彼らが通過した後には、何一つ

2017年05月29日 18:40

799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/28(日) 19:30:37.93 ID:/C3l8YdE
もうすぐセンゴクで仙石が失敗しそうなのでそのあたりの話を


中務(島津家久)は、日向から三千の兵と、薩摩から五百名、および叛乱軍を率いて、すでに豊後領の宇目に入り、
嫡子(大友義統)の数名の家臣に属する小さな三つの城を無抵抗裡に占領した。
それからさらに進撃し、幾人かの身分ある人たちと老臼杵殿(臼杵鎮尚)がいる別の城の所在地であるミエ(三重)に向かった。
これらの者はただちに降伏して豊後の敵にまわった。
中務はそこに留まることとし、(家臣に)ごくわずかの兵を伴わせ、叛乱者たちに道案内をさせて送りこんだ。
豊後勢の恐怖と怯懦は驚くばかりで、〔とりわけそれがデウスの鞭であってみれば〕
彼らは薩摩軍の名が口にのぼるのを聞くだけで、屈強かつ勇猛で戦闘に練磨された者までが、
立ちどころに震え出し歯をがたつかせ、まるで軟弱な戦の未経験者のように降伏して、敵の言いなりになるのであった。

薩摩軍は、万事が思惑通りに運ぶのを見て、通過するナングン(南郡)の地、その他のところを焼き払い、
打ち壊し蹂躙し始めた。
彼らが通過した後には、何一つ満足なものは残っておらず、少しでも逆らう者は殺害された。
またそれに劣らず嘆かわしく、いなむしろ最大に嘆かわしく思われたことは、(薩摩勢)がおびただしい数の人質、
とりわけ婦人、少年、少女たちを拉致するのが目撃されたことである。
これらの人質に対して、彼らは異常はばかりの残虐行為をした。
彼らのうちには大勢のキリシタンも混じっていた。

(フロイス日本史)



800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/28(日) 19:44:17.08 ID:12qJD4CN
>>799
キリスト教が嫌いな佐伯さんが勝ってるのは無視される

802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/28(日) 21:42:25.07 ID:AP3CGx9c
豊後の連中から奴隷を買ってたのはどこのどいつなんすかねえ

803 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/28(日) 21:49:22.72 ID:DLlKPT0m
まっことでごわす

804 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/28(日) 21:59:22.09 ID:12qJD4CN
>>802
豊後国で海外に奴隷売買したって記録はみつかってないな
肥前国ならあるけど
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「軍略の家久」

2012年02月01日 21:57

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/31(火) 20:47:49.73 ID:DuYKZNe3
んじゃお口直しに
島津4兄弟で有名な話ですがまとめには出て無いみたいなんで

「軍略の家久」
島津家久は日新斎に軍略を得たりと予言されてはいたが幼少より優秀だったわけでは無く
4兄弟の中では唯一身分の低い妾の子である事に劣等感を抱いていた
そんなある日、4兄弟は連れたって馬追いをした時のこと
生駒にて飼育されている様々な馬を見て回ってる時に歳久は
「毛色の違う馬は色々いますがどの馬も母馬に似るものです、人間も似たようなものでしょうね」と言い放った
歳久の言いたい事を察知した義久は即座に否定した
「子馬が必ずしも母馬に似るわけでは無いだろうし、人間は畜生とは違い学問に励み徳を積めば
父母よりも立派になるだろうし怠れば父母より劣る事になろう」
後日家久はその言葉を励みに日夜勉学武芸に励むようになり数年のうちに日新斎の予言通りの
立派な将に育つ事となった

4兄弟ネタでは珍しく義弘が空気で、歳久からシャギ臭のする話




675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/31(火) 20:51:38.62 ID:GfTf/cYP
イイハナシダナー
しかし長兄トキで次兄ラオウな四兄弟だな

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/31(火) 20:52:14.15 ID:pOgZGRIS
歳久「よくできた弟~~~~~~!!」

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/31(火) 21:09:42.33 ID:RU81pUcm ?2BP(0)
本当は兄弟仲が悪かったんだろ?って言いたくなる話だな

