結城秀康の死去/家康怒りの改葬

2016年12月25日 17:11

463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/24(土) 14:37:00.84 ID:TsTbPz9n
結城秀康の死去/家康怒りの改葬


結城秀康は慶長12年には父家康により伏見城番に任じられたものの病が重くなり
3月1日に伏見から越前に帰国したものの、同年閏4月8日に34歳で死去した。
嫡男の忠直が江戸にいたため葬儀は大幅に遅れてしまい、わざわざ北庄まで
弔問にきた毛利輝元も痺れを切らして帰国してしまったという(『毛利家文書』)。

秀康は結城家菩提所の曹洞宗の寺、福井孝顕寺(結城氏は代々禅宗だった)に葬送され
孝顕寺殿吹毛月珊大居士と称したものの、それを聞いた家康が
「我が家の者は浄土宗である、結城を名乗っているのならともかく
 既に復姓し松平となっているのに、このたび禅宗に改めるとは何事か!」
と激怒した為家康の意向により、知恩院から満誉大僧正を導師として下向させ
満誉を開基とした浄光院(のち運正寺)を同年中に建立し、浄土宗へ改葬させて、
法号も浄光院殿と改められたという(『知恩院古記録』)。


――『福井県史』など



464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/24(土) 16:11:14.91 ID:tyQB9IgX
増上寺は浄土宗だけど寛永寺は天台宗なんだが...

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【ニュース】県庁前に秀康が“2人”?

2016年03月14日 18:35

315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/13(日) 19:24:19.35 ID:aCW8pZdW
中日新聞福井版2月21日
県庁前に秀康が“2人”? 結城会が新設に動く
現在の像「容姿」に異論
http://www.chunichi.co.jp/kenmin-fukui/article/kenmin-news/CK2016022102000199.html
http://www.chunichi.co.jp/kenmin-fukui/article/kenmin-news/images/PK2016022102100124_size0.jpg
PK2016022102100124_size0[1]
http://www.chunichi.co.jp/kenmin-fukui/article/kenmin-news/images/PK2016022102100125_size0.jpg
PK2016022102100125_size0[1]
江戸時代初期に福井藩の初代藩主を務めた徳川家康の次男、結城秀康(一五七四~一六〇七年)の騎馬像について、
結城家のゆかりの福井市民らが違和感をもち、新像の設置を模索している。福井城跡である市内の県庁前に立つ
現在の像には子孫関係者からも異論が出ており、インターネット上で「中国風」「日本の美意識がない」と批判
されたのを機に動き始めた。今の像を計画した市側は静観するが、二つの像が並び立つ日が来るかもしれない。 (中場賢一)

馬にまたがり、手綱を持つ姿で、県庁の来訪者を迎える秀康の石像。越前国北ノ庄(現福井市)入りから四百周年を
二〇〇一年に迎えたのを記念し、福井市と、市の歴史や文化を紹介する公益財団法人「歴史のみえるまちづくり協会」が
城跡を管理する県に贈呈し、〇二年に除幕された。

制作したのは県と友好提携している中国浙江省の石像作家。協会が依頼したが、デザインや制作先を決めた経緯について、
協会関係者は「当時関わった人が在籍しておらず、詳細は分からない」と話す。

建立直後から、結城家の家臣の子孫の市民らでつくる「福井結城会」には、秀康の子孫の結城松平家や結城家の関係者から
「イメージに合わない」と異論が届き、撤去するよう要請があった。ネット上では「中国風にデフォルメされている」
「日本独自の美意識が感じられない」と評されている。
会の片岡賢三副会長兼事務局長(67)は「不評や失笑どころか怒りを買っている」と新像を計画。秀康に関する資料を精査し、
銅像制作を手掛ける富山県高岡市の「竹中銅器」に昨年十二月にデザインを発注し、一月に完成した。

その姿は秀康が愛用していた唐冠形兜(とうかんなりかぶと)をかぶり、手には天下三名槍(めいそう)の誉れ高い
「手杵(てぎね)の槍(やり)」が握られている。顔は「ナマズに似ていた」ともされているが、イケメン風にアレンジ。
ただ、片岡さんは「あくまでたたき台」と強調する。




316 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/13(日) 19:44:56.84 ID:mmYKOCFu
容姿に異論、ていうからギイに似ているとか鼻が欠けた姿にしていたのかと思いきや

317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/13(日) 19:53:36.58 ID:Q9hijGnh
>>315
>「当時関わった人が在籍しておらず、詳細は分からない」
キックバック?公益財団法人の悪い話…。

319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/13(日) 21:14:50.13 ID:/SDAcKHs
>>315
>制作したのは県と友好提携している中国浙江省の石像作家。協会が依頼したが、デザインや制作先を決めた経緯について、
>協会関係者は「当時関わった人が在籍しておらず、詳細は分からない」と話す。

態々、浙江省の石像作家に頼むからこんな中華風な像なるんだよな
国内の製作者でも戦国の騎馬武者像を正しく作れる人がどれくらい居るかも分からんのに

320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/13(日) 23:42:28.69 ID:AcXeEgg+
>>315
御手杵を馬上で使える訳無いだろw
関係者に馬鹿しかいねぇwww

321 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/13(日) 23:59:30.17 ID:wbpvzEpq
はい草

322 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/03/14(月) 01:14:31.04 ID:Vz9aN3QN
>>320
変に関羽みたいになっとるw

323 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/14(月) 15:55:50.98 ID:X6LOFWbh
戦国時代騎馬武将の写真なんてあるわけないし
当時かかれた絵もおもいっきりデフォルメされてるので細部は全くの不明
誰も本当の姿なんて知らないし県庁前とおるほとんどの通行人も興味もないししりたいとも思わないので
わざわざ作り直す必要性もないだろう

324 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/14(月) 17:24:28.52 ID:fT7s1wsQ
左手にサイコガン付けようぜ

325 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/14(月) 17:38:31.19 ID:lbTjKK+/
ヒューッ!

327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/14(月) 20:04:24.99 ID:xlMMQtnb
>>323
鎧とかなら残ってるんじゃないのかな

328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/14(月) 20:36:53.05 ID:Yol0YFF+
馬具も馬術書もある

329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/14(月) 20:58:58.14 ID:egIkNCog
中華風にプロレタリア感が加わった何とも言えない石像だなとは思った
まあ結城秀康といえばあの脇立がなきゃって気もするし、どっちもあっていいんじゃないの

339 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/15(火) 10:28:25.24 ID:4eCAY+2k
中華風にリアリィティないというなら各地の駅前とかにある馬上戦国武将像もあれだろ
ポニーサイズの馬に変更しないと・・・

341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/15(火) 13:38:45.21 ID:utlpfOlk
>>339
ポニーだって体高150くらいあるの知ってる?

