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週間ブログ拍手ランキング【11/08~/14】

2018年11月14日 19:05

11/08~/14のブログ拍手ランキングです!


この王子、他の信長の子息達よりも、その父に似ている故 17

細川忠興、結城秀康に行列の先を譲る 13

そんな秀吉の元同僚 12
扇でお顔をしたたかに打って 11
奈良の鹿 10

伊予の身において誉れとすべし 9
三田村の後殿 9
御父 織田弾正忠殿 8
春の花に秋の紅葉を混ぜ合わせた様 7

小筒も、用いる所によって利があり 6
信長は手早き大将なので 6
これに宗矩が返し 6
手ひどき合戦には不合と見へたり 5


今週の一位はこちら!この王子、他の信長の子息達よりも、その父に似ている故です!
まあなんと言いましょうか。まさしく「三介殿のなさること」ですねwしかし信雄も信雄ですが、信長も甘いですね。
小さな枕を投げるしか出来なかったとは。戦わせた所で相手が信長の息子相手に無茶なことできないのも重々わかっていた
はずです。家康なら息子に、こういう時に本気でぶん殴りに来る補佐役付けるのに、などとも思いましたが、忠輝の例とか
考えるとそれもケースバイケースですかね。
それにしてもこの「殿」って、誰なんでしょうねw

二位はこちら!細川忠興、結城秀康に行列の先を譲るです!
さすが忠興、実にソツがない。このお話を見て、秀康と伊達政宗の、このお話を思い出しました
結城秀康と下馬しない伊達政宗・悪い話
こっちは怪我を言い立ててまで意地でも下馬しない政宗で、なんとも彼らしいお話なのですが、秀康という、立場的に
色々難しいところにある人への接し方にも、各大名の個性が現れている、なんてことも思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!御父 織田弾正忠殿です!
これも、有名なものですが、将軍が自分を補佐する重臣を「御父」と呼ぶのは前例があり、足利義政が幕府政所執事の伊勢貞親に
対してそういう扱いをしていますね。まあこのコンビで文正の政変、そして応仁の乱に至ってしまうわけですがw
そこを下敷きにして考えると、義昭が信長に求めていたものの生々しさを少々感じてしまいます。
義昭はこの時、幕府三管領の一つ、斯波武衛家の家督継承も求めています。それによって、畿内の細川、畠山とともに、三管領
体制の復興を図った、なんて評価もされますが、斯波家を継ぐということは、その斯波家から独立していた朝倉を、信長の配下に
させるか拒否するなら戦うか、という事に、自動的になってしまいます。そういう事を義昭も信長も解っていて、虚々実々の
やり取りをしていたのではないか。そんな事を考えてしまいます。
足利義昭研究は昨今盛り上がっており、信長と共に、新しい義昭像も次々表れてくると思います。
僕もそれを楽しみに待ちたいと思っています。


今週も琢団の拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます。
また気に入った逸話がありましたら、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
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週間ブログ拍手ランキング【11/01~/07】

2018年11月07日 19:34

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松村の報告 14

あの兄弟の働きは良き膏薬 13

六代の討死にして 12
少しも汝らが気遣いすることはない 12

武田総敗軍 8
さすが信玄の遺烈かな 8

武蔵守はその容貌の逞しさを感心し 7
下人などは如此こそころすべけれ 6
山県さんによると、鉄砲は 5


今週の1位はこちら!松村の報告です!
明智光秀の元家臣たち、謀反の家というイメージに反し、実は各所で重宝されていますね。それだけ光秀の家臣団は
有能であったということなのでしょう。この松村さんも、家康を褒めていると言うよりも、「世間的な家康のイメージに
引きずられたら間違うよ」という事を語っており、秀吉にとって有用だったことでしょう。「観察眼が有る」と秀吉が評価したのも
納得できるものだと思います。こういうお話を読むと、こういった人材を集め使っていた光秀という人への評価も、
新たに成ると思います。

2位はこちら!あの兄弟の働きは良き膏薬です!
有名な長篠での大久保兄弟の活躍ですね。三河物語でもある意味自賛していますが、客観的にも非常に印象に残る
戦いぶりだったようです。あの合戦で徳川勢は、「そもそも自分たちの戦い」であると、相当に奮戦したようですね。
その一つの象徴が、大久保兄弟であったのでしょう。
また武田というのはやはり徳川にとって非常に大きな楔であり、徳川勢はしばしば、武田軍というだけで怯えていた時期も
あったようです、しかし長篠後、徳川勢はそういった武田へのコンプレックスを脱し、むしろ武田のほうが、
徳川勢に対し逃げ腰になったとも言います。この「蝶の舞」は、そんな軛からの開放も著しているのかもしれません。

今週管理人が気になった逸話はこちら!六代の討死にしてです!
この平子主膳こと平子貞詮が討ち死にした伯楽淵砦の戦いでは、同時に彼の息子の平子茂兵衛も討ち死にを遂げており、
はからずも七代の討死になってしまっています。
この平子という人、どうも同時代では相当有名だったらしく、平子というだけで「ああ、あの人」と通じるくらいだったようです。
しかし後代にその名があまり伝わらなかったのは、やはり子孫が続かなかったため、でしょうか。
討死で名を成し、討死で名が途切れた、とすると、何とも言えない皮肉となりますね。
それにしても六代、七代にわたっの討死とすると、おそらく戦国期全般で誰かしら討ち死にしているという事であり、
これもまた、戦国の申し子という人であり、家なのでしょう。
またこういうお話を読むと、大阪の陣で幕府方にも豊臣方にも、やたら討ち死にしたがる連中が出てくることの社会背景を
感じられるように思います。


今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつも本当に有難うございます!
また気に入った逸話を見つけたら、そこの拍手ボタンを押してみて下さい!

そして今週は、管理人なりの「逸話」についての見解を。
「逸話」は結局は、ある人物やある事態の一曲面を切り取って物語的に編纂したものであり、それ自体は史実でも
事実でもありません(史実や事実を元にしたものはあります。)
ただそこからは、その逸話の産まれた時代に、人々がその人物や事態をどの様に解釈し受け入れていたか、という事が
見えてきます。
人が社会的動物である以上、人についての評価とは、その人物の内面性ではなく、社会にどう写ったか、という事に成ってしまいます。
逸話とはそういった社会評価を物語的な形で現したものであり、それもまた、人間の社会における、個人、事態の「歴史」で
あると言えます。
「逸話」は大抵は、その人物の死後、事態が過去に成ってから語られるものです。逸話を読む時、その人物や事態がどのように
社会に咀嚼され「歴史化」されたのか。逸話はそんな視点で見ることで、より豊かに楽しめると思うのです。
「史実か否か」というような単純な価値判断をしてしまうと、きっとそこからいろいろなものがこぼれ落ちてしまいます。
そんな事を昨今は思っている、管理人でした。
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週間ブログ拍手ランキング【10/25~/31】

2018年10月31日 19:02

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『山城に行こう!2018~森長可の東美濃統一~』のお知らせ! 13

名高き兜を敵に取られては如何なものか 11
前田利長と七人の鋳物師 11

古老どもも古者だから捨てたか! 9
内藤昌豊の討死 9
あれこそ山県である 9
私は今日までデウスに対し不平を述べたことはなかった 9

故に大将に手を負わせたのだ 8
私は武田家の古老、馬場美濃なるぞ 7
彼女は獰猛な牝ライオンのように 7
同じ忠次でも 7

奇特なる志の留守意 6
「流石に猛将かな」 5
織田信長を模倣する 4


今週の1位はこちら!『山城に行こう!2018~森長可の東美濃統一~』のお知らせ!です!
今月で、このまとめも十週年と成りましたが、そんな十年目に鬼武蔵も地元の歴史イベントの看板になるほどに成ったのだなと、
聊かしみじみしてしまいました。地元に愛される鬼武蔵!こんな日が来るなんてw
いつかこの記事が実現することも!
森長可について。そして大河ドラマ「鬼武蔵」・雑談
まああの、痛快なほど殺伐とした鬼武蔵像が浸透したわけではないのでしょうが、こういうイベントの中で「織田家の猛将」が
市民権を得てくと、なんだか嬉しいです。
それにしても実に興味深いイベントですね!行ってみたいなあ(;´Д`)

