島左近は石田三成の寵人である

2016年07月05日 21:29

島左近   
803 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/05(火) 03:08:44.08 ID:Przl9z/j
島左近石田三成の寵人である。この左近の勧めによって石田は逆意までも起こした
のである。左近の心の奥に潜む考えは、石田が天下を取ったなら、つまるところ天下は
自分のものだと思っていたのだという。左近の知行は三千石である。

島左近ハ石田カ寵人ナリ此左近カススメニヨリテ石田逆意モオコリタリ左近底意ハ
石田天下ヲトリタラハ畢竟我モノト存タル由左近知行ハ三千石ナリ)

――『武功雑記』



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島左近と聞けば、今でも気分が悪くなる。

2015年09月04日 09:52

島左近   
263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/03(木) 23:37:29.95 ID:20Shf9vm
ここに一つの物語がある。剛なる者も急なる時は、物の判断を見定めることができなくなるという話である。
黒田家の関ヶ原の戦場に出た者達6,7人が、後に筑前で集まって話をしていた時、一人が言った

島左近の関ヶ原での振る舞いは、日頃名高きほどに見えた。
鞭を振り上げ、懸かれ懸れと叫んでいた声、今も耳に留まって不便である。
真っ黒な具足の、兜には立物もなく、差し物も差さず、柿色の羽織を着ていた。」

所が別のもの
「いやいや、鼠色の羽織であった」

別の一人は
「いや、羽織はつけていなかった」と言った。みなまちまちの見覚えであった。

「さても各々も私も、戦場であってもそれほどうろたえるような人間ではない。それが
このように記憶が違っているのはおかしくも不審なことだ。そういえば誰々は、元は
治部少に仕え、しかも関ヶ原であの場におり、良く覚えていると聞く。彼を呼び寄せ、
尋ねて不審を晴らそう。」

そう言ってこの3人は旧三成家臣の者を呼び寄せ問うと、その時の島左近の兜の立物は、
朱の天衝三尺ばかり。具足は樋皮溜塗り菱綴、その上に木綿浅葱の羽織に縄を帯にしていた、
という。

「さてもさても恥ずかしきことだ。この座の者達が度々武功をなした者でなかったら
その身の恥ともなっただろう。不思議なることだ。」

一人はそう言ったが、その中でとりわけ物慣れたものが
「いや、我らの事ながら、これも理だ。その時のことを思い出せば、今も身の毛が立つぞ。
あの時は一息切断の所であったので、顔をもたげ、敵の面を見る事も出来なかったので、
各々も覚えていないのであろう。

島左近と聞けば、今でも気分が悪くなる。鉄砲によって討ち取らなかったら、我々の頸が
何の手間もなく取られたであろうよ。今、このように良き座敷で、しかも心安い友ばかりで、
良き振る舞いを食い、気ままに酒を飲み、良き茶を飲み、寝ながら話をする。そんなことは
出来なかっただろう。
そんな状況であったから、大方の者達が目の仏を失ったのだろうな。
これまでと印象が変わったからといって、我々を笑わないでくれよ若い衆たち。」

そう語った。

(古郷物語)



264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/04(金) 00:10:07.18 ID:sBlw/JuD
死線潜り抜けてきた後だと戦友達と過ごせる日常ってさぞ幸せに感じるだろうな

265 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/04(金) 00:27:56.61 ID:fZYmNpP9
>>264
隠居済みだったり、行政官として活躍してたら別だけど、戦しか能が無い者にとってはそうでも無いんじゃね?

266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/04(金) 02:12:35.25 ID:cLaIxLoM
やっぱ島左近てすごかったんやな

267 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/04(金) 03:26:40.97 ID:fl7GhPFT
三成に過ぎたるものが二つあり
縞のサテンにさわやかな白

268 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/04(金) 07:51:02.73 ID:fzJzjHLW
>>267
そう書かれると三成さん暑苦しい人みたいですやん

269 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/05(土) 16:08:25.65 ID:2nVeE7/D
幻術つかいサコン現る!


つかsakonって関が原の話ばかりだが筒井時代の話ってないのかね
筒井家に右近と左近ガイルってくらいしか知らんわ

270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/06(日) 09:55:31.94 ID:1gdl1xuw
関ヶ原じゃ左近よりも小早川の方が活躍しとるしな

271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/06(日) 10:50:40.42 ID:nput2gN7
まあ武功は武功だが…

272 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/06(日) 16:00:03.89 ID:79S/0gKI
全くな
俺が小早川だったら千人斬りして天下無双の称号えてるよ

273 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/06(日) 17:19:44.83 ID:OCYz/l7C
>>269
超有名人なのにビックリするくらい史料にも出てこないからなぁ