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/31(火) 21:58:58.16 ID:DuYKZNe3
貧乏籤に定評のある歳久だから、計算して悪役を演じた可能性もあるけど
若い内は兄弟なんてこんなもんだろ、妾の子が劣等感からグズってりゃいっそ突き放したくもなる

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/31(火) 22:02:22.25 ID:GfTf/cYP
六平太というと某山内大河の汚れ創作キャラ思い出す
あれは悪い話向けだが

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/31(火) 22:27:33.22 ID:rbArCQ5D
歳久入れて島津四兄弟なら穂井田元清を入れて毛利四兄弟でいいと思う (´・ω・`)

684 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/31(火) 22:40:46.41 ID:t7lbLay8
>>680
まあそう言うな少し前でさえ長男と末っ子で
結構扱いに格差があったんだ幼い心じゃ腐りもするさ

ガキの頃本家に行って食事の後さっきまで遊んでた同い年の長男の子供のいる上座に行ったら
爺さんに「さがりおろー!」並の事言われてビビった記憶あるわ
昔ならその比じゃ無いだろ

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/31(火) 23:51:07.46 ID:BFBhbbFS
徳川忠長「そうだそうだ」

686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/01(水) 00:00:12.71 ID:le3Xxwrv ?2BP(0)
家康の水と船じゃないけど兄弟の仲も難しかったんだろうな
仲良かったり親が差をつけなかったりしてかえって後でもめたりとか

687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/01(水) 14:46:10.32 ID:tNGFSDSf
幼い子供が妾腹がどうとかとかいきなり分かるわけないじゃん。
周りにそのように扱われたから幼い子が劣等感持つようになったんだろうに。
頭押さえつけられて育たねえって馬鹿にされたら大人でも腐るわ。

688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/01(水) 15:20:56.48 ID:a2Xl/ZuX
実の兄弟でも不仲だったり異母兄弟でも仲良しだったり、
周囲の扱いとか本人同士の相性とかかね
現在より死が身近だったろうから、まさしく「兄がいなくなれば
俺が当主!」ってのも遠い世界の話じゃないだろうし

689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/01(水) 15:55:09.64 ID:khspt0tp
うっきー「本家?」
松永ダンジョー「俺たちは悪いスレ帰ろうな」

690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/01(水) 15:59:32.17 ID:skUZo674
>>683
あそこは隆景より下が虫けらだからなぁw

691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/01(水) 17:25:47.18 ID:frXrfoZw
織田も四男以下は扱いがわるいような。

692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/01(水) 18:04:38.06 ID:I7Ddn724
>>683
父親の正妻への思い入れが
島津と毛利じゃ段違いだからじゃね?
元就は「死んだ女房がここにいたらさー」だの
「死んだ女房だったらさー」とか、のちのちまで言い過ぎw

693 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/01(水) 18:37:56.46 ID:a2Xl/ZuX
恋女房?に便乗だけど新郎新婦どちらもすごく幼いうちに
一緒になると特に抵抗もなく自然ラブラブになるのかなーって
秀頼千姫や利常珠姫で思った。
どちらも思春期迎えてからだと好きなタイプじゃないとか
思っちゃって上手く行かなかったり?

珠姫の、父親(将軍)にダーリン早く返して!って直球で
ねだるエピソード好きw 身分の高い人は我が儘も自重って
もっと後の世の常識なのかね

694 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/01(水) 18:50:11.51 ID:e8IVJ+k9
京極忠高と初は仲悪かったようだけどな

695 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/01(水) 18:58:28.72 ID:cinzOU/j
もっとも、子供のころから一緒に生活していると恋愛感情はわかなくなるという実験結果もヨーロッパにはあるそうだ


696 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/01(水) 19:25:45.20 ID:skUZo674
幼い頃に嫁入りした場合は嫁修行と称して年頃になるまでは隔離染みたことされるんじゃなかったっけ?