2位はこちら!名高き兜を敵に取られては如何なものかです!
敗戦の時、主君に変わり命を捨ててその逃亡を助ける。大きな合戦にはそういう役割の武士が表れますね。
有名所では三方ヶ原での夏目吉信などがいます。ここでの笠井高利、もし武田が滅びなければ、夏目のように
その家中で長く重く讃えられたのでしょう。家の興亡というものからは、忠義の意味もいろいろと考えさせられます。
そして秘蔵の冑すら捨てて逃げたという所からは、長篠敗戦後の勝頼の逃亡がどれほど過酷であったかを感じさせてくれます。
勝頼はそれでも、この敗戦から一旦盛り返しているのですよね。そこだけでもなまなかな人物ではないですね。
甫庵太閤記で秀吉が、信長が勝頼を殺したことを批判する内容があったりしますが、あの本が成立した時代、
そういう評価が存在したのだろうな、たどということも感じました。

今週2位はもう一つ!前田利長と七人の鋳物師です!
加賀、能登、越中はどこも、その地の産業に何かしらの前田伝説がある「前田王国」である、という話はよく聞きます。また事実、
それらは前田家の統治の中で育てられたものだったのでしょう。高岡の鋳物も、そういった産業なのでしょうが、「仏具の需要」
という言葉を見ると、どうも「越中一向一揆」を連想してしまいます。高岡と言えば、有名な高岡大仏も、高岡銅器職人の
技術の高さを伝えるものですが、あの大仏も阿弥陀如来である所に(「一向一揆」と直接に関わるわけではありませんが)、
そちらのつながりも感じちゃいますね。さすが真宗王国、でもあります。
越中の長い歴史を感じさせる、そんなお話だとも思いました。


今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
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週間ブログ拍手ランキング【10/18~/24】

2018年10月24日 18:12

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幼児に聞かせる物語でも心得があるべきだ 17

三人は因幡守家の従縁です 16

もし斥候の者が討たれると、 13
順慶の小姓 12

滝川辰政の履歴 9
この利勝である 8
多田新蔵のこと(改正三河後風土記ver) 7

【雑談】そいえば、秀秋は 6
宣教師も燻される 6
長久手古戦場と白骨 6

この中でも信友は、 4
下瀬九太夫と茨木兵太 4


今週の1位はこちら!幼児に聞かせる物語でも心得があるべきだです!
一休さんはねえ、厄介な人なんですよw
ここに出ているのは一休頓智話の一種であり、事実かどうかは何とも言えませんが、あの人、このくらいの事は平気で
やっちゃう人だよな、という印象を持っています。
あの露悪趣味、気に入らない者への容赦ない批判、そのくせ自分の「出自」を露骨に利用し、保身には鋤がない。
そらま直接に関わりのない人にとっては人気も出るなと思います。無責任に見ている分には、面白いですもんw
しかし「関わらざるを得なく成った人」には厄介としか言いようがありません。
あれが「禅」というものなのか、あれも「禅」というべきなのか。
このお話も子供への語り方を示しつつ、一休さんの厄介さを垣間見せている、そんなお話だと思いました。

2位はこちら!三人は因幡守家の従縁ですです!
新聞記事の方は正直、う~んという(;´Д`)、「自分は新聞と同じ速度で古文書を読める」というのを自慢したかっただけではないか
という気持ちも(僕はそんな事できないのでやっかみですがw)
内容自体は新発見でも何でも無いし俗説もいいところですので。ここから話をふくらませるなら、この方向は筋が悪いと思います。
その意味で投稿者の書かれた先代実録のお話は、話のふくらませ方から言っても考察のやりがいから言っても、
非常に良いものだと感じました。ここから、信長兄弟の複雑な関係性、尾張の非常にややこしく入り組んだ、地域勢力と
織田家との関係などにも興味が至りますね。そんな、良いお話だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!【雑談】そいえば、秀秋はです!
小早川秀秋は元服後の羽柴秀俊と名乗っていた一時期、事実上秀吉の後継者とされていたらしいのです。
天正16年(1588)4月、後陽成天皇の聚楽第行幸で、織田信雄、豊臣秀長、徳川家康、豊臣秀次、宇喜多秀家、前田利家という
6名の大名が連署した忠誠を誓う起請文の宛所は、金吾殿(秀秋)でした。
それがまあいろいろ有って気がついたら後継者の枠から外され、自身の全く関与しない形で変に秀吉から目をつけられ、
九州やら北陸やらと、地方を転々とする羽目になり、彼が客観的にも「酒でも飲まないとやってられない」状況に居たことは
確かなのでしょう。
強大な秀吉の権力というものに最後まで振り回され続けた豊臣の公達。彼にはどうしても、そんな印象を持ってしまいます。



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週間ブログ拍手ランキング【10/11~/17】

2018年10月17日 17:16

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少々不出来なことが有っても、手初めをすれば 16

滝川今の一言天晴な盟主 15

相合元綱謀殺 14
神流川の戦い一日目 12

何條八幡の神体可成 11
鈴張 11
後北条氏の家宝「酒伝童子絵巻」 11
成瀬正成、名誉の挨拶 11

広良身に代えても申し助け候べし 9
池田輝政の肖像画、モデルは木像 9
神流川の戦い二日目 9

神流川の戦い、戦後 7
名馬を2頭も貰った滝川さん 7

日本語についての報告 6
世にその勇を称して“鬼勝蔵”という 6
日本人は他の諸国民と、想像の出来ないくらい違っている 6

信長が少女を斬り捨てたのは驚くに足らぬこと 5
穴山梅雪の計略 5
【雑談】最近になって真田信勝という人について知ったのだけど、 2


今週の一位はこちら!少々不出来なことが有っても、手初めをすればです!
多少出来は悪くても雑でも、最初に成した者は評価される。そして一度何かがなされてしまえば、以降はその内容や質が
問われるので評価されにくく成る。現代でもそういう事はよくありますが、この頃からそういう発想があったのですね。
これは島原の乱のお話ですが、古き巧者の話していることですから、きっとずっと前からそうなのでしょう。
人間、結局はそう変わらないものだな、なんて気持ちになります。
戦国時代の逸話に現代性が有るとすれば、人間自身はたいして変わること無く今に至っている。そういう事かなあと思ったりもします。

二位はこちら!滝川今の一言天晴な盟主です!
実は東国における滝川一益の逸話って、みんなかなり立派なのですよね。彼が結果的に敗北したこととは別に、その人格には
東国の人々が敬意を払う何かがあったのでしょう。そういえばこの時、滝川陣営に若き日の前田慶次もいるはずですね。
一益はこの敗北のあとは、復活する足がかりをついに得られず、大名の地位から転落してしまいます。
また一旦は秀吉と敵対しながら、小牧長久手では秀吉に従った挙げ句に家康に敗北してしまいますから、後年の印象も
あまり良くないと言っていいかも知れません。しかし彼の選択には、彼なりの筋は通していたのだろう。そんな気はするのです。
このお話からふと、そんな事を考えました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!何條八幡の神体可成です!
非常に鬼武蔵らしいお話ですね。逸話の中で触れていましたが、織田信長も桶狭間の時、熱田神宮に参拝して銭を十何枚か
投げて「全部表だった!これは勝てる!」なんてやっていますね(実際には全て表面に加工した銭を使った)。
「そうやって兵の気持ちを乗らせるのも大将の仕事」という事なのでしょうが、鬼武蔵はそんな事一顧だにせず、せっかくの
神主の好意を引き裂いちゃいました。こういう所で「勇将だけど良将ではない」と言われてしまうのですが、きっと僕たちにとって
鬼武蔵の魅力が、こういう面であることも確かだと思います。

