632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/23(土) 09:28:54.86 ID:I0Yl7va5
愛宕山で修行していた司箭院興仙はある時、実家の宍戸家のある安芸国五龍城へ帰ると
兄の宍戸元源に向かって言った
「私は年来の願望成就を得ました。然れば、世間を徘徊して褒貶の唇にかかるのも益無く、
今後は親戚を離れ人倫の交わりを絶って無為の世界に入ろうと考えています。
孝長の道も今日限りです。
これは私が修行中に誓願を込めた物です。」
そう言って、赤地に金の日輪を書いた軍扇に、自筆で梵字を書いたものを取り出した。
「この扇を持って戦場に向かわれれば、弾矢の難はありません。また伏兵夜討ちその他
不意のある時は、扇に必ず奇特が有ります。
勝負は時の運、生死には期があり天命に帰するものであって、この司箭の力及ぶところでは
ありません。ですが、私は当家の軍神と成り矢面に立って守護いたします。
衆を愛し、惻隠辞譲の道を正し、賢を求め耳に逆らう言葉を容れ、義を以って恩を割き、
佞奸を遠ざけ讒言を容れず、衆と苦楽を共にし心と力を尽くせば、戦わずして勝ち、
招かなくても人は来て、国は治まり威凛々として敵も従います。
また、士を侮り己を誇り、諫言を拒み忠賢を遠ざけ恩愛に偏するようでは、巧弁の佞臣たちが募って、
賢愚長幼の序を失い凶災を呼び寄せます。
明神も、一体どちらを擁護するでしょうか?この司箭もそのような災いを祓うことは出来ません。」
そして画像を一枚取り出し
「この両頭の不動は厳島明神の神詔によって私が得た霊仏です、これを、当家の守護仏として
斎戒尊崇を怠ってはいけません。」
このように兄弟は終夜別れを惜しみ語り合った。
翌日、祝屋城に至り、元源の子である深瀬隆兼と対面し、
「今後、再開することもないだろうから、私が多年学んだ兵術の妙理を伝えおく。」と、
兵書を授け密法を伝えた。これは源九郎義経、鬼一法師より伝わる軍記といわれ、また
太郎坊より伝わる剣術は、宍戸・深瀬・末兼の三家の外には伝えることを許さないとした。
その伝法については、新たに斎戒すること7日にして後にこれを伝えた。
また、典川作の刀一腰を隆兼に譲り、その後愛宕山に帰ると、柳を以て自像を刻んだ。
愛宕の瀧川の上に座し、容貌を水鏡に映し刻んだ。厳島にて賜った白羽の扇を負い、その形
山伏の姿で、涼やかに尊聖陀羅尼を梵字にて書いている坐像であった。
今も愛宕山太郎坊の脇に立つ司箭の像がこれである。
何かある時は、この像が変化して、或いは沙門となり或いは女体と成り、或いは衣冠をして
座しているように見えるなど、様々に変化して見える。
愛宕山七不思議という伝説が有り、七つの妙があると言い伝わっているが、この司箭の像の変化も
その一つである。
(宍戸記)
愛宕山で修行していた司箭院興仙はある時、実家の宍戸家のある安芸国五龍城へ帰ると
兄の宍戸元源に向かって言った
「私は年来の願望成就を得ました。然れば、世間を徘徊して褒貶の唇にかかるのも益無く、
今後は親戚を離れ人倫の交わりを絶って無為の世界に入ろうと考えています。
孝長の道も今日限りです。
これは私が修行中に誓願を込めた物です。」
そう言って、赤地に金の日輪を書いた軍扇に、自筆で梵字を書いたものを取り出した。
「この扇を持って戦場に向かわれれば、弾矢の難はありません。また伏兵夜討ちその他
不意のある時は、扇に必ず奇特が有ります。
勝負は時の運、生死には期があり天命に帰するものであって、この司箭の力及ぶところでは
ありません。ですが、私は当家の軍神と成り矢面に立って守護いたします。
衆を愛し、惻隠辞譲の道を正し、賢を求め耳に逆らう言葉を容れ、義を以って恩を割き、
佞奸を遠ざけ讒言を容れず、衆と苦楽を共にし心と力を尽くせば、戦わずして勝ち、
招かなくても人は来て、国は治まり威凛々として敵も従います。
また、士を侮り己を誇り、諫言を拒み忠賢を遠ざけ恩愛に偏するようでは、巧弁の佞臣たちが募って、
賢愚長幼の序を失い凶災を呼び寄せます。
明神も、一体どちらを擁護するでしょうか?この司箭もそのような災いを祓うことは出来ません。」
そして画像を一枚取り出し
「この両頭の不動は厳島明神の神詔によって私が得た霊仏です、これを、当家の守護仏として
斎戒尊崇を怠ってはいけません。」
このように兄弟は終夜別れを惜しみ語り合った。
翌日、祝屋城に至り、元源の子である深瀬隆兼と対面し、
「今後、再開することもないだろうから、私が多年学んだ兵術の妙理を伝えおく。」と、
兵書を授け密法を伝えた。これは源九郎義経、鬼一法師より伝わる軍記といわれ、また
太郎坊より伝わる剣術は、宍戸・深瀬・末兼の三家の外には伝えることを許さないとした。
その伝法については、新たに斎戒すること7日にして後にこれを伝えた。
また、典川作の刀一腰を隆兼に譲り、その後愛宕山に帰ると、柳を以て自像を刻んだ。
愛宕の瀧川の上に座し、容貌を水鏡に映し刻んだ。厳島にて賜った白羽の扇を負い、その形
山伏の姿で、涼やかに尊聖陀羅尼を梵字にて書いている坐像であった。
今も愛宕山太郎坊の脇に立つ司箭の像がこれである。
何かある時は、この像が変化して、或いは沙門となり或いは女体と成り、或いは衣冠をして
座しているように見えるなど、様々に変化して見える。
愛宕山七不思議という伝説が有り、七つの妙があると言い伝わっているが、この司箭の像の変化も
その一つである。
(宍戸記)
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