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加藤与平次の理

2015年04月07日 18:43

653 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/06(月) 21:21:00.56 ID:jRFJ6FMH
>>647の後日談

慶長2年(1597)12月25日、蔚山籠城戦において、明軍は大軍を次々と入れ替えつつ、未明から
申の刻(午後4時頃)まで休みなく攻め立てた。
しかし籠城側は堅固に防戦し、その日も敵が城内に乗り入ることは出来なかった。
明の将軍たちが指揮をふると、明軍は包囲を解いて引き帰って行った。

これに籠城の兵たちもため息を付いて休息したが、この時、加藤清正に付き従ってきた商人が、
米五升を持ち出して、声高らかに売っていた。

加藤与平次がこれを見て「買おう」と言うと、米商人は「では判金10枚です。」と答えた。
加藤はこれを聞くと

「このような籠城を争う中に金銀など持っているわけがない。しかしここにある我が大小には、
7枚の黄金で仕立てた熨斗付(金銀を薄く延ばした板を刀剣の鞘にはりつけること)がしてある。
これでその五升の米を買い取ろう。」

しかし商人は、「大小の御腰の物ではお代にはなりません。」と断った。
これを聞いていた近藤四郎右衛門尉は激怒し、目を四角にして睨みつけた唸るように

「理非も知らぬ憎き奴めの口上かな!堀裏で防衛をしている者でもないし、大河内が水を買った例もある!
その細首落としてくれよう!」

そのまま刀の柄に手をかけ駆け寄ろうとする所を、加藤与平次はとっさに止めた

「まず聞かれよ、理というものがある。大河内殿が水を買った話は、この城の上下皆知らないものはいない。
そこで今、我らが商人を切るというのは、大河内殿の仕方をそのまま真似るというのに似ているではないか。
ここはただ、代金をつかわそう。」

商人は近藤の眼色に肝を消し、震えわなないていたが、大小を受け取って米を渡した。

加藤は、その米を五粒、七粒づつ、残らず朋輩の士に振る舞った。
加藤清正、浅野幸長、太田一吉の三大将を始めとして、城内の上下はこれを見聞きして、

「若年にもかかわらず翁のような含蓄だ。類い少ない士である。」

と、感涙を流したという。
(朝鮮記)




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