十週年の日の更新に鬼武蔵の逸話があったのも、何かしら不思議なめぐり合わせを感じました。



そんなわけで十周年も過ぎ、今週も、それぞれの逸話にたくさんの拍手を頂きました。いつもありがとうございます!
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週間ブログ拍手ランキング【10/04~/10】

2018年10月10日 19:24

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うちの実家に伝わる本当かどうか微妙な話 11

光秀のもとに、このような天晴の武士が 11

妖刀”あざ丸” 10
陣頭武者 10
仙石は四国を指して逃げにけり 10
清州会議 9

信長四国征伐の事情 8
名胡桃城について、北条氏直の言い分 8
日本国に大いなるうつけたる者三人あり 8
池田恒興、信輝改名説の出所 8

『お静の涙雨』(またはお静の血の涙) 7
何の用にも立たざる氏真へ、くれられ候程用なくば、 6
山伏、悪魔と語る不可思議の行為 5


今週の1位はこちら!うちの実家に伝わる本当かどうか微妙な話です!
安芸武田家の存在のためか、毛利方面には甲斐武田家との繋がりを表す話が結構あります。
山県昌景はもともと大内の家臣の子弟だったとか、山本勘助も讃岐出身の大内の家臣で、三河出身と言われたのは讃州と三州を間違えたためだ、とか。
山口と武田家のあの人
大内氏の家臣、山県重秋の次男
実際、甲斐武田、若狭武田、安芸武田の間には武田ネットワークというようなものがあり、緩やかながら繋がりを保っていたとか。
そのあたり、鎌倉以来の守護、大族のありかたが、戦国期にも未だぎりぎり生きていたのだなと感じます。宇都宮氏なんかも、
関東と九州の間でもそういうつながりを保っていましたね
この場合、さすが武田家は名門、と言うべきなのでしょう。
このお話がどういった過程で成立したか、色々な考察や想像ができると思います。ご先祖が武田家の誰に当たるのか、
という所から調べ考察していくと、大変面白いものが見つけられる気もします!

今週は同票でもう一つ!光秀のもとに、このような天晴の武士がです!
大雑把に言えば「同じ謀反人でも松永久秀とは雲泥の差だな!」という事なのですがw逆にここは、何故に松永久秀の
自刃はこんなに評判が悪かったのかを考えてみたいですね。そもそもに久秀は(大仏焼き討ちやら三好家、将軍家との関わりやらで)それが事実かどうかはともかく、とかく評判が悪かったのは確かなようですが、この「、死ぬ前に「蜘蛛を破壊した」というのも、
その評判の悪さを更に加速させたのかも知れません。なにせ自他ともに認める天下の名物、第一級の美術品、なのですからね。
そういうモノは個人ではなく公共の財産であり、後世まで残し伝えるべき、と考えられたのでしょう。そこをあえて自身とともに
滅ぼしたのが、松永久秀の「梟雄伝説」のラストを飾る出来事として素晴らしい、ともいえます。
まとまったようなまとまらなかったような話ですが、少なくとも明智光秀本人やその類縁は、久秀のような梟雄性を
世の中に(あまり)感じさせなかった。そんなふうに考えることもできる気がします。

今週管理人が気になった逸話はこちら!清州会議です!
何故気になったかと言えば、管理人が今丁度これを読んでいるからですw

シリーズ・実像に迫る017 『清須会議 秀吉天下取りへの調略戦』
https://www.ebisukosyo.co.jp/item/507/


非常に良い本だと思うので、皆さんも是非読みましょう!

後同じ出版社より、これも大変おすすめ!

マンガで読む 新研究 織田信長
https://www.ebisukosyo.co.jp/item/510/


近年著しい信長研究ですが、その結果、現時点で最新の織田信長像というものがどういうものかを、この作品は実によく表しています。
また足利義昭像にも新しい視点を加えており、そこもまた非常に面白く読めると思います。
この織田信長像を、素直に納得するか、違和感を持つかは人それぞれかも知れません。しかしその内容一つ一つに根拠があり、
「読んだほうがいい」本なのは確かだと思います。僕はおすすめします!



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
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週間ブログ拍手ランキング【09/27~10/03】

2018年10月03日 22:33

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三雲実乃の婿 29

忠興の母 麝香 15

毛利輝元「これも私の分の悪さです」 11

「伴内が困っておる」 9
無事に帰陣して…… 9
勝頼は飢え疲れておられ 9
督姫、母の供養のために宗旨替えをする 9
「心得たる者もあるものかな」 9

一方の大将たらん者は、 8
左馬助の馬 8
【雑談】関ヶ原の毛利家のことなど 8
松永「だから言ったのに…」 8


今週の一位はこちら!三雲実乃の婿です!
いやあこのお話、本当に面白いですね。内容だけでも非常に興味深いですが、さらにこの伝承が形成されるに至る過程を、
様々に想像させてくれます。これを御子孫が投稿されたことも含め、「いい悪いスレならでは」と感じます。
ここで築城技術者として武田牢人が出てくることについて、同じ近江出身の大名である蒲生氏郷が、会津若松城建設で、
真田昌幸と共に『信玄の両眼』と呼ばれた曽根昌世が縄張りをしたこと、また近世近江を領したのが武田遺臣を組織した
井伊家だったこと、などがとっさに連想されます。そういう部分も含め、様々な想像もさせてくれるお話だと思いました。

二位はこちら!忠興の母 麝香です!
何というか、忠興の母だなあと感じちゃいますね。特にガラシア死後、キリシタンに融和的になる辺り、同じです。そっくりです。
忠興は後年、鏡で自分を見て「幽斎そっくりやんか!」と驚いた、なんて話が残っており、容姿は父親似だったようですが、
せいかくは母親似だったのでは、なんて、このお話を見て感じちゃいました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!督姫、母の供養のために宗旨替えをするです!
このお話と直接関係有るのか、何とも言えませんが、中世では武士は、複数の宗旨に帰依しているのが普通だった
らしいのです。平均して二つから三つの寺院、宗門を信仰し、(武士なら禅宗+他の宗門、のパターンが多かったようで)
むしろ一つの宗旨に拘ることの方が珍しかったとか。だからこそ一つの信仰に拘る人々に、「一向宗」なんて独自の名前を
わざわざ作ったのでしょう。
これは近世初期のお話ですが、まだまだ中世的な信仰の考え方も残っており、家康臨終の時の藤堂高虎の逸話も含めて、
こういう話が出たのではないかなあ、なんて思ったりしました。



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます。

そしてもう10月ですね。実はこのいい悪いまとめ、最初の記事の投稿日が、2008年10月15日。
そう、今月15日で10年目になります。うわー、10年か。管理人としても様々な思いがよぎります。
まあ余り特別なことをしても仕方がないので、できるだけ淡々と10年目を迎えたいと思います。
最初の逸話、織田信長の、おそらくは天王寺の戦いのお話でしたね。
そこから記事数も、これを入れると11526となりました。
なんだかとても不思議です。

