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週間ブログ拍手ランキング【03/07~/13】

2019年03月13日 19:12

03/07~/13のブログ拍手ランキングです!


「敵に塩を送る」異説 12

牧村家督顛末 11

斉藤山城守は、先手の兵士に三間柄の直鑓を持たせ 9
中村はそれに逢迎 9

例の猩々緋よ、唐冠よ 7
故に良将はかならず軍を監督し 7

臆病神がいつの間に憑いたのか 5
まことに良将が軍を統べる故なり 5
この二つは最も名誉とされる事である 5


今週の1位はこちら!「敵に塩を送る」異説です!
上杉謙信が信玄に塩を送ったのは、東方での争いを膠着させ、自身の北陸経営を有利に運ぶため。という内容ですね。
これはおそらく、謙信が後年、結果的に関東からほぼ追われ、北陸の経略に軸足を移した事を、逆算した発想なのでしょう。
塩留めと言いますが、実際には多くの軍需物資を含む物品の流入を阻止する貿易封鎖であり、当時の用語としては「荷留」と
呼ばれていたようです。
上杉謙信と武田信玄は、不倶戴天の敵のように言われがちではありますが、謙信にとっての実際の主敵は終始
小田原北条氏であり、武田に対しては是々非々という態度を感じますね。実際足利義昭による甲越和議を受け入れたり
していますし(しかも越相同盟の裏でw)
謙信という人も、今後研究が進んでいくと、だいぶイメージが変わるんだろうな。なんてことを考えていたりします。

2位はこちら!牧村家督顛末です!
これはまた暗澹たる内容で…。確かに稲葉家らしい、といえばらしいお話ですw
ツイッターで言われて気が付きましたが、この牛之助に刺客を放って殺した稲葉道通、妻があの日根野盛就の娘なんですよね。
稲葉道通も甥の暗殺後あえなく死に、伊勢田丸藩も改易されることを考えると、関わる人たち皆亡ぶという日根野盛就の呪いは
ここにもあったか!なんてことを感じさせるお話でもありますねw

今週管理人が気になった逸話はこちら!斉藤山城守は、先手の兵士に三間柄の直鑓を持たせ です!
長鑓と言うと織田信長が有名ですね。信長公記には少年時代既に長鑓を使うべきと考えていた、とあり、また畿内では、
三好がやはり長鑓によって合戦での強さを顕した、なんて逸話もあります。現代では戦国時代の武器といえば鉄砲と
捉えられがちですが、長槍もまた、合戦の様相を大きく変えた武器であると、当時から認識されていたのでしょう。
この逸話も、そういう長鑓評価の流れの中にある話であると思います。
昔の人も、戦国期急激に膨張した勢力に対し、その膨張の合理的理由を求めたのでしょう。そしてその理由の一つとして、
長鑓の活用というものが、納得の行く理屈であったのでしょう。
こういったお話は、そのくらいの意識で読むのが良いかな、なんてことを思います。



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週間ブログ拍手ランキング【02/28~03/06】

2019年03月06日 19:40

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甲州・信州・駿州三ヶ国が本意に属する旨は 14

この時に及んで富士山が私の山となり 10

信長信託 9
ガスパールの茶会事件 9

梅北一揆顛末 7
「賞功不踰時」というのはこれなり 5
これにより杉原・荒・仙石が先をなし 5

一体彼が何人力だったのか 4
その場の存念にあらず。年来の逆意と推測される 4


今週の1位はこちら!甲州・信州・駿州三ヶ国が本意に属する旨はです!
甲州征伐が天正記の段階では、ほぼ全部織田信忠の軍の功績と、きちんと把握されている所がまず興味深いですね。そして
この結果として東国はほぼ織田政権に属した、との認識があったこともわかります。この戦いはやはり、織田政権にとっての
画期だったと、当時の人々も思っていたということでしょう。それが1年も経たずに瓦解するわけですから、ここでその活躍が
讃えられている河尻秀隆の運命も含めて、つくづく人の未来なんてわからない。そう感じさせる逸話だなと思いました。

2位はこちら!この時に及んで富士山が私の山となりです!
で、甲州征伐後の富士見物で満足この上ない織田信長。このときが彼の頂点だったとは、神ならぬ身の誰が気づくでしょうか。
そういえばこの富士見物で、信長が斎藤利三の事を語ったこんな逸話がありますね
織田信長、富士山を見て、ふと
斎藤利三は、富士山を見てはしゃいでいる信長の姿に、この程度かと見切りをつけた事が本能寺の端緒である。
なんて小説的発想もできそうな気もします。

今週管理人が気になった逸話はこちら!ガスパールの茶会事件です!
様々に興味深いですが、やはりこの時期の「連座」の範囲の広さを感じてしまいますね。この連座の範囲については外国人の目にも
非常に特異なものと映ったらしく、近世初期くらいには「日本の治安が良いのはこのため」という報告も有ったりしますね。
この風習が徐々に緩和されていくのは、江戸幕府が安定しだした頃からでしょうか。
まあ秀吉は例の落書事件の時は容疑者が逃げ込んだ先の町の区画の住民全員を連座させるような人なので、その点
特に厳しかったかも知れません。秀吉の時代の社会の空気の重々しさ、というものを感じられる記録かもしれません。
あとは当時も、同じキリシタン同士であっても兄弟愛とはいかずこうして生々しい殺人もあったのだ。という、まあ当然といえば
当然な面を再認識させてくれる、そういうお話であるとも感じました。



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週間ブログ拍手ランキング【02/21~02/27】

2019年02月27日 18:49

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今ここに二つの不思議が有る 11

大指物の故であった 8

天下は秀吉の掌握に帰すといえよう 6
秀吉はこれを識量して 6
鬼武蔵と言われる者の鋒を挫けば 5

決しかねる二つのこと 4
故に再び謀叛を起こした 4
柴田勝豊の死 4

玄蕃助は罪多き故 3
勝豊は内々恨みを含んでいた 3


今週の1位はこちら!今ここに二つの不思議が有るです!
秀吉が太田三楽を「あんなに出来るやつなのに何で一国すら…」と不思議がるというお話。これは一面、秀吉による
「俺は実力だけの存在ではない(天運も得ているのだ)」というのアピールでもあるのだと感じます。まあそういう意図だとすると、
それに対して気がついているのか居ないのか、「知らんがな」と言わんばかりの家康の反応もちょっと面白いですがw
それにしても太田三楽(資正)が、反北条にその半生を費やし、北条が亡ぶとその翌年たちまち死去したことは、秀吉的な
生き方から考えるといたずらにその才能をすりつぶした、迂遠そのものでもあったでしょう。しかしそれも武士のあり方、
または生き方なのでしょう。そう思います。

2位はこちら!大指物の故であったです!
戦場ではその戦功の認定のため、軍監などがあるのですが、合戦規模の拡大とともにその機能も低下したようで、徐々に
「目立ったもの勝ち」の世界へとなっていきますね。旗指し物などが派手になったり大型化した事は、そういう部分に原因があると
思います。このお話もそういう、個々の武功認定が困難になっていった状況を鑑みたものだと考えるべきなのでしょう。
ちなみにこのお話には続きがあり、後にこうなります
藪内匠正照と渡辺勘兵衛
これもまた、非常に武士らさを感じるお話ですね。

