下総三山七年祭り由来

2015年11月02日 13:12

924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/02(月) 12:17:34.38 ID:c9uumMhm
この週末に丑年と未年だけに開催される下総三山の7年祭りが催されたので、その起源といわれる話をひとつ

下総は馬加(まくわり)という処に馬加康胤という将がいた。
康胤は千葉一族の重鎮にして、上杉禅秀の乱の頃より宗家と共に関東の争乱を戦い抜いてきた古強者である。
しかしながらそんな康胤にもひとつの悩みがあった。
それは彼の妻のことである。

じつは康胤の妻が身ごもってすでに11ヶ月を過ぎていたが、いっこうに出産する気配がなかったのだ。
これにほとほと困り果てた康胤は、領内にある二宮・子安・子守・三代王の4つの神社に安産祈願の祭礼を依頼した。

さて祭神のご利益によるものか、ほどなくして妻は珠のような男児を出産し康胤は大いに喜んだという。
そして「祝いの祭りをする」と領内に触れを出し、安産御礼の大祭を執り行って家臣や領民と共に嫡子の誕生を神に謝したのだとか。
時に文安2年のことだという。

地元の情報誌やwikiなどから
他にも、普通に安産を祈願したら三代王の祭神が康胤の夢に現れたからというお話もあるようです
ちなみに秋口に二宮神社(船橋市三山)で小祭が、今ぐらいの時期に二宮神社とゆかりのある8つの神社が神輿を二宮神社に参進する大祭が催されます
それぞれの神社には父母や子守・産婆などの役割があるそうです

925 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/02(月) 12:24:06.53 ID:c9uumMhm
関東が本格的な争乱状態に陥る少し前のお話で、この男児は名を胤持といいます
そして後年の享徳の乱において父康胤に先駆けて幕軍に討たれることになる若武者です
ただ、享年23といわれているのでお話の誕生年だと勘定があわないんですよね
てか、過去帳に記載すらないそうなんですがw
いずれかの記録が間違っているのか、あるいはこの年に産まれたのは女子のほうだったのか、はたまた元服にあわせて祭礼を行ったのか
ちなみにこのときの康胤の年齢は60から70ではないかと推定されます



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