これからもどうぞ宜しくおねがいします。
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週間ブログ拍手ランキング【09/20~/26】

2018年09月26日 17:43

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鵜殿氏の菩提寺・長應寺と絵曼荼羅 11

坂井政尚の討死 10

茶の湯の歴史について 9
織田信長公は信を堅く守る人物であった。しかしそれ故に 8
鳥居強右衛門勝商顕彰碑 8

敵は皆腰印を捨てたるぞ! 7
10本の矢 6
斎藤内蔵助利三という光秀股肱の者で候 6

「筑前、早くも天下を併呑する気象あらわれたり」 5
明智光秀の最期 4
伊勢貞興、諏訪盛直の討死 4


今週の1位はこちら!鵜殿氏の菩提寺・長應寺と絵曼荼羅です!
寺に歴史あり。それにしても実に波乱万丈ですね。戦国と明治、この二つの時期に大きな変動が起こっている事に、つくづく
この時期が非常な動乱期だったことを伝えてくれていると思います。故地のから江戸へ、そして今は北海道幌延へ。
波乱万丈と言えば、ここに出てくる西郡局が生んだ娘が、あの督姫ですね。北条氏直に嫁ぎ秀吉の小田原征伐のために
離縁し、後に池田輝政と再婚しました。そんな動乱の時代が少しでも静まってほしい。この長應寺にはそんな思いも、
きっと籠められていると思います。

2位はこちら!坂井政尚の討死です!
坂井政尚といえば信長上洛の時の四大将の一人であり、織田家中において非常に重要な人物の一人でありました。
四大将とは柴田勝家、蜂屋頼隆、森可成、坂井政尚ですが、この内二人は信長在世中に討死、柴田勝家も賤ヶ岳の敗北で
切腹し、畳の上で死んだのは蜂屋頼隆だけでした(そんな彼も子がなく家は断絶)。
織田政権はその中途で崩壊したためもありますが、「初期の功労者」たちの顛末の虚しさには、色々と考えさせるものが
あります。

今週管理人が気になった逸話はこちら!織田信長公は信を堅く守る人物であった。しかしそれ故にです
このお話、割と真を突いているというか、昨今の研究では、織田信長という人は「かなり真面目」であったと認識されています。
この場合の「真面目さ」というのは、自分の役割をしっかり認識すること。そしてその責務を果たすことを自覚している、
というようなことを言います。信長はこれを自分だけでなく他者にも求め、将軍にその自覚がなければ将軍に、天皇が
自覚を欠いていると思えば天皇にきっちり諫言します。で、その自覚がないと思った人には容赦がありません。
将軍義昭は勿論、安土城で信長の留守中に遊びに行った女房衆たちを皆殺しにした、なんて事になります。
そういう生真面目さが織田軍の統率を保っていた、のもたしかでしょうが、逆に生真面目さ故の厄介さも、おそらく
当時の人たちも感じていたのでしょう。
そんな事も考えさせてくれた逸話でした。



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
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週間ブログ拍手ランキング【09/03~/19】

2018年09月19日 18:15

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北条一門の歌 11

信長は彼が陪臣であるにもかかわらず 11

今の深志、山より高く海よりも深い 11

汝の不明は私の不明 9
菅小左衛門、島津家臣に報復した咎により切腹する 9

堀と堀尾は難なく山を 7
今川の ながれの末も絶えはてて 7
光秀天罰逃れ難く 6
【雑談】それにしても上杉景勝って 6

この儀、別の仔細に非ず 5
この傲慢で残忍な国民に 5
任官之事 4
南坊が最初に総門を固めたのは 4
勝敗は互いに天運に任せ候 4


今週の1位はこちら!北条一門の歌です!
黒田基樹先生の『戦国北条家一族辞典』によると、この「喜連川文書」で系譜的地位が不明とされていたのは「氏親」「氏能」「氏冬」
そして「範以」でした
そのうち「氏親」は「大宅高橋家過去帳」にて、16歳でなく成った氏康嫡男として存在が確認され、「氏能」「氏冬」は、
一方が上杉謙信養子となったいわゆる「上杉景虎」、および北条宗哲長男三郎(宝泉寺殿)ではないかと比定されています。
また「範以」は今川氏真嫡男の今川範以と考えられています。
これは一度にこれが詠まれた、というより、足利義氏の時代に詠まれたものを後世編纂した、というもののようですね。
長く研究者を悩ませてきた記録でしたが、ようやく全体が見えてきた史料、とも言えそうです。

同票でもう一つ!信長は彼が陪臣であるにもかかわらずです!
陪臣も評価する、というのは戦国武将には割とつきものの「美談」で、この類だと榊原康政なんかも有名ですね。
ただこの人は信長によっては結局直臣に引き上げられること無く(こういう所、信長は律儀です)、彼が独立した存在となるのは
秀吉の時代に丹羽家が減知転封された後、秀吉によってですね。丹羽家の後に北ノ庄へ入った堀家の与力大名となります。
秀吉の目から見ても、彼が北陸方面の統治に必要な、非常に優秀な人材で有ったことが明らかに見えたのでしょう。
やがて溝口秀勝は越後新発田6万石を与えられ、溝口家新発田藩は明治まで存続します。
非常に実直な印象を持つ武将の家が、非常に実直に大名家としての生涯を全うした。そんな印象も受けますね。

そして更にもう一つ!今の深志、山より高く海よりも深いです!
追放された佐久間信盛父子を訪ね来た山岡景友・平井安斎のお話ですが、この山岡景友、非常に不思議な人物です。
なにせ彼は「足利義昭の寵臣」であったとされ、義昭蜂起の際は彼に従って信長と戦っています。義昭が追放されると
信長に従い佐久間信盛の与力となります。また小牧長久手では織田信雄に付いていたものの戦後秀吉の家臣に。
そして秀吉死後は藤堂高虎の邸宅に居候(!)し、家康のための情報収集に当たった模様です。さらに関ヶ原後、
その功績により家康から、伏見城で討ち死にした甲賀の士の子孫を組織した「甲賀組」を付けられます。いわば
「忍者の頭領」ですね。現在でも彼について様々に語られることがあります。
そういう人が訪ねてきたことを、色々と深読みするのも、歴史のおもしろさかな、なんて思います。


今週もたくさんの拍手を、各逸話にただ来ました。いつもありがとうございます!
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そして記事のエントリ数も、昨日11500となりました。
これも本当に、逸話を投稿される本スレの皆様をはじめとして、ブログを見に来て頂いている皆様、
ここに関わる全ての皆様のおかげだと思っています。心から感謝いたします。有難うございます。
来月にはここも10周年となります。こんなに続いていたのですね。我ながらびっくりです。
どうぞこれからも、よろしくお願いいたします。

まとめ管理人・拝

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週間ブログ拍手ランキング【09/06~/12】

2018年09月12日 22:04

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家康に関連する苗字ネタ2発 16

大関氏の城、那須氏の城 16

腹も背も切るる計に笑ひつつ、息しもあへず臥轉び給ひけり 14
【ネタ】『しげしげ』 12

二俣城請取 11
「曲淵討たすな!」 10

この私が継いだことは冥利の程にも恐ろしい 8
”みつめの法” 8
誠に愁嘆止む時無く 8
『運は天に在り、生死は定まる』 8

駿河なる 富士の山にて 甲斐喰ひて 7
直孝12歳のときに、 7
一生の期はここにあり 7
忠次がいわれざる無礼を振舞ったせいで 6


今週の1位はこちら!家康に関連する苗字ネタ2発です!
「勘解由」姓と「昼間」姓、勘解由は百官名として名前では割とよく見ます(黒田孝高もそうですね)が、名字になっていたのですね。
しかも家康は名前としてつけたのに姓にw
これはまあ、江戸期に「権現様由来」が非常に価値が有ったことから来たものなのでしょうが、この他にこういった、
名前として付けられて姓となった、という由来の有る名字にどんな物があるのか、気になります。
また姓に転嫁した経緯も知りたくなりますね。
「昼間」は割とある名字、という印象があるのですが、ここにも権現様由来があったとは。ただ、個人的感想ですか
こっちは後世のこじつけかな、という印象を受けます(井伊系昼間氏はともかく)。
名字・名前も含めた「権現様由来の研究」誰かやらないかなあw

