません。
そういえば元就の息子だと、小早川隆景は言うまでもなく、武闘派の印象の強い吉川元春も、戦陣においてまで太平記研究をし
ていたというお話があり、当時の毛利の家の雰囲気を感じさせてくれます。
そういう家風があったからこそ、「学問や教養にのめり込むな」と、釘を差しておく必要が有ったのかもしれません。
またこのような家風が後々下々にまで浸透し、幕末、吉田松陰が、彼が大秀才であるという一点において多くの尊崇を受けた。
という事も考えられるかもしれません。色々と空想の広がるお話だと思いました。

2位はこちら!朝夕樫の柄をこそです!
今川家に亡命した、信長の黒母衣衆・伊藤武兵衛さんのお話。
乱舞云々というあたり、いかにもイメージ通りの「今川家」を感じちゃいますね。良くも悪くも文化的な。
ただ、今川家というのは歴史を見ると、圧倒的に武闘派集団なんですよね。室町将軍家において、東の親衛隊的武力装置というか。
(ちなみに西では大内が似たような存在ですね)
多分、今川に文化的な印象がついたのは、氏真の祖父・今川氏親が京より寿桂尼さんを妻に迎えたあたりからでしょう。
その頃ようやく今川家も、戦国大名として安定しましたからね。
そして僅かの間に、今川は文化的大名と印象され、駿府は東の京とも言われるほどとなり、その印象が、信長の、一種の
武辺道至上主義と対比され、こうした逸話が成立した。そう見るべきなのでしょう。
そんなことも考えさせてくれた逸話でした。

今週管理人が気になった逸話はこちら!池田輝政への呪いです!
昨今、某ゲームで話題の形部姫ですが、これを読むとたしかに「祟るべきは秀吉なのに、なんで輝政に?」と思っちゃいますね。
ですが「引きこもりだから」と言われると、ああなるほどと納得してしまいそうに成るから困りものです。
外に出たくないから祟るのも身近で済ませようって、一層ひどいw
しかしこんなお話が今も、人気ゲームに取り上げられるほどに語り継がれているのは、姫路城が今もその美しい姿を保ち続けている
故なのでしょう。「存続したことの偉大さ」という事も感じさせてくれる。そんな逸話だとも思います。



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そうそう、先週書き忘れてしまったのですが、記事数が11000を突破いたしました!
SnapCrab_No-0233.jpg
本当に、本スレの皆さん、そしてこのまとめを見てくれる皆さん、皆々様のおかげだと、心から感謝しております。
これからも細々とですが、積み上げていけるといいな、と思っています。
どうぞ今後とも、いい悪いまとめをよろしくお願いいたします。
m(__)m

まとめ管理人・拝

週間ブログ拍手ランキング【10/19~/25】

2017年10月25日 17:48

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手取釜 17

うしとらぬさへうきなたつみに 13
秀次の趣向 13

勝蔵は手負たり 11
宗祇と怪異 9

鬼松出たか、堀出たか 8
勝海舟「陸軍歴史」巻28より『寛永御前試合』 6
川手良列の戦死 4


今週の1位はこちら!手取釜です!
鉄瓶にいわれが作られていく過程、というべき話でしょうか。「名物」が生まれる様子を見ているような、逸話ですね。
この時秀吉の権威に屈して、すんなり渡していればこの「手取釜」が名物になることは無かったでしょう。
砕いたからこそ名品と成った、と考えると、茶道具というもの、あるいは芸術というものの業の深さを感じてしまいます。
そして最後に粋なオチをつくる幽斎さんは、さすがですねw

2位はこちら!うしとらぬさへうきなたつみに
宗祇さんの気転の一句。流石にうまいものです。
この歌が連歌師らしいな、と思うのは、これは明らかに、先に下の句を思いついていますね。そこから上の句の構成を
考えるというのは、これは和歌のみならず様々な創作において参考になる姿勢じゃないかな、なんて思いました。

同票で2位はもう一つ!秀次の趣向 です!
秀次の茶の趣向に、利休までも感嘆したというお話。月の動き、光線の方向まで巧みに取り入れた、茶の湯の精神を
体現した演出の一つとも言えそうです。
このお話が史実かどうかということよりも、「秀次はこういう人だった」という印象がこうやって受け継がれていた、という事の
方が大切ですね。彼が「殺生関白」というだけの存在ではないという認識が、長く存在していたという事です。
こういう所からも、豊臣秀次という人物の興味深さが、見えてくるんじゃないかな、なんて感じます。