雑談・島左近の評価について

2015年01月07日 18:52

島左近   
187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/07(水) 04:34:44.96 ID:giNPOH3x
>>181、>>183
島左近は後世の評価が過大評価っぽいよね

・1550年に家督を継いだ幼い筒井順昭を盛り立てたと言われるが、当時の
 家臣団に名前が無く、初登場は1571年
・「筒井家の両翼(右近左近)」と並び称されたと言われるが、順昭が活躍した
 時代の両翼は松倉秀政と松田盛勝で、松倉重信(右近)と島左近はもっと後期
・実質的には定次時代の両翼だが、すぐに筒井家を出奔
 四国征伐には定次とともに従軍したようだが活躍の記録なし
・豊臣秀長・秀保に仕え、九州征伐には参加したが、秀長の病気により小田原
 征伐には参加せず、朝鮮の役でも秀保の渡海は無く、秀保配下の紀伊衆
 とともに水軍として活躍した形跡もなし
・その後に三成に仕官
 よってその戦歴は、ほとんど大和国内または信長-順昭、秀吉-定次配下での
 畿内の戦(紀州攻め・伊賀攻め)がメインで、大規模な戦は定次-四国攻め、
 秀長-九州攻めの2つのみであり、それ以降の10数年は、関ヶ原まで戦場での
 指揮の経験なし
・島氏は大和の在地土豪で、「山県昌景の下で家康が敗走するのを追った」も
 嘘っぽい

188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/07(水) 06:51:02.96 ID:2C4bEDQC
>>187
戦歴から言うと過大評価なんだろうけど、関ヶ原という世紀の大合戦での散り際が余りにも印象的で
後代の人々の心を惹きつけたんだろう
常山紀談が出典だからどこまでホントか分からんが、黒田軍の兵士が左近の姿を覚えてないくらい
壮絶な戦い振りだったようだし
それに日本人は判官贔屓だしな

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/07(水) 07:54:28.71 ID:oDNy5msZ
現代に至るまで
後付けと脚色だらけの嘘八百に騙されて満足してるのが大半というか
むしろいい悪いスレなんてその筆頭みたいなもんだし、まぁそんなもんだよねとは思う
一旦イメージつくと修正に時間かかるから、苦労してる人もいるみたいだが

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/07(水) 08:28:09.21 ID:uOwd3dbK
最上義光「ほんとそう思うわ」

191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/07(水) 09:00:41.22 ID:giNPOH3x
>>188
常山紀談には、左近の「かかれーっ!」の声を夢に聞いて飛び起きた
黒田家の兵の話がでているけど、それはまさに開戦の時の号令
乱戦前のものだ

左近が銃撃を受けて戦場から消えるのは、三成が開戦から2時間後の
様子見の西軍諸将をうながす狼煙を上げる以前のことだから、左近は本戦
約6時間のうち、最初の1時間程度しか実質戦っていない
西軍総崩れ後の、死を覚悟した左近の「最後の突撃」は後の軍記物にしか
登場せず、負傷後に担ぎ込まれた石田陣営内で死亡した可能性が高いことを
考えれば、関ヶ原での活躍も非常に小規模

大阪夏の陣で、毛利勝永の活躍が真田幸村の伝説に吸収されてしまったように、
乱戦になる前の最初の激突において敵味方から見て目立っていた左近が、
その後の蒲生頼郷・蒲生郷舎・舞兵庫・高野越中・大山伯耆らの頑張りを
自分の伝説に吸収してしまったと言える
局地戦の戦術家としてはともかく、戦略・政治において左近の実像は、
後世に伝えられる西軍の軍師・関ヶ原における石田軍の指揮官には
程遠い感じがする

192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/07(水) 09:06:42.58 ID:jwnWGItD
勇戦した石田家臣団の筆頭だったんで
確かな記録は残ってなくても
優れた人物だと知られてたんじゃないの?
明らかに優秀で魅力的な人でも
結果を残せずに消える人っていくらでもいるし。

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/07(水) 09:46:15.31 ID:BCmaG7ZT
前述の戸田武蔵もその一人なんだよなw

194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/07(水) 10:57:14.58 ID:mWO4czCW
同じ丹羽系でも長束とはだいぶ待遇に差があるよね
それとも秀吉の直臣で兄に隠れていたからかなあ

195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/07(水) 16:58:18.42 ID:JVEAblps
>>181
夜襲に反対した石田三成がよく批判されるけど、
保元の乱の顛末を知らない訳無いだろうし反対する
理由があったんだろ

島左近の『掛かれえっ、掛かれえっ』の声

2013年12月23日 19:14

島左近   
93 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/12/22(日) 18:14:36.50 ID:2piN7hgx
他板からのコピペ