今週は同票でもう一つ!大関氏の城、那須氏の城です!
色々と解釈される那須家と大関家の関係ですが、端的に言えば戦国期によくあった「下剋上」の形がたまたま、世の中の秩序の
回復期である戦国最末期に顕れたために悪目立ちした、という面もあったのでしょう。細川京兆家と三好家、
斯波武衛家(あるいは織田守護代家)と織田弾正家、なんてのも結局はこの形ですしね。
それにしても「居城の規模の大きさ」がダイレクトにその権勢の規模を顕している、というのはいかにも戦国的で、
その到達点である徳川江戸城が、規模として安土や豊臣大阪城どころか、北京の紫禁城をも凌ぐ世界最大の
城郭となったのも、そういう意識の上であったのかな、なんて考えたりもしました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!腹も背も切るる計に笑ひつつ、息しもあへず臥轉び給ひけりです!
信長公大爆笑というお話ですが、逸話を見ると信長という人は、今の世間的なイメージと違い、かなりよく笑いますね。
それも変な所にツボがあるw
彼の一面として「魔王的」な残酷さ、冷酷さがあったのは確かでしょう。しかしそれはそれとして、ユーモアがあり
よく笑い接しやすい、そういう一面も確実にあったという印象を、少なくとも後世でも割と近い時代の人々は
持っていた、だからこそこのような話も残された。そんなふうに思います。
それにしても何でこんな変な遊びを思いついたのか、そこも気になるお話でもありますねw


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週間ブログ拍手ランキング【08/30~09/05】

2018年09月05日 21:57

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武器がなくてもどうということのない伊東七蔵さん 15

汚れなく弓馬を取って 12

淡路守の倅 11
本圀寺襲撃と入札 11
建部政長、父の所領等を安堵される 8

松平御一族御礼次第 7
【雑談】「甲陽軍鑑」などの史料について 7
「ああ天なるかな!」 7
この家には銀の兜をつけた侍が 7
ニュース【ミス・ワールド日本代表に伊達政宗直系21代目の伊達佳内子さん】 7
かの大軍に気を呑まれてその指図に従われる 7

幾程命伸びた所で 6


今週の1位はこちら!武器がなくてもどうということのない伊東七蔵さんです!
さすが伊東七蔵さん。刀脇差を落としてもまるで動揺しない堂に入りっぷり。むしろ最初から武器を持たないほうが
強いのではなかろうか、なんて思っちゃいますね。
こういうものも、きっと戦国の世が生んだ一種の異能なのでしょう。戦場というものに特化した才能ですね。
あの時代にはこういう「才能」の持ち主がその大小にかかわらず多く居たのでしょう。しかしこのような才能を
集めた結果として、彼らの存在理由ともいえる「戦場」がどんどん無くなっていく。
戦国の勇者とは、そんな矛盾を抱えた存在なのだなと、そんな事をふと思いました。

2位はこちら!汚れなく弓馬を取ってです!
信玄が言うから胡散臭いのか、もしくは信玄が言うからこそ説得力が有るのか、言っていることは大変高邁ですが、
いろいろ裏読みをしたくなる内容ですねw
とにかく武田というのは、彼らの侵略にさらされた地域では「鬼か悪魔か」というような印象を持たれています。
信長も家康も氏康も氏真も謙信も、信玄を鬼畜と呼ぶことにためらいがありませんw
しかし信玄自身の自己認識がこれだった、という可能性はあります。甲陽軍鑑なんて読むと武田家自体は
「われこそ正義」の意識が有ったことがわかります。
自己認識と他社認識の差とはこういうものか、なんてことも思ったりした逸話ですねw

今週管理人が気になった逸話はこちら!本圀寺襲撃と入札です!
これも色々な捉え方のできる逸話だと思いますが。個人的にはこの、緊急時に指揮官を決めるため投票を行う、
という行為が当時、あるいはこの逸話の書かれた時代に一般的だったのか、という所ですね。
実は日本では、入れ札で何かを決めるという行為は割と古くから行われており、江戸時代末期には、ほぼ全国の村落で、
村の代表は「入れ札」で決められていたと言われます。
もちろん現代的な、民主的な投票とはまた別のものですし、投票権も「家」単位でしたから、いわゆる「民意」とも
別のものでしょう。
ただそいういった決定システムが、当時、軍事の領域でも行われていたのか、非常に興味深いと思いました。


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週間ブログ拍手ランキング【08/23~/29】

2018年08月29日 18:56

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信長公、検校からの罰金で 17
右府信長公は末世において稀なる大将 17

今度は遊びに飽きてまた浜松に帰ってきた 16
大坂冬の陣で家康から感状を得た横河次太夫重陳の話 14

信繁も一騎で勝負 10
朽木は節義も一時の所縁も忘れて 9

曲淵城主と○○ 8
真実無妄の誠を以って 6
とかく高坂のことを讒言し妨げたので 5


今週の1位はこちら!信長公、検校からの罰金でです!
盲人組織において検校が配下の座頭から上納金を得るシステムを、「利権」として悪用した事に、織田信長が処断したお話。
中世は言うまでもなく「自力救済」の世界なのですが、一方で基本的には「弱い存在」と見られがちな盲人たちは集団を
形成することで、社会的に無視できない力を持っていました。盲人に武士が暴力を奮ったとこそ、その主君の城が盲人に
取り囲まれた、なんて話もあります。逆に言えばそれだけの力を持っているだけに、内部で恣意的なルールのねじまげを
してしまうと、その内外に様々な悪影響を与えるものでも有ったのでしょう。
それにしても罰金で宇治橋が建設できるとは。ここからも彼らに巨大な財力が存在した(と考えられていた)事がよくわかります。
いろいろな角度から読むことの出来る逸話だと思いました。

今週は同票でもう一つ!右府信長公は末世において稀なる大将です!
古を尊ぶ織田信長。最近でこそ「保守的」な信長像が受け入れられるようになりましたが、ほんの10年ほど前までは
この手の逸話も「後世の儒教倫理に合わせて創作されたもので云々」と、ほぼ無視されていたものでした。
本当に専門書でも、信長について「革新的天才」であることを前提に書かれてたりしましたからね。
そこから考えると隔世の感があります。
この逸話から、そんな事を思ったりしました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!信繁も一騎で勝負です!
何故そこでごまかすのか謙信公w
第4次川中島を描いた軍記では、謙信との一騎打ちが名場面としてよく出てきますが、ここで信繁が謙信と戦っているのが
非常に面白いですね。これは、このお話の中で武田信繁を非常に高く評価している、という事でしょう。
だからこそ一方の主人公である、謙信と一騎打ちで討たれているわけです。信繁にそれだけの「格」があると、
この著者は考えていたのでしょう。
軍記を読む時、そのように「著者・編者の意図」を考えてみるのもまた、面白いと思いますよ!


