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きっと敗軍して逃げて来たのだろう!

2021年05月17日 16:11

堀秀政   
728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/05/17(月) 12:50:05.19 ID:r5e3KAQv
(小牧・長久手の戦い、白山林の戦いの時)

武蔵守様(森長可)が岩崎の城を御攻めの時は秀次公(豊臣秀次)は総軍の
後ろにおられた故、白山林と申す所で弁当を使い、諸勢たむろ仕るところへ
榊原式部大輔殿(康政)の人数が猪の越海道へ押し来たり、これを見付けて
そのまま見崩れ仕った。

その節、秀次公先手の士大将・田中久兵衛(吉政)と申す者は、堀久太郎殿
(秀政)の陣へ乗り来たり、敵が出たと注進した。

すると久太郎殿が申されたのは「其の方は一手の組頭、人数をかけ引きする
役人だ。敵が出たと注進に来る人にあらず。きっと敗軍して逃げて来たのだ
ろう!」と大いに叱られ、そのまま人数を引き返し、備を立て置かれた。

――『忠勝公御武功其外聞書



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名人左衛門督

2021年01月25日 17:10

堀秀政   
868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/25(月) 12:45:04.84 ID:Q9O+iPhz
越後の堀左衛門督(秀政)の家中の諸士へのあてがい、百姓町人以下への作法等が悪しきとして、
何者かが越後の城下の町の辻に大札を立て、そこには『堀左衛門殿悪敷仕置の条々』として、
二十二、三ヵ条が書きつけられていた。

堀家の目付、出頭人などが談合し、これを左衛門殿に見せ参らせ
「かかるいたづら者をば、きっと御穿鑿あって、懲らしめのためにも法度を行われるべきです。」
と申し上げた。

左衛門殿はこの札をつくづくと読むと、ふと立ち上がって袴を着け、手水を使い、うがいをして
かの札を三度頂くと言われた

「一体どこに、これ程の諫言を私に言ってくれる者がいるだろうか。これは偏に、天が与えさせ
給わったものであろう。この札は、我が家の宝である。」

そうして札を結構なる袋に入れ箱に納め、その後、諸奉行・代官等を集め、それぞれに善悪を糺し、
家中の作法、知行割、扶持方の渡し様、町人百姓に至るまで、憐憫を加え、仕置尽く宜しく改められた。

それ以降、世の人々はこぞって彼を、名人左衛門督と云った。

備前老人物語



869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/25(月) 17:19:42.84 ID:Kw6qKn9S
Q太郎は何をやっても名人と頭に付けられるのか

秀吉が落首事件で同じことをやってたら人気が上がったのかな

870 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/25(月) 18:01:21.17 ID:8fTafSj5
政治批判だけならともかく
秀頼が秀吉の子を怪しむ落書だったら
こんな対応が取れるわけが

小田原陣の堀秀政

2019年02月19日 17:56

堀秀政   
683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/19(火) 17:40:12.65 ID:GBZYAmhh
小田原の役が始まろうという時、堀左衛門督秀政は、先ず人を遣わして、伊豆、相模、駿河、遠江において
牛数十頭を購入しておいた。

秀吉の軍がやがて箱根の険路にかかる時、秀政は先に買い置いていた牛にて兵粮を運んだ。
他の部隊は兵粮の輸送に甚だ迷惑している中、秀政一人、予想して備えていた故にこれに困難は無かった。

またある夜、風雨甚だしく、天地非常に暗かった。この時秀政は
「今夜必ず盗人が入るであろう。我が士卒の馬、鞍、兵粮などが盗人に取られるくらいなら、盗難の
用心への怠りを伺って、我自らそれを取る!」
堀家の士卒はこの言葉を聞いて、みな眠らずに用心をした。そして秀政はその夜、三度陣中を巡邏した。

翌朝、他の陣は多くが盗みに入られたが、秀政の陣では盗難の被害はなかった。

(武将感状記)

なるほどこういうふうだから名人久太郎って呼ばれたのか。



684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/19(火) 22:43:26.63 ID:Xx273AJd
そんな具合に気を使い過ぎたから早死にしたんじゃなかろうか

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/20(水) 17:57:32.19 ID:m1WwVxKS
ただの食当たりだろ

堀と堀尾は難なく山を

2018年09月17日 18:00

堀秀政   
292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/17(月) 17:48:45.23 ID:HRhvRU/p
(山崎の戦いの時)

寄手の勢は羽柴筑前守秀吉が以前からこの周辺の地理をよく知っており、天王山を敵に取らせては
味方の大事と推し量った。そこで堀久太郎(秀政)と堀尾茂助(義晴)を呼び、

「汝は早く天王山を取り敷きて敵を山上にたむろさせてはならぬ!」

と命じた。ここは山崎宝積寺の旧跡、堀尾は元来気早の勇士であり弓・鉄砲の兵2百人を先に立て、
えいえい声を出して進んだ。堀久太郎も続いて人数を押し登らせんとす。

光秀がかねて命じていた松田太郎左衛門(政近)は山上にたむろしており、堀尾の人数を上げまい
と指揮してこれを防ぐ。堀尾は弓・鉄砲の者を先に立て「やれ上がれ上がれ! 上がると勝つぞ!」

と言いながら登る。山の土はぼろぼろとして登り悪し。松田は山上より「やれ防げ防げ! 上げると
負けぞ!」と精を入れて命じ防ぐ。一方、堀久太郎は道を変えて横合いから押し登った。

松田の勢も激しく防いだものの、羽柴方は義に勇む人数が前後より激しく攻めたて、松田も鉄砲に
撃たれて散々に追い崩され、堀と堀尾は難なく山を取り敷いた。

――『改正三河後風土記(柏崎物語・続武家閑談)』


先は我なり

2017年11月19日 18:06

堀秀政   
440 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/19(日) 05:18:03.85 ID:rObbxWS5
天正15年、豊臣秀吉による九州征伐の時、堀秀政も秀吉に従って九州へと赴いた。
この時、陣中において秀政近習の山下甚五郎という者が気が狂れ、後ろより秀政を斬りつけた。