本能寺、黒幕

2010年05月24日 00:00

951 名前:黒幕 1/2[sage] 投稿日:2010/05/23(日) 00:32:49 ID:FsDjjFmB
「・・・・これは!!」
元亀元年(1570)、京において馬上の織田信長を見た若者は、その雄姿と覇気に驚愕した。
「わが兄も天下に望みを持つが、この男と正面から争っては我らも勝てるか危うい。何とかして始末せねばならん!」

天正3年(1575)春、再度上洛した若者は、浅井・朝倉・六角・斉藤等の旧臣を集め、信長を討つ計画を練った。
「間もなく信長は、甲斐武田家と戦う。長期戦が見込まれるゆえ、そのスキに背後から襲うのだ。」
しかし、勝負は長篠において短期間で決し、武田家は大敗。若者は歯ぎしりして、暗殺団を解散した。

「くそっ!外からではラチが開かん。内に潜り込み信長に近い者を、わが刃に仕立てるか。」
若者は日向浪人を名乗り、信長から惟任の姓を授かった明智日向守光秀に接近し、賓客の待遇を受けることが出来た。

そんな時、若者のもとに日向の名族・伊東氏が、本拠・佐土原を捨てて大友氏を頼ったとの報が入った。

「! 「惟任(これとう)」はイトウとも読める。つまりこれは信長の呪詛で、「惟任日向守」すなわち「日向守護のイトウ」が
別に存在するようになったから、伊東氏は衰退したんだよ!!」
「「な、なんだって―――!!」」 「信長め、恐ろしい奴・・一刻も早く消さなければ・・・・」

若者は光秀の信頼を得ると、信長への不満を吹き込んだ。
「飼い殺しされるより、いっそ信長を・・足利義昭公を大御所として、あなたが将軍に・・土岐源氏出身のあなたなら・・」
「・・・・よし、やるか!!」


天正10年(1582)6月2日、光秀謀反。織田信長、本能寺において死す。

952 名前:黒幕 2/2[sage] 投稿日:2010/05/23(日) 00:33:51 ID:FsDjjFmB
「あ、あぁそうだ、近江に向かおう!安土に行って、信長の財貨を押さえねば・・・・」
他人にそそのかされて信長を討った光秀は、落ち着かない。

「何を言われる光秀どの!羽柴が報復に動いているとの噂もある。離れた所の財貨など、心配している場合では
ありませんぞ!羽柴に勝てば、あなたは天下人。財などいくらでも集まりましょう。」
「そ、そうだな・・・・」「ええ、そうです。」
(ダメだこやつ。主を討った動揺か、目前の天下に浮かれておるのか、使い物にならぬ。早く何とかせねば・・・・)

光秀の酔った如き状態は治らず、山崎で秀吉軍と対峙するも、若者の献策を無視して要衝・天王山を奪われた。
「・・終わったな。」「いかが致しましょう?」
あせる家臣を前に、若者は動じない。「なに、策はある。ついて参れ、秀吉方の陣へ急ぐぞ!」

秀吉方の陣にやって来た若者は、名乗りを上げた。
「武者修行中の西国武士にござる。主の仇を討たんとする義軍に助太刀いたす!!」

まんまと秀吉軍に紛れ込んだ若者一行は、山崎の戦いが終わった後、近畿を離れた。
「残念だが、これで秀吉めが台頭するだろう。我らも早々に薩摩へ帰り、九州統一を急がねばなるまい。
差し当たって、勢力を伸ばしておる龍造寺を叩く!」「「はっ、家久さま!!」」

世紀の陰謀の黒幕、『軍法戦術に妙を得た』男・島津家久は一切の痕跡を残さず、本国薩摩へ立ち去った。


>>907のおっしゃる事ももっともなので、戦国板らしい歴史ミステリー(?)を。
元ネタは、まとめにリンクのある「かいこ」様。そのさらに元々のソースは、「鹿児島外史」。
ttp://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766567/20
まあ、鹿児島外史は「真田信繁、後藤又兵衛、明石全登が千人ばかり連れて落ち延びて来た」
とか書いてあるような書物ですが(^ ^;)




953 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/23(日) 00:36:18 ID:H1miPd7n
つっこんだら負け

954 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/23(日) 01:51:26 ID:L4FoFb+r
ジンギスカンは義経の部下の弁慶だった!まで読んだ