今週管理人が気になった逸話はこちら!決しかねる二つのことです!
これを読むと逆にこの甘利さんが重用されなかった理由がわかるような、そんな気のする内容ですねw
まあ甘利さんの方にも高山右近に対してよほど鬱積したものが有ったのでしょう。彼からすれば現在の待遇は
武士の世界における一種の契約違反である、という思いがあったかと考えます。
まあ良くも悪くも、お互いに性格が合わなかったのだろうな。なんて思ったりしますねw
なかなか生々しい、いい逸話だと思いました。


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週間ブログ拍手ランキング【02/14~/20】

2019年02月20日 14:10

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小田原陣の堀秀政 12

撫で斬りを始めるぞ! 12

天が秀吉を祐けたのだ 8

草履を横さまに御つけ有しとそ 6
鶏鳴より取巻いて攻めれば 5
里村紹巴と秀次事件+α 5

秀吉はまことに前代未聞の大将なり 4
秀吉1人の天下となることは快きかな 4
三七信孝も智勇は人を超えていた 3
秀吉は摂津国大坂において城郭を定めた 3
柴田勝家自害 2


今週の1位はこちら!小田原陣の堀秀政です!
なるほどこれが堀秀政の「名人」ということか、と感心しちゃいました。予め状況を予測して対処を用意しておく、という事、
中世と言えば「中世に予防法無し」と言われるように、基本的に事が起こってから対処を考える、というのが一般的でした。
そういう観念の強い社会だったことを考えると、確かに秀政が「名人久太郎」と異名されるのも解る気がします。
また、このような問題対応に対する意識変化の過渡期でも有ったのでしょうね。そんな事も思ったお話でした。

2位はこちら!撫で斬りを始めるぞ!です!
武将感状記は正徳6年(1716)の成立なので、戦国乱世から100年以上後の逸話集ですね。ですがこのお話など、
非常に戦国の匂いを感じさせる内容で、編者の熊沢淡庵(謎の人物らしい)の、逸話収拾に対する面白さを感じたりします。
それにしても意訳すると、まさしく「ヒャッハー!皆殺しを始めるぜー!」ですからねw良くも悪くも、こういうものが
戦国気質だったのだろうなと思ってしまいます。

今週管理人が気になった逸話はこちら!秀吉1人の天下となることは快きかなです!
柴田退治記をはじめ、秀吉が大村由己に書かせた『天正記』は、その内容を公家など京の上流階級に「読み聞かせ」していたらしく、
正しく秀吉のプロパガンダ文章でした。古代ローマではカエサルがガリアにおいて、戦勝を重ねることにそれを文章に書いて
ローマに送り自分の勝利の偉大さを強調したのが『ガリア戦記』だと言われますが、それと似たような事をやっていた、という
事なのでしょう。こういう強烈な自己宣伝、世論操作は秀吉の大きな特徴の一つだと思いますし、後世に至っても、あまりこういう
人は、日本には出てきませんね。『天正記』は秀吉の覇権の過程で、彼が自分をどう見せたかったか、を理解させてくれる、
とても良い史料であると思います。



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週間ブログ拍手ランキング【02/07~/13】

2019年02月13日 14:49

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政宗が無理に取ってしまいました 23

君のなさけの今はうらめし 11
【ニュース】姫路の化粧品メーカーが姫路城の紋瓦型せっけん販売へ 11

ただいま私が天下に備わったのは、ひとえに長秀の御かげである 10
御茶ノ水の地名の由来 9

越中征伐陣立書 8
佐久間玄蕃の最期 8

同道し引き取れば良かったのではないか 6
省陌(せいはく) 6
神速無比の人なり 5
まだ若年の身でそれぞれ敵を討ち取り 5


今週の1位はこちら!政宗が無理に取ってしまいましたです!
さすが政宗。これぞ政宗。色んな意味でじつに政宗な逸話です。被害者(w)が忠利なのもいいですね。政宗が相手では面と向かって
強く言えなかったのだろうな、なんて情景が見えてくるようです。そして恐らく政宗は、細川忠興・忠利親子の審美眼を信用して
いたのでしょう。だから彼等の物を欲しがる。細川親子からしたらいい迷惑ですがwしかしそういうのを迷惑に思いつつも
政宗だから仕方ないと受け入れちゃうのが、伊達政宗という人の人徳でも有るのかなあ、なんて思ってみたりw
政宗のこの手のお話、掘り起こせばもっと出てきそうですね~。

2位はこちら!君のなさけの今はうらめしです!
これはもちろん、本多忠勝の辞世の句『死にともな 嗚呼死にともな 死にともな 深きご恩の君を思えば』の本歌取なのですが、
内容的に対になっているのが実に良いですね。さすが後世にまで伝わっただけ有って上手い。
そしてなんとも不本意さが伝わってきます。「死ぬのは仕方ないけどこの死に方はなあ…」みたいな。
それでも、しかも草履取りという低い身分でありながら殉死することが、心意気でも有ったのでしょう。
実は割と複雑な味わいのある逸話だな、なんて思いました。

そして今週は同票でもう一つ!【ニュース】姫路の化粧品メーカーが姫路城の紋瓦型せっけん販売へです!
五三桐紋、太閤紋とはいいつつ、現姫路城で見つかったものは、実際には木下家定か池田家の使ったものなのでしょうね。
一方で秀吉や現在の姫路城を建築した池田輝政はともかく、なぜに、基本あまり芳しい言い伝えのない酒井忠恭の紋なのか。
千姫が再婚した美男で有名な、本多忠勝の孫、本多忠刻ではいけなかったのか、などとも考えてみたり。
まあこれはこれで面白いのですがwそんな事を思ったお話でもありました。


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週間ブログ拍手ランキング【01/31~02/06】

2019年02月06日 19:00

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我が家のことをばかり書き立て子供に譲る 12

彼藤吉猿面郎カ方ヘ我ヲツレ行一言可云事アリ 10

彼を「ノブヲ」と云うのは誤りである。 9
和田新五郎の処刑 9

池田恒興の犬山城略取に対する恩賞 8
そもそも賤岳の合戦というのは 7

それも義輝公が愚弱だったため 6
その憤りによって謀叛を企て 6
物を送るのは、むしろ新郎の方 4
百姓には似合わぬ事を致したものだな。 3


今週の1位はこちら!我が家のことをばかり書き立て子供に譲るです!
三河物語のここ、割と有名ではあるのですが、明らかに読んでほしいのですよね、彦左さんはw
というか読まれることが前提にあるからこそ、こんな「著作動機」を書き連ねているのでしょう。
この中で、「御譜代久しき衆は、何れも自分の家々の御忠節の筋目、御譜代久しき筋目を書き立て、
子供たちへ御ゆずりに成るべきだ」と書かれているのは、多分本音なのだと思います。徳川譜代の
それぞれの家がそれぞれの「三河物語」を描いてほしい、その呼び水に成りたい、という意識はやっぱり
有ったと思うのです。それは、結果的にはそれぞれの家の「家譜」編纂という形で実現したのかも知れません。
しかし諸家家譜は幕府主導の編纂というのも有って、三河物語の、ある意味粗野で一方的一面的な価値観を
大声で叫んでいるような、そういう「魅力」には乏しいですね。スマートにすぎます。
そういう意味では、大久保家以外の、譜代諸家の「三河物語」読んでみたかったな、とも思っちゃいますねw