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週間ブログ拍手ランキング【10/12~/18】

2017年10月18日 18:39

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さすが人間ウィキペディア 24

米商人八郎兵衛 17

上杉景勝の厳格 13
朧月夜にしくものぞなき 11
己はどうして斯くも 11

高橋の長刀打 6
鬼絵の始まりであった 6



今週の1位はこちら!さすが人間ウィキペディアです!
林羅山という人、実は昨今では、徳川家康のブレーンというよりも、その博識が重宝されていたに過ぎなかった、なんて言われています。
すなわち本当に百科事典扱いだった、というわけで、そういう知識を持ってこの逸話を読むと、「ああなるほど」と思ってしまいますねw
徳川政権としては、全国各地の色々なことに対応するために、百科事典的知識が必要であり、そのために羅山の能力を求めた、
というのは、儒者として政治に参画することを望んでいたであろう羅山自身にとっては、何とも複雑であったのでしょうね。
林家、および儒者が体制の中において尊敬を受けるように成るのは、だいたい徳川綱吉の時代だと言われます。
元禄は本当に、あらゆる意味で日本史のターニングポイントですね。
そんな事も考えさせてくれた逸話でした。

2位はこちら!米商人八郎兵衛です!
この逸話、基本的には「正直に非を認めたことで、却って徳分を得た」というお話なのですが、リアルに考えていくと色々と
深いものを感じさせますね。確かに大きい升と小さい升の容量差はどれほどだったのか、結果的に「安売り」nとなったことに、
競合商店はどのような反応があったのか、等々、興味深い疑問が次々と出てきます。
こういうところから、時代小説を創作する、というのも面白そうですね。江戸初期の経済や社会を復元しつつ、その中で
このお話を矛盾なく展開すると、実に興味深い作品ができそうです。やる気の有る方、是非!w

今週管理人が気になった逸話はこちら!己はどうして斯くもです!
このお話、現代でも良く使われるお話のパターンの、「原型」とも言うべきものなのでしょう。それだけでも面白いのですが、
コメント欄が「能書あるある」あるいは「書状が残ってしまったあるある」になっていて、それにもとても笑わせてもらいましたw
こういうのが「歴史を楽しむ」事だと思うし、こういう楽しさがあるからこそ、歴史を勉強するのも楽しいのだと思うのですよ。
このあたりのネタが理解できる人は勿論楽しいですが、理解できない人も、いろいろな歴史の本を読んだり、あるいはこのサイトの
逸話を読んでいる内に「あ、あのネタはこれのことだったのか!」と気がつく瞬間が有ると思います、そうやって記憶と知識が
つながる事は、すごい快感だと思うのです。
そういう形でも、このサイトを楽しんでいただけると嬉しいな、なんて思ったのでした。



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週間ブログ拍手ランキング【10/05~/11】

2017年10月11日 19:08

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この瓢箪こそ賜るべきもの 21

毛利元就の正親町天皇即位の御料献上とその影響 21

赤い毛氈 16
巻絹裁断 14

きうりの紋 12
利休の才 12

罪一等を減刑し、 11
【疑問】別所安治の弟・別所重棟(重宗)が 9
利太(前田慶次)は浴場で入浴した。 5



今週の1位はこちら!この瓢箪こそ賜るべきものです!
既にいくつか類例逸話が出ていますが、丹羽家の出口藤蔵家臣、出口さんとその妻のお話です。
やはりこの奥さん、凄いインパクトありますよねw旦那さんも勇者なのに、普段の口や態度が悪くて小身に留められている
人ということですが、そういった人と添い遂げる女性だなあと、妙な説得力を感じますw
そしてこの時代の女性の強さを、端的に表している感じがしますね。
本多忠勝「俺の若い頃は女だって」
このお話で、本多忠勝が戦国の女性の強さを賞賛していましたが、この逸話のような女性たちだったのだろうなと、
想像させてくれる逸話だなと感じました。

そして同票でもう一つ!毛利元就の正親町天皇即位の御料献上とその影響です!
毛利元就が正親町天皇即位のための献金をしたお話は有名ですが、それが後世にも影響を与えたと言うお話ですね。
たしかこの縁で、毛利は江戸期を通じても朝廷とつながりが深く、それも幕末の毛利の動きに影響を与えた、とも言われます。
まあ歴史というのは、日々の営みと偶然の積み重ねですから、歴史を積み重ねた勢力にとって、むしろ「影響を与えなかった」
事象の方が少ないといえるかもしれません。しかし元就の献金という史実は、幕末「勤王回天」を旗印とした長州にとって、
非常にシンボリックなものとなったのは間違いないでしょう。また毛利がそもそも「大江毛」という、朝廷に仕える学問の家、
だったことも、江戸期を経た毛利家中の意識に、影響を与えていたのでしょう。
毛利家だけでなく、歴史というものを考えさせてくれるおはなしだな、なんて思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!きうりの紋です!
織田信長と言えば、現代では創作物(だけでもないですけどね、TVなどでは”歴史番組”でも)では未だに、「無神論者」「反宗教」
みたいな描かれ方をされてしまう信長ですが、実は「信仰」「信心」のお話は意外と残っています。
そもそも信長の織田家は、越前剣神社の神主がルーツですし、彼の自歴を辿っても、「非常に信心深い信長」という像を
描き出すのは実は容易です。現代の、魔王的な信長像は、史実の人物としての織田信長とは何の関係もない、後世の
想像によって作られたキャラクターにすぎない、とも言えます。
そういうキャラとしての「信長」の影響のない時代のお話は、むしろ新鮮さを感じる。
そんな事を考えさせてくれた逸話でもありました。



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