607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/21(火) 21:11:47.83 ID:CscOQyRT
森川出羽守重俊が、徳川秀忠の薨去に付き殉死する時、息子伊賀守重友以下、親類を招き集めて
庭訓した
「弓矢の臆れは少しでも大事になってしまうものだ。先年、大相国(秀忠)が独座されていた時、
ため息をされたのを御次の間にて承り、「これは天下の大事でも起こったのか」と胸騒ぎしたが、
その後御機嫌を伺った所、先のため息について「真田表のことは…」と仰られた。
あれ式の事さえ、相国様は御身の臆れのように思われていたのだ。
汝ら、構えて自余の事は愚かであっても、武士道の規範を外れ、軍法を破ることなどは、殊に
不忠の第一であるぞ!」
そう遺言して、秀忠の御供をした、
この時、徳川家光は側の者達に「出羽守はどうした?」と尋ねた。殉死した旨を申し上げると
「とても生きては居ないだろう。もし存えていればいいのだが。」と言った。
これを承った人々「これは興味深い御言葉である。どういう理由であのように言われたのだろう?」
そう不思議に思っていると、古くから仕える人が言った
「その事だが、かの出羽守は昔、新将軍(家光)が未だ幼少の頃、いたずら遊ばされた時に、
拳で殴りつけたことがあったのだ(拳の障りし事ありし)。その時家光公は
『これを覚えていろよ!』とのお言葉を発せられた。それは御幼少ながら甚だ鋭いものであった。
もしかすると、その事について言われたのではないだろうか。」
そう推測した。
(武野燭談)
森川出羽守重俊が、徳川秀忠の薨去に付き殉死する時、息子伊賀守重友以下、親類を招き集めて
庭訓した
「弓矢の臆れは少しでも大事になってしまうものだ。先年、大相国(秀忠)が独座されていた時、
ため息をされたのを御次の間にて承り、「これは天下の大事でも起こったのか」と胸騒ぎしたが、
その後御機嫌を伺った所、先のため息について「真田表のことは…」と仰られた。
あれ式の事さえ、相国様は御身の臆れのように思われていたのだ。
汝ら、構えて自余の事は愚かであっても、武士道の規範を外れ、軍法を破ることなどは、殊に
不忠の第一であるぞ!」
そう遺言して、秀忠の御供をした、
この時、徳川家光は側の者達に「出羽守はどうした?」と尋ねた。殉死した旨を申し上げると
「とても生きては居ないだろう。もし存えていればいいのだが。」と言った。
これを承った人々「これは興味深い御言葉である。どういう理由であのように言われたのだろう?」
そう不思議に思っていると、古くから仕える人が言った
「その事だが、かの出羽守は昔、新将軍(家光)が未だ幼少の頃、いたずら遊ばされた時に、
拳で殴りつけたことがあったのだ(拳の障りし事ありし)。その時家光公は
『これを覚えていろよ!』とのお言葉を発せられた。それは御幼少ながら甚だ鋭いものであった。
もしかすると、その事について言われたのではないだろうか。」
そう推測した。
(武野燭談)
スポンサーサイト