2位はこちら!彼藤吉猿面郎カ方ヘ我ヲツレ行一言可云事アリです!
佐久間盛政の魅力が十全に出ているお話ですねー。そして捕縛されてもちゃんと「死なない」。
死ぬまで諦めない事こそ、この時代の武士であり、勇者というべきでしょう。まあ逆に延々諦めないからこそ面倒でもあるのですが。
死ぬまで諦めないは、殺さないと止まらない、でもありますからねw
戦国時代は、武士が武士であることも大変でしたが、その上に立つ主君であることも、それはそれは凄まじい緊張感の
中にあったのだろうな。なんて事もふと思ったりしたお話でした。

今週管理人が気になった逸話はこちら!彼を「ノブヲ」と云うのは誤りである。です!
ノブヨシなんて説もあったのですねえ。びっくりですw
一般的には信雄は、武家読みが「ノブカツ」で、有職読みが「ノブオ」なんて説明されたりするのですが、ノブヨシに至っては
ホントよくわかりません。しかし作者の伊勢貞丈的には一定の根拠も有ったようで、「諱」というものの難しさを感じさせる
お話でも有るな、なんて思いました。これだから歴史というものは面白いw



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週間ブログ拍手ランキング【01/24~/30】

2019年01月30日 10:09

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筑前守殿は城介様に恋慕故 14

諸大名を全て国へ帰し、敵対を成すならば 11

褒美として機物にあげよ 8
徳川秀忠、池田輝政の屋敷での茶会 8
子のなき者はつる葉をも捜し求め 6
私に吉法師様の御守りを 5

常真を攻めなさろうと思し召し 4
如御意裏切は可被御免候外聞如何と存候 4
すなわち筑前こそ上様 4
人々が因果であると申し習わすのも 3


今週の1位はこちら!筑前守殿は城介様に恋慕故です!
織田信忠と秀吉が衆道関係にあった、という事を匂わす逸話となっていますね。やはりここで大切なのは、実際に衆道関係に
有ったかどうかと言うより、衆道関係ならば相手の遺児の後見をすることは当然、という発想が、当時、説得力を持って
いたというでしょう。後世になっても、井原西鶴の『男色大鑑』などを読むと、衆道関係にある者が、一方が死んだ時、その残された
妻や遺児に対して一方が援助する、という話が結構あります。この逸話も、当時の一種の社会的常識をお話の中に取り込んだ
ものなのでしょう。そんな事を考えました。

2位はこちら!諸大名を全て国へ帰し、敵対を成すならばです!
この内容については、大久保彦左衛門もはっきり記しているように、あくまで人々の間の噂に過ぎないのでしょうが、
そういう噂があった事自体が興味深く思います。徳川秀忠は現在では、基本的に守勢の将軍というイメージが強いのですが、
ここではむしろ積極的に戦うことを選択する、非常に好戦的な将軍として描かれており、当時はこのような印象があった、
もしくはそのように印象つけるような傾向が有った、と見ることもできると思います。
しかしこういう噂があれば、諸大名は帰国を命じられても気が気ではないでしょうね。逆に一挙一動に慎重に成る事でしょう。
そういう効果も考えてこのような噂が流された、とも取れるかも知れません。

今週管理人が気になった逸話はこちら!褒美として機物にあげよです!
秀吉が、佐久間盛政を捕縛した百姓たちを処罰したお話です。この手のお話、近い例だと織田信長が甲州征伐のとき、
武田勝頼から寝返った小山田信茂を、主君への不忠として処刑された事がありますね。こういうものを更に遡ると、
実はかの源頼朝が奥州合戦の時、奥州藤原氏譜代の家臣でありながら、藤原泰衡を討ち取って頼朝に投降した
河田次郎が、譜代の恩を忘れた不忠であるとして斬刑に処されています。
信長にせよ秀吉にせよ、頼朝を真似たというわけではないのでしょうか、その前例を意識した面は有ったと思われます。
「武家の棟梁」はそういうものだ、という発想が自身にも周辺にも、きっとあった事でしょう。
この逸話の中で、織田信孝はその頼朝の父、義朝が謀殺された際の故事を織り込んだ辞世の句を詠んでいます。
全体としてもどこか鎌倉イズムを感じさせる、そんな逸話だと思いました。



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週間ブログ拍手ランキング【01/17~/23】

2019年01月23日 22:27

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城中には家を1宇も残さぬように 12

前田利家うらきりしたる故 9

茶々から秀次への手紙 8

もう精進は絶つことにしよう 7
さて、因果というものは 7
彼こそ後の天海である 7

叛賊の光秀が予め計っていたことには、 6
その儀ならば別心か。 6
古き武辺者たちは目引き鼻引き笑っているのだ。 4


今週の一位はこちら!城中には家を1宇も残さぬようにです!
明智光秀との決戦へ赴く秀吉の覚悟。中国大返しから山崎の合戦に至る一連の流れは、やはり秀吉神話の真骨頂というべき
ものだけに、これ以外にも彼の覚悟を表す逸話がいくつかありますね。姫路城の財貨や兵粮を全て兵士に分配したという
話とか。秀吉の生涯の中でも、これほど乾坤一擲の覚悟で挑んだ戦いは、光秀との決戦だけだったと思います。
それまでは信長のもとでの任務であり、これ以降は最大勢力としての余裕を持つ中での戦いでしたから。
逆に言えば、ここで乾坤一擲を挑み、それに勝ったからこその彼の天下の成立でも有ったのでしょう。
そんな事を感じるお話でもありました。

二位はこちら!前田利家うらきりしたる故です!
賤ヶ岳での前田利家の無断撤退について、歴ヲタの一部では「アレって関ヶ原の(俗説で言うところの)小早川秀秋の裏切りより
よっぽど酷いよな。」という意見があります。僕もそう思いますw前田利家の裏切りがなければ柴田勝家が勝っていた、とは
思いませんが、すくなくとも賤ヶ岳でああいう壊滅的な負け方はしなかったとは思います。
そういう評判を気にしてのことか、前田家というのは歴史書にどう著述されるかを非常に気にしていたフシがあり、
小瀬甫庵の後援をすることで、甫庵信長記や甫庵太閤記において前田利家や前田家を、非常に好意的に描かせた、
なんて言われたりもします。なのでこの「祖父物語」に、非常にダイレクトに「前田利家の裏切り」と書かれているのは、
たいへん貴重な記述だと思います。少なくとも当時やそれに近い時代の人たちに、賤ヶ岳での前田利家の行為は裏切りである、
という認識があったという事ですから。
そんな事を感じた逸話でした。

