843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/17(金) 18:52:45.37 ID:icpDxgOw
安城松平家初代の松平親忠は、勢誉愚底を開山として自身の菩提寺を建立した。
寺院は愚底によって大樹寺と名付けられた。
親忠は愚底に
「大樹とは将軍の唐名であるが、私の菩提所の寺号としてはどうなのだろうか」
と尋ねた。
すると愚底は
「将来この寺が将軍家の菩提寺となることを願ってこのような寺号をつけました」
と答えた。
親忠の末孫が愚底の言うように天下を治めることになったのは真に不思議なことである。
『朝野旧聞ホウ藁』収録の『大樹寺旧記』より、大樹寺の命名に関する逸話である。
江戸時代になってからつくられた話と言われれば信じてしまう程に出来過ぎな話だが、
松平氏は親忠の父の信光にしてもこういう類の願文を作っていたりするので、
新編岡崎市史でもこの話は真実としていいかもしれないとする。
なお、当時から将軍の唐名は大樹であったこと、
大樹寺は文明17年(1485年)には既に大樹寺と号していたことは間違いなく、
松平氏は幕府政所執事伊勢家の被官であったため将軍の唐名について
ほぼ間違いなく知っていたと思われる。
安城松平家初代の松平親忠は、勢誉愚底を開山として自身の菩提寺を建立した。
寺院は愚底によって大樹寺と名付けられた。
親忠は愚底に
「大樹とは将軍の唐名であるが、私の菩提所の寺号としてはどうなのだろうか」
と尋ねた。
すると愚底は
「将来この寺が将軍家の菩提寺となることを願ってこのような寺号をつけました」
と答えた。
親忠の末孫が愚底の言うように天下を治めることになったのは真に不思議なことである。
『朝野旧聞ホウ藁』収録の『大樹寺旧記』より、大樹寺の命名に関する逸話である。
江戸時代になってからつくられた話と言われれば信じてしまう程に出来過ぎな話だが、
松平氏は親忠の父の信光にしてもこういう類の願文を作っていたりするので、
新編岡崎市史でもこの話は真実としていいかもしれないとする。
なお、当時から将軍の唐名は大樹であったこと、
大樹寺は文明17年(1485年)には既に大樹寺と号していたことは間違いなく、
松平氏は幕府政所執事伊勢家の被官であったため将軍の唐名について
ほぼ間違いなく知っていたと思われる。
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