342 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/15(火) 13:42:56.47 ID:vNIvEO5E
>>315
たぶん、碌な資料も渡さずに発注したんだろうな。
秀康像の困惑顔は作家の本心を表してるに違いない。

「もし大将をお許しになるのなら、私はここに留まります!」

2015年10月28日 08:34

892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/27(火) 20:50:43.24 ID:DVPqIe60
会津征伐の途上にて石田三成の挙兵を知った徳川家康は、小山にて諸将と軍評定を行い、
その後息子である結城秀康を呼んだ。

秀康が家康の陣所に参ると、本多正信が迎え出て
「少将様(秀康)、天下の安否は今日に決します。よく心してお答えなさいますよう。」
そう申し上げると跡に従って家康の御前へと出た。

家康は東西の軍事状況を秀康に説明し、
「秀康、お前が私のためにここに留まって関東を鎮めるならば、私は上方に向かって戦おうと思う。
これをどう考えるか?」

秀康はみるみる機嫌を悪くし
「この秀康、どうして御後に残りましょうか!?ただどこまでも、先陣をのみ望んでいます!」

しかし家康
「上方の軍勢は、みな国々からの集まりに過ぎず、それが何十万騎となろうと何ほどのことがあろうか?
しかし上杉家は累代関東の大将であり、中でも故輝虎入道(謙信)の時に至って、弓矢を取って
天下に肩を並べるものは少なかった。その子として景勝は、幼少の頃より合戦の中で成長し、
歳も既に老け、現在彼に対してたやすく合戦の出来るものは多くない。
天晴、お主のためには良き敵ではないか。

海道に向かって打ち込みの戦をするより、お主一人ここに留まって合戦をすることは、
且つは弓矢取っての面目、且つはこれに過ぎたることはない、何よりもの孝行である。」

そう語ると、秀康は少しの無言の後
「…合戦は、必ずしも軍勢の多少には寄らぬと承っています。上方の大将にも、名を得たもの
少なく有りません。軍勢の規模もきっと多いでしょう。

秀康は未だ合戦に慣れていませんが、景勝一人の軍勢と戦うのに、何ほどのことがありましょうか?
もし大将をお許しになるのなら、私はここに留まります!」

本多正信はこれを聞くや感極まった
「よくぞ仰せに成りました!関東を鎮められるというのなら、その大将に参らせられること、
仰せにも及びません!」

家康も世にも嬉しげに、しきりに涙を流し、自ら鎧一領を取り出して
「この鎧は私が若い頃より身につけ、ついに一度の不覚も覚えなかったものだ。
この、父の嘉例に准じて、今回奥方の大将として良き戦をし、天下に名をあげるのだ!」
そう言ってこれを与えた。秀康も心地よさげに御前を下がり、下野国宇都宮に陣を取り、
関ヶ原の役の間、関東を鎮めた。

上方で西軍が敗れた後、景勝も降参を乞うて伏見へと参った。
秀康にはこの勲賞として越前国が与えられ、明けて慶長6年5月、福井城へと移った。
(藩翰譜)




893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/27(火) 21:24:59.96 ID:3XFxN570
>家康も世にも嬉しげに、しきりに涙を流し

利用する為には、子供に対してもこんな小芝居しなきゃならんのか

894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/27(火) 23:14:33.66 ID:74kpQ63m
秀吉もそうだがこういう時にちゃんと泣けるのが天下人なんだろうよ

895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/28(水) 07:39:19.25 ID:jibHBUEb
演義の劉備は泣いて皇帝になった、と言われるが
実際役立つんだな

上方の武辺とは

2013年05月18日 19:54

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/18(土) 18:14:35.61 ID:NW8/BH9g
江口(たぶん正吉のこと)は丹羽の亡き後に、
越前の黄門君(結城秀康)へ召し出されて一万石を所領した。

越前の家子に高木勘平という武勇の者がいた。高木は新参者が一万石を領するのを怒って、
ある時、江口の膝に迫り寄り、「上方の武辺とは、どのようなことを申すのだ」と問うた。

江口はこれに答えて「上方の武辺とは、人に武辺者と言われ、ここの殿の様な所へ
召し出されて、高い知行を取ることを申すのだ」と言った。

すると、高木は尾も無き様子で「うん」と言って退いたという。

もし江口がその時に「私の前々よりの武功」など言ったなら、
高木は「自分もそれくらいの事を八百回もしたぞ」と言おうと思っていた。

江口は武のみにあらず、才もすぐれた者なので、よく返答したのだ。

――『老人雑話』




631 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/18(土) 19:58:10.06 ID:rrY+3lO/
むしろ尾も無き様子が気になる

632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/18(土) 20:11:05.67 ID:futhla0H
越前の逸話なのにキチガイが出てこないなんて!

635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/19(日) 01:37:57.29 ID:IDLcGgKx
>>631
文句付けようと思ったら上手く交わされて
「お、おう……」
がある意味一番正しいんじゃないかなあw

どっちかと言うと
「丹羽の亡き後」
の長重のすっ飛ばされっぷりが気になる

天晴れ、内府の御子

2012年10月05日 20:38

725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/05(金) 17:14:09.51 ID:f62JAsST

小山評定により今後の対応を決定した徳川家康上杉景勝の押さえとして
結城三河守秀康を残すこととし、松平玄蕃允家清を使いにしてその旨を伝えた。

しかし、秀康は「上方の戦を捨ててこの地に残るとは思いもよらなかった。
例え父君の仰せでもその儀には従い難い!」と憤慨し、梶原美濃守と原隼人を
家清に同伴させて、家康に上方への出陣を願った。

「三河守の若さではそのように思うのも無理はない。直接話したい故、急ぎ本陣に参れ」
家康が梶原らにそう伝えると、秀康は本陣にやって来て家康と対面した。

「此度の上方の敵は何十万騎いようとも烏合の衆にすぎない。一体何程のことがあろうか。
しかし、抑えなければならない上杉家は謙信入道以来、弓矢を取って天下に並ぶ者はいない。
また、景勝は幼弱より軍の中にあって、その武名はとても広く知られている。