今週管理人が気になった逸話はこちら!茶々から秀次への手紙です!
この、将来への暖かな思いが感じられる書状が文禄二年閏十月八日、秀次事件の始まりが文禄四年六月末。
本当にどうしてそうなるのか。秀次事件の後召喚された伊達政宗の言い訳ではありませんが、秀吉の望みで秀次は
このようにもり立てられていたわけですから、それが二年足らずで謀反人扱いされるなど、片目でなくても解らなかったと
言わざるを得ませんね。この逸話から受ける印象もそうですが、秀次事件はつくづく、豊臣政権の自傷行為だなと、
いろいろな逸話や史料、書籍を見るたびに思ってしまいます。


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週間ブログ拍手ランキング【01/10~/16】

2019年01月16日 18:54

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わざと深いかのように 19

寄手の人々は御覧になれ! 弥平次自害の様子 15

その悪しき臭いは安土中へ吹き散らし申した 7
「狼を退治した狛犬」 6

平蜘蛛の釜と同様に微塵に砕けた 5
たのしみに 命にかへて何かあらん 5
合戦も仕掛けず、人質も出さず、 5
異教徒の特徴 5


今週の1位はこちら! わざと深いかのようにです!
源平合戦の昔から、味方を出し抜くのも武士の習い。この郷戸三郎左衛門、中間とはいえ正しく武士の魂を持っている
人物ですね。武士の正々堂々とは、敵や味方を騙さないことではなく、騙したことに言い訳をしないこと、だと思っています。
そして出し抜くことがちゃんと評価されるのも武士の習い。彼を武士に値すると評価した田中吉政も、正しく武士の主人ですね。
そんな事を考えさせてくれる逸話でした。

2位はこちら!寄手の人々は御覧になれ! 弥平次自害の様子です!
これも武士らしさ溢れる逸話ですね。散り際の鮮やかさ、華やかさこそ武士の真骨頂。理屈抜きに美しい死に様です。
逆にここが悪いと武士としてそれまでの生き様も全否定されるので、正しく必死です。
三河者に限らず、武士というものはつくづく面倒くさい人々なのですが、だからこそ今も日本人に、強烈な印象を残して
いるのでしょう。そんな事も思うわせてくれる逸話です。

今週管理人が気になった逸話はこちら!その悪しき臭いは安土中へ吹き散らし申したです!
実はこれと似た逸話は「祖父物語」に有るのですが、そちらでは中国の秀吉より緊急の援軍要請がありそのため
任務替えとなると、光秀が腹立ちのあまり用意していた食材などを安土城の百々橋の下に棄てたというもので、
腐っていた云々はこの時点では存在しませんね。おそらく同じ話が、川角太閤記の時点でいろいろ脚色されたということでしょう。
逸話というのはこのように、ソーズがそのまま伝えられるというより、時代と共に、また様々な人の手を経るごとに「成長」するもの
でして、これもその一典型なのだろうなあ、なんてことを思いました。逸話って、そういう楽しみ方も出来るのです。


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週間ブログ拍手ランキング【01/03~/09】

2019年01月09日 16:52

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みだりに人数を殺すのみを武と思うのは、 16

どこもかしこもみなやけ申候 11

兜は念入りにすべきだ 10
永禄12年、武田軍駿河撤退と武田重代の家宝・八幡大菩薩の旗 10
我を殺すのか、又甲冑を奪うのか!? 9

【雑談】一番槍について 7
それでは、試しに受けて見給え! 7
三の重宝 5


今週の1位はこちら!みだりに人数を殺すのみを武と思うのは、です!
このお話を読むと、大阪の陣の頃の武士だな、なんて感じます。戦国全盛期だと、捨て頸だろうが偽頸だろうが頸は頸、みたいな
世界ですから。そういう世界の住人だった武士が「こういう方がかっこいいぞ」と感性が変化したこと、これぞ近世なのだなと
しみじみ思います。戦争が常態化していた自力救済世界から、それらが否定された近世世界において「武士らしい武士」とは
何かという事に、一定の方向が生まれてきていた。そんな事を感じたりしました。

2位はこちら!どこもかしこもみなやけ申候です!
元和七年の大火についてですが、政宗がやっぱり「まさむね」表記なのが、目についちゃいますねw
この諱読みに関しては、コメントにもありましたが、相当に高名であり、誰もがその諱を知っているような状況で、はじめて
成立したようです。政宗はそういう人物の中でも、代表的であったという事なのでしょう。そう考えると政宗側、伊達家側としても
一種の誇りであったかもしれません。
あと最後の「めてたく かしく(めでたく、かしこ)」は、女性や子供の手紙で、書状の相手をほめ、おそれかしこまるという意味の
結びの言葉ですね。決して火事のことを目出度いといっているのではありませんw

今週管理人が気になった逸話はこちら!兜は念入りにすべきだ
これは「武士は先ず死ぬ時のことを考えろ」という考え方なのでしょうね。生き残ることを前提にはしない。それが武士の
戦い方であるのでしょう。そして死んだときこそ見栄えを良くしないといけないのは、討死こそが武士の花道であったことを
表すのでしょうね。逆に言えば、家康はそういう人たちに、討ち死にの場を放棄させる方向に時代を導いた人であり、
そこにはいろいろな葛藤が当然有ったのだろうな、なんて思ったりもしました。


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【謹賀新年】週間ブログ拍手ランキング【12/27~01/02】

2019年01月02日 19:05

今年始めて!12/27~01/02のブログ拍手ランキングです!


平田宗次セブン 17

門を開けたままにしておけ 15

掛川開城 12
四郎こそ我が子と言いながら 12

池田光政、お見舞いのお菓子を作る 11
すべて信玄の作謀 11

故に私は法体となるべし 9
池田長吉と犬狩 9

同名淡路守・同弾正、並びに采女佐の知行宛行いの事 8
天狗の仕業に疑いなし 8
慶長18年ローマ法王宛、伊達政宗書翰 5


今週の1位はこちら!平田宗次セブンです!
諱被り過ぎwいくら通常諱を呼ぶことは無いとは言え、ほぼ同時期に同じ一族内でこれだけ被るのは本当に珍しいと思います。
その上それぞれの死に様が、さすがは当時の薩摩武士と言わざるを得ませんね。最初の3人位で諱にしても縁起が悪いと
改名なり同じ諱を控えるなりありそうだとも思うのですが、そんなちょこざいな真似をしないのも、これが薩摩隼人かと
不思議な感慨を持ちましたw

2位はこちら!門を開けたままにしておけです!
「門を開けっ放しにするの好きだねえ」、全くですwよほど「逆にこうした方がビビる」という確信があったのか、そういうスリルに
身をおくことが好きだったのか。ただ日本の城郭の縄張りは、一見開放されているように見えて入り込むと皆殺しの間、というもの
多いので、そういう発想なのかもしれません。また火縄に関しては本来赤々と松明を炊けばよいのでしょうが、そうすると
内外の緊張感を高めてしまうという事での火鉢であったのかと思います。大胆さと繊細さの併存は、家康という人物の
真骨頂ですね。そんな事も思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!慶長18年ローマ法王宛、伊達政宗書翰です!
こういう書状をぬけぬけと出せるのが、政宗の強さなのだと、割と真面目に思っています。
この書状も下手に出ながら、よく読むと現地に高位の責任者、及び高度の決定権を持ってくるように誘導していますね。
つまり政宗の影響下でコントロールできるようにすることを意図しているわけで、このあたり、政宗という人の、政治家としての
油断のなさを感じます。
伊達政宗は、本来大変にプライドの高い人物であると感じているのですが、必要であると思えばそのプライドを即座に
押さえられる部分が、政宗を政宗たらしめたのだろうな。なんて思ったりしました。



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
また気に入った逸話がありましたら、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
そして、今年はブログ開始11周年。元号も新しくなり、新たなスタート、という気持ちでやっていきたいと思います。
本年もどうぞ、よろしくお願いいたします!
(/・ω・)/

週間ブログ拍手ランキング【12/20~/26】

2018年12月26日 22:25

12/20~/26のブログ拍手ランキングです!


