福島正頼の事

2014年10月17日 18:51

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/17(金) 01:32:48.85 ID:xGKd6YAm
福島左衛門大夫正則の弟、掃部介正頼は伊勢国長島で1万石を領しており、後に大和国宇多に移り
3万石となったが故あって改易され牢人となり、伊勢国山田に住んだ。
彼が牢人となった理由は、比丘尼祭の資金を横領したことで所領が召し上げられたのである。

その頃、本多上野介正純の家来・寺田勘兵衛という者が牢人となって伊勢に在ったが、これが
ある時、福島掃部介の息子二人と口論の挙句斬り合いとなり、兄弟共に斬り殺したが、寺田自身も
多くの傷を負ったため逃げ去ることが出来ず、所の者達に取り押さえられ奉行所に差し出された。

当時そのあたりを奉行していたのは花房志摩守であったが、彼は福島正則と縁があったので
快からず思い、寺田に切腹させてこの件を落着させた。

後年、福島の後裔として召しだされた福島助六とは、この時殺された兄弟の内、兄の孫であったそうである。

(明良洪範)

福島正則の弟についての逸話である。



545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/17(金) 12:32:59.21 ID:FV9650aP
葵徳川で「あいつは兄正則同様、煮ても焼いても食えんwww」って言われてたぐらいしか印象にないわー >正頼

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