秀政の後を歩んでいた家老の堀監物は、これを見て即座に山下を斬った。
秀政も後ろを振り返り、拝み切りに斬った。
秀政と監物の刀は、同時に山下を打った。

山下が絶命したのを確認すると、「先は我なり。」秀政はそう、監物へ言ったという。

(士談)

関連
名人久太郎に油断は無いのだ・いい話



441 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/19(日) 10:05:04.53 ID:x64q5xMC
だいぶ前にあったね
向こうは出典なしで近習の名前が微妙に違うけど

442 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/19(日) 11:33:08.26 ID:yZctRNIy
痴情のもつれか

443 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/19(日) 12:27:20.59 ID:nMzdiPUl
なんか都合の悪いことでもあったんじゃないの>気が狂れ
徳川信康もそんなこと言われてたし

444 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/19(日) 13:56:08.91 ID:FUlARS4v
非がなく殺しちゃったら気狂いにするしかないよね

七郎兵衛の策略

2017年08月03日 18:22

堀秀政   
118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/03(木) 05:14:39.58 ID:UnR9P03U
賤ヶ岳の戦いの折、堀秀政の陣へは、佐久間玄蕃(盛政)の進出した中しきり方面、並びに賤ヶ岳方面より、
しきりに加勢助力の求めがあった。このため、秀政はすぐに兵を出そうとしたが、これを
堀七郎兵衛(利宗、あるいは道利)と云う者が抑えて申し上げた

「勝家の柳ヶ瀬の陣から玄蕃の陣に向けて、使いが切々と往来しているのを確認しました。これは、
玄蕃の行った中入から、早く引き取れと伝えているのだと考えます。
もし玄蕃が中入を引き取るとすれば、もと来た道を帰らず、中しきりを突き抜けて帰陣しようとするでしょう。
然らば我等はこれと一戦しなければならない場にあります。
また玄蕃が引き取らないのなら、勝家が必ず、本軍を中しきりに押し寄せて合戦を始めるでしょう。

この2つ以外の方針はありえません。ですのでここで我が兵を分散すること無く、その節を待たれるべきです。」

「しかし玄蕃が引かず、勝家も出てこなければどうするのか」

「その時は勝家の運がここに尽きた、という事です。」

そう言ったが、はたしてその通りとなった。

この堀七郎兵衛は、かつて明智光秀との山崎合戦の際、堀尾吉晴の軍が天王山に駆け上がり、秀政の軍も
その後に続こうとしたのを止め

「山上の味方は崩れるでしょう。然らば彼に続いては供崩れとなります。別の場所より登るべきです。」

秀政はこれを聞き入れ別の場所から登ったが、はたして先手の堀尾の軍は敗れた。しかし別場所より
上がってきた堀軍が横槍を入れる形となり、大利を得た。これも七郎兵衛の策略であった。

(士談)


名人久太郎

2017年01月17日 17:48

堀秀政   
516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/16(月) 20:12:38.37 ID:7k/eFLeL
堀久太郎秀政、後に左衛門督という。武士から下僕に至るまでこれを扱うとき、下の者達に
情を尽くすことを第一に心がけていたため、配下に彼を恨むものは居なかった。

ある時、奉行の従者と、荷物持ちの者達が言い争っているのを聞いた。荷物持ちの者達が
このような荷は重すぎて持てないと抗議をしていたのだ。
秀政はその荷物を自分で持ち上げると、そのままあたりを往来してきた。そして
「私はあの荷物持ちの者達より力がある。なのに一里ばかりこれを背負って疲れ果てた。
彼らがこれを持つこと出来ないというのは当然である。」
そう結論した。

またある時の合戦の折、秀政自らの武者押しに旗指が遅れた事を周りは咎めたが、秀政は自らこの旗を負って
馬を駆けてみた。
「これは武者押しの時の私の乗馬が、肝が強い物だったために旗指が遅れたのであろう。」
そう考え、肝の弱い馬に乗ったところ、以後旗指が遅れることはなくなった。

彼は世に名人久太郎と呼ばれるが、このように配下の者達を使うに心を用いた故に、そう人は言ったのである。
小田原陣中に卒した。享年三十八であったとか。

(芳譚)



堀秀政は牛数十頭を買っておいた

2016年07月17日 17:31

堀秀政   
934 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/17(日) 04:46:08.88 ID:E2S4ZJJR
相模の小田原の役の際、堀左衛門督秀政は、まず人を遣わして伊豆・相模・駿河・
遠江で、牛数十頭を買っておいた。

豊臣秀吉が箱根の険路に差し掛かった時、秀政は牛を使って兵糧を運んだ。他の
軍はこれに戸惑ったのだが、秀政1人はあらかじめ備えていたので憂いはなかった。

ある夜、風雨は甚だしく、天地は暗かった。秀政は曰く、「今夜は必ず盗人が現れる
だろう。我が士卒の馬鞍や兵糧などを盗人に取られるくらいなら、その怠りを窺って
私自らが取るとしよう」と、言った。

士卒はこの言葉を聞き、寝る者はいなかった。秀政はその夜、3度陣中を見回った。
他の陣は多くが盗みにあったのだが、秀政の陣は盗人が入ることはできなかった。

――『武将感状記』



935 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/17(日) 08:09:22.63 ID:nRkj98x7
風魔の仕業

936 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/17(日) 10:55:06.08 ID:7EQPQjUy
Q太郎は小田原で若くして死んでるけど、風魔の暗殺って線も無きにしもあらず

長久手合戦・堀秀政への批評

2011年11月25日 22:00

堀秀政   
160 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 15:10:41.76 ID:fG26fPDD
天正12年(1584)小牧長久手、三河中入りを目指した羽柴秀次軍を徳川家康が破った長久手の戦い。
この時の堀秀政の働きに関する批評を見てみよう。