可児に好まれて辞し難し 22

久野氏内紛 18

伊勢貞衛と名刀・小烏丸 14
永禄12年正月22日掛川城攻め 12

正信偈合戦顛末 11
イケメンすぎて町娘から惚れられる森蘭丸 11

今は速やかに天意人望に応じて降参するべし 9
掛川城の戦いの時。23日の城攻め失敗後 9
悪右衛門尉由来 9

伊達政宗、慶長六年(1601)四月二十一日付書条 8
堀川城の戦いの時。掛川城再攻後 8
南北合体 5

三月七日の掛川城攻め 4
吾陰嚢の垢ほどもあらぬ物を 4
【ニュース】江戸時代初期に「大坂幕府構想」検討か 新たな書状見つかる 4


今週の1位はこちら!可児に好まれて辞し難しです!
レスにもありましたが、『天下七兄弟』、辻小作と中黒道随に出ているように、辻小作、可児才蔵、中黒道随は「天下七兄弟」と呼ばれる義兄弟の契を結んでおり、故に打ち取るかどうかで
すこし悩んだ、という事なのですね。しかし友人同士でも、敵味方に別れれば馴れ合いという感じをさせないのは、流石
この時代の名のある武士たちですね。ここでは勝敗がほぼ決定したからこそこの態度であったのでしょうし、もし勝敗
定かならぬ激戦であれば躊躇わず命を奪い合ったことでしょう。しかし、基本秀吉系とはいえ、様々な家の家の家臣が
友人関係という「横のつながりを結ぶというのは、秀吉の天下統一により、多くの武士が京に集住したことで生まれた
現象なのでしょう。そう考えるとこの逸話も、秀吉の天下統一が成って初めて生まれたもの、と言えるかもしれません。

2位はこちら!久野氏内紛です!
掛川城攻めのさなか、家康と今川氏真の間で揺れ動く国衆久野氏。戦国時代には、このような立場に追い込まれた国衆が
何百何千と有ったことでしょう。そして運の良い少数は生き残り、殆どは歴史の表舞台からからひっそりと退場しました。
この久野家は、この後も色々あったものの、最終的には御三家紀伊徳川家の家老となり、伊勢国田丸城代として1万石を
所領し、そのまま明治を迎えます。勝ち組そのものと言っていい一族ですが、それもこの時のギリギリの決断が有った故
であると思うと、運命の不思議さなども感じてしまいます。

今週管理人が気になったものはこちら!伊達政宗、慶長六年(1601)四月二十一日付書条です!
後半の秀吉についての提案は非常に有名ですが、前段も面白いですよね。最上義康との連携は非常に上手くいった。
彼の父親である義光とは上手く行かなかったのに、不思議だなー(棒)、のあたり、様々に察せられますねw
最上義光への牽制など色々考えた上でのこの表現なのでしょう。政宗も政治家ですね。
秀頼を家康の手元で育てる、という提案ですが、もしかすると家康は「そんなこと出来るならとっくにやっとるわい!」という
思いだったかもしれません。そのあたりに興味のある方は、、黒田基樹先生の「羽柴家崩壊 茶々と片桐且元の懊悩」を
おすすめします!結局大阪の陣に至る流れも、直線ではなく、本当に紆余曲折なわけなんです。



今週もたくさんの拍手を各逸話にいただきました。いつも有難うございます!
また気になった逸話がありましたら、どうぞそこの拍手ボタンを押して下さい。

なんのかんので、今年最後の拍手ランキングとなりました。今年でこのまとめも10週年となりましたが、どうにか無事に
年を越せそうです。有り難い事です。
本年中も、元スレの皆様初め、ここを閲覧しに来て頂いている多くの方々に大変にお世話になり、様々な場所で励まされ、
元気づけられました。心より御礼申し上げます。

来年はいよいよ平成も終わり、そして文化14年(1817年)の光格上皇以来、およそ200年ぶりの上皇の誕生など、
正しく歴史的な年となりますね。そんな中でも、特に変わらず淡々と更新できればいいな、なんて思っています。
少し早いですが、来る新年が、皆様にご多幸有る年と成りますように。

まとめ管理人・拝
(/・ω・)/

週間ブログ拍手ランキング【12/13~/19】

2018年12月19日 22:26

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こうしてこの者どもの手並みは知れた 12

汝は何ぞ主人の盟約に背き当国へ乱入するや 12

私は京の所司代になりたい。何故なら 10
富樫氏と金津 10
なんですって! 父御前を打ち殺しなさったというのですか! 10

guminori = ごめんなり 世界周遊記続き 9
相場の倍の代銀をあい渡すべし 9
予が最初より東方より西方に至るまでの君主 9

掛川城攻め 8
新なる事物は新なる言葉を必要とするのみならず 8
伊藤内蔵という者を討つ 6


今週の1位はこちら!こうしてこの者どもの手並みは知れたです!
天文23年の北条と武田との戦いのついてのお話ですが、いやあお互い、実に東国武者っぽくて良いですねw
非常にカラリとした野蛮さのぶつかり合いと言いましょうか。戦いを楽しんでいる、という雰囲気すら伝わります。
武士という人々はそもそも、こういう人たちだったのでしょうね。おそらくこのようなお話を、江戸期の武士たちは、
どこか憧れを感じつつ仰ぎ見たのではないか。そんな事もこのお話から感じました。

今週は同票でもう一つ!汝は何ぞ主人の盟約に背き当国へ乱入するやです!
かの有名な秋山虎繁の遠州侵入。この事で家康は信玄に対し決定的に不信感を懐き、徳川と武田の関係はこじれにこじれ、
両者と同盟関係に有った織田信長はどちらにも良い顔をして和解の役にはたたず、結果として三方ヶ原となり長篠となり
武田滅亡に至ったと考えると、武田にとって決定的なボタンの掛け違えの最初の一歩だった、なんて事を思ったりもします。
しかしこの露骨な油断のなさこそが信玄の真骨頂でもあり、最高の長所は最悪の短所でもある、なんて言葉も浮かんだり
しました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!なんですって! 父御前を打ち殺しなさったというのですか!です!
こちらにも同じお話が出ていましたね太田康資、鬼に金棒・悪い話
この話、どこか平家物語の萬蔵武者評『軍はまた親も討たれよ、子も討たれよ、死ぬれば乗り越え乗り越え戦ふ候ふ。』を
思い出しちゃいます。この時代、やはり戦士としての意識は、源平合戦の頃とあまり代わって居なかったのではないかと
思っちゃいますね。たとえそれが軍記による脚色だとしても、やはりそこに「坂東武者はかくあるべし」という気持ちが
あったわけなのです。そんな事を考えながら、このお話も読んでいました。