今彼と容易く戦えるような者はいないだろう。それだけの者を相手取ることが、
おことの面目を著しく損なうようなことにはなるまい。それに上方へ向かう人々や
その家人らは人質を江戸に留めている。関東の守りが薄くては人々の心も堅くはならず、

勇気を振るうこともできないだろう。そうしたことを考えれば、景勝を抑えるためには
おことをこの地に残さなくてはならないのだ」

話を聞いて秀康も終いには残留を了承した。家康は殊の外嬉しい様子で涙を流し、
自ら着背長を一領取り出した。

「この鎧は儂がまだ若い頃より身に着けていた物だ。これを着ていると不覚を取ることは
一度も無かった。父の佳例になぞらえて奥方の大将となり、名を天下に揚げるのだ」

秀康は心も打ち解けて、心地よく鎧を受け取った。すると本多正信が秀康の側に進み寄り、

「よくぞ殿は御受けなさいましたな! 大殿が一統の功を立てなさるのも、この御一言によって
定まりました。天晴れ、内府の御子にございますぞ!」と、秀康の膝をしきりに叩いて喜んだ。

――『徳川実紀』




726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/05(金) 18:05:17.51 ID:MIIXgLVq
>>725
秀康を信用してたんだな実子だし99%無い話だけど家康が関が原に向かったあと秀康が謀反起こしたら
とんでもないことになるからなそうなったら伊達や最上も寝返る恐れが出てくるし
秀忠や忠吉じゃ対上杉戦には心もとないからな

727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/05(金) 18:06:43.32 ID:4wttK68v
運命の巡り合わせなのか、九州、小田原、朝鮮、関ヶ原と毎回大戦の中の動きの無い場所担当になるよねこの人は。

728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/05(金) 18:27:01.09 ID:juFqUsIZ
手柄たてると実父も養父も困ってしまう微妙な立場だもの

729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/05(金) 18:30:25.57 ID:Bx8jRiDT
抑えってなんもしないのが仕事だから簡単そうに見えて、実は難しいもんで
ちょっと違うけど、溺れてる人間はパニクらずもがかなきゃ自然に浮くのは頭で分かってても、なかなか出来ないようなもんで
駆けずり回るだけが働きじゃないんだなぁ

730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/05(金) 18:38:30.08 ID:uBKtLrES
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ

柳生新陰流の極意なり

731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/05(金) 20:45:55.88 ID:aVbq8uSS
対上杉は家康は完全に秀康に一任してるよね。榊原、正信、大久保をつけた秀忠と違って配された重臣って平岩親吉ぐらいだし。
不仲なんてもってのほかだろうな。

732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/05(金) 20:59:52.44 ID:MNnGkwRU
>>731
でも養子に出たとか、いろいろあったにしても、跡継ぎにしてない時点で
どうしても不仲に見えてしまうけどなw

733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/05(金) 21:01:37.79 ID:7dNJWe3w
>>732
母親の身分が、他と比べても著しく低いからしゃーない。
秀忠の生母西郷氏は三河守護代家の家柄だし。

737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/05(金) 22:41:38.53 ID:1PlcJx60
>>731
当初は秀忠も残してたけど、上杉が撤収しちゃって暇になったから
秀忠を真田討伐へ投入しただけだね。

738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/06(土) 09:34:15.97 ID:Thi7JGJa
>>732
織田信広とか他の庶子で後継げなかった者はいっぱいいる。
その中で秀康は活躍できたほうじゃないか。

739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/06(土) 13:11:03.45 ID:ojgsjiKr
・・・先生!まーくんは敵じゃないってだけで信用しちゃいけないと思いますw

740 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/06(土) 15:04:13.63 ID:Liro16MX
まーくんには鮭さんを傍に当てておけば勝手にいちゃいちゃして大事にならないから大丈夫だっ!

秀康二話

2012年06月13日 21:00

830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/13(水) 18:53:53.33 ID:Ip47AwPS
まだ出ていないと思ってwikiから引っ張ってきました

その1 「秀康と相撲観戦」

秀康が家康と伏見城で相撲観戦していたとき、観客が熱狂して興奮状態になり騒ぎ始めた。
すると秀康は観客席から立ち上がって観客を睨みつけた。
その威厳に観客の誰もが驚き、騒ぎは一瞬で静まったと言われている。
この秀康の威厳には家康も驚き、『校合雑記』には「今日の見物ある中に、三河守(秀康)が威厳驚きたり」と述べたという。

その2 「秀康と阿国」

秀康は弟の秀忠が徳川氏の家督を継いだとき、伏見城代を務めていた。
出雲阿国一座を伏見城に招いて、阿国の歌舞伎を絶賛した後、
「天下に幾千万の女あれども、一人の女を天下に呼ばれ候はこの女なり。我は天下一の男となることかなわず、あの女にさえ劣りたるは無念なり」
と、こう漏らしたと言う。





何をしても逆効果な結城秀康

2012年01月29日 21:58

902 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/29(日) 04:13:43.68 ID:+SM43X7k
生後しばらくの間、徳川家康から実子として認められなかった結城秀康は、父に気に入られていなかったことを
伺わせる

逸話を残している。ある時、腫れ物を患って回復後に家康に招かれた秀康は、病気で欠けてしまった
鼻を貼り薬で隠していた事で不快感を抱かれて面会を拒否されてしまった。
家康いわく、

「美男を好むのは、公家や町人のする事だ。この家康の子として生まれ、一軍の将たるべき者が、
鼻の形が醜いのを気にするなど言語道断である。」

という真意だったという。また親子で京にいた時、近所で火事が起こると、秀康は家臣を引き連れ
素早く消火に当たったものの、
家康から

「親を出し抜くとはけしからん奴だ!」

と不興を買ってしまったという。 何をしても逆効果な秀康のかわいそうな逸話。



関連
徳川家康、醜い事は恥ではない・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1386.html


903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 08:15:10.56 ID:rpkgUPaU
きしゅつ

904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 08:47:13.76 ID:dV7cpYjB
そもそも秀康が家康に気に入られたと言うか、認められてないと関ヶ原の時の上杉の押さえとか、
関が原後要衝の越前任せるとかありえないからなあ。

幼少期に実子と認められなかったのも、母親の身持ちが悪く、実際の所本当に家康の子かどうか
かなり疑わしかった、というのがホントのところですな。

905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 15:27:39.64 ID:yfHPd8mh
おまん、だっけ?

