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武田国信の滅亡

2014年11月19日 18:51

838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/18(火) 18:39:16.55 ID:bm2j5plX
因幡武田家は天翔記でも登場した武田高信が有名である。
高信の父・国信は主君・山名久通(旧名・誠通)の命により久松山城(のちの鳥取城)の改築城を命じられた。
武田国信は若狭武田家の出身であり、若狭武田家3代当主の国信とは別人である。
彼は若狭武田の更に庶流にあたるという。

国信は自分も1国の主を目指すんだという思いがあったのか、若狭を離れて因幡に到着。
そして、この鳥取城の普請の命を受け、完成したら鳥取城を足場と考えた。
結果、鳥取城はかなり堅固な城として完成した。
1545年のことであった。

しかし、この策謀を主君・山名久通が見逃すはずもない。
不審に思った久通はすぐに国信を殺してしまった。

両者の子供たちと鳥取城がどうなったかはまた別のお話。

1人の野心が現代におけるかつ江さん誕生に繋がるとはつい最近まで誰も知らなかったであろう。




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