楯岡光直翁之亊

2015年03月02日 18:27


684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/02(月) 12:49:07.47 ID:SOa/h9Hp
楯岡光直翁之亊

1622(元和8)年最上家が改易されると、出羽の主立った者たちは国外退去となり、最上騒動の中心人物とされた楯岡光直は、
幕府の命令で九州小倉の細川忠利に預けられることになった。
忠利は、江戸表にいたが国元の家臣に手紙を書いて楯岡光直の処遇についての指示を出した。

「甲斐守(光直)が小倉に着きしだい、百人分の手当てをせよ。
宿舎はしばらくは寺をあてよ。
屋敷については自分がそちらに行ってから申し付ける。
(光直は)家来を百二、三十人も連れているのだから、その心得をするように。
光直は最上義守の※次男にて、義光の弟、其姉は伊達政宗の母堂なり。」

『細川実記』細川忠利の手紙

光直はしばらくは蟄居の身柄であったが幕府から猶予されると忠利に請われ細川家に仕え、その子孫は千石の家老職として明治維新を迎えた。

※義守の次男は長瀞義保(ながとろよしやす・ながとろよしもち)。光直は三男ともされる。




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