江上家種は大力量の人であった

2015年12月21日 07:56

798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/21(月) 03:35:21.48 ID:cMTATBTO
龍造寺政家はたいへん愚鈍だったので、母上・慶誾(隆信の母)が国政以下を後見し、
鍋島加賀守(直茂)と土肥出雲守が政事を共和したが、軍事では鍋島が家中の諸士を
率いて、政家の代官となり出発した。政家は年を経て後、病死した。

三男(隆信の次男)の江上家種は大力量の人であった。着ていた鎧の鉄の厚さを5分に
鍛えさせ、刀は4尺8寸、脇差は2尺6寸であった。槍の柄は3間半あり、鉄を延ばして
付けたので、あたかも羊侃の折樹槊とも言えよう。

この槍で敵を突き貫いては投げ、突き貫いては投げなさったが、ある戦場では槍が折れて
柄のみで振るい、薙ぎ回りなさって数十人が打ち倒されたという。常に樫の棒の1尺周りを
八角に作り、筋金を伏せて拵えた。これで薙ぎ倒しなさると、側に近付く者はいなかった。

ある時、秀吉公はその力量のほどを御覧になろうとして家種を御召しになった。家種は
6尺ほどある鉄の棒を杖に突いて赴き、これを玄関の前の庭に押し込んで地面に埋め、
棒の頭を手一束ほど余して置きなさった。後から、小姓衆などが寄り集まってこれを
抜こうとしても、動くはずも無かった。

さて秀吉公が「力量を表されよ」とのたまうと、家種は御前にあった碁石を手に取り、それを
いくらでも柱に押し込みなさった。また、碁盤の隅を片手で取り、百匁蝋燭の火を碁盤で
扇いで消しなさったという。これには秀吉公を始めとした満座が肝を冷やした。

秀吉公は「さて、御辺は国に帰って心のままに休息せられよ。遠路なので重ねての上洛には
及ばぬ」とのたまい、家種を下向させなさった。その後、秀吉公は安国寺(恵瓊)に向かい、
「彼のような大力は大将の近辺に置かないものである」と、のたまったということだ。

また、家種は朝鮮において、かの国一番の相撲の上手と勝負を試みる約束をした。朝鮮人は
籐を腹に巻いて出てきたのだが、家種は大竹をひしぎ腹に巻いて、足踏みなさると大地は
震動した。これを見た朝鮮人は恐懼して相撲をしなかったのだということである。

家種の弟を後藤十左衛門家信という。後藤貴明の養子である。政家の嫡子・駿河守隆房
(高房)は江戸において自害した。心に憤ることがあったといわれている。その子・山城守は
後に白庵(伯庵)と号し、保科肥後守(正之)に寄食した。

――『陰徳太平記』



799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/21(月) 04:49:30.99 ID:zI6t9Yup
家種に野心があればのぉ

800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/21(月) 14:07:13.13 ID:9tKC1H7E
陰徳太平記でなぜ鍋島と並列してマイナーな土肥出雲守の名前が出て来るのかと思ったら、この人対毛利の取次役だったからか
政家の上級家老で生き残った最後の一人だから当時は大物だった筈なんだけど

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/21(月) 18:24:04.44 ID:/lEmbKkQ
幽斎「碁盤で火を消すのは普通だよね」

802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/21(月) 20:28:46.38 ID:y8HEMUWi
とんと突く

 ころりと転ぶ 幽斎が

如何でこの間に 肉を盛るべき

803 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/21(月) 20:43:38.82 ID:AzSQRcTG
ガチムチに 人丸くこそ 見へにけり
ここかあかしの うらの白浪

804 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/21(月) 23:06:41.32 ID:0uR+WcCN
家信記述少ないな!?
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