『堀久太郎(秀政)は三河衆の先手に打ち勝ち、そのまま討ち進むべき所を、その場を他の味方の部隊に任せ
自分たちは引き下がった。

もし、先手に勝利した勢いのまま、後続の徳川軍の旗本勢と一戦していれば、たとえ先の交戦で
疲弊した軍勢であるため、そこで自分たちの部隊は敗北したとしても、池田勝入、森長可の部隊は
無傷の新手として残っていたので、形勢としても最終的に秀吉軍が勝利する形に持っていけたはずである。

そうであるのに向かってくる敵を他の味方に譲って戦わずに引き下がったのだ。
これは自分の最初の勝利を無にする行為であった。

つまり堀秀政には、秀吉公への誠の忠誠心がなかったということであろうか、
それとも戦に不案内で、あの場に留まる戦術上の利点が解らなかったのだろうか?
(秀吉公へ誠の忠無御座候か、又不案内にて其利を不存候か)
(長久手合戦覚書)

名人堀秀政に対する、珍しく批判的な批評である。




161 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 16:09:45.38 ID:IfoxjoTk
疲れた兵で戦えってのも無茶な気が

162 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 16:18:02.10 ID:6NgHtMm6
勝入さんも鬼武蔵も死んだのは本人たちの責任であって
別にQ太郎さんのせいではないのでは…と思ったけど違うのか

163 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 16:24:50.60 ID:jySik5yO
それぞれ勝手に戦ってる感じで全体としてのまとまりがないよね

164 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 16:26:07.68 ID:EW/YV1tC
まあ小牧長久手の時点では、
秀吉とゆかいな仲間たちって感じだからね

明確な上下関係も絶対的な優越性もまだない

165 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 18:12:14.91 ID:9Trhl71K
譜代の臣やよほど取り入りたい事情があれば別だが、この時点の関係でそんな捨石みたいな
真似する奴いたらその方がびっくりだわな。

ていうか、そもそもそんな本気で「決戦」までするつもりが秀吉にあったのか(or可能だったのか)?
家康のプライド潰さない程度にほど良く勝って和睦して政権に取り込むっていうのであれば
久太郎は過不足のないまさに名人級の進退を見せたともいえる。

166 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 18:27:45.48 ID:hUDrpAZQ
いくら名人でも秀吉の心底をそこまで見抜いた上の撤退とは思えん
仮に秀吉の形勢が悪くなって場合に備えて家康にも目を残しておきたかったとかじゃないのか?

167 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 18:46:55.06 ID:jySik5yO
総大将の秀次さんがまっさきに逃げてるから組織的に戦えないのはしょうがないけど
けど、取り残された池田森の両隊がなんか気の毒

168 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 18:56:57.49 ID:/O5RDxdR
そもそも隠密行動の別働隊なのに、敵の主力に遭遇して
戦えとか無茶言うな

169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 19:03:34.02 ID:Hn0shKtX
>>168
最近の研究だと、秀吉の小牧長久手の中入り部隊は隠密でも何でもなく、むしろ家康に脅威を与えるため
大いに宣伝していたらしいぞ。

170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 19:18:34.60 ID:1gtF8JjC
>>169
鬼武蔵が例によって放火しまくってたらしいしなw

171 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 19:20:16.71 ID:6NgHtMm6
鬼武蔵の行動で、事態が良くなったことってあったっけ…

172 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 19:26:49.31 ID:lSiYGdbZ
>>170
しかも白昼堂々とねw

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 19:44:53.54 ID:T8U9BEr7
>>171
高遠城とか、美濃帰還のときとかあるじゃないか!あるじゃないか!多分!
[ 続きを読む ]

堀秀政、出奔した弟の多賀秀種に

2011年02月11日 00:01

堀秀政   
671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/10(木) 11:53:44 ID:dQRhk+ML
堀秀政が北庄城を修築した時のことである。

秀政がその弟の多賀秀種の措置宜しきを得ぬとしてこれを詰責した。
これを口惜しきと考えた秀種は翌朝致仕して北庄を去ってしまった。。

秀政は弟の致仕を聞くと途中不便なこともあるだろうと餞に黄金十枚を送り、人をやって届けさせた。
その後秀政は黄金を包んでいた紙を一枚一枚のして箱に納めながらこう言った。
「およそ財というものは用いるべき時は黄金十枚でも惜しむべきでない。
 無用の時はこの紙十枚といえども無駄にしてはならない。私を鄙吝と思うな。」




672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/10(木) 12:14:52 ID:OUukF1Mc
Q太郎は若死にし過ぎ
せめて関が原くらいまで生きてれば


673 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/10(木) 12:15:59 ID:ShdENNEz
さすが名人Q太郎

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/10(木) 12:17:54 ID:rp56qvlX
家康「その通り!」
爆弾正「その通り!」
岡左内「その通り!」

又左「その通り!」

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/10(木) 13:47:55 ID:U6fv33hH
>>674
又左は別だw

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/10(木) 14:02:26 ID:W3BhpBnV
>>674
>>677
殿!我が城が攻められています!援軍を!!

699 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/11(金) 13:13:19 ID:NABWCRk9
>>678
待ってろよ!今そっちに銭を投げたからな!

堀秀政と湯漬けと小倉主膳

2010年01月07日 00:04

堀秀政   
758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/06(水) 18:59:27 ID:Oe5gUBV5
堀秀政の家臣に、小倉主膳と言う者がいた。

秀政が居城にあったある時、次の間にいる者達の名を呼ばせた。
ところが小倉はその時次の間から少しばかり他所に出ていたので、この呼び上げから
外れてしまった。

秀政、「次の間にいる者たちに湯漬けを振る舞え」と命じ、膳を用意させたのだが、
その場には当然のように、名を呼び上げられなかった小倉も出てきて膳の前に座った。
秀政は驚いた。「なんでお前いるの!?」秀政、この事に妙に不愉快になった。

やがて給仕係がそれぞれの膳に、湯漬けを配膳して回るのだが、これが小倉の前に来たとき
秀政は給仕の者に向かい「たわけ者には食わせるな!」と言いつけた

そこで給仕の者、配膳を止め立ち上がろうとした。が、その瞬間小倉はその者の
手を抑えつけると

「そのままま湯漬けを置いていくのだ!置かぬというのならそなたと刺し違える!
だいたいあのような、武士に恥をかせるような仰せに唯々諾々と従うのは、
武士の道ではないだろう?」