61 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 2013/12/22(日) 14:39:59.76 ID:6pgrCdSz0
官兵衛とは関係ないけど、関ヶ原で石田三成隊と直接対決した黒田長政隊の将兵は、
島左近の『掛かれえっ、掛かれえっ』の声のあまりの恐ろしさに、戦いが終わって何年も経つのに夢に出て飛び起きたりした」
という経験をずっと子孫に伝えてたらしい
黒田藩士を先祖に持つ俺の友達が爺ちゃんから聞かされたと言ってた
その爺ちゃんはさらにそのまた爺ちゃんから聞かされたんだそうだ

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/22(日) 19:29:08.41 ID:vmBYXErI
>>93
めちゃくちゃ有名な「かかれ」の逸話だけど、当事者の子孫の口伝だと感慨深いな

95 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/12/22(日) 20:34:46.40 ID:kbt+XBzT
うむ。

96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/23(月) 10:37:06.59 ID:+tpLCNq/
一方、島津家では「えい!えい!おーっ!」で惟新斎様が飛び起きた

島左近の機略

2010年08月21日 00:00

島左近   
738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/20(金) 20:08:08 ID:ZacCTqHj
「万騎ヶ原の戦い」の話に乗っかって「関ヶ原の戦い」の話を。

関ヶ原の時のこと、上方勢(西軍)は東軍が押し寄せてくるのを見て大いに動揺した。
左近は皆に、
「内府(家康)は関東にて上杉景勝と交戦中なので上って来られるはずはない。だから
敵は計略をもって夜には兵を出し、昼は押して入り、内府の着陣したように見せかけているだけだ」
と言って廻り兵を鎮めているところに、白旗がおびただしく翻ったので、いよいよ「内府が着陣した」と
動揺が広がった。

しかし左近は平然として、
「惣白の旗は金森法印である。では足軽どもを出して敵の形勢を窺ってみよう」
と、宇喜多秀家の兵とともに株瀬川(くいせがわ)の前に陣を置き、近くの薮の中に伏兵を設け、
軽兵に川を渡らせて中村一栄の陣に鉄炮を撃ちかけた。

一栄の兵がこれを見て左近勢に攻めかかり、競って押し寄せてきたため、
わざと支えきれないふりをして退却したところ、敵は図に乗り川を渡って攻め寄せてきた。

そして左近がかねて用意しておいた伏兵が両翼からこれを囲み、さんざんに敵を撃ち破ったため、
東軍は本多忠勝を出して兵を引き上げさせた。
この左近の働きによって陣中の動揺が静まったため、人は皆左近の働きを讃えたという。




739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/20(金) 20:40:07 ID:89mFZQrP
司馬関ヶ原の話だな

七将襲撃事件と左近提言

2010年05月30日 00:00

島左近   
73 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/29(土) 19:02:24 ID:djwaJuT9
慶長四年(1599)閏3月3日の、いわゆる七将による石田三成襲撃事件。

伏見に逃げた三成を匿った佐竹義宣は筆頭大老、徳川家康に事態の収拾を依頼、
家康はこれに、七将による三成引渡し要求を拒否した上で、三成の佐和山への引退を要求した。

さて、家康から引退勧告を受けた三成である。
重臣らとこの勧告に対しどうすべきかを相談したが、この時島左近が進み出て言う

「軽率に佐和山に下るのは、断固反対です!
だいたい今回の襲撃、内府があの七将を煽ったに違いありません!
であるのに、親切に事態を収集してくれたなどとうかつに信じて、佐和山に向かう途中で
襲われれば末代までの嘲りとなるでしょう!」

左近、テンションが上がってくる

「我が石田家が動員出来る軍勢はおおよそ1万強、と言ったところです。
今から急ぎ佐和山に使いを送り、押さえの兵を除いて9千を呼び寄せましょう。
そしてこれを四手に分け、それがしに二千、舞兵庫に二千、蒲生備中に二千、
そして殿の旗本に三千、これにて先ず、ここからすぐ近くにある浅野幸長の屋敷をはじめ、
諸大名の屋敷に次々と火をかけ、それがしと舞兵庫、蒲生備中の三人が先手となって、豊後橋より
内府の屋敷に攻め入るべし!

しかし内府も心がけのある武将です。手の者に防戦させ、その間に退去するでしょう。
退去した場合、大和路ならば宇治あたりで追いつくでしょう。山科方面ならば蒲生備中が詳しく、
木幡越であっても瀬田を超えさせはしません!
大阪の諸侯が騒いだとしても、にわかのことで対応など出来ようもなく、その間に内府を討てば
味方は勇み敵は屈し、勝利は我らのものとなるのです!」

この辺で左近、テンションMAXになる

「この計画が失敗すれば我が石田家は滅亡となるでしょうが、天下のためにもこれはするべき
なのです!さあ立ち上がりましょう、殿!!」

天下の義挙の前に石田家などどれほどのことがある!左近の猛烈な熱意に、三成は答えた!