906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 16:24:43.30 ID:skFjOdns
家康が気に入らなかったのもわかるおまんの子…つまり

                                 Y
                ,. '"´三二二三`ヽ      _ノ    r┐
              /,ィ彡'"´ ̄  ̄ ``ヾミヽ     〈  r‐-┘└っ
              /   /    殺     ', ヽ    ノ   r‐-' 'ーっ
            /   /::(         ノ:::)  ヽ   く   二」 こ
              /   /く´‘`ヽ ',从,' ∠‘``',   ヽ ノノ  (__=ノヽ〉
          /    ハ´ ̄`フ.:;;;;;:: ヽ ̄`フ',   ヽ )   ____
            /    /     ,,   ,,      ',    〈{ /::::::::::::::::..ヽ
         /   /::、  /   .;;;;;;'  ヽ   /::ト、   〃. l::::::::::::::::::::::::::|
         ./   //:::::::; l /⌒ー一⌒ヽl ;:::::ト、V //  \::::::::::::::::/
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.   // /   /   l  >.-、/   ヽ  ヽ  | | ! !   ノ     | |
   // /   /    |/ /       \)  l/ | |  く.      | |
  .// /   /    V   〉   '"´  ``ヽ).     | !   ゝ     | |
      /    /  〈    '"´   ``ヽ)    l/   .ノ     | |




907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 16:54:54.27 ID:EYUcwgXw
こうか?


                   / / / ´ {ミ丶   ヽ
                   ,' / / /  }ミ、 ヽ  '.                   オ レ       テ ロ リ ス ト
                     |,  〃 , ´ ̄ `ヽ  '.  i                  拙者は三河の戦国大名
                     |   /   家  '.  }  l
             ,  - ―<!   {.  康  }  i!   {⌒ヽ               今日は仏閣壊したぜ!
            /___   |     ≧ェ.、 rィェ彡 i!   '.   \                  イマガワ
           /´. -‐- 、`ヽ.|    |   ト   ! i!  .l    丶     /:::::     明日は旧 主掘ってやる!
         ' , ´     ヽ |     |〈__ ー|‐`, } i!  .|、    }ヽ    }:::::::       サツガイ      サツガイ
       , -/ /        }     rくWWW/ ハ i!  .|ヾ:、  ノ }    ノ:::::::     下克上せよ!下克上せよ!
      { ' '        ノ .i!   、ト、` ̄ ' イ/リ     |ヽ、`¨´ /  /::::::/
      | { {         /  ハ  ト、 T77´,//ハ     !'//`Y´   /::::::/; /
      | i! '.      /  イ '.  |ヽ }/ i !// //    |///∧   .!:::::/; /ゝ
      |人  `ー一   イヽノ  l .K ///リ/,イ//     !////ハ   ノ/; /ゝ
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908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 16:56:51.88 ID:76xNHuPX
秀康の指料として残ってる刀も朱塗だし
黒厨の家康とはそもそも趣味が合わなかったんじゃないか
ttp://www.emuseum.jp/detail/100491?word=&d_lang=ja&s_lang=en&class=6&title=&c_e=®ion=&era=&cptype=&owner=&pos=89&num=5&mode=detail

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 17:18:02.03 ID:3xhA950k
秀康は太閤の養子になったから
趣味が豊臣寄りになってたりして

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 19:16:29.07 ID:61E2U3Ei
病気で鼻が欠けるっていうと真っ先に梅毒を思い浮かべてしまうんだが
違うよね?w

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 19:19:28.21 ID:wQnKxtvE
梅毒説は有名じゃないか
真偽は知らんが

912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 20:09:50.33 ID:Kqkq2qBQ
>>908
>黒厨の家康
意外に政宗公と趣味が合うかもw

913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 23:06:02.25 ID:J1U8VOXD
>>910
スレチになってしまうが、梅毒説のある武将って秀康の他に誰か居たっけ?
黒田如水くらいしか知らないんだけど

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 23:09:16.63 ID:P3SWhhgo
加藤清正/浅野幸長

915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/29(日) 23:09:55.16 ID:B3B2HeGF
朝鮮行った武将ならけっこうもらってそうだけど

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/30(月) 08:28:42.41 ID:KgTdxVb6
朝鮮で梅毒めっちゃ流行ってたんだよな

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/30(月) 09:04:05.98 ID:mGfRkdlz
前田利長の死因も唐瘡とされている
小早川秀秋も可能性を否定出来ない

豊臣氏が朝鮮の役で被った最後にして最大の被害と言えるのかもしれない

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/30(月) 09:05:39.23 ID:t23fue6q
あっちでヤリまくってた大名も悪いんじゃね、ヤルことしか楽しみがないんだろうけど

919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/30(月) 09:37:03.12 ID:3CjR41MJ
家臣の妻襲えば安全なのに。

920 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/30(月) 10:11:10.07 ID:mGfRkdlz
松平忠吉も梅毒で死亡したと思われる

921 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/30(月) 19:38:50.87 ID:8bWUm58O
板がヒャッハー状態

922 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/31(火) 00:55:29.22 ID:c4+tXjYN
避妊で病気を防ぐ概念は無かったのかな

923 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/31(火) 01:51:03.52 ID:0dCNrhUH
当時は衛生観念違うし【今度産む】もなかったしなぁ
粘膜接触は避けられなかったんじゃない?

924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/31(火) 11:09:32.88 ID:ZdAjZkdo
梅毒にかかると妊娠しにくくなるから、梅毒にかかってようやく一人前の遊女という
風潮すらあったとかいう話だな・・・


925 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/31(火) 11:30:37.21 ID:+xvUJork
安全な大名の女遊びのやり方をお教えしましょう。

まじめな家臣に美人の嫁を斡旋する

家臣を上方もしくは江戸に単身赴任させる

慰労ということで家臣の妻を呼んで・・・・ウマー

この時遊び人の家臣を選んではいけません、回りまわって感染してしまいます。
気性の荒い家臣を選んではいけません、斬られます。
口うるさい老臣に近い立場の家臣を選んではいけません、折檻されます。

これで楽しいアバンチュールを安全に楽しみましょう

926 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/31(火) 13:09:02.65 ID:vF+4Fqq8
宗リン「いやあ、恐ろしい手法じゃ」
TERU「誠に恐ろしい、そのような人面獣心の輩の顔が見てみたいものじゃ」

譲り合い 宇宙

2010年06月01日 00:04

93 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/05/30(日) 21:56:17 ID:uejqOBNB
譲り合い 宇宙