と、引き止めた。

秀政はこれを見て、「あいついい根性してるな」と却って感心し、その後小倉に加増をした
とのことである。


正直いい話なのかなあ?とも思うが、まあいい話として伝えられているのでこっちにw




759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/06(水) 19:09:34 ID:OdORZ3B/
いい悪い以前に、現代人からするとわけわからんw

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/06(水) 19:35:46 ID:Oe5gUBV5
>>759
正直書いた自分も、現代語に訳しながら良くわからなかった。
非常に苦労したw

まあ基本的には、呼ばれもしないのに出てきた小倉に秀政がむかついた、ってだけの話で、
それに小倉が「殿の命令でも、人々の面前で武士に恥を懸かせるような事は
良くないから聞かなくていいよ」、って秀政の前で言い放ったのがいい話、だとは思うのだがw

761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/06(水) 19:38:27 ID:a1cbga9K
食い意地張ってるようにしか見えんw

762 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/06(水) 19:58:00 ID:2xtqCF3f
>>760
最近の中間管理職は人前で
叱責するのが普通だから
サラリーマンには違和感ありまくりだろ。

763 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/06(水) 20:24:34 ID:CbqeHQK9
そりゃ人前で叱責しないと何もしてない無能にしか見えんもんな、今は

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/06(水) 21:05:44 ID:P9XYlbql
秀政も何かちっちゃいなw

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/06(水) 22:10:47 ID:I1dSw7ia
>>760
理不尽な叱責には上司といえども喧嘩するくらいの気概があれば、
パワハラや職場イジメやすぐ仕事止めてしまう若い奴らも少なくなるというところで、
逆に現代人が学べるところもあると思った。
仕事しないで怒られて逆ギレとかでは駄目だけど

766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/06(水) 22:25:41 ID:OdORZ3B/
>>765
当時の武士は基本的に「自分の土地」を持っていました。
だから、何があっても究極的には生活に困ることは無いんで、主君に大きくでられた。

江戸時代や現代会社員の、サラリーを完全に抑えられている状況と一緒にするのはNG

767 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/06(水) 22:36:04 ID:I1dSw7ia
>>766
確かにそうだね。
まぁ、でも現代でも組合員になるとか、頭の良い奴は抵抗の手段を時代に合わせて考え出すわけで。
行き過ぎると権利だけ要求するタカリ屋になるんだけれど。
当時をそのままではなく温故知新として参考にするという観点のレスと思ってもらえれば

768 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/06(水) 23:24:29 ID:jcsXx5Hu
その辺、頭いい上司はパワハラとか退職勧奨ののやり方も考えるべなw

堀秀政と直政、世に出るまでに

2009年09月22日 00:06

堀秀政   
663 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/21(月) 19:30:25 ID:5YuurYxb
信長、秀吉に仕え、名人久太郎と呼ばれた堀秀政と、その従兄弟で、秀政、および
その子の秀治を良く支え、天下三家老の一人とされた堀直政。
彼らが世に出るまでには、このような事があったそうだ。

ある時織田信長が狩りに出た先で喉の渇きを覚え、近くにあった民家に水を求めた。
その家から出てきた老女は、わざわざ真新しい茶碗に水を満たして信長に差し出した。

この心遣いに信長は感じ入り、「何か望む事は無いか?何であってもかなえて取らすぞ?」
と、声をかけた。

老女はこれに
「この婆には、二人の男子が降りましたが、先ごろ二人とも亡くなってしまいました。
その兄弟それぞれの子供が、今は形見としてここに居ります。
二人とも男子です。願わくば、彼らを召して下されませんでしょうか?」

信長はその願いを聞き入れ、二人の少年に扶持を与えた。
この二人の少年こそ、後の堀秀政、堀直政であった。


さて、このようにして織田家に仕えた秀政、直政であったが、その初陣を前にしてお互いに話し合った。

「おおよそ、小身の者が大身なるためには、自分を補佐する、信頼のおける家臣が必要なのだと思う。
どうだろう?明日の初陣で先に功を上げた方を主人としてこれに仕え、
協力して堀家を再興しようじゃないか?」

二人は功約束し、翌日の合戦、秀政が高名を立て、信長から直々に、お褒めの声をかけられた。
この時秀政は前日の、二人の約束のことを信長に語った。これには信長、実に感心し

「お前達はまだ若年だと言うのに、その心がけは実に殊勝である。」

と、直政が秀政の臣となることを許したそうである。


そんな、堀家創生の頃のお話。




664 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/21(月) 19:44:34 ID:1wQiFs33
ああ……なんてピュアな、初陣のいい話

666 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/21(月) 20:23:05 ID:qEi+G157
堀さんのお二人若き日から只者じゃなさ過ぎるな…

667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/21(月) 20:43:48 ID:DbEQ5oMp
>>663
堀直政の父、堀秀重は関が原後も生きているのに…

668 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/21(月) 21:16:52 ID:5YuurYxb
>>667
そこはまあ、逸話ですのでどうか。もしくは信長の同情を買うばあさんの巧みな策略。

669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/21(月) 21:52:18 ID:9xS4Yoyk
ばあさんとしては孫の売込みに成功
孫としては立身出世の機会ゲット
信長としては有能な臣下ゲット

誰も損してないしな。
死んだことにされた親を除いて…w

670 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/21(月) 21:57:08 ID:F2kYX7cw
ほ、ほら現代だって親戚殺して忌引取るリーマンとかあるじゃんw

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/21(月) 22:03:12 ID:JIoRIkMC
>>668のレスで
いいおばあさんのイメージが強欲ばあさんのイメージになってしまったよw

672 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/09/21(月) 22:16:34 ID:AA8Nh8ei
>>670
8月と12月に急に増えるんだよなw


673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/21(月) 22:27:47 ID:DbEQ5oMp
うげ、ミスった。堀秀重は堀秀政の父。堀直正の父は奥田直純。

