寛永7年秋9月12日、御即位の事

2016年02月11日 19:07

299 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/11(木) 18:14:26.70 ID:0KPdZYkG
寛永7年秋9月12日、御即位の事(明正天皇)が有った。
これは去年の秋、後水尾天皇が俄にその御位を第一皇女に譲られると決めた事による。

昔、奈良の京において、女帝は数代居られたが、現在の平城(平安京)に移られた後は、
八百年あまりにおいて例のない事であり、この事が江戸に聞こえると、将軍家は大いに驚かれ、

「本朝は神国であり、天照大神は正しく姫神にて、天津日嗣を万世まで伝えられたといえども、
久しく稀なる御事でもあり、もし後世に、外戚の威勢によってこのような譲位をさせた、などと
言われては名誉においてしからざるものである。」

そう慮ったが、後水尾天皇の叡慮は大変硬いものであったため、強く諌めることも出来ず、
兎にも角にも叡心のままと考えられた。
武家(将軍家)が禁裏を崇拝すること他に事にする物で、源頼朝以来、並びなき事であった。

しかし後水尾天皇は御歳も盛りの中、万機の政を厭われた。
かつて堯が舜に譲り、舜が禹に譲ったというが、それらは皆歳が寄ってからの事である。
であるのに今、春秋に富んだ年齢(33歳)であるのに、姑射(上皇の住居である仙洞御所を表す)の雲を眺め、
汾水の風を弄ばれるのは、然るべからざる御計らいであると武家には思えるが、叡心の趣く所は、
武家の政正しく明らかであり、公を敬うものであるから、幼帝であってもそれを助け守るであろうから、安心
であるとして、終に退位されたため、武家としてもどうにも出来ず、止むを得ず、そのようにして今日、
ご即位が有ったのである。

(玉露叢)


徳川秀忠の孫である女帝・明正天皇の即位について、
将軍家の側の、なんとも納得出来ない心情がよく現れた記事である。



300 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/11(木) 19:48:37.66 ID:dm3KUcSq
帝にしてみりゃ「お前ら武家が一々容喙してくるんなら別にワシおらんでもええやないか」て事なんだろうが

301 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/11(木) 20:30:12.04 ID:ihmjMAbp
圧力かけたくせに帝が対抗手段とったら逆ギレする徳川の悪い話では…?

302 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/11(木) 20:38:23.61 ID:vZV3xbC7
帝のちょっといい話だから問題ない
徳川はどうでもいい

303 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/11(木) 20:56:07.05 ID:tNwOvWqd

どうでもよくない奴
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