徳川家康が将軍だったころ、結城秀康が父家康の命で江戸に赴いたことがあった。
品川まで来ると、なんと徳川秀忠がわざわざ江戸城から出迎えに来ていた。
「兄上、よくぞお越し下された。」
「わざわざのお出迎え、痛み入ります。」
挨拶の後、さあ、江戸城に出発となったが、秀忠の輿は動かない。
「兄上、どうぞお先に」
だが、秀康は上杉景勝との席次譲り合いにも見られるように、謙虚な人柄であった。
「何を申される。あなたはお世継ぎではないか。あなたより先にはいけない。」
ところが、秀忠は、景勝と違い、「それなら」といえない男だった。
「兄上を差し置いて先に行くなど、長幼の序にもとります。」
二人には、頑固で意地っ張りな徳川家康の血がしっかりと受け継がれていた。
二人とも、引かず、媚びず、(周りを)省みなかった。
結局、二人は江戸城までの道のりを延々と譲り合いながら進み、
街道を通る人々は大いに迷惑したということである。




94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/30(日) 22:34:55 ID:71LF2OSW
あなたが家康の子として認知されるのが遅すぎたのよ!
どうして今ごろ(ry

95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/30(日) 23:12:49 ID:UarV/tyk
チッ!少しでも前に出てくれれば謀反の兆ありと親父に訴えて
謹慎改易切腹の三連コンボ食らわしたのに

96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/30(日) 23:27:54 ID:Ce9G0vJ4
家光「言い掛かりでも何でもやっちまえばいいのに…」

97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/30(日) 23:53:48 ID:2VUgCQ+B
家康も秀康には色々気を使っているからねえ…

98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/31(月) 00:07:11 ID:wDer8lfn
秀康が豊臣側に寝返れば面白かったのに・・

秀康にスイッチが入った

2010年03月16日 00:01

306 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2010/03/15(月) 15:54:54 ID:BmyniogW
制外の家

結城秀康が参勤のため江戸に向かっていたところ、行列が碓氷峠の関所に到着した。
関守「騎馬に徒士の家臣、足軽に弓槍鉄砲、ん?鉄砲ですか?」
結城家家臣「いかにも、鉄砲がござる。参勤のため軍役のために必要でござろう。」
関守「いけませぬ!箱根と同じく碓氷峠の関所は『入り鉄砲に出女』は禁止事項です。
   将軍家の決められた法度を破るわけには参りません。ここを通過させるわけには参りません。」
結城家家臣「なぜ?当家は『制外の家』ましてや将軍家一門にござるぞ!通しなされ!」
関守「制外の家なんて知りません!だめ!鉄砲はおいてきてください!」
結城家家臣「なんだこの面倒くささは!通せ!それともお前、三河者か!??」
こうして、内容が結城秀康の耳に届いた瞬間、秀康にスイッチが入った。

秀康「成敗!」

関守はおそれた。なんと言っても自分を斬るために万余の軍勢が今まさに前進しようと
いうのだから。そこで、江戸にお伺いを立てた。
結果は鉄砲付きで通してよいというものだったと思うが、詳しくはわからない。
ただ、事態収拾に成功したと共に徳川秀忠がこの事に関してのコメントがわかっている。

徳川秀忠「関守は・・・兄上(秀康)に殺されなかっただけでも幸いであった。」




307 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 16:48:18 ID:CSoXGzu/
その関守は三河者では無い事確実だな。
三河者だったら攻撃されそうになる前に、
自分から相手の軍勢に切り込むはず。

308 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 18:34:47 ID:GgibeMuK
>>306 秀康「成敗!」
松平健吹いたw

309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 18:51:53 ID:OJs4obV1
>結城家家臣「なんだこの面倒くささは!通せ!それともお前、三河者か!??」
どんなつっこみだよw

310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 19:45:42 ID:Oh8TdMn0
鬼武蔵なら江戸にお伺いを立てる時間も与えず殺ってるだろうな

311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 20:07:21 ID:KV+WWKmE
>>310
鬼武蔵が関守をするのか・・・

314 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2010/03/15(月) 20:22:45 ID:BmyniogW
>>311
ある意味見てみたい。
結城秀康VS森ヒャッハー鬼武蔵長可
の碓氷峠関所の戦い。

315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 20:24:34 ID:2C8Pe3zK
見たらそのあと一週間は魘されそうだなあw

316 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/03/15(月) 20:45:34 ID:dBysh5fY
>>311
いや、違うだろ。
鬼武蔵長可なら関守を間髪入れずにたたき切ってるってことでしょ。
実際、関所破って皆殺しにしてなかったっけ>鬼武蔵長可

317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 20:58:38 ID:v8suGHnw
鬼武蔵華麗なる関所破りの歴史

1:京の関所
役人を問答無用で斬首。さらに部下に銘じて放火をしその混乱に乗じて通過。
殺した相手は味方。

2:瀬田橋の関所
番人を切り捨て通過。
殺した相手は味方。

3:熱田橋の関所
番をしていた浅野長政の家来を切り捨てて通過。
殺した相手は当然のように味方。

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-382.html


318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 21:06:30 ID:rHTtFp6S
味方殺しは男のロマン

320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/15(月) 22:07:10 ID:kytjmE0p
中世の関所と、江戸時代のそれも碓氷峠の関所は規模が全然違う。
鬼武蔵独りで碓氷峠を突破なんてムリだよ。
・・・って無粋な書き込みスマソ

石田正宗

2010年03月13日 00:05

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/12(金) 17:25:07 ID:GLNx7NWK
結構知られている話かな?

石田正宗
三成の前田邸での襲撃事件後、三成は家康に保護される
そして家康の勧めにより彼の領国の佐和山に帰るのであった
その際、家康は次男の秀康を警護として同行させた
太閤の養子であり秀頼の義兄弟にもあたる秀康と三成は互いに好意を持っていたようであり、
別れの際に三成は世間の羨望である佩刀の五郎正宗を秀康に贈ったのであった

関ヶ原の合戦後、諸侯は幕府を憚り三成の名前を口にすることも恐れる風であったが、
秀康は贈られた刀を「石田正宗」と命名し生涯愛用したのであった
また、刀身に傷があるので「石田切込正宗」とも呼ばれている

因みに、この傷のせいで国宝には出来なく重要文化財止まりだとか




626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/12(金) 17:31:48 ID:A/8vzjn3
結城秀康は大谷吉継の敦賀正宗も所持してて羨ましい

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/12(金) 18:10:44 ID:wdTkVIKp
>>625
既出じゃなかった?