>>668
ばあさんの策略のほうがいいですねいw


堀秀政「この城に不足の物」

2009年08月26日 00:03

堀秀政   
696 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/24(月) 23:43:08 ID:13FAkmRU
堀秀政が越前を賜り、北の庄の城の改修が終わった頃の事。
秀政は配下の諸侍を大手の橋の前に呼び出し、

「この城にはずいぶん精を出して、必要なものはことごとく準備し、城中に入れるべきものは
全て入れたと思う。
さりながら、ここにいるおぬし達は、異なる国からそれぞれ集まって来た者達である。それぞれの
見聞思案も有るであろう。もし不足の物が有れば、遠慮なく指摘してほしい。」

そのように言った所、末座より一人の侍が進み出て言う事には

「物も人も、確かに足らざるは無いと存じます。もし、この城に足りないものがあるとすれば、
隣の大国を領する方と疎遠にし、使節の往来もしていない、と言うことでしょうか。」

秀政これに

「ああ、前田利家のことか。これはよい諫言を頂いた。
しかし、今は公儀にこれと言った別条がない。このようなときにどれほど疎遠にしていようとも、
利家は何とも思うことは無いだろうさ。

だが、もし公儀に何かしら起こった時には、疑念を起こさせないように速やかに使いを立てて、
『百万石くれれば加賀の先手をしようぞ』
と言ってやろう。そうすれば利家も、わしを信用し百万石をくれて、先手をさせるであろう。
そうなったら天下を利家に持たせて、わしは百万石加増してもらって…、
さて、その後はどうなるか、運次第だな。」

そう言って笑った、と言う事だ。

まあ、ぶっちゃけると、「利家?何かあったら俺に頼るしかないんだから、ほっときゃいーのよ」
と言うことか。

そんな、名人久太郎さんが前田さんをガン無視していたらしい、と言うお話。


名人久太郎に油断は無いのだ・いい話

2009年06月06日 00:02

堀秀政   
267 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/05(金) 21:49:43 ID:BOmyUVMV
天正十五年、九州征伐の時の事である。

堀秀政の陣中において、秀政の近習山下甚五兵衛と言う者、にわかに乱心。
秀政を後ろより斬り付けんとした。

この時、重臣の堀監物は山下の後ろにいたが、これを見てすぐさま刀を抜き
山下を斬りつける。ところが監物の刃が届くその瞬間、

秀政振り向き、監物と同時に山下を切り払った!
そして監物の方を向き、一言。「わしの方が先であったな。」


名人久太郎に油断は無いのだ。

関連
先は我なり



268 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/05(金) 22:14:05 ID:X8Glmb2k
漫画みたいな事するなぁw


名人久太郎と呼ばれた理由・いい話

2009年05月20日 00:20

堀秀政   
676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/18(月) 22:52:35 ID:bssJ+kyH
ある時堀秀政の陣において、荷駄奉行と荷を運ぶ者達との間に、荷が重すぎる、いや
そうではないと、荷の重さに付いての論争が起こった。

これを聞いた秀政、考えた。
その荷を持つと、そのまま一里の道を往来してきた。解った。
帰って来て荷駄奉行を呼ぶと

「人夫の者たちが、この荷物は重くて運べないと言うのは当然だろう。
わしは人夫の者達よりも体格も良く体力もあるはずだが、この荷を持って一里を歩く事が
出来なかった。これを人夫の物たちに持てと言うのは無理がある。
荷を軽いものに作り直すように。」


またある時の事

堀秀政、軍勢の移動の時に、自分の馬の後ろに、旗差の者たちがついてこれず、いつも遅れる事を
不審に思っていた。

そこで秀政、考えた。
自分で旗をさして馬の後ろを歩いてみた。解った。

「わしは足の速い馬に乗っているのに、人の進むのが遅いと勘違いしていたのだ!」

そこで、家中でももっとも遅いと言われる馬に乗り換えた所、旗差の者たち、今度は
少しも遅れることなく着いてきたそうである。

このように秀政は、何事も自分で、納得するまで確かめる事を専らとしていたので、
名人久太郎と呼ばれたのだそうである。





678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/18(月) 23:06:38 ID:cUpbYc2l
>>676
はじめのエピは既出だったおもうが後はよかったな

679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/18(月) 23:23:36 ID:k6tmBpzD
集団行動は駄目な奴を基準に考えろって事ですな

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/18(月) 23:25:23 ID:9McaQG4J
>>678
うーん、はじめのエピも似て非なる物じゃないか?
いや、元の話は一緒なのかもしれないけど

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/18(月) 23:38:49 ID:2QZDq7Xl
同じ逸話でもいいとおもうが
別の視点、別の切り口ならおれは大歓迎だ

682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/18(月) 23:42:09 ID:yhl/w5xc
蒲生さんとこといい堀さんとこといい長生きして欲しかった殿様だよなぁ

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/18(月) 23:55:14 ID:xjcOnvKy
やっぱり早死にはラスボスかその眷属の仕業なんかのう・・・

まさかの名人久太郎劇場・いい話

2009年03月22日 00:21

堀秀政   
59 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/20(金) 23:03:58 ID:sKRauZ33
まさかの名人久太郎劇場

堀秀政は新参の家臣を抱える時、最初の三十日は朝夕の食事の相伴をさせて、
主従の親しみを作るようにし、その者がどんな言行をするかを見、
次の三十日ほどは他家への奏者をやらせ、家中の外の事を知らしめ、
それに付いての言行も見た。そうして初めて、知行を申し付けたそうだ。

残念ながら秀政の心にかなわず、仕官を果たせなかった者でも、金銀や衣服などを与え、
さらにその者が他家への出仕が決まれば、その主人にくれぐれもその者を頼むと
言ってよこした。こんな風だから多くの人が、秀政に心服していたと言う事である

流石は名人久太郎。


堀秀政は九州征伐の時、先陣をおおせつかった。そして緒戦にて、島津の兵
50人ほどを生け捕った。
秀政はその捕虜達に「助かりたいか?」と尋ねれば、助かりたいと言う。
「ならばわしの言う事をこの先の薩摩の衆に申し伝えてくれ。ならば召し放とう。」
島津の者達は、了解をした。