「やっぱ佐和山に下ろう。素直に。」

家臣の癖に計画の中で勝手に石田家を犠牲にしたのがまずかったか。
島左近、三成の説得に失敗する、の巻。




74 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/29(土) 20:35:50 ID:0o+uRHwB
左近スゲーな、これが実現できていれば戦国最高の策謀家の評価だったろうになぁ

75 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/29(土) 20:48:39 ID:VYR8gDyO
立場の違いだよね~
三成さんは政治家としての立場もあるらね・・・

76 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/29(土) 20:57:17 ID:SsmUlMlp
明智のみっちゃんとやってること変わらん気がする

77 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/29(土) 20:59:52 ID:oDCKKo3g
主君を討つのとは全然違うだろ

78 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/29(土) 21:01:34 ID:hb6geHE2
スケールを小さくすれば同時期の宇喜多家中でもこんなこと言ってたんじゃないのか。

関ヶ原の決戦前夜、石田三成のもとに島津豊久がやって来た。

2009年08月19日 00:06

島左近   
495 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/17(月) 23:51:42 ID:7WAMNzqt
いい話スレで、家康が関ヶ原でハッタリ効かせて鼓舞する話が出てたので。

関ヶ原の決戦前夜、石田三成のもとに島津豊久がやって来た。
「今宵、内府(=家康)の陣に夜討ちをかけてはいかがだろうか?ご同意いただけるなら、
わが島津が先鋒を承ろう。」

三成が判断に迷っていると、隣にいた島左近が代わって答えた。
「島津殿の申し出は有難いが、夜襲というのは劣勢の軍が大軍にかかり、短期決戦を
挑むもの。大軍から劣勢にかかるとは存じませぬ。
当方は大軍、敵は劣勢なれば、平地での堂々の戦にて、お味方の勝利は疑いなし。
拙者も久々に内府が背を向け、逃げる姿を見ることになりましょうぞ!」

左近の答えに対し、豊久は尋ねた。
「ほう、左近殿はいつどこで内府の背を見られたのかな?」
「拙者、若きころ故あって武田家は山県昌景の下にいたころ、まさしく内府の背を…」

そこまで聞いた豊久は、
「当時の内府は、今日の内府ではあるまいよ。もし、左近殿が言うように明日内府の背を
見られるならば、お味方には幸運これ以上の事はなかろう。
この豊久には全く合点が行かぬ話だがな!」と言って苦笑し、自陣に帰って行った。




496 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/18(火) 00:00:48 ID:Yijucfuo
豊久(´・ω・`)

497 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/18(火) 00:10:58 ID:AgugYDYR
実力者がいない軍は統率が取れないもんなんだな
統率とれないから各々好き勝手なこと言い出して…って今の自○党みたいだな西軍

498 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/18(火) 00:12:08 ID:kY5PkF2/
第一次源平合戦のときも夜襲を却下された結果、負けた方々がおったなぁw


499 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/18(火) 00:17:29 ID:rczTMb9I
>>495
まあぶっちゃけた話この時の島津の夜襲提案ってのも、後世の作り話だと思うがw
しかしこの逸話の

> 拙者、若きころ故あって武田家は山県昌景の下にいたころ

島左近が武田家にいたなんて話が、何がどうなって発生したのか興味深いところだな。

500 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/18(火) 00:17:33 ID:yY1P89vq
最近、左近が大した事ないように感じるんだけど…
そんなことはないよな(´・ω・`)

501 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/18(火) 00:22:47 ID:pvKBYZz4
そんなはずないだろ
だってSAKONだぜ?

502 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/18(火) 00:32:01 ID:AgugYDYR
三成に過ぎたるもの左近
家康に過ぎたるもの忠勝

503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/18(火) 00:56:32 ID:IQCoCrOA
左近が筒井家出た後ウロウロしてたのを良いことに武田にいたとハッタリかまして
「家康なんて怖くない」とアピールしたのを潰された豊久KYな話

とSAKONスキーとしては思いたい・・・

504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/18(火) 01:05:29 ID:jSaMrh06
普通に読めば下らん見栄の為に勝つための策を一つ潰したSAKONの悪い話になっちゃうからなw
正直左近の人物像が良く判らんから何とも言えんが

505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/18(火) 01:40:31 ID:gUlq8Wzx
>495
で、結局のところ三成は左近の意見に従って野戦を決意するんだが
この顛末を聞いた義弘は
「三成は知恵はあるのだが、果断さに欠けている。
 この好機を逃すとは勿体無いことを…」
とこぼしている…のだが、この台詞も創作なんだろうなぁ。


506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/18(火) 02:09:31 ID:BNj0zfYP
大軍で大軍を夜襲したらさぞかしわけのわからない光景になっただろうな

507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/18(火) 02:52:27 ID:x2Css72Q
普通なら夜襲を仕掛ける側は
それ用に小部隊を編成するだろうけど

本気で大部隊で夜襲したら
攻められた側ばかりでなく攻めた側まで
気がついたら同士討ちが始まってそう…

508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/18(火) 06:10:59 ID:BN5Vza6f
無双だと左近が武田の援軍ででてきたけど、肥はこの話を知ってやったのかな?