955 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/23(日) 02:22:37 ID:Pa09ypd9
那須与一は後のジェベだったまで読んだ

島津家久、肝付軍の奇襲に

2009年07月16日 00:23

406 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 21:15:38 ID:uHFOu35E
島津義久は肝付氏の牛根城を攻めるため、近くに砦を築き、弟の家久にこれを守らせた。
ある日、折からの風雨に紛れ、逆に肝付軍が奇襲を仕掛けて来た。
しかし家久、少しもあわてず三尺五寸の太刀を抜き放つと、

「愛宕山の天狗の頭領・太郎坊!ほかの大天狗や小天狗も、聞いてくれ!
みんなすまねぇ、ちょっとだけオラの剣に力を分けてくれ!」
(多手に祈誓致しその功徳蒙る、愛宕山の太郎坊、大天狗小天狗、各も家久が太刀先を
守護せしめ給へ)

と叫んで突撃すると、肝付軍の河南安芸守という勇者が向かって来たので渡り合い、
兜ごと頭を叩き割って倒した。
あまりの家久の強さに肝付軍がひるんだ所を、追いかけて谷底に突き落とし撃退した。
砦に戻った家久は手傷を負っていたが、涼しい顔をしていたという。


「平家物語かよ!」という話だし、現代で言えば格闘家が
「(すきなわざのなまえをいれてね)!」とか叫んでパンチ打つようなモンであるが、
名将が中二病にかかるとリアルになってしまうらしい。




407 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 21:18:45 ID:HDS4axY8
家久もまた欲張りな願いだなぁ。

408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 21:53:07 ID:xuxtxD1+
>>406
というか、現存してる島津の人たちの甲冑って鎌倉時代並みの大鎧だったりするので
実際に精神構造まで平家物語だったかも知れんw

409 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 22:06:41 ID:NREvb9bf
天狗の力を得た代償に寿命を失ったんだろうな

410 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 22:10:53 ID:Z6FDqcN0
一方お兄ちゃんは、関ヶ原で進退窮まったときにこんな台詞を…

『われ弓矢を取りて五十余年、朝鮮、唐土にまで武名を轟かせながら
 ここに及んで恥辱を招きしは無念至極。
 いま前には徳川の大軍あり、後には伊吹の天嶮あり、
 我が馬廻りの勇士も僅か百人に過ぎず、
 もはや覚悟を決めたるぞ。

 見よ見よ、あれなるは徳川の本陣。
 今一度かの大軍を駈け破り、華々しく討ち死にせん。
 おのおの勇を鼓して迷うなかれ 』

これを翻意させるのは豊久も長寿院も苦労しただろうな…

411 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 22:13:19 ID:NREvb9bf
島津一門は劇団でもやってんのか?w

412 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 22:37:00 ID:sCq080+V
>>411
ナチュラル傾奇者集団だよなぁシーマンヅ。
というか、いくさ人すぐる……

413 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 22:38:13 ID:L24FrGW4
関が原の後家康が攻めたくなかったのも無理もねーよw

414 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 22:40:53 ID:sCq080+V
>397
岩に矢が突き立ってもうた中国の李広将軍みたいな話でんな。

矢尻に氣を込めたとか功夫とか、いろいろ説明のしようはあるんだろうけど

415 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/14(火) 22:47:41 ID:pUrYzPXJ
劇団シーマンヅ

薩摩劇場柿落し
九州公演
朝鮮公演
関ヶ原公演


416 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 22:52:48 ID:Z1wELgTU
>>415

琉球公演マダァ?(・∀・ )っ/凵⌒☆チンチン

417 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 23:02:38 ID:7+PRfRbr
>>410
お兄ちゃん、なまじ詩歌の才もあるから、妙にリズミカルというか格調高く聞こえる。
周りもノリやすかろうなあ。

430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/15(水) 13:05:16 ID:R9+OS8cp
>>417
義久家久(四男の方)コンビは古今伝授も受けてるし
島津は何気に歌への造詣が深いよね
日新さんのいろは歌とか、教訓を覚えやすくするために和歌にしたそうだが
和歌好きじゃないと47首も詠めないと思うしw

