874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/14(火) 17:21:31.40 ID:LG6cXNPR
足利義政将軍の代の頃、畠山左衛門督政長と同右衛門佐義就が、故管領左衛門督持国入道徳本の家督を
争うことがあった、。
康正二年(1456)の夏、彼等は河内国萱振という所で終に合戦に及んだ。
しかしもともと一族であるので、両勢の旗は同じであり、敵味方の区別ができないとのことで、
畠山政長は咄嗟に、旗に乳(布製の筒)を付けて竿に通した。
その時代の人々は皆これに倣い、そのため世の旗の制が一変した。
後世に云う乃保利(幟)がこれである。
或る本に、近代では多く棹付に縫いつけ、そこに乳を付けた旗を用いるが、その所以は、旗を張り立てる時、
棹に通す手間を取らず、或いは森林中などを通る時に、物に引っかかること無く、その自由能きを以ての
事だという。またその縫い様は、針返しをせず、打ち通す事を嫌い、射向の方へまくり出して縫うと云う。
(新東鑑)
幟旗の由来について
足利義政将軍の代の頃、畠山左衛門督政長と同右衛門佐義就が、故管領左衛門督持国入道徳本の家督を
争うことがあった、。
康正二年(1456)の夏、彼等は河内国萱振という所で終に合戦に及んだ。
しかしもともと一族であるので、両勢の旗は同じであり、敵味方の区別ができないとのことで、
畠山政長は咄嗟に、旗に乳(布製の筒)を付けて竿に通した。
その時代の人々は皆これに倣い、そのため世の旗の制が一変した。
後世に云う乃保利(幟)がこれである。
或る本に、近代では多く棹付に縫いつけ、そこに乳を付けた旗を用いるが、その所以は、旗を張り立てる時、
棹に通す手間を取らず、或いは森林中などを通る時に、物に引っかかること無く、その自由能きを以ての
事だという。またその縫い様は、針返しをせず、打ち通す事を嫌い、射向の方へまくり出して縫うと云う。
(新東鑑)
幟旗の由来について
スポンサーサイト