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週間ブログ拍手ランキング【08/16~/22】

2018年08月22日 19:23

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謙信は唯鬼神にて候 12

織田信忠三位中将任官 10
「虎の尾を履む。人を咥らう。凶。武人大君と成る」 10

家康の米蔵 9
てんかとりしつめ候 9

貧乏の時によく仏神の心に叶う 8
流石増田の子だ 8
為景は歌人でもあり 6

各々数年心身を苦しめ、勲功を積んできた故に 5
このような名君が表れたのは天下の悦び 5
仙石秀久讃岐入部時の弾圧とそれによって生まれた神社 4
真田幸隆、危機一髪 3


今週の1位はこちら!謙信は唯鬼神にて候です!
いわゆる第4次川中島での謙信と信玄の一騎打ち。この二人が刃を合わせたかどうかはともかく、謙信が実際に
自身で切り込んだことは、近衛前久の書状などにも出てくる事ですね。大将として相応しい行為かどうかはともかく、
なるほど軍神と呼ばれるわけだと思いますw
上杉謙信という人は非常に恐ろしい印象を持たれるタイプの人だったようで、関東に攻め込んだ時も、名だたる坂東武者たちが
「あんな怖い大将は居ない」と慄いていますね。そういう印象も、このような戦場での勇猛さに由来するのでしょう。
しかし謙信は戦国大名として見ると、その生涯の主敵であった武田信玄や北条には結果的には押され、信濃、上野に置いて
労多くして功少ない状況に至るわけで、大将個人の武勇やカリスマの限界のようなものも感じます。
そんな事をふと思ったりもした逸話でした。

2位はこちら!織田信忠三位中将任官です!
織田信忠が天正5年(1577)に従三位左近衛少将に任官した時のお話。
この逸話では「松永久秀討伐」がその理由と成っていますね。逆に言えば、松永久秀を滅ぼすというのはそれほどの
価値の有ることであると畿内において認識されていた、ということでも有るかと思います。
それにしても実に筋の通った、絵に描いたような任官の受け入れ方ですね。父信長の許可をなにより重視するところなど、
ここだけでも立派な後継ぎであったことが伺えます。
しかしもしかすると、こういう何よりも父を重視する姿勢が本能寺で自身だけで逃げることが出来なかった、という
姿勢に繋がるのかもしれません。
その事も連想させた逸話でした。

今週は同票でもう一つ!「虎の尾を履む。人を咥らう。凶。武人大君と成る」です!
この北越太平記は江戸後期ころの成立であるようですが、その頃にはもうこのように、ストレートに「毘沙門天の生まれ変わり」
と謙信は認識されていたのですね。それにしても本卦が凶故に「武人大君と成る」とは。占いは難しいw
上杉謙信もその生前から徐々に神格化されていった人ですが、後世にかけての神格化の過程を調べていくのも面白そうですね。
そういう研究、どこかにないかなあw


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週間ブログ拍手ランキング【08/09~/15】

2018年08月15日 11:15

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私が道悪しき場所で馬より降りるのは 13

律儀なる佐竹義宣 10

今世武道に正しき将なし 9
ああ、将軍家が他界されれば三好が時を得て 8
東照大権現、明暦の大火を警告する 7

忍び難く、哀なること 6
香西元盛謀殺事件 6
我が去年攻め残したる城なれば 6

これより攻め滅ぼさせていただく 5
新居の物件探しをしてたら 5
まこと山鷹野のいうものには 4
今の武将(将軍)は有名無実なり。 4


今週の1位はこちら!私が道悪しき場所で馬より降りるのはです!
有名なお話ですが、家康という人は合理主義者なんだなと感じさせてくれますね。
大坪流一伝なんて割と大げさな感じに表現していますが、馬術の流儀も結局は、基礎的な技能をベースにして、
後はシンプルに状況・目的毎に「すべきこと」「すべきではないこと」を蓄積した物だといっていいでしょう。
家康の強さの一つは、自分の見栄えを気にせずそういう部分が忠実に出来た、という所かもしれません。
こういうの、言うは易しですがなかなか難しいのですよね。人間技術を持っていると、やっぱりそれを見せびらかしたいし
格好をつけたいものです。それをしないというのも人としては一種の異能なのではないかな、なんて思ったりします。

2位はこちら!律儀なる佐竹義宣です!
律儀すぎて(?)結果的に関ヶ原後転封となった佐竹義宣。「大名佐竹家」というレベルで考えると家中統制がここでほぼ
成ったわけで転封されたのは返ってよかったのでは、なんて考えることもありますがw(無論強制された転封により多くの
摩擦や悲劇が発生した事は理解した上で)、関ヶ原で佐竹が「中立」となったのも、佐竹の複雑な中世的体制が関わっており、
かつて大名権力確立のため滅ぼした「南方三十三館」など国衆の残存勢力が国内各地に残っていて、関ヶ原の時に
佐竹が仮に旗幟鮮明にすれば、滅亡国衆勢力が佐竹の敵方と結びつき蜂起する可能性があって動けなかった、などとも
言われます。
もしかすると佐竹義宣が動けなかったことを家康が「律儀ゆえ」と評価したのは、佐竹の当時の政治情勢を知っていた上での
有る種の優しさであったかもしれません。

今週管理人が気になった逸話はこちら!これより攻め滅ぼさせていただくです!
昨今、大阪の陣は徳川家康が対豊臣融和派で、徳川秀忠が強硬派であった、なんて言われたりします。
「娘婿」秀頼を(おそらくその関係で有るがゆえに断固として)滅ぼそうとする秀忠を、なんとか宥めて和平に持っていきたい
家康、という構図が語られたりします。
この逸話については、その大阪の陣の時の印象が関ヶ原に転嫁したのではないか、という印象を持ちます。
「駿河土産」の成立は1720年頃と言われますが、その頃にも、対豊臣で非常に強硬な秀忠の印象が残っており、
彼ならば関ヶ原でもこう行動しただろう、と考えられたのではないでしょうか。
そんな事を感じた逸話でした。


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週間ブログ拍手ランキング【08/02~/08】

2018年08月08日 16:58

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剣豪公方は義輝だけではないのだぞ 17

己は正しく主君の敵である 14

細川澄之の敗北と切腹 10
伊達ノ士濱田治部ノ忠勇 10

薬師寺騒動 9
森忠政、川中島四郡のかわやに牢屋番などを命じる 8
布橋由来 8

新九郎は大いに喜んだ。 7
政元養子の事 6


今週の1位はこちら!剣豪公方は義輝だけではないのだぞです!
「流れ公方」「唯一の復位した将軍」「3回も改名されてややこしいことこの上ない」等、ただでさえ複雑な室町時代を
一層複雑にした人としても有名(?)な足利義稙のお話ですが、これ、内容は諸説あるものの「史実」なんですね。
さすが、波乱万丈の人生を送る人の多い足利将軍の中でも特に波乱万丈な人らしく、そのスペックも高かったのですね。
この足利義稙に関しては、山田康弘先生が書籍を出されています。大変面白い内容で、興味を持った方は是非ご一読
してみてはいかがでしょうか

中世武士選書33 足利義稙ー戦国に生きた不屈の大将軍
https://www.ebisukosyo.co.jp/item/250/


2位はこちら!己は正しく主君の敵であるです!
その影響の大きさに比して、あまり語られることの少ない(せいぜい風呂場で殺された程度)の細川政元暗殺(細川殿の変)
ですが、このような敵討ち譚があったのですね。
しかし殺したのが右筆で敵を討ったのが小姓と、双方政元に身近な人間だというのも、この事件の陰惨な印象を増して
しまいますね。
ここから「永正の錯乱」→「両細川の乱」となり、畿内は本格的な戦国乱世へと移行するわけですが(そこで上記の
足利義稙も様々に活躍するわけですが)、本当にたいへんややこしく、このあたりを詳しく解説した本は出ないものかと、
常々期待していますw

