祝甲斐守の滅亡

2014年10月27日 18:43

祝貞近   
641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/27(月) 16:13:01.37 ID:9bjUCH30
>>639で旗返城関連の話題が出たからその直前の話題を・・・

初代天下統一で備後の武将で「祝甲斐守」という人が登場する。
この人は実際にいる人で祝甲斐守貞近(ほうり・さだちか)と言った。

祝職(ほふり)をしていたために苗字を祝とした。
ちなみに本姓は武田といい、安芸武田家の一族であった。

祝家は江田家に属し、高杉城を拠点としていた。

1553年4月に江田隆連が尼子方につくと祝家もこれに従った。
しかし、7月に毛利元就が約六千の兵を率いて高杉城を攻めた。
祝方は江田からの援軍などを併せてもわずか七百余であった。

元就はこれを一気に攻め込み約六百余の首を挙げて祝甲斐守をはじめ、父・高貞と次弟・高智は討死してしまった。
三弟・高家と四弟・広縄は毛利方についていたため、一家断絶の憂き目はあわずにすんだ。

※高杉城の案内板には『尼子方の本項では1552年に毛利父子に攻め落とされました』と書いてある。
※司馬遼太郎は祝家・高杉城を高杉晋作のルーツであると指摘している。

(広島県の歴史、陰徳太平記)の一部から


もし祝家が江田家に従わずに大内・毛利方にずっとついていたならばこんな目にあうこともなかっただろう。





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