一条政房の死

2014年10月08日 18:54

475 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/08(水) 16:53:58.74 ID:LjN7ttzh
一条政房は若き公卿であり、権大納言である。
一条教房の長男であり、一条兼良の孫にあたる。

さて、応仁の乱が起きてしまうと単独で後醍醐天皇のゆかりの宿でもあった摂津福原の福厳寺に隠れた。
この時父・教房は奈良に避難していたが、祖父・兼良が奈良に避難すると土佐へと下向した。
応仁の乱の勃発により家族バラバラとなってしまった。

1469年10月17日、東軍方の山名是豊・宇野政秀らが福原に乱入した。
その時の服装は御装束のまま直衣狩衣の優美な御姿であったといい、東軍の兵は政房を敵と思ったのか
長槍を持った兵に心臓を一刺しされ、少しも抵抗せず「南無西方極楽世界阿弥陀仏」と唱えて死んでしまった。

兼良をはじめとした人々は政房の死を嘆いたという。

弟・房家が誕生するのはこれより6年後のことであった……。

応仁記を基にわかりやすく付け加えたり脚色したり


というか政房も父と一緒に奈良に避難して土佐に下向すればまた歴史は違ってただろうに。



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