匂坂吉政の「思い切りのいい」お話

2016年03月25日 18:25

534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/25(金) 16:34:22.16 ID:3HFhF8Id
桶狭間の敗戦により、今川氏は急速に衰えを見せ始め、いわゆる「三州錯乱」、
続いて「遠州惣劇」といった事態に陥る。当主氏真は必死に挽回をはかるが、
状況は悪化するばかりであった。

遠江匂坂城主匂坂長能は今川氏輝時代からの信任厚い武将であり、井伊・飯尾・
堀越・天野といった諸将が叛乱を起こす中、最後まで氏真のために働いていた。その
長能が永禄9年(1566年)に亡くなると、三男の六郎五郎吉政が後継者となる。

永禄11年(1568年)12月、遂に武田信玄による駿河侵攻が始まり、秋山虎繁の
率いる別働隊は伊奈を経て二俣に到達した。遠江の諸侍はこぞって参集し、帳面に
己の氏名を記入した。今川氏に忠義を立ててきた吉政も、ここが潮時と二俣に赴き
帳面に「匂坂ノ惣領ナリ」と書き記した。なお、二人の兄、政信・政通は混乱の中、
掛川城に篭城していたようである。

ところが、吉政が退出した後、兄政信の息子十左衛門政祐もまた秋山のもとにやって来た。
不審に思った吉政がこれを窺っていると…
政祐「匂坂の嫡流は某にございます。このことは遠江の者なら誰でも存じております!」
秋山「吉政が惣領ということで、本人もそう記しておったが…まあ信玄公にお執り成しする
    ことにしましょう」
これを知った吉政は城門のあたりで待ちうけ、色よい返事に上機嫌の政祐をたたき斬った!
その足で掛川城まで駆け行くとと、二人の兄を指差し「先に徳川につくからなあーッ!」と
叫びそのまま家康のもとへと遁走した。状況を包み隠さず家康に述べると、家康も喜んで
12月22日付で本領安堵の感状を出している。


匂坂吉政の「思い切りのいい」お話。

この後、姉川で三兄弟で真柄十郎左衛門と死闘を演ずるのですが、お兄ちゃんの政信、
心が広かったんだねえ…

なお、お兄ちゃんの度量はその孫には受け継がれず、政祐の遺児は吉政暗殺を企てる。
不穏を察知した家康は用心のため出仕を控えるよう吉政に命じたが、吉政は意に介さず
出仕を続けたため、結局鉄砲にて暗殺されたようです。



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