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週間ブログ拍手ランキング【12/06~/12】

2018年12月12日 11:23

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平八稲荷 20

徳川家康と井伊谷三人衆 19

氏康が何ぞ悪法師めの油口に誑かされんや 12
福島正則、岐阜城を落とした後の書状 9

此大帝國(日本)に属する歳入 8
竹束の仕寄 8
薩た峠の戦い 8
しからば親父に似ないように 8

日本人に対し無礼であり、気が利かぬ 7
朝倉家にも滅亡の時が訪れたと見え 3
武士のうそをば武略と云 2


今週の1位はこちら!平八稲荷です!
「平八稲荷」は浜松のものが有名なのですが、こちらはそれこそ本場なのに本多忠勝とは関係なく(普通に平八という名前の狐)、
大坂の平八稲荷が本多忠勝由来に成るというのも、なんとも面白いですね。それにしても秀吉は一度稲荷や狐を絶滅
させかけたこともあり
お稲荷さんと狐さん、危機一髪!・悪い話
こういう事もあって豊臣諸椽の名前にしなかった、なんて想像もできますね。しかしやっているイタズラが葬式詐欺なのは
戦乱で多くの人(おそらく狐も)が死んだことを人々が忘れないように、という心から来たものだというのも、このお話自体に
鎮魂の気持ちがあり、本多平八の名前を得たのも、その力で世を鎮めるのだ、という意味が内包されている気がします。
実は割と深い意味が入っているお話なのではないか、なんてことも思いました。

2位はこちら!徳川家康と井伊谷三人衆です!
大河ドラマ「おんな城主直虎」は個人的にも大好きでしたが、今考えても井伊谷三人衆が、特に近藤康用があんなに
ピックアップされた映像作品は空前絶後でしょう。まああの大河は近藤さんだけでなく、小野政次をはじめ、今川氏真、中野直之、
奥山朝忠などなど、普通の大河や歴史物ではモブとしてスルーされがちな人物を丹念に描いた、戦国ヲタとしても本当に
印象に残る作品でした。あの榊原康政は今でも宇宙一かっこいい榊原康政だと思っていますw
結果的に井伊家の名字の地である井伊谷は井伊谷三人衆のものとなり、井伊家は井伊谷の外に出て大きく羽ばたいた。
そう考えると不思議な感慨も持ちます。

今週管理人が気になった逸話はこちら!此大帝國(日本)に属する歳入です!
この時代の人名地名の発音、非常に興味深いですね。個人的にはFingo 肥後、Fangy 萩、Fitayts 常陸など、現代の日本人が
あまり使わないF音が目につくあたり、この頃の日本人がH音ハヒフヘホとF音ファフィフフェフォを区別して使っていた事を
反映しているように思います。あと鼻濁音がしっかり発音されている感じもしますね。
実は日本語の話し言葉自体は、江戸初期には概ね現代に近い形で「近代化」されていたらしいのですが、発音の変遷は
どのようなものがあったのか、そういう事も考えさせてくれる内容だなとも思いました。



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週間ブログ拍手ランキング【11/29~12/05】

2018年12月05日 16:13

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氏真はこの事を夢にも知らず 20

叛臣たちの末路 16

乱世忠臣を知る 15
甲斐もなき大僧正の官賊が 欲に駿河を追倒す見よ 13
仁義の道の奥義 12

黒田如水入道は茶の湯を嫌っていた 10
武田軍、駿河侵攻 10
池田忠継 「鬼孫なり」 9

林羅山と円模の地図 7
久能山城 7
天地開闢の時は日に吉凶あるまじ 6

サヴェリウスよ、汝は 5
光秀恨む女の霊 神社に残る戦国悲話/兵庫・丹波市 4
フランシスコが正当なる王として 4


今週の1位はこちら!氏真はこの事を夢にも知らずです!
武田の駿河侵攻で、武田による調略を受けた今川重臣たち。戦う前に勝負は決して居るという、信玄の戦略の真髄のような
内容です。日根野弘就父子が氏真の忠心として活躍しているのも、いいですね。「今川の終わり」のお話ですが、それだけに
ここに出てくる人たちのこれから、を感じさせてくれる内容だと思いました。主君から寝返ってまで生き残った。しかし生き残り
続けることの方が、実は大変なんですよね、この時代。

2位はこちら!叛臣たちの末路です!
武田信玄への「お前が言うな!」は正しい反応だと思いますw実際にはこの葛山氏元はこの時殺されてはおらず、信玄の
西上作戦の最中であった天正元年(1573)2月末に、謀反の疑いで処刑されたとあります。この、結果的に信玄の命によって
殺されたことが、駿河侵入の際まで時間がさかのぼって語られたのでしょう。しかしこのお話、武田滅亡の時に、武田から寝返った
小山田信茂が、織田信忠から同じ事を言われて処刑されるお話をどうしても連想させますね。そこからは栄枯盛衰、因果応報などと
いう言葉を感じさせます。この改正三河後風土記の記述も、どこかそれを意図してこう描いたのではないか、なんて思ったりしました。

今週管理人が気がついた逸話はこちら!仁義の道の奥義です!
仁義という抽象的観念を、当時の日本人の心性に即して、非常に具体的に解説されており、藤原惺窩と言う人の頭の良さも
感じさせてくれる内容ですね。儒者というのは、現在では色々言われがちですが、彼らの仕事というのは結局秩序のコーディネート
であったと思うのです。彼らは過去の歴史をその立場から様々に決めつけますが、それは今の現実の秩序をいかに導き保持する
かという意図から出たもので、必ずしもイデオロギーの徒というわけでは無いと考えます(イデオロギー体質の人が居たのも確かですが)
そんな、儒者について色々思ったりもした内容でした。



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週間ブログ拍手ランキング【11/22~/28】

2018年11月28日 18:47

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謙信の武勇などいか計りの 11

それをくびきる今福浄閑にも 11

三越同盟 10

氏真はこの事を夢にも知らず 9
中川秀政の討ち死に 9
姉川勝利 9

秀吉は紅梅の色の布団を敷き、ビロードの枕をして 8
秀吉「皆々ここに居よ!」 7
名門貴族の人々はよくよく心得なさるべきことではないか 7

只今ほど通りやすい事はありません 6
快く信玄に遠江を賜るべし。 6
おそらくこれが信長であった 5
皆々家一つで育った片口者なので 5


今週の一位はこちら!謙信の武勇などいか計りのです!
佐々成政という人、甫庵信長記では、例の浅井長政や朝倉義景の金箔ドクロの宴会の後、信長に対して諫言しています
(別にドクロの件ではない)。何で成政が、おまえ信長公記じゃ信長の暗殺未遂事件起こしてるのに!なんて思ったりも
するわけですが、彼に関して、良く言えば誰に対しても物怖じしない、悪く言えば身の程を知らない、という印象があったのかも
しれません。この逸話も「謙信何するものぞ」という意識が強く出ており、それはある意味武将として必要なものなのでしょうが、
人格が鞘走りしている危うさも感じさせます。
逸話は同時代、あるいは後世の人達の感じていた「印象」を保存している、とも言えるのかなと思います。