509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/18(火) 07:14:07 ID:aobBaeci
>>507
そういう場合は大概、二の腕に揃いの目印を巻きつけておくとかするんじゃね?

510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/18(火) 07:28:30 ID:ZKIa8jJ7
三成については後から無能狭量を強調する逸話が作られてそうだからなあ

511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/18(火) 08:05:18 ID:o5qY6FDm
戦場で優秀なのと、デスクワークで優秀なのは才能が違うからな。
三成しかり、兼続しかり、秀忠しかり。

512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/18(火) 08:11:19 ID:+5WA5khB
夜襲を採用して失敗していたら、それはそれで「やっぱ軍才ねーわ三成w」な逸話として
残されるんだろうな

513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/18(火) 08:32:19 ID:ZE8+FDUb
>>512
だな。秀吉の命令で仕方なくやった忍城の水攻めもボロクソに言われてるんだし。

514 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/18(火) 09:29:25 ID:LxMrJuE4
フジで左近

515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/18(火) 09:59:22 ID:QYV2YWzF
好意的に考えれば寄せ集めの軍で夜襲なんて統制つかなくなると心
配したんだろうけどね>左近
ただ結果論として言えばそれでgdgdになってた方が全体像としては
面白いことになってたかも知れないのに

516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/18(火) 11:48:47 ID:aMpcZtrP
全軍で夜襲をかければ準備に時間がかかるし、その間に
内通者が家康に「夜襲やりますよ」と告げておしまいじゃないか。

少数の島津としては、最大限の効果を上げるには夜襲くらいしかないのだけれど。


544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/19(水) 14:22:33 ID:bW6qqrjb
>>506
確かに日露戦争時に「大軍で夜襲は(ry」の常識を無視して
軍団単位(三個師団三万人以上)で夜襲をかけて成功したことあったよね。
たしかあの軍団の軍団長も薩摩閥…
薩摩の夜襲好きは近世まで続くか。

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/19(水) 15:08:59 ID:I3aR7GNW
夜攻撃かけるってことは昼間は寝てないといけないな
夜襲かけるために昼寝してる所を攻撃されたらひとたまりも無いぞw

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/19(水) 16:30:06 ID:65V72S5+
薩摩武士は寝ないに決まってるんですっ!!!11
美人アイドルがウ○コやお○らをしないように・・・(w

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/19(水) 16:39:29 ID:TunlKxWx
島津軍から聞こえるいびきの音で夜襲を察知し自分達も昼寝
夜襲をかけてくる頃には目もぱっちりで迎え撃つってどこの謙信ですか


島左近の、関ヶ原後の行く末話のひとつ

2009年08月14日 00:16

島左近   
366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/13(木) 19:05:57 ID:lU4NmnBm
有名な逸話だとは思ったがまとめにないようだったので、
諸説ある島左近の関ヶ原後の行く末話のひとつ。



殿隠しの洞

石田三成とともに関ヶ原で奮戦した島左近だが、
小早川秀秋の裏切りと共に三成軍は総崩れ、
戦場を脱して落ち延びることとなった。
三成はやがて捕らえられ、その後の運命は広く知られるところ。

一方の島左近は、三成と木之本町古橋で別れた後、更に北へと逃れ、
高時川支流最奥の奥川並へとたどり着く。
勿論こんな場所に武将が来るなど初めての事。
驚いた村人は事情を聞き、由緒ある武将だということで、村を上げて匿うこととなった。
村に置いておいては危ないと、更に奥地にある洞窟に匿い、
毎日食事を交替で運ぶなどして世話をした。

やがて残党狩りも収まり、村に追っ手が来ることもなくなった頃に村へと迎え、
家を建てるなどしたので、感激した左近だが、恩に報いる術がない。
そこで村の主な者が苗字に島の字を使うことを許した(上島・中島・生島など)。
他にもいろいろ知識を与えるなどし、平和に暮らしていたある日、
関ヶ原の論功行賞によって奧川並は彦根藩主・井伊氏直轄となってしまい、
その上、現地に検分に来るという。

