755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/21(木) 19:29:31.77 ID:SlVLXdW7
(柴田勝豊の降参と織田信孝との和睦後)
山崎城で越年した秀吉は元日より播磨姫路に赴き、2日3日の間には諸国の大名小名が袂を連ねて
踵を接し、車馬門前の市をなす。秀吉は朝には礼者に向かって親愛を尽くし、夕には近習に対して
政道を説き、天下の工夫は昼夜いとまあらず。
そうして若君御幼少の間は伯父の織田三介信雄を御名代となし、まず若君を安土に移し奉った。閏
正月初旬に秀吉もまた安土に至り、国々の諸侍は若君への礼儀を調え尊仰をもっぱらにする。あた
かも将軍(織田信長)御在世の時のようで、まことに君臣の礼は諸人の感心するところであった。
秀吉は安土に10余日逗留してその後また山崎に帰り、諸国に陣触して軍兵を集めた。軍兵は長浜
に寄せ来たり、秀吉は重ねて堅固にその人質を取った。
その頃、勝豊(柴田勝豊)は病気が穏やかならず、起き伏しも叶わずに病床にあった。これ故に自
身で出張することはできず、与力に大金藤八と山路将監(正国)を越前の境目に遣わし、片岡天神
山に出城を拵えて修理亮勝家に相対し、秀吉への無二の色立ての奥底を極めて、惟住五郎左衛門尉
(丹羽長秀)と組んで越前の押さえとなった。
(中略。滝川一益の挙兵)
秀吉は引き退いてまた長浜に至り、しばしば帷帳の中にいても心はあらゆる方面に向けられ、夙興
夜寝の謹み浅からず。
はたまた伊賀守勝豊は病気に堪えずにより上洛して、扁蒼の術を尽くしてもその効果はなく、すで
に易簀に及ぶを嘆いて曰く、遺言したのである。
「私は一世の内に再び越州の地を踏んで本懐を遂げるべく、恨みを晴らそうというところで、不幸
にもこのようになった。秀吉が越前を平らげて私の望みが叶えば、草葉の陰の弔慰となるだろう」
(我一世中再踏越州之地復寃可遂本懐之處不幸而如此。秀吉平越前於達我望者可爲草陰之吊慰)
秀吉は涙を押さえて離別を惜しむも、無常の習いでついに勝豊は逝去したのである。秀吉は金銀を
賜って洛中洛外の僧をもって供養し、葬礼法会を行ったことは数えきれないほどであった。
ここに至って秀吉は勝豊の人数を同木山に入れ置いたが、調略の風説があった。これにより木村隼
人佐(定重)が入れ替わり、大金藤八・木下半右衛門(一元)・山路将監は外構に出してもっぱら
これを用心した。すると山路将監の謀叛は次第次第に露見し、将監は妻子を捨てて白昼に敵陣へと
走り入ったのである。
――『天正記(柴田退治記)』
(柴田勝豊の降参と織田信孝との和睦後)
山崎城で越年した秀吉は元日より播磨姫路に赴き、2日3日の間には諸国の大名小名が袂を連ねて
踵を接し、車馬門前の市をなす。秀吉は朝には礼者に向かって親愛を尽くし、夕には近習に対して
政道を説き、天下の工夫は昼夜いとまあらず。
そうして若君御幼少の間は伯父の織田三介信雄を御名代となし、まず若君を安土に移し奉った。閏
正月初旬に秀吉もまた安土に至り、国々の諸侍は若君への礼儀を調え尊仰をもっぱらにする。あた
かも将軍(織田信長)御在世の時のようで、まことに君臣の礼は諸人の感心するところであった。
秀吉は安土に10余日逗留してその後また山崎に帰り、諸国に陣触して軍兵を集めた。軍兵は長浜
に寄せ来たり、秀吉は重ねて堅固にその人質を取った。
その頃、勝豊(柴田勝豊)は病気が穏やかならず、起き伏しも叶わずに病床にあった。これ故に自
身で出張することはできず、与力に大金藤八と山路将監(正国)を越前の境目に遣わし、片岡天神
山に出城を拵えて修理亮勝家に相対し、秀吉への無二の色立ての奥底を極めて、惟住五郎左衛門尉
(丹羽長秀)と組んで越前の押さえとなった。
(中略。滝川一益の挙兵)
秀吉は引き退いてまた長浜に至り、しばしば帷帳の中にいても心はあらゆる方面に向けられ、夙興
夜寝の謹み浅からず。
はたまた伊賀守勝豊は病気に堪えずにより上洛して、扁蒼の術を尽くしてもその効果はなく、すで
に易簀に及ぶを嘆いて曰く、遺言したのである。
「私は一世の内に再び越州の地を踏んで本懐を遂げるべく、恨みを晴らそうというところで、不幸
にもこのようになった。秀吉が越前を平らげて私の望みが叶えば、草葉の陰の弔慰となるだろう」
(我一世中再踏越州之地復寃可遂本懐之處不幸而如此。秀吉平越前於達我望者可爲草陰之吊慰)
秀吉は涙を押さえて離別を惜しむも、無常の習いでついに勝豊は逝去したのである。秀吉は金銀を
賜って洛中洛外の僧をもって供養し、葬礼法会を行ったことは数えきれないほどであった。
ここに至って秀吉は勝豊の人数を同木山に入れ置いたが、調略の風説があった。これにより木村隼
人佐(定重)が入れ替わり、大金藤八・木下半右衛門(一元)・山路将監は外構に出してもっぱら
これを用心した。すると山路将監の謀叛は次第次第に露見し、将監は妻子を捨てて白昼に敵陣へと
走り入ったのである。
――『天正記(柴田退治記)』
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