今週は同票でもう一つ!それをくびきる今福浄閑にもです!
このお話、多分文字面だけを追うと、色々納得の行かない所が出てくると思うのですが、この手のものはやはり、
「誰が言うか」と「誰が聞くか」が大切なのだと思います。法興和尚はこの短い話の中からも、今村今福浄閑をはじめ
武田家の武士たちに尊敬されていることが見て取れます。また和尚が今福と親しく、彼のことをしっかり理解していることも
把握できます。そういった双方の関係性を前提として、この説法(これに限らないのでしょうが)は成り立つのでしょう。
そんな事も考えさせてくれた逸話でした。

今週管理人が気になった逸話はこちら!秀吉は紅梅の色の布団を敷き、ビロードの枕をしてです!
秀吉が佐々成政を寝室に呼び入れたお話。
当時、寝室という最も無防備な場所に入れるというのは、相手に全幅の信頼を寄せている、という意味合いがあり、
これもそういうお話では有るのですが、紅梅色の布団にビロードの枕という、実にけばけばしいアイテムを用意しているあたり、
まあ色々解釈もできるのでしょうけど、やはり一義的には成政をビビらせようと思った、という所かなと思ってしまいます。
こういう事を、硬軟取り混ぜてというのかどうか。秀吉という人の感性は、難しいw



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週間ブログ拍手ランキング【11/15~/21】

2018年11月21日 16:41

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嘉明家中の者迄みな、前帯に 17

加様の時ばかり、又市又市とばかり 14

6月28日姉川合戦・徳川勢 13
武士は病に依りて死せず、戦争に於て死する 12
江州の滑者共さこそあらめ 11

御心強く御談合候へ 7
勇士・真柄十郎左衛門直隆父子 7
早くも軍伍を定めたぞ。心安く思い候へ 7

大将は何処におわしますぞ 6
はや笛を吹くように 6
人の馬は猶以嫌 5
その血は神君の御刀にそそぐほど 5
「さらば掛かれ!」 3


今週の1位はこちら!嘉明家中の者迄みな、前帯にです!
まあセコイですよね。しかも地味に。キャラには合っている気がしますがw
しかしこの手の妙な戦国いざという時ワンポイントアドバイス、手拭い大好き藤堂高虎さんが有名ですが、加藤嘉明にも
この手の逸話が有るという事は、秀吉、というか羽柴家取り立ての人々には、割とこういう細かい日常(?)でつかえる
技術を考えたり教えたりしたがる、アイデアママみたいな特性があったのではないか、なんてことを妄想したりすると、
割と面白い気がしますw

2位はこちら!加様の時ばかり、又市又市とばかりです!
同じ様な話として人の馬は猶以嫌も紹介されていますが、
この小栗又市も安藤さんもこんな事言いながら大阪の陣では非常に奮戦し、両者結局、その時の負傷が元で死んでしまうわけです。
それを知った上でこれらの逸話を読むと、なんとも不思議な感慨を持ってしまいます。
確かに三河者は、面倒くさいですね。面倒くさい本物の戦士たちなのだな。そんな気持ちになる逸話でした。

今週管理人が気になった逸話はこちら!武士は病に依りて死せず、戦争に於て死するです!
非常に生々しく、戦国期の京都の有り様が描かれていると思います。朝廷権力が朝廷と武家に分裂し朝廷権力が衰退し、
更に武家券力も分裂するというあたり、中世日本の権力の流れを大変良く理解していると感心sます。よほど日本の歴史に
詳しい人物からレクチャーを受けたのでしょう。
それにしても、最後の「武士は病に依りて死せず、戦争に於て死する爲め生まるる者なりと信ぜり。」という言葉、
実際に誰か、或いは複数の武士がそう言ったのでしょう。ここからは近世葉隠の一節、「武士道とは死ぬことと見つけたり」の
精神の源流を感じたりもします。
非常に興味深い内容だと思いました。



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週間ブログ拍手ランキング【11/08~/14】

2018年11月14日 19:05

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この王子、他の信長の子息達よりも、その父に似ている故 17

細川忠興、結城秀康に行列の先を譲る 13

そんな秀吉の元同僚 12
扇でお顔をしたたかに打って 11
奈良の鹿 10

伊予の身において誉れとすべし 9
三田村の後殿 9
御父 織田弾正忠殿 8
春の花に秋の紅葉を混ぜ合わせた様 7

小筒も、用いる所によって利があり 6
信長は手早き大将なので 6
これに宗矩が返し 6
手ひどき合戦には不合と見へたり 5


今週の一位はこちら!この王子、他の信長の子息達よりも、その父に似ている故です!
まあなんと言いましょうか。まさしく「三介殿のなさること」ですねwしかし信雄も信雄ですが、信長も甘いですね。
小さな枕を投げるしか出来なかったとは。戦わせた所で相手が信長の息子相手に無茶なことできないのも重々わかっていた
はずです。家康なら息子に、こういう時に本気でぶん殴りに来る補佐役付けるのに、などとも思いましたが、忠輝の例とか
考えるとそれもケースバイケースですかね。
それにしてもこの「殿」って、誰なんでしょうねw

二位はこちら!細川忠興、結城秀康に行列の先を譲るです!
さすが忠興、実にソツがない。このお話を見て、秀康と伊達政宗の、このお話を思い出しました
結城秀康と下馬しない伊達政宗・悪い話
こっちは怪我を言い立ててまで意地でも下馬しない政宗で、なんとも彼らしいお話なのですが、秀康という、立場的に
色々難しいところにある人への接し方にも、各大名の個性が現れている、なんてことも思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!御父 織田弾正忠殿です!
これも、有名なものですが、将軍が自分を補佐する重臣を「御父」と呼ぶのは前例があり、足利義政が幕府政所執事の伊勢貞親に
対してそういう扱いをしていますね。まあこのコンビで文正の政変、そして応仁の乱に至ってしまうわけですがw
そこを下敷きにして考えると、義昭が信長に求めていたものの生々しさを少々感じてしまいます。
義昭はこの時、幕府三管領の一つ、斯波武衛家の家督継承も求めています。それによって、畿内の細川、畠山とともに、三管領
体制の復興を図った、なんて評価もされますが、斯波家を継ぐということは、その斯波家から独立していた朝倉を、信長の配下に
させるか拒否するなら戦うか、という事に、自動的になってしまいます。そういう事を義昭も信長も解っていて、虚々実々の
やり取りをしていたのではないか。そんな事を考えてしまいます。
足利義昭研究は昨今盛り上がっており、信長と共に、新しい義昭像も次々表れてくると思います。
僕もそれを楽しみに待ちたいと思っています。