左近を匿っていたことが知れれば、村人もただではすまないだろう。
困り果てた村の者達は相談したがよい案もなく、
仕方なくある夜、左近の寝込みを襲い、梯子で動けないようにして殺してしまった。
更に家にも火をつけて焼き払い、左近が村にいた痕跡をことごとく消してしまう。
その上で口外無用と厳しく申し合わせた。

かくして村は、彦根藩による検分を何とか免れた。
奧川並には今も左近を隠した洞が「殿隠しの洞」としてあり、
上島・中島・生島の苗字を三島と呼び、
左近の家跡を島屋敷と呼ぶなど、左近に関するものがあれこれ残っているという。


関ヶ原で小早川の裏切りによって破れた島左近、
その最期もまた人々の裏切りであったという悲しい話。





367 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/13(木) 21:22:43 ID:MTgEa1r0
>>366
きっと武将の首の取り方も村人に教えたんだろうね。
イイハナシダナー

368 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/13(木) 21:40:02 ID:qR8eFuKI
南のDQNの元に辿り着いていればなあ。

371 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/13(木) 22:42:03 ID:/ZqCBd3B
>>366
途中までうんうん、いい話だなーって思ってたら、
寝込み襲って殺したって…左近ほどの武将が…
これ悲しすぎるだろ…


372 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/13(木) 22:46:03 ID:8EUgV5rv
>>371
落ち武者伝説にはよくあるパターンではあるね。
八墓村も基本的にはこれと同じ流れだな。あれは尼子の武者だったか。


丹波福知山城主・小野木重勝の妻「女のたしなみ」

2009年06月27日 00:03

島左近   
707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 11:02:25 ID:syO5g19u
女のたしなみの話

丹波福知山城主・小野木重勝は出世前の若いころ和歌に狂い、妻さえも
「和歌の心得のある人が良い!」と八方手を尽くしたあげく、教養深い妻をもらった。

が、重勝は貧乏結婚した後も相変わらずの和歌狂い、連日ろくに蓄えも無いのに
四、五人も連れて来て歌会を催した。
ついにキレた重勝の細君、その夜は重勝に頼んで広間に簾を吊るし、自分もその中から
歌会に参加した。

「これは、殿上人のようじゃ!」と集まった人々は無邪気に喜んでいたが、しばらくして
侍女が細君のもとに来て言った。
「今夜のお客様に奉るべき物がございません。いかが致しましょう?」
細君は、すぐに短冊に歌を書いて一座に見せた。

月さへも 漏る宿なれば 春雨の ふるまう物も 無かりけるかな


なんだか教養豊かに懐具合を暴露された重勝の胸中いかばかりか。
ちなみに関ヶ原の戦いで和歌の師匠・細川幽斎を攻めた重勝、その子・忠興の怒りを
買い、切腹するハメになったが、この細君も歌を残してともに自害した。

鳥啼きて 今ぞおもむく 死出の山 関ありとても われな咎めそ

この細君の父の名を、島清興という。




708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 12:21:22 ID:s7KS0PHM
>>707
島左近の娘ってシリーズものになるような

もう一人、たしか柳沢兵庫の側室になってたべな

710 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 13:05:43 ID:ETY/R24T
>>707
三歳さんの悪い話ですね、わかります

711 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 16:16:27 ID:Nq7aKGEN
幽斎さんに誘われても和歌の勉強しなかったぐらいだから歌つながりで
小野木たちが攻撃を手加減してた事実なんてガン無視だったんだろな>三歳さん

712 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 17:05:38 ID:BF8rRTKe
ガラシャを失って気が立ってるどころじゃないからな
ついでに言えば田辺城包囲組みは最後に降伏した総大将格の小野木以外は
細川の取り成しもあって戦後ほとんどが本領安堵だったりする

717 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2009/06/26(金) 18:55:31 ID:czaBdXSI
>>711
三歳様は和歌を学んでいるよ。そりゃ、DQN四天王の中でも一番格が高い人だもの。
田辺城後の三歳様は、絶対に頭に血が上っていたな。

721 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 20:30:44 ID:4aIt4cAT
三斎様の和歌の才能は、三十六歌仙で証明されているじゃないか。

島左近の炯眼・いい話

2009年01月19日 00:11

島左近   
426 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/18(日) 15:05:09 ID:6hsigrMS
そう言えば、今日1月18日は鮭様の命日らしいな。(享年六十九)
みんな、山形に向かって黙祷。