耳川の戦いの前に、義久が縁起のいい連歌の発句を夢に見て
「これで勝つる!」とみんな大いに士気が上がった話とか
劇団しまづ家は芝居好き、和歌大好き軍団なのかも知れん

431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/15(水) 13:17:07 ID:1TohCvGL
新納さんも相良の犬童さんと水俣で歌合せなんかしてるし役者ぞろいだ。
劇団シーマンズ、のちの劇団四季である。

432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/15(水) 13:48:34 ID:F2ro5/rc
むしろ劇団屍鬼(ry

433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/15(水) 14:00:11 ID:9DYiQqeh
刺鬼では

434 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/15(水) 14:12:06 ID:g6qZe1gg
>>431-433
零式かあんたらはw たしかに覚悟完了した集団だけんどもさー


435 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/15(水) 14:40:25 ID:INCczyu6
島津さんとこは、なまりが酷くて聞き取れないから、歌を使ってコミュニケーションを
取っていたんじゃなかったっけか。
そういう意味で歌なんかは必修なんじゃないか。

436 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/15(水) 14:45:45 ID:jMxwsEYm
あーそういうことかー
ヨーロッパで色々な国の商人が集まったりする場所で
ラテン語が使われたりしたみたいな

437 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/15(水) 14:47:41 ID:sm19F4ml
島津はとっても歌が好き 母さん呼ぶのも歌で呼ぶ

438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/15(水) 15:29:00 ID:xRdx19qd
>>435
隠密に盗み聞きしにくくするために
わざわざややこしくしたという話もある。
>薩摩の訛り

隠密の地元民なりすまし、潜伏をしにくくするためとも。

439 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/15(水) 16:49:19 ID:BhGZuF2y
戦時中に早口で薩摩弁喋らせて一時的な暗号代わりにした事例があるというのはネタなのか本当なのか

440 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2009/07/15(水) 17:34:18 ID:8Tt5ZosN
>>439
本当。
内容はベルリンの日本大使館にいる海軍武官を潜水艦で日本に送るので
南方で拾えという内容。
平文だったので、潜水艦で何かを送るというのはわかったが、
早口の薩摩弁でなおかつ薩摩でも一番訛りのひどい言葉を使ったとかで、
米軍の日系兵でもさっぱりわからなかったとか。

442 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/15(水) 19:48:52 ID:O4E+5wYM
>>406見てリチャード獅子心王の剣のエピソード思い出した

443 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/15(水) 20:14:30 ID:+jvGKgdN
>>442
あれも中二病だけど名将だねw

480 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 13:14:50 ID:foQR7WR0
>>406
兜ごと頭を叩き割って倒した。


武将の兜は頑丈なんだけど。最近実物触ってみた。


島津家久、天正のDQN行為に怒る・悪い話

2009年03月25日 00:14

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/24(火) 00:06:27 ID:a92X3kgh
島津家久、天正のDQN行為に怒る

島津家久(善)が、京都に滞在していた折の日記より

「五月五日、紹杷、同心と一緒に目疾(めやみ)地蔵堂に参拝した。

ところが!そこに奉納されている聖徳太子の像の頭が割られてて、玉眼が抜き取られていた!
一体どういう罰当たりな人間の仕業なんだよ!嘆かわしい!」

神仏を尊び文化財を大切にする家久公、こういうことをする人間は許せなかったのだろう。
彼の腹立たしさが伝わってくる記録なのであった。




153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/24(火) 00:11:05 ID:grLxTm02
政宗「文化財を破壊するなんて行為、ゆるせんよなあ!」

154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/24(火) 00:12:56 ID:D9HAiYIJ
一方、家久(悪)は家宝(現在国宝)をパチッて振り回していた

島津家久、薩摩武士の意地・いい話

2009年03月22日 00:19

72 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/21(土) 17:18:20 ID:L61vVZ4h
沖田畷の戦いでのこと。

大将、龍造寺隆信を討ち取られた龍造寺軍は壊乱する。
しかしこの時、龍造寺方の江利口藤七兵衛という者、味方の首を獲って、島津方の者の
ふりをし、薩摩陣中に入り込んだ。

