孝蔵主の事

2016年02月06日 15:11

孝蔵主   
273 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/06(土) 09:02:09.22 ID:0+x/KZnj
北政所の筆頭上臈に孝蔵主という侍女がいた。
北政所の秘書的な仕事だけでなく、官僚としても豊臣政権下で様々な実務をこなし、五奉行に比肩するほどの重要な地位にいた。
秀吉夫妻からの信頼は厚く、秀吉は辞世の句「露と落ち~」をしたためた短冊を彼女に預けている程だった。

小田原征伐後、徳川家康は人質として秀忠を秀吉の下に送った。
北政所と孝蔵主は共に実子がおらず、二人とも秀忠を我が子のように可愛がって髪の結い方や着付けなどを教えた。

秀吉他界後、孝蔵主は北政所改め高台院に付き従い大阪城を離れ京都に移り住んだ。その後も高台院の付き人を続けた彼女は生涯独身を貫いた。
そのまま静かに余生を過ごすかと思われたが、少年期の恩を忘れなかった徳川秀忠は上洛する度に真っ先に高台院と孝蔵主の下を訪れて交流を深め
彼女の才覚が埋もれるのを惜しんだ秀忠と高台院により、慶長15年(1610年)に江戸城大奥を取り仕切る責任者として招聘される事になった。

余談だが、彼女が化粧料200石を初めて拝領した寛永2年10月は高台院の一周忌明けであった。



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