そしてこれを気に最上義光の話をしようか、と言っても種が無いので
まとめサイトを見るに当たり案外上がっていない島左近の話を

"過ぎたるもの"と言われても、鬼は恩義を抱いて獄門に到る。
石田治部少輔の懐刀として関ヶ原を震撼させた島左近清興の先見を見据えた炯眼のお話。

1599年(慶長四年)1月、太閤秀吉薨去を待って居たかの様に江戸の古狸は眼を醒ます。
禁制である他家との縁組を押し進め、奥州伊達家・尾張福島家・阿波蜂須賀家と立て続けに
婚姻を押し進め、自勢力の麾下に置く。これを詰問するために大坂からは使者が幾度も江戸に向かい
特に五大老・前田利家は強い反発を示し、諸大名は利家・家康双方の屋敷に集結する。
世は、一触即発の危機に瀕していた。

そんな中、徳川家康は柳生宗矩に上方での情報収集を指示。元が大和柳生荘出身の国人である柳生家、
宗矩は島左近の屋敷を訪ねていった。

二人は座敷にて対面し、世間話などで茶を濁していたが
柳生宗矩が世上の雲行きが怪しい事に触れると、島左近は呵呵と笑うばかり。

島左近>>なぁに、世間は色々ときな臭いかも知れぬが…杞憂じゃ、何も起きはせんよ。
      今の諸将には松永久秀や明智光秀の様に智謀に優れ果断な人物が居ないからな。(,,´・ω・)旦~

さらに話題が進み、宗矩は五奉行・官僚派の中心人物・石田三成の事に触れる。
すると、島左近はたった一言こう呟いた。

島左近>>あぁ、その話か。───…それも心配しなくていい。もう、"時"を見逃し、見失っているからな。

"時"とはずばり、徳川家康を討つ機会である。
左近は三成に対し、太閤死後の家康台頭が間違いない事を提案、討つのであれば早い方が良いと
たびたび言上しており、実際に昨年末から今日に到るまで複数回、徳川家康を討つ好機があったと言う。
しかし、三成は事後に起こり得る懸念に臆したのか決断しない。
それならば、加藤清正・福島正則ら疎遠な重要人物とのわだかまりを捨てて好誼を結び、家康陣営の
切り崩し策を防御、その間に民政に心を砕いて人望を得るべきだと次の策を進言したが
それも三成は見送った。

島左近>>既に諸将の人望は家康に傾いており、今さら地固めをしても無駄だ。
     治部少輔殿には勝ち目はあるまい…もはや、今となってはな。―…(,,´・ω・)っ旦~ フゥ

そう言って、左近は宗矩を帰させた。
徹底した現実主義者でなければ生き延びれない戦場の武士であった左近と、
推測・期待値で物事を判断する内務官僚であった石田三成。
確かに、左近は"過ぎたる者"だったのかも知れない。

だが、佐和山城と違い左近には意地と忠義に報いる鬼の意思が宿っている。
既に開戦の一年半前に敗北を悟っていた左近は、関ヶ原で鬼の面目を躍如する
裂帛の闘い振りを見せて東軍を慄かせ、そして戦場の露と消えていった。享年不詳。

そんな島左近の、いい(先見の明と判断力の)話。




429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/18(日) 15:59:00 ID:/MdpIWcb
>>426
知られている水口城の暗殺(というかほとんど焼き討ち)計画以前から
秘かに何度も「内府殿を討つならば、今、お下知を!」ってやってたそうだからな。


最後に、子飼いの甲斐忍びへ向かってぽつりと
 「また鯉を獲ってきてくれぬか・・・」呟いて、隆慶一郎の小説が始まるわけで

430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/18(日) 16:01:15 ID:SHszI4yy
>>426
>わだかまりを棄てて交誼を結ぶ

それやろうとしても好物の栗を持参いたした、さあ私にかまわずどうぞ、だから所詮無理なのでは

島左近の”声”・いい話

2009年01月12日 00:02

島左近   
59 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/11(日) 09:53:53 ID:gMPl6wOI
有名な挿話なのだけどまとめスレに無かったので、島左近のお話を

関ヶ原の合戦(1600年・慶長五年)も元和偃武(1615年・元和元年)も遠い昔となってしまった
天下泰平の江戸時代の事、筑前黒田家で"関ヶ原の合戦"について話をしよう、となった時の事。
関ヶ原の戦いと言えば大谷刑部吉継の奮戦や井伊直政・福島正則の先陣争いと話題に事欠かなかったが、
皆が首を傾げるような事が、起きた。

誰も島左近の『姿』を覚えて居ないという。
そんな事は筑前黒田家に於いては考えられない。島左近の軍勢と真っ向切って戦ったのは
他のどの家でもない黒田家なのだから。だが、誰に聞いても島左近の姿が判らない。

逆に皆が鮮明に覚えて居たのは、島左近隊が上げる地獄の底から響くような『鬨の声』だった。

黒田家老臣壱>>…今思い出してみても、"あの声"には身の毛がよだって汗が出る…。(;・(,,ェ)・)
黒田家家臣弐>>あの時は、みな大方の者が魂魄を見失う様な恐怖だった、武辺で鳴らした黒田家でも恥ではあるまい…。
黒田家家臣参>>儂なぞ、夢にまで見たぞ。…何度あの"声"を聞いて飛び起きたものか…。(汗