そして島津軍の大将、島津家久(善)の傍まで来ると、馬上にあった家久に襲い掛かり、
右足の股の部分を斬りつけた。

この時家久(善)、とっさに左の方に馬から飛び降りようとした。が、斬りつけられて反対の方向に
逃げたと思われては薩摩武士の名折れと考え直し、右の方に飛び降り、藤七兵衛を斬りつけた。

そのうち家久(善)の家来達も集まり、藤七兵衛は討ち果たされた、とのことである。

薩摩武士はとっさの判断ですら、臆病と見られてはいけないのだ。そんなお話。




73 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/21(土) 17:48:52 ID:ZCTwT3fu
なんかもうあっちは「忠恒」と呼ばなきゃ(善)さんに失礼な気すらしてきた

74 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/21(土) 17:51:46 ID:808qSxta
ライトとダークでいいんじゃね
厨恒より家久のほうがすぐ変換で出る
ただつねで登録するのも癪だし、ちゅうつねとか面倒だし

75 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/21(土) 17:54:37 ID:808qSxta
ごめん漢字間違えてた
忠恒です

76 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/21(土) 18:07:25 ID:JOmb+RoD
>>74
もうそれでいいよwww

77 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/21(土) 18:11:29 ID:Zt817rR7
なんという光と闇の相克、これは間違いなく中二病

78 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/21(土) 18:24:59 ID:Wb+3HHOp
ちゅうつねさんもお兄さんさえ健在だったら
ただの貴族趣味の三男坊で一生を大過なく終えただろうに…
つーか奥さんも妹夫婦も悲惨な目にあわなかったろうに。

79 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/21(土) 18:28:16 ID:5NUM8wzM
忠恒「くっ・・・・静まれ・・・俺の邪鬼眼・・・」

87 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/22(日) 00:55:02 ID:c/YhEGWw
>>72
ひっそりとスルーされてるけど竜造寺四天王の一人目の人じゃないですか

家久(善)さん、京都で信長を見る・いい話

2009年03月21日 00:18

51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/20(金) 22:21:02 ID:epFod2FL
スレ違いの話はみんなスルーして、まったり戦国の観光旅行の記録でも

家久(善)さん、京都で信長を見る。

天正四年四月、伊勢参拝の帰路京に寄った島津家久さん。そこで石山本願寺を攻撃後
京に凱旋した織田信長の軍を目撃した。その日記にこうある。

「織田信長が、大阪の陣を引いてきたのを、連歌師の里村紹巴さんの弟子、心前さんと一緒に
見物する。

下京から上京に、騎馬の衆が列を連ねて相国寺の宿に入っていった。
その幟は九本。黄地に永楽銭の模様をつけたデザイン。
信長殿の前に母衣の衆が二十人。母衣の色はバラバラだった。
母衣は弓箭の覚え目出度い者にのみ許されるそうだ。

馬廻りの衆は百騎ほど。引き陣だというのにみんな鎧を着ている。
馬にも馬面、馬鎧しているものがあった。虎の皮を馬に着せてるものまでいた。
また、馬衣、尾袋をした馬が三頭いたが、これは信長殿の乗り換え馬なのだそうだ。

さて、その信長殿だが、皮の着物を着て、馬上で寝てた。

それにしても十七ヶ国の人数だと言う事だが、一体何万騎いるのか計り切れなかった。」

信長、変なところで居眠り乗馬を記録される。




53 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/20(金) 22:30:25 ID:x5bkExVb
>>51
そのあと光秀に茶席に招待されて
「オレ田舎モンでそういう作法とか何にも知らんから湯だけくれ」

とか言っちゃう家久(善)は本当に落ち着いてるというかパネェ

55 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/20(金) 22:32:17 ID:70xuYuXy
>>53
一方カトキヨらは見よう見真似で頑張ったけどな

56 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/20(金) 22:34:07 ID:c+7aeQxE
>>51
織田軍の偉容と、目を見張る家久さんが目に浮かぶようだなあ
想像するだに劇的なシーン