間もなく島津方の陣に、生け捕りにされていた者達全員が戻ってきた。
島津の陣のものは皆驚いたが、それ以上に驚いたのは彼らに託された、堀秀政からの伝言である。

「こんにちは!今回先鋒を勤めている久太郎です!ところで薩摩の皆さん?ボクははるばる
九州までやってきて、その旅でとても疲れているんだけど、来て早々あなたたちがあまりに簡単に
崩れるもんだから、その追撃のせいで、休んで疲れを取る暇が無いんだよね。
そこで悪いんだけど、この先の城では、せめて三日持ちこたえて!その間に人馬休めるからさ。
お願い!」

これには薩摩隼人たちも、肝を冷やしたとのことである。

流石は名人久太郎。


堀秀政はトイレを玄関に作ったそうだ。
何故なら、トイレには1日に必ず2,3回は行くものである。その度に自然と、
番所の者達の働き振りが見られるから、とのことである。

流石は名人久太郎。




61 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/21(土) 03:05:00 ID:l+ZSO388
>>59
「試用期間2ヶ月」のはしりだなw
玄関にトイレは何となくだが風水とか家相の人に怒られそう

堀秀政「泣き面の家来」&戦国仕えたい人ランキング・いい話

2009年03月19日 00:20

堀秀政   
895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/18(水) 10:55:49 ID:YJRrX5d6
泣き面の家来

堀秀政の家臣に極めて泣き面の男がいた。
常日頃両目から涙を流し、眉をひそめていた。
そのため家中の者達から厭われていた。
秀政の近習達は
「あの男の顔色は不吉であり、千里離れて見るのも鬱陶しい。
早く暇を出すべきです」
と言った。
秀政答えて曰く、
「その事か、しかし法事か弔いの使者に遣わすには無類の者である。
大名の家には色々の者を扶持するものである」
近習たちは皆口をつぐんだという。
雨窓閑話




896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/18(水) 10:59:23 ID:80v7INSj
さすが名人

戦国仕えたい人ランキングがあったら5本の指に入ること確実

897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/18(水) 11:32:04 ID:D0IC9boG
>>896
政宗「残りの4人は」
家久「当然」
忠興「俺たち」
長可「だよな」

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/18(水) 11:33:12 ID:80v7INSj
いやまぁ一人除いてはある意味主として魅力的な部分あるけどな

899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/18(水) 12:23:26 ID:IZ6qSXim
家久には仕えたいな









勿論貴久の息子の

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/18(水) 12:25:04 ID:cfVavczI
いや、四人全員に仕えたいな
ようは四人ともツボを抑えとけば怒らない訳だし、
色々とメリットがありそう。
死ぬけど

901 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/18(水) 12:55:52 ID:Kri4BSeS
細川は妻を見ただけで殺されるかもよ
政宗は酔った勢いで殺されるかもよ

長可は事件起こして長可には文句言えない代わりにお前が殺されるかもよ
やはり家久がいいな

902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/18(水) 13:00:13 ID:NcLhatQ/
それでもtdokに仕えたい俺は単なるドMでいい
年を召されたtdokなら、そんなに家臣を手打ちにしないだろうと愚考してみる

903 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/18(水) 13:39:49 ID:kRbHzcQf
>>902
急に百人一首という名前の銘を刀に与えたくてDQN化する可能性があるぞw


904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/18(水) 14:34:05 ID:93ONM213
>>895
それ、実際に葬式に代理で行かせたら「そんなに親しくなかったのにここまで悲しんでくれるなんて」と
相手側から感動されたバージョンもあるよな。

905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/18(水) 14:56:15 ID:LQZ/J1eW
戦国上司にしたい武将四天王

掘秀政
黒田官兵衛

あとだれだろ


906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/18(水) 15:04:26 ID:cfVavczI
>>905
蒲生氏郷

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/18(水) 15:04:56 ID:BBLfqQIu
徳川家康
小早川隆景
安藤帯刀
長曽我部元親(全盛期)
好みで候補を挙げてみた

908 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/18(水) 15:14:11 ID:FboKQV6t
>>905
羽柴秀長
・・・いや、こっちも過労死するかな・・・

909 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/18(水) 15:45:20 ID:eP6Pihl9
>>905
立花道雪、宗茂も良いな。

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/18(水) 15:54:34 ID:pCralLtM
藤堂高虎さんとこも

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/18(水) 15:57:30 ID:IZ6qSXim
大谷刑部

912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/18(水) 16:01:08 ID:TYfAr4HN
明智光秀

913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/18(水) 16:09:25 ID:WmNCTLyI
織田有楽斎

まずは確実に生き残ってくれて、
しかも楽そうなところがいいに決まってるだろ

914 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/18(水) 16:23:28 ID:c1P3TL0c
鍋島さんに一票

915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/18(水) 16:46:22 ID:lgDo7PZ7
島津義弘はいい人なんだが毎回無謀なプロジェクトに参加させられそうで嫌

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/18(水) 17:21:51 ID:NcLhatQ/
・仕えたい
秀長さん 直家様 毛利隆元 小早川隆景 三斎様 官兵衛 後藤又兵衛 勝久様
かな

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/18(水) 17:34:38 ID:+H7QCfg8
織田信雄
なんだかんだで生き残りそうだ。

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/18(水) 17:37:27 ID:FguEhQ+C
山中鹿之助「尼子の血をひいてれば誰に支えてもいいです」

919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/18(水) 17:59:10 ID:zs9dDJCg
家康、黒官あたりかなあ。

920 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/18(水) 18:05:07 ID:SNq62J+S
大学までサッカーで鳴らした俺は、氏真公の妙技を拝みたい

921 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/18(水) 18:13:16 ID:D0IC9boG
>>918
「尼子の家を復活させるという簡単な仕事です。経験者優遇」

922 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/18(水) 18:31:42 ID:qnZKKY5x
>>921
すいません、募集人の欄に小さく「毛利元就」って書いてあるんですけど、これってもしかして罠じゃ?