傷があっても国宝にすればいいじゃない!って思っちゃうねw
勿体無い

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/12(金) 21:19:54 ID:TsrSZ6ww
傷のせいで刀剣としての価値が下がっちゃったから国宝になれないのかな

629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/12(金) 21:44:42 ID:fYSkWgHC
国宝として生き長らえるより、実戦で使い潰される方が刀も本望だろう

結城秀康、呼ぶのを忘れて

2009年07月02日 00:05

856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 18:14:53 ID:UNSSxNj0
越前において、結城秀康が城を出て温泉に入りに行った事があった。
これに出発する前、秀康は見送りの家臣たちを一人づつ呼び、声をかけた。

ところがこの時、どうしたわけか片倉武兵衛だけは呼ばれず、声をかけてもらえなかった。
武兵衛はこれがあまりに口惜しく、面目を失ったと、切腹し、果てた。

武兵衛の切腹を知った秀康は驚いた。
「ついうっかりして、呼ぶのを忘れてしまった。しかし武兵衛の事を気にかけていない
訳ではなかったのに!」

深く後悔した秀康は、武兵衛の跡目を取り立て片倉家を存続させた。
そしてこの事を生涯、自分への重い戒めとしたそうである。

この時代武士の面目とは、生き死にに直結する重大な問題であったのだ、と言うお話。





857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 18:42:47 ID:6S0I9vrY
短気にもほどがあるだろ

858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 18:48:03 ID:nL0yTrah
何も腹切らなくてもいいじゃないかw


一万石の江口三郎兵衛と高木勘平・いい話?

2009年05月13日 03:56

523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/12(火) 09:05:37 ID:jPagyO9i
これはまだ無いはず。同じ一万石知行のお話


丹羽家の重臣として有名であった江口三郎兵衛は、関ヶ原による丹羽家没落の後、
越前黄門、結城秀康に呼ばれ、なんと一万石で召抱えられた。

これを快く思わないのがそれまでの家臣たちである。
秀康の家臣で武勇の知られた高木勘平も、
「新参者がいきなり一万石を領するとはなにごとか!」
と、怒りがおさまらない。

ある時この高木が、江口と同席する機会があった。高木、この時とばかり江口に詰め寄り
こう尋ねた

「上方の武辺とはどういう事を言うのか!?」

一般に東国の武士からは、上方の者は柔弱と思われている。高木はその上方者である
江口の武辺を笑って恥をかかせてやろう、そう思ったのだ。

これに江口、答える。

「上方の武辺と言うものは、人に武辺者と言われ、この殿のような方に召し出され、
高い知行を取ることでござる。」

高木はこれを聞くと、「うーん」と唸り、そのまま言葉も無く引き下がった。

高木勘平が後に言うには
『あの時江口が、それまでに自分のなした武功を語ろうものなら、「わしはそれほどの事を
八百度も成したぞ!」と言ってやるつもりだった。
江口と言う男は武のみではなく、才も優れた人間だ。」

と、感心したとの事である。


正直この程度の答えに素直に感心しちゃう高木勘平が、ちょっと可愛いお話。




524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/12(火) 09:16:18 ID:OavpmR4+
言ってやろうとした台詞を考えるに脳筋だったんだろうなぁ高木

越前松平家家臣、吉田修理「こんなこともあろうかと。」・いい話

2009年04月29日 00:06

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 04:01:46 ID:pO1AnOht
『こんなこともあろうかと。』

吉田修理は元は関白秀次に仕え、後に結城秀康に仕えた人であった。

・修理が始めて結城秀康にお目見えしたときの事。
秀康は丁度その頃、北ノ荘の城を改修しており、修理に向かって

「これより二の丸の虎口縄張りの改めをせねばならぬ。おぬしも付いて参れ。」

と、その席より立ち、修理もそれに付き従った。
さて、工事現場に着くと、どういうことか長さを測る間竿をなくし、その場の者たちが困っていた。

「何をやっておるのか!早く見つけて縄張りの計測を再開せよ!」秀康公も不機嫌そう。
しかし間竿は見つからずみな慌てている。その時である

「お待ちください!」

秀康の傍にいた吉田修理が声をかけた

「こんなこともあろうかと、家臣にこれを持たせておりました。」

一同「ああーっ!それは間縄(一間ごとに結び目をつけた縄)!!これで長さが測れるー!」

流石は名臣吉田修理。


・結城秀康の嫡男松平忠直の下に、将軍秀忠の娘、勝姫のお輿入れがあったときの事。

吉田修理はお迎えのため、街道まで出ていた。その日は快晴であったのだが、どうしたわけであろう、
にわかに曇ったかと思えば、たちまち激しい雨となった。お輿入れのお供の者たち、突然の雨に打たれ
困惑した、その時である

修理「こんなこともあろうかと。これを用意しておりました。」

一同「ああーっ!それは大量の傘!お供の者全員にいきわたるように2,3百本はそろえてあるーっ!」

流石は名臣吉田修理。


・松平忠直が、その家臣久世但馬を成敗する、と言うときの事。

吉田修理の屋敷は、久世但馬の隣であった。
この久世成敗の時、その混乱の中で屋敷は出火し、大変な家事になったのだが、
不思議と隣の吉田修理邸に延焼することは無かった。

後で人々が、「あなたの屋敷は無事で本当によかった」と言えば、修理

「こんなこともあろうかと、あれを用意してました。」

一同「ああーっ!久世の屋敷に近い長屋には残らず濡れムシロがかけられているー!!
延焼対策は万全だーっ!!」

流石は名臣吉田修理。




95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 06:55:16 ID:jVetBLIH
そんな用意のいい吉田修理ですが、秀次、忠直と主君二人の暴走を止める事は出来ませんでしたとさ・・・

96 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/28(火) 09:10:22 ID:vfKB/cMf
秀次の暴走は嘘だらけだが

98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 10:10:38 ID:Hy9SfFOw
吉田修理の家臣、常に大荷物を持って付き従ってそうだな。

99 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 10:41:41 ID:Uuks431N
>>94某宇宙戦艦の真田技師長かとおもたw

どこかで忠直卿を諌めることができたら名臣に「忠臣」の評も加わったんだろうがちと惜しい。

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 20:37:41 ID:yx6NYlMK
>>94
吉田修理があのタヌキ型ロボットとしか思えなくなったじゃないかw

107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 20:47:36 ID:QfIzPQnM
戦国の世で、さすがに虎右衛門と名乗るのはいないだろうな。

秀康たん、義弟を庇ってみないでもなく・いい話?