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週間ブログ拍手ランキング【11/01~/07】

2018年11月07日 19:34

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松村の報告 14

あの兄弟の働きは良き膏薬 13

六代の討死にして 12
少しも汝らが気遣いすることはない 12

武田総敗軍 8
さすが信玄の遺烈かな 8

武蔵守はその容貌の逞しさを感心し 7
下人などは如此こそころすべけれ 6
山県さんによると、鉄砲は 5


今週の1位はこちら!松村の報告です!
明智光秀の元家臣たち、謀反の家というイメージに反し、実は各所で重宝されていますね。それだけ光秀の家臣団は
有能であったということなのでしょう。この松村さんも、家康を褒めていると言うよりも、「世間的な家康のイメージに
引きずられたら間違うよ」という事を語っており、秀吉にとって有用だったことでしょう。「観察眼が有る」と秀吉が評価したのも
納得できるものだと思います。こういうお話を読むと、こういった人材を集め使っていた光秀という人への評価も、
新たに成ると思います。

2位はこちら!あの兄弟の働きは良き膏薬です!
有名な長篠での大久保兄弟の活躍ですね。三河物語でもある意味自賛していますが、客観的にも非常に印象に残る
戦いぶりだったようです。あの合戦で徳川勢は、「そもそも自分たちの戦い」であると、相当に奮戦したようですね。
その一つの象徴が、大久保兄弟であったのでしょう。
また武田というのはやはり徳川にとって非常に大きな楔であり、徳川勢はしばしば、武田軍というだけで怯えていた時期も
あったようです、しかし長篠後、徳川勢はそういった武田へのコンプレックスを脱し、むしろ武田のほうが、
徳川勢に対し逃げ腰になったとも言います。この「蝶の舞」は、そんな軛からの開放も著しているのかもしれません。

今週管理人が気になった逸話はこちら!六代の討死にしてです!
この平子主膳こと平子貞詮が討ち死にした伯楽淵砦の戦いでは、同時に彼の息子の平子茂兵衛も討ち死にを遂げており、
はからずも七代の討死になってしまっています。
この平子という人、どうも同時代では相当有名だったらしく、平子というだけで「ああ、あの人」と通じるくらいだったようです。
しかし後代にその名があまり伝わらなかったのは、やはり子孫が続かなかったため、でしょうか。
討死で名を成し、討死で名が途切れた、とすると、何とも言えない皮肉となりますね。
それにしても六代、七代にわたっの討死とすると、おそらく戦国期全般で誰かしら討ち死にしているという事であり、
これもまた、戦国の申し子という人であり、家なのでしょう。
またこういうお話を読むと、大阪の陣で幕府方にも豊臣方にも、やたら討ち死にしたがる連中が出てくることの社会背景を
感じられるように思います。


今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつも本当に有難うございます!
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そして今週は、管理人なりの「逸話」についての見解を。
「逸話」は結局は、ある人物やある事態の一曲面を切り取って物語的に編纂したものであり、それ自体は史実でも
事実でもありません(史実や事実を元にしたものはあります。)
ただそこからは、その逸話の産まれた時代に、人々がその人物や事態をどの様に解釈し受け入れていたか、という事が
見えてきます。
人が社会的動物である以上、人についての評価とは、その人物の内面性ではなく、社会にどう写ったか、という事に成ってしまいます。
逸話とはそういった社会評価を物語的な形で現したものであり、それもまた、人間の社会における、個人、事態の「歴史」で
あると言えます。
「逸話」は大抵は、その人物の死後、事態が過去に成ってから語られるものです。逸話を読む時、その人物や事態がどのように
社会に咀嚼され「歴史化」されたのか。逸話はそんな視点で見ることで、より豊かに楽しめると思うのです。
「史実か否か」というような単純な価値判断をしてしまうと、きっとそこからいろいろなものがこぼれ落ちてしまいます。
そんな事を昨今は思っている、管理人でした。
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週間ブログ拍手ランキング【10/25~/31】

2018年10月31日 19:02

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『山城に行こう!2018~森長可の東美濃統一~』のお知らせ! 13

名高き兜を敵に取られては如何なものか 11
前田利長と七人の鋳物師 11

古老どもも古者だから捨てたか! 9
内藤昌豊の討死 9
あれこそ山県である 9
私は今日までデウスに対し不平を述べたことはなかった 9

故に大将に手を負わせたのだ 8
私は武田家の古老、馬場美濃なるぞ 7
彼女は獰猛な牝ライオンのように 7
同じ忠次でも 7

奇特なる志の留守意 6
「流石に猛将かな」 5
織田信長を模倣する 4


今週の1位はこちら!『山城に行こう!2018~森長可の東美濃統一~』のお知らせ!です!
今月で、このまとめも十週年と成りましたが、そんな十年目に鬼武蔵も地元の歴史イベントの看板になるほどに成ったのだなと、
聊かしみじみしてしまいました。地元に愛される鬼武蔵!こんな日が来るなんてw
いつかこの記事が実現することも!
森長可について。そして大河ドラマ「鬼武蔵」・雑談
まああの、痛快なほど殺伐とした鬼武蔵像が浸透したわけではないのでしょうが、こういうイベントの中で「織田家の猛将」が
市民権を得てくと、なんだか嬉しいです。
それにしても実に興味深いイベントですね!行ってみたいなあ(;´Д`)

2位はこちら!名高き兜を敵に取られては如何なものかです!
敗戦の時、主君に変わり命を捨ててその逃亡を助ける。大きな合戦にはそういう役割の武士が表れますね。
有名所では三方ヶ原での夏目吉信などがいます。ここでの笠井高利、もし武田が滅びなければ、夏目のように
その家中で長く重く讃えられたのでしょう。家の興亡というものからは、忠義の意味もいろいろと考えさせられます。
そして秘蔵の冑すら捨てて逃げたという所からは、長篠敗戦後の勝頼の逃亡がどれほど過酷であったかを感じさせてくれます。
勝頼はそれでも、この敗戦から一旦盛り返しているのですよね。そこだけでもなまなかな人物ではないですね。
甫庵太閤記で秀吉が、信長が勝頼を殺したことを批判する内容があったりしますが、あの本が成立した時代、
そういう評価が存在したのだろうな、たどということも感じました。

今週2位はもう一つ!前田利長と七人の鋳物師です!
加賀、能登、越中はどこも、その地の産業に何かしらの前田伝説がある「前田王国」である、という話はよく聞きます。また事実、
それらは前田家の統治の中で育てられたものだったのでしょう。高岡の鋳物も、そういった産業なのでしょうが、「仏具の需要」
という言葉を見ると、どうも「越中一向一揆」を連想してしまいます。高岡と言えば、有名な高岡大仏も、高岡銅器職人の
技術の高さを伝えるものですが、あの大仏も阿弥陀如来である所に(「一向一揆」と直接に関わるわけではありませんが)、
そちらのつながりも感じちゃいますね。さすが真宗王国、でもあります。
越中の長い歴史を感じさせる、そんなお話だとも思いました。


今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
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