923 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/18(水) 18:40:24 ID:D0IC9boG
>>922
そーいえば、同じ広告に「鳥取で米を売り買いするだけの簡単な仕事です」
って募集もやってたなぁ。

926 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/18(水) 18:55:44 ID:eFzW0nvj
>>897
まあ、このうち3人が死んだときには
殉死者が出てるんだよな。

殉死した人の数をとやかく言うわけじゃないけど
それなりに好居てくれてる人も居たんだねぇ。

928 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/18(水) 19:58:30 ID:Kri4BSeS
>>926
不安定な地位にいる者が子孫のために殉死したり、
当主に寵愛を受けた反面、家臣団から嫌われていたような者の殉死ばかりだよな政宗の殉死者って。

929 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/18(水) 20:41:16 ID:n5/G9mP9
藤堂高虎「次世代のために生き残るべきだろjk...」

名人久太郎!堀秀正3つの逸話・いい話

2008年11月20日 00:09

堀秀政   
611 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/19(水) 18:45:23 ID:7jr2svV7
堀秀政のちょっと良い話(戦場編其ノ一)

人使いが巧く、「名人久太郎」と呼ばれた秀政。
戦場でも彼はその才能を発揮していた。

合戦での陣中の夜間、特に風雨の強い時などは
「陣泥棒」と言う、武具や糧秣を盗む盗賊が
いて、当時の武将達は常に警戒していた。だが
秀政の陣では「陣泥棒」にやられる事が無かった。
秀政は見張りの兵達に、こう申し付けていた。
「今宵は風雨が強く、泥棒には絶好の機会だ。もし
『陣泥棒』が来なくても、わしがスキを見て泥棒に
入るので、気をつけておけよ。」
大将にこう言われては、厳しく警戒せざるを得ない。
秀政はこうして「陣泥棒」を防いだのである。



612 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/19(水) 19:19:38 ID:7jr2svV7
堀秀政のちょっと良い話(戦場編其ノ二)

秀政が秀吉の配下として九州平定戦に従軍
していた時の話である。

秀政は城を攻めていた。城方から勇敢にも
討って出てきた、敵兵五十人ほどを生け捕り
にした。秀政の前に引き出された敵兵達は、
見せしめの処刑を覚悟した。
秀政は敵兵達に言った「九州に来てから城攻め
ばかり。攻めた城はどこも一日で落城し、わし
は次々と行軍せねばならず、本当にきついのだ。
そこでお前達に頼みがある。このまま城に帰って、
せめて後三日は持ちこたえてくれないか?対陣して
いれば軍を動かさずに済むからな。」
と言って敵兵全員を解放した。すぐさま城に逃げ
帰った兵達は、とても敵う相手ではないと悟り、
城方は即座に降伏した。「名人久太郎」の面目躍如である。

もっとも、秀政は本当に休みたかったのかもしれないが…



615 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/19(水) 21:22:55 ID:7jr2svV7
堀秀政のちょっと良い話(政務編)

ある時、堀家では論争が起きた。それは
「荷駄を運ぶ際、荷駄の数を決める勘定役と、
荷駄を運ぶ担ぎ役とではどちらが偉いか?」
と言うものであった。現代風に言えば経理担当
と現場担当どちらが大変か?と言う感じである。
これを聞いた秀政は勘定役、担ぎ役の双方を集め
こう言った。
「わしはかつて、蔵入り奉行(経理担当)をして
いたので、勘定役の苦労はわかる。だが担ぎ役は
したことが無いゆえ、今からやってみる。荷駄を
用意してくれ。」と言って荷駄を用意させ、自ら
荷駄を担いで小高い山を乗り越えた。
そこで一緒に着いてきた勘定役と担ぎ役の双方に言った。
「わしも戦で鍛えたゆえ、荷駄ごときと思っていたが、
間違いだった。ここに運ぶまでにヘトヘトになってしまった。
担ぎ役達には、いつもこの様な苦労をさせていたのだな。
本当にありがたい。これで勘定役も荷駄を運ぶ苦労がわかったで
あろう。お互いが苦労をいたわれば良いのではないか。」
勘定役、担ぎ役の双方は秀政の体を張った説得に感動し、和解した。
以後論争は無くなり、家中の団結は一層強くなったのである。



613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/19(水) 20:02:42 ID:pNmaPFda
秀政の器のデカさが窺い知れる逸話だな。
生きてれば、関東に入れられたというのも頷ける。

614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/19(水) 20:14:41 ID:5SwTNtPs
久太郎さんはどの逸話も優等生過ぎるのが、良くも悪くも彼をマイナーにしちゃってる気がする。

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/19(水) 22:22:45 ID:SrADe6IH
>>614
確かに政宗さんも忠興さんも忠恒さんも森さんも一度聞いたら忘れられない話が多いね。

617 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/19(水) 22:25:07 ID:k/w0jHuB
なにこの今すぐに上司になってほしいタイプ

618 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/19(水) 22:56:55 ID:FbgSAwKY
堀が活躍する漫画誰か描いてやれよ

619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/19(水) 23:05:39 ID:FPXSPF6b
漫画にするには華がないと駄目だろ

620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/19(水) 23:12:31 ID:ARk9iP0d
>>616
「こいつやりやがったー(ガビーン)」って話が多いからなあ
Qさんは「出来たお人だねえ」で終わってしまうのが原因か?

621 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/19(水) 23:39:22 ID:SrADe6IH
Qさんは漫画の主人公よりも、コンビニで売ってるサラリーマン向けの「良い上司悪い上司」みたいな本の「良い上司・中間管理職」の例として出てくるのが似合うタイプ

622 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/20(木) 00:06:51 ID:sSGXzlXf
>>621
なんか核心突いてるな。
良い人であることは間違いないけど、トップに立つ人でもない、と。

623 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/20(木) 00:11:41 ID:+orAGmcq
>>620
ガビーンってww
それ使う人久しぶりに見たわ

624 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/20(木) 00:23:22 ID:QPbv1FTA
まあ、三十八歳で夭折したのが痛いな。
長生きしてれば、石田三成以上にメジャーな武将になれただろうに。

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/20(木) 00:37:35 ID:uUJ+sXDV
長生きも武将の器量だからねえ。

たとえば塙直政が戦死せず長生きしたら、堀どころか、秀吉も光秀も出番がなくなるような
武将になっていただろうし。

626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/20(木) 00:48:18 ID:2tX6gb2m
原田さんってそんなに有能だったの?