57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/20(金) 22:57:52 ID:HUXwgRVp
>>51
圧巻だったろうなぁ…。そして毛皮の着物か、どんな着心地か
気になるなw

60 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/20(金) 23:42:29 ID:O4+/CkQo
>>55
市松「いろんなもんがはいって飲めたもんじゃありませんでしたw」

62 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/21(土) 11:17:32 ID:sDlvARwp
>>60
織部汁とか髭茶だな……

島津豊久、たまには、まっすぐ帰ろう・いい話

2009年02月28日 00:17

358 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 19:38:08 ID:l789gLpa
たまには、まっすぐ帰ろう。

天正12年(1584)3月、有馬晴信の救援要請を受けた島津氏は、末弟・家久を
総大将として、肥前島原で龍造寺軍と対峙した。

出陣に先立ち、家久は一人の若武者を呼んだ。 「豊久を、これへ。」
家久嫡男・豊久15歳、これが初陣だった。

家久の本音を言えば、息子の初陣に、この戦は選びたくなかっただろう。

兵数で倍する上に『武士道とは死ぬ事と見つけたり』と豪語する佐賀侍に勝つため、
この時、家久は過酷な軍法を発令していた。

一、一番槍、一番首の功を用いず。ひたすらに将目がけて突き進むべし。

一、わが隊将の首、敵に委ねるべからず。その仇、報ぜぬ時は一隊ことごとく討死せよ。

一、最初の持ち場から前進していれば良し、左右に避けたり後退しても目前の敵を
  撃破すれば良し、それ以外は隊将も士卒も死罪。

豊久は当初、薩摩へ戻ることを命じられたが、
「父の危機を聞けば、いずれにせよ駆けつけるものを、ただ戻ったとあっては、
末代までの恥でございます。」

と、帰還を拒否したという。

359 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 19:38:54 ID:l789gLpa
「お呼びでしょうか、父上?」甲冑を着込んだ島津豊久がやって来た。
「おう、良き武者振りぞ・・・ただ、兜の結びようが悪いな。島津家の者は、兜の緒は
こうやって締めるものだ。」

家久は豊久の兜の緒を固く締め直すと、脇差を抜き放った。
「ち、父上?!」 「動くな。」
脇差で豊久の兜の下げ緒を切り落とすと、大将は若武者に語った。

「さあ、これで自分では緒をほどけまい。お前が今日討ち死にしても、龍造寺の侍が
この緒を見れば、『島津の若者は、二度と兜を外さぬ覚悟で出陣している』と、お前の
心意気を賞賛するだろう。

もしも生きて戻れたならば、わしが兜を外してやろう。良いか、生きて戻らねば
その兜、外すこと許さぬ。必ず生き延びるのだぞ・・・!」

戦いは、龍造寺軍が沖田畷の湿地帯に入り込んで動きが鈍った所を、島津の伏兵が
襲い、総大将・龍造寺隆信まで討ち取る大勝利に終わった。
「豊久は?豊久はいかが致したッ?!」 豊久は、


帰って来た。その手には、兜首さえ下げていた。父は笑って、息子の兜を外してやった。


関ヶ原で伯父・義弘を逃すため殿軍となり、井伊隊の槍ぶすまの前に散った
豊久のものとされる甲冑には、兜がありません。
ttp://uproda11.2ch-library.com/src/11162442.jpg
豊久甲冑

『帰る』事なく外すことを許されないその兜は、今も戦場で豊久とともにあるのでしょう。




360 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 19:41:43 ID:eBAYPVTD
何といういい家久・・・

361 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 19:51:25 ID:++TAoG4+
家久(善)はさすが。さわやかな話だなあ。

363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 21:16:36 ID:VjLiNEVX
>>358-359
この親子、漢であるッ…!

364 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 21:23:39 ID:eBAYPVTD
家久(悪)「チッ・・・親父が生きて帰ってきたお陰で内府殿への言い訳が面倒になったじゃねーか」

366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 21:31:21 ID:XD9M4hC+
鎧の傷生々しいぜ…

367 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 21:46:57 ID:9bMR+Js0
>>359
こんな光景見ちゃった周りの武士、目から汗状態で戦えないだろ!