今週管理人が気になった逸話はこちら!森忠政、川中島四郡のかわやに牢屋番などを命じるです!
森忠政治世下の川中島で、革の加工業者に牢屋番などが申し付けられたお話です。城の掃除も申し付けられおり、
対価がその地域の農家一戸につき糠や稲一束出るといっても、ちょっと過重なんじゃないかなと思ってしまいますが、
多分これ、生業である革加工をその地域で独占させることの見返りでもあるのでしょう。
前近代は一見大変な職業には、それに見合うだけの「役得」を付けることが一般的ですね。そうやってバランスをとって
いたのでしょう。たしか「殿様のお米を研ぐ役」には、お米を研いだ時こぼした米を持って帰っていい役得があったとかw
現在的な倫理観で見てしまうと、これらは「不正」なり「腐敗」と捉えられてしまいそうですが、当時なりの合理性の中で
考えられた慣習であると捉えるべきだと思います。
そんな事をふと思った逸話でした。


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週間ブログ拍手ランキング【07/26~08/01】

2018年08月01日 21:54

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その心持ちがないのは不孝だ 14

天野隆重の方便 14

出雲方面と九州方面でしっちゃかめっちゃか 12
宇喜多直家は言葉巧みに 10

天井に血の足痕、急成長する松、飛び出る屏風 9
【雑談】海外でも軍記物丸写しで 8

されば流言とは 6
大徳寺総見院での信長の葬儀 6
南條兄弟寝返り 5


今週の1位はこちら!その心持ちがないのは不孝だです!
まあ母親孝行で、単純に母を喜ばせたいという事だとは思うのですが、これは一般家庭だとちょっとした笑い話で
終る話だと思うのです。しかしそれが国主の身だと体面やら何やらがあって或る種の理屈付が必要であった、という
お話かなと感じました。
よく軍記、家譜の類は先祖、家祖の表彰を目的とする、なんて言われ、個人的には必ずしもそういうわけではないという
感想を持っているのですが、こういうお話こそ、先祖の美化を目的とした、というものなんじゃないかと感じました。
池田光政が母親と実に他愛もない遊びをキャッキャしていた、では威厳も何も無いわけですから。そこに理屈が
必要だった。
そんな事をちょっと考えた逸話でした。

今週は同票でもう一つ!天野隆重の方便です!
攻勢をかける尼子再興軍をまんまと騙した天野隆重。まんまと騙された再興軍。わりと有名な逸話ではありますが、尼子勢の
初っ端でのつまづきは、その後の暗雲を予想させます。しかしこの逸話からもそんなイメージが感じられますが、
山中鹿介という人は、この手の謀略に弱いという印象があります。良くも悪くも一本気で真っ直ぐな武将だな、と。
尼子家も様々な謀略、陰謀でのし上がってきた家ですが、鹿介の世代になると、もはや大国となっていた尼子家では
家中に正直で真っ直ぐであることが求められた、なんてことを想像しました。
未だ謀略が必須であった毛利家とその当たりの意識の差があったのではないか、なんてことを妄想するのも面白いかも
しれません。

今週管理人が気になった逸話はこちら!天井に血の足痕、急成長する松、飛び出る屏風です!
ホラーハウス状態の大友家wこの描写からは、むしろ著者による「こんなに!こんなに!こんなに前兆があったのに何で
気が付かないんだ大友宗麟公!!!」という悲鳴が聞こえてくる気がしますw
まあみなさんも指摘されているように、「怪異」っぽい事って、実は日常的に起こっているのだと思います。で、いざ何か
事が起こった時、それまでにあった怪異に「意味」が付加されてしまう。このお話もそういうものなのでしょう。
だからといって松が急成長して消えるというのは流石に日常的に起こりづらいとは思いますが、これは何かしら
再現性のある現象なのか、それともバテレンか唐人の奇術なのか、だとするとむしろ宗麟が家臣たちを驚かそうと
こんな事をしていたのではないか。そんな事して喜ぶような主君はそら滅びますわ。と、そこまで考えてしまいましたw
色々と想像をふくらませることの出来る逸話だな、と思います。



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2018年07月25日 21:36

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三成元忠ノ遺臣ヲ宥ス 29

伊勢新九郎盛時という者があった 20

高遠城の"化物" 16
【話題】織田信長に仕えた黒人侍「弥助」が世界で脚光 11
目黒新右衛門の切腹 10

小出吉政ノ内通 8
吉川元春と陶隆房の兄弟の昵契 7
毛利隆元と芸豊和平 4


今週の1位はこちら!三成元忠ノ遺臣ヲ宥スです!
石田三成が伏見城における鳥居元忠の奮戦とその忠義に感動した、という話は様々に伝わっていて、これもその
一つなのですが、少なくとも同時代やその後の徳川家や鳥居家において、三成はそういう人だという印象が伝わっていた、
ということなのでしょう。ここからは「鳥居元忠の忠義は敵の大将すら認めるものだ」という主張とともに、石田三成という人物が、
敵であってもその忠義と奮闘を認め、称えるだけの器量を持っていたという事も、伝えていると考えます。
江戸期の、特に後年の関ヶ原に関連する軍記では確かに、石田三成は奸佞な讒臣という描き方が多く見られます。
しかし「ただそれだけの人物ではない」という事も、こういう逸話は伝えていると思うのです。
こちらを読みつつ、そんな事を考えました。

2位はこちら!伊勢新九郎盛時という者があったです!
北条氏研究でも有名な中世史家である黒田基樹先生の『【図説】戦国北条氏と合戦』の中で、北条早雲(伊勢宗瑞)研究は、
江戸初期に成立した「伊勢系図」の記載に、100年近くかけてその記述の正しさにたどり着いた、というような事を
書かれていました。
この應仁後記の記述も、それに当たるものなのでしょう。
しかしこれも、歴史研究の面白さだと思うのです。七転八倒した挙げ句その根本に立ち戻り、そこから再び、それまでの知見を
踏まえて研究を積み重ねていく、それが歴史(に限らないとも思いますが)を研究する営みというものなのだと思います。
そういう部分も含めて、非常に興味深い内容だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!目黒新右衛門の切腹です!
非常に悪いタイミングに当たってしまったがゆえに切腹してしまった目黒新右衛門さん。現代人の目から見れば
「これは切腹どころか何らかの責任すら取る必要のない事案ではないだろうか」と思う内容です。
ただこれ、おそらく同時代の人たちも、正直「これで切腹するの!?」と驚いたんだと思うのです。
基本的に「常識的なこと」は、逸話にはならないものです。目黒さんのような、正直「無名の士」であればなおさらです。
当時の人達からしてもあまりに驚くべき行動だったからこそ、こうして記憶・記録され、逸話として今に残った、そう見るべきだと
思うのですよ。
それだけ凄まじい行動だった。目黒さんの切腹は、そんなふうに捉えたほうが良い。そう感じる逸話でした。



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週間ブログ拍手ランキング【07/12~/18】

2018年07月18日 15:11

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井伊直政本多忠勝西軍ノ挙動ヲ評ス 15

池田光政、お尻をつねられる 13

常在寺の盛衰 11
水谷勝隆ノ乳母勝隆ヲ護シ難ヲ逃ル 8
忠興其子忠隆ノ優柔ヲ怒ル 8

鈎の陣 6
大阪の陣の前兆っぽい事 6
古の軍記等には虚説が多い 6
奪う者は飢え、奪われる者は飢えず。 5


今週の1位はこちら!井伊直政本多忠勝西軍ノ挙動ヲ評スです!
関ヶ原直前における井伊直政と本多忠勝の、西軍認識の差についてのお話ですが、これはどちらが正しい間違い、という
話ではなく、性格の違いと受け止めたほうがいいのかもしれません。
出典が松浦鎮信の「武功雑記」ですので、内容自体も後世になって形成されたと見たほうが良いと思います。
ここは「教訓」としては、家康は軍監として、強気な直政と慎重に状況を見る忠勝という、性格の違う二人を派遣して
バランスを取ったのだ、という所かもしれません。
ともあれ直政、忠勝が、未だその記憶の強く残る時代の人々に、どのように捉えられていたかを見る上で非常に面白い
お話だとも思いました。