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/20(木) 00:57:32 ID:vSLFEFr+
HORI → 理想の上司タイプ
MORI → 一生関わりたくないタイプ

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/20(木) 01:00:58 ID:Speu4obo
>>615
勘定役と比べる対象って担ぎ役なのかな?
担ぎ役って人夫でしょ
荷駄の数を決めるような上級な地位にない筈
道中、荷駄隊を差配する者こそ勘定役と比肩する役職なのでは
山賊や敵から荷駄を守らないといけないし
荷を奪われたらその責任を問われる

勘定役も荷の数が余計だったり、少なかったら無能呼ばわりされる

629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/20(木) 01:20:20 ID:q8UwFB10
>>627
一字違いでなんという違いww

630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/20(木) 01:22:03 ID:uUJ+sXDV
>>626
有能だったし、何より秀吉や光秀なんかに比べても、信長の信任が段違いだったと思われる。

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/20(木) 01:00:58 ID:Speu4obo
>>615
勘定役と比べる対象って担ぎ役なのかな?
担ぎ役って人夫でしょ
荷駄の数を決めるような上級な地位にない筈
道中、荷駄隊を差配する者こそ勘定役と比肩する役職なのでは
山賊や敵から荷駄を守らないといけないし
荷を奪われたらその責任を問われる

勘定役も荷の数が余計だったり、少なかったら無能呼ばわりされる

629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/20(木) 01:20:20 ID:q8UwFB10
>>627
一字違いでなんという違いww

630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/20(木) 01:22:03 ID:uUJ+sXDV
>>626
有能だったし、何より秀吉や光秀なんかに比べても、信長の信任が段違いだったと思われる。

631 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/20(木) 07:25:04 ID:QPbv1FTA
>>628
戦国期の話だからね。たとえ末端の人夫(農民)とは言え、それなりの権利は有る。
現代みたいに派遣とか下請けとか、そんな感じで人夫を使えば、労使交渉とか
穏便な事では済まない。荷駄隊を会社としたら、勘定役=総務部、担ぎ役=営業部、みたいなものか。
当時の農民は江戸期みたいに、武士階級に支配されてる様な、おとなしい連中じゃあ無いよ。

632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/20(木) 08:26:44 ID:uUJ+sXDV
>>631
いや、権利と言う意味で言えば、やはり江戸期の農民の方がずっと持ってる。
戦国期の農民には、一部の天皇や公家、寺社領などを除けば、生命財産の保障すらなかった
(だから惣村を作り自力救済に及ぶのだが)

つーか、この場合の「人夫」は、徴発された農民ではなく、武家被官、もしくは軍の臨時雇いとしての
「小物」なんじゃないか?非戦闘員ではあるが軍役に当たる人たち。

636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/20(木) 17:18:34 ID:fdP2YqnK
ただ当時は農民も武装してたからな・・・
他に寺や神社もでかいと自治武装勢力だし、
地侍や一向宗と組んで国一揆なんかか起こされたらたまらん

638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/20(木) 19:07:22 ID:fWk751jb
>>627
「H&M」とかいうタイトルで森と堀ダブル主人公の戦国漫画を誰か書けばいいと思う

639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/20(木) 19:20:18 ID:7fqaC7wj
夢がMORIHORI

641 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/20(木) 19:50:13 ID:GyS5y5tz
>>639
そんな山田雅人の相方なんて誰も知らねーよ。

643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/20(木) 20:34:44 ID:b+c3bB9o
>>638
「へぇ、あんたも“ORI”っていうんだ」
理想の上司になるために仕官したHORIと、人を斬るために生まれてきたMORI。
ひょんなことから二人の“ORI”は同居することになる。
さらに、HORIの所属するいい話スレと、MORIが所属する悪い話スレ、
2つのスレのメンバーたちを交え物語は進んでいく。原作:矢沢あい

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/20(木) 20:44:44 ID:ZclFbCvS
森と堀が二人で階段から転げ落ちて精神が入れ替わる話でもいいね

いつもの優しい堀Qだと思って家臣が近づくといきなり斬られて・・・!?

名人久太郎と立て札・いい話

2008年11月15日 00:03

堀秀政   
381 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/14(金) 10:46:51 ID:vYdxJ9pj
名人久太郎

堀秀政が越前北の庄城主に栄転してしばらくの頃、城下の辻々に
「左衛門督(=堀秀政)の悪政の数、20以上あり」との前置きをして、秀政の政治を20か条
にわたり弾劾する立て札が立てられた。
家来たちはその立て札を持ってきて、
「立て札を立てた不届き者の犯人を見つけ出し、重罰にすべきです」と秀政に進言した。

その報告を受けた秀政は立て札の条文を何度も読み返すと、なぜか正装に着替えて口をゆすぎ
三度も立て札を押し頂いて、
「まことにありがたい忠言である。これはまさに天からの下されものである。直ちに、諸役人
を呼べ。」と言った。
秀政は集まった役人に、
「この立て札に書いてある条文の内容を直ちに糾明し、過酷な政策は削り、領民に煩わしい政策
はは直ちに廃止せよ。ともかく旧弊はすべて改めるのだ!」と命令した。

領民たちは、この秀政の善行を大いに喜んでのちのち秀政のことを、「品行(=名人)左衛門督」
・「名人久太郎」と、ほめ称えたという。

出典「藩翰譜」




385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/14(金) 15:04:49 ID:WxAizyGz
>>381
確か、家来の反対を押し切って泣き虫の家来を召抱えて冠婚葬祭の使者として
重宝したとかいう逸話もあったよな。


386 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/14(金) 15:11:00 ID:XVXrg1mp
何その適材適所の王道ww流石Q太郎