依田信蕃、二俣城を引払う

2015年10月23日 19:49

856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/22(木) 16:11:23.65 ID:WhZxo45m
依田信蕃、二俣城を引払う

勝頼が長篠で敗れた時、依田(芦田)信蕃は二俣城を守っていた。東照宮の軍は3月より二俣城に攻め寄せ、東照宮は南方の山に本陣を置き、城の四方に付城を築いた。
依田も城を固く守ったため長期戦となること11月。この時、「城を渡し甲斐に引揚げよ」と勝頼から依田のもとに再三使者が来たが、依田は聞き入れなかった。
勝頼が自筆の書状を送るに至りようやく依田も開城を決意し、12月下旬に人質を出し、23日に城を明け渡すと約をなした。
しかし当の23日に雨が降ったため依田は「蓑笠をつけていてはみっともない」と天候の晴れた26日まで城の明渡しを引延し、開城後に二俣の川辺で人質を取換え、堂々と引揚げていった。

依田が小勢で城を久しく守り抜き、開城の作法が見事であったことに東照宮も感じ入り、後に依田を召抱えたそうな。

『常山紀談』
この後また権現様に田中城にて囲まれる依田さんであった。




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依田信蕃の助命

2015年10月19日 14:02

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/19(月) 10:59:46.75 ID:ggK5PwQc
依田信蕃の助命
天正10年3月、東照宮は江尻に出陣し、成瀬吉右衛門正一を使者として田中城の依田右衛門佐信蕃に「武田の重臣は悉く寝返り武田の滅亡は間近である。早く開城するように」と開城を勧めたが、
依田は従わずに、「武田の重臣達の書状を見て真偽を判断したい。先年、二俣城で大久保忠世とは縁がありますので大久保に城を引き渡したいと思います」と申してきた。
東照宮も「尤もである」と言い、穴山梅雪に書状を送らせた。

 開城の後、「降参するならば信州の本領を与える」と東照宮は言ったが依田は「勝頼の命運がはっきりしないうちは承り難いことです」と言い、信州佐久郡葦田へと去っていった。
武田が既に滅びた後、織田信長は「勝頼に忠節を尽した者と雖も、武名ある者を諸将は召し抱えてはならない」と命じ、なおも隠れ潜む武田の旧臣を処刑しようとした。
東照宮はこのことを憐れに思い、依田を市川の陣に召し出し、主従六人を遠州飼東郡二俣の奥小川に匿った。その他にも東照宮の仁徳のおかげで助かったものは多かったそうな。

『常山紀談』