2009年03月29日 00:07

267 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/28(土) 01:22:38 ID:wB9Fsvzx
秀頼話がでたので、だしておこう

秀康たん、義弟を庇ってみないでもなく

結城秀康は関ヶ原後に越前に加増されたが、内心は苦々しく思っていた
愚弟は危うく家を滅ぼしかける失態をしたが、徳川家後継者となれた。
が、自分は本家後継者となれなかったばかりか、加越能の前田対策で越前に追いやられたからだ

ある時、家康公にぶちまけてみる
秀康「パパー、どーして僕じゃなく徳川を愚弟(秀忠)へ譲っちゃったの?」
家康公「それはね、秀ちゃんを太閤殿下の養子にしちゃったから、徳川を譲ることはできないんだよ」
秀康「じゃー、なんで僕を養子にしたんだよー!僕だってパパの子だじょー!」
家康公「太閤殿下が秀ちゃんを欲しいといったからだよ」
秀康「太閤殿下の望みで出したということは秀頼たんとは兄弟ってこと?」
家康公「うん。そうだね。秀頼とは兄弟だよ」

と、いうようなことがあったらしい

で、越前に戻った秀康は
「私は秀頼と兄弟なので、秀頼に危害を加えよういう者があれば上坂し、秀頼と共に戦って死んでやる」
と放言しまくる。

ところが、1607年に秀康死去
死に臨んで
「私の命があるうちは秀頼を殺させるかと思っていたが…
私の命が終わるなら秀頼の滅亡も遠くはないだろう」
と言って亡くなってしまった。

越前松平には徳川本家からつけられた家臣が腐るほどいて、これらのことも家康公に知られていたと思われる。

そういう訳で、家康公は大坂の陣の時に越前家(松平忠直)を疑っていたが、
合戦では越前勢が真っ先に攻め込んだのを見て、疑いを解いたそうな。




268 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/28(土) 03:40:02 ID:k1deGArv
>>267
最近大河の葵 徳川三代の、秀康の死のシーンをみたばかりのなのでぐっときてしまった

270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/28(土) 11:52:14 ID:ZyGK96QD
>>82この横田って戸石崩れで死んだあの横田備中の孫だよな?

273 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/28(土) 19:34:47 ID:DSunjfG4
>>267
そして忠直卿行状記

結城秀康「得意と不向き」・いい話

2009年03月05日 00:15

488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/03(火) 23:02:23 ID:RBcCZQ7L
結城秀康が越前を拝領した頃の話である。


北条家の浪人に、関根織部という者がいた。彼は武勇の侍として有名であり、
秀康は彼を家臣として招こうとした。が、

「わたくしはかつて、北条氏直様に従って高野山に登ることが出来ませんでした。
それゆえ私は自分を羞じ、世間から隠れて生きております。
このような私がいったい何の面目があって、再び世に出て、あなた様にお仕えする事が
出来るというのですか?」

たちまち断られた。
だが、それを聞いた秀康はますますこの関根が気に入った。
秀康は、利よりも義を尊ぶ人間が、何よりも好きなのだ。

「関根殿、人というものにはそれぞれ、出来る事と出来ない事がある。
失礼ながら頭を丸めて山に登ることは、あなたには不向きな事だ。

あなたは勇者である。戦場に出て戦功を上げる事、これこそ貴殿が得意とすることであろう。

今、貴殿が世に出て私に仕えるという事、それはあなた一人の利のためではない。
あなたが私の下で得意な所を存分に発揮すること、それはそのまま天下の為の備えとなる。
そう言うことではないのか!?」

そう説得され、関根は深く感じ入り、秀康に仕えると申し上げた。


このような事があり、秀康の士を愛する心が伝わったため、世の、天下の役に立ちたいと望むものは、
知行の多少を気にせず先を争って秀康に仕えようと、越前へと集まった。
毎日のように移り住む者が増え、越前は秀康が入封してそれほども立たない間に、
それまでの疲弊していた雰囲気が一変した、と言うことである。




490 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/04(水) 01:27:43 ID:SQp6sXEP
>>488
越前を疲弊させたのは30年前の一向一揆と富田長繁、と




ヒャッハー

491 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/04(水) 03:04:54 ID:fvZM6ZkD
秀康は漢だな。
景勝と気が合うのがなんとなく分かる。

492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/04(水) 08:57:12 ID:o9YZg3wR
>>491
景勝がしゃべらないのにどうやって
会話するんだろ・・・秀康

493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/04(水) 09:14:10 ID:eWMrgogG
文通と筆談

494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/04(水) 10:17:51 ID:X3IAVshc
目と目で通じ合う

495 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/04(水) 10:57:11 ID:/gKIgBWT
そういう仲になりたいわ

496 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/04(水) 11:20:53 ID:oa2zyfWU
竿と穴で通(ry

おっと、細川さんちの庭木の手入れの時間だ、いってくる

497 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/04(水) 11:51:06 ID:o9YZg3wR
無言意気地なしね

498 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/04(水) 12:39:52 ID:0DdggJgY
言えないのよ ヒャーッハー♪

499 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/04(水) 12:41:08 ID:QfEE8JdH
>>496
秀康はともかく景勝は洒落にならんw

503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/04(水) 14:02:19 ID:SQp6sXEP
>492
直江山城が翻訳してくれるらしいね

504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/04(水) 14:21:09 ID:M5sopcSK
一瞬「殿様といっしょ」が脳裏をよぎった

大阪夏の陣のかっこ悪い記録・悪い話?

2009年02月04日 00:15

237 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/03(火) 01:13:32 ID:Nq5c0Abk
大坂夏の陣のとき、
結城秀康の次男・松平忠昌は兄・忠直の部隊に属して進軍していた。
すると向こうから念流の左太夫という侍が切りかかってきた。
忠昌は防ぐことができず、慌てて飛び降りる。
主君を守ろうと一人の侍が切りかかるが、さっとかわした左太夫に切り殺されてしまう。
今度は二人が向かってゆくが、二人とも返り討ちにされてしまった。
さらに一人が立ちふさがるが、親指を切られてしまった。
万事休す、忠昌は組み伏せられ首を掻かれる寸前になった!
しかし間一髪、忠昌の家臣の一人が左太夫の尻を突き刺し、
従者五、六人でなんとか左太夫を引き剥がして討ち取ることができたという。

なぜ松平家がこんなかっこ悪い話を記録に残したかは不明である。




238 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/03(火) 01:16:22 ID:mZcr0ZUp
>>237
どういう状況で怪我をしたのかも、戦功判断の基準になるからじゃないかな?
現実の戦争はリアリズムのみの世界だから、かっこいい悪いはあまり関係が無いと思う。