371 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 23:14:10 ID:39hyG9pC
鎧だけが残ってるってことは家久はふんどし兜姿か・・・

島津家久(善)送迎会地獄・悪い話

2009年01月09日 00:21

113 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/08(木) 17:24:18 ID:zx7zh/8V
天正三年(1575)、九州は全体に政情が落ち着き、当面は戦の心配のない状況であった。

この機に薩摩の善良な方の島津家久(以下、家久(善))は、多年の宿願である伊勢参拝に
おもむく事にした。2月8日より準備をはじめ、2月20日、領地の串木野より、伊勢に向かって
いよいよ出発の運びとなった。

が、そこは薩摩、一筋縄ではいかない。

2月20日

正午、串木野を出発。郊外に仮の宿舎を構え、家族と共に出発の酒宴。

薩摩山を下り開聞の渡り場まで来ると、平佐衆が酒を持ってやってきた。酒宴。

川内川を渡って新田神社の鳥居の前に上陸すると、東郷衆がたくさんの料理と酒を
持ってやってきた。酒宴。

その後新田神社に参拝。神前で三献の酒をいただく。

正宮寺に立ち寄り、酒をいただく。
そのまま舟に乗り、酒の勢いで歌を歌ったりしながら川を下る。

高江の山田有信が用意した休憩所にてお茶漬けを食べ、酒を少し飲む。

その日は久見崎の港の膳介という者の家に宿泊。大量の酒と肴が出る。


移動するごとの酒宴。もはや旅の安全以前に、薩摩を出発するまでに家久(善)の
胃と肝臓が大丈夫か、
と言う状況である。

酒宴に誘う薩摩隼人たちは全員、家久(善)への善意に満ちていたに違いない事を考えるにつけ、
「たまにはこんな薩摩から離れたい」、家久(善)もそう思って伊勢に向かったんじゃないかな?
そんな事も考えさせる、旅の始まりであった。




114 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/08(木) 17:27:38 ID:NjmjtgSR
家久って島津の末っ子の家久だよな?
この人病死らしいけど、そりゃあ病死もするよなこんなの
伊勢参りの目的に無病息災を願いたいとかがあったりすると泣ける

116 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/08(木) 18:52:59 ID:9+uTP5DR
>>114
だとすると、つらいなあ…
豊臣に暗殺された説の方が、まだ悲しみが小さい

117 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/08(木) 19:24:51 ID:xIWgKY7k
>>113
おまえら家久(善)に何をさせたいw

118 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/08(木) 19:26:00 ID:xIWgKY7k
>>113
島津は酒好きが多いなw

119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/08(木) 19:36:11 ID:9+uTP5DR
「飲まない奴は男じゃない」って雰囲気があったのかも

120 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/08(木) 19:46:51 ID:ujBBVZLn
悪いほうの家久って貴久の末っ子じゃなかったのか…
まとめの方で違和感を覚えながらも今まで気付かなかったw

123 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/08(木) 20:28:56 ID:zx7zh/8V
島津家系図

  島津貴久
    │

義久―義弘―歳久―ライトサイド家久 (島津四兄弟)
 │   
 │--- ←養子
 │
忠恒(ダークサイド家久)

「無双の剛の者」江里口信常・いい話

2008年11月14日 00:10

105 名前:大人の名無しさん[] 投稿日:2008/11/13(木) 18:24:13 ID:2AhTGECl
沖田合戦にて
島津家久の奇襲に遭い、主の竜造寺隆信を失った
竜造寺四天王の一人、江里口信常は
敵軍の中を味方と偽り本陣まで突進!

ついには家久の元まで辿り着き切りかかる・・だが
悲しくも足を切り付ける程度に終わってしまい
その場でなぶり殺されてしまう。

家久からは「無双の剛の者」と称えられ、一族を召抱えたいとまで言わせた。



106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 18:29:04 ID:P0emGFJG
家久は家久でも、DQNじゃない方の家久か…

109 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 20:36:25 ID:b6EviZvI
DQNの方の家久は忠恒って呼ばないか?
紛らわしい。