2位はこちら!池田光政、お尻をつねられるです!
池田家に嫁いだ加藤嘉明の娘に、おしりをつねられたことを語る池田光政。なんともほっこりするお話ですね。
武士の教育が、一家一族全体の中で行われていたことも見えてくるようです。
またこのれは光政にとっても、良い思い出だったのでしょう。言われる池田長明にとってはなんとも困った話題だったかも
しれませんがw
この池田長明は、池田光政より大変に信任された家老だったのですが、その信任の元に、その母かたお尻をつねられながら
治世者の心得を教えられた事も含まれていたのかもしれません。

今週管理人が気になった逸話はこちら!鈎の陣です!
コメントでもありましたが、足利義尚への評価ってかなり極端に別れているのですよね。これは逸話レベルだけでなく、
現在の研究者レベルでも、高く評価する人と低く評価する人で極端だと感じています。
義尚は鈎の陣に至るまで、父である大御所の義政が未だ握る権限を自分のものにするため様々に対立し、騒動を
起こしています。その「成果」の出る前に亡くなったため、「騒動だけ起こして何も確立できず死んだ」と見ることも、
「応仁の乱御の幕府を立て直すため様々な改革を行ったが、志半ばにて夭折した」とも見られるわけで、確かに
評価の難しい人だと思います。
個人的には義尚という人は、室町幕府という組織を「再構築」するために本気で活動していた将軍だと思っています。
彼はその一環として、室町幕府の「正史」を作るべく、史料を集めていたフシがあるそうです。義尚は歴史における
室町幕府の自己認識をしっかり定義して、その上で再スタートを計る、という意識があったのだと思います。
それも含めて、彼の夭折は非常に残念ですね。室町幕府自身の定義した「歴史」がいかなるものだったか、読んでみたかった。



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週間ブログ拍手ランキング【07/05~/11】

2018年07月11日 15:40

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あれでも能の上手か!? 17

センゴク権兵衛の水野勝成動静より 16

斎藤織部落武者を助くる事 13
水野勝成さん、水野家出奔から蟹江城攻めまで 13
清見寺の膏薬 12

門出の朝は黒米飯 10
謙信の家臣って、歳食ってる奴多くね? 9
鷹に鶴を取らせる心 9
小西行長の長子 8


今週の1位はこちら!あれでも能の上手か!?です!
中村靭負さんの主家が主家だけに、確かに途中までドキドキしちゃう内容ですねw中村さんが芸事に真摯な人で本当によかった。
これよりちょっと前の時代だと、武芸者が素人の話を取り入れて、なんて話が多いのですが、能という文化的なものに
なっているあたり、それだけ時代が平和に成ったのかなあ、なんて感じますし、そういう文化的な人が細川家だというのも、
またらしいですね。
こういう血生臭さのない逸話もまた、良いものですw

2位はこちら!センゴク権兵衛の水野勝成動静より です!
こちらは血生臭さしか無い人ですが、このお話もまあ、血まみれの中の「いい話」ですねw
竹崎右衛門の兄を殺したことにああいう形で贖罪する勝成にも、またそれで勝成を許す竹崎右衛門にも、まるで感情移入
出来ないというか、気持ちが頭では理解しても感覚として解らない、という気持ちです。
しかしこういう事で心が通じちゃってたのが、あの時代というものなのか、とも感じます。
過去を理解することの難しさはこういうところにも有るな、と思いました。
あと今日予定のヒストリア「水野勝成」が18日に伸びていましたね。残念(T_T)

今週管理人が気になった逸話はこちら!清見寺の膏薬です!
こういう形で武士を離れた今川の遺臣がいた、という話も興味深かったのですが、コメントから判明した後日談には、
更に驚かされました。そんな事に、なっていたとは。本当にびっくりですw
こういう事が寺を介して起こるというのも、この時代らしいのでしょうが、強烈な本末転倒感といい、インパクトありますね。
しかし膏薬をアレにどう使ったのだろう、気になるw



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週間ブログ拍手ランキング【06/28~07/04】

2018年07月04日 22:38

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日置の夜合戦 23

毛利輝元、自分の少年時代を振り返って 16

合戦というものは結局、気負い次第 15
なにやってんねん織田家 15

大坂御陣中御支度の事 12
天下で切支丹御法度となった事 10

大阪の陣の頃の流行り色々 9
池田恒興、息子に正室の実家を継がせる 9
大野修理襲撃事件のこと 6
伊藤武蔵守、馬験を拾う事 5



今週の1位はこちら!日置の夜合戦です!
この木造長政さん、後には関ヶ原で織田秀信を補佐し、敗北したにもかかわらず、福島正則から2万石で迎えられるなど、
高く評価された武将であり、決して凡庸な人ではありません。
そんな木造さんが仕掛けた罠にまんまとハマりながら、それを平然と覆せるのが、蒲生氏郷の、氏郷たる所なのでしょうね。
確かにチートキャラ呼ばわりされても仕方ありませんwこれで倒せないならどうやって倒せばいいのか。
武士という人たちの中には、稀に兵というより生きた機動兵器みたいな人が現れますが、氏郷さんも明らかにその一人ですね。
こんなのが暴れまわっていたのですから、戦国というのも本当に厄介な時代ですw

2位はこちら!毛利輝元、自分の少年時代を振り返ってです!
「その地位に見合うよう厳しく育てられた」といえばそれまでなのですが、輝元の場合それが良かったのかどうか。
そういう面があったから、もしかして輝元は、嫡子秀就に甘かったのかもしれません。
秀就は「毛利殿は生まれつき不調法」とまで言われ、本来一番の味方であるべき親類たちほぼ全てと緊張関係に
なってしまうような人で、逆にこういう人には厳しく躾けなきゃダメだったんじゃないかな、とも思ってしまいます。
彼の息子の綱広に至っては、家臣たちから押し込めをされてしまう始末で、実は毛利はお取り潰し寸前だったのですね。
しかしそこでお取り潰しを免れたのは、毛利輝元が関ヶ原の後家康からもらった安堵状のお陰が大きかったようで、
輝元も、結果的に子孫を救っているのだなあと、不思議な思いを感じたりします。
この書状も歴史を勉強するほど興味深く読める、そんな内容ですね。

今週管理人が気になった逸話はこちら!なにやってんねん織田家です!
「なにやってんねん織田家」といいつつ、そもそも信長の頃から織田家というのは、この手の芸事、イベント事に非常に
熱心な家風がある気がします。信長も若い頃女装して集団でダンスイベントやってたり、京に出てから家臣とともに競馬に
興じたり、例の「馬揃え」も、その延長線上の物なのでしょう。
そう考えると、信雄や有楽が新興の芸能に興じ、その家臣たちがテンションが上った挙げ句騒ぎを起こすというのも、
むしろ「織田家らしい」と考えるべきではないか。なんてことがふと頭をよぎったりしました。
まあ信長がこんな有様を見たら激怒はするでしょう。だけど彼の身内への甘さを考えると、最終的にはなあなあで
許していただろうなあ、とも。
「織田家の家風」について思いを馳せる事の出来る、そんな逸話だと思いました。



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