上杉景勝と結城秀康、席次で言い?争う・いい話

2009年01月05日 00:09

796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/04(日) 20:21:16 ID:+xI16PLc
大河ドラマ開始記念・上杉景勝と結城秀康のお話

関が原後、徳川の覇権が確立した頃の事
江戸城に出仕した上杉景勝。広間に座っていると、そこに結城秀康がやってきた。

関が原の折直接対峙した二人ではあるが、互いに尊敬しあっている
間柄である。
そうはいっても、秀康はいまや天下人の息子であり、景勝は敗軍の将である。
景勝は座を立って秀康に

景勝「…」
秀康「?」

兼続「秀康様、殿は『秀康殿、どうぞ上座にお座りください』と申しております。」
秀康「いやいや、景勝殿の方が先に着座なされていたのだ。どうぞそのまま。」

景勝「…」
兼続「『ここは江戸城でござる。身分も同じ中納言であれば、家康公のご子息である
   秀康殿が上座にあられるのが当然』と、申しております。」

秀康「何を言われるか。同じ中納言とは言っても任官されたのは景勝殿の方が先でござる。
   後輩は先輩を立てねばなりませぬ。それに私は今は結城家の者。結城家と言えば、
   世が世なら関東管領たる上杉家に従わねばならぬ家。ささ、お気になさらずどうぞご着座を。」

景勝「…」
兼続「『かたじけない思いやり、痛み入る』と申しております」

このようにして景勝は江戸城内において恥をかくことなく、徳川の世になっても、上杉家の
体面を保った。景勝のことを尊敬している秀康も、その事がとても嬉しかった。
そして秀康はいつも思うのだ。直江兼続の翻訳は、本当に正しいのか?と。



797 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/04(日) 20:34:01 ID:CX9MnI11
>>796
実は戦国時代のいっこくどうだった直江兼続w

798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/04(日) 20:35:19 ID:5VfqAVxT
殿いつ景勝やめいw

799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/04(日) 20:40:30 ID:UuipDDzt
>>797
この場合いっこくどうは景勝なんじゃないか?w

800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/04(日) 21:14:56 ID:HkIrpf2e
>>796


オチに焙じ茶吹いた

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/04(日) 21:22:54 ID:wwQuQyK4
寡黙とは言われるが本当にそこまで喋らない人だったのかw

803 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/04(日) 22:06:06 ID:eNMUcf/K
>>796
いくら何でも創作だろうが、落ちにワロタw

結城秀康と佐渡の金・いい話

2008年12月13日 00:03

220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/12(金) 13:36:28 ID:bLO+MiFo
結城秀康が越前の国主だった頃

結城秀康はふんだんに家臣を抱えていることで有名で、当時七十五万石の領主でありながら、
そのうち六十八万石分も知行として与えており、みな、

「秀康様はどうやってお暮らしになっているのだろう?」

と、疑問に思っていた。

さて、彼の城下福井は当時、佐渡から産出された金を江戸に運ぶルートになっていた。
この輸送隊が福井城下に来ると、その頭が藩の家老に「御用はありませんか?」と聞きに来た。
家老も心得たもので、「これだけ必要です」と言うと、その言っただけの金額を、輸送されている
金から分けて置いて行った。

このように、秀康は家臣への知行以外については、幕府からの手厚い援助があったのだと、
伝わっている。



221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/12(金) 14:06:06 ID:lFKw2mZ0
さすが制外の家

222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/12(金) 14:14:47 ID:uMveWKWn
我が父、秀康は将軍の兄なるぞ

223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/12(金) 17:15:51 ID:eDveHKsX
秀康公は若死にしてるから逸話が少ないな。

結城秀康と加増はどっち?・悪い話

2008年12月05日 02:17

33 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/04(木) 00:49:03 ID:QXKHsuQZ
慶長五年、徳川家康は、息子、結城秀康の、関ヶ原での戦功が莫大であるとして、
播磨か越前、どちらかの国を褒美として与えたい、と言ってきた。

これに結城秀康は、家臣を集め協議させたが、そのうち長谷部釆女が
是非越前を拝領なさいませ!と、熱心に言う。

しかし秀康は
「世の人は日本の国において、一が播磨、二が越前と言っている。やはり播磨が
良いのではないか?」
と、答えたが、長谷部は、
越前は大国で要害の地もございます。そのうえ江戸まで、播磨よりも近く、京都へ行くにも
便利で、北陸の中心でございます。越前を御拝領なさるのがよいでしょう。と、
あくまで越前を薦める。そこで秀康もその気になり、越前を拝領する事に決めた。



そして後日、冬のある日


結城秀康は長谷部釆女を呼んで、こう言った

「播磨か越前のどちらかを下し置かれるというので、相談したところ、お前は『越前をお望みなさるのが
よろしいでしょう』と言ったが…

お前の生れ故郷という理由で、こんな大雪の降る国へ移させたのだな!!」



長谷部さんそ知らぬ顔でソンナワケアリマセンヨHAHAHAHAHA


結城秀康の初陣と秀吉・いい話

2008年12月04日 00:10

987 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/03(水) 06:44:55 ID:hblRdKGn
では、埋めがてらに


天正14年(1586)、豊臣秀吉の九州征伐での出来事。
前線において先鋒、蒲生氏郷は大活躍。厳石城を落とし軍の士気は上がっていた。
が、一人打ちひしがれている物がいた。後軍に配置された、結城秀康、12歳。
このとき初陣であった。

佐々成政が、どうしたのかと訊ねると、秀康は

「氏郷殿の活躍に比べ、自分には何の戦功も無いのが悔しくてなりません。」

と、涙を流しながら語った。これに成政は、何をおっしゃる、あなたはまだ若い。
戦場で功を上げる機会はこれからいくらでもあるではありませんか。と、慰めたが

「この、無念を抱いた今日と言う日は、取り返したくても、もう来ないではありませんか!」


この答えに感心した成政は、秀吉の陣でこの事を語った。
あの御気性、流石は徳川家康殿のご子息である事よ。よく似ていらっしゃる。

これを秀吉が聞きとがめた「それは違う。わしだ」

「は?」

「秀康はわしの養子になったから、武勇も気性も、わしに似たのさ。そうであろう?」

そう、答えたと言う。



988 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/03(水) 06:56:15 ID:ZSW7lu62
秀吉の場合マジで言ってそうだからな、佐々もリアクションに困ったろう。