『えい、えい!!(良いか、良いか野郎共!!(意訳)』『掛かれえェェエェ!!!』『死ねええぇえ――(#゚Д゚)――ッ!!!』と
怒鳴り散らしていた鬼神の様な左近の"声"だけは覚えているが、島左近の外装については誰も覚えて居ない。
『鬼神すら欺くであろう』と誰かが評した、そのあまりの恐ろしさに直視出来てなかったのだ。

そこで、当時石田家の家臣であった者(出典によっては島津家の関係者)に聞いたところ、こんな返答が得られた

石田家旧臣>>兜の立物は三尺余り(1㍍弱)の天衝を付けた朱塗り、具足は桶革胴の漆塗り。浅黄木綿の陣羽織を着ていた。

要するに、真っ赤な鎧と鍬形蟲の様な角、その上から薄黄色の陣羽織を着て居たと言うのだ。相当派手である。
だが、誰も覚えて居なかった。

"鬼"と綽名されるのは伊達じゃない。死後数十年を経ても武勇で鳴らした黒田家を恐れさせた島左近の奮闘、(かっこ)いい話。




60 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/11(日) 10:15:21 ID:LrA2yTxp
さすが、さこにゃん
まさに鬼

65 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/11(日) 17:19:26 ID:/gELtD7W
島左近というと、杭瀬川の一戦で中村、有馬を川の中に引っ張り込んで軽く一蹴した
話が有名だよね。

家康が、川の中に誘い込もうとする島側の動きを眺め、すぐに察知していた
ところはさすが。

島左近の借金の仕方!・いい話

2008年11月15日 00:02

島左近   
382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/14(金) 11:13:44 ID:vYdxJ9pj
上手な金の借り方

島左近は筒井家を出て牢人となったが、収入がないので生活が苦しくなった。
左近には、吉野に住んでいる金持ちの親戚がいて、この者に借金を申し込んだが
この親戚は欲深のドケチで、冷たく断られた。

そこでいろいろ思案した左近は、口のうまい人を探し出し次のような口上を述べ
させることにした。
「この前に借金を申し込んだけど、貸したくないなら貸してくれなくても結構だ。
しかし、オレが借金を申し込んだのは、あなたが大切な親戚だからなのだ。
そもそも、金銀財宝を人に施すものは、子孫が永久に繁栄し家がますます栄える
ものだ。逆に、施しをしないものは、災害をかならずこうむるというジンクスがある。
その話を聞いたゆえに、あなたに災害が被らないように借金を申し込んだのだ。」

それを聞いた親戚は欲深の性格だったので、使者の口上にコロリと参って左近に十分
過ぎるほどの金を貸したという。




388 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/14(金) 15:44:13 ID:RYYZqBY3
>>382
この逸話は何度読んでも、この親戚が欲深いようには見えないので解釈に困る。
ある種の宗教詐欺なんじゃ無いかとすら思えるw

389 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/14(金) 17:22:05 ID:WxAizyGz
>>388
金を貸すことで家産繁栄するなら、貸した金がそれ以上になってリターンされる
ってことで、欲深が飛びついたって意味じゃね?

390 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/14(金) 17:40:02 ID:RYYZqBY3
>>389
この親戚が、例えば左近が筒井家に仕官していた時代に散々世話になっていたけど、
いざ牢人となったら冷たくした、なら、「強欲」ってのがすんなり入るし、因果応報的な
逸話として納得できるんだけど、その前提が全く無い、突然現れたわけのわからん親戚が
金せびりに来るって、断られて当然のシチュエーションじゃないですかw

そこがどうも引っかかるのですわ。

391 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/14(金) 18:56:36 ID:WQWurEDA
>>390
「吉野に住んでいる金持ち」なら筒井家に仕えていた左近を知らないはずがない。
「突然現れたわけのわからん親戚」ではないはず。

浪人すれば困窮するのは当たり前
そんな親類に借金を申し込まれたらいくらかでも貸すものではないかと。
欲深というか吝嗇

392 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/14(金) 19:24:39 ID:CdiTzAFN
現代的な発想だとは自覚しているが

「親戚なら金を無心されたら出して当然」ってDQNの言い分だと思う。

親戚を友人とかに変えても同じだが。

「金を借りる側は断られて当然、貸してくれたら望外の恩」なのであって
「要求されたら無条件で金を出して当然、出さないのは人格がおかしい」って、
そんな発想の方がおかしいと思う。
>390のように、以前に何かしらの恩義を受けていたというのならともかく。