701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/10/19(火) 16:02:22.60 ID:p7SjWLTJ
ではせっかくだから西国の話を
安芸国吉田郡山城の毛利元就と、甲立五龍城の宍戸元源は天文二年(1532)に和睦し双方音信を通じたが
未だ参会することは無かった。そして翌三年正月十八日、元就は年始の礼として五龍へ参った。
宍戸元源はこれを慇懃に饗応し終日物語などあった。元就は寵臣である粟屋右京、国司右京の
両人だけを留め置き、その他の人数は悉く郡山へ返し、主従三人ばかりが五龍に滞留した。
元源は元就が隔心無く人数を返したその志が健やかな事に感じ入り、打ち解けて終夜、軍法の評判、
隣国諸士の甲乙などを論じ、旧知のように睦まじく語り合った。
虎穴に入らずんば虎子を得難しと云うが、元就は言った
「我々がこのように別心無き上は、私の嫡女を貴殿の嫡孫である隆家殿に進め、親子の仲となれば、
一家の者共までも心安く申し合わせるようになるでしょう。元源殿がこれに同心して頂ければ、
本望何事かこれに及ぶでしょうか。」
元源答えて曰く
「その御志に、甚だ悦び入っております。私は既に老衰に及び、息子である元家に遅れ、隆家は
若輩であり、最も力なく思っており、私の方から時節を見てそれを申し入れようと考えていた所を、
それを遮って貴殿の方から仰せを承りました。これは実に深い知遇です。
元就殿には子息達も数多居られますから、今後隆家にも兄弟が多くなります。
隆家の事はすべて元就殿にお任せしますので、どうぞ御指南をしてください。
さあ、子孫長久の酒を進めましょう。」
そう云うと隆兼、元祐、元周、元久、その他親族衆が連座して山海の珍味を尽くし、甘酒泉のごとく湛え、
様々な料理を連ねて宴を催し、貴賤の別なく献酬交錯して酔を進め、夜もすがら乱舞して、元就は吉田へと
帰られた。
その後、吉辰を選び婚姻の礼を調え、吉田と甲立の境に仮屋を構え、毛利、宍戸の双方より出会い、
宍戸家側が元就嫡女の在る輿を請け取る事となった。毛利家より役人として、桂左衛門尉元澄、
児玉三郎右衛門就忠が付き従い、宍戸家よりは江田筑前守元周、黒井石見家雄が出た。
輿を据えて、桂元澄、児玉就忠が式対してこれを渡すと、江田元周は輿の側にスルスルと立ち寄り、
戸を開いて輿の中を望み見て、元就の息女に紛れ無き体を篤と見届けた上で元澄に向かい、
「請取たり」と答えた。
後でこれを聞いた元就は
「乱世の時であるのだから、元周の振舞いも理である。惣じて宍戸家の者共の志は、何れも健やかである。
我が家の若き者共はこれを見置いて手本にせよ。」と称賛したという。
これ以降、隣国の大半が元就に従うように成った。
(宍戸記)
ではせっかくだから西国の話を
安芸国吉田郡山城の毛利元就と、甲立五龍城の宍戸元源は天文二年(1532)に和睦し双方音信を通じたが
未だ参会することは無かった。そして翌三年正月十八日、元就は年始の礼として五龍へ参った。
宍戸元源はこれを慇懃に饗応し終日物語などあった。元就は寵臣である粟屋右京、国司右京の
両人だけを留め置き、その他の人数は悉く郡山へ返し、主従三人ばかりが五龍に滞留した。
元源は元就が隔心無く人数を返したその志が健やかな事に感じ入り、打ち解けて終夜、軍法の評判、
隣国諸士の甲乙などを論じ、旧知のように睦まじく語り合った。
虎穴に入らずんば虎子を得難しと云うが、元就は言った
「我々がこのように別心無き上は、私の嫡女を貴殿の嫡孫である隆家殿に進め、親子の仲となれば、
一家の者共までも心安く申し合わせるようになるでしょう。元源殿がこれに同心して頂ければ、
本望何事かこれに及ぶでしょうか。」
元源答えて曰く
「その御志に、甚だ悦び入っております。私は既に老衰に及び、息子である元家に遅れ、隆家は
若輩であり、最も力なく思っており、私の方から時節を見てそれを申し入れようと考えていた所を、
それを遮って貴殿の方から仰せを承りました。これは実に深い知遇です。
元就殿には子息達も数多居られますから、今後隆家にも兄弟が多くなります。
隆家の事はすべて元就殿にお任せしますので、どうぞ御指南をしてください。
さあ、子孫長久の酒を進めましょう。」
そう云うと隆兼、元祐、元周、元久、その他親族衆が連座して山海の珍味を尽くし、甘酒泉のごとく湛え、
様々な料理を連ねて宴を催し、貴賤の別なく献酬交錯して酔を進め、夜もすがら乱舞して、元就は吉田へと
帰られた。
その後、吉辰を選び婚姻の礼を調え、吉田と甲立の境に仮屋を構え、毛利、宍戸の双方より出会い、
宍戸家側が元就嫡女の在る輿を請け取る事となった。毛利家より役人として、桂左衛門尉元澄、
児玉三郎右衛門就忠が付き従い、宍戸家よりは江田筑前守元周、黒井石見家雄が出た。
輿を据えて、桂元澄、児玉就忠が式対してこれを渡すと、江田元周は輿の側にスルスルと立ち寄り、
戸を開いて輿の中を望み見て、元就の息女に紛れ無き体を篤と見届けた上で元澄に向かい、
「請取たり」と答えた。
後でこれを聞いた元就は
「乱世の時であるのだから、元周の振舞いも理である。惣じて宍戸家の者共の志は、何れも健やかである。
我が家の若き者共はこれを見置いて手本にせよ。」と称賛したという。
これ以降、隣国の大半が元就に従うように成った。
(宍戸記)
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