雲の上まで飛ぶ蛍かな

2015年10月24日 19:38

875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/24(土) 11:03:27.52 ID:yKHnJEhe
中院通村公(鍋島光茂の後室、栄正院の祖父)が、後水尾天皇の御代、
勅使として江戸に下向なさったとき、
江戸城の下馬先を馬を下りずに通るとおおせになった。
御番衆が、
「先例ですからお下りくださるよう願います」

と申し上げると、通村公は、

「先例を知らぬ者を例にして、馬を下りる必要があろうか。
 勅使は下乗しないものである。」

と返答された。
けれども、どうにも御番衆が納得しないので、

「それならば勅諚は差し上げられぬ」

と、登城せず、そのままお帰りになった。
これが原因で、三年間蟄居なさった。
通村公の子の通純公は若死になされた。
通純公の子が従一位内大臣の通茂公である。(1/2)

876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/24(土) 11:22:35.98 ID:yKHnJEhe
仙洞様は御在位中、松木殿の姫君を御寵愛され、
この姫君からお生まれになった五宮様(のちの東山天皇)を、
天皇のお位につけようとお思いになられた。
一宮様は日蝕の日にお生まれになられたということで、
公卿たちが、皇位におつきになられるのはいかがなことかと評議し、
いずれの公卿たちもその評議に同意したが、
ただひとり通茂公は同意せず、

「迷信で物事を判断しては、天下に正しい道が廃れるでしょう」

と申し上げた。
一宮様の母方の叔父である小倉殿は、
日蝕の日に生まれた帝王、聖人の例を、和国中国の歴史から探して、
それを評議の場にて申し上げられた。
けれども、五宮様が皇位におつきなられることとなった。
通茂公はこれが原因で、七年間蟄居なさった。
小倉殿は遠島をおおせつけられたが、
こんな無道な世に生きながらえても仕方ないと絶食をして、
二十一日目に亡くなられた。
御子にはお許しが出て、帰参を命じられた。
そのとき遠島先の流人たちの中にはなむけの歌を贈る者があった。

見隠れし芦間の光あらはれて
雲の上まで飛ぶ蛍かな

【葉隠】

全体的には見識ある公卿の不遇な話だけど、
最後と、流人の心遣いと歌が素晴らしくいい話



880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/25(日) 10:54:55.47 ID:qwNM48pz
趙翼の廿二史册記に前漢の皇帝が日蝕とか出る度に「朕の不徳だ」って己を罪する詔を出して
正道を心がけるって話があるの思い出したけど
陰陽的には日蝕があったのは在位中の仙洞様のせいになるんだよなぁ
このお方の経歴を見れば成程、御徳がとぼ・・・なんでもない
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